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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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21 轟く潮流 その3-3

21 轟く潮流 3-3



 備国王・弋に告ぐ

 我が名は嵒

 我は此れより長らく祭国郡王と誼を通じ続け国政を傾け民を顧みぬ甥にして暗愚の王・碩を廃し自ら王となるものなり

 我が王となった暁には是非とも崑山脈以西の猛き国として平原で恐れられし備国と盟友とならん

 証として祭国と同盟関係にありし句国を共に討ち領土を二分し与えるものとする

 


 契国から話を持ち掛けられた備国王・いきは、危うく密使を脳天から斬って捨てる処だった。

 いや、斬り捨てるなど生温い。

 切りに切り刻んでなますにして野犬にでも喰わせてやろうか、と脳がぐらぐらと沸き立つままに愛刀の柄に手を掛けていた。


 密使の言葉を共に聞いている家臣たちは、契国如き中途半端な国が何を、と俄かには信じ難かたい思いを戸惑いの表情で表している。

 だが、激情型の弋は違う。

 侮るかという怒りが先んじてしまい、そうなると爆裂するしかない。

 自国の王が逆上したまま振るう剣の峻烈さ、抜刀速度を知る部下が必死の形相で止めに入らねば、密使の身体は血の泥濘の中で真っ二つに裂けて横たわっていたことだろう。


 弋は密使の言葉を鵜呑みにするような、愚かな男ではない。

 まして既に年齢としては壮年に近く、経験が浅いわけでもない。

 寧ろ、句国あたりが身を守らんと此方を謀る愚策に出たか、若しくは剛国あたりが連続して侵攻する此方に目をつけて句国を滅ぼさせ、あわよくばを狙っているのかと勘繰ったのだ。

 しかし、止められれば途端に冷静さを取り戻し即座に脳を回転させた。

 ただ、感情を素直に破裂させる事此の上なし、というだけで弋は王としての己の領分も知っていれば果たすべき責務も深く承知しており、そして其れを積極的に熟す事を厭わぬという、民にとっては誠に良き王なのである。


 部下の顔を立てる振りをして契国からの密使を一旦下がらせると、各国の動向を探らせている草の中でも契国を担当している者を呼び寄せた。近々の状況を聞くにつけ、どうやら密使が手にしている契国相国・嵒からの密書の内容は本物であるらしい。

「陛下、我らを契国に送りし陛下の洞察力に平伏するばかりに御座います」

「と、云うと?」

「密使が伝えし通り、契国相国・嵒は国王・碩を廃さんとの言の実行に移すべく準備を怠っておりませぬ」

「すると何か? 気が付いておらぬは王ばかりなり、ということか?」

 を眇める弋に、草は無言を以て答える。益々もって弋は、鼻白む。

 こうなると、阿呆の極みに立たされた契国王に逆に仄かな憐憫の情が湧いてくるから人間というものは不思議なものだ。

 しかしとは云うものの別の意味で、奴め、正気か? と聞いてみたくなるのも事実だった。


 契国相国・嵒の申し出は分らぬでもない。

 戦における外交の定石通りに嵒は動いている。

 ――だが、句国の半分、だと?

 其の程度で満足すると思っているあたり、私も相当に侮られたものだ。

 実に、野良犬に喰いかけの豚足を無造作に投げ与えてやるのを慈悲と勘違いしているようなものだと、気が付けぬとは何とも御目出度く、そして其れ故に度し難い。


 ――嵒めが、貴様程度の漢が、この備国王を虚仮にする態度に出るというのか。

「嘗められたものだ」

 自嘲気味に鼻で笑いながら、弋は密使に再び目通りを許した。



 ★★★



 再び密使と見えた時、弋はすっかり冷静さを取り戻していた。

 密使は安堵感からであろうか、微かに吐息を洩らした。

 気が付かれぬ程度に目を眇めて、錐よりも細く鋭い視線でそんな密使を横目に眺めた弋は、内心で密使の軽さを嘲笑した。


 ――下手にこの備国を呼び込めば、何れ遠からず句国と同じ道を辿るものだと何故見抜けないのだ?

