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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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23 合従連衡 その1-1

23 合従連衡がっしょうれんこう その1-1



 神妙な顔付きて左腕の手当を受けていたかと思えば、急にくすくすと真が笑い出した。不思議そうに、は上目遣いにしながら首を捻る。

「真殿? どうされました?」

「いえね……」

 彼処、彼処、とひそひそと耳打ちしながら真はこっそりと指を指す。不思議に思いながらも、視線だけを動かして素直に真の指が示す先を追ってみた薙は、危うく吹き出し掛けた。


 句国の大将軍・姜を前に、陸が何やら講釈を垂れながら薬を処方している。のであるが、大男が少年に頭ごなしに而も手酷く叱られている。どうやら、姜が手にしながらおどおどしている薬匙が問題らしい。

 薬匙は天秤に薬を乗せる際に必要なものだ。

 虚海と那谷が仕切る施薬院では、薬を計りにかける際に薬効が喧嘩・・をしないよう、種類によって薬匙を変えている。色や形、大きさで一目で分かるようにしてあるのだが、姜はどれでも大差ない、構わないだろう、と適当に目についた物を使ってしまったらしい。

「何やってんだよ、おっちゃん! 此の薬にはこっちの薬匙使うんだって、教えといたじゃねえかよ。信じらんねえなあ、もう」

「……ぬ……済まん」

「あ~あ、もう! しょうがねぇなあ! 無駄になっちまったじゃねえかよ、勿体無ねえなあ」

「……むぅ……済まん……」

「済まん、じゃ済まねえの! 其れから、済まん、は俺じゃなくて、薬採って来てくれた人らに言いな、おっちゃん」

「……う、ぬ、た、確かに……済まん……」

 全く、此れだから頭ん中が武術で詰まりきっちまった奴は困るんだ、と陸は一人前ぶって、ぶつぶつ言い募る。姜は広い肩を窄めて小さくなる一方だ。


 陸は其のまま、施薬院の娘たちが日頃どんな努力をしているのかと熱弁を振いだした。

 姜は姜で、大真面目も大真面目、糞が付く位に神妙に少年の言葉に耳を傾けて、区切り区切りでいちいち、済まん、と呟いて益々小さくなっていく。

 しかし、何時の間にか何方も笑顔になっていた。

 特に姜だ。

 今は無精髭もないし髪も整え、衣服に垢染みもなく、身体に生気が漲り出しているのが良く分かる。人としての感情を取り戻す切掛を掴んだからだろう。

 真や薙だけでなく、二人を遠くから見守っていた部隊の仲間たちの間にも、和んだ空気が流れて行く。

 が、其の空気を、当の陸本人が破った。

 わあ! という悲鳴が上がる。平謝りする姜を前にいい気になった陸が悪のり・・・して巫山戯たらしい。此奴め、と窘めながら姜が大きな掌で陸の首根っこを捕まえる。


「おっちゃん、おっちゃん! 痛て、痛て、いってぇ、ってば! わりかった、わりかったってばよう! 無し、無し、それ、痛えから無しって!」

「黙れ、小僧の悪戯はやった傍から叱らんと薬にならん」

「……うへぇ……」

 ガツン、と頭の上から有無を言わさず叱られてしょぼくれる陸の肩を、今度は叱り飛ばした姜が優しく叩いて宥めに掛かる。口をひん曲げていた陸は、其れでケロリ、と機嫌を直ししてしまい、おっちゃんおっちゃん、とまた姜に纏わりつき出す。多少、困ったような顔付きはするが無下にはせず、陸と姜は薬作りを再開した。

 皮肉屋で通っている薙が珍しく裏表のない笑顔になっている。包帯を巻いて貰っている真も、目を細めた。

「姜殿は、此方に来られた頃と較べて随分と顔付きが柔らかくなられましたな」

「ですね、良かったです、本当に」

 踏ん反り返った陸が指を指しながら、ああだこうだと偉そうに姜に薬湯作りの指示している姿を見た真も、自然と笑顔になっていく。


 だが、薙は今の真の態度に、少々不満だった。

 ――笑ってばかりもいられんだろうに。

 姜が、句国王妃・縫から彼の国の六撰の御璽を受け継いでいるのだと、竹から聞き及んでいる。

 とっとと口を割らせればよいようなものなのだが、真は決して姜を問い詰めるような事はしなかった。飽く迄も、姜には自然に接するように、と克の部隊と薙たちに強く戒めている。

