22 屍山血河 その4-3
22 屍山血河 その4-3
根雨が近付くと同時に、息巻いていた乱が急に大人しくなった。
更に此方をちらちら覗き見しだすのを見て、やれやれ、と呟きつつ敏は自分の沸点を越えた怒りが収まり出しているのに気が付いた。
軍備を其の目で確かめさせて持ち上げる魂胆なのだろう、乱を静めて見せた根雨は、其のまま上手く彼を兵舎へと連れ出していく。不愉快極まる無粋な脚音をたてて乱が完全に姿を消すと、敏の家臣団は既に一仕事終えた後のようにぐったりとくたびれ果てていた。
しかし、此の隙きを逃してはならない。
家臣たちは河国王・灼、そして祭国郡王・戰に対する血の滾りを隠そうともせず、大激論を交わし始めた。
どの道を選んで攻め入って来るか。
軍備、軍編成は如何にすべきであるのか。
紅河と力河の河岸に新たに橋頭堡を築くのか。
兵数は?
騎馬の数は?
議論は止む気配を見せない。
乱に軍議の場を荒らされ続けているうちに郡王・戰に負けるかもしれない、という空恐ろしい予感に皆の肝が冷えだしているせいもあるが、此の数日の間の幕僚監部たちの結束力の高まりは凄まじい。
此れならば、相手が戦巧者と怖れられている郡王・戰と炎熱地獄を率いていると揶揄される河国王・灼の連合軍に負ける要素は見当たらぬ、と敏は感じている。
――こうで無くてはならん。
実際家臣たちの、弓隊のみの合戦のような口論のやり取りは凄まじい。下手をすると此のまま、身内同士で斬り合いになるのでは、とふと恐れがよぎる程の激しさだ。敏は耳を傾けながら、彼らの論議の内容から気になる物を己の腹の底で吟味し続けている。
敏の傍らには、速記を得意とする内官が何時の間にか左右に控えており、飛び交う議論を片端から木簡に書き綴っていた。
長考して聴き逃したりしても、こうして全ての議事を記録しているという安心感があればこそ、敏は話題に即座に優先順位を付けて熟考出来るのである。普通に議会が開かれれば、備忘録を録る書記官は当然つくのであるが、此のような、話いる言葉其の儘を速記する書記たちの手筈は根雨の手によるものだ。
今や、あの宦官・根雨の存在無くして那国の王城、いや乱相手の狂乱状態は治まらないとすら、影で揶揄されている。
敏が苦笑いしつつも根雨の内官に在るまじき出過ぎた動きに許しを与えているのは、利用価値を認めているのと、何よりも彼が『那国村』の出身の、而も宦官である、という点にあった。
――何時でも殺せる相手というのは、何も考えずに済む気楽さがよい。
門閥貴族に幕僚監部たち、国の始祖の代より仕えし歴々の重臣たちは、喩え国を傾ける損害を出したり失態を犯したりしても切るに切れない事情が多発する。
ただ、粛清すればよい、という短絡的な話で済まない。
此処ぞとばかりに連帯責任を主張して追い落とそうとする輩もいれば、断固として反発する一門も当然出る。彼らを刻に宥め時に煽り、互いの意見を調整しつつも己の意に最も沿うように事を運ぶのは存外に手間が掛かり面倒なものなのだ。
此の悩みこそは、王座に就いた者にしか判らないだろう。
しかし、根雨のような者は後腐れなく切り捨てられる。
利用されるだけの存在として、其のように、生まれついた時から仕込まれている者だからだ。
敏は、根雨の仕事の熟し方などを見て、こういう物を重用するのも悪く無いのかもしれぬ、と思い出していた。
★★★
兵舎に着いた。
乱殿下、此方に、と根雨は腰を下げたまま、するすると迷いなく進んでいく。
そんな根雨の腰つきを、乱は片眉を跳ね上げながら横目に睨む。
――奇妙な歩き癖の有る奴だ。
脚音も立てず、衣擦れの音すら耳に届かせない。
