23 合従連衡 その3-1
23 合従連衡 その3-1
死んだ。
短い一言に芙が込めた意味を、照はしっかりと受け取ったのだろう。
「……そう……です、か……」
途切れ途切れではあるが、力ある声で答える。
照が泣くかもしれない、いや泣くだろう、と芙は即座に身構えた。
妹分の珊は根っから明るく、からりとした明けっ広げな気性の娘で、じめっと根に持つ泣き方をした事がない。
実は珊の明るさに慣れてしまった芙は、こうした女を苦手としていた。男にとってどんなに都合が良いかなど知らない癖に、じめじめといじけたした女もくどくどと捻た女も、感情に任せて鬱っ気を見せても許されるのだから女は気楽なものだ、と好きにはなれなかった。
しかし、くっ、と顎を上げた照は、良かった……と一言小さく呟きながら寂しげに微笑んで見せると、其れ以上は何も言わなかった。
流石に顔色は青褪めてはいる。が、涙を浮かべてもいない。
てっきり、何故、と詰め寄られ、どうして、と理不尽に責められると思っていた芙は拍子抜けした。
「……其れだけか?」
だからつい思わず、頭を下げて部屋に戻ろうとする照の背中に声を掛けてしまった。
「はい?」
「其れだけか? 他に何も、訪ねたい事も言いたい事もないのか?」
「……別に? 何も御座いません」
――何故俺は、こんなにも必死になっている。
自分の言動に呆れながら、芙は強い口調で咎めるように言い募る。
一方の照の方は、すっきりとした顔付きでいる。
「いや、だから其の……自分の父親の死に様を、詳しく知りたくはないのか?」
「死んだ、と芙様が教えて下さったではありませんか。私は其れだけで、もう充分です」
……ふっ、と吐息を吐くように、照はまた微笑んでみせる。
目元が笑っていない照の笑みは、不気味な程、生気が感じられない。
なのに、ぐ、と芙の心を捉えて離そうとしない力がある。此の矛盾は一体何だ、と芙は焦燥感に似た思いを抱いた。
「……いや、その……」
「死んだのでしょう、父は。武人としてではなく、乱臣として賊子として死んだのでしょう? でも、其の死は逆臣としてのものではなかったのでしょう?」
う、と芙は言葉に詰まる。
「父が亡くなり、国王陛下はお嘆きになられた事でしょう? 父の死に涙して下さったのでしょう? 父は誰にも許されはしなかったでしょうけれど、国王陛下は父を受け入れて下さったのでしょう?」
照の云う通りだ。
確かに相国・嵒は契国王・碩の手により死を得た。
しかし、碩は彼に逆賊として辱めはしなかった。
最後の最後で、忠臣としての進言を国王・碩に遺して、嵒は此の世を去った。
而も、誰よりも敬愛する碩を腕に抱き締めながら息絶えたのだ。
そんな嵒の死に、碩は泣き崩れた。
忠義を尽くし至誠を捧げんと主君に遣えて居る漢にとって、此れ以上幸せな最後はあるまい――と照は悟りを開いてでもいるのかのように、穏やかに受け入れているのだ。
「ですから、良いのです。誰にも分かって頂けなくても、最後の最後、国王陛下だけは、一族郎党を滅ぼしても尚尽くさんとした父の忠孝を御認め下さったのですから」
良いのです、と照は笑った。
何故こんなにも意地になって喰い下がるのか、芙は自分でも不思議だった。
だが、気が付いた時、芙は照の腕を掴んでいた。
「本当に良いのか? 父親が逆賊となったのには変わり無いんだ。瑛郡王妃から、不忠者の家門の者など信用出来ぬ、と狼の群れの中に放り込まれたり、折檻を受けて殺されても文句は言えんのだぞ」
「はい」
矢張り、寂しさを含んだ笑みを照は浮かべている。
然し、笑みの中には後悔の成分は微塵も無い。
其れ処か、やっと心の重圧から開放された喜びが潜んでいる。凛とした彼女は美しく、はっとさせられる光すら感じられる。
まるで、此れまでの芙と照の立場が逆転してしまった。