 克や竹たちは、もともと真と同意見だから、直ぐに頷いた。此の場に、杢や彼らの主人である蔦が居たとしても、同様だろう。然し、薙や萃たち、残された芙の仲間は違った。

 ――郡王陛下が句国を手に入れられれば、勢力版図は大きく塗り替えられる。

 幾ら『郡王』と名乗っていようとも、所詮は禍国から与えられた冠に過ぎず、祭国に間借り・・・借家状態であるのは隠しようもない。

 戰が『覇王』として平原に号令を掛けるのであれば、先ず何よりも『己の国』を持たねばならない。


 ――千載一遇の機会が向こうから転がり込んで来たというのに。

 茹や蘭は考えがあられるのだろう、と引き下がって見せているが、陛下も、妃殿下も、真殿も、克殿も、 お優しい事だ、と薙は呆れている。

「申し訳ありませんが、包帯を巻き終わったら、何時もの薬湯の用意を御願い出来ますか?」

「……はい」


 にこにこしながら頭を下げてくる真に、やれやれ呑気な事だ、こんなに心配しているのに、と薙は悪態をつきたくなった。



 ★★★



 克の部隊を率いた竹が剛国に到着して、既に1ヶ月以上が経過しており、山脈により近い位置にある剛国の季節は、あっと言う間に秋に傾いていた。

 剛国に入ると直ぐ様、真と克たちは城を出て野営地で生活を送るようになった。

 無論、闘は笑いながら勧めてきた。


「城に残れ。いや、いっそ、我が国に仕えてみよ」

「丁重に御断り致します」

「……ほう? 其れはまた、数ヶ月、無理矢理居座った男の口から出たとは思えぬ程の遠慮深さではないか」

「御言葉を額面通りに受け取って、甘えて余り貸しは作りたくありませんし。其れに」

「其れに?」

「人から、謂れのない怨み節の視線を向けられるのは、御免被ります」

 が、真の方も笑いながら、すらっと言ってのける。

 闘も、誰の事を言っておるのか、と笑い飛ばしつつ、手を振って許してやった。闘の幕僚下で笑って無かったのは、暗い気を発している烈くらいだった。

 こうして、真たちは早々に荷物を纏めると剛国の城外に広がる草原に天幕を設営したのだった。

 腕を組んで笑って眺めている闘の横には、忌々しげに、しかし此れで目につく場に真が居なくなる事にほっとしている、何とも素直過ぎる表情で烈が並んでいる。気が付いた真は、やれやれ、しつこい御仁ですねえ、と苦笑するしかなかった。


 しかし克や竹たちは禍国に居た頃から、野宿の訓練は積んでいるから別に堪えないのだが、こういう処で常日頃からの軟弱な生活が仇となるとは真は思いもしなかった。

 特に、痛みを抑える薬湯が簡単に用意できないのが堪えた。

 祭国から大量に持って来たのは良いが、用意が出来ないのでは意味が無い。結局、場に慣れるまで1ヶ月以上、此処まで経てば流石の真も野営地での生活に随分と慣れてきた、というより慣れざるを得ない、という奴だった。

 其れに常ならば真の世話は芙が担っているのだが、今、彼は剛国に居ない。此れも地味に真の生活を不便なものにしていた。

 芙は、那国と戦う為に祭国を出立した戰に文を届けた後、戦を補佐するべく留守にしていた。

 だから此れまで芙がしてくれていた真の世話は薙が引き継いで、懸命に努力して呉れている。が、矢張り最も長く真と共に居た芙とは細かな処で差が生じるのは仕方無い事であるし、何より、仲間の頭である芙の不在で最も割りを食っているのは薙たちなのだから文句など言えよう筈もない。


 薬を小分けにし終えた陸が、さってと、と云いながら立ち上がり、う~、と唸りながら伸びをする。姜も、無言で立ち上がった。

「真さん、薙兄ちぃにぃ。俺ら、此れからいつものに行って来っからよ」

「はい。毎日云いますが、気を付けて。油断をしてはいけませんよ」

「分かってるって。おっちゃんが居てくれっから、大丈夫だよ」

 にかっ、と歯を見せて陸は笑うと、姜と共に真に頭を下げて天幕を出て行った。

 軽く手を振って真と薙は二人を見送る。

 入れ替わるように、くうが天幕に入って来た。辺りに気を配る視線と気配を落としてなるべく気が付かれぬようにしている処から、何かあったな、と真と薙も目配せしあった。


 克の率いる騎馬隊の良い処と言うべきか悪い処と言うべきか迷う処なのだが、いつの間にか大きめの天幕に一塊になってしまっているのだった。天幕は5人に一つ用意されているのだが、気が付くと大天幕に寄り集まり、わいわいやっているのだ。

