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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その6-4

22 屍山血河 その6-4



 ぜいぜいと喉が鳴る。

 自分の身体が放つ臭いも耐え難いが、喉の渇きと飢えに目眩が起きそうだった。


「み、水を持って来い」

 命じると、小舟に共に乗った僅かばかりの従者の一人が丸薬と水の入った竹筒を差し出して来た。大仰な身振りで其れらを奪うと、乱は丸薬を口に入れて水筒を傾ける。口の端から溢れる水が輝く雫となり、乱の喉や衿口を濡らして行く。

 居丈高な態度を乱に取られても、従者は耐えられた。彼らも、生命を拾った自分たちの幸運を漸く噛み締めていたからだ。

 助かったのだ。

 無様で横柄な他国の皇子がどうであれ、此の男の従者という損な役回りを押し付けられた自分たちは助かったのだ。何と云う皮肉であろうか!


 竹筒が空になってもまだ、乱は未練たらしく飲み口をべろべろと舌で舐めていた。すると、河岸に待機していた味方が騎馬を人数分揃えて駆け寄って来た。

「陛下、此処は一旦後退なされるべきです。一先ず橋頭堡までお越し下さい」

「うむ」

 尤もらしく、乱は頷いてみせた。

 身体を清めて、存分に休息を得たいし、先程からやたらと自己主張を始めた空腹を宥めもしたい。


 いや正直に言ってしまえば、先ずは此の悪夢のような戦場から一刻も早く離れたい。

 もう異腹弟おとうとである戰の脅威に怯えなくともよい、と幾ら言い聞かせても駄目だ。

 身体、いや頭が考えるより先に臓腑と魂が此の場に一寸でも居残る事を拒否している。

 一旦、橋頭堡で休息を充分に得た後に王都に入り、籠城戦の準備を始めても遅くはなかろう。

 ――戦なんぞに繰り出すのではなかったわ。

 斯様な野蛮な行為、私には合わぬ。

 そう、戦など下賤の出である戰や、東夷の血を引く那国の奴らに任せておくに限る。

 私は間違えていた。

 勝利は戦って得るものではなく、捧げられるものだ。


 何時もの調子が戻ってきた乱は、ふん、と鼻息荒く息をつくと、手綱を持て、と命じた。馬が寄せられる。

「乗せろ」

 肥満体質の乱は自分の力で騎乗出来ない。

 部下たちは折角拾った生命を、こんな処でこんな男の下らぬ怒りの為に失ってたまるかという一念に縋って、吐き気をもよおす糞尿の臭気に耐えた。ひぃひぃ云いながら、乱は鞍の上の人となる。

 形ばかり、手綱を握ると、隣に歩を進めて来た部下に操るようにと顎を刳った。見た目だけは恭しく、部下は手綱を握る。下手にうろうろしていては、河国軍が岸に上がって追って来る恐れがある。橋頭堡まで逃げ込み、硬く扉を閉ざしてしまうまでは気が抜けない。

 はいやっ! と気合の声と鞭を呉れる音がすると、馬は嘶き、駆け出した。途端、顔面に針のように向かい風が突き刺さってくる。うびゃっ! と乱は短く叫び手綱を必死で握りしめる。

「い、痛い、痛い、痛いぞ貴様!」

 文句をだらだらと垂れながす乱を無視して、騎馬は駆ける。


 最も近い橋頭堡は、堤防の一角にある。

 乱たち一行は最短距離をとり、坂を登りだした。

 ふと、何か異様な音がしているような気がして、乱は紅河の方を振り返った。

 乱だけでなく、従者たちも不安を煽る音に怯えを感じたのだろう、全員が振り返る。

 そして、堤防の上から紅河を見た乱たちは顔面を蒼白にさせた。

 我を失ったかと思うと、我勝ちに恐慌を来した。


「ば……馬鹿な、こんな、こんな事がっ……う、嘘だ、人間技じゃない!」

 慄える乱は蒼白になった顔面を両手で隠しながら、悲鳴と嘆声たんせいを上げた。

「嘘だぁぁぁ!」



 ★★★



 小高い丘に兵を配置し、戰は紅河を熱くさせている戦を眺めていた。

 其の間ずっと、熱り立つ愛馬・千段を抑える苦労を強いられた。此れ程までに、千段が前に前にと出たがった試しはない。鼻息も息も荒く、ガツガツと蹄で土を削る。苦笑しつつ、手綱を引いたり首筋を叩いてみたりと、相棒を宥め続けねばならなかった。


