21 轟く潮流 その4-2
21 轟く潮流 その4-2
備国王・弋の天幕に、先導となる別動隊からの伝令がやってきた。
既に幾つもの砦を陥落せしめたとの報告を受け取っている弋は、此の早馬も余裕の笑みをもって迎え入れる。
甲冑が触れ合う不協和音を響かせせる伝令の身体からは、汗浸みの饐えた臭いがもうもうと蒸気のように上がっている。が、通常なら顔を顰めたくなるような異臭にも、興奮の坩堝と化している天幕内では気にならない。
「御苦労」
伝令にとって、王と直接目通りが叶うだけでも大変な栄誉であるというのに、直接言葉を掛けられるとは。一門末代までの誉に、伝令は感動に肩を震わせて跪く。
「許す故、仔細を申せ」
王座に腰掛ける弋は伝令に手を振り、先を続ける許しを与える。
他者がすれば、そう例えば備国の預かり人となっている廃皇子・天などが同じ振る舞いをすれば、虚飾と横柄さと尊大さに塗れた所作であると皆が顔を顰め腹の底で失笑せずにはいられぬであろう。が、弋の場合は高明さと高邁さ、そして王者の威厳を感じさせるから不思議である。
伝令は、はっ、と額を激しく打ち付けて平伏した。
「申し上げます。句国の領土最南端に位置する河に作られし橋頭堡を、我が軍は見事に攻め落としまし、陛下の御威光を知らしめまして御座います」
まるで変声期の少年の様に、声が掠れ裏返る。
しかし興奮に頬を紅潮させている伝令は、己の失態に気が付けないでいる。
弋も、まだ若い伝令が自軍の勝利を伝える誉れに酔っている様を、面白く眺めていた。
「そうか」
「誠に我が国の重畳に御座います。此の慶びを陛下にお伝えする佳名を得ましたる事を我と我が身を置く一門の宝と致し、末代まで伝える所存に御座います」
……其れはまた、と弋は苦笑する。しかし、何処か愉しげである。
「勝ち戦の報告一つ如きで、何とも大袈裟な事だ」
揶揄の成分を含ませつつも、手塩にかけた者たちに無条件で持ち上げられれば弋とて悪い気はしない。
此の数年、剛国に圧力をかけるふりをしつつ句国に攻め入りながらも、然したる成果をもたらさなかった弋を王とするは不十分である、とする動きが水面下で起こっていたのを知っている。
出所はどこであるのかを探らせている最中であるが、どうせ廃皇子・天の周辺からだろう。
幕僚たちの賛辞の嵐を身に浴びながら、弋は差し出された祝杯に手を伸ばした。
杯といっても形が整えられた白磁の高杯などでなく、無骨で巨大な鉢のような容器に、騎馬の民である備国の漢たちが好む白く濁った馬乳酒がなみなみと注がれたものである。
弋が杯を掲げると、家臣たちもいそいそと一斉に祝杯に腕を伸ばした。
戦勝の興奮は鎮めるのではなくより高揚させて次に繋げてこそ、騎馬の民の漢だ。
最後に、伝令の手にも杯が渡される。
王と共に杯を掲げる栄誉に伝令は涙で濡れた顔を感涙でぐしゃぐしゃにし、殆ど失神せんばかりに興奮していた。
「皆の者! よくやった! よくやってくれた! 国王として、其の方らの働きを誇りに思うぞ! いざ、勝利を共に喜ばん!」
杯を高々と掲げて意気揚々と宣言する弋に、おう! と幕僚たちも興奮に上ずった声で応える。
にやり、と満足気に笑った弋は、次の瞬間、巨大な杯を傾けると、喉仏を大きく上下させて中身を一気に飲み干していった。
最後の一滴になるまで口を離さなかった弋は、杯が完全に空になるっと、ぷはっ、と息継ぎをしつつ口の周りの酒気の粘り気を腕で豪快に拭い取った。
「しかし、此れで満足などしてはおられぬ! 次に目指すは、王都だ! 句国の王城を我らの脚で蹂躙してやろう!」
再び、おおっ! という怒声に近い声が上がる。
「此のまま、一気に句国を攻め滅ぼしてやるぞ! その次は我らが宿敵、そう剛国だ! 剛国王の首を刎ね、崑山脈の頂上で旋回しておる鳶の餌にでもしてやろうではないか!」
