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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その7-4

22 屍山血河 その7-4



 那国軍は進路変更を行った。

 果たして、陽国軍は喰らいつかんとばかりに速度を上げて追い縋って来た。しかし、進行方向を変えるのに未だに不慣れであるのか、ほぼ直進に近い。那国軍の舷に舳先を突っ込ませる形で船を進めてくる。

 此れには、船に慣れぬ敏も陽国軍の滑稽さに吹き出した。


「ふっ……ふっはっは、見よ! 見てみよ! 陽国の奴らめ。己の愚かさを噛み締めながら海の藻屑と成り果てるがよいわ」

 ――策もへったくれもなく、ただ、敵と定めた相手を討たんと追うばかりとは。

 そう云えば、陽国王は少年だとか云うておったか。

 経験の少ない小童ならでは、だな。

 その場の勢いだけで動く考え無しの小僧の行動に付き合わされて、国の根幹を危うくするとは。

 全く、此れでは陽国の家臣どもも嘆かずにはおられまい。


 口角を持ち上げて不敵な笑いを刻む敏の耳に、右手側から異様な轟きが響いてきた。

 瞬間、どくり、身体中のと血流が大海の潮のように音を立てて渦を巻いた。耳朶を打つ此のどよめきは不吉である、と本能が告げて来る。どくり、どくり、と血が渦となって体内で暴れる。

 出来るなら目を背けていたい、というのに視線はずるずると音の方へと向いていく。

「陛下! あ、あれを御覧下さい!」

 引き攣った悲鳴が上がる。兵たちが悲鳴の先に見入っている。

 其処には、新たな船団が姿を現していた。

 陽国の其れよりも一回り大きく、そして特徴的な編まれ方をした房で縁取られている軍旗が、翻っている。

 そう。

 堂々と風に踊る軍旗の中央には、猩々緋の色で『遼』の文字が浮かび上がっていた。



「遼国、だとおっ……!?」

 顳かみに浮かんだ太い血管がびくびくと痙攣を起こして、鈍い痛みを発している。

 河国王・灼は、いや最早、遼国王・灼と云うべきだろうか。

 彼は3年前の河国との戦で、郡王・戰と共闘を図る程、ちかしい間柄だ。

 あの戦では禍国皇子として戦った戰に味方して大いに暴れ自国を取り戻した灼であるが、此度の戦で祭国郡王・戰と同じ立場、そう、宗主国に仕えているという身分で戦場に在る。

 灼が此の時宜に、戦場で宗主国からの押し付けの国名を名乗らなくなった意義は大きい。

 宗主国より与えられた『河国』の名ではなく、遼国の軍旗を使用した。

 つまり禍国の命令により此の戦場にいるのではない、との意思表示であり、遼国王として自らの意思で那国を討ちに来た、と宣言したのだ。

 那国を討ち果たした後、禍国の支配下から脱するのだと決意表明したのだ。


「陛下! こ、此のままでは挟み撃ちにされます!」

「た、戯けがっ! そんな事は、一々口に出されずとも分かっておるわ!」

 怒鳴り散らしながらも、敏は此の先をどうすべきであるのか、必死になって考えていた。

 陽国軍は、進路を変えずに只管、愚直に左舷側を目指して直進してくる。

 そして紅河の河口から姿を現した遼国軍も、迷いなくに那国軍の右舷側に突き進んで来る。

 物を知らぬ小童でも、逃げ場のない挟み撃ちにされるのだと震え上がる構図が出来上がりつつある。

 しかし水上戦に於いて、敵側に舷全体を見せていると云う事は、攻撃力を最大限に発揮できる道理でもある。

 而も此方は、先程の上陸で、どの兵器を武器を下ろし、失ってしまっている。抵抗しようにも、攻める手立てがない。

 どうせよと云うのか。

 今の那国軍は、翼を捥がれた鳳であり、鱗を尽く剥がされた蛟龍であり、四肢の腱を全て切られた麒麟だった。


 ――打開策などあるか!

 何をどうしてどう戦えというのだ!

