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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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21 轟く潮流 その3-2

21 轟く潮流 その3-2



「では真殿は、照殿が仰っている事を信じる、と?」

「……ですね、まあ……そうなりますか……ね?」

 呟くと今度は爪をたてて、真はぽりぽりと頬を掻いた。

「まあ、照殿の言葉を信じると云うよりも、照殿の義というか忠誠心を信じる、と云った方が正しいかもしれませんが」

「照殿の忠誠心を、ですか?」

 嵒の忠誠心というのであればまだ分かる。

 が、照の忠誠心とは? と芙は訝しんだ。眉根を寄せる芙に、はい忠誠心ですよ、と真は答える。


「何となくですけれどね、私は照殿のお気持ちが分るんですよ」

 芙が纏うに、殺気めいた鋭さが一気に増した。

 真は慌てて両手を突き出て掌を振る。

「あ、その、芙が考えているような事ではなくてですね」

「では、如何なる事なのですか?」

 返答如何では喩え真でも許さない、と云わんばかりに形相の芙に、参りましたね、と真は零す。


「つまりですね、照殿と御父上である嵒殿とでは、忠義の向かう先が違うと云う事ですよ」

 何の事やら皆目見当もつかない芙は、首を捻った。



 ★★★



「実際、契国の相国である嵒殿の忠誠心は、見上げたものだと思うのですよ。芙もそう思いませんか?」

「……其れは……確かに」

「でしょう? 誰にでも出来る事ではありませんよ」

 方向性の是非を問わねば確かに其れは疑いようもないのは、芙も認めざるをえない。


「ですが、私の父上といい嘗ての敵として対峙した河国相国・秀殿といい、灼陛下に仕えておられる燹殿といい、どうもあの世代のを背中に負っていらっしゃる方々は、『国』と云うものに対しての忠義心が私たちの其れとは質が違っていると思いませんか?」

 真に問われた芙は、一瞬の間を置いて頷いた。

 確かに其れは感じている、痛感している。

 禍国が建国してまだ100年も経っていない若い国でありながらも、中華平原の中央に位置する一大帝国となったが故だろうが、自分たちが国、即ち国対である王や皇帝と共に戦場を駆け抜けて礎を築いたという自負がある。


 鰾膠にべも無いが、直截に言ってのけてしまえば眼玉を引ん剝いて躍起になっているのだ。

 己が国を任せられる、次代の君主という存在を創り上げると云う漢が最後に見る事を許される夢に。


 英明にして犀利さいりな統治力。

 才気煥発さいきかんぱつと見惚れる軍才。

 そして俗世の凡人には到底及ばぬ大賢さ。

 天帝の寵を得たと諸国に一目置かれる人物として主君を新たな世代に送り出さん、出来るのであれば、そう、己の手で、と一心不乱になっている。

 そして歴史に王の名を刻みつけて初めて、己は功臣と名乗るを許されると信じて疑っていない。


 先代王から現国王に掛けて、君主としての質が下がってはならない。

 其れは部下として家臣としての己の怠慢を示すものであり、且つまた、人生の敗北を意味する。

 命の灯が消える最後の最後まで、忠義を尽くす。

 歴史に名を残す大人物となった主君の姿を見届けつつ神霊と共に冥府へと旅立つという最高の勝利を得て家門に示しをつければならない、とまるで其れはまるでめしいか何かの様に、思い詰めている。 

