21 轟く潮流 その3-1
21 轟く潮流 その3-1
根雨と名乗った宦官に、敏は下がるよう命じた。
其れに対して不服めいた視線も態度も残さずに、根雨は下がる。
宦官、即ち自宮した者とは、天帝が定めた親子の縁を自ら断ち切った罪人だ。
一門に栄耀栄華を齎す孝行を果たす処か、血を途絶えさせるという罪は七回生まれ変わったとしても贖え切れぬ大罪なのだ。
遠ざかっていく高沓の音は弱々しく、時折不規則に響き、其れが何処か女性のように艶があり艶めかしい。
根雨の脚音が消えると、敏は改めて朝議に臨席している家臣たちの顔を一人一人、ぐるり、と舐めるように眺める。
「あの宦官の言葉をどう思う?」
「陛下……どう、と申されましても……」
場の空気が暗く濁る。
家臣らにも、あのまだ若造と云える年頃の宦官の言葉が王の意に適ったのだと察する事くらいは出来る。
認めたくないだけだ。
宦官如きに遅れをとったなどと、どうして信じられようか。
互いに肩をぶつけ合うようにして気を引き、眼の奥の光の動きを探ろうとする家臣たちに、よい、いい加減にしておけ、と敏は手を翳した。
「どうと云う事はあるまい。あの者は、其方らと遜色のない意見を物怖じせずこの私に奏上した。ただ、其れだけである。違うか?」
「……」
相手が国王でなければ、敵意をむき出しにしたであろう。
しかし、彼らにとって不幸な事に、そして相手にとって幸福な事に、敏は此の地を統べる国王なのであった。
「其方らの思惑はどうであれ、私はあの者が気に入った」
王の立場にあるものが、物でも人でも『気に入った』と所望する意図はただ一つだ。
女官であれば後宮に入れて妃の一員とするのだし、どんな公奴であろうとも側近として雲上を許される身になる。
家臣たちは一様に顔を顰めた。
「陛下、今暫しお待ちを」
「何としても、御再考を」
「陛下、あれは宦官ですぞ?」
「何を考えよというのだ? 宦官だからどうだと云うのだ?」
自らの王の為人くらいは、家臣たちも熟知している。
どんなに止めようが諫めようが、我を押し通す。
そのせいで、禍国の廃皇子なんぞを国内に引き入れてしまったのだ。
その癖、家臣たちの思いにはとことん鈍感である。
家臣らの心中になど気が付く必要がないと本気で思っている、其れが敏という王だ。
「私は、あの根雨とかいう宦官を手元におくぞ。よいな?」
敏の宣言に其処彼処から嘆息を無理矢理に堪える、重苦しい空気が漂う。
敏は別段、蒙昧な君主ではない。
寧ろ家臣たちの総評は、中華平原の動乱期を上手く乗り切っている、名君とまでは行かなくとも善き王である。
だが、王としての威厳を示そうと、時にこうした無駄な我を押し通すきらいがある。
もしかしたら、取り返しのつかぬ程の大失態を犯すかも知れぬ。
ふとした心のすき間に忍び入る己への頼りなさから来る予防線が、逆に自身を追い詰める首を回らなくする要因を引き入れていると何故気が付かないのかと眩暈を覚える程の無念さが漂う。
だが彼らとて、敏が禍国を恐れて地べたを這いずり回り、如何に揶揄されようとも唇を噛み締めてこの数十年を過ごして来た。
廃皇子にすら、東夷と蔑まれようとも腰を折り続けて来た。
その苦労に、そろそろ報いて貰っても良い頃だ。
宦官であれば、確かにいざと云う時に切り易い。
自分たちの沽券に拘わるとばかりに、小さな蟲の如き存在を疎んじて、大魚を沼地から引き摺り上げ損ねてもつまらないではないか。
家臣たちは静かに、陛下の御心のままに、と頭を垂れた。
★★★
根雨は、頬を紅葉した木々よりも赤く染めて朝議の場から宦官たちに与えられている執務室のひとつへと向かい歩いて行く。
周囲の者が訝しげに顔を覗き込んできたが、構わずに殆ど掛け込むようにして、部屋に飛び込んだ。
むわり、と人の気配が根雨の顔面を容赦なく打つ。部屋の中には彼の仲間が犇き合っており、殆ど息をするのを忘れたような切羽詰った表情で、彼の帰りを待ち侘びていた。
だから、まるで蹴られた毬のように肩と胸をぜいぜいと弾ませている根雨のやっとの登場に、わっと一斉に声を上げて方々から抱き付いた。
