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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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23 合従連衡 その3-3

23 合従連衡がっしょうれんこう 3-3



 酷い熱気は外側からと内側から容赦無く攻めてきて、身体中を蝕んでいく。

 ――熱い、あつい、熱いよう……!

 兎に角、熱い、其れ以外、少女は何も考えられなかった。息をするのもやっと、とろとろ微睡むようでいるような、其れでいて針を刺すように全てを過敏に捉えているかのような、摩訶不思議な感覚の只中で、判るのは、熱い、という事だけだった。


 不意に、ひやり、と頬が冷えた。少女は、自分がまだ生きているんだ、と目が覚めた。

 はっ! と目を開けたつもりだったのだが其の実、目蓋は、のろのろとしか動かない。自分の睫毛の影が落ちてるのが見える位、恐ろしく鈍間な動きだった。

 目を見開ているつもりなのに、見える景色はとても狭い。

 殴られて目蓋が腫れてしまっているのだ、と気が付くまでかなりの時間がかかった。

 その間も、頬にはひんやりと冷たいものが当てられる。丁寧に水に濡らして、しっかりと冷やしてある帛巾ひれだと分かった。

 ――……うっ……ふぅ……うっ……ふぁっ……。

 自分の呼吸と胸の上下運動の音が、やけに大きく耳鳴りのように耳朶の奥で反響して痛い。

 周囲に沢山の人の気配を感じるのに、その人達の声も足音も聞こえないのが不思議だった。

 水で冷やされた帛巾が、優しく、そして遠慮がちに首筋や腕も拭ってくれる。焚火の中に放り込まれた枯れ木のように熱かった身体の火照りが、徐々に冷やされていくのを少女は感じていた。


 身体が冷えてくると、やっと、腕と腹に力を込められた。

 ――起きたい……。

 起きて、周りを見渡したかった。

 だが、起き上がりたいのに、ぴくりとも身体は動かない。

 首を左右に、それもとろとろと動かすのがやっとだ。しかし、視界に飛び込んでくるのはもうもうとした煙と炎、そして巨大な脚、脚、脚、と馬の脚、脚、脚、その合間を土煙がびっちりと隠している。

 つまり、何も見えない。

 ――……お父ちゃん……お母ちゃん……どこ……?

 腕を斬り落とされた父は?

 背中を斬り裂かれた母は?

 邑は? みんなは? 無事なのだろうか?


 声を出したいのに、喉も渇きっているので声が掠れて意味のある言葉になってくれない。

 ――……あたし……あたし、の身体……どうなっちゃったの……? 動かない……うごかないよ……。

 やっと、ううぅ、ぐうぅ、と獣じみた呻き声を上げられた。

 途端に、自分の口内に血の味が満ちた。当時に、飛び上がりたくなるほどの痛みを感じた。

 口の中、傷だらけだったとやっと気が付く。幸い、歯が欠けてはいなさそうだが、喋りくいのは口の中まで腫れ上がっていたからだった。

 やがて、唯一まともに機能している耳が、近付いてくる靴音を感じ取った。

 大きな足音は、歩幅がかなりあるらしい。其れとも、走っているのだろうか。


「おお、気が付いたのか、良かった」

 優しい声が掛けられた。

 ――……だれ……?

 聞いたことが無い大人の声だから、邑で一緒に暮らしている近所の叔父さんや叔母さん、友達の家族ではないらしい。

 声の主らしい大きな手が、額や頬、肩を撫でてくれる。

 しかし、本当に触れて欲しい、父と母の、其れではない。

 じわ、と少女のに涙が浮かんだ。


 優しい声に、何か、飲み物が欲しい、と訴えたかったが、出て来るのはやはり呻き声ばかりだ。

 だが、直ぐに硬い物が唇に宛てがわれた。

 木で出来た椀で、縁は冷たく澄んでいる。満たされているのが汲み立ての清水だ、と判ると、少女は出来得る限り口を大きく開けて、喉を鳴らして流れてくる水をがぶがぶと飲んだ。

 口の中が泣きたくなる位に滲みて痛むし、喉元を通り過ぎて行くまでぴりぴりと針のような刺激が刺さる。而も、血の味まで混じってしまっている。其れでも、飲むのを止められない。