照はまだ弱々しく青い顔色ではあるが背筋を伸ばして、一言一言、噛み締めるように言い放つ。
「父は父なりに満足して死んだのです。親が納得して死んでいったのです。喜びこそすれ嘆かねばならない必要が何処にあるというのですか?」
「其れは……」
親の居ない芙には、照の気持ちが分からない。
一座の者たちとは家族として育ち仲間として過ごし、主人である蔦は親代わりにもなって呉れたが、所詮『代わり(・・・)』でしか無い。
「此れまで、私の都合で芙様がたに纏わり付き、御迷惑をお掛け致しておりましたが、もう二度と致しませぬ故、御安心下さい。そして芙様。此れまでの私の見苦しいまでの醜態、どうか、馬鹿な女の所業と笑いながらお許し下さい。そして出来れば、お忘れ下さい」
言い淀むしかない芙を残して、照は再び頭を下げ直すと、ゆっくりと廊下の奥へと消えていった。
★★★
褥の上で存分に貴姬・蜜の豊かな肢体を存分に楽しんだ後、備国王・弋は部屋を出た。まだ、彼女は美しい肢体を惜しげも無く晒しながら、眠りについている。弋に揺さぶられ続けた疲れは、下手をすると昼近くまで抜けきらず、句国に来てからと言うもの、蜜はかなりの遅起きとなっていた。
本来なら、蜜に与えた王妃の間で彼女が目覚めるまで弋も共に過ごしていたい。いや、実際にそうしていたのだが、余りにも頻繁に過ぎた為か内官たちから突き上げがあった。
「禍国の皇子の母の例も御座います。御自重を」
禍国の皇子の母、とはつまり、郡王・戰の母親の事だ。
楼国の王女・麗姫の美貌は、毛烏素砂漠に広がる国々の間にも広く知られている。
そして、乾いた大地の只中で枯れる事なく湧き続ける泉のような王女であったと伝わっている。人々に心の癒やしと安息を与える、そんな王女であったと。
然し、禍国皇帝・景の目に止まり、攫われるようにして後宮に召し上げられた彼女のその後は悲惨だった。悪童が小鳥を甚振り殺すのと大差無い行為を後宮で受け、辛労辛苦から儚くなるに至ったという話しは、遠く備国にまで届いている。
家臣たちは、本気で貴姬・蜜の身を案じているのだろう。が、禍国の麗美人の話を持ち出されても、弋は逆に笑いが込み上げてくるばかりだ。
――貴姬が叩かれるまま打ち拉がれて萎れるような、楚々とした女なものか。
だが、あまりだらけた姿を見せてばかりもいられないのも、王としては当然だった。
特に今朝は、家臣たちが青い顔をしている。
何かがあったのだ。
そして、自分に知られる前に事を収めようとしたが、手掛かりすら見付けられずにいるのだろう。
「面白い。臭国王を討ってより暇が過ぎたからな」
弋は更衣をさせながら、家臣たちに1刻与える間に王の間に集まるよう伝えよ、と内官に申し渡す。
着替えながら、素肌を滑る衣の音に耳を澄ませた。
「貴姬は確か、絹と言っておったか」
所謂、絹の衣擦れの音と言うものを備国では味わえない。
毛烏素砂漠に生きる者は、基本的に羊や山羊、駱駝の毛織物を身に纏うのが常だからだ。王族や貴族たちの衣装には、特別に毛織物以外に、白麻や紅麻から採取した繊維質から糸を縒りった織物が加わる。
――だが、此のような美しい光沢のある織物は初めて眼にする。
平原の衣装は裳裾が脚元に纏わり付いて歩き難い事この上無い。
しかし、軽く靭やかで、それでいて染料の豊富さを物語る色とりどりの糸を駆使した重厚謹厳な刺繍はわけても素晴らしい。
すっかり絹の虜となった弋は、周辺の衣は勿論、褥の敷布さえも絹にした。
閨で貴姬の躰に火を入れて踊らせてやる度に、しゅ、しゅ、と衣擦れの音が後を追う様は酷く官能的で、弋の劣情を更に煽るのだった。
「平原に生きる、とは斯様に甘美なものなのか」
酔いしれているのは、弋だけでなかった。
最下層の公奴婢でさえ、句国の豊かさに驚愕し、次の瞬間には略奪行為に及んでいた。
平原の中では中程度の国力とされている句国ですら、自国と此れだけの差がある。
