23 合従連衡 その4-2
23 合従連衡 その4-2
原の容態を観ていた趙は、戰の天幕に呼ばれた時、後ろ髪を引かれる思いを隠そうともしなかった。
だが、地の利を活かす為にも、自分は必要不可欠な要員であると理解している。
生き残った邑の女たちの中で比較的軽症の者は、彼方此方を動き回り仲間の手当を勝手出ていたので、一人を捕まえて丁寧に頭を下げる。
「宜しくお願い致します」
「ええ、ええ、任せておいて下さいな」
自分もまだ煤塗れの服のままだったが、女たちは快く引き受けた。娘、早く良くなれ、と趙は声を掛けて原の傍から離れた。
戰の天幕に現れた趙は、硬い表情で跪いた。
「陛下。句国百人隊長・趙、罷り越しました」
良いから、と戰が声を掛けても頑なに改めようとしない。
埒が明かないね、と戰は苦笑いしつつ溜息を吐く。そして、処でね、と務めて明るい声を出した。
「趙、我々は此の先にある県の城を奪おうと思う。君には、道案内役を引き受けて貰いたい」
「はい、謹んでお受け致します」
礼拝を戰に捧げる趙の声音は、やはり硬い。
柔和な表情と声音で趙の頑なさを何とか解きほぐそうと努力している戰だが、見方によっては彼の方が下手に出ているように感じられる。其れが気に入らず常に苛々と肩を揺すっていた優だったが、もう辛抱ならぬ、とばかりにずい、と趙の前に進み出てきた。
「時間が無い。単刀趣入に言うぞ。趙殿、句国王陛下の大軍旗、貴殿は此の先、如何にするつもりでおるのか」
単刀趣入過ぎる優を戰が窘めかけるが、珍しく、杢が止めた。
確かに今は、一刻を争う事態だ。下手をするとこちらも甚大な被害を出しかねない。
契国での、勝利した、と手放しで喜べぬ何とも後味の悪い戦の幕引きいと違い、先程の備国軍との戦闘は確かに胸のすく快勝だった。
原という少女を救ったという成果を目の当たりにしているので、勝利の余韻というよりは戦の興奮を引き摺っており、誰も指摘しないでいるが、そもそも今回の戦は句国と備国の間で収めるべき戦だ。
直截に言えば、戰一人の身勝手な義侠心で句国を救わんとしているだけだ。
崑山脈以西の国からの脅威の生きる盾である句国に此のまま備国に居座られては何かと都合が悪い禍国は兎も角として、何れ自国に脅威が及ぶのは必定であろうとも、祭国はまだ其処まで切羽詰まった状況では無い。
だが矢張り、祭国軍も禍国軍も、此度の戦を起こすだけの明確な理由が必要不可欠なのだ。
目に見える、確実な、彼らを納得させ、且つ、鼓舞するに相応しい、正統性のある理由が必要となる。
つまり。
先王・玖より正式に禅譲を受けた形を取り、戰が句国の王となる。
備国の非道に喘ぐ句国の民は、戰を新たなる王として迎え入れるに決っている。
祭国の民も、句国の民が同胞となるのは吝かではあるまい。
――ただ一つ。
全く以て腹立たしい限りだが、大保の思う壺だという事を除けばな。
憮然とした優だが、しかし、此の絶好の好機を逃す訳にはいかない。
禍国の皇帝として即位するに足る、いや此れ以上相応しき人物は他になし、と平原に名を轟かせるには祭国郡王程度では、幾ら勝利を重ねた処で足りない。
だが、句国王であれば話は違ってくる。
侵略者してではなく、亡き句国王から大国旗と六撰の御璽を譲り受けた正統なる継承者を名乗り、悪逆非道の限りを尽くす備国王と備国軍から、句国の土地を奪い取る。
そして威禍国の王城の奥深く、後宮で自堕落な生活を送っている皇帝・建を帝位から引き摺り下ろし、至尊の冠を戰の頭上に輝かせる道を開く。
――陛下の御性格では、平坦な道のりではあるまい。