「そんなに慌てて飲んではいけない。息が詰まるぞ」

 優しい声は、優しいまま諌めてくれたが、其れでも少女は水を飲み続けた。喉が湿ると、やっと、人心地がつき、声もぞろぞろとしたものだが、出せるようになっていた。


「……あたしの……お父ちゃん……お母ちゃん……は、どこ……?」

 少女が声を絞り出すと、ふわ、と身体が浮いた。抱き上げられたのだ。

 抱き上げてくれた優しい声の人は、随分、身体の大きな人らしく、視界が一気に高くなった。

 が、恐ろしさは感じなかった。

 腕も動かないし指も開かないので、しがみ付く事も出来ないが、少女は身体をその広い胸に預けて運ばれていった。やがて、静かに降ろされると、直様、名前が呼ばれた。


「……はる……!? ……其処におるのは……はるなんか……!?」

 いつもは頭ごなしに叱り飛ばしてくる厳しい父の声が、今日は力が無い。

 其れ処か、湿って弱々しい。

 だが、父親の声を耳にした少女――はるは声の方に必死に首を伸ばした。

「お父ちゃん!? お父ちゃん、そうだよ、あたし! あたしだよ、はるだよ! お父ちゃん、ねえ、何処!? 何処に居んの!?」

 が思う様に開けられないので、父親の姿がしっかり見られない。

 もどかしさに、また、涙が浮かんできた。すると、抱き上げてくれた大きな手がはるの小さな手を握って呉れた。

 ゆっくりと導いて呉れた先で指が触れたのは、ごつごつとした硬い頬骨にまで伸びたちくちくした無精髭だった。

 毎日、何かあると、はるは可愛いなあ、お父ちゃんの自慢の娘っ子だよ、と抱き締めて頬擦りしてくる、父の頬だ。

 髭が痛いからやめてよ、あたし、赤ちゃんじゃないから抱っこなんかしないでよ、とどんなに怒っても、原は恥ずかしがり屋だなあ、そんな処も可愛いぞ、と笑って取り合って呉れなかった、父の頬だ。

