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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その8-1

22 屍山血河 8-1



「吾が家臣は些か血の気が多い。無礼は許して欲しい」

 謙って謝罪してはいるが、陽国王・來世の口調は明るい。悪かったという気は、微塵も持っていなさそうだ。

「数年ぶりに再会を果たした親子が、感情的にならずにおれ、と云う方がどだい無理な話というもの。気を悪くしないでやって欲しい」

 いや、と戰が表情を和ませて首を左右に振ると、灼は顎を跳ね上げて呵呵と笑った。

「血の気の多さで、わしが国に挑む国があろうとは思わなんだぞ」

 三国の王は、互いに朗らかに笑い合う。


 いい面の皮なのが、那国王だ。

 東夷の王と蔑まれている陽国。

 生口の国と卑しめられ続けた遼国。

 歴史ばかりが古いだけで、埃と錆が纏わり付いた黴臭く、吹けば飛ぶような弱小国と貶められている祭国。

 其々、平原から見れば箸にも棒にも掛からぬ国ばかりだ。

 しかし、那国はそんな些末な国々に負けたのだ、屈服したのだ。

 ――おのれ、見ておれよ。

 やっと、ごく、と喉を唾の塊が落ちて行く。

 敏は賤しい身に堕ちた己を嘆くふり・・をしながら、慎重に言葉で斬り掛かる瞬間を図り続ける決意を固める。

 ――この巫山戯た馴れ合いの空気をぶち壊して呉れよう。

 無慙無愧むざんむきの極悪凶猛な輩どもに其れに相応しき場を与えてやる、と敏は虎視眈々と機会を伺っていた。


「此度の戦の勝利の立役者たるは何者であるのかを、先ずは共通の認識として持たねばならないのだが」

 議題の核心を戰がずばりと口にすると、來世の背後で、うむ、と火矛氏が態とらしく勿体振って大きく頷いた。言外に、陽国こそは第一なりと宣してみせているのだ。

「其れだがな、郡王よ」

 前屈して膝の上に肘を置き、手の甲に顎を載せた灼が、面白そうにそんな陽国王主従をちらりと盗み見る。

 しかし、見世物宜しく盗み見られた火矛氏と細石氏は、面白い訳が無い。互いに鼻の穴を大きく開いて息を吐く。


「勲一等、功一番というのであれば、吾が大王おおきみさまを置いて他に誰がおるというのか。逆に聞いてみたいものじゃ」

 火矛氏が身を乗り出すと、然様、然様、と細石氏も膝を打たんばかりになって肩を怒らせる。

「吾が陽国の助太刀無くして那国王を虜と出来なんだ筈」

「那国王の大軍旗。あれを奪えたのは、吾が陽国が海を超えて来ればこそじゃ」

「其れに、じゃ、ほれ其処の、郡王の旗持役を担っておる男、紅河での戦にても大いに武辺を知らしめたというが、そもそも其奴は吾が大王さまが家臣が一人であるぞ」

「となれば、吾が陽国が最も讃えられ、益を得るべきが道理じゃ」

「どうじゃ、何ぞ文句でも有るか?」

「何とか言わぬか、吉次」

 老家臣が二人して、やいのやいのと唾を飛ばして言い立てる。爺どもは少し黙っておれ、と來世が珍しく強い口調で窘めた。


「済まぬ。吾が年若いが故に、皆、必要以上に庇い立てするのだ。話半分以下で聞き捨てて呉れてよい」

 大きく嘆息する來世を、老人二人は切なそうに見詰める。

 彼らにとっては何処までも、來世は『お小さい大王さま』のままなのだ。知らぬ間に、そして無自覚に、精神的には逆転してはいても、赤子の頃から掌の中で愛くしんできたのだから、相手が主君でなくとも情愛が深くなるのは当然だろう。


