21 轟く潮流 その5-3
21 轟く潮流 その5-3
戰に誘われて向かった部屋は、普段は見張りに立つ兵たちの休息所として使われている部屋だった。
何か秘密事を行っているのならば目立たないよう、普段は使われていない部屋を使っているもの、と想像していた薔姫は驚き、戰を見上げた。薔姫の反応は予想道理だったのか、にこりと戰は笑う。
「何時も使われていない部屋に人の気配が生じては、何かあったと勘ぐらせてしまうだろう?」
「……そうね」
言われてみれば、普段全く使われていない部屋で緊迫した人の流れがあれば、秘密にせねばならぬ一大事有りと疑ってくれ、と堂々と表明しているようなものだ。其の点、休息所であれば人の出入りは常にあるし、西宮に仕えている女官や内官たちが急病ともなれば施薬院から医師や薬師たちが派遣される。常と変わらぬ生活を保っていた方が、疑念は湧きにくい。
薔姫の肩を抱き、入るかい? と戰が尋ねる。うん、と薔姫は即答した。
年の離れた異腹妹の小さな身体が、緊張でかたかたと揺れているのを抱いた肩から感じ取っていた戰は、彼女を刺激しないよう、なるべくゆっくりとした歩みで部屋に誘う。
兵仗たちの部屋は、母の蓮才人を訪ねた折に差し入れを持って何度も訪れた事があるが、かなり広い大部屋だ。
軽い食事を取れる机、仮眠を取る寝台、着替えてゆったりと思い思いに自由に過ごせる板の間などが衝立で簡単に仕切って作られている。
此れが杢だったら、一部屋一部屋、きちんと隔てて誰がどの部屋に居るのかを互いに把握し合うように支持するに違いない。だが其処は克の部下たちなので、基本的に群れるというか何時も一緒につるんでワイワイ賑やかに過ごすのが性に合っており、自然とこんな部屋の使い方になっていったのだろう。
しかし何時もなら緩やかな、有ってないような仕切りである筈が今日はぴっちりと衝立を閉じて目に触れないようにされている。『もしも』の突然の事態に備えてはいるのだ。
びくびくしながら見上げてくる薔姫に、此方だよ、と戰が促そうとすると、仕切りの中から何かが蹴り飛ばされて壁に激突する音と叱責、いや罵声が飛んだ。
「竹はん! 何しとるんや!」
自分でも知らないうちに、薔姫は仕切りの中に飛び込んでいた。
★★★
仕切りの中では、虚海と那谷二人がかりで治療が行われていた。
いや、実際には治療を行っているのは、うつ伏せ寝になっている男の背中の上に馬乗りになっている虚海一人だ。痛みのせいで引っ切り無しに暴れ回る男の背中の上は悍馬宛らであり、虚海は振り落とされないように首筋に縋り付いているのがやっとだ。
那谷はというと、壁に当たって散らばった道具や薬を掻き集めるのに必死になっている。
陸は男の膝裏辺りに座り、前屈みになって全体重を掛けて足首部分を抑えていた。力を入れるのに息を止めているのか、真っ赤になったかと思えば青紫に変色させて、ぶはっ! と盛大に息をついだかと思うとまた真っ赤になるのを繰り返している。
「竹兄ぃ! 早く押さえてくれよ! 俺も吹っ飛ばれちまうよお!」
「何でもっと強う抑えとかんかったんや! 治療出来へんやろが!」
どうやら殴られて、薬と一緒に吹き飛ばされたらしき竹は床に転がって返事も出来ずに身悶えしている。頬が既に赤く晴れてのを見ると、振り回した腕が頬骨辺りに辺り、床に叩き落されて後頭部を強かに打ち据えたのだろう。
男の肩を押さえつけて暴れないようにする係だったのだろうが、その分、甚大な被害を被ってしまった訳であり、陸の嘆願は兎も角として虚海の痛罵は少々厳しすぎるかもしれなかった。
線は薔姫の肩においていた手を離すと、つかつかと男に歩み寄り、肩を押さえつけた。やっと身動きが収まり、やれやれやで、と虚海は一息つく。
「那谷坊、ほんなら薬の用意してんか?」
「は、はい、今直ぐ……!」
薔姫は那谷の傍に駆け寄り、道具箱を引き寄せると散らばった薬を戻し始めた。
そこでやっと、仕切りの中にいた虚海たちは、戰が薔姫を連れて来たのだ気が付く。