 そういう意味では、真の父である兵部尚書・優は、図らずも真を通じて戰を君主の器であると見染める事が出来た。

 彼らの中では、最も最良の最高の幸運くじを引き当てたと云えるだろう。

 だが、優と嵒とでは、天地程の忠義の意味合いが天地程の違いがある。


 真と共に全ての戦に出た経験を持つ芙はその最中に、実に4人もの新たなる王の姿を、優たちの世代が創り上げた君主像を間近で見る機会を得たからこそ、分かる。

 一人は、句国王・玖。

 一人は、契国王・碩。

 一人は、河国王・創。

 最後に、遼国王・灼。


 そして其々の王には、彼らを補佐するべくして此の世に生を受けたとしか思えぬ人物が居た。

 玖には貞実なる姜。

 創には丹誠なる秀。

 灼には篤厚なる燹。


 天帝が定め給う主従とは斯くも鮮やかなるものかと唸らずにはおられぬほど、実に自然に寄り添い控えていた。

 真が改めて指摘するまでもなく、内情がどの様な国であろうとも天帝の采配が働くのが国であり王であるのだな、と芙は思ったものだ。

 この4王の中で、だが碩の父王・邦に仕えていた嵒は異質だった。

 他の王は国と国を統べる王を愛している。

 愛する国を統べる王への愛情から、責務を全うせんと常に考えている。


 だが、嵒は違う。

 彼の愛情の対象は今も昔も、異腹兄あにとしての邦である。

 嵒は、ただ弟として、兄・邦を愛している。

 其れだけに過ぎない。

 嵒の愛情は一門の長たる兄に向けた教敬であって、国王への忠魂ではない。

 邦こそが『王』であり、邦が治めていた国こそが『契国』なのだと見えていない。

 そして己が敬愛していた兄は既に亡いという事実に向かいあえておらず、兄が居ない闃寂たる王城の姿に喪失感を覚え耐えられないと無言ながらも本能で悟っている。


「まあ、そんな訳でして。嵒殿、彼の御人の見ている御方は」

「『さきの国王・邦陛下』ではなく、『実の兄である邦殿』、唯一人いちにん

「流石に芙ですね、御名答です」

 察しの良い優等生の答えに真は笑ったが、芙は笑えない。

「其れはつまり、現在の国王である碩陛下は見てはおられぬ、と云う事ですか?」

 芙の当然ともいえる疑問に、ですよ、と真は微笑んだ。


 だからこそ、厄介なのだ。

 現国王・碩に対して、己が叛旗を翻した其の先に待ち構えている命運が如何なるものであるか、正しく見えていない。

 いや、見ようとしていない。

 邦には兄を求めておきながら甥の碩には王としての責務を押し付け、挙句の果てに、理想と云うよりも忌避妄想を形にする余りの暴走を起こした。

 猟犬違いも甚だしいのであるが、此れが何故か誠忠からの献身に見えてしまうのが怖い処で、然も今の契国には嵒を止められる人物が居ない。


「更に付け加えるのであれば嵒殿は実の処、『契国』も正しく見えておられないのです。其れは、さきの王・邦陛下の御代からも明らかです」

「確かに」

 嵒が真実、契国と邦を契国王として認めて仕えていたのであれば、見詰めていたのであれば、あの事故は防ぐ事ができた筈だ。

 己の生命を賭けて曇りなきまなこを以て王を諫める事も出来た筈だ。

 真実の家臣の目であれば、充分回避可能な不幸だった。

 だが、嵒はしなかった。

 賢兄と慕う邦の我儘を受け入れて傅けば、兄は喜び褒め、愛してくれる。

 嵒は其処に無上を幸福を見出していた。

 此れは家臣に有るまじき愚挙だ。

 が、其れに気が付かせぬのが愛なのだ。

 元来は明敏な嵒なのに、愛情により兄・邦に対してのみは目玉が曇る。

 この走りきった果てに碩に譲り渡す事になる契国に広がる風景とは、闃寂程度では済むものではない、と何処かで悟っている筈であるのに、敢えて目蓋を閉じているのも恐ろしい。