 此の間にも、陽国軍と遼国軍はぐんぐんと間合いを詰めて来る。敵兵の表情すら手に取るように分かる距離にまで迫られている。


 敏は、王としての矜持を支えている何かが、生木を圧し折る時に似た、ごちごちと内側から響いてくるような不気味な音をたてて凹んでいくのを感じていた。



 ★★★



 吉次と芙の目の前で、那国水軍の脚が速度を急激に上げだした。

 陣形を変形させるつもりであるらしい。


「ほう? やっと、潮の渦に此方を巻き込む策では埒が明かぬと悟ったものらしいな?」

 呆れ果てた声で吉次が零すと、背後で河国の将兵たちが唱和するように笑い声を上げる。

 果たして彼らの眼前では、那国軍が防戦に適した円形陣を布くべく大きく展開し始めていた。

 円形陣は文字通り、中央に国王や大将が乗り込んだ楼船を配置して周辺にまんべんなく弧を描く形で船を配置する陣形だ。どの方角から敵に攻め入られたとしても即座に対応し、撃退できる陣形であり水上戦においては最も四種使用される策の一つである。

 那国軍は円形陣を正しく展開した。中央に那国王が乗り込む楼船を据え周辺に防盾代わりにと巨大な運搬船を侍らし、其れを囲んで護衛船や闘艦を配すうよう海上を蠕いている。

 敵ながらよくぞやる、と云うよりは、那国としては此れ以外に可能性に掛けられる策はない。

 であるからだろうか、那国軍の再編成の動きは目を見張る速度だった。流石に海上を制していると自負しているだけの事はあるか、と吉次は呟いた。


「吉次殿。何時でも陽国軍の動きに合わせられるようになった。命令を出して呉れ」

 那国軍の向こう、陽国軍と同時に図ろうと海上を睨み続ける吉次の背後から、芙が声を掛ける。

 大きく円を描ききった那国軍の向こうには、陽国の旗が波濤もかくやとばかりに翻っている。今、ほぼ同一線上に陽国と遼国が在る。

 頷き返しながら、吉次は右腕を上げた。

「軍を4つに分ける! 整い次第、右旋回を始めよ!」

「おおっ!」

 吉次の掛け声と共に、遼国軍旗が海の青と空の雲間に、一際眩しく踊った。



「ほっほぉ? 大王おおきみさま、ようやっと吉次の奴めが動きましたぞ?」

 舳先に腕を組んで立っていた陽国王・來世こよは、がちゃがちゃと鎧が擦れ合う音を立てながら小童こわっぱのように小躍りしている吉次の父・火矛氏ひぼこのうじをちらりと横目にして苦笑した。

「爺、爺、少し落ち着け。そうも暴れて海に落ちてもは助けてやれぬぞ?」

「はっはは、何を仰る! 此のじじ、老いたりと云えどもまだまだ倅には負けませぬぞ!」

 ふんぬ、と火矛氏が熱い鼻息を吐くと、今回の大渦超えで最もへっぴり腰で船底に牡蠣のようにへばり付くのがやっとだったと言うに、と其処彼処で爆笑が上がった。忿怒に顔を赤くして腕を振り回し出した火矛氏を、止めておけ、爺よ、と來世も苦笑しつつ止める。


「爺よ、元気なのは結構な事だが、うかうかしておると、吉次に手柄の全てを持って行かれるぞ? 倅に遅れ・・を取っても良いのか?」

「ふぬ、其れは困りますな」

 ぴた、と真顔になった火矛氏は、ぐるぐると腕を回し出した。彼なりの気合の入れ方らしい。

「さあ、さあ、大王さま。那国軍に目にもの言わせてやりましょうぞ!」

「爺は元気だな。何時になったら隠居するのやら」

 くっく、と喉を鳴らして笑いながら、まるで悪童期に戻ってしまったかのように興奮しきりの火矛氏の背中を來世は思い切り叩いた。

「行くぞ、皆の衆! 吉次からの策の通りに動くぞ! 初めての海の上だとて畏れるな!」

「我らには、海の神を崇め奉る海幸氏もついておるぞお! 遅れを取るでないぞ!」

 火矛氏が檄を飛ばすと、負けじ、と細石氏も両腕を天に突き上げて調子を合わせて叫ぶ。苦笑半分、興奮半分の成分を持った笑い声が、陽国軍を包み込む。


 陽国軍も遼国軍も、単純明快な縦の陣で那国軍に立ち向かう。

 然し遼国軍は兎も角、陽国軍は初めての大航海で、あの凄まじい大渦を乗り越えて来たのだ。そんな彼らが、初陣で此処までの動きを見せているのは実に特筆すべきであり、大称賛に値するだろう。

