2 祭国王・順(じゅん)
2 祭国王・順
3年前。
祭国が、隣国の剛国にのせられ、愚かにも強国・禍国との戦を決意したのは、ひとえに祭国王・順が愚か者だからだ。
幼児でもわかるような事柄をも解せぬこの暗愚の人が、国王の座に座ることを許されたのは、何故か。それは国王・順と比べ、『愚兄賢弟』と何かと比べられる聡明な弟と、『鳶が鷹を産した』と事ある毎に持ち上げられる出来の良い王子の存在があったからに、他ならない。
重臣たちは、王位継承の順序を乱すわけにもゆかず、だが二人の存在に期待を込めて、順を王座に就けた。しかし、順が王座に就いて間もなく、叔父と甥の間で酸鼻な政権争いが起こった。二人共、互に順を追い落して国王の座を狙っていると声高に順に申し立て、愚かな順は、その両方に、互いの討伐の為の軍を率いることを許したのだ。
だが、順は別に悪いことをしたなどと思ってはいない。弟の言い分を聞いていれば、息子が悪いと思える。息子の申し開きに耳を傾ければ、弟が悪いと思える。両方共々に悪いのであれば、負けた方がより悪いのであろう――というのが、順の言い分であった。
重臣たちは頭を抱えつつも、人々はどちらが勝利を収めるか、固唾を飲んで見守った。どちらに転んでも、名君になる事は利明であったから、どちらでも良い。とにもかくにも、この争いが早急に決着をみる事のみを、重臣たちは願っていた。ところが、祭国全土を覆うまでの内紛にまで発展した争いは、その戦場においての一騎打ちにより、両者の共倒れで終わってしまったのだ。
叔父は甥の脳天を槍で叩き割り、甥は長刀で叔父の腹を貫いて、同時に馬上から転がり落ち、部下が駆け寄った寄った時には二人共、白目をむいて舌をだらりと垂らして死への旅に駆け出していた。
結末に呆気にとられ呆然自失となり、ハッ!? と自我を取り戻すと同時に大いに慌てふためいた重臣たちは、この暗愚の王者に国を食い潰される事を何よりも恐れた。せめて我らがしっかりと国を支えてお守りし、唯一の御子となられた姫君様が成人したあかつきには、何処か強国から皇子を婿に迎えて盛り立ててもらおうと画策しだした。
だがどうしたものか、こうした事には耳敏いのが祭国王・順だった。重臣たちの動きを察知した祭国王・順はよせば良いのに、自ら動き、姫君の婿となる皇子を出してくれるという国を隣国から見つけてきてしまったのだ。
――剛国
その名の通り、馬を駆る戦法を得意とする遊牧民を祖に持つ勇猛果断な国であった。その国にあって、何人目かの妃の腹出の王子に闘という人物がいる。勇猛精進、既に威風堂々たる美丈夫と噂と誉れの高い王子だ。姫君の8歳年上であり、数年後、姫が大人の女性になった暁には似合いの年廻りの夫婦となろう。
一体何をどのように吹き込まれたものか、祭国王・順は上機嫌も上機嫌、これ以上はない笑顔で宣言したのだった。
「わが娘姫・椿の婿に、剛国より王子・闘を迎え入れるぞよ。これにより、我が国と剛国は今より近しい存在として、互を認め合い互の為に存在する事となるぞ。何と、良きかな、良きかな。先ずは手始めに、剛国の協力のもと、憎き禍国を討とうぞ」
無邪気過ぎるといえば無邪気すぎる、自分に対してだけ都合よく人が良い、後先考えぬ人物。それが祭国王・順であった。
★★★
祭国王・順の何よりの自慢は、美しく心根の優しい誰からも愛される娘姫君・椿姫であった。
「久しく合わぬが、美しくなったものであろうぞ、のう?」