 ふと、すぅっ、と人型の風の気配が動いた。

「芙」

 背後に控えていた杢が、緊張を含んだ声を風に掛ける。何時の間にこんな近くにまで寄って来ていたのか、芙が跪いていた。

「芙、どうだ?」

「はい、大方、策の通りに」

 手短に、だが要所を確実に押さえて、芙は此処からは見えない細かな戦の状況を戰に伝える。

 芙が戦況を報告し始めると、あれ程滾っていた千段が、ぴたり、と大人しくなった。

 いや、蹄を鳴らさなくなっただけで、双眸に宿るぎらぎらとした光は抑えきれぬ戦意の現れではないか。まるで己の出番が漸く来たか、と気合を入れ直しているかのようだ。

 姿勢を低くして、じ、と対岸を見詰めていた芙が、すっ、と腕を伸ばして一角を指差した。

「陛下」

 杢ほどの男が、意気込みを露わに声を上ずらしている。しかし、それは戰とても同じだった。頷きながらも、声が出せない。

 芙が指差した先には、蠢く虫の如きものが見えた。土煙が上がっているのだ。大将でありながら楼船を捨て、仲間を捨て、部下を捨て、落ちていった乱に違いなかった。


 ――乱。

 今日という日、此の紅河の畔こそが貴様の死地となる。

「芙、吉次に、紅河上の掃討戦はこのまま任せると伝えて欲しい」

 覆面をし直した芙は、一度、深々と頭を垂れると、現れた時と同じく音も無く姿を消した。

 相変わらずだな、と笑う戰に、杢も微笑む。しかし、戦場らしからぬ穏やかな空気は此処までだった。

 ぎゅ、と唇を硬くして戰は未だに藻掻くように動いている黒点を睨む。其れを合図に、杢が腕を上げた。


「軍旗を掲げよ!」

「おおー!」

 杢の命令と共に、今か今かと千段並に待ち構えていた旗手が、戰の大軍旗を掲げる。

 ぶわり、と紅河の川風をはらんで巨大な旗がはためく。新たに施された竜の刺繍が、生命を吹き込まれたかのように動く。壮大華麗な軍旗に、1万5千の騎馬隊が見惚れた。


「手綱を取れ!」

 戰が命ずると、杢を筆頭に、おう! という掛声が轟く。

「突撃開始! 目指すは紅河対岸、那国軍橋頭堡! 取るべき首は逃れた禍国皇子・乱!」

 戰が千段の腹を蹴る。

 戦意という蒼き炎を噴き上げている黒馬・千段は、高々と前脚をあげて勇ましく嘶き、一気に丘を駆け下りる。

 祭国軍は戰に従い、地面を揺るがしながら進軍を開始した。



 馬蹄形に地表がめくれ上がり、瀑布のようなが轟く。

 各所で、愛馬に気合を入れる掛声が飛ぶ。蒼穹を駆け抜けんとする勢いの戰と千段に遅れてはならぬと皆必死だった。

 丘を抜け、紅河の岸に到着した。

 那国軍の闘艦はほぼ壊滅状態となり戦闘能力を失って、水鳥のように揺蕩っているのがやっとの状態だった。


「那国軍から攻撃を受ける恐れはない! 皆、私に続け!」

 戰は叫びざま、岸に一番近い河国軍の船に千段を飛び乗らせた。

 其のまま、甲板上を駆け抜ける。千段の脚力に船はがくがくと振動する。しかし、船を預かる水夫たちの腕の賜物か、揺れはすれども転覆するような気配は微塵も見せない。

 1隻の船を走り抜ける直前、戰は兵たちに向け腕を上げた。腕を振って応える将兵たちの声援を背に、戰は次の船に飛び移り、そしてまた甲板を駆ける。

 人馬一体、燕が飛翔しているかのように、川面を抜ける疾風のように、戰と千段は那国側の岸を目指して、河国軍の船の上を駆けていく。

「我々も陛下に続くぞ! 恐れるな!」

 杢に言われるまでもなかった。

 次々と騎馬が船に飛び移り、駆け抜けていく。


 敵の心理を圧迫しつつ最も効率よく突撃を仕掛けるには、一気に渡河するしか無い。

 だが、紅河は橋がない。

 無ければ作れば良い。

 では、どうやって?

