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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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21 轟く潮流 その4-7

21 轟く潮流 その4-7



 4年前。

 国王・ばんと王太子・みちが禍国皇子・戰と、あろう事か実の息子であり異腹兄である王子・玖の手により討ち取られた。此の時、後宮にて正王妃に次ぐ最も高い地位である昭儀の御位を得ていたのが、亨の生母である蜜だった。


 戦の始まりから終わりに至るまで、正王妃・文は怯えていた。

 我が子・玖を恐れていた。

 ――他国の皇子の口車に乗せられて、己の父王を討つ手助けをするなど、なんと怖ろしい。

 母を何より大事と思うて呉れているとばかり思っておったというのに、一体、何処で育て方を誤ってしまったのでしょう。

 文は深々と嘆息し、そして身震いした。

 此れまで、全く己を顧みなかった実父を躊躇逡巡する事なく手に掛けたのだ。

 王太子の地位から追い落とされる直接の原因を作った『軽い口』を持つ母である自分を、愛息子が許すとは到底思えなかったのである。


 下女や端女にすら心配されるほど、文は狂乱状態に陥っていた。

 もともと文は、事態が自分の予想や想定の範囲を半歩でも超えると恐慌状態になる女性だった。

 ただ、最も高い地位にあったが為に常に持ち上げられる生活を営め為、そんな状態に陥る事が少なかったのである。

 だから我が子が王太子処か、王籍すら剥奪された時の彼女の内なる狂いぶりは凄まじかった。

 玖が変わらず母に敬愛の情を示し息子として孝徳篤く振舞えは振舞う程、彼が帰ってからの文の落ち着きの無さは深くなっていった。


 ――何時か、何時かきっと。

 何時かきっと、いいえ必ず、父に逆らえなかった此の母に復讐しようとするに違いない……?

「……いいえ! いいえ、そんな事……! 私の玖が、あの母思いの子が、其のような……!」

 しかし一度口に出してしまった疑念は、耳から心に忍び入り根を張り伸ばして全身を支配した。

 彼女に仕える者は口にこそ出さなかったが、文のびくびくとした態度は日増しに酷くなっていく。そうなると戦から戻り、晴れて国王を継いだ玖は、母の態度に胸を痛めた。原因を知らぬ玖は、恐れ慄く母はきっと未だに父王の影響から脱しきれていないのだろう、と哀れんでますます孝行に励むのであったが、そんな息子の姿にまた文は怯えを深くするという悪循環を招いた。


 兎に角、身内への孝心篤い玖が父王と弟王子を討つなどと、文は思いもしなかった。

 そんな温厚な玖が豹変した。

 父殺しの汚名を着る事も、王太子であり異腹弟である亨を己の野望の為に見捨てたと罵倒される事も、簒奪者として誹られる事も恐れず、王座を手に入れる為に皇子・戰と手を組み、父王を廃し弟に手を下したのだ。王太后として、次代の王となった玖に大軍旗と六選の璽綬じじゅを授けた時の玖の満面の笑みを思い出しては、文は内心の疑念で腹を満たしていた。

 ――玖のような優しい子までもが、王座という欲に目が眩んだのです。

 いいえ、いいえ、あれが本性だったのです。

 周囲を偽り、己を押し殺してきたに相違ないわ。

「……だとすると、次に恨みを晴らすべき相手とは、きっと、不遇の時代を託つ切欠を作った、この私……!」


 夜になると、同じ思いが頭の中をぐるぐると巡り出して到底眠れるものではなかった。

 文はその『何時か』が何時やって来るのかと、凍えているの仔鹿のようにぶるぶると震えながら一日をやっとの思いで過ごしていた。

 陰鬱な心持でそのうち息が絶えるのではないか、いや息子からと罪を追及され地位も何もかもを剥奪されて王城から追い出される位ならば、いっそ其の方が良いのではないか、と疑い出すときりがない。

 我が子・玖は其のような子ではない、あの子の孝心はまことの真心、いや、分からぬ、玖とて良人おっとの血を引いているのだ、いつ恐ろしく荒れた気性が鎌首を擡げて来るやもしれぬ、と己の心すら定まらず、欝々と沈んでいく。


 

 後宮の最上位に在る左昭儀・蜜が秘密裏に文に謁見を申し込んできたのは、そんな時だった。

 文はどきりとした。

 彼女の息子であり、良人である番が偏愛を注ぎ太子として立たせた亨を討ったのは自分の息子だ。

 ――もしや……私に復讐に来たのではあるまい……か?