 嵒とか云う奴は良い年をしておりながら、余程の阿呆か。

 この備国王が何を目指し何を求めて平原への窓口である句国を攻めているのか。

 見抜けぬ頓馬が相国を名乗るのだ。

 王もが知れようが、其れにしてもなかなか嗤わせてくれるぞ。

 備国が執拗に句国を突くのは、其の先にある剛国へ報復の為だ。

 然し其れ以上に、中華平原の中央に立たんが為だ。

 男子として、そして王座に在るものとして、それは当然胸に抱くべき野望であろう。

 この備国に同盟を求めるのであれば、句国を半分に分かつ程度では収まらぬ、相応の見返りと云う下心がなくては動かないと気が付けぬとは。


「どうやら、契国相国とは相当に都合の良い薄ぺらな頭の持ち主のようだな」

 嘲笑するのも何か惜しい気がしながらも、弋は失笑を止められない。嵒と彼の君主である碩、共々の器の小ささに気が抜けたからだ。

 一頻り笑うと、腕を振って追従するように嗤う部下たちに控えるように示し、弋は王座から立ち上がり窓の外に視線を走らせた。


 季節は夏に向かう途中だ。

 崑山脈の長く厳しい冬の豪雪を思えば、短期決戦の戦を仕掛けねばならず、ならば今を置いて時はない。

 嵒は一応は此の備国に気を遣っているのだ。

 折角の誘いだ、乗らぬは漢が廃るというものだが、国一番の実力者であろう者が、男の一大事を決行するに当初から他国頼みとは何ともかんとも程度が知れる。


「若しくは、何の気概も持たぬ臆病風の塊のような漢であるのか――だが」

 己の主君を元手に考えるのは当然である。

 何れにせよ、契国王・碩とは同等に情けない男であるようだった。


「契国王は、どうやら金玉を抜かれた豚のような、下らぬ男であるらしいな」

 口汚い弋を前に、密使は顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。

 彼にとって国王・碩も相国・嵒も、人望も厚い、尊崇すべき主君と主人だ。ただ中華平原の状況が、この素晴らしき主従を美しい姿のままでいさせてはくれないだけだ。

 怒りを堪えて過ぎたか、密使は遂に顔ばせを黒くしだした。


 肘掛に片肘付いて拳に顎を載せた姿勢で彼を見下している弋は、もう一度嘲り笑う。

 怒れ怒れ、貴様たちの主人の不甲斐無さを呪え、と調子付いた弋は、喉を跳ね上げて哄笑し始めた。



 ★★★



 芙に肩を揺さぶられた真は、微睡みから一気に覚醒した。

 正確には芙の発した一言に耳朶を打たれたから、である。


「真殿。克殿の一向が此方に参られました」

 うとうとと舟を漕いでいたいた真は、がばっ、と跳ね起きる。瞬間、額同士がぶつかる処だったが、芙は軽く避けながら続けた。

「剛国王陛下に謁見を願う前に、先ずは真殿とお会いしたいそうです」

「ですか」

 分かりました、克殿を呼んで下さい、と真は衿を正しながら芙に頭を下げた。



 半刻もせぬうちに、と共に克が姿を見せた。

 句国から此処まで休む間もなく一心不乱に駆けてきたのだろうが、其れにしても顔色の悪さが目立つ。

 然る事乍ら、快活で知られ常に笑顔である彼が笑顔を失い、まるで巌のような険しい顔付きでいる。

 相当に切羽詰まった状況であるおのだ、と解る。

 だが垢と埃に汚れてはいるが、の輝きと力は失っていない事に、真と芙は安堵した。


「御苦労様でした、克殿。兎に角、座って休んで下さい。水を持ってきて貰うように頼んでありますから」

「……あ・あぁ……」

 返事もそこそこに、頷くのもやっとのていで克は背中を激しく波打たせて息を継ぎ、胸を上下させながら椅子にではなく床にどかりと腰を下ろした。座る、というよりも疲労の極致にあって、立っているのも面倒くさくなり、自然とその場でへたり込んだだけ、と云った様子だった。真を祭国に送り届ける為に馬を駆った、五年前のあの日と同じか若しくは同等以上の真剣さで、夜っぴて馬を駆けさせてきたのだろう。