 そして今の祭国軍の姿こそが、真の策だった。

 真は、軍船を橋に見立てて紅河を渡る策を授けたのである。

 だが、どう考えても安全に渡り切るなど不可能に近い。そもそも、紅河に落ちでもしたら、船が横転でもしたらどうするつもりなのか。木簡に記された策を読んだ時、やめておけ、と灼ですら止めたのはそのせいだ。

 しかし、木簡に記された真の言葉が戰と杢たちを後押しした。


 先の河国戦の折り、戰様は河国軍の軍船から軍船を馬で飛び移り、相国・秀殿に迫られました。

 あの技が出来て、此度、揺れもせぬ船の上を駆けるのが難しい、とどうして尻込みをせねばならないのでしょうか?

 騎馬隊の鍛錬をしてきたのは、鍛錬をしたと満足する為なのでしょうか?

 そして水の上ならば此の国ありとされるのは、那国なのでしょうか?


 ――真。

 そうだ、私だけが特別の技量を持っている訳ではない。

 杢と克、彼らに鍛え抜かれた祭国の騎馬軍団の力、目に物見せてやろう!


「渡り終えるぞ!」

 千段の蹄が、那国側の岸の土を踏んだ。



 ★★★



 わなわなと怯えて慄える乱を那国の兵らは、殆ど引き摺るようにして橋頭堡を目指した。

 兎に角、大将を討ち取られてしまっては那国軍の沽券に関わるだけでなく、自分たちの生命も危うくなる。乱の為になど動きたくもない。見捨てた方が、寧ろ、那国王・敏から恩賞を賜るのではないかとすら思える。が、どんな最低で死んで呉れた方が全軍に朗を齎すであろう屑のような大将であろうとも、大将である限りは乱を助けねばならない。

 しかし、目と鼻の先であるというのに、毛虫の足にも劣る速度でしか近づけない。もどかしさに、兵たちは泣き始めていた。


 問題の乱は、あう、おう、と口角に蛙のような唾の泡をふきつつ呻き声を零すばかりだ。

 ただ、カッ、と目を見開いている。有り得ぬ恐怖に、目を逸らしたい。だが、恐怖故に見開いた目は見たくもない現実に固定されたままだ。

 連続して稲妻が落ち続けているかのような耳をつんざく音が鳴り響きながら、此方に近付いてくるからだ。

 何と云う事か。

 戰が率いる祭国軍は、那国領である対岸を目指して紅河に一直線に並んだ陣形を採ったままである河国の軍船の上を駆けているのだ。

 自国の軍船を橋代わりとして突撃してくるとは!

 だが確かに此れならば、船を使って人馬を渡すよりも何倍も早く岸に到達する。いや、其の後に隊列を整える時間などを含めれば、最早比較にならないだろう。


 しかし、言うは易く行うは難し、だ。

 船の上を騎馬で駆けるなど前代未聞。

 いや、一体誰が想像しえようか。

 戰一騎だけならば、まだ分かる。

 しかし、率いている万を超える騎馬隊が足場が悪く狭い船の上を物ともせず、祭国軍はまるで平地であるかのように整然と駆け続けているではないか。

 どんな馬術をもってして可能としているのか。

 人外の者を万と揃えて一軍とし、率いているとしか思えない。


 其れに幾ら軍船として体裁を整えてあるとはいえ、船の上である事に変わりはない。

 騎馬に駆け抜け続けられていれば、何かの拍子に大きく船体が傾いでしまうだろう。

 下手をすれば均衡を崩して船は横転し、最悪の場合、転覆する。甲板を叩き潰しかねない騎馬軍団の疾走を支える船を操る素晴らしい技術、などと生易しく簡単な言葉で片付けられない。