 やっと原は、横になっている父親の胸の中に飛び込んだ。


「お父ちゃん! あたし、此処よ、此処だよ、お父ちゃん!」

 はるはる、と父親は哭いていた。

 少女も、お父ちゃん、お父ちゃん、と父親に縋って泣き続けた。

「済まんなあ、原。お父ちゃん、もう、お前を抱っこしてやれなくなっちまったよ」

 済まんなあ、済まん、本当に済まん、と何度も謝る父親に、原はうぅん! と激しく首を左右に振った。

「お父ちゃん、大丈夫だよ! 泣かなくっていいよ! 今度は、あたし! あたしが、お父ちゃんを抱っこしてあげるから!」


 親子で泣き崩れている其の場に、男たちの忍びきれぬ嗚咽が渦を巻いた。



 ★★★



 折角再会したばかりと言うのに、父親の容態が急変した。

 一気に両腕を失くし大量の失血をしたのだから当然と云えば当然なのだが、娘が無事だったのを見て安心し、気が抜けたのもあるのだろう。

 ひゅぅ、と木枯らしのような息を吐いて昏倒した父を前に、少女・原の顔色が失われた。

 気を失う処か其のまま鬼籍に入ってもおかしくない重症の父親の手当の為に、慌ただしく、親子は引き離される。

 戸板に乗せられて運ばれていく父親を、はると呼ばれていた少女は、泣きじゃくりながら見送った。

 だが、手を伸ばして父を求めながらお、少女は暴れたり無理に追いかけようとはしなかった。

 ただ、父を呼びながら、哭く。

 聞き分けを無くして大暴れされ迷惑を掛けられた方が、まだ、周囲に居合わせた男たちは怒りを堪えられただろう。

 腫れが引かぬ唇を引き締めて父親を見送る少女の健気さに、心を打たれぬ者はいなかった。


 やがて、父親の姿が人の山に隠れて見えなくなると、少女は背後から声を掛けられた。

はる、と言ったね。君も休みなさい」

 父親の傍まで運んでくれた大きな手が、少女の小さな肩を抱き寄せて呉れた。

 だが、原は首を激しく左右に振る。

「原、君も怪我をしているんだ、手当して休まないといけないよ、おいで」

「嫌だ」

 原の声は、未だ鎮火しきれぬ火事が轟々という音と共に送ってくる熱波よりも熱く、そして顔色は真冬の嵐よりも凍てついていた。


「……原」

「でも、備国の奴を、叔父さんたちがやっつけて呉れるって言うんなら、休む」

「陛下、申し訳御座いません、私が……」

 少女の前に、句国兵の甲冑を身に纏った男が慌てて進み出て来た。

 引っ手繰るようにして、腕の中に少女を抱き、顰めっ面で顔を覗き込んだ。

「さあ、おいで。こっちで休もう。温かい粥を食べて、元気をつけろ。大体、お前が騒いでいたら、逆にお前の頼みを聞いて貰えなくなってしまうぞ」

いやだ・・・! 触んないで! あたし、休んでなんかいらんないんだから!」

 ハッとするほど鋭い声で、原は喚いた。

 突然、地団駄踏んで暴れ回る。

 顔と言わず身体と言わず、赤や青や黒の痣を作って腫れ上がらせている姿で発狂状態に陥った少女は、男を殴り始める。周囲の者は、呆然と見詰めるしかない。


「備国の奴ら! あいつら! 殺してやる! 殺してやるんだから!」

「そんな事を女の子が云うもんじゃ無い。ほら、言う事聞いて、ちゃんと休め」

「でも! あたし!」

「……お前じゃ、無理だ、分かっているんだろう? お父上とお母上の為にも、先ずはお前から元気になろう」

「だったら! 其れだったら! おじさんがやって!

「……は……?」

「あいつらを! お父ちゃんとお母ちゃんに酷い事したあいつらを! やっつけて! 懲らしめて! 追い出して! そしたら! 寝る! 休む! ちゃんと食べて元気なる! 言う事、何だって聞く! 聞くから! だから、お願い!」


 わあわあと泣きながら、男の胸を激しく叩いて原は暴れる。

 容赦無く、どすどすと拳で叩かれているのに、男は文句の一つも言えない。

「お願い! あいつら殺して! みんな殺して! 殺して! 殺して! 殺してよおぉぉぉ!」

「……」

 ぎゅう、と力の限り男は少女を抱き締める。嵐の最中に暴れる木の葉のようなはるは、其れでもまだ、泣き喚いていた。



 暴れ回っていたはるを、遠巻きにして眺めているしか出来なかった男たちだったが、急に、少女が糸の切れた操り人形のように、かくん、と力を無くして膝を折ったのを契機に、わっ、と駆けよった。