「ですから此度も、御自身が乱を起して後に契国が如何に茨の道を歩む事になるのかが見えておられない」

 嵒が兄王に従ったのは忠義でも何でもない。

 只の怠慢である。

 愚かと切り捨てるには手厳しいかもしれない。

 だが、真も芙も嵒のこの部分に対する意見は同じだった。



「嵒殿の切ないお気持ちは、理解したくはありませんが、分かります。が、真殿が照殿のお気持ちが分かる、と言われた所以が私には分りかねます」

 やけにぴりぴりとした口調で芙が言い放つ。


 ――……芙は、姫や椿姫さまや珊や福には何処までも甘いというのに、彼女にはやけに刺々しいですよね、と云い掛けて真は止めた。

「普段怒らない人物ほど、怒らせた時は怖いものだね」

 と、事有る毎に戰に云われているからだ。



 ★★★



「其れでですね、私が照殿の気持ちが分かると云ったのは、似ているからなのですが……」

「似ている、とは、真殿の御立場と、と云う意味ですか?」

 ええ、まあ、と何処となくぎこちない、己を揶揄するような自嘲するかのような笑みで真に答えられた芙はやっと、成程、と思い至れた。


 照にとって、父親・嵒の大きすぎる期待が重荷なのだ。

 彼女も、御国大事と一筋に生きる父親・嵒の事を尊敬もし、敬愛もしているだろう。

 が、其れは其れ、此れは此れだ。

 同等の忠義心と力を身に付け、身を粉にして仕えて、生命を投げ出す事すら当然だと嵒は娘である照に無意識に強いている。


 優もまあ似たようなものだ。

 勝手に期待して応じねば勝手に失望し、一方的に突然奇妙な希望を見出されたのに素知らぬ態でおれば落胆する。

 此の繰り返しだ。

 性格的なものもあり、真はそんな父・優の様子を、よくもまあ懲りずに繰り返されますね、とぼりぼり頭を引っ掻き乍ら眺めていたのだが、子どもは親の志を継ぎ体現するのは当然という環境下にあったという点で、確かに彼と照は似ていると云えよう。