空気の流れすら感じさせない歩き方は独特であり、かと言って存在感が無い訳でもない。寧ろ、大いにある。揺れる腰付きは、どう見ても女性が媚態を放っている時の其れと同種の色気がある。宦官特有ののっぺりつるり、とした肌あいといい、其の不気味さは異様な吸引力を発揮している。
思わず、ごくりと喉を鳴らしている乱に気が付いているのかいないのか、根雨はするすると歩き続ける。
そして、ある建物の前でひたり、と止まった。
建物の規模から察するに、どうやら武器庫のようだ。
入口を護る殿侍に根雨が何かを耳打ちすると、直ぐに彼らは乱に礼拝を捧げ、そして大きく重そうな扉を開いた。錆びついた重い音を引き摺って、分厚い扉が開かれる。瞬間、古臭い埃と黴の臭い入り混じった空気の層が、戸口から倒れるようにして此方に倒れ込んで来た。
「なっ……何だぁ、此処は……気色の悪い、空気が篭って……ぶわっ、べべっ!?」
派手に嘔吐きながらも、乱は顔面に触れる気色の悪い空気を手で払う。
根雨を睨み据える。が、宦官は元より表情を読ませぬように躾けられている為、堪えていようといまいと表情に乱れなど起きない。そももそも、考え無しに直情的に動く乱のような男に、根雨ような底知れぬ怪異の塊のような人物の意図など探れよう筈もなかった。
薄っすらと剣や槍のような物が奥の方に見える。と、云う事は想像通りに武器庫だったようだ。
古い空気は自ら出口を求めているかのように、後から後から武器庫から流れてくる。
質問に答えずに、すすす、と根雨は武器庫に進む。
仕方なしに、乱は袖口で口元を隠して護りながら、根雨に続いた。
「貴様、よくも此の私を斯様に陰気臭い古びた武器庫に……ぬ?」
ぶつぶつとぼやく乱に構わず、根雨は剣の束の一つに手を伸ばした。
迷いのない動きで剣を鞘から抜き取ると跪き、掲げて持ち直して乱に差し出した。
ぬ? と顔を顰めつつも、乱は柄を掴んで剣を手にする。ずしり、と腕に重さがくる。乱は益々、顔を顰める。
「……何だぁ此の剣は? 嫌に重いな?」
しかし、眇めた視線の先の剣は、異様な輝きを放っているのだ。
――禍国の剣と、まるで違うではないか。
知らぬ間に乱は、ごくっ、と音を立てて生唾を飲み込んでいた。
手にしている剣は、未だ嘗て見た事もない神々しくも華々しい白金色の光を纏っている。
「素晴らしい……!」
乱は興奮に喘ぎ、絶え絶えに声を漏らした。
戰や兵部尚書・優たちが挙って陽国産の『鉄の剣』とやらを賛美しているのも、其の増産体制の強化と普及とに心血を注いでいるのも知っている。
確かに鉄の剣とやらは、此れまでの剣と威力が桁違いであるのだろう。
句国、そして河国と続いた大戦で戰が見せた圧勝は、偏に鉄の剣に頼る処が大きいのだと、嘗て大令として仕えていた兆が言っていたような気がする。
気がする、とは、要はしっかりとは覚えていないのだ。
自分は兵器の開発に一から関わるような戰とは、下賤の血を引く男とは違うの、という意識が働いているからだった。
戰が練り上げ、優が実行に移している改革案や新たな事業などに興味を持とうとも思わなかった。大体からして、鉄というものがどういった性質を持ち、鍛え上げられた剣がどの様な姿となるのかも知らない。
其れ故、乱は知らない。
兵部尚書・優が備えさせている禍国軍が帯びている武器の主流は、鉄の剣である、という事実を。
乱にとって剣など、皇子として申し訳程度に参加した体術の鍛錬で目にしたか、位の記憶しか無い。
その剣の色合いは、あのように美しい白金色をしてはいなかった。
何方かというと、微かな黄身を帯びた赤銅色をしていたように記憶している。
――此のような美しい刀身など見た事がない……!
