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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
三ノ戦 皇帝崩御

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4 新たなる仲間と その2

4 新たなる仲間と その2



 椿姫自ら発案したこの行幸みゆきを、領内を多数巡るのであるから巡幸じゅんこうと言うべきであろうか。

ともあれ、この椿姫たっての案を力強く後押ししたのは、戰だった。


「戰様も、賛同して下さいました。真様は、どう思われますか?」

「どうだろうか、真。良い考えだと思うのだが」

「そうですね、確かに」

 元々が、農耕民族の集まりであったが故に、長らく巫祭事国家であった祭国は、古い年代には当然、女王が何代も続いた事もあった。天啓を授かる巫女を敬う素地が、この祭国の民には根強くある。


 長く即位することのなかった女王、そしてまだ若い椿姫を危ぶむ声は当然、民の間に流れている筈だ。だが『新女王・椿陛下』の威光を、税の軽減や、戦を仕掛けて領土を広めたりなどして知らしめる事が出来ぬ以上、これは良い手立てだ。手っ取り早く国を纏め上げる方便として、使わない手段ではないだろう。

「しかし、何をもって女王の威光として知らしめる盾とすればよいのかが、どうにも思い浮かばないのだ。何か良い案はあるかい、真」

 自分から提案しておきながら、肝心要の所を全くの不備のまま丸なげしてくるとは。苦笑しつつも、真は早速思い当たる目星を提案する。


「そうですね、では、折角ですから七子銅鏡を使われては?」

「銅鏡を?」

「はい、過日、露国王より椿姫様に贈られた貢物は、七曜を司る七子銅鏡であったはずです。それを女王陛下の威光の証となし、県令を中心として下賜なされれば宜しいのです」

 戰と椿姫は、互いの顔を見合わせた。

 なる程、確かに巫女とその卜占の中心である太陽神の化身ともされる銅鏡は、切っても切れぬ密なるものだ。それを下賜するという事は、即ち、巫女姫としての彼女の威を下賜するという行為に他ならない。

 しかも、その銅鏡の出処は、隣国であり昔から同祖のともがらとして親しくしている露国王・せいだ。つまり、露国も彼女の威光を認めたのだと、知らしめ得る絶好の機会ともなる。


「流石だね、真」

「いえ」

「流石ついでに、実はもう一つ、悩んでいる事があるのだが」

「はい、何でしょうか?」

「実はね、椿の兄王子・かく殿には、どうやら承衣の君が居られたようなんだ」

 実の兄と叔父との一騎打ちの末の共倒れで終わった内乱に隠されていた、祭国王家内の出来事を、真は相槌を打ちながら聞き入る。


「出来れば、今回の行幸みゆきの際に、同時に探し出したいと思っていたのですが、まだ、迷っていて……。でも、戰様は、これはわたくしが一人で勝手に決めてしまって良い事柄ではないと、厳しく仰られるのです。」

「真はどう思う?」

「そうですね、私もやはり、戰様と同意見です。もしも本当に愛情を注がれた承衣の君が在されて、兄王子様と承衣の君との間に御子様がお有りになられているのであれば、探し出さねば天神のことわりに悖るでしょう」


「やはり真様も、戰様と同じように、思われるのですか?」

「この国をお継ぎになられるか否かは、御本人様を含め、何よりも承衣の君がお決めになられる事であります。が、しかし、隠御子いんしの君に御自身の出生の根幹を暗いままにさせておくのは、それを知り得る者の罪です」

「でも、その事で逆に、御子に辛い思いをさせはしないかしら?」

「確かに、王家と繋がりがあるとなれば、それまで知らぬ顔を決め込んでいた癖に、甘い汁を欲して、やれ血族だ親族だと名乗り出る、愚かで阿呆な輩が数多出てくる事でしょう。それを慮って、承衣の君は今の今まで名乗り出る事をなさらずに来られたのでしょうし。ですから、全ては極秘裡に進めねばならない事は、確かです」