「ど、どうした、ちょう、何が!?」

「……兵部尚書殿、大丈夫です。……泣き疲れて、気を失ったようで……」

 原に無体に殴られ続けていた男――趙は、ぼそぼそと呟いた。

 そ、そうか、と周囲の男たちは眉尻を下げて安堵する。

 趙は、原を抱き上げると、其のまま、用意された小さな天幕の中に彼女を運び入れた。

 肩が下がり丸くなった趙の背中を、唇を噛み締めながら優は見送った。

 兵部尚書、と戰が声を掛ける前に、誰に話すでもなく優はポツリ、と呟いた。


「あの娘、姫様と、そう年端の変わらぬ頃だろうに……」

「……兵部尚書」

「あ、いや其の……申し訳御座いません。陛下、言わぬでも良い事を申しました。お忘れ下さい」

「……いや」

 何とも言えず、何とも言えぬ表情をするしかない、と言いたげに優は渋面を作っている。

 戰も同様だった。


 ――そうだ。薔と同じ年の頃だ。

 そんな少女が、眼の前で邑を焼かれ、親しいものを傷付けられ、父を不具にされ、母を殺された上に、炎の前で乱暴をされかけたのだ。

 精神的な許容量を超えて倒れても、当然だろう。

 真の傍で、いつも楽しそうに笑っている異腹妹いもうととはまるで違う。

 生まれ育った土地や国で、人の幸せが無残に、酷薄に奪われてよい道理など、何処にもない。


 ――備国王め、許さぬ。決して、許さぬ。

 天帝が貴様を見逃そうとも、私が許さん。

 其れは、戰だけでなく、駆け付けた祭国軍と禍国軍の、共通の思いとなった。



 ★★★



 邑を襲った備国兵たちの内、生命を掬った者は居なかった。

 一人残らず、現れた祭国軍と禍国軍に討たれて果てたのだ。

 祭国軍と禍国軍をどう編成し直し、何処をどう叩くかを戰と優とが天幕内で相談していると、杢がやって来た。


「どうだ、杢?」

「はい、兵部尚書様。邑人の手当は終えました。食料もある程度残してやれますので、近隣地域の県や牧から救援に訪れるまでの間、保てるでしょう」

「……そうか、うむ、よくやった」

「しかし、陛下、兵部尚書様。食料不足であろうとは思っておりましたが、予想以上です。真殿の口調をお借りしていうのであれば、不足、とは、多少なりともまだ手元にある場合を指します、ですが……」