もしや、此れこそが鉄の剣なのではないのか?
いや、そうだ、そうであるに違いない。
一端の剣術遣いの気になって、乱は様々な剣の形を取り出した。
日頃の不摂生というか自堕落な生活による体力の限界は直ぐに訪れたが、ふうふうと息を上げつつも乱は興奮を隠そうとしなかった。
「白金色の剣など見た事も聞いた事もないぞ!? おい、其処の宦官! 此れは如何なる品なのだ!?」
ぶふっ、と唾と鼻水を飛ばす乱に、根雨は無表情で乱の失態を無視し、恐れ乍ら、と淡々と答えた。
「此れは嘗て、禍国に仇なしておりました不義不徳者の集団、河国の者たちが作り上げておりました剣に御座います」
「な、何ぃ!? 河国だと!?」
★★★
――河国!
では、矢張り此れは、戰の奴が作らせていたという鉄の剣に相違ない!
予想通りの根雨の答えを得た乱は、心の中を悟らせぬように態とらしく頓狂な声を上げる。
薄暗がりの中でさえ、ぎらぎらと己が身を主張して止まぬ剣の輝きを乱はにやにやしつつ眺める。だが、ふと何かに思い至ったらしく、此処に来て初めて胡乱げな目付きになって根雨を睨んだ。
「河国の剣が、何故、那国に有るのだ?」
「はっ……恐れ乍ら、話せば長き事ながら、河国の内側には、代々、獅子身中の虫としての役目を背負った族がおります」
「其れが、貴様と貴様の一門であると云うのか?」
はい、と根雨が乱に礼拝を捧げる。
「此の剣は我と我が一門が身を潜めし邑の者が、一丸となりて河国の武具庫より持ち出したるものに御座います」
「ほう……? という事は何か? 」
「はい、然様に御座います。河国より盗み出して参りました」
もう一度だけ、ぶん、と剣を振ってみる。
ずしり、と腕に来る重みは敵の骨まで達するであろうという期待感を胸に抱かせるに充分だ。
「剣だけか? 他には?」
「はい、当然、槍、鉾、鏃、と揃えております」
「この武器庫の存在を知る者は?」
「恐れ乍ら、乱殿下の他には、誰一人」
「この武器庫のような蔵はまだ有るのか?」
「はい」
「根雨、とか申したな? 其れは、私が大将を務め上げる軍の備えに足りる数か?」
「はい」
「で? 敏が率いし軍の備えはどうなっておるのだ? 貴様は存じ居るか、根雨」
根雨が己の王の事を『国王』と呼び捨てている。此処ぞとばかりに、乱も敏を呼び捨てた。
果たして、答える根雨の声は、此れまでの平坦無味なものから、何処か浮かれたような弾みを感じさせるものとなった。
「はい、国王が率いし予定の軍の備えは、此れまで通りのものと存じおります」
ふむ、と喘ぐようにしつつ、乱は剣の先の輝きから鍔元の影までをじっくりと眺める。
武芸の鍛錬をさぼり続けて武具に暗い自分でも、この剣が視覚と重さで訴えかけてくる素晴らしさに気が付けぬような愚か者ではない。
ちら、と根雨に視線を投げる。
宦官として、やはり無言と無表情を貫いている。
が、この男は何も存じ居らぬという態度でありながら、其の実、己の国の王を裏切り、この禍国の皇子・乱に肩入れしているのだ。
「根雨、とか云うたな……?」
「……は」
慎重に、探りを入れるべきなのであろうが今の乱は興奮に気が急いていた。