「お、おい、よせよ」
話が出来ないじゃないか、と根雨は苦笑しつつ続けたかったが、頭だの背中だの間で肘や腕で小突かれてはどうしようもない。
仕方がない、と仲間の手荒い歓迎が落ち着くのを待った。
やがて、仲間内の興奮が静まり出すと、其の内の年長者らしき男が、おい、そろそろ根雨を放してやらんと首尾がどうだったか聞けないぞ、とやっと云いだした。
そうだった、そうだった、と根雨から離れた仲間たちは、其のまま、彼の目の前で座り込み、にゅう、と亀のように首だけを突き出して根雨の報告を待つ姿勢をとった。
苦笑いしつつ、根雨は衿を正しつつ咳払いをし、仲間一人一人に視線を回した。
「で、どうだった?」
仲間を制止した男が、ごくり、と喉仏を大きく上下させながら生唾を飲み下す。
ああ、と根雨は笑った。
「此方の思惑通りになりそうだ」
衣擦れの音が、執務室の中の仲間たちは顔を見合わせた事を告げていた。
「ね、根雨……そ、其れは、つまり……?」
「那国王は契国相国・嵒と手を組み、河国を攻める腹つもりだ」
声を張り上げて喜びを表現出来ない事には幼い頃より慣らされている習慣の一つだ。
まるで呼吸をするよりも自然にやってのける筈であるのに、今回は、どうしてこんなにも其れが辛いのか。
「河国を攻めれば、当然、背後の禍国も動く」
……そうだ、……そうだ、と隙間風と紛う声、ひそひそとが上がる。
「この機会を利用するのだ。我々の同朋が禍国の奴にどのような目に遭わされたか、忘れてはならない」
そうだ、と先程よりも僅かに力が込められた声が上がる。
「禍国の生口狩を忘れてはならない。我らが国の聖なる母たる御方の死が、如何なるものであったのか。吾らは決して忘れぬ。忘れてはならぬのだ」
そうだ! と力強い声が上がった。
★★★
「だが我らが陛下は、御自身の御母堂を失いながらも、怨の念を次代に引き継がせてはならぬと、禍国の皇子と盟友となられた――此れは全く、我らの陛下にとって霹靂であり耐え難き屈辱であるというのに」
根雨は言葉を切った。すう、と息をのみ込むと、ぐ、と胸を張る。
「陛下は堕落された」
今度は、しん……と水を打ったかのように、室内が静かになる。
「惰弱なる精神の王を、我らは我らの王と認めない。我らが王は、他のどの様な王とも一線を画す存在でなくてはならない。我らの王は、暑く燃え盛る炉の焔で在り続けて頂かねばならない!」
根雨の声が上擦った。
「陛下を以前の陛下に御戻し申し上げねばならない。では、其の為に我らが為すべき事は何か?」
根雨の声が、室内にまるで五月雨のように浸みて行く。
「そうだ、我々が陛下を御守り申し上げねばならぬ――我らが国母を奪っておきながら、都合よく忘れ、あまつさえ陛下の御技を利用しようとする不逞に名を連ねる者ども。他国の情勢に託けて陛下を煩わせ国土を侵そうとする不届きなる輩。皆、排さねばならない」
「つまり其れは?」
促された根雨は、深呼吸と共に知れた事だ、と声を凛と張る。
「先ずは、国土を狙う那国王・敏。そして那国王の影で虎視眈々と漁夫の利を狙う廃皇子・乱。そして我が国を異夷を蔑みつつも未だに利用し搾取し続ける禍国皇帝・健。そして最も忘れてはならぬ存在がある。即ち――」
思わせぶりに言葉を切った根雨に、ごくり、と生唾を飲み下す音が期待を込めて先を促してくる。
「根雨、即ち――其れは?」
「知れた事」
力強く、根雨は断言する。
「祭国郡王・戰だ」
★★★
「郡王・戰こそが全ての元凶!」
根雨は握り拳を作り、天に向かって突き上げた。
「我が陛下を傀儡とせし郡王を許し、剰え同朋となりし宰相・燹も許してはならない!」
「そうだ! 許してはならない!」
「よく言ったぞ、根雨!」
「郡王・戰、そして宰相・燹。奴らによって、河国王となられたと云う恩義を、我らが王・灼陛下は感じ過ぎておられる。其れは美徳と云えよう。なれども未だに郡王の勝手気まま、都合よき様に扱き使われてばかりおられるではないか! 何と云う事か! 此れが歴史ある遼国の王者の姿であるか!? 由々し事態だ! 方々、そうは思われぬか!?」