 しかし來世としてはもう、『己の政治』をしていかねばならない。

 此度の戦で『陽国』と名を平原に広めたは良い。

 が、王が未だに甘ちゃん・・・・で家臣らに小僧っ子扱いされているなどと侮られ、引っ掻き回せば国が揺らぐという認識を持たれては、以後の国政を大きく傾けかねない。

 先ずは家臣らにこそ、思い知らせねばならない。

 王は最早独り立ちしているのだと、正しい今の自分たちの姿を受け入れさせ、認めさせるのだ。

 だが老人たちはなかなかどうして手強く、頑迷な意識はそう簡単に改まってくれないのが頭痛の種だった。

 老いた重臣二人を無理矢理黙らせた來世は、もどかしさに寄っていた入墨が施された太い眉をキリリと釣り上げ顔を引き締める。

 來世と老家臣たちの遣り取りを、じっと見ていた灼は、口を開きかけた少年王に手を振った。


「成る程、確かにまずは陽国のように、互いの功績を並べ立ててみるのも一興、いや一つの手立てかもしれん。どう思う、郡王?」

 す、と目を細めて黒目を動かした灼に、戰も短く笑ってみせる。

「そうだな、一理あると思う」

 穏やかに答えた戰に、はっ、よう云うた、余裕ではないかよ、と灼はまた呵呵と笑う。

「だが、まあ、なんだ。此度の戦で最も役立たずであったのは、だとすると吾が国という事になるか」

 え? と來世が目を丸くする。


「そうであろう?」

 思わず齢相応の高い声で聞き返した來世に向かって、上体を起こして背筋を反らせながら脚を組んだ灼は、にやり、と不遜な笑みを口の端に刻んだ。



 ★★★



「紅河での戦いでは禍国の皇子を追い詰めておきながら取り逃がす失態を犯したのだからな。討ち取ったのは此処に在る郡王、而も、落ちて行く那国王妃が手にしておった那国御璽を得たのも郡王だが、軍旗を翻して駆け付けた陽国軍が在ればこそ、成し得たがな」

 ――国の根幹である御璽を、王である証を、郡王に奪われた、だとっ?

 思ってもいなかった王妃の名が出て、ぎょっとした敏は息を止めた。

 もっと云えば、王妃・緋南の存在をすっかり忘れ去っていた。心臓が爆裂して口から飛び出てきそうになる。


 紅河戦であの戯け者極まれリの廃皇子・乱は河国水軍の前に大敗を喫したのは知っている。

 其れだけであればまだ良い。

 郡王・戰が率いてきた祭国軍に渡河を許し、王都まで侵攻を許したのだ。

 落ち延びんとする王妃・緋南ひなが共に持って逃げるのは当然であるが、ならば御璽を奪われるのは更に自然過ぎる流れと言うものではないか?

 ――だと云うのに、何故、己の生命があればまだ立て直せるなどと思っていたのだろうか?

 王都は?

 王城はどうなったのか?

 攻め入られた時、王妃はどうしたのか?

 どういう行動に出たのか?

 ――まさか、生命と引き換えに玉璽を差し出し、郡王を新たな王として認めたのではあるまいな!?

 御璽による禅譲が成されたものであるならば……!

 敏の身体が、ぶるぶると震え出す。

 王妃などは、幾らでも挿げ替えが効く。

 だが王印による王の任命は簡単には覆らない。


 顳かみ辺りに添えた指で、とんとんと拍子を取っている灼は実に愉快そうだ。

 勝手に最悪の事態を想像し、勝手に取り乱して顔色を赤くしたり青くしたり黒くしたり、意気込んでみたり息を止めてみたりと忙しない那国王の姿は、最高の見世物だと言わんばかりだ。

 灼の悪趣味を察した燹が、陛下、と一言諌める。ちら、と上目遣いをしながら燹を見上げた灼は、さて、此処に転がっておる那国王だが、と云いつつ軽く肩を竦めた。

 言葉を失ったままの哀れな敏を横目にしつつ、灼は、ふん、と鼻を鳴らす。


「上陸してきた那国王を吾が相国・燹は取り逃がしおったが、陽国王の助太刀の御蔭でこうして虜に出来たのだしな」

 敏に対する嘲りの成分しか含まれていない。

 那国は平原各国から『東夷』と陰口を叩かれていたが、遼国はそんな彼らにすら『産まれながらにして卑賤なる生口どもの寄り集まりの穢れた者ども』、と明白あからさまに貶められてきた。

 那国の支配者層にすれば、自分たちよりもより大きく劣る者が在る、国として人して認めても貰えぬうからというのは国内に澱む不平不満からは目を逸らさせるのに打って付けだったのは分かる。

 為政者にとり、『自分たちはまだまし・・』と思わせる事が出来る存在とは利用価値があり過ぎる。王となった今は分かる。

 分かるが、だからと言って赦せるかどうかは別問題だ。

 いや、寧ろ赦してなどどうして出来ようか、というのが灼の偽らざる気持ちであり遼国の領民の総意でもある。


「確かに、灼殿の云う通りだ。言われてみれば、來世殿の力無くして、私も灼殿も勝利の味を噛み締められずにいたな」

 灼に終始持ち上げられた上に常に穏やかな笑みを絶やさない戰に釣られて、顰面をしていた火矛氏と細石氏ももぞもぞと身体を揺すり合いの互いに顔色を探り合いのしながら、微妙な笑みを浮かべてみせる。