 馬を駆る者。

 船を操る者。

 その何方もが妙技を持ち合わせているからこそ採用し得る策ものだ。

 神技の域に到達していると言っても過言ではないだろう。


 紅河は、最も河幅狭い処であっても16丁もの距離が有る。薄い霧でも掛かろうものなら向こうが見えなくなる距離だ。

 が、鍛え抜かれ、そしてよく調教された騎馬の脚をもってすれば先頭は1刻もかからず対岸へ到達出来る筈だ。そして全力で駆けている祭国軍の一糸乱れぬ動きは、足場の悪さなど物ともしていないのだと物語っている。喩え影響があるとしても微々たるものだろう。

 巨躯を誇る愛馬に跨る戰自らが先陣となり、獅子のように咆哮しつつ迷いなく駆けて来るのがよく見える。

 乱の背筋が凍る。

 異腹弟の鋭い眼光が、灼熱感をもって自分を射抜いていると感じ取ったのだ。


 ――戰の奴が、私を見ている。

 見付けて、目指している。

 奴が、奴が私を殺す為に、私を殺す為に、私を殺す為に、私を殺す為に、私を殺す為に、殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺されるぅぅぅぅ!!


「ひぎゃああああああああああああ!!」

 錯乱状態で、乱は泣き叫んだ。



 ★★★



 壊れるのでは、と思われる程、心の臓が跳ね上がる。

 岩肌を剣の先で引っ掻いた時に発せられる音に似た悲鳴が、乱の喉の奥から迸る。

 耳を塞ぎたくなる甲高い悲鳴に、何時もなら那国兵たちは眉を顰め嫌悪を露わにする処だが、今回ばかりは彼らも大将である乱に倣って叫ぶ。

 戰の背後に従う騎馬隊に乱れが生じていれば、まだ心に余裕を持てる。が、疾風其の物となったかのような戰と黒馬に、風に率いられる雷雲のようにピタリと離れず従い、駆けている。

 馬蹄の音が、山肌を砕きながら転がる巨大な岩石のように刻々と迫ってくる。


「に、逃げろ! 逃げろ! 砦に逃げ込み扉を塞げ! 籠城だ!」

 腰が抜けて、あひあひと喘ぎながらも乱は珍しく真っ当な事を口にした。

 生命の危険を前に、多少正気が戻ったらしい。

 しかし、正気が戻って幸せだったのか。

 より強大な恐怖を感じ魂と精神を蹴り潰されるだけだろう。実際、乱は迫る脅威から逃れられなかった自分を一瞬の間に幾通りも想像し、また狂乱状態へと落ちた。


 忙しなく精神を乱す乱を、また引き摺って那国兵は橋頭堡に向かう。

 砦の楼閣から、敵の動きだけでなく此方が後少しという処にまで来ているのだと認識しているだろうに、救援の手が来ない。橋頭堡に居る兵士たちが、砦の前で祭国軍に乱たちを討ち取って貰い、其のまま砦を素通りして王都を攻略へと向かって欲しいと目論んでいるのは瞭然だった。

「助けろ! 助けて呉れ!」

 やっと橋頭堡に縋り付き、悲痛な叫び声を上げる乱だったが分厚い扉は重い沈黙を守る。

「おい! いい加減にしろ! や、奴が、戰がもう直ぐ其処まで来ているんだぞ!」

 事実だった。

 既に最後尾の隊が渡河し終えている。

 隊列を整え直す必要もない祭国軍は、其のまま一心に橋頭堡を目指して駆けている。もう、地響きで地面が揺れているのを感じられた。此の扉を破るまでに、半刻も掛かるまい。


「おい!! 開けろ、開けんか!」

 白目を全て赤色に染めながら、乱は叫んだ。

 やっと、閂止めが外される、軋んだ音がし始めた。ぎち……ごと、ぎち……ごと、と閂がずらされる音がのんびりと横に動く。苛々しながら、扉を叩く。

「早くしろ! 此の馬鹿野郎どもが!」

 喚き散らす乱の前で、まるで此処だけ時間の流れが一歩も二歩も遅れているのではと錯覚を起こす程、のろのろと扉が開く。

 隙間漏れてくる空気が、朝日のように清々としたものに感じられた。此の隙間に身体を滑り込ませさえすればいい。後は、亀のようにずっと砦にこもり続け、王都からの救援を待てば良いのだ。

 ――助かった!