 自分を殺しに来たのではあるまいか。

 蜜の息子・亨の、王太子にあらざる無様過ぎる死に様を耳にしていた文は、もう発狂寸前にまで追い詰められていた。

 いや、もう既に狂っていたのだろう。

 でなければ、蜜が何を仕出かすか分からない、と怯えながらも目通りを許す筈がないではないか。



 ★★★



 しかし彼女の前に現れた蜜は、平伏し、許しを乞いつつ号泣した。

「王太后陛下、何卒、何卒、わたしの罪を御許し下さりませ」

 呆然とする文の前で、蜜はぼろぼろと涙を流しつつ己の罪を並べ立てた。


 元は問えば、婢の身分の者が恐れ多くも後宮になど入り、御子を王太子に立てるという陛下の御言葉に甘え寵愛に縋ったりなどするから、わたしたちは王を失う事態を招いてしまったのです。

 しかも、我が子は王子として戦場に在りながらも王を護るという最大の責務を果たす事無く、まんまと敵の謀略に嵌り、父王を敵将に討ち取られるなどという醜態を晒してしまいました。

 此の罪、万死に値いたしまする。

 母として我が子の罪を贖わねばなりませぬ。

 然して妾も喩え分不相応為れども此の後宮に身を置きし者。

 故に、何卒、王太后陛下の御手より罰を与えて戴きとう御座います…………。


 切々と訴える蜜の声音は耳から入るや、人の心の奥深くに浸透すると瞬く間に根を張って、決して逃さない。

 彼女の言葉は一見して理路整然としているが、突けば直ぐに綻びが出る。

 支離滅裂なのに、其れを感じさせない、指摘させないのは、彼女の芝居がかった口調とそして身振り手振りの賜物だった。

 文もまた例外ではなく、知らぬ間に蜜の弁舌の虜となっていた。


「……ば、罰……? わ、わた……し、の手から……?」

 自らに罰を与えよと云う人間、己に厳しい人物に悪人はいない、と感覚を持ち合わせ居ているのが良家の子女であり、文はその最たる女性だった。

 蜜に贖罪を迫られた文は、自分には罪はないのだという錯覚を与えて呉れる彼女にすっかり取り込まれているのに、気が付けなかった。

「何卒、此の妾を、後宮より追放して下さりませ」

「つ、追放!?」


 蜜からの思いもしなかった申し出に、文は狼狽えた。

 確かに、王城に存在するものは息をする者も生命無き物も、全てが王の『所有物もの』である。

 特に後宮に一度入った女性は、自らの意志で出る事は出来ない。

 王の寵愛を無くして御役御免の女をしての機能を失くす年齢になったとしても、決して自ら出る事は出来ない。

 爪の先、髪の毛一本に至るまで、王に捧げられた供物して生きる。

 其れが後宮の女の定めだ。

 王城から出られるのは、城の外に邸宅を構えた我が子に招かれた時か、若しくは己自身の生命が尽きかけた時のみ、である。

 特に句国では、王が崩御した後は、正王妃を筆頭として後宮の女は序列別に東朝宮に部屋を与えられて余生を送ると定められている。夫君である王が身罷ったとしても、王城の敷地内からは逃れられないのである。


 それなのに、蜜は己を此の城から追い出せ、と迫っている。

「そうですわ。罪に塗れし此の妾と共になど、右昭儀様をはじめとして、他の後宮たちも面白くありませんでしょう。妾一人の存在が、句国にとり、更なる不幸を呼び寄せる種となるなど、我慢なりません」

「……さ、左昭儀……」

 確かにそうかもしれない。

 蜜という存在がない頃の後宮は、寵愛を巡って、妃たちの上下間で多少のざわめきはあったとしても上手くいっていたのだ。

 だが、左昭儀・蜜という存在に一気に傾倒し、溺れてしまってから何かが狂ってしまった。

 ならば、狂う前の状態に戻してやればよいのではないのか?