「そうとも!」
「その通り!」
ざわざわとした興奮に満ちた声が一気に噴出し、重なり出す。
「しかし今の陛下の貴き御目は、郡王により目暗しの術を掛けられて曇っておられる。御自身が如何に腑抜けた身に堕ちられてしまったのか、見えておられぬ。本来であれば、目を覚まさせるは宰相の御役目というのに、燹殿は其れを放棄しておられる。何と云う嘆かわしさか」
「許すまじ!」
「決して、許してはならぬ!」
「なれば、どうすれば、良い?」
一言一言、区切りながら、書を認めるように、根雨は集まった仲間に語り掛ける。
ごくり、ぐるり、と其処彼処で生唾を飲み込んだり息を吸い込んだりする音が上がる。
音が落ち着くのを待って、根雨は静かに口を開いて宣言する。
「そう、我らが動くのだ!」
おお! と云う歓声が汗で熱気で澱んだ部屋の空気を持ち上げる。
「我らが密かに動き、陛下の為にならぬ不敬なる者どもを全て排して回ればよい――皆様、如何か? 方々、私は間違っておりましょうか!?」
「否や、否や! 間違うてなどおらぬぞ!」
「根雨、良くぞ申した」
「禍国の奴らの為にばかり鉄器を作る必要はないのだ!」
「那国の者どもらの言い成りに貶められ続ける謂れなどないのだ!」
「我らが王たるは灼陛下ただ御一人! 此れは唯一絶対の真実であるぞ!」
「ただ一人の御方にのみ、我らは仕えるものなり!」
皆の声が一つに固まりだすと、根雨は満足したように頷いた。
「既に那国王は其の気になっている。契国と手を組み河国を攻めるつもりだ。この機会を逃す手はない」
仄暗い部屋の中で、にたり、と根雨が頬を歪める。
「だが、陛下の御手を煩わせる必要はない。祭国郡王に戦の全てを肩代わりさせてやればよい。郡王に那国王を討たせ、そして禍国に叛乱を呼び込めば、廃皇子・乱は勝手にでしゃばり、郡王・戰と相対するだろう。乱如きに郡王はやられはしまいが、内乱が起これば国体は弱まる。虚弱となった国など、陛下の敵ではない」
執務室が、まるで梅雨の最中のようなむんむんとした熱気で満ちていく。
「戦のどさくさまぎれに、陛下が進むべき道を誤らせておきながら、何の責任も取らずにおる宰相・燹に鉄槌を下す」
「のうのうとしたしたり顔の面の皮を剥いて不忠を思い知らせてやらねばならぬな」
男たちの顔に眸に、瘧に浮かされている時のような、怪しい光が宿る。集団の力に流され、己を見失っている時の危うい光だ。だが、誰も其れに気が付けていない――そう、根雨ただ一人を除いて。
「灼陛下が那国を討たれ、禍国を払い、宰相・燹に懲罰を食らわせし後、我らは初めて、我が里より出でし御后・亜茶妃殿下を立てる。亜茶妃殿下がお産みになられし御子様にこそ、玉座にお座り頂くのだ」
後宮の身分である亜茶を『妃殿下』と呼ぶ根雨の声は、ねっとりと熱を孕んで熱い。
まるで溶けた鉄のように明々(あかあか)と飴状となり、此の場に集った者たちの心を熔かしていく。
「彼の地をお治めして頂くに足る正統なる血筋の御方に、那国村の血を、亜茶妃殿下のお血筋を引かれし御子様に立って頂くのだ! 此れぞ、此れこそ我らが先祖代々の悲願なり!」
おお~! と云う波濤の如きどよめきは、まるで嵐の最中の波のように根雨に打ち寄せる。
仲間たちのどよめきの波濤を受けて恍惚となる根雨の目の端に光ったのは、汗の玉なのか。
其れとも涙であったのか。
だが小さな球は、誰にも気が付かれる事なく、根雨の指先によって払い落されてしまった。
「皆みな様! 今こそ御国の御為に力を合わせ、我らが力を見せつける時に御座いますぞ!」
突き上げられた根雨の腕に、幾本もの腕が呼応した。
★★★
「あ! あの、芙様……」
人の気配を感じ取った芙は、眉を顰めた。
「……あの、もし……? あの、芙様……? あの、その……失礼、致します……」
「……」
「あの……瑛姫さまの御厚意にて……郡王陛下の……御使さまに……御薬湯を……その、お持ち……致し、ました……」
声の主は、紛れもなく剛国王弟・烈の妃である瑛姫付きの宮女・照のものである。
