4 新たなる仲間と その3
4 新たなる仲間と その3
次の日の朝、真は予定通りに王城に上がる支度をして、家を出た。
「行ってまいります、姫」
「行ってらっしゃい、我が君」
玄関の三和土置いてある椅子に座って靴を履いていた真が立ち上がると、風呂敷包みが差し出された。結び目を手に掴んで真が笑うと、薔姫も笑う。
「今日からは、なるべく早く帰りますね」
「うん!」
お互いに手を振り合いながら、真は松の木の枝でできた門をくぐったのだった。
真は、重箱と木簡を風呂敷に包んでぶら下げ、持たない方の手には芒の穂を一枝持っていた。その芒で、蚋を追い払いながら、ふんふんと鼻歌を軽く歌いつつ、てくてくと歩いていくのだ。
一応、武家屋敷住まいであるし、戰から馬も用意してもらっている。が、馬の扱いが苦手な真は、基本的に徒歩で移動している。格好も結局は以前と同じ、褲褶に袖を通していし、髷も適当で前髪や後れ毛がぼさぼさしている。
そんな姿をみれば、とても彼が祭国郡王の側近として忙しく働いている若者だとは、誰も思いもしないだろう。
のんびりと歩いて城に入った真を、ばたばたと足音も高く、時が出迎えた。
「おや、珍しいですね」
基本的に時は別行動が多い。
何しろ金勘定は水物・生物。その場の勘働きがものをいう為、なかなか落ち着かない現状では、城に出てこられないのだった。
「郡王陛下と真様に、お客人なのですわ」
「お客人? 何方ですか? 私が知る御方でしょうか?」
「まあ、縁があるといえばありましょうし、ないといえば無いですしなあ」
紙縒りのように、髭を弄りながら時がほっほっほ、と梟のように笑った。
戰の待つ部屋に、案内される。
そこは部屋、と言うよりも闘技を見物するための間のようだ。部屋の戸は開け放たれており、その前に砂利を敷き詰めた広間がある。
腕を組みながら戰は、楽しそうに闘技を行う広場の方を眺めている。彼の背後には、克と杢が並んで座っていた。何やら互いに落ち着かない様子だ。
訝しみながらも、真も戰の隣に腰を下ろす。武人である二人が共々に呼ばれているという事は、何か、戦に関係する事柄なのだろうか?
「お早う御座います。戰様、これは一体?」
「お早う、真。ちょっと、面白いものを見てくれという人物が来ていてね」
「面白いもの?」
「まあ、見ているといいよ」
奥の出入り口から、一人の壮年の男が現れた。
髪を角髪結にしている所を見ると、南方の出であるらしい。庶民の男子が髪を角髪結をするのは、那国の一部、そして海を越えた陽国に限られている。見るからに着潰した作業着風の汚れた衣服の男は、それに似合わぬ落ち着いた雰囲気を持っていた。が、その男が手にするものは、ぎらぎらとした異様異彩を放っている。
剣だ。
細身でありながら、しなやかさと豪胆さを併せ持つ剣だ。
しかも、此れまでに見た事がない輝きを放っている。それは、黒く鈍色でありながらも、時折銀が走る、美しい輝きだった。
「戰様」
「しっ……始まるようだよ」
真の言葉を無理矢理遮った戰の視線の先には、丸太状にした稲藁の束があった。どうやら人の胴体に見立てたあれを、その剣でもって斬るつもりであるらしい。
青銅製の剣では、斬るより突く形になるだろう。
だが、あの剣はどうするつもりなのか?
そもそも、あの剣の輝きは。
知識では知っている。しかし、実現出来る者が、いたとは。
短い気合の掛け声と共に、男が剣を横に構えたかと思うと、一気に薙ぎ払った。
ざん! と短な、肉を断つ音と何処か似た音をたてて、稲藁の束は真っ二つに裂かれ、上段部分が吹き飛んだ。
男は剣を下ろすと、ふう・と大きく息を吐き出してから戰に向かい直り、ぺこりと頭を下げた。
「見事だね」
「はい」
手を叩きながら、のんびりと戰は称える。それに、真は短く答えた。
ちらりと背後を見やると、克と杢の二人は、早くその男が手にしている武器をこの手に取り、改めたいと目を輝かせている。二人には、この武器の真価が分かるのだと、戰と真は顔を見合わせて、短く笑いあった。
そんな二人を、にこにこしながら、背を丸めた時が眺めていた。
★★★
男は、吉次と名乗った。
思った通りに、那国の海の向こうに位置する陽国の出であるという。名前を漢字二文字で表すのは、陽国の他には河国の一部と那国の一部、そして燕国の王族にしかないのだ。
「私は、鉄師に御座います」
「鉄師? そうかですか、それではもしかしたら?」
「はい、数年前の那国と河国との戦いの折には、禍国に置かれては私どもの鍛えし剣をお求め頂いた経歴が御座います」
へえ、と真は思った。
あの戦いの事なら、十年近く経つが、よく覚えている。
商人・時との出会いでもあったし、何よりもその戦の前に陽国から仕入れた青銅物の指南書が余りにも素晴らしかったが為、頭にこびりついている。
「有難うございます、恐らく、貴方が読まれた本は、我が一族の長の編纂によるものでしょう」
「とても興味深い内容でした。特に、混ぜ合わせる度合いで強さと色味が変わるのだと指摘している所などは、面白く読ませて頂きました」
「有難うございます。ですが、あの本には大切なことが抜け落ちておりまして」
「と、言うと?」
真と吉次が話し込んでいる間に、剣を手に取って何度もひっくり返したり陽にかざしたりして見直していた戰が、吉次が払った稲藁の束の下部を更に薙ぎ払った。支えとなっていた木の棒も、共に打ち払われて、吉次が放ったそれとは比べ物にならぬ程の勢いで、稲藁は吹き飛ぶ。
その勢いのまま戰は、剣の刃を、傍にあった靴取り石目掛けて、迷いなく叩きつけた。
――ギャン!
