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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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22 屍山血河 その1-4

22 屍山血河 その1-4



 結局。

 部屋で膝と額を突き合わせてどうこう言い合っていても埒が明かない、という話になった。こうなると、善は急げとばかりに杢と吉次は先を争って立ち上がった。


 元々、杢も吉次も熟考してから動く方ではあるが、だからと言って論理にばかり走る訳ではない。寧ろ二人は現場での実践躬行じっせんきゅうこうをこそが大事であるという理念を抱いている。

 時を伴い、河国の兵舎を訪れる。

 河国の兵部は上を下への大騒ぎとなっており、彼ら3人の来訪に気が付くものすらいないという有様だった。苦笑いしつつも、かえって煩わしさから開放されたとばかりに、杢と吉次は敷地の奥へと進む。隊長以上に与えられる軍馬とその馬具の備えが如何程のものであるのか、実際に目で見て確認したかったのである。

 既に勝手知ったる吉次と時の案内で厩に入った。

「どうぞ、此方を」

 杢は、繋がれている馬たちを前にして、おう、此れは……、と唸った。

 艷やかで張りのある肉叢ししむらに流れる光沢が眩しいたてがみ、野太い嘶きは厩を支える梁を砕きそうな勢いがある。

 杢は、繋がれているうちの1頭に知らず歩み寄っていた。隆々とした胸の筋肉を、ぐもり、と蠢かせて彼の方に擦り寄ってきた馬の首を撫でてやりながら、杢は思わず笑顔になる。


「此れはなかなか良い馬だ。良くぞ此処まで質を揃えて育て上げられたものだ」

 良馬の群れを前にして素直に感嘆する杢に、いや何……、と吉次は苦い顔で首を左右に振る。

「此処まで揃えるのがやっと、というのが実情なのだよ。良い種を持つ馬を何頭か郡王陛下経由で借り受けたのだが、育て上げようにも、馬に割ける人がおらん」

「……そうか」

「折角褒めて貰って済まぬが、此処ら、郡王陛下が直々に指揮を取られておる地とそうでない地との差というものだよ」

 どうだ、杢殿、恐ろしいだろう? と吉次は興奮気味の馬を宥めてやりながら、自嘲気味に笑う。

「鉄の量産に此処まで力を入れておれば当然かもしれんが……今となっては、私も今少し、他方面に広く目を向けるよう進言しておくべきであったかと悔やまれてな」

 吉次は何処と無く肩を落としている。

 気にするな、と言い掛けて杢は口を噤む。気にしない方がおかしい。


 ――河国の兵力の回復は、3年経っても此処が限界か。

 やむを得ないのか。

 灼が率いる今の河国軍は、実質遼国軍との連合軍となるが、先の戦の痛手はまだ完全に癒えていない。

 名立たる将も力ある兵たちも、軒並み紅河の川底の瓦礫の一部と化し、名人の手によるとされた剣や武具は其処らの屑石宛らとなり、垂涎の的であった名馬たちは野の草木の肥しとなった。


 戦に負けるとは、国土を荒らすだけではない。

 人も、物も、大きく損なう。

 一度失われれば取り返しがつかない。

 其れらを元通りとはゆかなくとも取り戻そうとするのなら、気の遠くなるような月日を、ただ誠実に実直に謹厳に、官民一体となりて黙々と着実に穴埋めていく作業を繰り返してゆく。

 此れしかないのである。

 近道はない。


 幾ら剣を鉄製に取り替えたといえども、人的損害の穴埋めをするに足りるかどうか。

 確かに鉄器の威力は途轍もなく大きい。

 其れに先の戦で、河の上でありながら火を使用した戰の戦術は那国にも衝撃と波紋を与え、彼の国では未だに恐怖を以て語られている筈だ。

 其のまま、恐れていてくれれよいが、悲観し自暴自棄の果てに自爆宛らの特攻を仕掛けられでもしたら、戦術も戦略もへったくれもなくなってしまう。

 自滅により他滅を目論まれる。

 其れが今は一番恐ろしい。


 もう一つ、杢と吉次が恐れている事がある。

 其れは、此の戦を契機として遼国と河国の間にある、広く深い溝から再び怨嗟のやけほのおが吹き出してきはしないか、という事だ。

 遼国は、長く河国の風下に立たされ理不尽な要求を突き付けられてきた。

 其の怒りが爆発したのが、先の戦だった。

 邑一つが丸ごと紅蓮の灼熱地獄の中に消えていきもした。而も、其の邑は灼の正妃となった涼の出身地なのだ。

 無論、河国側とて無傷で済んだ訳ではない。猛炎の渦が作り出した焦熱の釜と化した邑に河国軍も閉じ込められ、共に人型の消炭と成るまで焼かれに焼かれまくった。


 ――わだかまりなどと、容易い言葉で片付けられはすまい。

 禍国の民である杢にも、陽国の民である吉次にも、彼ら二国の民の心情を真実に慮ってやれない、ただの想像でしかない。だがだからこそ、創口から滲み出ている滲出液の得体の知れない臭気のような物を明敏に察知できる。