 が、盆の上に冷たい清水を満たした椀を用意して現れた。

 小さな子供の頭が入りそうな程大振りの椀だったが、克は差し出される前に鷲掴みにし、ごくごくと喉をの鳴らして水を飲み乾した。口の端から零れた水が、どくどくと流れる血潮のように首筋を濡らしていくが、構う様子を見せない。

 すっかり飲み乾してしまうと新たに注ぐ手間ももどかしいのか、克は同じ盆に乗っていた薬缶を奪い取った。そのまま、薬缶を高々と掲げるようにして持つと直接注ぎ口を加えこんで飲み始めた。喉仏が激しく上下し続ける。

 ぷはっ! と息継ぎをするようにして注ぎ口から口を話した克は、目を丸くしている真に薬缶を押し付けた。


「いや、やっと落ち着いた。済まなかったな、真殿」

「いいえ」

 はにかんだ様に笑いながら、手の甲で口元の水滴を豪快に拭い取る克の素振りが、何となく父親の優に似ているな、と真は思った。

 ずっと以前、杢にも感じた事があるが、やはり優が手と目をかけて育てようとした人物は、師となった父親の人物像の影と云おうか、影響が何処となくちらついている。

 流石にもう悪戯に胸を疼かせはしないが、父の正室・たえが何かと云うと優の部下たちを目の敵にして邪険に扱っていたのが今なら分かる気がした。実の息子の中には見い出せない愛情という繋がりを、他人のふとした動作に見つけてしまえばそれは気持ちの良いものではないだろう。

 だからと云って、悋気に狂って何を仕出かしても良いという言い訳にはなりがしないのだが。


 真の心の内など読めない克は、腰をきちんと据えて座り直している。真も改めて膝を直す。

「其れで、どうなりましたか?」

「備国が動いた。句国に本格的に仕掛けてくるぞ」

 克と薙が此処まで形振り構わず駆けてきたのだから、此の程度の予測はしていた。

「契国の方は? 他国に打って出る気配は?」

「其方はまだだ。だが、一両日中には句国王陛下の御元に連絡が届くだろうな」

 腕を組んだ克の前で、真と芙が顔を見合わせる。

 ともあれ、今はどの様な些細な情報でも耳にしておく必要がある。


「備国はどの程度の動きを見せていますか?」

「一気に山脈を越えて、森林で入り組んだ国境を越えてきた。句国側は今の処、橋頭堡や砦からはなった部隊の奇襲や待ち伏せを潰して陥している最中だ」

「動きが速いな」

「其の内、公道に出る算段でしょうね、恐らくは」

「――と、なると……句国は」

 厳しいな、とは芙は口にしなかった。

 此れまで小競り合いを繰り返しつつ、最終的には備国を退け続けてきた。

 過信や慢心とまでは云わないが、『自分たちもやれば出来る』という自信が付いてきた処に、徹底的な負けを喫すると精神が折れ・・る。

 そしてそのまま、ずるずると敗走を続けかねない。

 真が云うように、公道に出る、と備国王が判断するとなれば其れは正面から、此の勢いのままに王都へ一直線に向かい句国を滅ぼす、と定めたからに相違ないだろう。


 今度は薙の為に薬缶に水を入れて来ようとした蘭は、立ち上がりざま顔を顰める。

 克の隣に腰を下ろしていた薙は仲間を見上げ、次いでかしらである芙をちらりと伺った。

 三人とも密かに目線のみで何かを報せあっていたが、真と克は気が付けないでいた。



 ★★★



「句国王陛下も姜殿も、我らに対して一切悲観めいた事は口にされなかったが、句国側にとって相当に分が悪そうだ」

 今回の備国の句国攻略法は、小賢しさを全てかなぐり捨てている。

 即ち、根幹である騎馬の民としての血が命じるままに、勝利の身を欲して策を立て軍を動している。

 そしてそれは全て図に乗っている。

 句国としてはこの3年間、備国からの間断ない侵攻に耐えに耐えてきたというのに、という嘆きが零れてきそうだが、だからこそ余計に己たちの自尊心に賭けて克たちの前で泣き言は言えなかっただろう。