 そして真にとって幸いだったのは曲がりなりにも彼は男子であり、そして主人として求めている王が親子揃って同じだった事だ。

 だが、照は違う。

 彼女はまだむすめと云ってよい年の頃、恋に愛にと人生を最も謳歌すべきである妙齢の女性にょしょうなのだ。

 何の衒いも無くただ世を愉しむべき、市居に在る一人の女性なのだ。

 なのに彼女は、父親の勝手な思い込みに付き合わされる事を強要されている。

 彼女も一人の人間であり、自ら一身を掛けて仕えると心に定めているというのに、だ。

 照の主君、其れは嵒が見ている国でも先王・邦でも現国王・碩でもない。

 政略の為に遠つ国にただ一人で人質の嫁としてやってきた――そう、王妹・瑛姫なのだ。


 漸く、芙にも飲み込めてきた。

 改めてそうした目で照を見れば、全く人として感心は出来ないが、ぎりぎりの線で納得は出来る。

 あれ・・は彼女なりの、必死さの表れなのだ。

 主人である瑛姫の剛国内での立場を此れ以上悪くせぬように、只管一心であるだけ、ただ腐心しているだけなのだ。

 だから自分が他人にどう思われようと、構わずに居られる。


 剛国の宮女たちに露骨に陰口を叩かれ様とも、芙に素気無く扱われたり悪し様な視線を向けられたりしても続けられるのは、内なる彼女は気丈な証とも云える。

 孤立無援の状態であるからこそ、照は少しでも主人である瑛姫の立場を良くしようとしている。

 此の先、父親である嵒が事を起こせば、この剛国にも風雲が訪れるのは間違いない。

 其の時、瑛姫の良人である王弟・烈が彼女に一層辛く当たるのは目に見えている。

 彼女を護るには、烈の怒りの矛先を反らせるに足る人物が必要であり、然も瑛姫の此れまでの苦境を逆転させるような働きが期待できる者であれば尚良い、と云う訳だ。


 婦徳から見れば、褒められたものではない。

 だが、真の云うように、彼女の此れまでの言動は、主人の一大事に際して己を全て捨てる覚悟があればこそだ。

 こうなると見方を変えねばならなくなる。

 ――照殿の誠心からの行動となれば、疎んだり況してや軽んじたりは、もう出来そうにないか……。

 最も、だからと云って褒められたものではないがな。

 芙は苦虫を噛み潰しつつ、其れで自分を納得させるしかないか……、と嘆息する。


「となると……」

「ええ、そうです。嵒殿は御自身の娘御までをも見誤っておられますね」

 まあ、仕方がない事ですよね、と真は言い澱むが相手が女性だから気遣いをしているだけだな、と芙はもう見抜いていた。


「では真殿は何故、知らせをまっておられるのですか?」

「ああ、其れはですね」

 真は、ぽりぽりと項を掻いていた手を外した。



 ★★★



「此の間の騒動に剛国王陛下には好い様に使われてしまいましたが……まあ少々、いえかなり、私には其れが業腹でしてね」

「――は?」

 此れまでと逆転して、今度は真の声音の方がひやりとした冷気さながらの鋭さと重さを醸しだした事に、芙は背筋を震わせた。


「戰様の為ならば、私は幾らでも勝手に動きます。成功するかは別として、冷淡にも酷薄にも無情にもなる覚悟もあります。が、然し其れを他人に利用されるのも強要されるのも好みません。そもそも私は、戰様の言を質にとるような態度を取られて平然とし、許せるような出来た人間ではないですしね」

「……其れは……」

「はっきりって下さって結構ですよ、芙。私は出世や栄誉や栄達には頓着しませんが、無欲とは無縁の世界に生きていると自認しておりますからね。聖人君子でも何でもない、全く逆の、ええ相当に強欲に塗れた俗物だと自覚しておりますので」

「……」

 真殿が俗物だったら禍国の王宮に居る奴らはどうなる、と思いつつ、芙は真の凄味に声を掛けられない。


「勝手に家臣扱いされて不当に不興を買わされた挙句に無報酬で動かされ損なんて、私の流儀にはありませんので。働いた分の褒美は、剛国王陛下に過不足なくきっちりと払って頂くつもりです」

「……つまり真殿は、その……」

「ええ、そうです。克殿から句国王陛下にもお伝えするように薙に頼みましたが、契国からの甘い汁の流れに備国も必ず動くでしょう。嵒殿は既に那国にも声を掛けておられるでしょうし、闘陛下にせいぜい戰様の為にせいぜい頑張って頂くとしますよ」

「……剛国王陛下のへ嫌味だけで……ですか?」


 いけませんか? と真は目を軽く伏せて愉し気に笑った。



 ★★★



 廃棄物でしかなかった骸炭がいたんが瀝青と名を変え、まがねを量産する為に必要不可欠な、まさにこがねと同等の価値あるものとなり、底をついていた契国の国庫の窮状を救った。

 しかし同時にこの青黒きこがねは、契国を攻め滅ぼす魔性の兵器を量産する鼎でもある。

 どちらがより国の為になるのかと天秤に掛けた場合、戰と共に平原を駆ける気構えの碩であれば前者を選び取るであろう。

 が、その戰が契国を何れ狙うものと見定めている嵒は後者だ。

 そうなれば、嵒が採るべき道筋はごく限られてくるのは、芙にも判る。


「嵒殿は本気で、那国に河国を攻め入らせ、同時に備国にも句国を侵させる腹つもりなのでしょうか?」

「恐らく残念ながら。芙が嵒殿の立場であったなら、実行するか否かは横に置くとして実に魅力的な囁きではありませんか?」

 確かに、と芙は肩を窄める。

「鉄器が量産され禍国の軍備が、というよりも戰様の勢力版図がより充実する方が嵒殿には恐ろしい筈ですから、那国と備国を取り込む事は彼の御仁には外せないでしょうね」

 真の説明で芙も解ってきた。

 幾ら戰との連合軍による戦いであったとしても河国宰相・秀を倒した灼の力量を、嵒も一目置いている筈だ。

 結局の処は時間稼ぎをしたいだけだろうが、其れに加えて彼の中で最も度し難く許せぬ存在である戰の勢力と盟友の力を根刮ぎ奪っていくつもりなのだ。


「確かに灼陛下の御力なれば那国を抑えられるます。嵒殿の思惑通りに、時間稼ぎにはなるでしょう。しかし句国と備国は、行け掛けの駄賃の御積もりなのでしょうか? 私は真殿と違い、測り兼ねる処があります」