 何よりも、本人が其れを強く望んでいるのだから……。


 然し此の宮殿に、いや、句国は全て王の『所有物もの』だ。

 幾ら王妃と云えども、勝手な事など出来ない。

 悶々とした悩ましさを隠そうともしない文に、蜜はそっと囁いた。

「陛下、何を仰っておられるのですか? 陛下の只今の御身分は王太后に御座います」

 文は、はっとなった。

 さきの王・番の正王妃にして新国王となった玖の生母である此の身は、確かに唯一国王に意見し諫められる太后の地位を得たのだ。


「王太后陛下の御許し無くば、玖殿下は国王陛下の地位に就くこと、叶いませんでした。つまり、陛下は国王よりも尊き身なのです」

 蜜がどれ程、不遜で不敬な言葉を口にしているのか、其の危険性を全く顧みない甘えた質の文には、都合良く届かない。

 ひそひそと囁く蜜の声は、ぽとりぽとりと岩に落ちて染み入っていく水滴のように、文の罅割れた心隙間に浸透していく。

「陛下の御口より放たれし御言葉に、玖殿下は逆らえませぬ。事が露見したとて、此の次は御控え下さいと御諫めになられる程度、深く追及される事は御座いません」

「……で、でも……でも、でも……」

 文の心が、ふらふらと風見鶏のように揺れ始めているのを、蜜は見逃さなかった。

 此処ぞとばかりに、駄目押しをする。


「……陛下」

「な、何です?」

「妾は後宮より放逐されし後、此の句国に留まるつもりは御座いませぬ。……遠く、備国の地へと参る腹つもりに御座います」

「ひ、備国!?」



 ★★★



 備国。

 想像もしていなかった突飛な言葉に、文は飛び上がらんばかりになった。

 恐慌を来たし悲鳴を上げ掛けた。

 しかし、蜜の細く長く、美しい手が其の口を塞いだ。入念に爪紅を施されている指先は、麗しい輝きを放っており、何故か文はその爪先の紅色に心が落ち着いていくのを感じていた。


「はい、備国に。備国王・よくが余計な横槍を入れて来なければ、禍国皇太子・天の負けは決定的でありましたでしょう。そうなれば、皇子・戰は弟として皇太子・天の救援に向かわねばならぬのは必定でありました。皇子・戰が残らねば戦はどうなっていたと、陛下はお思いであられますか……?」

