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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その9-5

屍山血河 その9-5



 一度馬を止めて迷いを見せた嵒だったが、馬に鞭を入れて再び走らせ始めた。

 馬が駆けているのは王城へ向かう道ではあるが、行き先は、ただ逃げ帰る為のものなどではないだろう。


 芙は覆面を着けると、嵒の後を追って駆け出した。

 早足、という二つ名を持つ彼にとって、馬の速度で駆け抜けるなど造作も無い。正に疾風の如くに駆ける。蔦に鍛え抜かれているという事実から勘違いされているが、蔦の元で身についたのは持久力の方で、此の異様な脚の速さは生来のものである。幼い時分の珊などは、体術にも抜きん出ていた芙の前で涙しながら地団駄踏んで悔しがったものだった。

 気配を掴ませぬようにしながら、嵒を追い続ける。

 果たして芙の読み通り、嵒の行き先は王城の正門ではなかった。砦に向かう際にも裏手門を使用したが、嵒が潜ったのは、明らかに普段は使われていない隠し戸的な入口だった。


「あんな処に」

 先に斥候に化けて潜入した時には、見付けられなかった小路だ。

 自分もまだまだ甘い、と戒めながら、まるで藪に近い細い路を行く嵒の後を追う。天候のせいばかりではない、ひやりとした空気が覆面越しに芙の頬を撫でて行く。人や動物の気配に冒されていないせいで、淀み・・がないのだ。

 つまり、誰も此処の存在を知らないのだろう。嵒以外には、誰も。

「しかし……こうした秘密裏の通路の存在と云うのは、何処の国も変わらんのだな」

 禍国と祭国の王城の見取り図を頭に叩き込んでいる芙の感想は、冷めている。

 何処の国の城も考える事も、その結果も、国の大小に関わらず変わらないな、というものだ。有事の際には王と彼が寵愛する者飲みが脱する事が出来るようになっている。征服者の餌食になるのは、基本的に力のない弱い者だが、彼らが蹂躙されている間に落ち延びる算段なのが、形として見えるのは気分が悪い。

「民を見捨てた王に、どれだけの価値があると思っている」

 どの国の重鎮が耳にしても怒髪天を衝く勢いで怒り狂うであろう事を、芙はさらりと口にした。

 そうこうする内に、殆ど壊れて朽ち掛けているが、再び門らしき物が現れた。

 嵒は自ら戸を開き、手綱を引いて馬を連れたまま奥へと消える。

 然程、周辺に注意を払っている様子がないのは、気を抜いているというよりも、此の隠し門の存在を彼以外に知る者が居ないという絶対の確信があるからだろう。


 だからこそ矢張り、嵒が消えた先に在るものは唯一つだ。

 ――此の隠し門に通じる通路の先に在る棟に、国王・碩が幽閉されているのに違いない。

 兵部尚書さまの読みが当たったか。

 嵒は国王・碩に一方ならぬ忠心と盲目的な愛情を寄せている。

 決して生命を奪うつもりはない。

 当然だ。

 何と信じられぬ事に嵒は、己の犠牲の上にこそ、国王・碩は栄耀を得ると信じて疑っていない。

 己が乱した世を碩が静めてみせる、そして民草が碩に感じ入り忠誠を近い、結束力が生まれるのを。

 真が居れば、大層面倒臭くて傍迷惑な、歪んだ一本気質な忠義心ですねえ、とでも評しただろう。

 ともあれ、嵒は良きにしろ悪きにしろ、深い思い込みが厄介過ぎる人物なのだ。

 盲の忠誠心を持つのが悪いとは言わない。


 が、嵒は、自分の思惑が外れて行くかもしれない、という予想を何故しないのだろうか?

 英邁でありながら、こうした処は頓着しないというか、態と目を瞑っているのだろう。

 見たくないものは見なければ、存在しなかった事に、無かった事に出来てしまう、と無意識に自らに働き掛けておきながら四捨五入するのが、だが、真実の忠義と言えるのか?


「自分にだけ都合の良い忠誠だとしか思えんが」

 皮肉を込めながら、芙は嵒の背を追い続ける。



 ★★★



 嵒が脚を止め、手綱を適当な木に結わえ付けた。いよいよ、碩の居場所が近いようだ。

「此処は矢張り、真殿の父上、と云うべきなのか……」

 珍しく冗談めかして芙は呟いた。

 契国の斥候に化けて嵒の懐に入り込むよう命じられた芙だったが、当初、優の策に首を捻った。


「其れよりは、相国・嵒を捕らえて口を割らせた方が容易くはないですか?