天幕内に、酒の気が、そして戦を求める備国の男臭い気が満ちていく。
同時に、敵の首と攻め滅ぼした先に手入れる女や宝物への欲望を隠しもせずに滾らせていく。
備国王・弋は、家臣たちの獣さながらの欲を、煽るかのように新たな酒杯を求めたのだった。
★★★
――積年の恨みを晴らすべく備国王・弋の名において句国を討つ
備国軍の総勢、約5万。
その頂点に立つ備国王・弋から、改めて句国全土にへ向けて布告が行われた。
基本的に騎馬の民は、中華平原の国の様に、態々布告して後に仕掛けたりはしない。
奇襲の掛け合いがいつの間にか大規模な戦へと発展していく。布告などに何の意味があろうか、可惜、敵に戦の備えをさせる間を与える頓馬が何処に居るか、と嘲笑の眼を向けられるだけだ。
中華平原の国とて、いちいち論を俟たず戦を仕掛けなければ勝機を逃す場合は布告などしない。
其れでも平原の国々が戦の前に布告を行う場合は訳がある。
平原の民は騎馬の民より、国を征服し王位を剥奪して放逐する、つまりは放伐に対する深い抵抗感があるからだ。
国家は天下、つまり天帝の御心により生じるもの、王者とは天帝の御意を遂行するもの、という考えが庶民にまで深く浸透している。最早、血肉であり髄にまで成り果せている。
国王を廃位せしめ国を簒奪する行為は、即ち天へ唾吐く行為として恐れられるものであり、且つ唾棄すべき行為なのである。
平原の民にとって国譲りとは、天意による禅譲であるべきなのだ。
だから中華平原において基本的に国盗りはしないし、もっと言えば有り得ない。
必ず先王に禅譲の意志を示させ受禅せねばならない。
璽綬六選と国王旗を奪うなど以ての外であり、そうした王朝は天帝の寵を受けられず長続きしないと見做される為、其の後の禊祓は凄まじく物々しくなり、然も長きに渡るものとなる。下手をすると、一王朝を通じて行い続けねばならなくなる。
戰の母親である麗美人や、薔姫の母親である蓮才人の祖国である楼国が辿った歴史が、その最たる良い例だろう。
楼国は崑山脈を西に越えた毛烏素平原にある、平原の民と騎馬の民と西方の異民族、所謂、西戎との文化や風習、領土の境界線上に建った国であるが、語源や民族的な立場見れば中華の民に近く、故に、備国よりも毛烏素山脈の中央側に位置しながら因習風俗などは禍国に近い。
楼国は皇帝・景の御代に、一度、亡国寸前にまで追い込まれた。
此の戦は、禍国に蔓延しつつあった鵜片の害毒より護る為の戦であった。
が、其れでも禍国は楼国に対して宣戦布告を行った。最終的には城の攻防戦となったのであるが、時の皇帝・景は敵わじと籠城した楼国の領民を虐殺し、王族を全て捕え首切り台にての斬首の刑を言い渡した。
受禅無くして国を滅ぼしてはどうなるか。
禍国の成り立ちを知らずして皇帝の地位には就けない。
当然、景も知っている。
だが其れでも景は楼国を許さなかった。
己が呪われようとも楼国を討ちに出たのだから、為政者としてはある意味、領民思いで正しい行為とも云えるだろう。
しかしまだ少女と云える年齢の、後に美人となる麗王女との出会いが楼国の命運を良きにしろ悪しきにしろ、変えた。
景は、彼女に免じて僅かに一門の存続を許し、楼国の宗主国となり、以後、朝貢を怠らせぬようにして国を永らえさせた。
家臣たちが、其の時にはまだ皇帝として平原に名を轟かせるにまで領土を広げた景の政治力は揺ぎ無く、楼国などという一弱小国家如きと此の威光溢れる皇帝を天秤にかけ失わせてはならぬ、と思わせるに足る為政者であったのだ。
楼国が滅亡を免れたのは、皇帝・景が麗美人という美貌の少女に年甲斐もなく虜になり、楼国からの金の収入に目が眩み執着したからだけではなかったのである。
やがて、楼国が産する鵜片の魔障の力に毛烏素平原に生きる国は金を絞り取られ領民を蝕まれ始めた。