『あろう』とは、椿姫は現在、3年前に宗主国となった禍国にいるからだ。当時13歳であった頃よりその妖精の如き美しさは有名であったが、16歳となった今、どれほどその美貌に磨きがかかった事か、想像も追いつかないほどあろう。
――と、本来であれば、父王として王女の成長を喜ぶべきところを、祭国王・順は頭を抱えていた。
何故か。
3年前、禍国との戦端を開く折に背後からの協力を申し出てくれた剛国が、突然申し出てきたからだ。
姫君・椿姫様を、剛国の王・闘の妃の一員として迎え入れる。よって、直様、椿姫を差し出すが良い。
後押しをするという盟約は、当時王子であった闘と娘・椿姫の婚約が前提としてあった。戦に敗れ禍国の領土となり、娘が王都へと去り、それによりもたらされる甘い汁に酔っていた祭国王・順は青ざめた。
戦に破れた時点で、剛国との盟約は反故になったものとばかり、自分の中では『ケリ』がついてしまっていたのだ。しかし、剛国の王子・闘は忘れなかった。忘れていなかった。
ところで先日、先代王が原因不明の死を得、国葬もそこそこに、新たな王として王子・闘が国王となった。祭国王・順が驚いたのは、3年前の盟約の約定を今更持ち出された事もあるが、何よりも国王として至尊の冠を頭上に抱いたのが、王子・闘であったことだ。王太子は別の王子がたてられており、更に言えば王子・闘の剛国内での地位もさして高くはなかったからだ。だからこそ、祭国如きに入婿王として来るという約定を交わせたのだ。
その王子が、今や国王であるという。祭国王・順は、ごくりと喉を鳴らした。これはもしかしたら、よく考えてみれば3年前などよりも、吾にとってはより良い婚姻になろうぞ? 娘姫・椿が一人嫁すだけで、剛国が後ろ盾となり禍国の支配より脱し、今一度、吾は真の国王としてこの祭国の主人たる資格を得られるやもしれぬぞ。
一度夢に嵌ると、その甘い泥濘から逃れられぬのが、祭国王・順であった。勝手に広げた妄想の未来図にうっとり恍惚となる。
良きかな、良きかな。椿は昔から親思い・国の民草思いの娘であった。何よりも、剛国王・闘があのように執拗に望んでおる縁組ぞ。何が不幸になぞなろうものぞ。
うきうきと心を浮き立たせた祭国王・順は、最初こそ度肝を抜かれて尻込みした娘姫・椿と剛国王・闘の縁組に、俄然、乗り気になりだした。
臣下たちが慌てふためくのを抑えて、厳かに言い渡す。
「我が王女・椿姫を宗主・禍国より帰国させようぞ」
「――は? し、しかし国王陛下、姫君様は現在、禍国の王女・薔姫様の介添えの御身分となられておりますれば、そう易易とは王都を出られぬ御身であり……」
「そのようなもの、吾が病気ゆえ見舞えとでも何とでも言えばよかろうぞ。嘘も方便と申すではないか」
「は、はい、しかしですが、その……」
「相手は国王ぞ? しかも強国・剛国であるぞ? その妃にと望まれておるのだ。我が国のような弱小国には過分な縁組であろうが」
「いえ、その、確かにそうではありますが」
「何も吾は剛国に屈して、我が姫・椿を差し出そうとしておるのではないぞよ。その逆であるぞ」
「は、はは?」
「我が姫・椿を剛国に娶らせれば、吾は剛国王・闘の舅ぞ? 剛国との継がりはより強うなろうぞ? 宗主国・禍より再び離れ独立する事が叶うであろうぞ」
実に無邪気に、うきうきと話し続ける祭国王・順に、諸侯をはじめ臣下一同は呆気にとられ、そして怖気を発した。今このように小春日和な生活を楽しめるのは、ひとえに禍国を宗主国として崇めているからだ。
それを捨て剛国と再び手を握りればどうなるのか?