 憤怒、怨念、悲憤、慷慨、怨恨、を。


 此れらの憎悪は、遼国の民にとっては己を形成する大切な血肉であり骨身であり、生き延びる為の糧でもあった。

 他方、河国も同じ事が云える。

 禍国との戦では、相国・秀の失策と失態により大敗に次ぐ大敗に陥った。

 河国の貴族たちの間では未だに、あの時、遼国が裏切って禍国皇子・戰に与しなければ負けはしなかった、と思う者もある。

 彼らは河国という巨大な炉の中にて燻る、ごくごく小さな、哀れな程に弱々しい、砕けた熾火から溢れた屑のような存在だ。


 居ないも同じであるが、だが何かを切掛として、か細い火が烈火となるとも限らない。

 可能性が絶対に完全にない、とは言い切れない。

 其れだけ、河国と遼国の間に流れる惆悵ちゅうちょう怨讐えんしゅうは濃く深いのだ――其れはまるで、此の平原の大地を抉って流れる紅河のように。


 溜息も吐けなくなり、押し黙って馬を撫でてやるしかなくなった杢と吉次を、此方にて、馬術の鍛錬が始まるようですぞ、と時が明るく誘った。

 その、重い腰を上げた若者二人と年寄りの3人を、遠くから煌々としたの輝きを隠しもせず見張る者があった。



 ★★★



 再び、海を超えて来たという那国からの使者に、陽国は色めき立っていた。

 使者が寄越した親書に曰く。


 ――大陸にて遂に大乱起れり

 陽国王・來世

 陽国はいざや今こそは我が那国の為、河国を討て


 先の密使が齎した、密かな同盟の提案とは違う。

 今回の使者は、陽国に、はっきりと那国の風下に立ち、手足となる為に海を超えて戦いに参加しに来い、と命じているのである。



「何と! 我らが大王おおきみ様を斯様に呼び捨てるとは、うぬ、那国の奴ばらは何様のつもりじゃ!」

「何様だろうが知ったことか!」

「どの口から、我が那国と河国を討たん、なぞと吠えられる!」

 言い様もあろうに、だがこうも高圧的且つ居丈高に出られるとは。想像の範疇を大きく上回っていた。

 王の間に集った大人たちの怒りは楽々と沸点を越え、活火山のように明々とした火柱を上げる。一気に陽国の城は蜂の巣を突いたかのような騒ぎとなった。

 いや、蜂の巣程度を突いても斯様な騒ぎにはなるまい。

 まるで、狼の群れの只中に贄となる馬の赤子を放り投げたかのような騒乱となった。


 そもそも、陽国の者は気性が激しく荒い。

 吉次のような穏やかな性質の者の方が稀であり、彼のような落ち着きは陽国では歓迎されない。

 3人寄れば議論紛紛、殴り合い寸前の口論となるまで、とことん突き詰めて話し合う。

 此れが那国での上等であった。



 ★★★



 使者から齎された木簡を手にした來世を前に、大人たちは既に全身を赤くして湯気を放ち、汗塗れになっている。

 集っているのは若造どもに遅れを取らぬと気負う老人と、従っていのは、年寄りの冷水を沸騰させてやれと煽る若者ばかりなのだから、当然と云えば当然だった。


「よぅし! 那国が大乱を一国で収め切らぬ、しかし其れを大っぴらに云えぬ故、我らに戦えと吐かすのであれば、是非も無し! 言う通りにしてやろう! 先ずは那国をこそ乱気に飲み込ませてやろうではないか! どうだ!? 皆の衆!」