そしてとうとう、西方の民を併呑しつくした蒙国にもその魔障は勢力を広げ、皇帝・雷の怒りを買った。
皇帝・雷は紫電と恐れられる電光石火の攻撃で、楼国を焼き尽くし地上から存在を消した。
戰の郡王、椿姫の女王の即位戴冠の日に、蒙国皇帝・雷が楼国を滅ぼしたという報せが烽火により齎されたが、此の時、騎馬の族であり続けている事を誇りとしている皇帝・雷は、宣戦布告を行っていないのである。
剛国、契国、燕国などは崑山脈以西の騎馬の民と根幹が似通っており、祖の血脈を誇りとしている。
しかし句国は、同じく騎馬の民の血を引きながらも、此の数代のうちに中華平原の仕来りに大きく傾倒していっている。
特に現国王である玖に至っては、盟主である禍国の皇子・戰に文字通り犬の様に尾を振っていると見做され、嘲弄と嗤笑の対象となっているのだった。
★★★
「はっ! 同じ誇り高き騎馬の民の血を引くとは思えんな。今や、牙を抜かれた犬擬きではないか」
布告を終えた弋は、ふふん、と鼻で嘲笑する。
騎馬の民の王としての自負と自尊を有する弋が句国に対して布告を行ったのには、理由がある。
此度の戦で手に入れた句国の領土を足掛かりとして、備国は此の後、平原の雄となるべく大攻勢に打って出るという意思表示である。
当初、弋も布告など必要なし、句国王城まで一気に駆け抜け攻め落とすを是とすべし、としていた。
最も憎き相手である剛国王・闘は現に、平原の仕来りになど阿り、諂諛することはない。
相手国が燕国であったにせよ、騎馬の民らしく忽然と敵の郡府や城の曲輪の前に姿を現し、怒涛の攻めを行っていた。
――剛国王・闘。
奴にだけは負けぬ。
負けてたまるか。
弋にとって剛国は全土を焼野原にし、闘とその一門を切り刻んで豚の餌とし、その肉を喰らってやっても到底飽き足らぬ憎き相手である。
その憎き相手が騎馬の民である矜持を示し続けているというのに、自分は中華の風習に染まってたまるかとかいう対抗心が、抑えられなかった。
だが剛国相手だけならまだしも、中華平原を平らげた勇者として立つには、どうあっても彼の地の因習を揚棄せねば飼い慣らせないと苦渋ながら判断を下したのである。愛情を傾けている貴姬・蜜の望み通り禍国と句国を併呑し、郡王・戰と句国王・玖の首を呉れてやりはする。
だが弋にとって討つべき相手とは、父を憤死させ備国に泥を塗った、剛国王・闘なのである。
句国と禍国は剛国を討った後でよい。先ずは、剛国に思い知らせてやらねばならない。
――見ておれよ、剛国王よ。
そして私に見せろ。
平原の民の業すら止揚してわが物とする私に、垂涎三千丈の間抜けで無様な姿を晒してみせろ。
★★★
「我が軍旗を掲げよ!」
弋が腕を上げて命じると、おう! という呼応と共に大の大人の腕程もある柄の巨大な備国王の大軍旗が立つ。猩々緋に金糸で『備』の文字と『弋』の文字が刺繍してある旗が、風に舞う。
万騎将軍以下、弋の幕僚たちの軍旗が順に従う。
隘路である公道より吹き抜ける風に破裂音を響かせて棚引く姿は実に壮観であり、今にも軍旗が馬に姿を変えて平原目指して駆けて行きそうである。
本格的な夏を迎える直前に似つかわしくない涼しげな風であるが、崑山脈を巡るうちに凶暴化して台風宛らの強風となっている。だがものともせず張られた王専用の巨大な天幕の中で、国王・弋自らが総大将となった備国軍の軍議が開かれた。
といっても、備国においては軍議と云うよりは、国王・弋の意志を伝えるだけの場である。
「よいか者ども。此度の戦で敵を蹴散らした勢いのまま、一気に句国王都へ雪崩れ込み、句国王の首を上げるぞ」
深い赤銅色の甲冑を身に纏い、王者らしく尊大に背筋を反らせて椅子に座る弋の前に、将兵たちが兜を片手にして跪いている。