が、しかし、今此時以上の機会はもう二度と望めん。
戰も優の気持ちは痛い程、理解していた。していたが、するのと其れを無条件で受け入れるのは、また別の問題で同一視すべきではない。
戰は、助けを求めて祭国にまで逃れてきた姜が秘している六撰の御璽を出せ、と迫れなかったような男だ。
趙に、大軍旗を寄越せ、などと無理強い出来る筈がない。
優も分かっている、理解している。
そんな戰だから、自分も、杢も克も、皆も。
そして誰よりも、息子である真も。
戰に心惹かれるのだ――と。
居心地の悪い空気が、場に広がった。
しかし、重苦しい沈黙を破ったのは、趙だった。
「郡王陛下」
襟を整え姿勢を正した趙は、一度、此の場に並ぶ祭国と禍国の将兵たち一人一人としっかりと目を合わせてから、戰の前に平伏した。
「陛下、ただ一つだけ、申し上げたき儀が御座います。正し此れは私の願いではなく、我が句国王陛下の願いであるとして、お聞き届け下さると、先に陛下より確約して頂きたいのです」
「良いだろう」
陛下、と優が熱り立ち掛けるのを、杢が止める。
ぎろり、と睨む優に、杢は睨み返した。
「杢」
「お静かに」
低い声は、何かを確信している力強さがある。
ぐ、と優は息を呑み、そして退いた。眼の前で平伏している趙は、嘗ての師弟の短い諍いに気が付いていないようだった。
「郡王陛下。恐れ乍ら申し上げます。此れより先、郡王陛下が率いられし一軍に、身を潜めている句国兵たちを受け入れてやって下さい。我が句国に侵した屈辱の数々は、我ら句国の民の自らの手で報復し、思い知らせてやらねばなりません」
「……趙」
戰は立ち上がると、趙の肩を掴んだ。
「我らが国王陛下の仇、我が国の民で返したい。何卒、お許しを」
其れでもまだ平伏したままの趙の身体を、戰は無理矢理抱き起こそうとする。趙が、やっと顔を上げた。顔面が、どろどろと涙でふやけている。
「趙。私こそ――願う。玖殿の無念は、句国の民が晴らすべきだ」
「……お、おぉ……、陛下……!」
とうとう趙は益々身体を縮込まり、背中を丸めて突っ伏したまま、声を張り上げて泣きに泣いた。
貰い泣きを堪えているのか、目を細めて唇を引き締めている杢の横で、だが、優はまだ云いたげな視線を趙と彼を宥めに入っている戰に向けていた。
★★★
手際良く出陣の準備をし始めると、小さな騒ぎが起こった。優は杢に後を任せると、渦中に駆け付けた。周囲には、子供が泣き喚いている甲高い声が響いている。
「どうした?」
「は、其れが……」
部下の一人が、項垂れながら優にぽつぽつと話した。例の原という少女の父親の容態が急変し、息を引き取ったのだという。
「……娘が無事だと知って安心し、其れまで張り詰めていた気が抜けたのでしょう」
気落ちした、遣る瀬無さしかない声音に、優は部下の肩を叩いた。
――よくある事だ。
だが、よくある事だとして、見過ごすには余りにも辛い。
自分たちを酷い目に遭わせた備国軍を一人残らず殺して呉れ、と叫んだ姿が脳裏に蘇る。
「痛ましいな……」
呟くと、なかなか戻らぬ優を心配して杢がやって来た。
「兵部尚書様、一体何が?」
「戻るぞ」
しかし、と騒ぎを気にする杢を半ば強引に優は押し戻した。
わらわらと、大人たちが天幕の中に入っていく。空を劈く少女の鳴き声は、凶鳥のように高く棚びいていたが、やがて、徐々に地を這うような啜り泣きに変わりだした。
「今此処で、我らが娘の傍についていてやっても何もならん。娘を思うのであれば、備国軍を少しでも早く、そして一人でも多く倒す為に戦支度を早々に整えて出立してやらねば。そうであろう?」