「……そうですね。しかし河国の鉄器生産以上に、戰様が禍国の権力中枢に着々と外堀から埋め立てを行っているこの数年が、嵒殿にとっては捨て置けぬものであった場合は、どうでしょう?」

「……」

「そして備国王は未だに闘陛下を怨み、その闘陛下と共闘した戰さまにも恨みを向けています」

 この3年間の小競り合いの執拗さをみれば、備国王・弋は、粘着力の強い執念は一向に弱まっていない。

 


「ですが真殿。あくまでも私見ですが、句国王の玖陛下の御力では」

 ――本気を出した備国に攻撃されては、句国は勝利を得られまい。

 芙は眉根を寄せた。

 句国王・玖の姿を思い出す。

 確かに彼にも姜という漢が仕えている。

 姜以外の家臣たちからの国王・玖への忠誠心は誠に高く、国内における不穏分子もない。

 幕僚たちが一枚岩となる点で見れば、祭国よりも纏まりがある位だ。

 ――だが……。

 芙ははっきりと口にこそ出さなかったが、真はしっかりと心の内を読み取っていた。


「恐らく、芙の思っている通りになるでしょうね」

 此の3年、句国は右肩上がりの成長を遂げて国力の充実を図っており、特に軍馬の育成において顕著にみられる。

 其れは玖の王としての求心力を示すものであり、姜を始めとする家臣団の充足を示すものでもある。

 父王・番の蛮行からの王権の失墜を思えば、奇跡と云えるだろう。

 だから契国ほど切迫してはいないが、句国の国庫も今年の冷夏に対して見誤れば抜き差しならぬ状況に陥るのは変わりない。

 今までも国境を押し留めるのに全精力を注いでやっと、という為体ていたらくでいたというのに、此の上、備国を勢いつかせたらどうなるのか。


 騎馬の民を根幹とする剛国や備国と比較した場合、自分たち平原の民とは戦に対する姿勢が違うと解る。

 父・優や芙や時から得た情報を元に真が分析した備国王・弋の人物像は、己の彼岸達成まで戦備えを解くような半可通な事もせねば、句国に苦難が迫るからといって容赦をする人物ではない。

 寧ろ冷夏が平原に降りると知れば、秋が来て飢え始める頃合いを待たず、国内の安定性が崩れ出した、今、此の瞬間をこそ好機として見定め積極的に動き出すに決まっている。

 備国王の此れまでの悠長な攻め方は、寧ろ仮面であろうと見ている。

 容赦という仮面を脱ぎ捨てた備国王・弋の攻めは、如何なるものになるのか流石に真も想像がつかない。


 だが、此れだけは言える。

「玖陛下は此の先、厳しく苦しい立場に置かれるでしょうね。備国王・弋陛下の御気性からすれば、句国のみで侵略の手を止めるとは思えません。怒涛の攻めで剛国を平らげた後は、勿論、契国をも併呑しにかかるでしょう。嵒殿の事情など、弋陛下は斟酌してやる必要などありませんからね。」



 ★★★



「折角、契国の協力を得て句国を掠め取る機会を得たのです。備国王とて、短い秋に攻めて冬の到来までに攻略しきらず退却するより、より確実性が見えている剛国へと攻め入る足掛かりを手にする契国の申し出を、即断即決される筈です」