 要は、祭国に居た頃と変わり無いのである。

 真も一応、芙たちと一つの天幕を用意して貰っているのに、こうして大天幕に集まってしまっているのだから、人の事をどうこう言えはしないのだが。

 真の腕の包帯が巻き終わる頃、知らぬ間に傍にくうが寄って来ていた。

 芙と同じく、蔦に草として仕込まれている彼らは、相変わらず気配も何も掴ませない。気が付くと隣に居る。大抵の者は飛び退って驚くものだが、真は此の数年で相当に鍛えられている。長手袋を着けた左腕を袖の中に仕舞いながら、ああ、茹、と笑顔で声を掛ける。


「茹? 何ですか? どうかしたのですか?」

 周囲を慎重に見回した後、茹は真の傍に身を寄せてきた。勿論、唇は動いていない。誰も、茹が真の傍にいるとも喋っているのだとも、気が付かない。

「芙が帰って来た」

 短い一言に、真は立ち上がり、薬湯を入れに下がろうとした薙は脚を止めた。



 自分と芙の仲間の為に用意された天幕に駆け戻ると、既に克と竹、そして久し振りに見掛ける背中があった。

「芙」

 撓んだ入り口の掛布を掴んだまま、真は上擦った声を出した。

 背中を見せて跪いていた漢が、立ち上がりざまに振り返る。

「真殿、只今戻りました」

「芙、御苦労様でした」

 自分の声が、ほっとしている、と思いつつ真は喜びを抑えられない。

 手を伸ばす真に、芙も笑みを浮かべて同じように手を伸ばす。がっちりと握りあう真と芙を前にして、皆の顔にも笑みが浮かんでいる。

「兎に角、本当にお疲れ様でした。早く、早く座って楽にして下さい」

 いそいそと真は竹が引き摺ってきた椅子に芙を誘う。苦笑しながら、芙は用意された椅子に座った。

 薙と茹だけでなく、すいも天幕に現れた。


「戦況は? 那国との戦から、順を追って話して呉れますか?」

 腰掛けながら、真が前のめりに芙を急かす。

 分かっております、と答えつつ、早く戰の状況を知りたがっている真に芙は目を和ませた。



 ★★★



 遼国王・灼と、そして最終的に同士となってくれた陽国王・來世の御蔭で、那国との戦は、ほぼ予想通りの流れとなったと知り、真も克も竹も、安堵の息を盛大に吐き出した。


「其れで戰様は? もう契国を出立されたのですか?」

「はい。あと3日もすれば陛下と杢殿、そして兵部尚書様が句国の領域に入られます」

「そうですか……芙も、長く転戦して大変だったでしょう、少し休んで下さい」

 言いながら、真は薙に目配せした。

 其処でやっと薙は、芙が一息付ける物が何も用意されていなかった事に気が付き、慌てて天幕を飛び出して行く。薙の慌ただしい動きを見送りながら、克がもう一度、大仰に肩を上下させた。