「そうだ、良くぞ云うた!」

 特に、火矛氏は那国憎しの先鋒となって喚き立てている。

 元来が激しい気性の陽国人の中でも、気の荒らさが目立つ人物だ。

 そうだそうだと呼応するものが続出する。

 そ下手をすると、此のまま那国の使者を捕らえて折檻に及びかねない勢いとなってきた。

 しかし來世は、涼しい顔付きのまま、皆に思い切り云わせるだけ云わせきった。此の際とばかりに、腹の奥に澱んだ沼の底に溜まったおりを、存分に吐き出させているようだった。


 不意に、静かになった。

 嵐の夜、不意に風も雨もひたりと止む瞬間があるように、忿忿に満ちていた王の間に、しん……とした静謐な気が戻る。

 大人たちが、途端に、はっとなった。

 大王である來世を置き去りにして、勝手な議論を進めて決しかけていたのに、漸う気が付いたのである。慌てて、膝を揃えて平伏する。

「爺、少しは落ちついたか?」

 立てた膝を凭几の代わりにして其の上に首を傾げて頭を凭れさせていた來世が、にこ、と笑うと大人たちは一層背中を丸めて恐縮してみせる。

「爺たちの言い分は、いつも巡り巡っておるな。先にあれ程、大陸と吾が国は選ぶ道が違う、吾が陽国は唯一不二である、と身に染みさせたばかりであるというのに」

 明らかに揶揄しているのだが、來世の言い方には責めるような厭らしさがない。

 だからであろう、火矛氏と共に声を挙げていた一人が、恐れながら、と丸まった身体に亀のように首だけを伸ばしながら進み出た。


「大王さま。我々も、戦となれば国が疲弊し弱体化すると知っておりますぞ。山幸、海幸、八岐の窮状は重々承知しておりまする。正直、身が竦む思い、脳天を己が手で割ってやりたい衝動に駆られまする。然れども、ですぞ。大陸よりの申し出は如何にも我ら陽国を侮辱するもの。独自の道を行く、大いに結構。然し我が根幹である大王様を踏み躙る不逞の奴らを、此のまま捨て置きはなされますまい?」

「確かに、無視は出来ないと思っておる」

「では、大王さまの御存念は如何に? 心算は何と整って御座いましょうぞ?」

 彼らにしてみれば、引き下がり、那国の使者を受け入れるとは即ち其のまま彼の国の属国化の道を歩むもの、と自ら提示するに等しい。

 丸い幼顔をした少年王の返答を、大人たちは固唾を呑んで待った。

 きりきりと痛んでいる胃の腑の音が聞こえてきそうな緊張感の最中、うん、と來世は明るい笑みを浮かべる。


「寧ろ、那国の命令に乗ってやればよいと思う」

「なっ……何ですとっ!?」

 ぞわ、と王の間の空気がどよめいた。



 ★★★



「那国からの申し出は、其れは其れで魅力的ではあるぞ? 違うか、爺」

「……其れは、その」

 嗾け、煽られると心胆が冷えて落ち着きだす。大人たちは所在無げに身体を揺すりあった。


 今の陽国は、河国が鉄器量産の為の炉を開発に成功し運転に入る此の時期に合わせて鉄器生産に下方修正の調整を掛けねばならない処に追い込まれている。そして何と此の事実を、陽国はまだ禍国側に伝えていないのだ。

 禍国に鉄器を卸せなくなるとは、陽国にしてみれは大陸との繋がりが途切れてしまうという事に他ならない。


 だが冷静になって考えてみる。

 此れまで鉄器を厚く引き合いとして呉れる交易の相手は、成程、禍国だった。

 而してその実態は、祭国群王・戰皇子、其の人が相手であったと云っても過言ではない。

 その郡王・戰は、此度は河国王となった灼と共に那国を討ち果たしに行くという。

 手を引き、相手を挿げ替えるのであれば今、この時節を逃すべきではないだろう。

 元々、那国とは古い付き合いがある。

 その那国と手を携え、河国を討つ。

 そうなれば大陸の玄関口である河国に、陽国の飛び地領土を得られるかもしれないではないか?


「実に魅力的な申し出ではないか? 皆、そうは思わぬのか?」

「しかし、旨い話が過ぎませぬかな?」

 赤ら顔の火矛氏の背後に控えていた痘痕顔の大人を押し退けるように這い出てきた八岐氏が低い声で云えば、一同揃って頷いた。

「そうだ、八岐氏の云う通り」

「大王様、大王様の仰られようは大層な魅力を放つ話ではあります。ですが大王様、大王様のお話通りにゆくもの、として動くのは、どうにも些か軽挙妄動としか言えませんな」

 河国を討ったとして、禍国の皇子・戰の怒りを買わぬと誰が言い切れるのか?