「貴様の望みは何だ?」
ずばり、と乱が切り出すのを待ち構えていたのだろう、恐れ乍ら、と根雨は足元に平伏した。
「申し上げます。我らが望みは、河国と那国、両軍の滅亡に御座います」
な、何ぃ!? と乱は叫ぶ。
取り乱した挙句、危うく剣を取り落とす処だった。
「そ、其れは何故だ?」
「直様お答え致します非礼と無礼は、後程、幾重にも御叱りとしてお受け致します。那国の王は兼ねて禍国に恩義を得ておきながら、此度の戦となりました。此の際、正当なる禍国の御血筋の継承者たる乱殿下に、国王は一言でも、無礼を詫ましたでしょうか?」
根雨の真摯な態度と言葉の魅力に、乱は一気にのめり込む。
「成程、今は一時、此の那国如きに身を隠して居られますが、本来、中華平原は禍国のものであり禍国帝室は乱殿下のものであるが正しき道。であるならば、貴い御身をお助けするべきは当然」
「……ふむ、其方は私こそが貴種であると申すのか?」
御意に御座います、と根雨は嬉しげに答える。頬を染める様は、まるで少女のような純真さを醸していた。
「郡王・戰が攻め入って来るというのであれば、那国は今こそ、上げて禍国皇子・乱殿下を御旗の印として迎え討ち、その尊き御身を禍国帝室にお返しすべきなのです」
「うむ、確かに」
「なのに乱殿下を軽んじるあの行い、許されるものではありませぬ。那国王なぞ、殿下に討たれて当然と存じ上げます」
突然、那国の者としては不敬な言葉をずばりと口にした根雨に、乱は仰け反った。度肝を抜かれた。と同時に、眼前の王を無能と誹り、己を持ち上げて呉れる根雨に心を鷲掴みにされていた。恥ずかしげもなく自分を持ち上げる根雨に、好感を持ったのだ。
「また、河国王は過日、殿下より人頭狩を受けしを深く深く根に持ち怨んでおります。故に、郡王・戰に加担しておるのです。此処で郡王・戰と共にを討ち果たし、重く思い知らせるべきに御座いましょう。不肖の身ながら、我と我が一門は、那国と河国を討ち果たして乱殿下のものとせしめ、この二国を乱殿下の後ろ盾とし禍国の正しき帝王として名乗りを上げる手助けをさせて頂きたいと望んでおります」
「ほう、そうか……其れが其方の望み、という訳か……?」
「身の程知らずと罵倒され、此の場にて斬り捨てられたとて、お恨みは致しませぬ。ただ、私を斬るのであれば、其の剣をもってして、中華平原の大国、禍国皇帝として何としても御即位すると約して頂きとう御座います。さすれば、私は喜んで此の生命を差し出します。ええ、幾らでも何度でも」
根雨は熱弁を終えると、額を地に付けたまま、ずりずりと前進した。そして、乱の沓先に口付ける。
思わず、乱はにやり、と狡猾奸佞な笑みを口角に浮かべていた。
――やっと私は、正当に評する者を得た!
見たか、戰め! こうして自然に傅かる者こそが王者の名乗りを許されるのだ!
思わず知らず、白金の剣を燦かせて馬に跨り自ら軍の先頭にたち、戰が率いてきた軍の中央を突破していく姿を思い描く。
遠く祭国より那国にまでやって来るのだ。
奴らは疲れ果てておろう。
ならば戰の奴めを叩き斬り、祭国軍を殲滅せしめるなど、容易き事だ。
――此の剣があれば、戰の奴に勝てる……!