 陽国の老家臣たちの態度が軟化したのを、戰は見逃さなかった。


「そこで、だ、陽国王」

「――は?」

「提案があるのだが」

 不意討ちを喰らい返答もまともに出来ない來世に向かい、人の良い笑みを消し去った戰が口調を変えた。



 ★★★



「此度の戦の等一位は陽国だ。此れは疑いようもなく動かしようもない事実だが」


 まさか戰が遜るとは思っていなかった火矛氏と細石氏が、真意を測りかねて焦った表情で顔を見合わせる。

 此方は確かに国王と共に大軍旗を手に入れてはいるが、彼は御璽を手に入れている。

 御璽と国旗とを比べた場合、何方に重きを置くかなどわらしでも知っている道理だ。

 此の場で事ある毎に祭国と禍国に有利に働くよう横槍を入れて当然だというのに、彼は今まで清水のような穏やかさで此方の思惑を跳ね返すばかりで内面を見せようとしていない。


「ふん、そのように陛下を持ち上げておきながら、実は腹の中で御国が最も欲を張る御積りなのであられよう?」

 そうはさせぬぞ、と二人の老家臣は少年王の左右をがっちりと守り、ぎらぎらとしたで睨んで来る。

 遠慮会釈の無さも此処まで腹を据えて極めてくると、いっそ清々しい。

 堪えきれなくなったのか、ふっ、と戰が吹き出した。意固地な老家臣を見ていると、数年後には真の父である兵部尚書・優もこうなるのかもしれない、という気持ちがわき怒りよりも苦笑いしか出てこない。

 が、戰の背後で吉次は渋面を作っている。気合馬鹿の老人の空回りは見ていて痛々しいものがあるが、其れが父親であれば更に痛みは倍増するのは当然だった。


「話しは最後まで聞いて欲しいな」

 声音を落ち着いたものに戻した戰は、つまり、だ、と目尻を下げた。

「つまり、陽国王から何を望み、何を得たいかを宣していくのが良いと思う、と言いたいのだよ」

「な、なんと!?」

「陽国王、吾、郡王、の順で那国を分割してよい、と云う提案をしたい、という事かよ?」

 にや、と口元を歪める灼に、そう云う事だ、と戰は笑みを作る。

 こうなると、火矛氏と細石氏はもう思考が追い付かない。ぽかん、と口を開けて間抜け面を晒すばかりだ。

 頑迷固陋さ故に固まった老人たちを余所に、では、遠慮無く、と來世は軽く咳払いした。


「吾の望みは単純明快にして一つだ。即ち、那国が此れまで所有していた海上の道を吾が陽国のものとしたい」

 ほう? と灼は相槌を打ちながら脚を組んだ。

「吾は吾の国だけで生き延びて行けると自惚れてもおらぬ。其れ故に、大陸との関わりをきるつもりはない。だからこそ海上の道の主導権、河国には譲れぬ」

 生き延びられぬ、か、と灼は咀嚼するように來世の言葉を繰り返した。

 河国、いや遼国も、自国だけでは戦えないとしっているからこそ、何かが腑に落ちたらしい。


「陽国王よ。ならばいっその事、此の大陸に新たな国土を得て新天地に楽土を求めようとは思わぬのかよ?」

 茶化すように問う灼に、來世はにっこりと笑って首を左右に振る。

「今は良いでしょう。浮かれ気分で多くの土地を吾が国のものとした、と喜んでもいられる」

 しかし、と続けた來世は、此処で声の高さを一段落とした。

 人差し指を立てると、ゆらゆらと揺らす。陽国と大陸の間の往来を指しているらしい。


「海を跨いで2つの国を往来して治めるなど、吾の力量では無理だ。荷が勝ち過ぎる」

 底抜けの笑顔で、來世は断言した。



 ★★★



 規模が大きくなれば、他国の目を付けられる。

 況してや、新興国となれば尚更であり、陽国は元々侮られている。

 大陸にて戦を仕掛けられた場合、どうするというのか?