 句国とて、根底には勇猛にして果敢を身上とする騎馬の民としての血潮が流れている。

 戦に対しての考え方の根底が、禍国とはまた一つ違うのだ。


 蘭が薬缶と共に地図を持ってきた。

 受け取った真が広げるのももどかしそうに克は身を乗り出し、斥候が伝えてきたという侵攻状況を身振りと指差しを織り交ぜて説明しだす。

 克の指の動きを、真はもう一度地図の上で、くるくると何度も何度も繰り返した。

「……此方の予想以上ですね」

 ぼそりと呟いた顔は、険しいものだ。

 実際、契国相国・嵒は備国に対して自身の蜂起以前に密使を送っており、碩への謀反と同時に備国王が動けるように仕向けてしたとしても、此の攻め方は尋常一様ではない。

 契国の嵒が立つとなれば、備国と那国に声を掛け周辺を戦乱に巻き込むだろうと予想はしてきたが、其の彼が本国を制するよりも早く、備国の方が句国に向け動きを見せるとは皮肉と笑うべきなのだろうか。



「真殿はどう見る? 此の数年、よく句国は耐えてきたと思う。だが今回の侵攻に対して、少々、脆すぎはしないか?」

 芙や薙たちも克と同意見なのだろう、真の顔を覗き込むようにしてきた。

「そうですね……此れは想定外というよりも、どうやら私が備国王陛下という御方を随分と下に見誤っていたようです」

「と、云うと?」

「つまりですね、此の数年の備国からの攻めは……」

「手心があった、と?」

「手心というよりも、備国王の策だろう?」

 薙の疑問に、克が答えてみせる。

 自分の見通しの甘さに対する不甲斐無さを認めているのだろう、御明察です、と真は長手袋に覆われた左腕を軽く上げてみせた。


「数年、ぎりぎりの線であろうとも勇猛で知られる備国の攻めに耐えてきたという自負を、句国側に植え付けるのが狙いだったのですね」

「それは……」

 薙が絶句した。

「では、それでは」

「ええ、そうです。備国王は目的達成を一度に済ませる為に、此の数年を費やしたのだと思います」

 抑揚を抑えた声で真は淡々と答える。

 備国王・弋は、己が最も得意とする戦法で最も有利に戦況を運べる時節を自ら生み出す為に、敢えて句国に花を持たせ続けていたのである。然もその手際は、句国側に『あの・・備国に競り勝ったぞ!』と云う自意識を徐々に植え込む、絶妙な匙加減の背走だったのだ。


「句国王陛下や姜殿たちが嘘をついていたとか、言葉を大きくしていた訳ではないと思います」

 国境において行う大掛かりな軍馬の鍛錬などの示威行為を織り交ぜつつ、剛国までの公道を手に入れんと虎視眈々と国境を侵し続ける備国軍を押し返し続けている、と繰り返した言葉には、虚栄心に駆られたものではなかった。

 ただ句国の方が騎馬に対しての造詣が深いという事実もあり、祭国との外交の際に間に入っていた姜の、国の沽券を守り主君・玖の貫目を守らんとして示した部下の矜持が、戰や真の判断の目すら曇らせてのだ。


「句国側の実力からすれば備国の動きは只の陽動などではなく、常に侵攻を繰り返していたもの、と映っていたのに違いないでしょう」

「……ただし、備国王にすれば長きに渡る策の一環に過ぎなかった、と云う事か……」

「残念ながらそう云う事になりますね」


 実際に戰も真も、この数年間、句国がどのように備国に攻め込まれていたのかまで気にしていた訳ではない。

 いられなかったという方が正しい。

 真の健康状態も最初の一年は綱渡りのようなものであったのだし、戰も大保・受を牽制しつつ隣国の燕国との鬩ぎ合いを続けて行かねばならなかった。

 蕎麦の育成と新たな農地の開発などで国力が鰻登りである事に目を奪われがちではあるが、椿姫が女王として即位した当時、彼の国の国庫は蜘蛛や鼠すら外方そっぽを向く程、見事なまでに空だった。