悲鳴に近い金属音が、火花を起こして爆ぜる。
しかし、剣は折れない。衝撃を吸収し、耐えているのだ。
構え直し、眼前にかざしながら戰が息も乱さずに、剣を称えた。
「凄いな。大した粘りだ」
「有難うございます、気が付いて頂けて、光栄の極みに御座います」
吉次の弁によれば、この剣は黒鉄、つまり鉄を中心として作り上げられているが、それだけではなく青銅製の剣と同様に様々な性質の金属を混ぜ、鍛えられているのだという。
鉄の剣は此れまで、何処の国でも量産はされてきていない。
鉄の採掘が難しいという訳でもない。
むしろ逆だ。銅などよりも採掘は容易である。
では何故、鉄ではなく青銅製の剣が、長らく使用されているのか?
それは、青銅製の剣と比べて、鉄は圧倒的に柔らかく刃こぼれを起こしやすかったからだ。青銅製の剣も、斬るというよりも『叩く』に近い戦い方になるが、此れまでの製鉄技術では、その青銅製にすら劣るものしか作られなかった。何しろ、一度打ち合えばものの役に立たぬとあれば、誰も手にしよう等とは思うまい。
それ故に、河国の技術者は、青銅製の剣をより強固なものにせんと努めた。
硬さは即ち強さという考えのもとに、開発が続けられていた。
「つまりは、河国産の剣は、一本造で鋳造されていたとか、それ以前の代物であったのです。固く強すぎるが故に粘りが無い為、僅かな衝撃にも折れる場合があったのです」
それでも、青銅製の剣に固執する理由に挙げられるとすれば、鉄の剣は錆びやすい。手入れを怠り保管を怠ると、忽ちのうちに役立たずとなってしまう。管理の安易さも手伝って、青銅製の剣は未だに主流である。
鉄の剣は、余程の高官でなければ身に付ける事のない実用性のない剣となり、それ故に神聖な剣となったのだ。
「しかし、この剣は違います。含有物のお陰で錆びにくく青銅製並に扱いやすい上に、粘り腰の強さと切れ味はそれ以上です」
「ほう」
「更に付け加えさせて頂ければ、幾層にも連ねた鉄を鍛えてある上に焼入れの確かさと研磨の技術により、青銅製のそれの比ではない剣となっております」
「そして何よりも、青銅製の剣などもう手にする気がおきぬ程、軽い。一般の兵士には、扱いやすく助かる事だろうね」
「はい」
胸を張る吉次が鍛えた剣なのだろう。
その絶対の自信からくる声の確かさに、真は好感をもった。ちらりと戰を見上げると、彼も同様らしい。何度も剣の刃を確かめながら、目を細めている。やがて、背後でうずうずしていた克と杢に剣を手渡すと、戰は吉次の前に真っ直ぐに立った。
「そして、量産できるのだね?」
「はい、我々血族の鍛冶能力があれば」
「陽国に行かねば、手に入らないというのか?」
「無論、我々としても、商売にならねば生きていけませぬ故」
「随分としっかりしているね。しかし、売ったらそこでお仕舞とはならないのかい?」
「終るのでしたら、私が態々とやってくる必要性はありません」
剣というのは、生き物だ。いくら手入れが容易だとは言え、丁寧に手をかけてやれば、必要となった時に必ずそれに答えてくれる。自分はそれも、教えに来た。
「この時殿とは、以前の戦以来、何かとお世話になっておりました。ですので、此度の仕儀には是非とも、我が国の剣をと思いまして」
「本当に、それだけですか?」
「本当にとは?」
「他にも、目的があるのではないのですか?」
真の横槍に、吉次は落ち着いた笑みをこぼした。
★★★
「無論です。実は、我々、陽国としましては、此方の平原にて戦乱が長く続いて頂かねば困るのです。我が君主であられる御方の為に」
随分と正直な言葉だ。職人のくせに、武人のような言い方を、いやもっと言えば役人のような雰囲気がある。
――役人?
