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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
三ノ戦 皇帝崩御

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5 目論見

5 目論見



 剣の購入費用は、屯田兵を率いる郡王として戰が裁量権を発し、禍国の金で落とす。当然だ。その為の屯田制度だ。しかし余りにも額が巨大な為、今此処で、更に蕎麦の種籾を購入し、戰が祭国で地力をつける為に画策しているのだと思わせるのは、表面上得策ではない。

 しかも、種籾の購入取引相手は燕国だ。商人であるときにお株である偽装を任せるとしても、慎重に慎重を重ねて、事を運ぶに越したことはない。


 数日後。

 その為に、ある程度の金額しか出せないと、つうが申し出てきた。

「それは、どの程度なのでしょう?」

「はい、米を試算基準としておるのですが、種籾として一反あたり一貫目ほど必要と目し、一石あれば60反分程賄える事としました。只今、種籾の追加購入金から蕎麦に使うものだと知られぬように申請するとしても、三年分で千石がせいぜいでしょう」

 禍国としては些細な金とはいえ、しかし祭国にとっては大金だ。

 行幸みゆきを行うのは、この金銭状態ではやはり無謀な考えだったかと、半ば諦めかけていた椿姫だったが、思った以上の救済の手に安堵の吐息をつく。

「それだけあれば、栽培が可能となりそうな各県令に行き渡る事でしょう。有難うございます」

「いえいえ、此等の金子の出処は、郡王陛下の懐に御座いますれば」


 通にしてみれば、この祭国に来てからの計算に次ぐ計算の日々は、実に満足に足るものであった。欲を言えばより楽しむ為に、不正を働いた輩に、もっと注意深く露見せぬよう足掻きに足掻いて、見苦しいまでに画策して欲しかった、とるいと共に話していた位だ。

 禍国において、ありとあらゆる不正横領のたぐいを、尽く見破ってきた自分たちからすれば、どうせ発覚した所でどうにもなりはすまいと、のほほんと構え、殆ど隠蔽工作などせずにいた大上王・順をはじめとする臣下たちは、逆に物足りず不甲斐ないとすら思ってしまう。

「とんでもありません。本当は、必要な量を計算して下さったのでしょう? 有難う、君主として、この国の民に代わり、どのように礼を尽くしても足りません」

 椿姫に手を取って感謝を述べられ、通が痩せこけた肉のない頬を赤くする。

些か面白くなさげな、と言うよりも明白にむっとして、戰がその様子を睨みつけている。笑い転げたいのを必死に堪えながら、真が通を労ったのだった。



 ★★★



 定刻を迎えて、真が王城を退こうと用意をし始める。

 ここ最近は、退出時刻と共に部屋を出るように心掛けている為、共に働く下官達も嬉しそうに、いそいそと帰宅の準備をし始める。

「それでは、皆さん、お先に失礼します」

 ぺこりと頭を下げて部屋を後にする真に、誰も夕餉を共にとの誘いの声を掛けようとしない。真は下戸であるし、何よりも、家で待つ幼い妻があると知れ渡っているからだ。寧ろ微笑ましげに、のんびりと退出して行く真の背中に「ご苦労様でした」と声をかけていくのだった。

 しかし、今日は声をかけられた。

「申し訳ございませぬ。戰郡王陛下のお目付役であらせられる、真殿に御座いましょうや?」

「はい、如何にも真は私ですが?」

 振り返った視界に入ってきたのは、見た事のない舎人だった。が、身に纏っている衣装の色合いから、大上王となった順の使いであろうと察しがつく。


 きたな、と真は思った。

 この祭国に到着して以後、郡王として城に入った戰ばかりでなく、新たなる女王として帰国した彼の娘である椿姫も、徹底して大上王・順を無視している。

 理由は簡単だ。

 これ以後、この祭国における至尊の君たるは誰であるのかを思い知らせる為。

 また、祭国内の人材の動きと思惑を、炙り出す為でもあった。


 新しい世が到来したのだと、喜び勇んで自らを売り込みに来るのか。

 おべっかを使う為に擦り寄りに来るのか。

 暫く傍観し、女王か、郡王か、大上王か、その何れかに味方すればより儲けの入りが良いかと、首を巡らせているのか。

 大上王にこそ取り入り、己の欲を満たす為に傀儡とするが良いのか。


 それとも。

 女王と郡王の間を引き裂くのが良いのか。


 よもや、それを行うのが順大上王陛下であられようとは。

「やれやれ、また面倒臭くなりそうな予感がしますね」

 今日は帰りが遅くなってしまいそうですね、と真は溜息をつく。

「また、姫に拗ねられてしまいますね」



 ★★★



 珍しく、むっつりと不機嫌そうな顔付きで「只今帰りました」の一言もなく帰宅したかと思うと、夕餉も取らずに書斎に篭ってしまった真に、一座の者の所に遊びに来ていた珊は目を丸くした。