「……はい」
まだ後ろ髪を引かれている様子を杢は見せた。
真の妻である薔姫、神殿で采女として仕えている鈿、陸に陸の妹に、類と豊の子供にも同じ年頃の子供がいるし、そして吉次の娘となった蘆野を思い出していた。
原と然程、年の変わらぬ娘達だ。が、辿っている命運は大きく異る。
――身分がどうこうと言うよりも、生まれた国によって子供たちは否応なく運命を定められてしまっているように思えてならんな……。
無言のまま脚の動きを早めていく杢を、優はちらりと見やった。
「杢よ」
「――は?」
「悔しいか」
「……はい」
「悔しいのであれば、陛下をよく見ていて差し上げよ。娘の父親が鬼籍に入ったのを知り最も心を痛められるのは、陛下だ」
「……はい」
優は嘆息した。
こういう役目は、本来であれば真が担うべきだ。
二人が離れて既に何日になるのか。
普段は感じさせないし、自分たちも思いもしないのだが、ふとした時に、戰一人で良いのか、という不安を抱かずにはいられない。
「だがな、杢よ、私が心配しておるのは、実は、其処ではない」
「――は?」
「陛下が備国王と備国軍を討ち果たし、句国の民に安寧を国に秩序を取り戻し、いざ、王位を継承せんと成された時に、すんなり事が運ぶとは思えぬのだ、私は」
「……はい」
ぎりぎりと歯軋りしながら、優は此の先に起こるであろう未来を睨んでいる。
優の憂慮は杢にも理解出来る。
いや、憂慮と云うよりは懸念であろうか。
此れより先、戰が句国を平定された後に、句国王族の末裔が名乗り出て来るだろう。
まるで、備国軍という塵屑を戰が箒で払い清めるのを待っていたかのように。
血の正統性から王位を主張し、戰を簒奪者呼ばわりしかねない。
いや、戰の事だから名乗り出られた時点で、無下には出来ぬと大国旗を譲り渡すに違いない。
「陛下の事だ。自分たちは備国軍を討って句国を靖んじ、盟友であった句国王の魂を鎮めるのが目的であり、句国を掠め盗るのは本位では無い、と言い出されかねんわ」
優は吐き捨てるように言い放った。
杢は顔を微かに顰めつつも、何も反論しなかった。概ね、優に同意しているからだ。
戰の恭謙さや遜譲さは特筆すべき美徳の一つであるのは間違い無い。
だが、余りに行き過ぎていては、其れは卑下にも映る。
今更、そんな事にさせてはならない。
天帝は戰を王とすべく、運命の歯車を回し始めた。
覇王の宿星は動きだしたのだ。
例え禍国からは舐痔得車の輩よ、と大いに揶揄されるのは容易に想像できたとして、其れが何程の事だろうか。
寧ろ、そんな輩の盾に自分たちがなるのだ。
「陛下には、真実の王者となって頂かねばならぬ。あの娘の涙を、無駄にされるような陛下であられては困るのだ」
「はい」
「其れには、陛下には、勝って、勝って、勝ち続けて頂かねばならん――其の為に、我らは居る」
「分かっております」
鵺の雛が夜泣きしているかのような、ずんと胸に迫る少女の啜り泣きに心を斬り付けられながら、優と杢はいつの間にか走り出していた。
★★★
邑を焼き払いに行った仲間の一隊がまだ兵営に戻っていないのに気が付いたのは、彼らが出立してから2日も過ぎてからだった。
「何をやってるんだ、奴ら?」
「なぁに、楽しんでるんだろうよ」
「へっへ、違いねえなっ……と、おい、酒がねえぞ?」
備国軍が接収した嘗ての句国軍の営舎内では、ほぼ毎日、何かしら理由付けをして宴が繰り広げられていた。
爛れて重苦しい淀んだ空気が、室内に充満している。