 そして契国王・碩は、戰の盟友を自認する男だ。

 別に秘密裏だろうと何だろうと、嵒を排除してしまえば取り敢えず此の国の問題は収まるではないか、というのが芙の認識だった。

「要は、あの相国殿だけが勝手に悲壮ぶって騒ぎ、此の国を大事に引き摺り込んでいるだけです。契国王陛下は違う。郡王陛下を前にされれば、自ら軍門に下られるのではないでしょうか?」

 此れには、伐も同調した。

 と言うよりも、大いに賛同した。

 彼らにしてみれば、勝手に忠臣ぶって好き勝手に暴れて、結果、国を荒廃させるような阿呆の末路などどうでもいい。自分たちを苦しめた元凶なのだ、向こうが自滅するのを止める義理はないし、寧ろ此れ以上国を煩わせるのなら、其処らで野垂れ死ね、とすら思っている。

「そりゃあいい考えだぜ、芙の旦那。とっとと相国の野郎をとっ捕まえちまおうぜ。ついでに、国王陛下の居場所を吐いたら、吊るし首でも車引きでも、何でもいいや、拷問にかけちまおう。いや、直ぐに殺して晒し首か」

 うきうき・・・・した様子で、今にも飛び出し掛かっている伐の襟首を引っ掴んで叩き伏せた優が、此の莫迦者が! と叱り飛ばす。


「相国・嵒に手出しはならん! 決してならん!」

 怒鳴りつける優の迫力に、強かに打ち付けられた痛みも忘れて伐は、ぽかん、とし次いで肩を竦めた。

「郡王陛下は喩え許される行いを起こした反逆の徒であったとしても、碩陛下への忠節にのみ生きている嵒を認めておられる。我らが奴を勝手に誅してみよ。陛下は碩陛下に一生負い目を背負って生きていかれるし、我らにも顔向け出来ぬと沈れるだろう」

「……訳が分からねえ」

 伐は寄り目になった。

「悪い奴を追い払ってやるんだぜ? 感謝されても良さそうなもんだろ? 何で落ち込むだよ? 意味が分っからねえ」

「……つまり、陛下はお心暖かな御人なのだよ。御自身が目指される覇道を伝えきれなかったばかりに、誰も彼も犠牲になったのでは、とな」

「甘っちょろいな。こんな時代に、何を糞とろ臭い事言ってやがんだよ。だから禍国の皇帝になれねえんだよ、陛下は」

 伐はがりがりと音を立てて頭を掻きながら、口を尖らせてぼやいた。


「言葉も無い。が、そういう御人なのだ」

「そういう御人、ねえ……だがまあ、そんな甘っちょろい処がよ、俺たちゃ、理由も無く、無性に気に入っちまってるんだがな。そんな陛下だからこそ、俺たちの王様になって欲しいんだがよ」

あんたらもそうだろ? と笑いながら伐は片目を閉じて見せる。

 優と芙も苦笑いしきりだ。

 其の通りだった。


 結局、国王・碩の居場所を嵒自身に案内させればよい、という話で纏まった。

 騒ぎと、そして兵の犠牲は出来るだけ少ないにこした事はない。

 忘れてしまいがちだが、嵒が率いている叛乱軍も元を正せば契国の領民だ。

 喩え国の為といえども民同士の間に遺恨を残してはならない。そして、戰が率いてくる祭国軍とも、出来るだけ戦わずに済む方法を模索せねばならない。

 その為には国王・碩を救い出し、王としての責務を負って貰わねばならない。

 王として、叛乱者・嵒のみを誅伐する命令を下し、郡王・戰を受け入れ、禍国軍の前に降伏の意思を示させる。

 だが救い出したとしても、彼が戰に国を譲るとは限らない。

 盟主と仰ぐのとは違う。国譲り、即ち戰への禅譲を碩が認めるのか。

 認めねば、また伐たちは決起するだろう。

 嵒の時と違い、国王自らが一揆撲滅の命令を下すとなれば、状況は変わってくる。

 将校たちに領民を討つ際の迷いは無くなるだろうし、そうなれば更に伐たち下層民たちの行動は益々過激化するに違いない。


 国内の混乱が長引けば、未だに句国に居座り平原の覇者気取りで王城で踏ん反り返っている備国王・弋が、喜々として国盗りに乗り出して来るだろう。

「……いや、真殿の計画では、契国の乱を知った弋が揚々として、ついでに、と攻め入って貰わねば困るんだったな……」

 今の処、真が描いた策の通りに事は進んでいるように思える。

 しかし契国に身を置いて感じ、思うのは、真の想像が現実に迫ってきているという驚愕よりも、契国内の領民たちの恨み辛みのうねりは、来る前に予想していたものよりも深く激しい、という懸念だ。