戰に勝てば、其のまま禍国の王城にまで攻め上がり、後宮で美姫の腹の上で腰を振っているであろう建の奴を引きずり降ろし、帝位を奪う。
「いや……取り戻す、取り戻せる、此の剣があれば!」
――此の手にしてみせるぞ、禍国皇帝の座を。
暗く北叟笑む乱を、礼拝を捧げた姿勢のまま、根雨はじっとりと見詰めていた。
★★★
乱が居らぬ間に議論は進み、とうとう那国側の軍の編成と策が決定した。
俗に『竜王の髭』と呼ばれている、紅河と力河を使っての水上戦も展開されるだろう事も見越しての軍編成となっていた。
水上戦を主に戦うのは、乱が率いる2万5千の軍勢となる。
指揮権のある将軍扱いにするのは業腹であるが、仕方が無い。どうせ陸の鈍亀のような男だ、船の揺れに慄いて船底にへばり付いて首を縮こめて何も出来ぬであろう、と意見が一致した。
紅河側対岸には、大型軍船が既に戦に備えて犇めきあっている。
この係留されている軍船は、闘艦と呼ばれている。
兵士や櫓の漕手や帆の管理などを行う水夫らを含めて、総勢200人以上を収容でき、軍船の中でも最も巨体を誇る。其の分戦闘能力も図抜けて高い。
河国相国・秀が戰との紅河水域での水上戦の際に最も投入した船がこの闘艦だ。秀は用いなかったが、この闘艦を二隻繋げたような形にし高い櫓状の物を設置させたものを楼船と云う。
指揮権を握る将軍や国王のみが乗船を許されている軍船であり、当然の事ながら乱の為に用意させている。而も、特別に目立つ3階建ての楼閣を持つ船に仕上げさせているのは、乱の自尊心の高さの現れだろう。
水上戦の陣形は鏃形となる所謂、鋒矢の陣、若しくは横一列に船を並べる横木の陣、何方かとなる。
幾らかの変形性は見られるものの、水上であるという特異な条件付けがある為と古代において大きな水上戦が展開されていなかった事と、水軍が重要視されていなかった事実なども重なり然程発展を見なかったのだ。
紅河は河口付近になると、その川幅は16丁から20丁近くにまで広がる。
此れだけの川幅とそして水量があれば、まだ其れなりに陣形と呼べるものが組めるだけの余裕がある。紅河はましな戦い方が出来るのかもしれない。
一方、那国王・敏は渡河して河国王本土へ攻め込み、地上戦を行う。
率いる一軍は凡そ3万5千強余り。
騎馬が主流となった中華平原から見れば、一歩も二歩も遅れている那国であるが、其れでも王が率いる軍勢である矜持を見せねばと発奮したのか、騎馬が1万を超えている。
残りは戦車隊に8千、歩兵に1万7千。
歩兵は祭国軍と河国軍が騎馬を中心に押して来るのが解りきっている為、弓隊と槍隊、更に投石部隊まで投入している。
那国は領土こそ広いが、人口はさして多くはない。
今現在の人口比から兵役に動員できる成人男子は3万5千、多く見積もっても4万が精々だった。
其れが総勢6万を大きく超えてきた。この動員数は、男どもを根刮ぎ戦に狩り出さねば不可能な数字だ。ほぼ那国の国力全てを注いだ総力戦と言い切って良く、那国が此の戦を決死戦と捉えている必死さの表れだ。
那国は、祭国が平原一の弱小国である事を知っている。
其処から、戰が河国との戦いに動員した軍勢の正体が禍国軍である以上、備えは必要であるが恐れる必要はない、との結論に達した。
祭国の国力では、軍勢を全て動員しても自国以下の3万弱が精々だろう。
禍国本土に命じられて幾ら皇子・戰が率いてくるとはいえ、動員できる軍勢は1万に満たないに違いない、と云うのが那国王・敏の家臣らの意見だった。
懸念材料は寧ろ、河国だ。
今の河国は、嘗ての遼国を含めた兵力を動員出来る。
とは云うものの、所詮は宗主国に命じられての戦に過ぎない。
本腰入れはすまい。
其れに河国は郡王・戰に水上戦に大敗して以後、禍国からの要請もあり巨大軍船の造船を控えている。
積算量の多い運搬船は次々に建造されていったが、其れが瀝青なるものを契国より輸入する為であるのは押さえてある。此の運搬船を軍用船に流用するという手立てもあるにはあるが、それにしても闘艦が可能とする乗員数に勝るものとは思われない。