 まだ、決心が付き兼ねる様子の椿姫だったが、珊が彼女を呼びに来た。行幸の作法について、切り詰める事ができないか相談したいのだと言う。

どちらを、と迷う椿姫を、戰が笑う。

「椿、行ってくるといい。後はもう、私と真で話を詰めておくよ」

「はい、戰様」

笑顔を取り戻した椿姫は、会釈をすると、戰と真を残して部屋を出て行った。


 今回の行幸を万全にしかも最短で事を図り切らねばならない。

 しかも更に、金がない貧乏旅行だ。

 禍国から金を出せば形跡が残る。それは得策ではない。

 ときに頼もうにも、儲かるかどうかもわからない屯田兵の為の資金繰りに、相当な無理をさせている。これ以上は頼れない。


 しかし、椿姫はどこか楽しそうだった。

 それは、戰や真と共に、この国の役にたてているのだと、実感できているからだった。



 ★★★



 椿姫が部屋を出てから、戰と、七子銅鏡の件について改めて話を始める。

 貢物の七子銅鏡を下賜するとしても、基準を何処に定めるのか?

下手に切り詰めれば、見落とされた側は良い気分になる訳がない。


 それを避けるには、戰がその行幸に同行し、七子銅鏡を与えられなかった地区には禍国からという体裁をとって戰から下賜物を与えるなりする他はないだろう。不満や反発を極力避ける為には、そうせざるを得ない。

 そうなると、その地区は当然、屯田兵がその住まいを構える土地に近い方が、より良いに決まっている。

 地図を開き、地区ごとの勢力、農産物生産能力、人口、土地の広さを考慮して、四捨五入の線引きを何処に設けるべきであるのかを、互いに案を出し合っていく。

 

 ふと真は、地図から眸を上げ、ちらり、と戰の横顔に視線を走らせた。

 実に充実した、生気・気力に満ち溢れ、精気とやる気にも満ちた、正しくおとこの顔付きだ。


 気が付いていないとでも、まさか、隠しおおせているとでも、思われているのでしょうか?

 祭国に旅立つ為に入宮した離宮での一泊の後、明らかに戰と椿姫の間に流れる空気が変わった。何かと言えば、蓮才人が「そんなものは一目見ればわかりますわ」と力説していたが、こうも明白あからさまな態度に出られては、どうぞ皆様、想像力を逞しくて下さいと言っているようなものだ。


 ふと気が付けば二人の視線が絡み合っており、見詰め合っては顔を赤らめあっている。それでいて、別に言葉を掛け合う必要などないのだ。互いの心を視線を交わすだけで認め合えるなど、長年連れ添った夫婦でも難しいだろう。

 だいたい、それまで『姫』と『皇子様』としか呼びあえなかった間柄が、一気に『椿』と『戰様』となられれば、もうその想像の行き着く先は、ただ一つしかないに決まりきっている。


 私の初手を根掘り葉掘りお聞きになられたのですから、お二人の初手を、是非とも知りたいものなのですが。

 つい、くすくすと笑い声を漏らす。


 聞きたいのはやまやまですが、事細かに細部に至るま尋ねれば、どうせ戰様の事ですからね。全身を真っ赤な茹蛸状態になさって、しゅぅ~・という蒸気が上がる音が聞こえてきそうな為体になられ、目を回して意識をなくし、ぶっ倒れられるのが、まあ関の山でしょう。


 余りの恥ずかしさに、思考能力の全てを奪い去られて、がちがちになっている戰が容易に脳裏に思い浮かび、ぷっ! と真は吹き出した。

「どうした?」

「いえ、何でもありませんよ」

「そうか?」

 顔を顰めている戰がどうにもおかしくて、真はくっくっくという、喉からこみ上げてくる笑い声を抑えきれないでいた真は、遂に吃逆が出始めた。

 ぼりぼりとうなじをかきながら、真は冷水を器にいっぱい用意して下さい、と舎人に頼んだのだった。



 ★★★



 当座のこがねは、真の思惑以上の順調さで集まりだした。

 書類の作成からこがねの計算に至るまでの流れるような作業は、偏に、水を得た魚状態のるいつうのお陰であるが、本人たちに言わせれば、思う様仕事をさせて貰えるのであるから此方の方こそ礼を言いたいという気分らしい。