 もう、喉が掠れて声も出ない。

 へなへなと腰砕けになりかけるが、扉の中に入らねば、と気合を入れ直す。がくがくと笑う膝に力を入れて扉に手を伸ばす。


 其の時だ。

 背後から、がっ! と肩を掴まれた、と思うや否や、乱は後方に吹き飛ばされた。不意打ちを喰らった乱は、ごろごろと地面を転がる。

「き、貴様ら!? な、何をする!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る乱の目の前で、扉の隙間に彼を此処まで守ってやってきた那国兵が殺到していた。内側からも手が伸ばされ、那国兵は倒れるようにして扉の中に吸い込まれる。

 慌てて飛び起き、乱は扉に向かって駆け出す。

 ――許し難い!

 大将であり、最も高貴なる人物である自分を真っ先に守られねばならぬというのに!

 彼奴ら、戦が終わったら見ておれよ! 必ず罰してやるからな!


「私を一番に入れんかあ!」

 逆上しつつ叫ぶ乱に向け、棍棒が飛んだ。

「ぎゃ!?」

 腹を強かに突かれた乱は、またすっ転んだ。

 ぐはっ、と肺の中の空気を全て吐き出す。今度は全身を地面に強かに打ち付ける。全身が痛みの塊となり、痙攣が起こった。

 動くのは、悲鳴を発する喉だけだった。



 ★★★



「うぎゃああああ!!」

 乱のあられもない悲鳴が、直ぐ其処にまで迫ってきている馬蹄の音に掻き消される。

 先頭に立って馬を駆りつつ祭国軍に声を掛け続ける勇ましくも獰猛な戰の姿、細かな刺繍を施された軍旗の文字や霊獣や神獣、馬の蹄が土を木端宛らに捲り上げて棚引かせる様、一万を超える騎馬が立ち昇らせる殺気に弾かれた汗の珠までもが手に取るように見える。