しかし、誰も咎めない。寧ろ、上官たちが率先して此の巫山戯た騒ぎを長引かせ、愉しんでいた。
「おい、甕ごと酒を持って来い。ああ、ついでに、見張りたちが詰めている哨舎にも持って行ってやれ」
赤ら顔の男は下卑た含み笑いを浮かべながら、蝿でも払うようにして手を振り、近くに居た下男に命じた。
国境に近い比較的大きな県だけあり、領地は立派な城壁を有している。
城壁の上の楼閣と、城門前を守る哨舎にまで兵舎の騒ぎは届いていた。
背後から上がる喧騒を、見張りたちは羨ましげに、何度も何度もちらりちらりと振り返っていた。
「畜生、あいつら」
「ああ、全く、遠慮ってもんを知りやがらねえ」
「畜生、羨ましいぜ」
喉が酒の甘辛い香りと水分を欲して、ひりひり、びりびりと痛む。乾きを癒す為に、ごくりと音を立てて生唾を飲み込むと、舎に一台の荷車が近付いて来るのが見えた。
「何だ?」
見張りたちが集まると、荷台の上には酒を満たした甕が幾つも乗せられている。
「へえっ? 酒じゃねえか?」
「こりゃあまた、粋な事をするじゃねえか、なあ?」
手を揉んだり、舌舐めずりしながら、男たちは早速、甕の蓋を叩き割った。
酒気が飛沫と共に、周辺に飛び散った。こうなるともう、待ち切れない。
我先に、と見張りたちは甕に殺到する。被っていた兜を脱ぎ、其れを酒杯代わりにして甕の中身を掬い取り、喉の奥へと流し込む。
「くはぁ~っ! 此奴ぁ、なかなか効くぜ!」
「うっは、成程! 堪んねえな、こりゃ!」
あっと言う間に舎内は陽気な酒飲みどもの溜まり場と化す。
「どうせなら、旨い肴も用意して欲しかったな」
「ああ、後は女もな」
「馬鹿野郎、そいつは此の見張りが終わるまでのお楽しみ、って奴よ」
「へっへ、違いねえ」
そして、泥酔者ばかりとなるのにさしたる時間は掛からなかった。
強かに酒を呑んだ男たちは、やがて、一人二人、と床に転がり始め、そして大鼾をかき始める。
眠りに落ちる者が居ると、今度は睡魔が伝播する。
哨舎内の空気は、甘い酒の臭いと男たちが吐き出す饐えた呼気、そして膿んだような体臭が混ざり合って澱のようになった。
其のまま、1時辰ほど過ぎたであろうか。
見張りの男たちが甘ったるい酔いに身を委ねて深い眠りに陥った頃、不意に、地面から身体全体に地響きが伝わってきた。
「な、何だっ!? 何が起こった!?」
「どうしたあっ!?」
見張りたちは唾を飛ばして飛び起きた。
余りの振動の激しさに、地震でも起きたのか、と顔面を蒼白にさせる。
酒を呑む容器代わりにしたてていた兜を慌てて被り、舎の外に飛び出していく。
其の頃になると、此の振動の元は馬蹄であると誰もが悟っていた。
酔いでふらつく脚元は兎も角として、どろりと垂れ下がっていた目蓋はすっかり開いた。
楼閣に上がった者が、松明を掲げて目を細めると、まるで岩の塊が山の頂上から転がり落ちてきたかのような凄まじい轟音と揺れが城全体を襲う。
「うおおっ!?」
「がああっ!?」
「ぐわああっ!」
「ひぎゃあぁ!」
城壁を打ち壊そうと、投石機から巨石が投擲され始めたのだ。
そうこうする内に、城門に衝撃波が咥えられた。
爆音が、一度、二度、三度、と幾度も繰り返されて響き渡る。
城門も破壊せんと、衝車による攻撃が続けられているのだ。
此のままでは、もう数回も攻撃を受ければ城門は破られ城壁は大破され、敵の侵入を許してしまうだろう。
「敵だ! 敵だ! 敵が攻めて来た!」
「敵だ! 皆、備えろ!」
「何!? 敵だと!?」
「て、敵!? 一体、何処の国が攻めて来たんだ!?」
悲鳴と怒号が同時に上がる。