「良いか! 倅が率いておる遼国軍と攻撃を仕掛ける調子を合わせるのだぞ!」

 火矛氏は弓を手にしながら、顔を真っ赤にして叫んでいる。

 年甲斐も無く張り切り過ぎている姿は、來世こよの心配が的中しそうで周囲は苦笑しつつもはらはらし通しだ。

「こら、爺。年を考えよ。いい加減にしておかぬと、腰が抜けても知らぬぞ?」

 曾孫ひまごに近い年齢の來世に親のように窘められても、火矛氏は逆に火が点いたとばかりに呵々大笑して、どん! と威勢良く胸を叩く。

「何の、何の、これしき! 恐れ乍ら大王さまにも、まだまだ負けは致しませぬぞ!」

 もう何を言っても耳に届かない火矛氏には、苦笑以外出てこない。くすり、と笑いつつ、來世は剣を抜き放った。そして、翻る那国の大国旗に、ぴたり、と狙いを定める。

「よし! 我が陽国も軍を4編成にせよ! 定まり次第、左に旋回を始めるぞ!」

「おおっ!!」



 遼国軍と同じく、軍を4つに分けた陽国軍の先頭にある一軍が進路を変えだした。

 ぴた、と芙が指を差す。

「動いた」

 確かに、此方の動きに呼応して左旋回を始めている。

 遼国軍は右、陽国軍は左、つまり那国軍を挟み撃ちにしている二国の水軍は海流へと舳先を向ける形で、海上で大きく円を描き出したのだ。

「床弩隊、前へ! 弓隊! 各隊長の指示に従い用意せよ!」

 吉次の命令を受けて床弩隊が全面に押し出され、彼らを守るようにして弓隊がぐるりと矢を番えて構える。

 床弩とは弩弓を単純に大型化し、更に威力を増すよう工夫されたものだ。

 『床』の文字から分かるように、完全に据え置き型の武器である。そして飛ばすのは矢ではなく、なんと子供の腹周り程もある丸太杭である。弦は太綱で作られており、丸太杭をも矢として使用可能にするのだ。本来ならば、攻城戦の場合に威力を発揮する武器であり、一般的に城壁に向けて発射して打ち込む。城壁に突き立った丸太は足掛かりとなり、城内への侵入を可能にするからだ。


「いいか! 床弩で撃ってよいのは闘艦及び戦闘能力を有している軍船のみだ!」

「分かっております! 御任せ下さい!」

 しかし今回、床弩を飛ばすのは船腹に風穴を開ける為だ。

 而も、狙う船は定められている。

 正確に狙いを定めねばならない。

 ぎりぎりと音を立てて、太い綱がまかれていく。

 屈強な男たちが4人掛かりでも、肩で息をせねばならぬほど強力な綱が撒かれていく。

 ビィン、ビチビチ、ビリビリ、と落雷直前の金切り音が聞こえてきそうになるまで、綱が張り詰められる。


「放てー!」

「よおっしゃー!」

 吉次の命令と共に、床弩から丸太が飛ぶ。

 丸太は、獲物を発見して急降下する隼のように、那国軍を目掛けて飛んだ。



 ★★★



 巨大な丸太は、猛禽の爪のように那国の闘艦に突き立った。

 人力でどうにかなるものでもあるまいに、それでも丸太を抜こうと兵たちがわらわらと集まりだす。

 しかし那国軍の無防備な背中目掛けて、矢が遼国軍側からも陽国軍側からも放たれた。

 待っていました、と舌舐めずしながら猛獣たちが餌に飛び掛かるように、容赦なく矢は飛び交う。

 挟み撃ちあった兵士たちは、生きながらにして矢衾となった。


「うぎゃああああ!」

「ひぃぃぃ、お、お助けっ!」

「ぎゃああああ!」

 兵たちは、ある者は断末魔の悲鳴を上げながら甲板を転げ回り、ある者は血反吐を吐いて細工糸が切れた人形のように崩折れ、またある者は連射で打たれた衝撃に耐えきれず、姿勢を崩して海に落ちていく。

 皆、共通しているのは、遼国軍と陽国軍への呪詛の言葉と、そして那国王・敏への恨み辛みを吐いて死んでいく事だった。

 那国王・敏は、楼船の最上階から、まるで切り餅を引き千切るかのように自軍の残存兵の生命が抉り取られていく様をぶるぶると震えながら見ているしか無かった。


「陛下! 陛下! どうか、どうか御下知を!」

「陛下! 我らを助ける策をお授け下さい! 」

「陛下、何卒、何卒!」

 楼船に向け、那国兵が叫んでいる。

 血を吐き、臓物をぶちまけ、脳天を貫かれ、身悶えしながら叫んでいる。

 だが、敏は応えてやる術を持たない。

 ――いや、私でなくとも、誰がこの事態を打開する策など思い付くというのだ!

 郡王・戰め!