 同盟の友である河国を助けよとばかりに那国に雪崩れ込む、其処で諦めて呉れるのか?

 満足して呉れるのか?

 水上戦を苦手にしている禍国軍が、皇子・戰が率いた途端に相国・秀が率いる河国軍をいとも容易く殲滅せしめたのだ。

 海上戰で我が身として味合わぬと云う確証など、どこに在る?


 それに、だ。

 確かに那国とは長い付き合いであるが、彼らも此方を『夷人』として見下してきたではないか。

 そんな彼らを信用できるのか?

 また信用しても良いのか?

 大人たちの間に、怒りを含んだ疑念がまた鎌首を擡げてくる。



 ★★★



「そもそも、此方からどう海を渡るのだ?」

 那国には巨船どころか、あの渦潮の荒々しくも猛々しい海流を乗り越える操舵術がない。其れで涙をのみ続けてきたのではないか。


「其れなれば心配は要らぬぞ、爺」

「は?」

 くっく、と喉を鳴らして、來世はさも楽しげな高い笑い声をたてた。

 まだ、声変わりをしていない童子のような、軽やかな笑い声だ。火矛氏を始めとした大人たちが、誰か、來世の意図を受けてはいないかと顔を顰めつつ互いの顔色を探り合っている。

「潮の流れを利用すれば、吾らが造りし船でも間に合わぬ事はない――細石さざれ氏、此れへ」

 一瞬、大人たちは言葉を失った。

 ぽかん、と口を開ける者、はっ!? と前のめり気味になって詰め寄ろうとする者、反応は様々であるが、そんな中で來世に細石氏と呼ばれた痘痕顔の大人が、進み出てきた。


 仲間に巨大な戸板を持って来るようにと命じる細石氏に、視線が集中する。

 やがて運び込まれた戸板には、既に帛書が止められていた。

「上になって居るのが西方、即ち大陸側、下にあるのが吾ら陽国、間に蜷局を幾重にも巻いておるのが海流、とお覚え下され」

「さ、細石氏よ、此れは一体……」

「今より、其れを説明させて頂こうというのだ。陽国から大陸に、吾らの技術力だけで渡れるものであるのかどうかをな」

「な、なにぃっ!?」

 思ってもみなかった答えに、余りの驚愕を受けたのだろう、目玉を剥いて口をあんぐりと開けた間抜け面を晒している。一番に正気を取りもどした火矛氏が、赤ら顔をまるで癇癪持ちの童子のように沸騰させて喚き散らした。