 蜜の言葉が、じわり、じわり、と文の内側に浸透していく。

「なのに、備国王が現れたばかりに、戦場がおかしな事になったので御座います。全く、此度の負け戦の幾分かの責任は、備国にこそありましょう」

 ゆっくりゆっくり、蜜の言葉は文を絡め取っていく。

 蜘蛛の巣に掛かった薄羽の虫のように、文はもがきもせずにされるがままだ。

 蜜の云う通りになれば、逆に句国は此の世に残ってはいまい。

 文も、とうの昔に王城から出され焼印を施され公奴婢へ身を落とされていたに違いない。

 と、そんな簡単な事にも気が付けない、いや気が付かせない何かが蜜の声音にはある。


「ですから、此の妾は備国に参るので御座います。此の美貌を駆使して備国王に取り入り、内側から備国を乱しそして国を亡ぼして御覧に入れます」

「……さ、左昭儀や……!」

「其れこそが、陛下の寵愛を得し妾のみが成しうる復讐方に御座います」

 文は何時の間にか、しっかと蜜の手を握りしめていた。

「陛下、妾は必ずや、備国を滅ぼしてみせますわ。此の、美貌と、男が虜にならずにはおられぬ、躰を使って」

 よく聞かなくとも、蜜の言葉は全く不筋で、頓珍漢で、辻褄の合わないものであるのに文は気が付かない。

 手に一層力をいれて、こくこくと何度も肯いた。

「禍国の見張りも漸く薄れてまいりまいた。今を置いて、妾の進言を実行に移す機会はありませぬ」

「左昭儀や、其の方の陛下への忠義心、そして敬愛の情、我が心にも届きました。分かりました、良いでしょう。其方をこの後宮から出しましょう」

「お……お! 王太后陛下……!」

 小さく万歳を叫んで、蜜は文に縋って泣き崩れる。

 蜜も、涙ながらに蜜をしっかと抱き締めたのであった。



 ★★★



「お、お前はあの時、言うたではないか! だから、だから私は!」

「馬鹿ね、そんなもの、お前を騙す嘘方便に決っているでしょう?」

 文にますます苛ついて来たのか、蜜の声音は冷ややかだ。


 あの後、蜜の言葉が持つ魔力めいた力に引き摺られ、文は彼女を後宮から逃した。

 女たちは抱き合って涙に暮れたが、一方は確かに感動に心を疼かせてであったが、だが一方は涙を拭きつつ作った袖の影で真赤な唇を歪めて此れもまた、深い紅の舌をちろりと出してほくそ笑んでいたのに愚かにも気が付けなかったのだ。

 其の後、彼女が備国王に見事見染められ後宮入りし、首尾よく身籠り王子出産にこぎ着けた。

 そんな蜜から、文に密書が届けられたのは、祭国郡王・戰からの使者として克という将軍が訪れていた時だった。


 乱れた髪を掻き毟りながら、文は息子の名を呼び、許しを請いながら床を這いずり回った。腰が抜けて立てないのだが、それでも処刑された息子の元に行こうと必死で進む。

 蜜はそんな文を、ふん、と鼻先で嘲り笑う。

「これ見よがしに、母親面、王母面するつもり? お生憎様ね、お前がぎゃあぎゃあ喚いている間に手遅れになってよ」

「何ですって!?」

「お前の息子はね、嫁や子供たちと一緒に冥府へ旅立っていったわよ。然程、時間を置くことなく逝けたんですもの、備国王の慈悲に感謝する事ね」

「慈悲ですって!?」

 文は金切りを上げた。涙だけでなく、鼻水と涎も垂れ流して文は蜜の足元に縋った。


「お願い! お願いよ左昭儀! 玖の元に行かせて、行かせておくれ!」

「まあ、煩い事。許してあげてもいいけど、でもその汚くむさ苦しいつらで、せいぜいよぉく見ておく事ね。お前のせいで、息子も息子の嫁も孫たちも、みんな、みぃんな、殺されて野良犬の餌になっている処を」