 余りにも混迷の度が過ぎれば、策が成り立たなくなる。

 備国王・弋は句国を滅ぼした勢いで契国に攻め入り、我が物としてしまうだろう。


 国と平原の現状を正しくしらぬ幽閉の身の国王・碩の判断に、契国の未来は完全に委ねられていた。



 ★★★



 先細る路の先に、嵒が目指していた建屋があった。

 ひっそりと建てられている小さな亭に、申し訳程度に壁をくっつけたような建物だった。反対側から伸びている足跡は、嵒が此れまでの世話で付けたものだろう。

 明り取りと空気の入れ替えを行う為の窓は、小さい。其処から脱走も出来ぬ程の大きさであるからか、格子も入れられていない。掛かっているのは、放射状に広がる蜘蛛の巣だけだ。

 間取りとして、二間もあれば良いだろうか。

 流石に厠はあるようだが、湯浴みが出来るような場もなさそうだ。寂れた雰囲気が暗く漂う家屋は、明かりもなにも灯って居ない。

 が、誰か人が居るらしき気配はある。

 喩え長く見捨てられていた建物であったとしても、人が入れば生活の臭いと言うものが滲み出て来るものだ。

「確かに此処に人が居る」

 契国王・碩が捕らえられているのに違いない、と芙は思った。


「しかし……」

 覆面をしたままでも、独りごちた口元の衣の動きで芙が顔を顰めたのが分かる。

 豪奢な王城内に、こんな寂れた場所が用意されているのも不思議だった。

 王太后たちを始めとした、王を失った妃たちの終の住まいでも、それなりに華やかさを保つものだが、此処は全くそういう気遣いが見受けられない。

 目的が分からぬ建屋ではあるが、瓦や壁に付いた染みや苔の様子から建国に王城が建設された当初から在るらしい。

 そして存在を知っているのは、嵒のような王室に深い関わりのある老境に入った者のみなのだろう。見張りを付ければ、何処からか情報が漏れて反勢力に碩を奪われる怖れが返って高まる。

 判っていても実行はなかなか出来るものではない事を、やってのけているのだ。

 嵒も一廉の人物であるには違いない。


 周囲に注意を払う様子も見せず、嵒は亭に入って行く。

 芙は其の後を、するすると音も無く気配も感じさせる事もなく追う。

 見張りもない建屋に近付くのであるから、嵒に気取られぬように気配を完全に消さねばならない。が、芙にとっては息を吸って吐くよりも容易い事だった。

 声も掛けず、嵒が狭そうな部屋に入る。

 と直ぐに、小さな窓から明かりが溢れた。嵒が火を灯したのだろう。

 やっと芙は、何故、碩が明かりを灯さずに居たのか? という疑問を抱いた。監禁状態であるが、嵒は碩を不当に扱うような不義の男ではない。

 暫くの間、小さな亭に静寂、と云うよりは重苦しい沈黙が伸し掛かった。

 やがて、ぼそぼそとした話し声が漏れて来た。何方かと言えば、激昂している様子を見せているのは嵒の方であり、萎んだ声音をしているのが碩だった。


「陛下、私の非は此の通り、伏して御詫び申し上げます。何卒、何卒、食事をお取り下さい」

「今更、何を家臣ぶっておるか。私より王座を簒奪したあの日より、此の契国で陛下と呼ばれる身分の漢は只一人、其方しかおるまい」

「陛下、其れは違います! 此の契国の王者として相応しいのは陛下御一人に御座います!」

「ならば何故、私の言葉を受け入れなかった。私を排してまでして、私の望みを歪めようとした」

「陛下、何度も申し上げた筈です。陛下こそ、何故、私の言葉に耳を傾けようとして下さらぬのです。身分卑しき不届き者が弄する甘い言葉に、裾を広げるような夢の話なぞに惑わされ、一刻の王がまとも取り合ってなんとするのです」