「一先ず、やれやれ、といった処か。陛下も杢殿も吉次殿も無事! 而も勝利を得られたとは。うん、良かった良かった。なあ、真殿」

「はい」

 相変わらず、克は裏表がない。屈託無く笑う彼の頬には笑窪が出来ている。

 克に答えつつも、真としては陽国王が味方について呉れた事が意外だった。


 ――歳のお若い王様だと聞き及んでおりましたが、どうして、見極める独自のをお持ちの方のようですね。

 陽国王・來世は、年齢的に学や東燕王を名乗る葵燕ぎえん、彼らと同世代と見て良いだろう。

 つまり、戰の御子であるしゅんが即位するまでの間に位置する世代となる。

 彼らをどう味方にするか、出来るかで、若しくは敵に回すのかで、時代は、また大きく変質し揺れるだろう。

 ――戰様は既に、追う立場から追われる立場の世代になられている。

 戰は今年で26歳となった。

 そろそろ青年期を抜け壮年期に差し掛かる時期であり、世に出るに遅すぎる年齢ではない。

 寧ろ漢として最も気力体力が充実し、精神的に成熟期を迎えている。

 祭国郡王の名を知らぬ者は、広い平原中を見渡しても最早存在しない。初陣の出来は兎も角として、後の戦は常勝を知らしめるに足るものだ。

 望んで得た動乱ではないが、今、此の時にこそ、中華平原に覇を唱え打って出るべきだ、と戰も真も理解している。


 だが、時代の最も先端を走る、という事はつまり翻れば、次々と戰の背中を目指す、より年若い青年たちが立ち上がり出す、という事だ。

 郡王・戰に可能であった覇道が、我には不可能なのか。

 天帝に愛されしは彼の漢のみと誰が言ったのか。

 我こそが試してくれよう、とばかりに。

 闘やいきのような、戰の同世代の者とは違う。

 上を見上げる視線、嘗て戰と真自身も、祭国をより良き国にしよう、と理想に熱く燃えていた時期と同じを、彼らはしているに違いない。

 陽国王・來世の年齢は今年で16歳。

 戰の初陣が18歳だった事を思えば、決して考えられぬ年齢ではないし、青年期特有の若さに任せた自意識過剰とも思える底無しの勢い、と言うのは戰よりも寧ろ、來世の年代にこそ似合うものだ。

 だと言うのに、陽国王・來世は戰と同盟してくれた。

 此の事実は大きい。


「当面、陽国は遼国と共に那国の領地の実質支配に乗り出すのに尽力されるでしょうね。同盟を反故にされるお気はほぼ無いと見て良い、と思います。ですが……」

「問題は、剛国ではなく、寧ろ」

「はい、露国と東燕、という事になりますね」

 芙の呟きに、真が頷く。

「しかし露国王陛下は、先の西燕と剛国の戦闘にも遂に動かれませんでした。其処まで慎重な御方ですから、此度も腰を上がられる可能性は低いでしょう。実質的に見張るべきは」

「東燕、か」

 戻ってきた薙が差し出した白湯を受け取りながら、芙が真に答える。

 と二人の会話を上目遣いで眺めていた竹が、つんつん、と克の背中を小突き出した。そろそろ話についていけなくなってきて頭が破裂しそうだから、弾ける前に詳しく聞いてくれ、という合図だ。小蝿を追うように鬱陶しがりながらも、克は素直に竹の言うことを聞いてやる。

「真殿、済まん。俺は馬鹿だから全く分からんのだが、具体的に東燕がどうだ、と言うんだ?」

「東燕は、陸路だけでなく海路をも視野に入れられる国ですからね」

「はぁっ!? か、海路ぉっ!?」

 克と竹は互いに、突然頭をぶん殴られたような顔しあった。真が指摘するまで、そんな想像をした事もなかったらしい。


「い、いや、其れはまあ……東燕は雄河という大河の河口を有してはいるが……、う……ん、沿岸地域を南下して下して行く……か、確かに考えられなくは……」

 真の言葉に腕を組んだ克は、う~む、と唸っている。

 唸っているだけで、考えてはいない。彼の脳は既に停止している。考える仕事は真に任せておけば大丈夫だから心配だけしているのだ。呆れ果てた竹が、また肘で小突く。が、克はもう知らん振りだ。最も、竹も何か考えが浮かぶわけではないのだが。


「真殿はどう見ている? 東燕は動くと思うか?」

「そうですね、可能性は皆無ではありません。が、東燕の璃燕王母殿下は、今の処は海路に大した執着を見せておられません。無理はなさらないでしょう」

 真は上がる湯気を、ふぅふぅ、と息で追い払ってから白湯を口に含んでいる。克と竹も差し出された白湯を受け取りながら、ほっとしながら顔を見合わせた。

 那国が遼国の前に膝を屈し、西燕も実質的に真が滅ぼした。

 とは言え、未だに東燕という北の脅威がある。

 此れまで、那国にしかなしえないと思われていた海峡を渡りきる能力が、陽国にもあると平原に知らしめた。東燕が祭国だけでなく遼国のまがねの剣を欲して南下したとしても、陽国が海を北上してがら空きとなった王都を狙う可能性があるのでは、と思わせられるのだ。

