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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その5-1

22 屍山血河 その5-1



「どうだ? 急場拵えとは思えぬ仕上りだろうがよ?」

腕を組んだ灼が、水面に映る船の数を前にして自慢気に顎を刳ってみせる。餓鬼大将のように輝いている灼の瞳の先には、大船団が浮草よりもびっしりと隙間無く川面に浮かんでいた。


「ああ、凄いな」

 戰も興奮を隠せない。

 放っていた斥候が戻って来るまでの間に軍備を見ておくかよ、と灼に誘われた戰は二つ返事ついていったのだが、眼前の軍船の形を見て子供のように声を上ずらせた。

 手綱を握る手に、自然と汗が滲む。戰の興奮が伝播したのか、愛馬・千段が何度も高い嘶きを発し、かつかつと蹄を鳴らす。首元を撫でて宥めてやりながらも、戰は自分の掌に熱が集まって高まっていくのを自覚せずにはいられなかった。


「但し、郡王が思っておるような動きをみせるかどうかは解らんぞ?」

 にや、と灼が笑う。赤銅色の肌を嬲るように撫でていく川風に、髪が乱される。

「いや、此れだけ準備をして貰っておけば充分過ぎる」

「いやいや、覚悟はしておけ。何しろ、実戦に投入するのは此れが初めてだからな。買い被り過ぎて自滅しても責任は取らんぞ? 其れよりも、祭国軍は水の上でもまとも・・・に動けるのかよ?」

 真の船酔いの酷さは、未だに話の種にされる程に有名だ。ぷっ、と吹き出しながら、戰は肩を竦める。

「其れこそ、我が軍を舐めてもらっては困るな。皆が皆、真のように酔う質ではないよ」

「そうか、では、そう云う事にしておいてやるかよ」

 顎を跳ね上げて呵呵大笑する灼の堂々たる姿は、正に王者に相応しい。

 肩から背中から、眼力から、勝利への熱と渇望が放たれており、其れが鵜片のように河国軍に浸透していた。文字通り、河国軍は灼に酔っている・・・・・


 河国は軍船の建造よりも交易を重要視した為、水軍の絶対数が足りない。

 其処を、那国王・敏の読み通りに契国との交易を行っていた運搬船を改造して補っているのであるが、自国でよりも契国において勝手が効くように敢えて大型船より小振りの船を主流にしていた。大きさとしては、軍船の主流となっている闘艦よりも一回りほど小さい。積算量は当然減るが安全性を重視した結果であり、答えは如実に表れていた。

「しかし此れなら、軍旗を掲げるだけの体裁は整っておると云えるだろうがよ?」

「体裁どころか。相当なものだよ」

 戰に褒められ嬉しいのか、そうかよ、と灼はからからと軽快に笑う。


「だが何ともまあ、面白い考えを捻くりだす頭の持ち主である事よな、真とやらは」

 腰に手を当て、まだ灼は笑っている。戰も苦笑で返しつつ、馬を河岸に更に寄せた。一つ一つの軍船の状態をもっとしっかりと確かめたかった。

 大船団を前にすると、河国との水上戦を前に契国で一気に造船したあの時を思い出す。数週間で闘艦型の軍団を仕上げて行った、あの熱狂は忘れようにも忘れられない。

 ――伐たちは、どうしているのか。

 契国を離れる際に、国王となる碩をもう一度信じてみる、と言っていた彼らの目に、此度の相国・嵒の謀叛劇はどう映っているのであろうか。


 ――契国、彼らの国が喰い物にされて潰されねば良いのだが……。

 腕を組み、悩む戰の背後に灼が近付いてきて川面の一部を指差した。闘艦の影に隠すようにして、特徴的な形をした軍船が浮かんでいる。どうやら、闘艦とは型が違う船を前に戰が戸惑っていると勘違いをしたらしい。自慢げに、ちらり、と横目に戰を見やってから説明しだす。

「あれが例の、真とやらが考案していった新型の船だ。どうだ、実際に目にした感想は?」

 うん、となるべく声を明るくさせながら、戰は頷いてみせる。


「長さ的には3丈程度か? 闘艦の半分以下だな」

 確かに船体だけでなく、櫓の数が闘艦と比べれば半分以下の片舷で5つしかないものも浮かんでいる。いや、もっと小型の船まである。すらりとした船体からは、船に疎い戰であっても足の速さが伺い知れる。