「……何処までも、平行線だな。何時から私を理解してくれなくなってしまったのだ、叔父上」


「陛下、陛下こそ、どうして私こそが陛下の為に身を粉に出来る男であると解って下されぬのです、認めて下されぬのです」

「叔父上、貴方こそ、私を解ろうとして呉れぬではないか。私は真実、郡王に友情を感じているのだと、彼の理想の行く末を共に見てみたいと思っているのだと、心を尽くして訴えてきた。だが、言っても聞く耳持たずで流していたのは何処の誰だと云うのか」

「陛下、其れだけは受け入れられません。契国は郡王のものではない。契国を開きし王族の頂点に立つ御方の物。郡王に奪われるなど、私が赦せる筈が御座いません」

「……そうではない、そんな事を言っているのではない、叔父上」

「陛下、陛下が御手を広げられて治められる契国を見たいと、私がどれ程深く願っているのか。陛下は御存知であらせられる筈。陛下こそ、話しを逸して問題から目を背けておられる。どうか、心のまなこを開いて下さい」


 嵒の悲痛な哀願が、古い壁を震わせている。

 対して、碩は飽く迄も淡々としている。

 全てにおいて冷めている、と言うよりも諦めているような物哀しい色が含まれている。

 話の筋から、どうやら契国王・碩は何日も食事を断っていたらしい。軽率短慮な行いなど言語道断、と嵒が碩を詰り、彼らにとっては馴染んだ言い争いに発展したようだった。

 突然、何やら物が床に叩き付けられる音と激しく揉み合う音、そして野獣めいた唸り声と慟哭が綯い交ぜとなり亭を揺るがした。嵒が涙ながらに碩を押さえ付け、無理矢理、口に食事を流し込んでいるらしい。


 ――よくやる。

 芙は冷めた、と言うよりも冷え冷えとした心持ちで一連の芝居掛かった騒ぎを聞いていた。

 碩は嵒が思っているような、柔く軟弱な若者ではない。

 戰が強国の皇子であるからという理由のみで諂った訳でもなければ、真の甘言蜜語に流されているわけではない。

 本心から国を思えばこそ、革新的な技術を広めて往こうとする祭国と同盟するが後の世代の為となる、と決断した。

 己の意思で国の趨勢を決する力を持っていたのだ。


 ――頑迷固陋で依怙地なのは、貴様の方だろうに。

 自分の理想通りの王者の姿を見せぬから許せない。

 誰か黒幕がいるに違いない。

 正してやらねば、というのは余りにも子供じみている。

 忠臣は我のみとばかりに自分に酔っているような嵒を見ていると、何様のつもりだ、と伐あたりが履き捨てるだろうか? が、自分も其れに同意する。

 逆に、不毛過ぎる忠節を押し付けられるばかりの碩も哀れではあるが、此処まで来ると悲哀は消えてしまい、不思議と馬鹿にされているように思えてくる。領民たちが碩を悪く言わないのは、嵒が悪いと云うよりも彼を完全に御しきれぬ碩に呆れているのもあるに違いない。