 しかし、ひとつ問題が発生した。

 この二人、元々仕事に没頭すると寝食忘れて熱中する質なのであるが、上司がこれでは、下官は帰宅したくても容易に帰宅できないのだ。時間がきて帰り支度を始めたくても、鬼気迫る形相で嬉しそうに集中しまくっている。こんな二人に「それではお先に失礼致します」といって、部屋を抜け出るなどと、相当な胆力がなければ出来るものではない。


 それに気がついたのは、もくだった。

「仕事に疲れ果てて倒れる役人が、いずれ遠からず出るでしょう。早めに、何とかされた方が良いかと」

 そう真に注進してきた。意外そうな真に、杢は表情も変えずに淡々と答える。

「貴方のお父上で、懲りておりますので」

「そうですね、思い至りませんでした。有難うございます」

「いえ……それに真殿も、祭国にまいられてから、数える程度にしかご帰宅されていないのでは?」

「え? ああ、そうですね」

「毎日必ず、きちんとご帰宅なさい。上官が率先して休まねば、下官も身体を休める事がかないません。それでは、郡王陛下が迷惑を被られるだけの事です」

「ですね」

「そうです。郡王陛下におかれては、周辺をお守りする人物が圧倒的に少ない。誰しもが、余人を持ってするなど考えられぬのですから、自戒していただかねば」


 確かに今ここで、何処の誰の部署であっても、仕事が滞っては非常に困る。

 ぼりぼりと前髪辺りかいて、真は苦笑いする。

 確かに、父・優も全く家庭を顧みない仕事一筋の人物であり、事あらば帰宅すら稀となる入れ込みようだった。それを正室のたえ夫人に浮気と勘繰られて、盛大な夫婦喧嘩に発展したことも、一度や二度ではない。だからこそ、癒しを求めて母であるこうを離さなかったのであろうが、正直なところいい迷惑を何度も被っていた真としては、いい加減で学習して下さいという心境だった。

 そんな自分が、いざ仕事をする側に回ると、全く父親と同じ道を歩んでいるとは。武辺の才能も何も受け継がなかった自分が、奇妙な所で父と似ているとは。

 親子とは不思議なものですね、と真はくすくすと笑い声を漏らした。


「分かりました。家の改築を頼んでもいましたし、一度帰らねばならないとは思ってはいたので」

「一度、ではいけません。毎日ちゃんと、お帰りを」

 真はもう一度、苦笑いした。



 ★★★



 久しぶりに我が家に帰ると、縁側でしょう姫が大工の棟梁であるたくと、将棋盤を間に額を突き合わせていた。

 全身これ丸太で出来ているのでは、と勘ぐりたくなる筋骨隆々の身体つきに、ざんばら髪を適当に髷にして無精髭を胡麻のように生やした、如何にも体力勝負の大工らしい風貌だ。

 そんな巨体を、しょう姫に合わせて背中を丸くして小さくさせて、将棋盤を覗き込んでいる様子は、可愛げがあり可笑しみを誘う。危うく吹き出しかけるのを、真は必死で堪えた。

「ひゃ!? お、奥さん、その手はちぃっとばかし、イケズだぜ。ちょ、ちょっくら待ってくんな」

「駄目よ。これでもう五回目の『ちょっと待って』よ」

「頼むよ、奥さん、もう一回! もう一回だけでいいからよ!」

「う~ん、それじゃあ、また何かおまけしてくれたら、許してあげる」

「よし! そんなら物干し台だけじゃなくて、物干し用の竹も山から取ってきてやらぁ! これでどうでえ!?」

「しょうがないわね、じゃあ、もう一回だけよ」


 とうとう、ぷっ! と真は吹き出した。

 どうやら、将棋の勝負中の『待った』をかけて、あれこれと『おまけ』させているものらしい。

 吹き出した真に、二人が気が付いて、一緒に振り返った。

途端に、ぱあ・と顔を明るくさせて、縁側から飛ぶように降りたしょう姫が、真に駆け寄ってくる。その隙にたくが、将棋盤の駒をぐちゃぐちゃに掻き回して誤魔化しを図っているのを見て、またもや真は吹き出した。