「ひ、姫奥様!?」
目を剥く那谷に目もくれず、薔姫は手を動かす。
茫然自失の体の那谷の背中に、虚海の叱責が飛んだ。
「那谷坊、何しとるんや! 皇子さんと姫さんが手伝うて呉れる云うんや! 早よこっち来んかい!」
「は、はい!」
那谷は最低限、治療に必要な塗布薬や薬を練り合わせる小皿や箆、晒を手にして虚海の隣に戻る。
「阿呆たれが。無茶して起き上がりよるで、肩から背中の傷が開きよったんや」
「どうなさいますか?」
傷口を覗き見ながら、那谷は眉を顰める。
傷が深い上に、僅かであるが炎症性が見受けられる。虚海特製の紫根と当帰と大黄を練り合わせた塗布薬は、じゅくじゅくとした湿り気のある膿を持ち始めた肌には合わない場合があるのだ。
「よっしゃ、那谷坊、大急ぎで黄色い方を作ってんか」
「分かりました」
直様、那谷は当帰、芍薬、地黄、玄参、白芷、桂皮を手際よく量りに掛ける。そして胡麻油と蜜蝋で練り合わせ始めると、鼻にツンと来る、独特の辛味のある臭気が漂い始めた。
「晒に、これでもか、云う位、てんこ盛りにしたってくれ」
「はい」
虚海に言われる前に、那谷は出来上がったばかりの鼻と目に痛みを起こさせる臭気を発散させる淡い黄土色の薬を、箆の上に山盛りに取る。
「動くんやないで? 本当に手間ばっか掛けさせよるお人やで、全く」
晒と箆を受け取った虚海は、塗り込むというよりは、傷口に薬を盛り付けるようにして乗せていく。
途端に、今度は悲鳴が上がる。
身体を捩りたくとも、戰に押さえ付けられていて出来ないせいで、逆に声はどんどん高くなっていく。
「喧しいわい! えぇい、ちっとは黙っとらんかい、この糞ど坊主!」
捩れないとはいえ、背中に乗っている虚海の身体は激しく上下する。
とうとう我慢の限界を超えたのだろう、虚海は脇に置いていた瓢箪型の徳利を引き寄せて、男の後頭部をぶん殴った。
ごん! と鈍い音が部屋の中に響き渡り、此の場に居合わせた者全員が、あっ……と思う間に、男は一瞬、身体を緊張させて、次いでひくひくと痙攣を起こし、ばったりと倒れた。
「全く、ようやっと静かになりよったで。最初から、こうしたったら良かったわい」
医者のくせに相当に非道い事を、しれっと言い放ちながら虚海は治療の続きを始める。
埃が着いてしまった薬や欠けたり割れたりした道具と、使える物を選別して行李箱に戻した薔姫は、やっと落ち着いて治療を受けている者の顔を覗き見して、えっ!? となった。
「そ、そんな……ど、どうして、此の方が、祭国に……!」
息を飲み、見る見るうちに顔色を青ざめさせていく異腹妹を、ちらりと見ながら戰が頷いた。
羽交い締めにされながら治療を受けていたのは、先の祝の席にも終始笑顔で慶んで呉れていた、句国の大将軍として名高い――姜、だったのである。
★★★
治療を終えた虚海と那谷は全身を使って息をつきながら、よろよろと寝台から離れた。
「本当にやれやれやで、全く、糞ったれが……」
肩を叩きつつ、虚海はぼやく。
ご苦労様です、と声を掛けつつ瓢箪型の徳利を差し出してきた竹青年を、虚海はじっとりとした目で睨め付けた。
「えらい調子ようなっとるやないか、え? 竹はん、え?」
「……は、その、薔姫様に手当をして頂きましたので……」
は~ん、と鼻を鳴らしながら、虚海は奪うように竹青年の手から徳利を取り上げて口に含む。ぐびぐび、と虚海の喉が豪快な音を立てた。
「兄上様、其れで……どうして……句国の宰相様が、あの……こんな……」
漸く疑問をぶつけられるようになったのはよいが、薔姫の語尾は不安で揺れる。
ほんの、十数日前だったのだ。
彼が――姜が、句国王の名代として此の祭国を訪れたのは。
その時の開けっぴろげで裏表のない彼の笑顔と態度は、記憶に新しい。
戰の視線が、徳利を傾けている虚海へ移る。
虚海はまだ、んぐ、うぐ、とまだ喉を鳴らして酒を呑んでいたが、戰の視線を感じると、ちろ、と彼を見、そして那谷、竹、陸、そして昏倒したまま治療を終えた姜を見る。