「真、どうしたんだろ?」

「大丈夫、落ち込んでいるだけだから」

 そう言うなりしょう姫は立ち上がり、厨へと向かう。

「え? 落ち込んでなんていたら、大丈夫なんかじゃないんじゃない?」

 大きな目をくりくりさせながら後に続こうとした珊は、奥から響いてきた、ずごん! という大きな音に飛び上がった。

「うひゃ!? な、何あれ!?」

「だから、我が君が落ち込んでいるのよ」


 前掛を手早く身に付けつつ厨に降りると、しょう姫は小麦粉を練り始めた。どうやら、何かお菓子を作るつもりらしい。

「何か手伝うよぅ、姫様、あたい、何したらいい?」

「じゃあ、お芋の皮を剥いてくれる?」

「はいきた」

 しょう姫の隣にたち、珊も前掛をつけ、包丁を握る。

 頼まれた甘藷の皮を剥きながら、面白いなあ、と珊は思った。気が付いたら一座にいて、色々な国を巡って色々な偉い身分の人を見てきたけれど、本当に皇子様といい、この二人のお姫様といい、ちっとも王家の人らしくない。

 大体、厨に下がって、料理をするのが似合う姫様って、一体なに? と思う。


 蔦に聞いた事がある。

 王侯貴族の姫君は、料理や刺繍や裁縫、歌に舞に楽芸等を身に付ける事が作法、と言うよりもその姫君の価値を上げるのだ、と。


 嫁ぎ先において、夫や舅が招いた客人の持て成しの料理や楽技団の手配、見送り用の手土産、祝事の贈物、弔事の見舞、また下官の奥方同士の交流、それらの采配を下すのは后や正室の役割とされ、より細やかな心使いをする妻であることが上質上等であるとされ、女性の才能として求められる。

 勿論、全てを自ら行う事など希、と言うよりも行えない妻の方が、圧倒的に多数だ。真の母親であるこうが、宴の度に支度を命じられていたのは、正室・たえにその腕前が無かったが為であり、側室とはそのような場合に正室に手柄を立てさせるのもその立場として求められるのだ。とは言え、下女並みに下拵えから全て行わせるというもの、度が過ぎているが。


 王女であるしょう姫や椿姫が、だからこれほど厨に立つ必要はないといえばない。しかし、本質的にこういった細々とした家庭的な作業が、二人共好きである上に、腕もたつ。

 それに何て言うのかさ、似合ってるって言うか、しっくりくるんだよねぇ。

 甘藷の皮を剥きながら、珊は隣の少女をちらちらと盗み見る。しょう姫の、一生懸命な姿が可愛くて堪らない。

 真はいいなあ。

 しょう姫に聞こえないように、珊は呟いた。



 しょう姫が作り上げたのは、ごろごろと角切りにした甘藷を甘く煮たものを、練った小麦粉の生地と合わせて器の中にいれ、蒸し上げたものだ。それに蜂蜜を少しかけてある。甘い香りが、湯気にのってゆらゆらと揺らめいている。

 一緒に真の部屋に行こうとしょう姫に誘われたが、珊は城に居る椿姫の警護があるからもう戻ると、手を振って屋敷を飛び出してきた。


 少し行くと、蔦が迎えに来ていてくれた。自分でも思ってもみないことに、珊は蔦の顔を見るなり安心し、小走りに駆け寄るなり胸に抱きついていた。

「珊、どうなさいました?」

「ん~ん? 何でもないよぅ?」

 何でもない訳ではない。

 珊は、真としょう姫が羨ましかったのだ。二人は夫婦とは言うが、しょう姫の年齢的に、実質的な躰の繋がりなどまだ持ててはいないだろう。であるのに、二人はちゃんと『家族』なのだ。

 しょう姫は真の事を誰よりも分かっていて、真の為に何をしたら良いのか、一番知っているのは彼女だ。そして、そんなしょう姫の事を、真は何も気がつかない風を装いながらも、一番気にかけてあげている。