自分の考えが、かちりとはまったような気がして、真は一瞬目を瞬かせた。
「気がつかれましたか。その通り。我が君主であられる陽国王・來世陛下は、大層、聡明英知な御方であられるのですが、如何せんお若く、お味方の少ない御方なのです」
「つまり、その方の地盤固めが済むまでは、ここ中華平原が荒れていて海の向こうの陽国にまで気が回らないでいて貰いたい。出来るなら、国王のご威光で地勢が安定し、財産も築き上げるまで、と」
「はい」
「そして出来るなら、この平原の雄となった国と長く手を携えたい、そういう上手い話に持っていきたい、貴方はその頼りとなる国作りを任されて海を渡って来た、という訳ですね」
「御明察に御座います」
なる程、そのような重要な役を背負って、此方に回されて来たという訳ですか。ならばこの吉次という人物、只者ではないのかもしれない。
腕を組んだ真は、視線を感じた。勿論の事、戰のものだ。
「真、私はこの剣が気に入ったよ」
「戰様?」
「皆の為に、是非、欲しい」
戰の言葉に、真の目の端が光った。
今、初めて。
戰が『国を守るべき武器』に興味を示した。
その体格的な有利性を活かして、戰は大いに武人としての才能を持ち合わせている。そういう人物は基本的に、武器などどれも同じだ、武辺の腕を磨けば何とかなると思いがちになる。
しかし、そうではないのだ。
前線で戦う兵士たちは、腕もへったくれもない。
最強の軍備こそが身を守り、敵を蹴散らす。
如何に容易にそして大量に敵を殺せるか、且つ、己の身は傷付かずに済むか。
戦争において、これ以上の事実も現実もない。
3年前の祭国での戦いの折に、下手に戦わずに勝利を手にしたが為、思い違いをされてはいかないと危ぶんでいたのだが、真は胸をなで下ろした。
確かに血を見ずに、戦いを回避して戦勝と同じく利益を得られるのであれば、それに越したことはない。しかし、そんな世の中はそのように、自分たちに都合よくばかり、動いてくれる訳が無い。
実際に戦闘が始まった時、安心して勝利を得に行く為にも、徹底した軍備は必要だ。それこそが、国を守る兵士を守る事に繋がるのだ。
それを、心得て居てくれた。
ただの甘い夢想家ではなかった事に、真は改めて戰を見詰め直した。
「分かりました、戰様が納得されておられるのであれば、吉次と言いましたか、貴方ごとこの剣を仕入れましょう」
有難うございます、と吉次は角髪を揺らして両の腰をついて、両の手の平を地面につけて、頭を垂れた。額を、地面に擦り付けんばかりの姿勢となっている。
この作法が陽国において、最も尊い者への礼法であると、戰も真も知っている。
彼は、彼の愛する母国と敬愛する国王を只守らんとする為に、自らをも「商品」として売り捌きに来たのだ。それを知りつつも、受け入れてくれた彼らに対しての、吉次の偽らざる心情の現れであった。
★★★
昼近くなり、真がいそいそと手にした風呂敷包みを広げてきた。
何事かと寄り集まった皆が、額を寄せて、重箱の中身を覗いてくる。真が自慢げに胸を張った。
「実はですね、もう一つ、農産物といいますか、穀物で目星がついたのです」
「この、薄皮の事かい? 何で出来ているんだい、これは?」
「蕎麦ですよ」
「蕎麦あ?」
克が頓狂な声を上げる。
禍国においては、蕎麦は薬膳、即ち薬扱いであり、その全てをほぼ王室専用の畑にて栽培されている為、庶民の口に入る事はない。その場にいた全員がその幻の食材の登場に、ごくりと喉を鳴らして、重箱の中身に熱い視線を注ぐ。
「此処より北方の燕国では、麦と同様に主食を担っております。燕国で育ち、この祭国で栽培が難しいということはないと思われます」
薔姫が作ってくれたのは、蕎麦粉を使った例の料理だ。ただし中身の餡は、真の好物の、炒った胡桃と甘めに味を変えた胡麻味噌和えという、お菓子に近いものになっている。
「それではまずは、私が先陣を切らせて頂きます」
頓狂な声を上げた克が、配られた蕎麦粉の薄皮で包んだ胡桃味噌和えを鷲掴みにし、口に運んだ。固く目をつぶって、殆ど一気に口に投げ込み、そのままもぐもぐと咀嚼する。すると、咀嚼が進むごとに目が開いて輝きだした。
「どうです?」
「いや、旨い、真殿、これは旨い」
素朴だが、深い滋味に溢れた蕎麦の味に、克は一度で魅せられたようだ。子供のように、頬を輝かせている。