 何という怖ろしい策を!

 奴は慈悲という言葉を知らぬのか!


 円形陣を布いた那国軍に対して、旋回航行を行って挟み込んできた遼国軍と陽国軍は、上から見ると瓢箪のような形の陣形となっている。

 先頭の一軍が強烈な一撃をみせると共に退き、退いた後にはまた次の一軍が姿を現して攻撃を仕掛けてくる。

 退いた一軍は旋回中に態勢と整え、次の攻撃に備えている。

 こうして先頭に来る二国の軍は、敵からの反撃を受ける事もなく、最高の状態で那国に攻撃出来るという訳だ。

 攻撃されている那国軍こそ、いい面の皮だ。

 既にもう、全くの無抵抗となっている。なけなしの護衛艦である闘艦には次々と丸太杭が打ち込まれ、海に沈められていく。

 巨大な船が沈むと、自然、渦が生じる。投げ出されながらも必死になって味方の船に泳ぎ着こうとしている那国兵の脚に渦は獰猛に喰らい付き、海の底に沈めに掛かる。兵たちの喉からあがる悲鳴は、発情した海鳥らの喧しい鳴き声に似て耳を打ちつつ潮風と共に渦に飲まれて、やがて消え、そして別の新たな悲鳴がまた渦に捕らわれて行く。

 うんざりするほど、哀れな光景だ。

 が、此れの繰り返しだった。


 遼国軍と那国軍は、しかし攻撃の手を弛めなどしない。

 まるで松の木の皮をぼろぼろと剥ぐ・・ように、闘艦は一隻、また一隻と沈没させられていく。

 速度を上げるでもなく、弓の威力を増すでなく、ただ淡々と眼前の敵を倒す事のみに神経を集中させている。しかし攻撃は執拗で容赦の欠片もない。繰り返し繰り返し、悪逆非道とすら思える攻撃をし続ける。

 一つが攻撃を仕掛けている間に、攻撃態勢を整え直して休息を得る事すら可能なのだ。那国は常に攻撃に晒されて神経と魂を絶望に擦り減らして居ると云うのに、彼らには余裕を生み出す余地すらあるのだ。

 まさに『狩り』に近かった。


 とうとう残ったのは、船を動かす為に搭乗している水夫と僅かな兵のみの運搬船と、大将船である楼船のみとなった。

 闘艦を失った今、愚鈍な動きしか出来ず、武器といえば全て河国の海岸線に置いて来てしまい、まともな攻防戦用の武器など残されていない運搬船しか、楼船を守る船がない。

 何程の事が出来るのか。

 抵抗するも虚しいばかり、赤子の手を捻るよりも容易く海の底に沈められる事だろう、と那国兵は青くなる。恐ろしさから逃れる為に、悲鳴を上げつつ海に飛び込むものすら出始めた。

 自軍の醜態を見ながら、敏は知らぬ間に、両の頬が恐怖の涙で濡らしていた。

 歯を噛み締めて耐えたいのだが、根が合わない。


 ――どうする!?

 何処へどうやって逃げればよい!?

 どうすれば助かる!?

 敏は天を仰ぐと、喰われる直前の野兎のような悲鳴を迸らせた。



 ★★★



 ビチッ、バチッ、と鞭打つような音が床弩から上がりだした。

 正確には、弓を引く為の大綱からだ。

 先頭に立って仲間に指示を与えつつ弓を射ていた吉次が振り返ると、芙が軽く目を伏せて首を振った。


「限界だ」

 その間も、ビリッ、ビリッ、と家鳴り宛らに大綱は唸り続ける。そう、大綱は切れかかっているのだ。

「他の船のものも、今回の攻撃を終えるまでは保ったとしても、切れるのは何れ時間の問題だろう」

 そうか……、と答えつつも、吉次の顔ばせには口惜しさはない。

「闘艦をほぼ全滅させるまで、寧ろ、よく持って呉れたものだ」

 愛情深い視線を床弩に向ける。

 綱を巻いていた兵士や丸太杭を放つまで管理している兵士たちは、まだまだ撃てる、という不満を漏らしそうになっていたのだが、吉次の表情から自然に引き下がった。まがね師である吉次は、河国と遼国の隔てなく、技術職の兵にも絶えず気を配り敬意を払っていた。

 床弩隊の面々は、威力を増そう、と限界を超えるような無茶な巻き方で余計な負荷を掛け続けた上に、連射まで行ったのだ。期待に綱が耐えきれず、切れてしまったとしても其れは当然だった。