 真はいいなあ、姫様みたいな、家族がいて。


 そう思うと、いつもは底抜けに明るい珊も、何だかちょっぴり寂しくなり、誰かに甘えたくなったのだった。

主様ぬしさまに、甘えたくなっただけだよぅ」

「おやおや」

主様ぬしさまの胸、いい匂いがする。母様かあさまってこんな感じなのかな?」

「これは、また」

 胸に顔をうずめている珊の頭を、優しく撫でてやりながら、蔦は慈愛に満ちた眼差しを落とした。

「大きな御子に御座いまするなあ。私は男子おのこ故、子は産めませぬぞ?」

 珍しく、蔦がおどけながら、肩を揺すって笑った。



 ★★★



 大上王・順が持ち込んだ話というのは、隣国、露国王ろこくおうせいよりの、戰への婚姻の申し出だった。

 即ち、露国王である静王の妹姫である初姫はつひめを、祭国郡王となった戰の正妃に、との申し込みだったのだ。


『郡王』である戰は、禍国の家臣でありながらも、皇族の一員だ。勝手に婚姻関係を結ぶ事は出来ない。それを知りつつも、領地に就任してまだ1ヶ月も経たぬうちに、このような申し出をしてくるという事は、露国王・静が、先日の即位戴冠の折の借りを返せと言ってきているのだ。


 だが何よりも問題であるのは、この話を受けたのが大上王である順であるということだ。

 大上王とは、王を退いた後の御位ではあるが実質的には名ばかりが立派なだけの『お飾り』に過ぎない。何の権限も持たない彼が、このように内政に関わる大事に喰いこんで来るなど、問題以外の何ものでもない。


 真は当初、国王順を廃位して後主こうしゅとなし、蟄居隠遁させるつもりでいた。憂いは完全に断つべきだと思っていたからだ。しかし、父親を大切に思っている椿姫の懇願に根負けして、祭国の歴史と様々な文献とを照らし合わせて大上王という過去の遺物のような身分を引っ張り出してきて、順を飼い殺しにする事で手を打とうとした。


 しかし、それは甘かった。

 何処かで、椿姫の父親であるのだから、という甘さが自分の中にあったが故に、監視を怠ったのだ。悔やんでも悔やみきれない、というよりも、自分が悔やむような事態に陥るという事は即ち、戰や椿姫を窮地に追い込む事なのだと、もっと切羽詰って身に沁みさせておくべきだったのだ。

 これは全くの、自分の落ち度だ。

 密かに臍を噛む真の前で、酒膳を前に、既にほろ酔い加減のいい気分のまま、大上王・順は口を滑らせる。


「どうじゃ、良い話であろうぞ? 郡王殿の御身が固まれば、次はいよいよ我が娘椿を・と、思うておる」

「大上王陛下におかれては、郡王陛下の身辺雑事に至るまで気を使って頂き、恐悦至極に御座います。しかし、余りにも嘴を挟まれては、本国禍国に事実をそのまま言上せねばならなくなります。それでも宜しいでしょうか?」

 真に睨まれて、身体を震わせた大上王・順は己が誘っておきながら、そそくさと座を後にした。

 表面上は大上王をやり込めた後、真はその足で戰の元に走った。事の顛末を話すうち、戰の表情が険しくなる。


「椿には、大上王が話されるより先に、私から話す。真は一度帰って、落ち着いて考えてみてくれないか」

 そう戰に言われて、甘えてほいほい帰ってきた自分にも嫌気がさす。

 事を知った椿姫が、どのような気持ちを持つのかと想像すると、やり切れないし、何よりも戰が自分の落ち度を責めないのも、心を抉られる。

 しかも自分自身、どのようにすれば良いのかも、まだ分からないと来ている。

 先頃の、楼国が責め滅ぼされた折の敗北感とは違う。あの時は、役に立ちたくても立てない、自分が歯痒く恨めしく、ただ悔しかった。

 此度は違う。

 全く、何という役立たずかという腑甲斐無さしかない。

 憤り、自分で自分をぶん殴りたくなるが、生憎と生来の石頭ときている為、木槌で殴る位の事でもせねば堪えまいと思うと、またそこでげんなりする。



 帰り道、思わず空を仰いだ。

 秋の澄んだ夜空は、星々を優雅に広げて瞬き、輝きを誇っている。


 出来れば、戰と椿姫がお互いの想いのままに添い遂げられるように、と願っていた。立場など関係なく、ただ想い合う恋人同士である二人が余りにも自然すぎて、それ以外の姿を見たくなかった。