「皆が頂かぬのであれば、もう一本……」
克の言葉を皮切りに、我も我もと皆、配られた皿の上にのるお菓子に手を伸ばす。口に頬張った途端に、その美味しさに誰もが驚嘆の声を上げた。
「流石だね、真。よく蕎麦に辿り着いたね」
「いいえ、私の手柄ではありません」
「うん?」
「私の家の改築を請け負ってくれた、大工の棟梁である琢という人物が、教えてくれたのです」
寒さに強く、痩せた土壌でも育てやすく、収穫が望めるとなれば大麦という考えについ向かってしまっていたが、気候的に似通った処のある燕国で育つのであれば、この祭国でも栽培が不可能という事はあるまいと、少ない資料をひっくり返して、調べ尽くした。
「昨晩、気候と風土と栽培方法を調べておりましたが、燕国との国境近くであれば、やはり栽培が可能のようです。種籾は国が全面的に負担して用意し、各農村に均等に配せば、恐らくは上手くいく事でしょう。最低でも数年間は免税対象とし、作付面積を徐々に増やして行くのが良ろしいかと」
「分かった」
収穫が見込めるのであれば、直ぐにでも税をかけたいところではある。
しかし、それでは初めて扱おうとする者にはやはり敷居が高く、二の足を踏むことだろう。今のこの現状を打破する為に、国民に無理を強いるのは得策ではない。寧ろ、数年後のより確かで豊かな生活を得る為に、国が無理を利かせるべきだろう。
何しろ、幻の食物だ。禍国側からは、租税対象になっていないこの穀物を、祭国が国を上げて栽培に取り組めばどうなるか。実りを禍国で売り捌けば、どれほど莫大な儲けとなる事か。
既に時は、儲けを算段し始めているのか、うきうきと身体を揺らしている。
「真様、どの程度の期間、納税を免すれば良いと思いますか?」
「ではさしあたりは、3年の免除を。それでまずは、成果の一区切りをつけられましょう」
「分かりました、他には?」
「収穫状況により、免除年度は引き延ばせば宜しいかと思っております。ただし、作付中の日誌のようなものと、成果である実際の実りをある程度は、必ず提出させて下さい。それにより、どのような天候がどのように作物に影響を与えるかが、より詳しく伺い知れる事になります。また、発育が思うようにならない場合には、罰する事なく作付を放棄する事をお許しになられますよう。また、それでも引き続き作付を望む場合には、上限を儲けた上でではありますが、翌年追加で種籾を無償で与える旨をお忘れなく」
「分かりました、類、そのように書類の作成をお願いできますか? 通は、種籾の購入の為の計算を、特に追加分をどの程度加味すれば良いのか、良く相談した上でお願いします」
慣れた調子で、椿姫が二人に命を下した。
椿姫は、ここ数日の実務経験で随分と成長を遂げてきていた。
何故? と真に問う事柄が減ってきているのが、その証だ。そんな椿姫に、戰が優しい視線を送っている。
痩せとでぶの連れ合いのような二人は、にこやかに頭を垂れた。自分の能力を思う存分発揮できるだけでも嬉しい事なのに、その能力を頼ってくれる君主がこのような、一途可憐な少女であるのは、純粋に胸が躍る。仕事一筋人間に思えても、やはり彼らも人の子であったようだ。
皆が笑顔になる中で、真が真っ直ぐに椿姫に向き直る。
「椿姫様」
「はい」
「実は、その大工の棟梁が言うのには、燕国出身である彼の母上をはじめとした方々の言葉を受け入れて、実験的に蕎麦の栽培を命じておられた、先見之識があられる御方がこの国おられました」
「え?」
この国に『おられました』? それは、もしや?
高鳴る胸を抑えながら、真の続く言葉を期待する椿姫に、彼は頷いた。
「そうです、椿姫様の兄王殿下であらせられた覺王子様のご命令で、その村にて蕎麦の栽培が続けられているそうです。この蕎麦粉は、その村の産だとの事です」
「では、それでは、もしかしたら?」
「まだ分かりませんが、蔦に頼んで一座の早足の持ち主の芙を遣わせております。数日のうちに、事実が判明する事でしょう」
手で口元を覆って嗚咽を抑えようとする椿姫の、肩を抱く者が現れた。
勿論、戰だ。
戰の大きな手が肩に触れると、椿姫は彼の胸に飛び込んで大きな声をあげて泣き始めた。激しく揺れる細い身体を、戰は悪びれも照れもなく抱きしめる。
見ている者の方が頬を赤らめるような状態の中で、真だけがひとり、やれやれ、と肩を窄めて、首を左右にふっていた。