「う、海幸氏でなく、何故其の方が、海を語るのじゃ!」

「海幸氏が動けば、其の方らに瞬く間に知れ渡ってしまうであろうが」

 正論過ぎる細石氏の言葉に、うっ、と火矛氏は言葉を無くす。無言でじりじりと不平煩悶を込めて睨め付けてくる大人たちを尻目に、だが細石氏は淡々と答えていく。

「陛下の命令で調べた処、今の時期の潮の流れは、此処を、こう、曲げて行く。海鳴りと呼ばれる凄まじい引き込みがある」

 そう、だから吾らの船では……と口を挟もうとする大人たちを、來世が軽く手を挙げて制する。


「爺、この潮の力から逃れようと足掻く故、おかしくなるのだ。逃れられぬのであれば、逃れるのではなく、寧ろ利用してしまえば良くはないか?」

「はっ!?」

「な、何ですとぉっ!?」



 ★★★



 最早、間抜け面しか出来なくなった大人たちに、細石氏は至って糞真面目に講釈を続ける。

「まさに、大王様の仰られる通りだ。此の地点を乗り越えれば、那国と河国までは数日、風の恩恵を受ければ更に日数は短縮出来ようぞ」

 零れ落ちんばかりに目を剥く火矛氏たちに、細石氏は眉を顰めた。

「何を驚く? 時節の風向きによっては、河国の丸太が此方の浜辺に辿り着くのだぞ?」

 た、確かに、と海幸氏が何度も何度も深く頷くと、火矛氏が口を曲げる。


 確かに河国と那国の岸辺から流されてきたと思しき物品には、壊れ朽ちかけた船からはたまた日用に用いられて棄てられた思しき、端の欠けた茶碗等に至るまで、多岐に渡る。

 季節風と潮流に流されて此方の沿岸に漂着する品は多く多彩で、季節により細石氏の云うように漂着物で沿岸の砂場が見えなくなる時もある程なのだ。

 此れ等が海流を利用しているのであれば、逆もまた然りであると考えるのが人間だ。

 那国の沿岸にも、古くから陽国からの品が多く漂着している筈だ。

 でなくては、幾ら晴れた日には、朧月のように白く霞む大地を確かめられようとも、人が国が存在するなどと思うまい。


「潮の流れを利用する……そうか、成程」

 何故、こんな簡単な事を思い付けなかったのか、と海を預かる海幸氏が唸る横で、火矛氏は自戒を込めてであろうか、握り拳を作り、ぽこぽこと己の頭を叩きだした。

「止めよ、爺。今より更に物忘れが激しゅうなったらどうする?」

 來世が笑いながら止めると、どっと座が沸いた。此の議論に入ってから初めての、明るい声だった。

「爺。吾らは此れまで、出来ぬ出来ぬ、何も知らぬ吾らは何も成せぬ、と自らに業の深い詛いを掛けてきたのやも知れぬぞ?」

 來世が明るく云うと細石氏はやっと緊張を解いて顔ばせを明るくし、火矛氏もまた、怒りではない感情で顔をてからせた。


 此れまで陽国は造船術、特に軍事にも転用できる巨船を造り上げる技術を、敢えて捨てる事で生き延びてきた。長き年月、荒海に全て飲み込まる人的物的損害と国益とを天秤に掛けた結果である。

 其れ故、此方から仕掛けると意気込んでみた処で、所詮は、という諦めと、どうしたものか……と云う尻込みする気持ちがあるのもまた事実だった。

 だが、其れらを一気に払拭する鍵が見えてきた。

 そうだ、潮の流れを忘れていた。

 確かに沖合に出て上手く潮流に乗れば、陽国の船でも海を渡る力があるかもしれない。

 王の間に巣食っていた重苦しい空気は綺麗に一掃されて、雲の切れ間から陽の兆しが零れるように明るくなる。


「大王さま。那国王の奴めは、何処まで此方の力と事情を知り、同盟を申し入れてきておるのでしょうか?」

 來世は軽く両手を広げて、肩を竦めてみせた。苦笑が彼方此方で洩れる。

 流石に那国王の心の奥深くまでは、巫蠱に長けた者の力をもってしても測れまい。來世に問う方がどうかしている、と火矛氏も自らの失態に苦笑しきりだ。

「火矛氏。吉次の奴めは、何と云うておりますか?」

 海幸氏が、火矛氏を覗き見るように下から伺う。ぬうん、と火矛氏は喉を鳴らした。

父親てておやである儂にも、なんも云うてこぬわ」

「むくれるな、火矛爺。大王である吾にも何も云うてこぬぞ?」

 來世がおどけると、どっと場が沸いた。朝日よりも眩しい熱気が、一気に広がる。

 しばし、明るい雰囲気のまま、笑い声で部屋を満たしていたが、來世が急に崩していた姿勢を正した。はっとなり、大人たちも平伏し直す。よい、と手を振りながらも來世の声音はきりりと引き締まっている。


「過分な毒が含まれておると解りきっておるのだ。一刻の怒りに判断を誤り身を委ねる先を違えれば、自滅の波に引き摺られるのは必定だ。慌てる必要はない。だが而して安く動く必要もない。利用されるふり・・をして、此方が大いに利用してやれば良いだけだ。違うか、爺?」

「大王さま、正しく仰る通りに御座います」

 那国の者には長く戦乱から遠ざかっていた平和惚けとは云わせない、とばかりに大人たちの顔付が、まるで青年のそれと変わりない、生き生きとした輝きを放ち出している。


「那国からの申し出に、即刻答えねばならぬ法はない。こうなれば、とことん焦らしてやればいい」

「そうじゃそうじゃ、相手の下心を最大限に引き出した頃には、吉次からの連絡も入ろう」

「確かに、大王さまの仰る通り、焦りは禁物」

「常日から吾らを『夷人』と蔑み平伏せよと強要してくる奴らが、どうか、と泣き縋ってくるのを見てやるのも一興ではないか?」


 背筋までしゃんと伸びた大人たちは長い顎髭を揺らしたり弄ったりしながら、議論に花を咲かせだす。

 そんな家臣たちを、來世は立てた膝に前屈みになって顎を乗せ、笑いながら見詰めていた。



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