 だが、現実には二人には、郡王と女王として、抱く冠がある。

 郡王と女王の、婚姻という結びつき。

 国として、此れほど両手を上げて喜ぶべき結びつきはあるまい。

 二王体制をより強固で確実なものとするのに、これ程有益な手段は望めない。

 二人がお互いの想いを政情に絡めるのをよしとすまいが、申し出があれば、禍国においても実質支配を強める手立てとして、認めざるを得ない事だろう。


 だが、実は祭国側で問題が噴出するのだ。

 椿姫が郡王である戰と添う、という事は、女王としての実権を失うという事になるのだ。祭国では、女王は未婚、もしくは寡婦でなくてはならない。つまり、夫を持つ身では為政者として君臨出来ないのだ。女王としての冠を抱いていたとしてもその実質支配権は、夫ではなく、一族の長が担う事となる。

 つまりは、此度の場合は大上王として順が担う事になる訳であり、「次は我が娘椿を」の言葉から推察するに、まさに順は其処を狙ってきている。


 戰と椿姫の婚姻は、幾らでも叶えられる。

 実際に、禍国側には祭国のような法はないのであるし、宗主国として、最悪ごり押ししてしまえば済むだけの事だからだ。

 戰と椿姫の間に御子が生まれれば、その御子が祭国を継ぐ。それが正しい道程として一本の線を引いて皆に納得さえてしまえば良いのだと、真はこの問題を後回しにして考えていた。

 そしてこれまで、その様な素振りも見せなかったが故に、今更、このように大上王・順に狙い討ちして来られようとは全くの想定外であり、思いもしていなかった。


 再び祭国において権力を握ろうと、大上王・順が動き出した。

 しかし兄王子・覺の隠御子いんし、即ち御子が存在するとなれば、話は別だ。継承権の時列は、順ではなく御子へと向かうからだ。

 だが、大上王側が納得する筈がない。そもそも先ずこの状況で、御子の存在を知ったならば、どうなるかどうするか。大上王・順にとって、御子の存在は、己が再び政治の表舞台に立つのを阻害する存在、毒にしかならない存在だとその勢力下の者に吹き込まれでもしたら。


 想像するだに、恐ろしい。

 露国王・静とこのように密かに取り次ぐ政治的勢力を今だに有しており、その実情が如何程かが知れぬ以上、早急に兄王子・かくの御子を探し出し、女王・椿の名の元に認めねばならない。

 出来るなら、承衣の君や御子がいるのではというのは、椿姫の思い過ぎであってくれればと願っている自分がいる事も、腹立たしくさせる。

 真は救いようのない己の失態に、打ちのめされていた。

 悩みつつ、とぼとぼと力なく歩む帰途、蔦が現れた。

「どうしたのですか、蔦」

「ご報告が御座いまする」

 一座の早足自慢のふうが戻ってきたのだという。ふうによれば、たくが示した村には、確かに承衣の君と思しき女性と御子と思しき子が居るのだという。


 事実を知らされた真は、今度は焦りの色を隠せなくなった。

 行幸みゆきの行先は、先ずその村にせねば。

 下手をすれば、兄王子・覺の御子の存在は亡き者とされるだろう。

 そうなる前に、承衣の君と御子を、此方が保護しお守り申し上げねば。

 だが、納得して貰えるものだろうか?椿姫にも。そして、その承衣の君にも。

 いざとなれば、承衣の君と御子には、身を守る為にも、即刻この祭国を捨てて逃げて貰わねばならなくなる。出会いがそのまま、今生の別れとなるかもしれないのだ。

 そんな切なさを味わうだけの巡り合いをしろと、果たして口にして良いものか?

 それよりも先ずこの邂逅を、承衣の君と御子は喜んでくれるのであろうか?