 句国の協力を得て、稲の育成法の転換法を取り入れたり軍馬の育成にも勤しんでいたりもしていたが、裏を返せば形振り構っている暇すら惜しく、自国の事で精いっぱいだったのだ。


 だから句国側の言葉を全面的に信じるしかなかったのだが、もしかしたらそこまで見越しての大掛かりなおとり作戦だったのか、という思いを共有した真たちの間に、冷え冷えとした嫌な空気が流れていく。



 ★★★



 今更、自分の見当違いを取り繕ってもどうにもならない。

 句国の立て直しと救出策を練り上げるが急務だ、と割り切っている為、真は残念さの欠片も見せずにあっさりと答えている。

 ぬう、と唸りながら克は腕を組む。あれだけ水をがぶ飲みしたというのに、まだ声が掠れ気味だった。


「何方にしろ備国王陛下にとっては自分の策の決行が2~3年早まっただけの事ですから、此度の侵攻が此処まで迅速に行えたのだと思います」

「真殿、句国はどうなると思う? 剛国王陛下を引っ張り出す時間の余裕があると思うか?」

「正直な処、難しいかと思われます」

 もう一度、地図の上に真は視線を走らせた。


「何度も侵攻を繰り返した、と云う事はとどのつまり、それだけ入念に下検分と瀬踏みも終えておられるのですから」

 句国側の軍備と兵力、そして領内の穴となるべき個所なども全て備国王は手にしているに違いない。

「最悪、王都まで一気に攻め入られる処か、一夜で全土を侵される可能性もある、という事……か?」

「はい」

 ごくり、と喉を鳴らして遠慮がちに問う克に、真は即座に、そして簡潔に答えた。

「しかしこうなってきますと、別の理由から、是が非でも闘陛下を引きずり出さねばならなくなりましたね」

 真は伸びかけてきた前髪をくしゃくしゃと掻き上げた。

 剛国に滞在し始めてからこの方、頭を洗いはするが指を櫛代わりにして殆ど真面に手入れをせずにいるせいで、が酷い。


「どう云う事ですか?」

 薙が芙の隣で眉を潜めている。

「備国が句国を討ち果たし国土に収たとしたら、禍国本土はどういう反応を示すと思う?」

 芙の代わりに、克が答える。……あ、と薙は息を止めた。

 備国には、現禍国皇帝・建の異腹兄にして廃皇子である天が居る。

「備国が剛国を攻める間、備国王は廃皇子となられた天殿下に句国を預け、禍国を攻め入らせるように仕向けるかもしれませんからね」


 有り得ない話ではない。

 今の天は、禍国憎しだけで生きているようなものだ。

 再び、いや本来であれば己のもである栄光と玉座とを手中に取り戻す機会を与えられたとしたら、どうなるか。

 想像は容易い。

 そして、異腹兄あに皇子・天の報復を皇帝・建は必要以上に恐れるであろうし、大保・受は必要以上に恐怖を煽って来るに違いない。



 ★★★



「と、なると……大保の奴は、郡王陛下に備国を討て、と命じて来くると真殿は踏んでおられると?」

「大保殿が居られずとも、あの・・皇帝陛下だからな。何とかしろ、と郡王陛下に丸投げしてくるのは、先ず確実だぞ」

「ですね、その可能性は大いに有ります」


 大保・受は未だに戰を禍国の皇帝に据える、という野望を捨てていない。

 禍国の領民たちの目に、皇子・戰こそが禍国の皇帝に足る人物であると思わせられる。

 自然と蜂起や一揆を起こさせる可能性の種を蒔ける、こんな絶好の機会を受が逃す筈がない。

 あの手この手で戰に無理を強い不利な状況で囲い出すだろう。

「大保様の事ですから、戰様に那国が河国に仕掛ける戦と、句国と備国の争乱を共に鎮めよ、位の事は平気で言って来るでしょう」

 まさか其処まで、と薙が言いかけると、いやあのぼんぼん・・・・皇帝なら考えらるぞ、と珍しく克が語気を強めて口を挟んだ。