 陽国本土から援軍を送る間に新たに得た領土は消し炭となっている率の方が高い。

 そもそも、駆け付ける途中の海で藻屑となる場合もある。


「それに」

「それに?」

「大陸に国を得てそちらが栄えたとて、吾らの根幹が朽ちては意味がない」

 ふむ、と頷きながら灼は顎に手を当て、頬を引き締めた。

 來世の言い分の正しさを認めたのだ。

 仮に大陸で陽国が発展できたとなれば、よりよい暮らしを求めて陽国本土から多くの民が移住するだろう。

 そうなれば、島国である陽国は一気に衰退する恐れがある。


「吾は陽国を愛している。吾が国の土と風と水と食べ物、女子供を愛している。国を豊かにする筈のものが国を逼迫し危うくするのでは、本末転倒」

 來世は腕を差し出して手の平を戰と灼にひらひらと振ってみせた。

「吾は、そんなもの・・なら要らぬ。吾は此の手に抱えきれぬと知っておりながら多くをのぞみ、多くにのぞむような愚を犯した王として、末代にまで名を残したくない」

「そうかよ」

 灼にしては珍しく言葉に棘がない。

 其れ処か、労るというか犒うような表情をして見せてまでいる。

 少年の身ながら国を支えている來世に、父王を亡くして20年近く、大国に挟まれながらも国の舵取りを行ってきた自分を重ねて、何と無く思う処があるようだった。


「しかしな、陽国王よ。陽国が主導して交易を続けるのであれば、だが、寄港地は貴国が有し、管理すべきであると思うが?」

「……其れは」

 戰の問いに、來世は初めて言い淀んだ。

 出来ればそうしたいのは、來世とてやまやま・・・・だ。

 我が物で海を制したとて、寄り添える港があってこそ生きる。

 しかし、と來世は顔を顰めた。良い案が浮かばない、と伏せた少年の額には及ばぬ悔しさが滲んでいる。

 其処に、戰が助け舟を出した。


「那国が海洋に乗り出す港を有した県を陽国領とし、県を都府として昇格させ、太守の任に足る人物を配せば良いのではないか?」

「――え?」

「太守には吉次が最も適任であると思う」

 戰の提案に、來世が思わず顔を上げた。

 振り返った戰は、吉次、と声を掛けながら立ち上がった。

 祭国の国旗を手にしたまま、は、と吉次は礼の姿勢を取り、真摯に答える。


「祭国郡王・戰として命じる。鉄師まがねし・吉次よ、都督府・那の太守とし、海上鎮護と河国に於ける交易と鉄器産出の管理を任するものとする」

「有り難き幸せに御座います。郡王陛下から仰せ付かりました都督府太守の任、謹んで拝命致します」

 にやにやしながら真面目くさった戰と吉次の遣り取りを聞いていた灼は、膝を打って笑い出した。

「良き案だ。流石に郡王だな、相変わらず面白い考え方をするものよ。吉次は陽国の出であり、郡王に仕え、そして今はわしが国の者を娶って河国に暮らしておる。どうだ? そう思わんかよ、相国よ?」

 背後を見上げるようにして問い掛ける未だにやんちゃ・・・・坊主・・気質が抜けぬ王に、前屈みになりながら、はい、と燹は生真面目に答える。


「はい、実に面白き妙案に御座います」

「面白くなんぞあるか!」

 全身を怒りで赤くした火矛氏が、とうとう我を忘れて一歩踏み出した。

「もう我慢ならんわ! 郡王陛下、勘違い召されるな! 其処な男、吉次は吾が息子、陽国が大王さまに仕えし火矛氏族が大人となるべき者じゃ! 勝手に祭国の家臣扱いなんぞするでない!」

「控えよ、爺!」

 激情に駆られて逆上気味に叫ぶ火矛氏を、來世が戰と灼の面前でありながら怒鳴り付けた。

 途端に、赤い顔を真っ白にさせて火矛氏は口の端に泡を吹いて黙り込む。


「お……お、大王さま……」

「下がれ。此の場を何と心得ておるか」

 朱い入墨が施してある眼尻を、キッ、と釣り上げた來世は、火矛氏の反駁を一言で封じてみせた。

「それに、まだ分からぬか。吉次は最早、吾という島国に縛られた男ではない。祭国という王に旭を見出して己の意思で仕えておるのだ」

 來世は、ちら、と吉次に視線を走らせる。が、其れだけだった。

 火矛氏が急速に身体から張りを無くして、へなへなと腰が砕けたかのように座り込み、項垂れたかと思うや、床に突っ伏して、おうおうと非れもなく声を張り上げて号泣しだしたからだ。