「まあ、中型船や小型船の数を揃えてどうなるものでもない。束になった処で戦の大局がどうにか出来る代物になるものかよ、と普通は考るな」

 にや、と笑う灼に、戰も笑い返す。

「ああ、特に乱はそう云う思考の持ち主だ」

「そうかよ? 処で、那国王もそういうらしいぞ? 存外奴ら、気が合うようだな?」

「私と灼殿には勝てまいよ」

「違いない」


 愉快愉快、と灼は悪戯童子のように笑い転げた。



 ★★★



 笑い声が水面に響いたか、戰と灼の眼前に浮かぶ小小型船から人がばらばらと出て来た。

 そして、ざわめきが一気にあがった。

 国王だと気が付いたのだろう、手を振って、国王陛下万歳! を叫びだした彼らに、おう、と景気良く答えている。

「見ておれよ! 我が国の勝利する様を、皆に見せてやるぞ!」

 全く、灼のやりようはお山の大将というか餓鬼大将宛らだ。

 くっく、と小さく笑いながらも、戰は浮かぶ船の数を胸の内で数えていく。


 ――此の船の数だけ、河国の人々の生活や人生や生き様が詰まっているのだ。

 彼らを巻き込んだ以上、負けられぬ。

 4年前の河国の敗戦の後、巨船建造を控えていたのは禍国本土を慮ってでもある。表向きは絶対服従の意を表明し続け、息を潜めておらねばならなかった。

 然し、先々を思えば軍船はどうしても必要になる。其処で4年前、真が河国を離れる前に残していった提案というのが小回りの効く小型船による増強だった。


「質より量、かよ?」

 眉を顰めた灼だったが、意外にも燹とそして真の父親である優が灼に勧めた。

「陛下、確かに那国が有している軍船は嘗ての河国が有していたものとほぼ同じ巨船であり、成程、今迄の水上戦といえば巨船と巨船のぶつかり合いでした」

「そして現に、先の紅河戦で郡王陛下が大勝なされた戦は、紅河での水上戦で我が息子・真が実行に移した策は、基本的には巨体を誇る軍船であればこそのものでありました」

「そうであろうがよ、其れと知りながら」

「が、此れからの戦もそうとは限りませぬ」

「ぬう?」

 顔を顰めてみせた灼に、優が畳み掛ける。


「恐れ乍ら陛下、既に陸上でも大型戦車での突進攻撃力が戦の優劣を決める時代では、とうになくなっておるのです」

「兵部尚書殿が申されておられる通りに御座います、陛下」

「相国、戦車が役立たずというのであれば、今は何を持ってして戦の優劣が決まるというのかよ?」

 陛下、と真が進み出る。

「騎馬です。如何に多くの良質の軍馬を所有しているのか。其れにより、戦が決するのです」

「……馬、か」

「灼陛下、機動力に優れた騎馬隊を如何に効果的に投入し、且つ運用するかに戦の分れ目がある時代となったのです」


 ぬぅ、と呻きながらも、灼は真と、そして相国・燹と禍国兵部尚書・優の援護の正しさを認めた。

 郡王・戰は率いた軍は騎馬隊が持つ機動力と突撃力、柔と剛を遺憾なく発揮してみせた。河国相国・秀を見事に破ってみせたあの策は、騎馬でしか成し得ぬものであった。

「……水上戦でも、同じであると言いたいのかよ?」

 はい、と礼拝を捧げる真を前に、灼は顎を撫でながら、ふむ、と首を捻る。しかし、瞳の色には先程までの迷いはなくなっている。


「でなくては、自分は王妃となった涼と出逢えなかったな?」

 灼の瞳の奥に宿るものに気が付いている燹は、はい、と目を伏せて答える。

 同じく、どうか馬鹿息子の策を御一考下されよ、と真と並んで礼を捧げる優を前に、そうするかよ、と灼は満足そうに何度も頷いた。



 ★★★



 しかし真の此の、小型船にて戦を展開していくという案は、もっと切実なというか現実的な問題からの提案でもあった。


 禍国に対して遠慮もしていたが、実を云えば、河国には巨船を造り上げるだけの巨木がなかったのである。而も、其れらを契国から交易で手に入れるだけの財力もない。

こがねは王城にある残り滓のような品でも何でも、時に売っ払って用立てたとして、だ」

「陛下、恐れ乍ら、もう売り払えるような価値ある品は御座いませぬ」

「……分かっておる。言ってみたかっただけだ、黙れ、相国」

 ぶす、と鼻息を荒くしつつ、灼が剥れる。

 無い袖は振れない、いや元々袖は盗み尽くされているではないか。其れもだが、喩え金を用意出来たとて肝心の材木が無ければ仕入れようもない。

 元手も求める品も、何処を探せばよいのかすら見当もつかない。