其の時だ。
見張りの頭部が、跡形も無く吹き飛んだ。
赤い鞠と化した見張りの頭が、どすん、と音を立てて地面に落ちる。
闇に紛れて城壁に掛けられた雲梯を登りきった敵が、音も気配も無く此処まで侵入してきていたのだ。得体の知れない敵兵の斬撃の凄まじさに、備国軍は、一気に飛び退る。恐怖を伝える胸の鼓動は体内で、どくどくと姦しく轟き、冷汗が滝のように全身を濡らす。
恐怖に固まる備国軍を前に、突如姿を現した敵兵は、びゅうっ! と剣で旋風を呼び起こしながら命じた。
「掛かれ!」
おう! という呼応と共に、空気を切り裂く音が一斉に巻き起こる。
「に、逃げろっ……!」
「兵舎に居る仲間にしらせっ……!」
逃げ惑う見張りたちは、次々と生命を刈り取られていく。
轟音と爆音は未だ、交互に城壁を揺るがしている。
流石に騒ぎに気が付いた兵舎の方から、わらわらと人が飛び出し始めた。
「敵襲! 敵襲だ!」
今更ながらに松明が燃やされ、城内を赤々と照らし始めた。
しかし、其れが仇となった。待ち構えていたかのように、投石機から油を満たした壺が放たれ始めたのだ。
盲滅法に投擲される油壷は、だが其の殆どが地面に落ちて無残に割れた。がしゃがしゃと無様な姿を晒す油壺の様子に、備国軍は酔いの残る赤ら顔で腹を捩りながら笑い転げた。
「馬鹿めが。何をしているつもりだ」
「狙い目も分からずまま、滅多矢鱈に打った処でどうなるものか」
だが、嘲笑の言葉が終わらぬ内に、松明の火の粉が風に乗ってふわり、と空に舞った。
あっ!? と思う暇もない。
周囲に染み付いた油分に、忽ちの内に火が燃え移り、炎となり、業火へと変幻した。炎の濁流が滾滾となって城内を駆け巡り、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
生命を喰らってやるから寄越せ、とばかりに執拗に追ってくる。
幾筋もの炎の魔の手から辛くも脱した備国兵たちは、皆、一目散に厩舎を目指していた。
当然、王都に在る国王・弋に急を告げんと称して逃げる為だ。
だが、這う這うの態で厩舎まで逃げ延びてきた備国兵たちは、うあっ!? と息を呑み、目を見開いた。厩舎の外壁が槌か何かで派手に打ち壊されており、繋がれていた馬は一頭残らず姿を消していたのだ。
「そっ……そんな……!?」
「馬鹿な、こんな、こんな事が!?」
「馬が……我が軍の馬がっ!」
耳を欹てると、炎が生む轟音の向こうへと、馬の嘶きが塊となって遠ざかっていくではないか。
城壁を投石機で打たれているから、まだ完全な侵入を許してないと油断している間に、敵は城内奥深くに到達し、まんまと馬を盗み出していたのだ。
茫然自失となっていた備国兵たちの顔ばせが、徐々に絶望の二文字がありありと浮かぶ表情へと取って代わられていく。
双眸から、ぶわり、と音を立てて涙が流れ出す。そ
の涙も、刻々と迫る炎の渦が棚引かせている熱波により、忽ちの内に干上がっていく。
正門前が俄に騒然とする。
とうとう城門が突破されたのだ。
鬨の声を上げながら、敵兵が雪崩込んで来る。
まるで天へと続く艀のような炎が深夜を真昼の明るさに変えている中、敵兵の正体が遂に知れた。
「祭国郡王の軍旗だあっ!」
「禍国軍、兵部尚書の旗もあるぞおっ!」
喧しい叫び声が何処からか上がる。
だが、騒然しさが、突然、断ち切られた。
しん、と水を打ったように静まり返る城内に、祭国郡王と禍国軍兵部尚書の軍旗を左右に従え、一際高々と掲げられた旗に、備国軍は恐れ慄いたのだ。
「句国王の大軍旗だ!」