 ひぃっ! と文は陶器の破片同士を擦り合わせた時に出る、耳に不快な甲高い悲鳴を上げる。

「ああ、玖! 私の玖~!! ご、後生じゃ、左昭儀! 私を玖の元に行かせてぇっ!」

 蜜が口角を持ち上げて、にんまりと嗤う。

 歪んだが、上弦の月のように妖しい輝きを放った。


「一人生き残るのは寂しいでしょう? 悲しいでしょう? 辛いでしょう? なのに、まだ生命を惜しんで死ねないのねえ、お前って女は」

「……な、なんっ……」

「大丈夫よ、お前のような図々しい女でも、生きていたくない、死んでしまいたい、ともっともっと思えるようにしてあげるから」

 はっ、と面を上げた文の眼に、自分に向かって欲望を隠しもせず目をぎらぎらと怒らせている男たちが殺到してくる姿が入る。

 文の口から、今度はきぬを裂くような悲鳴が上がる。


「ぶ、無礼者めらが! 何をするのです!?」

 必死になって手を振り回し、文は叫ぶ。現れた男たちは、彼女が此れまで視界に入れようともしていなかった奴婢以下の扱いを受けてきた者たちだった。

「手をお離し! 離しなさい! わ、私を誰だとおもっているのです! 王の母、王太后なのですよ!?」

 だが男たちはにやにやと下卑た嗤いを引っさげたまま、動きを止めようとしない。嬲られるようにして、文は身包みを剥がされていく。


「や、やめて! お願い、やめてぇっ!」

 文は遂に、蜜に向かって許しを求めて手を伸ばした。

 軽業師か何かの出し物を堪能したばかりの小娘のように、ふふ、と蜜は軽く笑った。伸ばされた文の手を取ると、其の手の甲を一頻り撫で廻す。

 がくがくと震えながら、もしかして、という希望に文の眼に輝きが戻りかけるその瞬間を、蜜は見逃さなかった。

 手を離すと、爪を立てて文の頬を張り倒した。

 びいぃっ、と異様な音が走る。

 ぎゃー! と文が喉を裂いて叫んだ。

 抑えた頬には、朱い線が描かれている。

 蜜が離れると、再び文に男たちが群がっていく。まるで歯肉に集る雀蜂のようだった。鋭い顎の牙で肉を啄み、気に入らねば情け容赦なく毒針を刺す、蜂のようだった。


 男たちにあっという間に裸体にされた文は、恐怖に目を剥いた。彼らの一人が、何時の間に用意したのか黥面用の筆を用意していたのが目に入ったからだ。

「やめて、其れだけは! お願い、お願いします、お願い、助けて!」

 懇願も虚しく、文は身体を押さえつけられ、とうとう口内に薄汚い布切れを突っ込まれた。


「何と印をお入れになられやす?」

 にやにやしつつ、筆を手にした男が下卑た声で蜜に指示を仰ぐ。

 そうねえ、と蜜は肩をくねらせた。

「豚、とでも入れておやり」

「そりゃあ、また、いいお考えで」

 男は更に下品極まりなく、涎を垂らして笑う。

 布で口を塞がれていても、ひぃっ! 息を呑む音は響いてきた。

 続いて、くぐもった野太い叫び声が布越しに発せられる。


 文の額に、そして全身に黥が施されて行くのを見て、蜜は勝ち誇って高笑いをした。

「無様なものね。少しは嫁を見習ったら? 王妃おんなはね、備国の下賤な男どもに触らせる躰はない、と叫んで舌を噛みろうとしたそうよ?」

 自分の言葉が如何に文の心を深く抉ったか、見届けた蜜はまた、ふふっ、と愉し気に嗤う。

 窓辺近くに用意された長椅子に、ゆったりと身体を投げ出して横座りする。

 蜜は文の額に着々と黥が刺されて行くのと、窓の外で行われている酸鼻で残酷極まる処刑場とを、交互に眺める。

 そして胸を抑えると、あぁっ……! と褥で感じ入った瞬間のような喘ぎ声を漏らした。


「あと少し、あと少しよ。もう少しで妾の復讐は終わるのよ……!」



 ★★★



 東朝宮を訪れた弋は、眉を顰めた。

 気の触れた大年増の醜態など、観たいものではない。

 況してや、勝ち戦に傷をつけかねないような事態に落ちるのは面倒臭い。

 酷薄な笑みを浮かべて、非れもない姿で床に転がりぶつぶつと何事か呟いている女を睨め付けている蜜に近づく。


貴姬きひ

 声を掛けられて、蜜は弋の存在に気が付いたらしい。零れそうになるほど目を見開いて、蜜は振り返った。

「陛下……!? 何時の間に?」

「今だ」

 沓音を立てて、ずかずかと蜜に近付く。しなを作りし撓垂れ掛かってくる蜜に、此の時、弋は初めて鋭い視線を浴びせた。最も其れは一瞬の事であり、蜜は気が付いた素振りもみせなかった。


「あの女が、王太后か?」

 弋の分厚い胸の中で、ええ、と蜜は答える。

「気が触れているではないか」

 呆れた口調で弋は吐き捨てる。

 弋の目の前で、ぼろを身に纏わされた文は焦点の合わない虚ろな目で虚空を見上げ、只管に高笑いし続けていた。時折、唇の端に唾の泡をうかべて、あわ、あわ、と言葉にならない言葉を呟きながら、やはり空に向かって手を伸ばしている。