 それに元々、床弩に使われている綱は湿気に弱く、切れやすい。紅河での乱との戦の折に、床弩を使えなかったのはその為だ。使用回数が限られていては、此処ぞ、という場面でしか迂闊に戦に投入出来ない。


「よし! では那国船に乗り込むぞ! 梯子と縄の用意を!」

 吉次の命令が飛ぶのを待ち構えていたのだろう、おう! という返事と共に兵たちが鉤縄や梯子を手に現れた。一瞬、目を丸くした吉次だったが、ふ、と短く笑みを浮かべた。

「よぉし――掛かれ!」

 吉次の腕が撓る。うおおっ! という咆哮と共に、遼国軍が那国の運搬船を捉えんと動き出した。



「ほっほう!?」

 顎髭を汗でじっとりと湿らせた火矛氏が、まるで大酒に酔ったかのような赤ら顔で叫んだ。

「大王さま! 大王さま! 倅どもの軍が動き出しましたぞ!」

 火矛氏の言った通りだ。

 遼国軍が、また、陣形を変形させるべく動き始めていた。

 円形陣が崩れた那国軍を、今度は大きく輪になり取り囲むよう、船を進めている。

 対して、那国軍の狼狽ぶりはいっそ憐れみを誘う程だった。

 愉快愉快、と大口を開けて火矛氏は大笑する。


「爺、笑っておる場合ではなかろう」

「釣られて笑っておられる陛下に言われましても、説得力は皆無ですな」

 來世が火矛氏を茶化すと、その來世を痘痕顔の細石さざれの氏が誂う。どっ! と陽国軍の船上が、明るい笑い声で湧く。

「さて、腹を揺すってばかりもいられぬ。あの時陽国の動きは鈍かった、なぞと吉次に文句を言われるのは業腹だからな。吾らも動くとするぞ、爺」

「承知仕りまして御座いますぞ! 皆の衆よ! 遼国軍なんぞに負けてはおられんぞ! そうとも、倅なんぞに遅れを取ってたまるか! 勝つのは儂らが先だ! 急がんかい、こら!」

 火矛氏の激は、命令ではなく、もう殆ど親子喧嘩の其れ近い。五月蝿いばかりに本心を零す火矛氏の命令に、陽国軍は笑いを噛み殺しながら従った。



 ★★★



 南側半分に遼国の4軍が、北側半分には陽国の4軍が、那国を中心に置いてぐるりと円を描いて包囲した陣形が完成した。

 此れで八方からの一斉攻撃が可能になる。

 殿しんがりに全てを委ねての敗走など不可能な海上戦に於いて、円形包囲陣を敵に許した時点で那国軍の命運は既に定まった、と言えるだろう。

 後はもう、実行に移すのみだ。


「攻撃開始!」

「掛かれぇ!」

 遼国軍からは吉次が、陽国軍からは火矛氏が発した号令が、風に乗って敏の耳にも届く。

 那国兵にとっては死の宣告に等しい、世にも怖ろしい命令が下ったのだ。

 那国軍から絶望の悲鳴が発せられるのとほぼ同時に、舳先を真っ直ぐに中央に向けて両軍は中央を目掛けて攻撃を開始した。

 殆ど無傷の遼国軍と陽国軍に迫られて、那国王・敏は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

 あわ、あわ、と唇が言葉にならぬ声を漏らして戦慄く。


 ――どうにかして生き延びねば!

 脱出せねば!

 今は殆ど空の運搬船が盾になっている間に、妙案を思い付けなければ死は確定となる。

 ――そんな事になってたまるか!

 し、死んでたまるものか!

 私を誰だと心得ておる!

 王だぞ!?

 那国王・敏であるぞ!?


 だがどれだけ吠えようが、所詮は負け犬の遠吠えでしかなかった。

 那国の運搬船は、其れこそ疾風に充てられたかのように、瞬く間に遼国軍と陽国軍からの侵入を許した。

 侵入を許した時点で、船の乗組員たちは抵抗する気など失せており、申し訳程度に剣や弓で応戦する素振りすらみせず、彼らに船を明け渡してしまっていた。


 軍旗が掲げられている柱が斧や鉈の一撃を受ける度に、カーン! カーン! と甲高い槌音に似た音を放つ。

 柱が倒れると、船を手に入れた遼国と那国の双方から歓声が上がる。

 瀑布の轟きのような歓声に気圧されて、次の船は更に容易に軍旗が上がる柱を明け渡していく。


 何百という兵馬は乗船可能な運搬船が、ほとんど無傷で、遼国軍と陽国軍の手に落ちて行った。



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