一辺が2丈はありそうな軍旗と見紛う巨大な帛書に、崑山脈を突き抜ける公道から句国、そして南の契国と北の剛国のみを描いた軍用地図である。足掛け3年に及ぶ小競り合いを続ける中で、部下たちと捕えた民兵たちの証言を慎重にすり合わせて作り上げたものだ。
「此の公道では、我が全軍を以て句国と対峙するは難しいだろう。其処で先ず、第一軍に鋒矢の陣を取らせ、句国軍を撃破する」
鋒矢の陣は鏃のような三角形型の陣形を指す。
敵陣を突破する事に関しては、比類ない力を発揮する陣形である。
狭い公道では、幾ら大軍を率いているといえども運用できる兵馬の数も限られてくる。
となれば、少数精鋭の兵馬の力を最大限に生かし、一点集中で中央を鋭く抜ける、まさに飛来する矢尻の如き此の陣形を採用する弋の案は、理に適っていると云えよう。
五万の兵を均等に3分割は出来ない為、第一軍の総数は凡そ2万とした。
其の分、第二軍と第三軍は徐々に数を減らしていく。
連続で相手に息を突く間も与えずに細かく陣を区切って攻め込むという定石を取るならば、圧力は後になる程強くする、即ち第三軍に本軍となる弋の精鋭軍を配置し一番手厚くするべきである。
しかし国王である弋の性格上、第一軍を本人が率いると決定しているし、伝令の通達の速さや備国軍の癖などを鑑みれば寧ろ丁度良い兵馬の割り振りと云えるだろう。
だが、幕僚たちは項垂れたまま微かに顔を見合わせ合った。
斥候たちが調べを付けて知らせてきた玖を総大将とした句国軍は、急場拵えとはいえ増援もあり総数3万5千を超えているという。
しかし備国の軍馬の力をもって鋒矢の陣形を取れば、句国軍など喩え10万の兵馬で迎え撃って来ようとも恐るるに足らず。
熟れ過ぎた瓜に鉈を入れるが如きに、易々と突破出来るに違いない。
戦とは、やはり数に勝るものに勝利が訪れる。
だが、幕僚たちの怯みの元は其処ではない。
今回、弋の示した作戦に限っては、僅かであるがその常識が通用しないかもしれない――のである。
鋒矢の陣は確かに猪突に秀でた陣形だ。
同時に此の陣形は、敵陣を突破した後、両側から包み込まれやすい陣形でもある。
もしも最初から包囲を目的として左右から展開されてきて、相手の思惑通りに周囲を囲まれでもしたならば、自滅の道を走る事になりかねないのだ。
しかし彼らの王は弋だ。
戦の中で生を受け、戦と共に生き、戦を生き抜いてきた王だ。
鋒矢の陣の両面性をよく理解している筈、其の上で策を出してきた。
家臣たちはだからこそ口を噤んでいる。
弋の言葉は絶対であり、彼らの王は反駁を許さない。
喩え、王の言の方が間違えていたとしても、だ。
★★★
とはいうものの、極めて独裁的な人物ではあっても場の雰囲気を読み取れぬような暗愚ではない弋は、頤を跳ね上げ、豪快に笑って暗い空気を払って見せた。
「其の方らの意を読めぬ愚かな王ではないぞ、貴様らの君主は」
帛書の中に描かれた公道を、弋は叩いてみせる。
「鋒矢の陣を敷くのは、此の公道を抜けるまでだ。此の先を見るがいい」
弋が手を伸ばすと、文箱が掲げられた。筆を取り、先にたっぷりと朱墨を含ませると豪快に腕を振るう。
「此処にあるのは最後の急所となる山を背にしての左右の分かれ道、即ち南下して契国に向かう道か、若しくは北上して句国に向かう道か、だ」
大人の手首ほどもある巨大な筆が舞い、先ず、公道に三角形が描かれた。
形から、此れが備国軍が取るべき鋒矢の陣であると知れる。
その先端に対峙する形で、前方に弓隊と槍隊を集中して配置した第一軍、二軍、三軍と続きそして左右を遊軍に挟まれた形で後方中央・二軍の位置に大将を据えてある陣形、別手直の陣である。
峻険たる山々が連なる隘路の戦い、然も味方の兵力が極端に少ない場合に最も有効な形とされている。
後方に山を背負っている為、後詰を薄くし其の分を前方に回せる。
別手直の陣は山間における布陣として数多く採用されてきた布陣であり、故に最良とされる陣形である。