 二刻ばかり、嵒と碩は不毛過ぎる堂々巡りの言い争いをしていた。

 その間に、嵒は碩に食事を摂らせたのだから、芙はまた嵒の底知らずの根気に感心する。

 やがて、げっそりとやつれた雰囲気を纏って、嵒がふらふらと亭から出て来た。

 屋内からは、碩の嗚咽が響いてくる。

 嵒の姿が完全に消えてしまってから、芙は亭の中へと溶け込むように入っていった。



 ★★★



 執務室に戻った嵒は、椅子に深く腰掛けた。自然と首が左右に振れ、溜息が漏れた。

「……何か、軽い物を御用意致しましょうか」

 伺いを立てる舎人を、嵒は腕を振って下がらせる。

 腹が減っているような気はするが、何かを口にする気力もない。

 武人として在るまじき姿ではあるが、取り繕うだけの力は残されていなかった。


 甥であり王である碩の憐憫を誘う余りにも哀れで情けない姿を思い出し、嵒は再び深い溜息を吐いた。

 幽閉後、当然ながら、生命を断つ道具となりそうな物は碩から遠ざけておいた。

 窓に格子を入れなかったのは、抜き取って喉を突かぬようにする為であるし、首を括れぬよう着物も帯をさせていない。

 また、見張りがあれば話し掛けて情に訴え脱出も可能となるだろうが、周辺には誰も近寄らせ無かったので其れも不可能だった。

 日がな一日、暗く裏寂れた狭い部屋の中で、ぽつり、と一人きり。

 話す相手もなく、相手になりそうな者と云えば、手水用の水と一日二回食事を運ぶ自分だけだった。

 置かれた状況が如何なる変換を遂げているのかも知らされずに、鬱屈とした思いを腹に抱えているのは確かに辛いものだ。


 だが、王城を離れた隙に食事を断つとは思いもしなかった。食事を運ぶように命じたは口が聞けない男を選んだ。碩に余計な吹聴が出来ぬように、であったのだが、碩は嵒が食事を運ばなくなって以後、全く手を付けなかったのだ。発覚しなかったのは、がこっそりと食べてしまっていたのだ。

 取っ組み合いの喧嘩など、何時以来だろうか。

 子供じみた喧嘩よりも、嵒は碩に拒絶された事の方が衝撃が強かった。

 頑冥不霊だからこそ、郡王に傾倒しているのかと思っていた。

 幽閉して、静かに考える時間が持てれば変わって呉れるのでは、という淡い期待があったのだ。

 しかし、碩は益々以て頑なになっていた。


「……まさか、其処まででとは……」

 信頼されている重鎮である自分に王座を追い落とされ、国が危機に晒されれば、目を覚ますと思っていた。そうなれば、自分は役目を果たしたも同然、討たれて消えれば契国は生まれ変われるのだと信じていた。

 だが郡王への信拠は、雑草が岩場すら砕いて深く食込むように、碩の心に根を張っていた。

 机の上に肘を置き組んだ手の上に額を乗せると、また、溜息が出る。溜息だけが無限に量産されていく。


 ――兎も角、兵部尚書だ。

 奴を何とかせねば。

 領民程度と手を組んだ処で、攻撃力が上がるようなものではないから、其処は心配は要らない。

 畏れるべきは、人の心の動きの方だ。

 あの後、領民たちの侵入を許したのであれば、どうなったかと想像するのは容易い事だ。

 多くの兵卒たちは、騙し討に近い形で徴兵された者ばかりだ。

 口車に乗せられて、あの騒ぎに合流するに決まっている。

 将兵たちも、指揮官だからといって安心は出来ない。

 何しろ、王である碩ですら郡王に心酔する事、盲の如しだ。

 彼らも相当数が絡め取られると見ておいた方が、いや、砦はもう駄目だと見捨てた方が早いだろう。


「早々に兵部尚書を討たねばならぬ」

 机の上に地図を広げた嵒は、小さな将棋の駒を手にした。

 兵部尚書が軍を置いている野営地、伏せ兵、そして伐たちのような寝返った領民たちの邑など、手元にある情報通りに駒を置いていく。

 彼らは徐々に包囲の手を伸ばし、そして此方の範囲をじりじりと狭めて来るだろう。

 先程の砦が良い例だ。だとすると、無抵抗の場合、王城まで彼らが迫る日数は最短で10日もあれば充分だろう。

 寧ろ、納めた租税を取り戻そうとする打ち壊しが各所で呼応すれば、下手をすれば半分以下の日数で此処に到達するに違いない。


「兵部尚書め、何時動く――いや、此方から仕掛け、出鼻を挫くか」

 領民同士の戦いには二の足を踏むだろうが、相手が禍国であれば弁舌を以て熱を伝えれば将兵たちも応えて呉れるだろう。

 もしも、もしも万が一の場合には紅河より船を出して碩を逃す。

 ――禍国の、兵部尚書の手になぞ、尊き陛下の玉体を触れさせてなるものか。

 嵒は立ち上がると、戸口の傍で控えている殿侍を呼び付けた。


「軍を集結させよ! 王都に迫り来る禍国軍を討つ!」

 深々と礼拝を捧げながら、はっ、と殿侍は緊張の面持ちで命令を受け取る。

「何の、禍国の兵部尚書如きの好きにさせてなるものか。契国に我ありと、何度此の世に生を受けようが忘れぬよう、恐怖と後悔を魂に刻み付けてくれよう」

 興奮が、嵒を発憤興起させていた。

 そして此の彼の熱に油を注ぐ一言が、倒けつ転びつしつつ現れた伝令により齎された。


「相国さま! 禍国軍が王都目指して迫って来ております!」



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