「お姫さんにゃ、さて、何処から話たったら良いもんかぃな」
瓢箪型の徳利の底を使って、虚海は背中を引っ掻いている。
「お師匠、全て順を追って話すしかないでしょう」
「せやな」
はふ、と欠伸をした虚海の息は甘い酒の臭いがする。窘
めるように苦笑しながら、戰は、薔、おいで、と異腹妹に向かって手を伸ばした。
「薔、此の方に、見覚えはあるね?」
「ええ、句国王陛下の、一番の信任を得ておられる方……よね?」
おずおずと答える薔姫に、そうだね、と戰は頷く。
何か、ゾクリとするものが背筋を駆けていき、薔姫は思わず戰の腕に縋り付く。
此処数日、城内が騒然としており、其れでも娃の相手をしてくれていた竹や陸が到底構っている余裕が無くなった理由が、今、治療を終えて眠っているのか気絶しているのか怪しい人物――姜のせいだとしたら。
彼は此の祭国を何に巻き込もうとしているのか。
「星と輪の祝に来て呉れたね。そして冷夏か来る、という私の使者として、真が剛国、克が句国、杢が河国と、其々、各国に向かって発った」
「……うん」
陸と竹は、持ってきた竹筒から水を回し飲みしつつ、薔姫に話す戰をちらちらと見ている。
「薔も知っている通り、先に烽火が上がった。其れは、剛国と西燕が戦になったとの報せだったんだよ」
剛国の名が出て、ひく、と薔姫は身体を強張らせた。
どう考えても、真が巻き込まれる嫌な予感しか浮かんでこない。
「……何方が、勝ったの?」
「剛国だ」
間髪を容れずに戰は答え、びく、と薔姫の身体が跳ねる。
身体中が痛くなる程、鼓動が強くなり、全身を駆け巡っているのが判る。
剛国王への使者になったのは、真だ。
薔姫は戰の衿を知らぬ間に掴んでいた。
「兄上様、ねえやっぱり、我が君が戦に巻き込まれて……!?」
「大丈夫、真は無事だよ」
無事なんやがなあ……、と虚海がぽつりと零す。
「無事なんだけど……何? 何があったの?」
「その、やな、剛国と西燕の戦にやな、真さんが関わっとったらしいんや」
えっ!? と薔姫の息が止まった。
★★★
「わ、我が君が? ど、どうしてそんな、剛国の戦になんて出たの?」
悲鳴に近い叫び声を上げる薔に、ま、ま、落ち着きぃな、と虚海が手を振る。
「真さんがやな、御使者さんとして謁見までしたんはええのやけどな、剛国王さんがやな、冷夏が来るなんぞ俄には信じられへん、何を企んどるんや、そない言わはったそうなんやな」
「……そんな」
確かに、俄には信じ難い。
そもそも内容が突飛すぎる。
句国王・玖や河国王・灼たちのように、戰に信頼を寄せて、どんな胡乱げな言葉でも耳を傾けてくれる盟友の方が、少数派なのだ。
「それで……でもそれがどうして、我が君が剛国の為に戦う事に繋がるの?」
「それやがな」
べち、と自分の頬を叩きながら、虚海が苦々しいを出す。
「剛国王さんはやな、自分の為に役に立て、ほしたら其の褒美として、真さんの云う事に耳傾けたる、言うたらしいんや」
「……」
薔姫が目を潤ませながら戰を見上げる。異腹兄は、困ったような情けなさを隠すような、何とも言えない顔で唇を固くしている。
「ま、ま、お姫さん、そんな顔せんでもええで? 真さんやで? 燕国なんぞに遅れとる訳あらへんで、其の辺は心配せんでもええで、お姫さん」
燕国なんぞが真さん相手に喧嘩するんは百年早いわ、と慰めるというかとりなすつもりでか、虚海は大げさに身振り手振りを交える。
「戦に勝てば良い(エエ)、云うたらしいんやがな、剛国王はんは。せやけど、真さんは東燕を倒してもうた。此れで文句なんぞ、恥ずかしゅうてよう出してこぉへんやろ」
うけけけ、様ァを見さらせ云うんや、と虚海は軽快に笑う。
しかし、薔姫は笑えない。
――じゃあ、それじゃあ……どうして我が君は直ぐに戻ってきて呉れないの?
剛国を離れられない理由でもあるのだろうか、其れとも、離れられなくなってしまった理由が出来てしまったのだろうか?