 迷いに迷う真を救ってくれたのは、持ってきてもらったお菓子をもそもそと食べながら、ぽつぽつと話をする真の言葉に、いちいち、ふんふんと頷いて聞いていたしょう姫の一言だった。

「どうしてそれがいけないの?」

「え?」

「逃げると言っても、禍国に行くのでしょう? この世の果てに行くのじゃないのだし、1ヶ月も馬車に揺られれば禍国には行けるのよ?」

 生きていれば、また会えるわ。と殊更に明るく言うしょう姫に、真はまたしても、はっとさせられた。


 そうだった。

 しょう姫がこんな幼さで、母親である蓮才人れんさいじんとの別離を経てこの遠い祭国にまで、自分について来てくれているのだ。離れている間に、何があるのか分からないというのに。

 でも、生きてさえいれば、必ず再び会う事が出来る。

 この思いを拠り所にして、蓮才人としょう姫の母娘おやこは自分を保っているのだろう。

「そう思いますか、姫」

「うん!」

 元気に返事をするしょう姫に、真は有難うございます、と頷く。彼女の思いに報い為にも、此処で落ち込んで、うじうじしているばかりではいられない。

 そしてしょう姫と話すうちに落ち着いてきた真は、改めて大切な事に気がついた。気がつかずにいたら、大変な事になっていたかもしれない。

 しょう姫の明るい笑顔に引きずられ、同じように笑顔を作りながら、真は肝を冷やしていた。




 次の日、王城に上がった真は、珊の所に一番にやってきて、首筋をかきつつ謝ってきた。

「すみませんでしたね、珊。昨夜は折角、足を運んで下さっていたというのに」

「ううん、いいよぅそんな事」

 ぷっ、と小さく珊は吹き出しながら、手を振った。出立前以来、久しぶりに、真が小奇麗な頭と身なりをしているからだ。当然、昨晩の失態をたてに、しょう姫に迫られて整えさせられたのだろう。

「戰様と、椿姫様は?」

「うん、いつものお部屋に居るよぅ。真が来てくれるの、待ってるよ」

 はい、と返事をしながら、真はもう脚をそちらに向けていた。彼の後ろを、珊は踊るようについてくる。

 失礼します、と真は戰と椿姫の待つ王の部屋に声をかけた。

 その声は、何時もの彼のものであった。



 ★★★



 顔色を悪くして椅子に座っている椿姫の肩を、戰が優しく抱きしめている。

 以前の戰であったなら、真の目の前でそのような事は、余程勢いがなければ出来なかったであろうが、今は違う。衝撃を受けている椿姫の心に少しでも寄り添うと、その思いに突き動かされており、真を見ていない。

 しかし、額を上げた戰の顔色も悪い。

 昨晩、真が大上王・順より聞かされた話だけではなく、兄王子の承衣の君と御子にも話題を飛ばしたからだ。

「戰様、真様、承衣の君と御子を禍国にてかくまえば、本当にお守り出来るでしょうか?」

「ああ、大丈夫だ。禍国におわす、義理母上ははうえに頼れば、必ず」

 戰の力強い言葉に、椿姫の涙に濡れた辛い表情が、漸く和らいだ。

「戰様、椿姫様」

「何だい、真」

「実は、もう一つ、気になる事柄があるのです」

「何だ?」


 露国王・静の事だ。

 大上王となった順に近付き、妹姫を戰に娶らせ禍国と通じ、祭国内政に食い込もうと画策するなど、一筋縄で行かぬ人物であると露呈した訳であるが、果たして露国王・順がその優しげな色に満ちた面体に隠した頭の中に描いているのは、それだけだろうか?

 即位戴冠の折よりずっと、喉仏に魚の小骨が刺さっているかのように、ずっと疼いていたものが、昨晩の大上王・順の迂闊な一言と、しょう姫と話すうちに取り戻した落ち着きの中、真の内側では、一気に傷に格上げとなっていた。


「過日行われました、即位戴冠の式において露国王陛下に願い出た折の事に御座います。気になる事を口にされておられました」

「何をだ?」

「椿姫様が、麗しく麗華であられるかとお尋ねになられました」

「どういう事だろうか?」

 戰も首を捻った。

 真が分からないのに、自分が分かる訳がないだろう、とでも言いただけだ。


 以前、あの夜に聞いた椿姫の言葉によれば、彼女の母親と露国王の母親は従姉妹同士であるというから、親類縁者と言える。幼い頃は、新年の朝賀等の折ふれ、兄王子・かくと共に仲良く遊んだ間柄でもあったという。

 真の言葉を聞いてから、椿姫の顔色が変わっていた。しかし、珍しく戰も真も気がつかない。何かあると確信を得たのは、ずっと静かに控えていた珊だったのだが、珍しく押し黙ったまま、大事な王女様の様子を伺い続けている。