「只今帰りましたよ、姫」

「お帰りなさい、我が君」

「よう、大将」

「お久しぶりです、琢。のんびりと将棋を指しているという事は、仕上がったのですね?」

「おうよ。大将、まあ、ちょっくら見てくんな。我ながら、惚れ惚れする仕上がりだぜ」

 ばん! と盛大に背中を叩かれた真は、げほげほと咳き込んだ。


 三人で書斎に向かう。

 禍国の実家での住まいは、小さな離れというか、真の住処すみかは実質物置を改造したような書庫だったのだが、今回、祭国での生活にと椿姫から邸宅が贈られた。

 古いがしっかりた堅牢な佇まいの母屋と厩、そして小さいが四季を楽しめる庭もある、すっきりと趣味よくまとまった武家屋敷だった。

 元々、真としょう姫の夫婦二人きりであるし、住み込みで警護込の下働きの仕事を請け負ってくれた蔦の一座の者を含めても、十人もいない。充分過ぎる程だった。

 派手な生活は真が好まないだろうし、しょう姫も望まないだろうという椿姫の心使いに感謝したのであるが、問題がひとつあった。

 武家屋敷だけに書院らしき部屋はあるのだが、圧倒的に書棚が足りないのである。取り敢えず、空いた部屋に持ってきた本や木簡竹簡をひとまとめにしてぶち込んだは良いが、部屋が暗くなるから早く片付けて、としょう姫から矢の催促を受けたのだった。


 その際に、注文があった。

「我が君、いい? 今度は床に本や木簡を山積みにしないでね?」

 何しろこの屋敷は、借り住まいなのだ。

 禍国での書庫での本を除いた時の部屋の汚さを、しっかり覚えている幼い妻に、はい分かりました、と真は小さくなりつつ苦笑いして頷いた。

 堅実な造りをしているとは言え、古さの為に多少の手入れは必要であり、近所の挨拶まわりをしつつ大工か指物屋はないかと聞いて回ったところ、この大工の棟梁であるたくという人物に出会ったという訳である。


「なんでえ、兄妹でこっちに移り住むんかい?」

 真の年齢から、口減らしか一山当てようかといったところかと、勘ぐってきた琢に真は、いいえ、と簡単に答えた。

「夫婦ですよ」

「ほ~お、ふうふ……夫婦だあ!?」

 飲んでいた湯を、ぶー! と勢いよく盛大に吹き出しながら、琢が驚く。

「はい」

「へえ、あんちゃんかと思いきや、大将だったんかい」

 けけけ、と蛙のように琢は笑い、器に湯を入れ直す。


「で、何をして欲しいんでえ?」

「実はですね、書棚を作って欲しいのです、作り付けの」

「ほ? どのくれえのが、欲しいんでえ?」

 作り付けの本棚程度であれば、丁度良い木板もある事だ、一日で出来上がると琢は答えたが、真はぼりぼりと後頭部をかきあげた。

「実はですね、ちょっと、仕事が必要になると思うのですが……」

「ほ?」


 真が望んだのは、作り付けではあるが、引き戸のように入れ違いになる書棚だった。棚全てに本を収めても、その重さに耐えて動くように造らねばならない。

 そんな書棚の注文など、今まで一度も請け負った事がない琢は、腕組をしてう~んと唸った。

「出来ますか?」

「ま、こうしてご丁寧に挨拶に来てくれたんだ。大将の為に、何とかすらあな」

 職人気質の琢は知らずに引き受けたとは言え、一旦受けた仕事である以上、『出来ない』と放り出すことはしない男だった。

 かくして、大工の技を駆使して、琢は真の念願である引き違い式書棚を作り上げたのだった。



「どうでえ、大将、結構な出来だろ、お?」

「ええ、凄いですね。これは想像以上です」

 部屋に入るなり、真はうきうきした声をあげた。引き違いの棚を入れ違いに動かして子供のように喜んでいる真に、しょう姫が呆れかえる。

「嬉しがるのは良いけれど、本や木簡を仕舞うのは我が君が一人でやるのよ?」

「えっ……? 手伝ってはくれないのですか?」

「お家を忘れちゃうような人は、勝手にすれば? 私はそんな人、知らないもん」

 ぷい、としょう姫はそっぽをむいた。


 此処に至って、真はもくの言葉の正しさを実感する。

 なる程、幾ら蔦の一座の者が共に住まい、時も近所に屋敷を構えているとはいえ、この見知らぬ土地で一人、砦を守っているような状況をこんな幼い子にさせてしまっていたのだ。