「備国相手だけでも頭が痛いというのに、此の上、那国にまで拘わっている暇なんぞあるか!」

 思わず叫んだ克に釣られた薙は、糞っ! と唾を吐き捨てんばかりに言い捨てる。

 芙の仲間の中で薙が一番の年少者であり、最も血気盛んでもあった。宥める、と云うよりは諫める視線を芙に向けられた薙は、唇を尖らせてそっぽを向いた。

 まるで陸のようだな、と呆れ口調の芙に、まさか、とおか其処らの餓鬼と同列に見られるとは、と薙が情けなさそうに眉尻をひくつかせる。


「そんな事より」

 ごほ、と克が間合い良く咳払いする。慌てて薙は頬を固く引き締めた。

「西と東で起こるこの廃皇子二人が関わるこの戦に勝てねば、逆に陛下の未来に影が差す。真殿も、そう思うだろう?」

「はい」


 三年前の政変の折、戰は生まれて初めて、我欲を剥き出しにした。

 愛する椿姫と我が子・しゅんと云うやっと手にした家族を不当に貶められた上に、最も大切な知古である真を巻き添えにし、剰え死の淵に立たせてしまった。

 此れた全ては、己が血の繋がりを後生大事に懐手にしていた己の愚行によるものである、と認めた戰は、鬼の形相で容赦無く切り捨てた。

 此れ迄の政治闘争の中で戰は、どれだけ自身の生命を狙われても、血の繋がりのある兄であるという一点をどうしても越えられず、皇太子・天と二位の君・乱を赦して来た。


 身内愛、兄弟愛は確かに戦の美徳でもあった。

 が、最大の弱点でもあった。

 戰は強く、強いからこそ弱い立場の者が狙われた場合にどうなるのか、真に目を付けられた時にどうなるのか? という事態を想像していなかった。

 真が鬼灯片手に冥府の鬼に誘われかけ、やっと思い知ったのだ。

 口で分かっている、と言っても文字通りに上っ面だけの事であったのかを。

 上に立つ者の油断が何処まで不幸を周囲に巻き散らすのものであるのか、と云う事を。


 あの政変で、戰は二人の兄である天と乱、その門閥である大使徒・充、先大令・中、大令・兆、代帝・安、徳妃・寧、貴妃・明を許さなかった。

 しかし、今現在の戰が、あの時と同じように非情に徹しきれるかというと、其れは実に怪しい。

 大保・受の奸計により天と乱は落ち延び、剰え、新天地ともいえる場を手に入れている。

 戰のような性質の人物は、一度怒りを覚えると常に発散し続けるものより苛烈なまでに罰を贖わせようとする恐ろしさがある。


 然し乍ら懲罰を与え切った相手が、もしも波乱を生き延び再びまみえる機会を得た時、どうでるか、どうなるか。

 不思議な事に、如何程の痛手を心身に負わされたか、身内の者に危害が及ぶ恐怖を忘れていなくとも、相手に同じだけの果断な態度に出られなくなるのだ。

 あれ程までに憤怒に我を忘れ、一門郎党許すまじと魄を震わせたというのに、である。

 怒りを怨念に変え、腹の奥底で飼い慣らし持続させられないのは戰の最大の長所ではるが、同時に欠点であり脆さであり弱さであり危うさである。


 今、二人の兄、自らが廃皇子に堕とした天と乱を眼前にして、戰が変わらずに無情を貫けるものであるかどうか。

 そんな戰の性格を、最もよく知り利用してきた二人なのだ。

 あの手この手で揺さ振りを仕掛けて来るに違いない。

「ですから、ますます以て天皇子様がのこのこと御出ましになられる前に、闘陛下に備国くらいは討って頂かねば、やっていられませんよね。戰様の大事な身体は一つしかないのですから、使えるものは何でも使って少しでも事態を好転に導かないと」


「……そう、上手くいくものか?」

「上手くいかせますよ、必ず」

 寄り眼になる克に、真は笑い収め、真直ぐに前を見据えた。



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