 露国王・静は椿姫と親類として、国と国を繋げる為に、あげての仲であった訳だ。

 ならば何故、久しぶりに会う親戚故旧の姫君の栄達の折に、健勝であるかと尋ねないのか? と、真はあの時と同じ謎にぶち当たり、考え込む。

 真と同じ謎に行き着いたのだろう。戰も、軽く握った拳を顎に当てて考え込んでいる。

「どういう事だろう?」

「私も気になっておりました。しかし戰様、先程私が申し上げました言葉を、思い出して頂けますか?」

「ん?」

「つまりです、大上王陛下が、次は我が娘と……」

「戰様、真様。それは露国のお兄様が、わたくしを露国王妃にと望まれておられる・という事でしょうか?」


 珍しく横から言葉を挟んで来た事にも驚いたが、椿姫が露国王・静を親しみにを込めて『兄』と呼ぶ事にさらに驚く。

 確かに血の繋がりはあるが、其処までちかしい間柄であったのか、と。

「あの、今思うとなのですが、母上様は、私をお兄様、いえ露国王となられた静陛下の元に嫁がせるつもりであったようなのです」

 戰と真が顔を見合わせると、椿姫が何処か心此処にあらずといった、虚ろな瞳で俯いた。



 王后であった椿姫の母后・萩が、祖国である露国の次代の王となる静との婚儀をと望んでもおかしくはない。当時は既に息子である覺王子が頭角を現していた頃であるし、此処で更に祭国と露国が手を結ぶ為に、椿姫と静王子の婚儀をと、水面下で母后・萩が動いていたのだろう。

 確かに椿姫は、戰との出会いの年齢であった13歳の幼さで、しょう姫の介添えとなるのが当然と思える程、舞や唄、楽芸、刺繍や料理の素養を、母后を亡くした立場にありながら、全てを完全に身に付けていた。ただ一つ、閨においての男女の道に暗かった事が不思議と言えば不思議であるが、元々が露国王へと嫁がせるつもりであったのならば、下手に興味を持たれても困る事であるし、慌てて教える必要性を見出さなかったのだろう。

 しかし、内乱で兄王子・覺が叔父である便べんと共に倒れ、母后・萩が病に儚くなり、更には唯一の王女となった椿姫が継治の御子となり、その相手として当時国王であった順が剛国より当時王子であった闘を見繕うに至り、露国王との接点が、消えた。


 だが、露国王・静は地表には見えぬ地下河の如くに表面上は静かに、だが目に見えぬところで激しい濁流の如きの思いの流れを断ち切ることなく、この数年間を過ごして来ていたのだ。



「麗しくあるかとお兄様がお尋ねになられたのは、わたくしが他に、心を寄せる男性を見つけてはいまいかと、心配になられたのです。そして、あの、麗華である事を確かめたがられた……のは、……あの……私、が…………」

 言葉を濁して羞恥に頬を赤らめた椿姫に、何を言いたいのか悟った戰は彼女を懐深く、匿うように抱きしめなおす。

 とどのつまり彼女が純潔を散らしてはいないか、そう未通女おとめである事を、露国王・静が、男として求めていたのだ。


 自分たちには分からないが、露国王・静が何を求めているのかを知らしめる、椿姫には充分過ぎる程の言葉であったらしい。

 しかし、それを告げてきたという事は、露国王・静は、祭国を得る為に椿姫を想い続けているという証でもある。

 露国王・静の中で、未だ椿姫との婚約は続いているのだ。

 では、今のこの事態を、より有利に動かす為に利用しようとしているのだろうか? 

 だとしても、例え露国王に女王である椿姫が嫁したとしても、先に述べたように、彼女共々に祭国を手に入れることは不可能だと、縁者である彼が知らぬ筈があるまい。

 では何故、露国王・静は、椿姫に此れほど固執するのであろうか?

 ただひたすらに純粋に、椿姫に恋尽くしているとでも言うのか?

 だが露国王・静が、それ程までに椿姫に恋焦がれているようには、真には思えない。

 何か別に、理由があるのではないか? 

 それが何であるのかが窺い知れぬ以上、とにもかくにも、今は承衣の君と御子を一刻も早く保護し、同時並行して、この婚儀の申し出を白紙に戻す術を考えねばならない。


 戰と真は、行幸みゆきの行程を一から見直すべく、立ち上がった。

 彼らを部屋の隅で見守っていた珊が、まだ青白い顔色で震えている椿姫を抱きしめる為に、そっと彼女に近づいた。



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