「剛国王に、備国は句国を早々に攻め落とすだろう、そうなれば此の先に矛先が向けられるのは剛国だ、面倒事となる前に句国の窮状を救え、と進言なされるおつもりですか?」


「芙」

「――はい?」

「私は、剛国王陛下の身内になったつもりはありませんよ? なのに何故、あれやこれやと進言などして差し上げなければならないのですか?」

「……は?」

 真はにこにこと笑っている。

 真が、ただ笑っているだけの方が恐ろしいのだと、芙は嫌と云う程思い知っている。


「私は闘陛下に、ただ働きするつもりはありません、陛下の要求以上の働きをした分はきっちり褒美を下さい、とだけ申し上げるつもりです」

「剛国王陛下が、聞き入れられるでしょうか?」

「と、思いますよ? 面白い事がお好きな方ですし」


 嗾ける気満々の真に対して掛ける言葉を無くして立ち竦む芙の背後から、真の薬湯の用意をしてきたという、すいの声が届いた。

 すらり、と部屋の戸口を開けた萃は、芙が珍しく固まっている姿をみて目を剥いた。黒眼をきょろきょろと、真と芙の間で行ったり来たりさせる挙動不審になる萃から、真は薬湯を受け取った。

 湯気が収まりかけて薬湯の入った椀は、それでもまだ熱い。


「何しろ、私が闘陛下が仰った以上の働きをしたのは、重臣がただけでなく雲上人に知らぬものなしの事実ですからね。他国の者を顎で使っての、濡れ手で粟の勝利など陛下も己の威厳に賭けて示しが付かないでしょうし、まあ、云う事を聞いて下さると思いますよ?」

 あっち、と小さく抗議の叫び声を上げながらも真は軽く唇を尖らせて、ふぅっ……、と息を掛けて熱をとる。

「まあ、一度断っておきながらなんだ貴様は、とか何とか烈殿下辺りはまた頭を沸騰させてお怒りになられるでしょうが、なに、闘陛下の御気性なら私の意見に乗る方が愉しそうだと笑って下さると思いますので、そう心配しなくても大丈夫ですよ」

「……」


 やっと芙は全てを理解した。

 祭国に帰って後に契国の動乱を知り、句国へ応援の兵馬を走らせたとしても間に合わないかもしれない。

 いや、間に合わない公算の方が高い。

 よしんば間に合ったとしても、備国を相手に其処から状況を転じるはの至難の業だ。

 しかし、この剛国から、剛国王・闘が率いる剛国軍の機動力を以てすれば或いは、何とかなるかもしれない。


 真は剛国王・闘を動かして、戰の盟友である句国王を救おうとしている。

 祭国王となった学や仲間たちと、句国王・玖への思いは似て非なる。

 戰にとって、句国王・玖は立場を同じくしつつも胸襟を開いて語らえる貴重な友垣だ。

 ――だから句国王を失うわけにはいかない、か。


 真が待っていたのは、此の為だったのだ。

 ――こんな事を仕出かせば、またぞろあの烈とかいう王弟を筆頭に、恨み辛みを買うだけだろうに。

 だが、真は彼らの怒りをも利用しようとしているのだ。


 ――全ては。

 郡王陛下の為に、か。

 押し黙るしかなくなった芙に、真は肩を竦めながら椀を翳して笑顔を見せる。


「私は、好きな戰さまの為になる事だけをしていたい。其の為には他国の王も利用する事も厭わない。そんな残酷で手前勝手な酷い人間なのですよ、芙」

 

 此れでは、嵒殿の事を兎や角言えませんよねえ、とまだ笑みを浮かべながら、ちびり、ちびり、と少しづつ薬湯を口に入れ始めた。




※ 注意 ※


今話には、障害をもっておられる方への差別的表現と名称が使われておりますが、あくまでも作品内の時代設定的に即した表現としてしようしており、これを増長し、かつまた障害をもっておられる方を侮蔑するものではありません。ご理解賜りますようお願い申し上げます

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