其れに灼は河国王を名乗ってはいるが、其の実態は遼国王だ。
禍国に対して大いに含む処ありの彼が、本気になって兵馬の要請に従うとは想像出来ない。
丸切り頼らねばならない水上戦に投入するのは運搬船を急場拵えで改造したとして、良くて1万そこそこ。
本土防衛の為に動員するのは2万弱といった処か。
祭国郡王・戰が率いて来る祭国軍1万と合わせても3万を下回る。
――水陸両戦、何方も数量で圧倒せしめ、圧勝出来る。
以上が、那国軍が斥候たちから得た情報から導き出した答えであった。
敏の家臣団は実に優秀だった。
彼らの読みは、ある意味、正しい。
だが其れは、数年前、まだ王が順であった時代の話だ。
其処から既に王座は2代を数えて学の代になっている。
そして戰が元々、郡王として祭国に入った折に率いていた屯田兵の存在も念頭に置いていなかった。
そもそも、二大大河という二重の天然堀を持つ那国は、敵に対して備える意識が薄い。
そんな彼らに、戰が率いてくる軍勢を正しく読め、と云うのは酷と言うものだった。
★★★
泡を喰った内官から、火急の知らせに御座います、何卒! との奏上を受け、半信半疑ながらも河岸に築いた橋頭堡に急いだ敏は、目を見開いた。
信じられぬ、と首を振った。
そして、信じられぬのではなく、信じたくないのだ、と打ち消した。
対岸には、遠目にも軍船と分かる船が此方に引けを取らぬ質量で浮かんでいた。
一体何処に此れほどの、と目を瞠る。
河国の技術力を舐めていたのは否めない。
いや、船を改造しての軍船の数を揃えるだけなら出来るだろう。問題は乗員している人数が問題だ。
「……敵の、河国水軍の勢力は!?」
「――は、其れが、2万5千を越えておるようです」
「河国本土の陸軍は!?」
「大凡、4万5千かと」
敏は息を呑んだ。
――有り得ん!
河国が現在抱える二国から兵役を募ったとして、一国で6万近い兵を揃えるまでに国力を回復させてはいない筈だ!
「祭国軍は!? 郡王は、一体どれだけ兵を押し立てて来おったのだ!?」
「は、はい、其れが……その、郡王は率いし兵は」
「郡王が率いてきたのは?」
「大凡、2万5千であるか、と思われます……」
もう一度、敏は息を呑む。
そして、一気に身体中の空気を吐き出した。
――郡王の奴めが2万5千もの兵を率いてきた、だと……!?
其れならば、河国が動員する兵数は4万そこそこで済む。
そして決して不可能な数ではない。寧ろ、適正だろう。
「おのれ郡王め、何という……!」
茫然としながら敏は呻いた。
唖然としつつも敏は、部下たちを誰一人として責めなかった。
もしも誰かに責任を問う、というのであれば、責められるべきは自分一人だろう。びくびくと痙攣を起こしている顳かみを押さえながら、敏は深く嘆息した。
取り繕った処で、何もよい結果は産まない。
現実を受け入れた其の上で、此の迫る危急存亡の時を如何に回避すべきであるか、打破すべきかを話し合わねばならない。敏は思考を直様切り替える。
――乱の奴めが率いる2万5千の水軍は、此の先は死人として数えねばなるまい。
郡王・戰は、奇っ怪な戦法を使う。
此度の戦でも、思いもしない動きを見せてくるだろう。
だとしたら乱の勝ち目は先から無きものとして捉え、如何に相手方の戦力を削ぐかに重点を置き動かした方が無難であり確実だ。
――なに、元々、乱を棄てたかったのだ。
寧ろ此れは、良い機会と云えるだろう。
水軍の動きと乱の挙動に祭国軍が目を奪われている間に、河国本土に攻め入り、王城を討つ。
其の為には、どうする? 決まっている。
「水上戦の勝利は棄てる」
ぼそり、と呟いた敏に、従っていた根雨は、はっ……と顔を硬くした。此の一言に、彼の意図を読み取ったのだ。
「……見ておれよ、郡王・戰め」
呻きながら対岸を睨み、そして背を向ける。
拳が白くなるまで強く握りつつ、幕僚たちに再軍議を開く旨を伝え招集するように、と敏は傍に控えていた根雨に命じた。
※ 1丁=おおよそ109メートル
 