 流石の灼が、頭を抱えた。


 無い無い尽くしで八方塞がりになりかけた河国を救うべく颯爽と現れ、活躍したのが時たち商人だった。

「どうするつもりだ? 金があっても何処から木を……」

「其処は、当て・・がありますので、御心配なく」

 にこやかに答える真に、灼は寄り目気味にの疑いの眼差しを向ける。しかし、真は何処吹く風だ。

「さて、忙しくなりますよ、時」

「はいはい」

 揉み手を戰ばかりにしながら、時はうきうきとしている。どうにも、暗躍する役目を任されるのが楽しくて仕方無いのだ。


 真の書簡を携えて時たちが向かった先は、なんと契国だった。

 彼の国の山で間伐材として伐採された木に目を付けたのである。此れらの木は、もう木炭にするか邑で家を建てる際に活用する以外に活用法はない。

「どんどん買い取りましょう。其れこそ、国元にばれなければ根刮ぎでも構いません」

 契国に入国した折、税収の記録簿をつぶさに調べた真は、彼らが間伐材に突いての調整帳簿をとっていない事を知っている。役人の目に直に触れなければ、先ず発覚する事はない、とふんだのだ。

「時、頼めますか?」

「ほっほっほ、此のじじぃに御任せを」

 時は腕に力瘤を作ってみせながら、梟のような笑い声をたてた。


 こうして、契国の間伐木はどんどんと河国に流れて・・・いったのである。

 元々、二束三文で買い叩かれていた材木が商品として価値ある品に生まれ変わる。

 契国の領民たちは此の闇取り引きに二つ返事で飛びついた。伐たち山で生きている彼らは、未だに生きる為に必死だったのだ。

 時たち禍国の商人と林業を営む男たちの仲立ちは、ばつが買って出た。


 下手をすると国を挙げての騒動、戦の口実にも成りかねない密交易を、時たち商人も伐たち山の男も実に逞しく、そしてしたたかにやり遂げたのである。



 ★★★



 ――彼らの御蔭で、戰の前にこうして軍船が浮かんでいる。

 戰も胸が熱くなった。

 数年掛かりで徐々に徐々に造船された軍船は、出番を今か今かと待ち構えているように思える。ふと、紅河の遥か源流を思い、戰は視線を契国方面に向けて僅かに細めた。


 ――だが契国に向かっている筈の兵部尚書は、今頃どうしているのか……。

 心配が募り、心が苦しくなる。

 が、今の自分は目の前の戦に対しての責任を果たさなくてはならない。

 兵部尚書・優に対しては、憂慮している姿を此方が見せれば逆に自分に対する今迄の信頼とは其の程度のものだったのか、と烈火の如くに怒り狂うだろう。

 勝利を信じていてやる事こそが一番、と頭で分かっていても歯痒さは残る。


 ――此の上は、一刻も早く戦を終わらせて契国に向かわねば。

 河国にも、そうそう負担を掛けてばかりもいられない。

 優と合流し、契国の政情を安定させ、其の足で剛国に居る真と克たちと連携を取れれば一番良いのだが、果たしてそう上手く行くか。


「大丈夫ですよ、戰様。そう心配なさらずとも、必ず上手くいきます」

 幻の真の声が聞こえてくる。

 ――そうだろうか……。

 そうだな、きっと真ならそう言って呉れるかな……。

「そうですよ、嫌ですね。父ももう少し信用してやって下さい。でないと、私に腹癒せの鉄拳が飛んできてしまいますから」

 真の声だけなく、おどけて首を窄めてみせる姿も脳裏に自然と浮かんでくる。

 思わず、くすっ、と小さく吹き出してしまった。

「嫌ですねえ、人を笑い者になさるのですか? いいですよ、帰ってから、私のさいに告げ口して叱って貰うとしますから」

 が、何時ものんびりと、しかし的確に答えを示して心を軽くして呉れる、誂いながらも力を与えて呉れる、一番傍に居て欲しい一番の友が、真の笑顔が、想像の中にしか、今はない。


「……真」

 不安、焦燥、憂慮、胸騒ぎ……色々言葉を尽くして表現してみても、どれも今一つしっくりと来ない。

 言うなれば、身体から魂が半分抜け出てしまったかのような虚無がある。

 此れは、喩え良く仕えて呉れている克や杢たち、師匠である虚海、愛する椿姫や星や輪たち家族でも、どうにも埋めようがないうろだった。


 ――真も私と同じなのだろうか。

 同じ虚ろを抱えているのだろうか。

 そして矢張り、心と魂が欠けたような愁心と、依依とした胸に迫る思いを抱えているのだろうか。


「――真」

 ……今、どの空を見ている……?