 何だかんだで、自分の方こそ、しょう姫に甘えている率が格段に高くなっている事に漸く気がついた真は、前髪をくしゃくしゃと掻き回した。


「何でえ何でえ、夫婦喧嘩か?」

「違うもん!」

 たくが誂って、けけけ・と蛙のように笑うので、しょう姫が真っ赤になった。肩を怒らせながら小鼻の上に皺を寄せて、べえ! と舌をだして、ぷん!と顔を背けて小走りに去っていく。

「すいませんでしたね、琢。どうも、貴方にも甘えてしまっていたようですね」

「いやあ、別にいいって事よ」


 琢がしょう姫と将棋を指してくれていたのも、恐らく書棚の完成を延ばし延ばしにしてくれていたのも、こうして通って彼女の寂しさを紛らわせる為だったのだろう。

 自分は実に恵まれている。しかし。


「琢」

「おうよ、大将」

「妻の遊び相手をして下さったのには、礼を言いますが、ずるはいけませんよ?」

「お?」

「将棋の駒を、ぐちゃぐちゃにして誤魔化していたでしょう?」

「あ、ああ」

 けけけ、と琢は笑った。

「いいじゃねえか。大将も、俺っちが居てくれて助かったと思ってんなら、それくれえ見逃してくんな」

「いえいえ、駒の位置は全て覚えていますから、どうかご心配なさらずに」

「ほ!?」

「それはそれ、これはこれ。妻には勝って貰わねば。是非とも、物干し竿も一緒に頂きませんとね」

 大将、そりゃイケズだぜ、と琢は天を仰いで呻いたのだった。



 結局、しょう姫は夕餉の準備に下がった為、真が琢の相手を務めることになり、十手も合わすことなく勝敗は決してしまった。

頭を抱えてのたうち回る琢に、真は笑った。

「どうですか? もう遅い事ですし、迷惑でなければ夕餉をご一緒に」

「お? い、良いのかよ? 久しぶりの夫婦水入らずなんだろ?」

「邪魔と感じているのなら、もうとっくにお帰り願っていますよ」

 しょう姫も奥から姿を現して共に勧めたため、琢はそれじゃあ遠慮なく、と舌舐りせんばかりに頷いた。先ほどから良い匂いがしていて、ぐーぐーと腹の虫が鳴いて鳴いて、仕方が無かったのだ。

「さっすが、大将! いや~、俺っちが見込んだだけの事はあらあ!」

 揉み手をしつつ、躍けて真の後に従っていく。

この琢という男、勝負事には滅法弱そうだが、さりとて損はあまりしない、結構お得な運気を持つ人物のようだった。

 


 ★★★



 蔦の一座の者も加わっての食卓を囲む。

 今日は、川魚の塩焼きと野菜の煮付け、青菜のおひたし、豚肉の汁もの仕立て、むかご入りのご飯、そして何やら棒状の、見慣れない御数が一品のっていた。

 基本、真は好き嫌いはしない。

 大抵のものは出されれば美味しいといって、平らげる。事実、椿姫に鍛えられたしょう姫の料理の腕前は、かなりのものだ。

 しかし、青物というか、葉物野菜だけは、どうにも苦手だった。あの青臭い匂いが鼻を抜けていく感覚が、なんとも慣れないのだ。しかし、今日の青菜は違っていた。炒った胡麻が振り掛けてあり、その香ばしい香りで青菜臭さが気にならない。


「美味しいですね」

「そう?」

 短い返事の言葉の中に、しょう姫の自慢の成分を感じ取り、真は笑った。しかし、本当に美味しい。

「琢に教えて貰ったお料理を、参考にしたのよ」

「へえ?」

 と、言う事は、棒状の御数は、琢が持ち寄ってきたものなのか?