 老臣の肩を撫でながら、來世は安慰の言葉を掛け続ける。

「爺、喜んでやれ。其方の息子は、狭い氏族に収まっておられるような男ではなくなったのだ。嘆くより、誇るがいい」



 ★★★



 老臣の慰撫を続ける來世の前で、灼は脚を組み直した。

「では、陽国は海の路と都督府を望むという事にしよう。次は吾が国だ」


 鼎の中心に居ながら、すっかり忘れ去られた存在である那国王を、灼はちらりと見やった。

「吾が望むのも一つだ。河国ではなく、此れより以後は遼国を名乗りたい。ついては、宗主国である禍国への執り成しを郡王に頼みたい」

 いいだろう、と戰が頷く。


「とは云うものの、吾には全く策が思い浮かばのだがな。何か良き案があるか?」

 大それた希望を口にしておきながら、策は無い、とあっさり言い切る灼に苦笑いしつつ、そうだな、と戰は顎に手を当てた。

「禍国に対して国名を変える以上の二心無し、と信じさせる朝貢を行えば良いだろうが……現皇帝・建は私と同盟の意を現した貴殿を決して信じまい」

「ほ! ならばどうすると云うのかよ?」

「疑いが本物であると信じさせてやるほうが手っ取り早いだろう」

 ほう? と首を捻りながら灼は戰に先を促す。

「どうせよ、と云うのかよ?」

「那国領を併合するといい。其の上で、私の名で御璽と国旗、そして那国王を禍国に送れば良かろう」

 戰以外の全員の息が止まる音がした。


 戰は早速、杢が丁寧に差し出した木簡と筆を手にすると、何やら認めている。書き付けを終えた木簡を燹が珍妙な顔付きで受け取ると、灼は腹を据えて笑い転げた。

「なかなか用意が良いことではないかよ、郡王」

 御璽と国旗と王を贈れば、禍国皇帝からの勅を戰も灼も見事に果たした事になる。

 だが禍国は信じまい。

 頭から信じぬのであれば、戦勝で手に入れた那国領に州令や国守を送って来る前に、遼国王として認めねば明け渡さじと宣言してやればよい。

 其処で改めて遼国との戦を選ぶのか。

 其れとも名乗りを聞き入れ赦すのか。

 戦となれば頼るのは、戰以外に勝利を得る将は今の禍国にはおらず、名乗りを受け入れるとなれば其の御使の役目を担えるのは、やはり戰を置いて他にない。

 決めるのは禍国皇帝・建の役目であり、灼はのんびりと構えておればよい、という訳だ。


「面白い、実に面白いとは思わんかよ、なあ、相国よ」

 膝を打ちながら大笑している灼の背から、はい、と燹ももそもそと身体を揺すりつつ答えつつ笑っている。

 いや燹だけでなく、來世も堪えきれずに身を揉んで笑っている。

 暫く、場違いな笑い声が響いていたが、やがて、静かになった。

 書付を燹から奪った灼は、其の先を戰に突き出す。そして表情を引き締めた來世と灼が、同時に口を開いた。


「では、最後になったが郡王よ」

「貴殿の望みは何であるかよ?」

 二人の王に同時に見詰められた戰は、にこ、と笑ってみせた。


 ★★★



「察して呉れているとは思うが、私は此の会談が終わり次第、契国へと向かわねばならない――兵部尚書を助けてやりたいのだ」

 灼と來世は答えない。

 ただ、爽やかな5月の薫風のような戰の笑顔に魅せられながら、耳を傾ける。


「私には時間が無い。済まぬが、得た戦果を分け合うような瑣末な事にこがねよりも貴重な時間を割いてはいられないのだ。よって、私が最も望むのは」

「望むものは? ――何であるかよ?」

「今、此の場よりいとまを得る事だ」

 親子ほど年の離れている灼と來世は、ぷっ、と同時に吹き出した。


「そうか」

「そうかよ」

 声が重なったのを互いに目配せで揶揄しあいながら、また、二人して立ち上がる。

「では、後は吾らに任せられ、急がれよ」

「とっとと行くがいい、郡王」


 恩に着る、と戰は頭を下げると、くるりと背を向けて戸に向かい歩きだす。

 杢と吉次は静かに礼拝を捧げた後、戰に従う。

 祭国の主従は、陽国の少年王と遼国のほのおの王を残し、王の間を後にした。



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