 戰が見上げた夏の西天は、まだ沈まず、青く高かった。



 ★★★



 祭国郡王・戰が兵を率いて河国王都の正門に到着した。

 凄まじい熱狂と共に門が大きく開け放たれ、祭国軍は歓呼に包まれる。

 兵の総数は2万5千。

 戰が率いる兵は1万。

 そして杢の率いる兵が5千。

 残る1万は弓隊と槍隊である。


 一方、共闘する河国王・灼が招集させた軍は4万5千。

 国王・灼と相国・燹、共に1万の兵を率いる。

 灼は騎馬隊、燹は歩兵を中心にしており、此れ等の兵は全て遼国の領民で編成されている。

 残る2万5千の兵は水上戦に振り分けられるだろう。

 当然、水域に強い河国からの領民で編成された兵だ。


 実際の国力からすれば、遼国が2万もの兵を出すのは、狂気の沙汰だ。

 嘗て河国が遼国を支配していた時代、職人集団である彼の国からすれば国を傾けかねない一大事であったからこそ、男たちを何事かにつけ大量に搾取し続けたのだ。

 其れと知りながらなお、敢えて押し切ったのには理由がある。

 単純にして明瞭だが、吉次たちが開発した鉄芯の青銅剣の存在だ。

 生産能力ぎりぎりを見極めた新たな剣を開発した上で、遼国側が自ら身を切っていると知れば、河国も含む処を腹の底に飲み込み戦に向けて気構えを一つにしてゆかねばならない、と自らを律していく流れになるのは必定だからだ。

 共倒れと成りかねない国難を、国王・灼は2つの国が一つになる絶好の機会と捉えて動き、図に乗ったのである。


 そして今回の戦の為だけに開発されたようなものである鉄の芯の青銅剣を、遼国と河国の民が共に手に取えう。

 互いに団結して那国に立ち向かうと実感させる事で、不安と疑念を一気に払拭させて結束を強固で確かなものにするのも狙いだ。

 祭国郡王・戰の家臣であり陽国出身である吉次が鍛え上げた剣が、河国王・灼と遼国と河国を救う。

 実に奇妙な関係図だ。

 が、こうした互いに互いを救っていく、同盟の友という間柄で国と国という垣根を越えて結ばれていく事こそが、戰と真の目指している一つ姿と云えた。



 ★★★



 一方が救われ報われるのであれば、他方では、こんな筈ではなかったと臍を噛み地団駄を踏む輩が存在するのもまた世の常だ。

 河国王・灼が前者であるとするならば、那国王・敏と廃皇子・乱が後者に当たる。

 夜を徹して策を練り直した那国王たちは皆、憔悴し切っている。

「まさか、こんな大軍を目の当たりにしようとは……」

 想像もつかなかった。

 禍国本国でなければ不可能な大軍を前にして、戦意が消失せぬ訳がなかった。事実、国王である敏ですら衝撃に言葉を失ったのだ。武人の癖に臆したか、臆病風に吹かれたか、と誰が誰を叱責出来るであろうか。


 元より、禍国軍の力を最も良く知り尽くしているのは那国とも云えるのだ。

 15年前、禍国を宗主国として選び、庇護下にあったからこそ河国との戦にも勝利出来たのだ。あの戦は、戦って負けを知らぬ豪胆無比な武人・優の名を平原に轟かせた一戦となった。

 あの時以来の戦であるが、然し今回は救ってくれた禍国を相手にせねばならないのだ。

 那国の武人ですら、改めて肝を凍り付かせており、縮み上がった魂は心身の疲弊の速度を上げていた。

 しかも、兵部尚書・優すら豪放に使ってみせた漢である郡王・戰と対峙するのだ。

 戦う前から大敗の恐怖を味わっており、現実のものとなる日も近い、という恐怖に皆が苛まれ続けていた。


 しかし乱は相変わらず、脳天気に構えている。

「なぁに、相手は兵部尚書ではない。戰の奴だ。数が揃っているだけの相手に、何を恐れる必要があるか」

 水上戦の許しを未だに発しない敏の肝の小ささに些か苛々した様子をみせながらも、乱は己の勝利を既に確信して酔っている。

 芝居かかった物言いに、敏は顳かみが切れるのではないか、と思った。


 ――どの口から出ておるのだ、其の強気は!