 自分が異腹弟おとうとを見付けたように、戰の方もに燦然とした輝きを宿して叫んだ。


「見付けたぞ、乱!」

「ひぎ、ぎ、ぎひ!」

 四つん這いで這いずりつつ、乱は扉に縋った。

「おい! 開けろ、開けろ、開けろっ!」

 拳でどんどんと激しく扉を叩く。しかし扉の内側は静寂を守っている。戰は見る間に因縁の相手である乱に迫る。

「あ、開けろ、開けろと云うに! あ、あぁ、開けて、開けて、お願い開けてっ!」

「乱!!」

 とうとう、戰が乱の眼の前に到着した。

 抜き身となった戰の剣が、ぎらり、と天帝の化身と云われる白竜の牙の如き煌きを放つ。乗っている黒馬も、ぎらぎらとした目玉に殺気の炎を宿して睨んでくる。


「乱、剣を抜け。せめて私に立ち向かう機会を与えてやる」

「いやああああああああああああっ!!」

 両手を組んで、乱はぶんぶんと首を左右に振って命乞いをする。

 剣を手にしたくとも、甲冑ごと楼閣に置いて来た。そもそも自分の一体何処に、戰を相手にして勝てる要素が有るというのか。

 すると、砦の高い塀の上から剣がふってきた。

 ザシッ、と地面に突き刺さる。巨大な愛馬から、事もなく飛び降りた戰は、剣の切先を乱の喉元に向けて構える。


「ぎゃひっ!?」

「仲間が与えて呉れた慈悲に縋るがいい、剣を取れ」

 ひ、ひ、ひぃ、と慄きながら、乱は滂沱の涙で顔面を濡らしている。必死になって命乞いの言葉を紡ごうとするも、喉の奥からは悲鳴しか出てこない。

 一歩進んだ戰の沓裏で、じゃり、と音がした。

「乱。剣を取れ」

 三度、戰が促す。

 いぎぎぎっ……、と意味不明な呻き声を漏らした乱は、戰の持つ剣と、そして地面に突き立っている剣の間で視線を何度も何度も行き来させた。

 そして飲み込む唾もない癖に、ぎょく、と喉を鳴らした。


「うわああぁぁぁぁ!!」

 悲鳴なのか、気合なのか、自棄っぱちなのか。

 些か計り兼ねる掛声と共に、乱は剣に突進した。柄を握ると、一気に剣を地面から引き抜こうとする。が、さして深く減り込んでいないというのに、一度で抜けなかった。剣の重さに不慣れ過ぎた乱は、ぐん、と剣に勢いを殺され、無様にも地面に顔面を打ち付けた。怒りと痛みと羞恥とで、乱の全身が赤くなる。

 ――おのれ、戰め!

 お前さえいなければ!

 お前なんかが此の世に産まれて来なければ!

 そうすれば、私はこんな東夷の地で辛酸を嘗めてはいなかった!

 平原一の大国・禍国に皇帝として君臨し、玉座より号令を発していたであろうものを!

 ふつふつと怒りが滾ってくる。


「きぃやああああああ!」

 奇声を発すると、乱は赫怒のままに勢いをつけて剣を引き抜き、戰に突進した。

 怒りに我を忘れるとは恐ろしい。普段であれば振り被ることなど、到底不可能であろうに、乱は大上段に剣を構えて戰に立ち向かったのだ。

「死ねぇ――!」

 そうだ、死ね!

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、貴様が死ね、戰!!


 戰の脳天目掛けて、乱は剣を振り下ろす。

 しかし、戰はまるで舞っているかのような優雅な動きで、ひらり、と乱の剣の軌跡から逃れる。

 眩い光を放ちつつ剣を閃かせる戰は、鳳凰の飛翔を彷彿とさせた。

 しかし、彼の豪腕は容赦無い。

 煌めき一閃。

 戰の剣は、乱の左肩から斜め下に向けて走る。

 途端、ブシャッ! と乱の身体から血飛沫が飛んだ。


 『あ』の形に開いた乱の口から、悲鳴が迸る前に、剣が翻り、今度は乱の心の臓目掛けて一直線に迷いなく突き進んだ。

 ドシュ……!

 血肉を断つ音が響く。乱の脂肪塗れの無駄に分厚い身体を、戰の剣は見事に一撃で貫通していた。

 がくがくと震えながらも射抜かれた形になっている戰の剣に支えられていた乱だったが、引き抜かれた途端、糸が切れた操り人形のように背中から倒れた。

 だがもう、乱は痛みも痛みから来る恐怖も感じる事はない。

 舌をだらりと垂らし目を見開き涙を零した無様な姿で、乱は命乞いをする間もなく絶命していた。

 異様にどろりとした重みのある紅い流れが、仰向けになった乱の背後の下から広がっていく。


 ――長かった。

 とつとう、椿と星、そして真を侮辱した報いを与えてやったぞ。

 戰は空を仰ぐ。

 此処まで来るのに、一体何年を要したのか。

 だが、出来ずに悔み続けるよりはましだろう。

 自分の行く手を阻んでいた相手の一人を、とうとう、己の手で屠ったのだ!

「……やったぞ、真……!」

 万感の思いを込めて、戰は呟いた。

 胸が震える。


 涙を必死で堪えながら、ひゅ、と剣を振るって血糊を飛ばすと、戰は冷ややかなで生命を奪った異腹兄あにの目玉が濁っていく姿に一瞥を呉れる。

 そして、煌きを取り戻した剣を戰が蒼天に掲げると高らかに宣言した。


「禍国皇子、……いや、那国将軍・乱を討ち取ったぞ!」

 杢も剣を掲げ、唱和する。

 兵たちも倣い、軍旗が高々と掲げられて大きく振られる。


「郡王陛下が那国将軍・乱を討ち取られた! ――郡王陛下、万歳!」

「郡王陛下、万歳!」

「祭国軍、万歳!」


 1万5千の兵が次々と唱和し、大地と空気が慄いた。



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