「禍国を手に入れた暁には、如何程のものとなるか」
富、美食、芸能、金、財宝、玉、そして女たち。
喰らい尽くすには一体、どれだけの時間が掛かるのか。
腹が膨れ上がり、耐えきれずに下るのではあるまいか、と下世話な心配をせねばならぬ程だった。
思うだけで、まるで飢えを満たす直前の野獣のように、弋は舌舐めずりをせずにはいられなかった。
★★★
ずらりと並んだ家臣たちの様子は、やはり、明らかにおかしい。
冷汗をかいている者まで居る。
「何があった」
ぞんざいな口調は、だが逆に家臣たちの心を暗く重くさせていた事案を軽いものとすると弋は知っている。途端に家臣たちは顔色を幾分良くして、見合わせあった。そして、次の瞬間には一斉に平伏してみせた。
「恐れ乍ら申し上げます。実は……」
「実は、何だ?」
「句国王の呪詛が句国領土内に広まりつつある、との噂が立ち始めておりまして……」
奏上される言葉を、半分仰け反るようにして聞いていた弋だったが、最後まで耳にすると膝を打って笑い転げ始めた。
「馬鹿馬鹿しい。真面目くさって何を言い出すかと思えば。臭国王の呪詛、だと? 其れは何だ、糞尿の臭気が何処からか漂って来るとでも云うのか?」
「陛下」
岩のような身体を揺すりながら泣きそうな口調で縋って来る家臣たちに、弋は眸の端に涙を貯めつつ、ああ済まぬ、と手を振った。
不服そうな、そして不安を露わにした家臣たちは、身を寄せ合ってこそこそと何か言い合い出した。こうなると、弋も態度を改めない訳にはいかない。
「噂が立つには、其れなりに納得させるだけの『何か』があったからこそだろう。何か、不吉な事象でもあったのか?」
弋が促すと、家臣たちはほっと安堵の表情を浮かべた。
「実は、陛下。此処の処、王城内の井戸の水が其処彼処で……」
「井戸の水? 水がどうした、血の色にでも染まりでもしたか」
「言え其れが、その……」
家臣たちは口籠りながら、顔を見合わせる。
互いに役目を擦り付け合っているのだ。苛々しながら、弋は怒鳴った。
「何だっ!? とっとと言わんか!」
「深泥の水のような、深い緑色に染まりだしているのです」
「何ぃ……?」
弋は眉を急角度で跳ね上げた。
恨みだの呪いだのといった類と先に聞かされていたからには、てっきり血肉や骨に関連つくものかと思って身構えていた自分が馬鹿のようではないか。
忽ち、弋は不機嫌の塊となった。脚を組み換えながら、下らん、と吐き捨てる。
「其れこそ、水苔でも生えたのではないのか?」
「いえ、違います。苔や藻などであれば、流石に判ります」
ふむ、と弋は首を捻った。確かに幾ら砂漠に生きていようとも、其の程度、判別が付く。
「で、其の深泥の色の水を飲んで、腹を下すだの吐いてのた打ち回るだの、病人が続出でもしだしたのか?」
「いいえ、其れが、その……」
躊躇しながらではあるが否定された弋は、はん? と怪訝そうな顔付きになった。
「逆なのです、陛下」
「逆? 何が逆だと?」
歴戦の勇士である家臣たちは、角ばった肩をぶつけながら、恐れ乍ら、と弋の前に平伏したまま進み出る。
「此の、深泥の水を利用した者どもは、皆、健やかさを手に入れたとの事でして……」
「何ぃ……?」
語尾が上がる。弋は片眉を更に急角度に跳ね上げた。
予想を尽く覆され、胸の奥に、むら、と熾火のような苛つきが生じる。
「どういう意味だ、詳しく話せ」
そう言われるのを待っていたのだろう、家臣たちは堰を切ったように話し出した。
★★★
最初に『其れ』が発見されたのは、敗れた句国の兵士たちを無理矢理預けていた小さな邑でだったと云う。
事の起こりは、句国の兵士たちを看病していた邑の住民たちが、薬草を分けて呉れるようにと談判しに来た事からだった。
「何を戯けた事を」
「あんな死に掛けた奴らに今更手を尽くしてやった処で助からん、帰れ、帰れ」