「お姫さん? お姫さん、どないしたんや?」
てっきり明るい笑顔で安堵してくれるもの、と思っていた虚海は、余計に暗い顔で俯いてしまった薔姫の顔を覗き込んだ。
薔姫は、慌てて手を振りつつ、無理矢理笑顔を作った。
「虚海様、其れで……あの、剛国で我が君に何があったのかは解ったけれど、句国の御使者様は、どうして、こんな事に……?」
「お、おぉ、其れでやなぁ」
ほっとしつつ、虚海はぼりぼりと爪を立てて脇腹を掻いた。
「真さんや克さんらが御使者にたっとる間にやな、実は、契国の方で反乱が起こっとったらしいんや」
「――えっ!?」
一気に話が契国に飛んで、薔姫は混乱し目を丸くする。
ま、ま、最期まで聞いたってや、と虚海は徳利を上下させる。
「真さんが行かはったお相手の国は、国が国やで、横置いといてやな。本国の禍国もやし、各国への御使者さんらは、先ず先ず上手いよう話し出来たみたいなんやがな」
うん、と薔姫は声を出さずに頷く。
「契国王さんの一番のお身内さんの筈の相国はんがやな、叛乱を起こしたらしいんやな」
「……えっ?」
思わず、薔姫は隣に立つ戰を見上げた。
「そんでやな、皇子さんの親書をもって御使者に発ったお人らまで、巻き添えを喰ってしもたんや。……いんにゃ、言葉濁してもしゃぁないわな。相国はんはな、戯けた事にやぞ、皇子さんの御使者さんらまで斬りよったんや、お姫さん」
巻き添え……、と薔姫が口の中で呟くと、思わず釣られてか、虚海も厳しい表情になって吐き捨てる。
「契国の相国はんは、本当、馬鹿なお人やで、全く」
虚海の言葉に、陸や竹が同意を示して激しく首を上下させている。
だが、戰の表情は変わらない。
いや、変えないように、と必死になっている。
両の拳が血の気を失うまで固く握られていた。
この祭国に入国してから長く仕えて来てくれた者を失ったのだ。
辛くない筈がないし、かと言って状況の全容が知れぬというのに、君主として感情的なって率先して気持ちを爆発させては、従って呉れている者たちの意識を契国憎しからの開戦論へと誘導してしまいかねない。
――我が君が居てくれたら。
兄上様も此処まで苦しまずに済んだかもしれないのに。
腹に溜まる澱んだ気を、真に吐き出す事で戰も冷静な判断を失わずに居られたのだと、薔姫も気が付かざるを得なかった。
薔姫の胸の奥がきゅ、と痛んだ。
そして此の胸の痛みの何千倍何万倍もの痛みに、一人耐えている異腹兄を思い、薔姫は戰の腕に絡みつくようにして腕を抱いた。
戰が驚いたように目を見張る。
彼女の意図する処を瞬時に悟ったからであるが、昔であれば、今のように先行き不透明な話をされたなら、真の事だけしか見えず、真の事だけしか考えられなかっただろうに、何時の間に周りに目を向けられるようになったのだろうか?
「私は大丈夫だよ、薔」
大きな掌で薔姫の額を撫でてやると、うん、分かってる……と答えつつも、薔姫は義理兄の太い腕に、温もりを分け与えるように頬を摺り寄せた。
懐妊したばかりの椿姫の体調を思い、王城で気持ちも身体も身動きが取れずにいた戰は、薔姫が分け与えてくれる触れ合いのみでしか伝わらない心の温もりが有難かく、心底嬉しかった。
★★★
「……それで、虚海様、……契国は……どう、なったの?」
うんにゃ、それなんやがなぁ、と猫のように唸りつつ、虚海は徳利を傾けて、ごくりと豪快に酒を呑み込む。
「簡単に言うてまえばやな、相国はんの叛乱は成功してしもたんや。今、契国を動かしとるんは相国・嵒はんなんやがな」
「……うん」
「そんでやな、契国王はんを幽閉して自分が実権握ってやな、相国はんが最初にしよったんが、隣国に同盟を呼び掛ける密書を送る事やったんや」
「……え?」
眉を顰める薔姫は、次の句が告げず、全身で項垂れている虚海から大体の先の成り行きを感じ取った。
契国王・碩を幽閉し契国を手にしたといっても、其れはまだ良くて王都のみだろう。
国領全域を完全に我が物するまでの間、相国・嵒としては時間稼ぎをしたいと思うのは当然だ。
最も手っ取り早いのは、国力差と国領境界線の曖昧さ故に出陣に二の足を踏んでいたり、出兵に対する強烈な切掛を欲していたりする国に、『今、此の時を置いて、目指す国を掠めり事を成す最良の瞬間は無し』と静かに心に吹き込んでやる事だ。
そうすれば、胸の奥で燻っていた熾火は、一気に大火へと変貌を遂げる。
各国が泥に身を浸すような戦に没頭している間に相国・嵒は契国を完全に掌握する気だろう。
――って、きっと我が君なら、私に説明してくれると思う……。
薔姫が答えに辿り着いたのだと察した虚海は、瓢箪型の徳利を軽く掲げて片目を閉じてみせる。
戰も、異腹妹の成長に驚きつつ虚海に代わって先を続けた。
「契国相国が密書を送りつけた国で判明しているのは、天兄上がいる備国、そして乱兄上が居る那国、其の外には、剛国、露国」
「剛国と露国にも密書が渡っているのなら、燕国は?」
「燕国はまだ確認が取れていなくてね。だが、此処まで広範囲に及んでいるんだ。恐らくは送りつけている事だろうね」
「……句国と、河国には? 相国さまは送らなかったの?」
其れだけ多くの国に密書を一度に送ったとなれば、句国と河国には何故送り付けなかったのだろうか?