「備国の奴ら、米も麦も豆も稗も粟さえ、根刮ぎ持って行きよったのか」

 優の双眸が、怒りに輝いた。

 大抵の者は怯む眼光に、しかし杢は全く臆す事なく、はい、と答えると意味ありげな視線で戰を仰ぎ見る。直ぐに何かある、と悟った戰が、目元を和ませた。


「どうした? 何かあるのかい?」

「はい、申し訳御座いません、実は、邑の者が陛下に直接お話ししたい、と願い出ておりまして――陛下、宜しいでしょうか?」

 優はあまりいい顔をしなかったが、そうか、と戰は答える。

「私も、聞きたい事があるからね、丁度良い。呼んでくれないか?」

「有難きお言葉、恐悦至極に存じます」

 杢は戰に礼拝を捧げると、お前たち、入るがいい、と背後を振り返って声を掛ける。

 例え同盟国であろうとも、領民風情を相手に尊顔を晒されるなど、と優は良い顔をしなかったが、戰の方は気さくに許しを与えてしまう。渋々ながら、優は脇に退いた。

 杢が声を掛けて数拍置いたのち、外で待っていたと思しき男たちが、こそこそと寄り固まって入って来る。そして、戰と目が合うや否や、滑り込むようにして眼前に平伏する。

 ああ、いいから、立ちなさい、と云いながら戰は手を左右に振るが、男たちは平伏したまま凝り固まってしまっている。


「私に話しとは、何かあるのだろうか? 良いから、顔を上げなさい」

 男たちは首を横にして、やはり、こそこそと顔を見合わせあっている。苛々しながら、優は叫んだ。

「何だ、お前たちは!? 此の先は一刻を争う戦いとなるのだ。相談せねば口に出来ぬ程度の些末な用向きであれば、とっとと下がれ」

「止めよ、兵部尚書」

 戰に窘められても、優は眉を寄せて鼻息を荒くしている。男たちはひぃ! と小さな叫び声を上げて仰け反った。


「私の処に来よう、と話を纏めるだけでも、彼らにとっては相当な覚悟がある大事なのだよ、兵部尚書」

「しかしですな、陛下、王都に居座る備国王に反撃体勢を整えさせる前に攻撃に出ねば……」

「暫く静かにしていて呉れ、兵部尚書、私は彼らの話を聞きたい」

 ぬ……、と呻きながらも、優は引き下がる。

 明白あからさまにほっとした様子を見せながら、そして戰が味方をしてくれた事に力を得たのか、中央に居た男が、一歩分、這い進んだ。

「へ、陛下、は、話しとは、実は、お見せしたい物があるのです」

「うん?」


 首を捻りつつ身を乗り出す戰に、男は、ごそごそと胸元を探った。

 そして、竹筒を取り出す。杢が竹筒を受け取り、戰に差し出した。

 受け取った戰は、手にした竹筒を軽く縦に振る。中に入っているのは水ではなく、何か軽い砂のような物らしい。

 男たちと竹筒との間で、暫し視線を行き来させていたが、男の真剣な眼差しに、封となっていた木の枝を抜いた。

 手の平を皿代わりにして、竹筒を逆にして中身を出す。

 小さな青黒い丸薬状の物が、ぽろぽろと大量に落ちてきて、山の形になった。



 ★★★



「……何ですかな、此れは」

 優が眉を寄せた。

蚕沙さんしゃだね、薬だよ、那谷から教えて貰った事がある」

「――ほう、蚕沙? して、何で出来ているのですかな?」

 あれだけ嫌味たらたらだったくせに、いざにすると興味深げに顎を突き出してきた優に苦笑しながら、戰が答えた。

「蚕のだよ」

「……何ですとおっ!?」

 優は思わず飛び退り、大声を上げる。戰だけでなく、男たちも失笑せずにはいらない、見事な飛びっぷりだった。


「そう驚く事はない。元々、桑は薬として活用されているものだろう? 蚕は桑の葉しか食べないのだから、草の成分の塊だと思えば、何も汚いものではないよ」

「い、いやしかしですな、蚕は毛虫ですし、その、虫がり出すとは……」

「は、はい、私共も、流石に当初は忌避しておりました。虫の糞など、と」

 男は平伏しながら、捲し立て始めた。

「し、然し乍ら、其のお蚕のが、薬効が、その、霊験、利益、と申しても相違ない程の効き目をみせるから、と再三、説き伏せられまして……」

「説き伏せられた?」

「は、はい。我らの邑に限ったことでは有りませぬが、備国の奴らの非道は、其れは酷いものでして。食料だけでなく、種籾まで持っていく始末で、薬草などの類まで溝を攫うように掻っ攫って行きよりまして」

「……」

「む、無論、黙って掠め取る訳は御座いません。乱暴狼藉を働いて行くので御座います。抵抗した邑の者の中には、大怪我を負わされた者もおりますが、傷を癒やしてやれる薬も奪われてしまっており……其処に、其の、蚕のが万能に近い薬であるから使うがいい、と教えられまして……」

 教えられた、の一言に、優の顳かみが、ピクリ、と動いた。


「備国の奴らは、絹が殊の外気に入っておりまして、生糸を産する蚕と蚕の養生に必要な桑畑には手出しはしておりませんで。丁度、秋の蚕の飼育が始まった処であるし、糞はその後、自分らの処で幾らでも手に入るようになるから、大丈夫だろう、と話されまして」

「……」

「で、ですが、流石に、幾ら薬と云えども、は咥えさせられんし、邑の者も口にせんでしょう、と我らが難色を示しますと、言う通りにすれば大丈夫だから、と知恵を授けられまして。そ、其れでその、其の通りに、こっそり川にこの糞を投げ入れて緑色に染め、そいつを飲ませたり患部に塗ったりさせたのですわ。そうしましたら、確かに、そりゃまあ、素晴らしい効き目が御座いまして。邑人の怪我や病気が快方に向かったら、直ぐに、『此れは死して尚、我が句国を見守って下さって居られる国王陛下のご加護、ご恩寵に違いない』と噂を広めよ、そうすれば、他の村でも此の薬を使うのに抵抗を見せなくなるから、と言われてもおりまして、はい……」

 苛立たしげに、優がふん、と外方そっぽを向いた。

 そんな悪知恵に近い入れ知恵を授ける者など、一人しか思い浮かばない。


「其の方らの邑にやって来たの者の外見は? 何か特徴があるか?」

「は、いえ……ですが、身なりは我ら句国の者が着る着物でしたし、言葉のなまり・・・も、儂らの国のもんでしたので……」

「うん、そうか……うん、分かった」

 戰は立ち上がると、自ら男たちに歩み寄った。

 ぎょっ、と身を引きそうになる男たちの手を、しかし戰は逃さずに取る。

「良い話を聞かせて貰えた。有難う、礼を言う」

「そ、そんな、陛下、いえ、俺等はそんな……あの」

 思わぬ、戰が親しみをみせて呉れている姿に、男たちは力を得たのか、頷き合うと恐れ乍ら! と一斉に叫ぶと額を地面に打ち付けて平伏した。


「陛下! 恐れ乍ら! お願いが御座います!」

「先程の娘が言うておったように、備国の奴らをやっつけて頂きたいのです」

「儂らの土地から、備国の奴らを追い出してやって下さい!」

 何卒! と声を揃える男たちの肩を掴んで、戰は身体を起こさせた。

「そんな風に、地面を這いずっていたのでは、私が備国の奴らに思い知らせてやる処を確かめられまい」

「陛下!」

 喜色と涙に潤んだ声が、男たちの喉から上がる。うん、と戰は力強く頷いてみせた。


「必ず、備国軍と、備国王に思い知らせよう。彼の地は、他の誰のものでもない。句国の民のものなのだ、と」



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