「そんな事よりも、租税を納められるようにしておけ」
「そうだ、そろそろ、米が収穫出来る頃だろうが」
「帰って励め、臭国の糞犬ども」
備国兵は嘲笑を浴びせ掛けながら、まるで犬か何かのように句国の民をぞんざいに追い払った。
恨み辛みの呪いの言葉を延々と吐きながら去って行った句国の民に、備国兵は追い打ちの嘲笑を浴びせ掛ける。
だが此の備国兵たちの対応は、侵略を成功させた国としては当然の態度と言えるだろう。
其れに先程の兵士たちが言ったように、米の存在がある。
備国では平民など口に出来ない米を、此処ではたらふく腹一杯になるまで詰め込める。
もう直ぐ刈り入れだという稲穂とやらが頭を垂れて、秋風を受けながら金色に輝きながらゆら揺れている様に、備国兵たちは胸を躍らせていた。租税を納めさせる為には、要らぬ世話などに明け暮れて貰っていては困る。
加えて此の先、句国の領民は備国兵として戦う義務が生じてくる。
備国は句国を乗っ取った後、将として兵を率いる立場であった武人たちの首を尽く跳ねて叛乱の芽を未然に防いでいたが、民は兵士としても利用価値がある、兵士は幾らあっても困らない、生かしてやればいい、としていた。
但し、先の戦に加わった兵士たちは別だ。
彼らの為に食料も薬草も都合してやる気は、さらさら無い。
運良く生き残った者が居れば、そいつはまた死ぬまでとことん利用してやれば良いだけの事だった。
大体、怪我を負う時点で役立たずの烙印を押されたようなものではないか。
そいつらが勝手に死んだ処で、自然の淘汰の力が作用しただけの事だ、放って置けばよい、と備国は深く捉えていない。
其れに元々、領民だけでなく兵士たちにも薬が満足に処方されないのは、備国領内では当然のように行われている事だった。
緑地が少ない、と云う事はとどのつまり、薬草を育てる土地がごく僅かに限られている、と云う事に他ならない。
備国では、薬湯を服用出来る身分も優先順位も、厳しく定められており、もしも犯すような者があれば即刻罰せられていた。
句国は、薬草の多さでも祖国と比較にならない。
当然、早々に眼を付けられてしまい、薬院が所持していた薬という薬は全て没収された。句国の領民たちの手には、民間で細々と伝承されている薬くらいしか残されなかった。
句国は暑さ寒さが極端な土地であるが、備国は其れを軽々と上回る。
日中は厳しい陽光の熱で草花が茶色く枯れていき、日没後は刺すように凍てつく月光によってやはり草花が土気色に萎れるような土地と比べれば、句国は常春だと断言出来る程、肥沃で豊穣な土地柄だった。
そして未だに侵した国の富を奪う事に血道を上げている備国兵は、句国の領民たちの嘆願など直ぐに忘れ去った。
怒りを腹の奥に巣食わせながらも、句国の領民たちは兵たちを助けようと定期的に直訴しに訪れていた。
其の間も、兵たちは苦しみ抜きながら一人、また一人と鬼籍に入って行く。
せめて痛みを取り除くなりして冥府に旅立たせてやりたいのに、気も狂わんばかりの痛みに悶絶し、骨と皮だけになった身体を、更に虫に無体に喰われながら死んでいくのを、黙って見ているしかないとは。
そして、無下に追われていた領民たちが遂に爆発しかかった時。
其れは起こった。
邑を流れる生活用水として活用している小さな泉の水が、鮮やかな緑色に変色していたのだ。
★★★
未だ嘗て、緑色に水が染まるなど見た事も聞いた事も無い。
領民たちは驚くと云うよりも慄いた。
自分たちが不甲斐ないばかりに、国王・玖が冥府で嘆いている証なのではないかと領民たちは怖れた。
折角助かった国のために勇気を持って戦った兵士たちを助けられず、そしてまた敵に土地を荒らされるままにされる自分たちを、陛下は許しておられぬのだ、と身を寄せ合って震えた。
然し、此の邑では井戸を掘っても腹を下す成分がある水しか組み上がらない。