そもそも、この祭国にも密書は届いていない筈だ。戦乱を求めている、というのはとどのつまり、同盟国主として首根っこを押さえ付けいる禍国は当然事態にが明るみに出れば介入してくる筈だ。
此れを食い止め、尚且つ禍国本土を悩ませ、責め苛ませる事が目的ではないのだろうか?
薔、と戰は何かを秘めた口調で異腹妹の名を呼んだ。
「お姫さん、契国の相国はんが嫌っとるんは、禍国の馬鹿皇帝はんやあらへんのや」
「――え?」
「契国相国が恐れているのは、私だよ、薔」
「相国はんが此の時期に合わせて叛乱を起こされたんは、皇子さんの勢力拡大に歯止めが掛からへんのに、業を煮やしたからや。契国はんだけやのうて、若い世代の王さんや諸侯はんが皇子さんに心酔して密かな盟主や、ゆうて持ち上げて、ハイハイ云うて慕っとるんや。自分が育てた君主はんが、皇子さんに無条件で尻尾振っとるんや、そら、相国はんにしたら腹の底煮え滾って空になるくらい、面白ろない事やろな」
「……」
虚海の説明を聞くまでもなく、狙っている、ではなくて恐れている、と評した戰の言葉に、薔姫は相手の根の深さを感じ取っていた。
3年前。
真は左腕を失くす寸前にまで実兄・鷹に折檻を受けた。
其れは自分たちの異腹兄弟である皇太子・乱と二位の君・乱、彼らに加担、又は利用しようと目論んだ者たちにとって、戰と真が怨気衝天の対象であったからだ。
男の嫉妬は、女の其れとは違い表面化し難く、其れ故に底のない滑り気のある怖さがある。
だが、彼らが二人にどうあがいても太刀打ち出来ぬと知っていたからこそ、隠そうとしても隠しくれぬ恐れの現れでもある。
克伐怨欲とはよく言い表したもので、戰と真を仇敵と見做す彼らは、自分たちが喉から手が出る程欲してやまぬものを苦もなく手にしている二人を憎み、其れ以上に恐れているのだ。
戰の綺羅と真の智謀に触れたならば、誰もが靡く――と知っているからだ。
★★★
嵒は、碩が戰に傾倒する余りに、句国王と競うようにして祭国に入れ揚げるのではないか、何れ戰が本国である禍国に楯突く時には率先して槍とな鏃となると恐れたのだ。
契国の相国として、気に入らぬ戰の祝の席に現れたのは意味があったのだ。
年の頃は舅の優と同じ頃であるが、気難しさを眉根と口角に刻まれた深い皺が如実に物語っている人物だった。
常に不機嫌そうで、其れでいて此方の弱みを探るような視線を隠れて送って来ていたのに、薔姫も気が付いていた。
――見られている、って気持ち悪かったの、思い違いじゃなかったのね。
異腹兄である戰の最も濃い身内である真、彼の妻である自分を、嵒は値踏みしていたのだ。
「じゃあ、此の時期に相国さまが叛乱を起こされたのは、計算されていた、って事……?」
いや、と戰は頭を振る。
「恐らくは、かなり突発的なものだろうと思う」
「契国の相国はんは冷静なお人な筈や、けど、上回る憤りを起こさせたんが、皇子さんの御使者さん、云うわけやな」
「……」
「ただ契国相国は、碩殿御為・一筋な漢だ。彼の為に私を周辺諸国に討たせんが為の行動に、勝機がなくては決行しないだろう」
何時でも行動を起こせるように綿密周到に計画を練ってもいたのだろうし、慎重に、何度も計算した上の事だろうね、と云い、戰は唇を噛むようにした。