 身分が低い後宮の腹から出た皇子である、其れだけで戰という漢を無価値と決めつけている。楽観的というかその安直さが、いっそ羨ましくなってくる。

 ――馬鹿か貴様は!

 戦場で、数の圧倒がどれ程勝利に貢献するものかを知らんのか。

 何と云う戯け者だ。

 仮にも皇子だろうが、一体どんな教育を受けてきたらそんな呆けた微温い考えで生きていけるのだ!

 此の為体ていたらくで良くも万の兵を率いる気でおられるものだ。

 大躻おおうつけ者とは貴様の事だ!


 開戦を告げる前に乱を張り倒してやりたい欲求に駆られる。が、其れもあと数日の事だと思えば耐えらぬ訳ではない。

 ――貴様が立てたくて仕方が無かった武功を誇りつつ冥府へ行けるのだ。

 精々、喜んで死んでくれ。

 敏は腹の奥底で怒りの蜷局を黒く巻きつつ、乱の脂肪で丸くなった背中を睨む。


 水上戦を戦うのは元河国の民であったようだが、乱が将軍として指揮を執っていると探りを入れた敵が掴んだらしい。

 船に掲げている軍旗は河国のものではなく禍国の物である、と此方が放っている斥候も知らせて来た。

 敏としては都合が良い展開となった。

 郡王・戰さえ王都に居なくなれば良い、しめたものだ。


 ――その間に我々は海を使って北上し、河国の王都目指して攻め下る。

 河口付近の戦いに注意を奪われている間に王都を手中にするのだ。

 根雨の話では、王城には出産間近い王妃と後宮が居るという。彼女らを質とし河国の王印、大国旗に璽綬を奪う。後に西宮に下がっている異腹妹・伽耶を連れ出し、己を河国王として認めされば良い。


 ――禍国の皇子同士で精々潰しあっておれ。私は河国を手に入れる時間を稼いて呉れよ。

 嘗ては望むべくもなかった望みが、大河で隔てられているが故に成し得なかった夢が、もしかしたら叶うのかもしれない。

 敏は胸の中でふつふつと音を立て滾り始めた野望のせいで声が上擦らぬよう、必死にならねばならなかった。



 ★★★



 那国王・敏が発した策とはこうだ。


 先ず、軍を水軍と陸軍の二軍に分かつ。

 水上戦は禍国皇子・・が総大将として指揮をとる。

 河国の最も河幅がある地点にて川上を奪取して布陣する事とし、陣形は横木の陣とする。

 船は巨大軍船、所謂、闘艦とうかんを主とし水利を活かして一気に攻め込むものとする。


 陸上戦の指揮権は国王・敏のものとする。

 ただし、攻め込まれるのを待つのではない。

 此方から河国に討って出る。

 而も、敵の裏をかいてやるのだ。

 何も阿呆の一つ覚えのように正面から突進して討ちに掛かってやる必要はない。

 そう、がら空きの背後から攻め入るのだ。


 水上戦が展開されている間、河国の注意は真正面に向かざるを得ないのは必定だ。

 大河で展開される、禍国の廃皇子・乱の動きに目と心を奪われずにいられる者の方が稀だろう。

 此の心理的にどうしようもない動きを利用するのだ。

 河国は那国の動向を図ろうと針の穴よりも小さく鋭く、見詰め続ける筈だ。

 此の隙きを突いて、那国に遠回りになるが海上を使って北上して上陸し、河国を北から攻め入る。

 南にしか意識が向いていない河国の虚を衝き、背後からの一網打尽を仕掛けるのである。


 ――此の策であれば、喩え水上戦が無様に大敗したとて陸上戦に打ち勝てばどうとでもなる。

 水軍に選出された民草には悪いが、派手に負けて散って呉れ、と敏は心の底から願っていた。

 ――奴らの気を緩めるには紅河の名に相応しき紅き川面に変質するまで血が流れて貰わねば。

 郡王・戰の気勢が緩むとすれば、廃皇子・乱を討ち取った時になる。

 郡王が兄皇子・乱との戦いの勝利に酔いしれている間に河国本土を討つ。


「……今に見ておれよ、郡王・戰。戦巧者の名の実態の程度の程を世に知らしめてやるのは、此の私、那国王・敏だ」

 ぼそり、と敏は呟く。彼の声が耳に届かなった乱は、上機嫌で衣を整えさせている。

「……乱よ、貴様には今迄喰わせてやってきただけのつけ・・は、払って貰うとするぞ……そう……たっぷりと、な」



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