此の泉の水を使わねば、生きてはいけないのだ。
領民たちはせめて、用水路を伝って来る間に緑色が薄まらないかと期待したのだが、当然、甘い考えだった。仕方無く、桶で水を汲み上げて兵士たちの世話を行う事にした。
膿んだ傷の痛みに呻く兵士たちの世話をしてやるには、兎に角水が必要だ。
領民たちは恐る恐る、此の緑色の水で兵士たちの喉を潤してやり、身体を拭き清め世話を続けた。
すると、どうだろうか。
兵士たちを苦しめていた激しい痛みが、荒い息を吐きながら殺してくれと嘆く程の痛みが和らぎ始めたのだ。
領民たちも兵士たちも、驚愕に腰を抜かした。
然し、骨折したり関節を酷く捻った者の痛みから斬り付けられた傷が膿んで発した熱まで快癒し出したのは紛れも無い事実だ。
夢の様な作用は、兵士たちの間だけに留まらなかった。
食事内容が悪くなり、母乳が詰まり気味になった母親の胸のつかえが和らいだり、続く悪夢のような恐怖の体験から、疳の虫を出して泣く幼児たちが落ち着きを取り戻し始めたりなどしたのだ。
やがて、泉は元通りの澄んだ姿を取り戻した。
其の間に兵士たちは皆、快方へと向かい出し健康を取り戻す目処がつくまでになった。
そしてまた別の邑で、今度は井戸が緑色に染まっていた。其処もまた、負傷兵たちを受け入れていた邑だった。
……やがて何処からか実しやかに、句国の領民たちの間で噂が流れ始めた。
「此の奇跡は、玖陛下が齎して下さったものだ。そうに違いない」
「そうとも、備国など恐れるな、我らを天から見守っておるぞ、と力付けて下さっているのだ」
「此の緑の水の奇跡は、陛下の御霊が呪となって降りてこられた証だ」
「そうとも、我らを守る呪として陛下は今もまた見守って下さっているのだ……!」
「備国の横暴から、我が句国を守ってくださる呪詛がある……!」
「諦めない、諦めてはならない! ……我らは諦めないぞ!」
「そうだ、我らには玖陛下の御霊がついていて下さるのだ!」
こうして、句国の領民たちの間で、徐々に亡き国王・玖の名が広まっていくと共に、各所で小さな抵抗や反発、一揆が起こり始めた。
まるで、水面に投じられた小石が、幾重にも波紋の輪を広げていくように。
報告に耳を傾けていた弋は、怒りで顔を赤黒くしていた。吐き出される鼻息が、種を付けている最中の馬のように荒い。
「此の阿呆どもめが! よくもそんな戯けた報告を、私の耳に入れられたものだな!」
立ち上がり様、弋は脚を振り回して平伏している家臣たちを蹴り飛ばした。
流石に悲鳴は上げなかったが、家臣たちは呻きながら転がっていく。
其れでも弋の怒りは収まらない。眸を血走らせて、ふうふうと全身を使い激しい息を吐く。
「へ、陛下……」
「喧しい! 何が臭国王の呪詛だ!」
拳を固くして、弋は王座の背凭れを叩いた。
縁を飾る繊細な装飾が砕けて、無残に飛び散る。
弋の怒りは加速するばかりであり、其れだけは飽き足らず王座を蹴り飛ばした。
椅子の脚は砕け、がたりと音を立てて座が傾ぐ。傾いた処を、弋は更に踏み付けて砕いていく。
まるで、句国王・玖の遺体を痛め付けているかのような錯覚に陥り、流石に家臣たちが眉を顰めた。
たった今、魂がどうの呪詛がどうのこうのと話していたばかりだ。
此の話しが王城で働かせている句国の奴婢たちの間で歪んで広まるのは目に見えており、王都へ、そして領内へと伝播していくのにも箚したる時間は掛かるまい。
こと、戦に関しては弋の直情径行さは有意に働くが、政に限れば多くは失態に繋がるものが多いのもまた事実だった。
非難めいた家臣たちの態度と視線がまた、弋の体内で渦巻く怒りの熱を一層高くする。
「おのれ、おのれ、おのれ臭国王め! 死してまで此の私に臭気を振り撒くか! どう思い知らせてやろうか、あの糞めが!」
吠える弋の背に、備国の家臣たちは深い溜息で答えた。
※ 紅麻 白麻 ※
羅布麻の事です