「脳の足りん玖の阿呆は、必ずや此の位置に別手直の陣を敷く」
「陛下、句国王は、斯様に分かりやすい陣で挑んでくるでありましょうか?」
思わず声を上げた家臣の一人に向かって、布陣を書き込み終えた弋は、にやり、と口角を持ち上げる。
「句国王・玖は、良くも悪くも、分かりやすい良家の善人だ。奴の考えそうな事は、この3年の小競り合いの御蔭で容易に頭の中に思い描けるようになったわ」
弋は拳で、とんとんと眉間の辺りを軽く叩き、揶揄するように口角を持ち上げたまま続ける。
「紋切型の策ならば幾らでも口先から湧いて出る、其の程度の質の人物にすぎん。だが、だからこそ人々に安心感を与えうる。分かりやすい言葉で予想が付く直ぐ先の展望を伝えてくれる王、そして其の予想通りに事が運んでくれる王であれば、領民たちは何も考えずに済ませてくれる王に懐くのは道理であるからな」
弋の声明に、得心がいった、とばかりに各所で頷きが起こる。
泰平の世であれば確かに玖のような政を行う人物こそが善王である、と褒め称えられるであろう。
だが今は、戦乱の直中だ。
群雄が割拠する動乱の世、乱世なのだ。
臨機応変、正に風に舞う木の葉の如くに姿かたちを変えて行けねば、忽ちのうちに足場は崩れ去る。
何しろ、対峙するのは、騎馬の民の中でも豪の者として名を轟かせる備国なのだ。
家臣たちの表情に、己の云わんとする処を読み取った笑みが浮かぶのを確かめてから弋は続けた。
「我が第一軍を鋒矢の陣にて投ずれば、確かに一軍だけをみれば句国軍が兵馬よりも数で優っている。が、総数でみれば我らに圧倒を許している。しかも、第一軍に投入する騎馬は一万五千とした。一方の句国が有する軍馬は一万に満たぬ」
堂々と胸を張って朗々と声を張る弋に、何時しか家臣たちも見惚れている。
「此れで我が軍が勝てぬ道理が何処にある。我ら備国は毛烏素平原の熱砂をものともせず一日千里を駆ける真実の騎馬の民だ。馬同士の戦いで、どうして負けが見えるものか」
この3年間、執拗に小競り合いを続けてきた。句国の内情は筒抜けだ。
玖が取り繕おうが今更なのだった。
「牙を抜かれた騎馬の民、玉無しの句国如き、恐るるに足らず。鋒矢の陣で句国の鼻先を、文字通り、矢で射掛けるが如しに打ち破り、その後、敗走に移る奴らを並行追撃する。我ら騎馬の民の速戦即決を平原に見せつけてやろうではないか」
弋を見上げる家臣たちの目に、力強い光が宿り出す。
「この公道の戦が終われば掃討戦だ、我らが力を其のまま傾け、句国の奴らを根絶やしに、虱潰ししてやればよい。布陣を練る必要などない」
椅子から弋は立ち上がる。
身に付けた甲冑が、がちがちと岩を擦るっている時のような不協和音を上げたが、家臣たちの耳はいっそ舞いの伴奏であるかのように心地よく耳を傾けた。
「句国程度に時間は割いておられん。だが電光石火にて句国を討った後、必ずや剛国王・闘は黙っておられぬように仕向けてやる。よいか、我らの真の戦の相手は剛国王・闘だ。句国王・玖など、体馴らしに過ぎぬ」
失笑が一斉に漏れる。
確かに今の自分たちの相手など、句国は役不足も良い処だ。
「皆の者! 鎧袖一触と行こうではないか!」
家臣たちの眼が、獲物を見定めた野獣のようにらんらんとした輝きを放ちだす。
「ああ其れと、大事な事を伝え忘れる処であったぞ。句国王を捉え、私の前に引き摺って来た者には私自らの手で褒賞を与える。奴の生死は問わん。が、生け捕った者には戦勲一等の誉を与えると約しよう」
一斉に上がった怒号に近い歓声が、弋の大天幕を内側から揺るがす。
「行くぞ! 此度の戦、戦ではない! 此れは、狩りだ! 騎馬の民、狩猟の民とは如何なるものであるのかを、句国の駄犬どもに教えてやろう!」
弋の天幕が、内側からの嵐に大いに揺れた。
 