 何かを撫でるようでもあり、頬ずりするようでもあり、抱き締めているようでもある。


 ふん、と弋は侮蔑を込めて鼻を鳴らすと、蜜は口元を袖で隠しながら、ほほ……と含み笑いを零した。

「好都合ではありませんか……?」

「其れはまあ、確かにそうだがな」

 王である玖を討ったのは、王太后・文が残っていると知っていたからだ。

 受禅を行うのに何も王で無くてはならない法はない。

 兎も角、王族でありさえすれば良い。

 蜜が長らく胸の内に秘めていた計画を耳打ちされた弋は、こうも上手く事が運ぶとは思ってもみなかったのだが、一つだけ問題が残されていた。


「しかしな、未だに大国旗と六選の璽綬じじゅが見つからん」

「……え……?」

 不機嫌顔で吐き捨てる弋の横顔を見ながら、初めて、蜜は戸惑いの声を漏らした。

 ここまで計画通りであったというのに、どうしてこんな綻びが出来たのか?

 しかし、直様、気を取り直した。些末な事だ。国旗と璽綬がなくとも、国王・玖亡き今、王太后である文の一声があれば次の国王の指名は出来る筈だ。


「句国は……陛下の御力の前に、滅んだので御座います……大軍旗と璽綬など、もう必要御座いますまい……」

「そうだがな」

 憮然としている弋の太く逞しい首に、蜜は腕を絡めた。

 途端に、弋は機嫌を戻して蜜の柳腰を抱き寄せる。


「……陛下……」

「何だ、蜜」

 性急に彼女の躰を弄り出した弋の腕を抑えて、蜜はねっとりと微笑む。

「……陛下は、勿体無くも此のわたしに……お城で仰って下さいました……」

「何をだ?」

 獣のような直情的な欲望を露わにし、荒々しい息を蜜の耳朶に吹き掛ける弋に、蜜は流し目を呉れる。


「……好きな処に好きな様に、わたしの棟を建てても良い、との御言葉を下さいました……」

「うむ、確かに云うた」

「御約束を……」

「うむ?」

「……此の、句国の城を、妾の棟にしとう御座います……」

 蜜の豊満な躰を弄っていた弋の手が、ぴたり、と止まる。

 真顔になった弋は、ぐい、と蜜の肩を掴んだ。


「句国を寄越せ、と云うか」

「……はい……」

 にこり、と蜜は嗤い、臆面も無く言い放つ。暫しの間、蜜を睨んでいた弋だったが、身体を反らせて大笑する。

「いいだろう。此の城、貴姬の御堂として与えよう」

「……有難う、御座います……」

 蜜は深く腰を折る。


 句国の城を己の物とする。

 一見、強欲なだけに見える。

 しかし根底には、備国の後宮に留まり王妃や他の後宮たちと一線を画する寵愛を受けている者であると内外に知らしめる手段であり、且つ、自身が産んだ子が、後に句国領土の郡王となるのだと確約させたも等しい。


 弋も有力豪族の一門から嫁いできた王妃の子を、王太子として立てている。

 蜜は、流れ者の婢でしかなく、後ろ盾も何もない。

 実家の権勢が物を言うのは句国も備国も、いや中華平原にある国も毛烏素砂漠に生きる騎馬の民も同様である。


 此れまで蜜は、蜜を擁護する政治基盤がなかった。

 其の為に王妃をはじめ、他の後宮たちも彼女の専横を目溢ししてきたのだ。

 が、然し此れで、彼女は備国王・弋の情けを得た女性の中で突出した政治力を得た事になる。

 蜜と彼女が産んだ王子は、備国内の政権闘争に一歩抜きん出た形で参加表明をしたのだ。



 腰をくねらせながら両腕を広げて牡を迎え入れる仕草をしてみせる蜜を、弋はもう一度抱き寄せ、弋の掌が蜜の躰を獣の舌のように激しく這い回らせ始めた。すると今度は、蜜の方が甘く荒い吐息を漏らしる。

「……あ、あぁ、へい……か、あぁっ……!」

 

 やはり呼気を荒らげる弋の双眸には、だが天井知らずの熱さではなく、底知れぬ冷ややかさが宿っていた。



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