 此れは大きい。


 ですが、と云いながら真は首筋を掻いた。

「しかし東燕が引く構えを見せるのは、遼国に関してだけです。祭国に対しては違います」

「ぬ……其れはつまり?」

「何しろ祭国には、雄河に造り上げた堤防と灌漑施設がありますからね」

 克と竹は、あっ!? と立ち上がり掛ける。手の内にある椀から湯が跳ねなければ、実際にそうしていただろう。

「そうか、灌漑施設……成程な」

 3年前のあの大雨の時、堤切りを行い水を逃した記憶を消せ、と言われても消せるものではない。

 其処から新たに河川を2つに分けるという大胆な灌漑能力を備えた用水路の工事は着々と進められている。

 基本的には水嵩が低くなり河川の土木工事に向く冬季、つまり農閑期に集中して行われており、護岸工事は今年の春に竣工した。生憎と此の冷夏では、正確な実力は推し量れない。然しながら、灌漑施設の方も、その工事は遅くとも来年には一応の完成を見せる処まで来ている。


 その何方もが、燕国が垂涎三尺しながら横目でちらちらと伺う対象であるのは、周知されている。

「祭国の領土を獲れば、彼の地では栽培不可能な米の耕作地を手に入れられますし、何よりも、剛国王・闘陛下が当初、椿姫様を望まれた理由を思い出して下さい」

「祭国は平原への足掛かりになる、か……」

「はい、こんな美味しい・・・・餌を眼の前にして、目を瞑る方がおかしいと言うものでしょう。璃燕王母殿下が、葵燕王にを付けようとするのなら、尚更、です」

 うぅむ、と克は唸った。


「ですから逆に、東燕と露国が手を結ぶ可能性は大いに高まりましたね」

「何ぃ!?」

 克が頓狂な声を上げた。



 ★★★



 闘に呼び出されたざんは、兄王の私室に向かう。

 正直な処、心が浮き立つ。

 ――陛下一の気に入りと云えば、烈兄上だったのに。

 実際、闘が他の兄弟を退けて王位に就く政変の前から、烈は常に傍に控えていた。

 闘が国王として即位してからは、若さ故に三公や三塊、宰相といった地位に登れはしなかったが、既に郡王として寵愛されている。

 ――だが、私は今や、烈兄上に並ぼうとしている。

 常に闘の傍らにある烈に対する、少年らしい負けん気というか敵愾心が此の処の斬には育ちつつあった。先の西燕との戦での勝利が大きかった。其れまでの斬は、大人しく、そして小利口過ぎる嫌いがあったが、己に自信を持ってからは大胆奔放に振る舞うようになってきていた。


「陛下、臣・斬、罷り越して御座います」

 最礼拝を捧げながら、自ら兄の居室に声を掛ける。

 入れ、と闘自身から許しを得た斬は、興奮でてかり気味の頬を袖で隠しながら部屋の中に進み行った。礼拝の姿勢のまま、そっと周辺を探るが、烈の姿は無い。其れがまた、斬の自尊心を大いに擽った。

「どうだ? 祭国の奴らに動きはあったか?」

「今の処は、出ていった時と変わりありません。普段通りのようです」

 黒檀製の長椅子に腰掛けていた闘は口に運びかけていた大盃を止め、そうか、と格子が嵌められた窓の外に視線を投げ掛けた。

「だが、そろそろ奴らも動くだろう。よく見張らせておけ」

「はい、陛下」

 きびきびとした返答を返す斬に、闘は手にしていた大盃を差し出した。

 一瞬、何事かと身を引いてたじろいだ斬だったが、笑みを浮かべながら盃を此方に向けている闘の言わんとする処を理解すると、頬を紅潮させた。


「ちょ、頂戴致します」

 声を上ずらせながら、斬は静かに進み出て恭しく大盃を受け取った。なみなみと注がれた白く濁った馬乳酒の表面が、たぷり、と膨よかな甘い音を立てて揺れる。

「もう、秋が来てかなり経つな」

「は、はい」

「句国では既に米の収穫が行われているか……」

「は、はい?」

「真の奴め。烈の奴にちくちくと弄られながら、ようも此処まで居座ったものだ。其の面の皮が厚さと根性は、認めてやらんといかんな」


 一礼して大盃に唇を付けかけた斬は、闘が何を言わんとしているのかが理解出来ない。

 口を離して、ぽかん、としている弟に、良いから呑め、と闘は笑いながら促した。



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