 促されて箸でつまみ上げて口にしてみると、地味溢れる薄皮の味と共に、胡麻風味の肉味噌の味がした。豚肉の強い臭いを、香ばしい胡麻の香りが抑えている。

 なる程、美味しいですね。

 この料理を参考にしたという、しょう姫の料理への創作意欲に真は舌を巻いた。おかげで苦手が減り、よりよい食生活を送ることが出来ると嬉しくなる。

 しかし、それにしても。


「珍しい料理ですね? 味わった事のない味なのですが、これは一体、何なのですか?」

「へっへへへ、これはよ、おっんだお袋の得意料理の一つでよお。蕎麦で作った薄皮によ、炒った胡麻を混ぜた味噌で肉に味付けしたもんを巻いて焼いてあるんでい」

「蕎麦!? これは、蕎麦粉で出来ているのですか?」

「おうよ。俺っちのお袋はよ、燕国えんこくの出だったんでい。あっちの国じゃあ、米が育たねえから、専ら麦と蕎麦を使って飯をつくるんだとよ」


 禍国では、蕎麦は高級品だ。王侯貴族どころか、皇室の一員の、それもひと握りの人物しか口にできない。戰ですら、恐らく口にした事はあるまい。

 それ程の穀物を、庶民が御数として皿に上げているとは!?

 箸でつまみ上げた御数を、真はまじまじと睨みつけた。



 ★★★



 琢が帰ると、真は殆ど走るようにして、書簡置き場にしていた部屋に飛び込んだ。そして、幾つか木簡と竹簡を山にして抱えて出てくると、書斎に向かう。机の上の明り取りに火を灯すと、新しい礼を幾つか用意して墨の用意をし、改めて持ってきた木簡に視線を落とす。


 そのまま、刻が経つのも忘れて没頭していたが、不意に、手元が暗くなったので視線を上げた。見上げると、格子戸の向こうに、小さな人影が見て取れた。

 しまった、と真は頭をかいた。

 帰ってきたのは良いが、結局家で仕事をしてしまっているのでは、何にもならないではないか。

「我が君、入ってもいい?」

 果たして、心細そうなしょう姫の声がした。

「どうぞ」

 木簡を片付けながら、真は膝を正して座り直す。格子戸をすらりと開けて、枕を抱きしめたしょう姫が、おずおずと入ってきた。

 てっきり、疲れをとるために早く寝ろと怒られるものと思っていた真は、目をまるくする。


「どうしましたか?」

「あの……あのね」

「何でしょう?」

「眠くなるまで、我が君のお傍にいても、いい?」


 一瞬、言葉を失った真だが、にこりと笑うとしょう姫を手招いた。

 敷いていた座布団を外してぽんぽんと叩くと、ぱあ・としょう姫の顔が輝いた。ちょこちょこと傍に寄ってきて、座布団の上で小さく膝を揃えて座ったしょう姫に、真は寒くないよう、傍に用意してあった薄掛布団を、肩がすっぽりと隠れるまでかけてやる。

 真が笑うと、漸くしょう姫も笑顔になった。


「すいません。眩しくて、眠気どころではありませんね。灯りの火を弱めますよ」

「駄目。そんな事したら、我が君の目が悪くなっちゃう」

「大丈夫ですよ、少しくらい」

「でも、座布団もお布団もとっちゃって、我が君、寒くて身体を悪くしちゃう」

「じゃあ、こうすれば大丈夫ですよ」

 そう言って、真は余っていた掛布団を自分の肩の上にかけた。掛布団の下で、しょう姫の丸くなった身体と、真の肘がくっつきあう。


「暖かいです」

「うん」


 頷いて暫くすると、しょう姫の身体が真にもたれ掛かってきた。

 そのまま、直ぐに寝息が漏れ出す。すると、音もなく格子戸が開いて、蔦の一座の者たちが気配を感じさせずに部屋に入ってきた。しょう姫を、部屋に連れて行くと手招きをした。

 しかし真は少し微笑んで、首を横に振った。

 訝しむ一座の者の前で、しょう姫の身体を座布団の上に横たえさせ、頭を膝の上にのせた。一座の者たちは、視線だけで微笑むと、訪れた時と同様に音も気配もなく去っていった。



 幼い妻の、思いやりと寂しさに応えようとしているのか。

 真は夜通し、あやす様に、とん・とん・と、片手でしょう姫の肩を叩き続けたのだった。



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