少し首を捻れば解ろうものを、この暗愚の王は剛国頼りに再び純粋に王としてたつ夢に心を遊ばせて喜んでいる。その戯けた夢に実際に浸れば、この祭国は剛国共々、禍国に完膚なきまでに叩き潰される。そして剛国に召し出された王女・椿姫は、嬲り殺されるに相違ない。
「早速、我が娘・椿の元へと早馬を送らぬか。良かろう、良かろう、我が国の、そして吾の未来は安泰ぞ」
頬をほくほくと温めながら、子供のようにうきうきと命じる祭国王・順の様子に、臣下一同はこの国の滅亡を悟った。
しかし、国王には逆らえない。
どのような国王であろうとも、順はこの祭国の至尊の冠を抱く『王』なのだ。聡明英毅を誇る代々の王の尊厳を、この順王ただ一人で食い潰されるのか……。なんと哀れな国と成り下がったものであろうか。
そして何よりも、何の罪もなくして利用される娘姫様も。
お救いする、何か良い手立てはないものか……。頭を抱え、そして愛らしく、幼いながらも健気な王女であった椿姫の行く末を思い、皆が涙を流した。
★★★
選ばれた臣下が使者としてたてられ、王女・椿姫の元を目指して禍国に旅立つのとほぼ入れ替わりで隣国、剛国王・闘が自ら祭国へと出向いてきた。知らせを聞いた祭国王・順は、喜び勇んで手ずから出迎えのために足を運ぶ。
「これは婿殿、ようこそおいでなさった」
両手を広げて無邪気に剛国王・闘を迎え入れる祭国王・順は、この後、己の考え違いを身をもって教えられた。即ち、ふふん、とせせら笑った剛国王・闘に腕を掴まれるなり投げ飛ばされ、地面に這い蹲る姿を晒す羽目に陥ったからだ。急激な視界の回転に、順は何が起こったのやも理解できない。叩き伏せられた折の痛みに、肺腑に蓄えられた空気を全て吐き出してしまった為、かはっ……!と喉が震えるばかりだ。
想像の範疇外を大きく飛び越えた出来事に、順が恐れを抱いて何もできなくなっている様子を、ふふん、と更に闘は鼻先で嘲笑う。投げつけざまに彼が剥き身とした剣の鋒が、祭国王・順の胸を過たず狙い定められている。
「――ご、剛国王……!」
叫び声すら臣下の者に立てさせて、祭国王・順はガチガチと歯を打ち鳴らして震える。鋒が放つ鈍色の輝きは、そのまま、死神に睨まれているかのようだ。
「噂に違わぬ愚か者よ」
祭国の臣下たちが、主人たる国王・順を助け起こそうと身体を動かす事もまた、封じられていた。何故なら、剛国王・闘が引き連れてきた使節団が、槍と弓とをもって、構えているからだ。
幾分、芝居かかって闘が手を軽く掲げると、バッ! と一斉に弓が引き絞られ、槍が一歩突き出される。ひぎぃっ!? と祭国王・順はだらしない叫び声をあげた。重ねて嘲笑いながら、剛国王・闘は片膝をついて順の傍に腰を下ろす。
「な、何という仕打ちか、ご、剛国王・闘……そちが吾の娘姫を娶り、正妃とすれば吾はそちの舅ぞ。こ、この国は、第二の祖国ぞ? そ、それを、それをっ」
「はっ――これはこれは……祭国程度の国の国王が、我が身を『吾』と申すのか」
「な、何とな!?」
「ふん……何を思い違いをしておるか知らぬが、私もそこまで鬼畜ではない。教えてやろう。私はな、この国の姫なぞを我が妃とする為に来たのではない」
「――は?」
「奪う為の方便よ」
闘が宣言するなり、城内で喚声が上がった。
剛国王の率いてきた使節団はその下男に至るまでが屈強の兵士たちだったのだ。平和という怠惰を貪る祭国を、剛国王・順は内側から暴きたて始めているのだ。たとえ僅かな兵士であろうとも、国王と重臣たちを人質として囲われていると思えば、腕も鈍る。たちまちのうちに、城内は制圧され、風に乗った血の匂いが悲鳴と呻きと共に、祭国王・順の耳と鼻を打つ。
「分かるか、祭国王・順とやら。最早、貴様には国王として名乗る国は存在せぬのだということが」
三度嘲笑いながら、今度は立ち上がると、剛国王・闘は大きく長い立派な王者の外套をはためかせた。
「この城は、最早我がものだ。新たな王を案内せよ、順」
慌てて、人形細工のように首を縦に何度も振る順の案内で、剛国王・闘は城の奥へと向かった。
その先にあるものは、当然、この国の玉座であった。