「……あの……御使者様の、御薬湯を……その、勝手ながら、お入れ致しまして……あの、お持ち致し、ました……」
「……」
「……あの、あの、それで……芙様……そ、その……御使者様に……あの、御取次ぎを……ね、願え、ない、で……でしょう……か……?」
――断る。
と、口にこそ出さないが、戸口を守る芙の眉間に深く刻まれた溝が、いい加減にしろ、と如実に物語っていた。
しかし、部屋の戸口に影を投じている当の本人は、一向に構う様子を見せない。
邪険にされていると態度で解るだろうに懲りていない。
と云うよりもへこたれないと云うべきかもしれない。
自分の意見が通るまで、何時までも何処までも喰らい付いてくる。この辺りの執念深さには、女性ならではのしつこさと粘っこさを否が応でも感じさせられる。
芙は心底、げんなりとした。
「……あの……何方か……あの、何卒……御使者さまの……御元に……御取次ぎを……」
細い声は徐々に湿り気を帯びてきており、然も千々に揺れている。
こうすれば幾ら芙が無視を決め込み門前払いを喰らわせようとしても、此の場に踏み止まってさえいれば、先に根を上げた彼の仲間たちが顔を出して部屋の奥に居る真が入れてくれるもの、と彼女は学習しており、大いに其れに賭けている。
男という生き物は女の涙以上にしつこさを苦手とするもので、此の内のどちらかの札を出せば大抵、何とかなる。ただし、涙はいい気にさせてくれるものではるが、しつこさはげんなり来るのを嫌っているだけで適当にあしらって追い払うだけのものであるが、自分の意を押し通せるなら何方でも別に気にしないのが女と云う生き物だ、と芙は蔦に叩き込まれている。
――いい加減に諦めて戻ればいいものを。
糞、と芙が聞こえよがしに嫌味の成分を滲ませて呟いた。
奇妙な処でどん臭いという、か鈍いというか、迂闊な真殿がひょっこり顔でも出してきそうだ、と芙が苛々としていると、果たして、静かな脚音と共に部屋の奥から真が現れた。
「おや? 照殿?」
「は、はい!」
芙が真に答える前に、照が身体を乗り出してくる。こういう時の照の積極性は、まるで別人のようだった。
「ですよね? どうされたのですか?」
「あ、あの、御使者様の、御薬湯を、その、お持ちいたしました」
「ですか。態々、此方までお持ち下さり御面倒をお掛け致しました。有難く、頂戴いたします」
「はい、はい――どうぞ、御使者様」
――全く、こういう要らぬ予感だけは無駄に当たるんだ、俺は。
戸口に映っている影に親しげに声を掛ける真に、芙は今度ははっきりと聞かせる為に音を立てて舌打ちをした。無防備と云おうか、鷹揚に構えすぎる。
「おや、芙も居たのですね?」
演技かどうか図りかねるが、一見して屈託なく笑う真を芙は反射的にぎろりと睨んだ。
「真殿、放っておかれればいい」
「ですかね」
ぼりぼりと後頭部を掻き芙の言葉に頷きながらも、真はのそのそと戸口の方に近づいて自ら取っ手に手を掛けた。
「ええそうです。何れ日をおかず我らは帰国するのです。彼女に関わっている暇などありません」
「でも、勿体無いじゃないですか。私に処方された薬湯の成分は高価なものばかりですし」
――……こんな処で貧乏性を出してどうする、と芙は大きく肩を上下させて嘆息する。
真は横に払うように腕を引いた。
するとまだ蒸気の上る大振りの薬湯椀を盆に載せた照が、芙に睨まれてもじもじと所在投げに佇んでいる。そして真が顔を出すなり安心したのだろうか、照は頬をほんのりと赤くしながら顔を輝かせた。
ほ……、と短く吐息を零すそんな照に、芙は目を細めて更に凄んでみせる。
だが真は顰面の芙に気付いているのかいないのか、有難う御座います、頂戴します、と朗らかに盆ごと椀を受け取った。
照の顔ばせが、ぱぁっ、と明るくなる。してやったりとでも思っているのだろう、眉間を寄せている芙をちらりと盗み見て、唇を尖らせて小さく笑っている。
童女のように勝ち誇ってみせている、そんな照の前で真もにこにこと笑っている。
しかしその笑顔とは裏腹の、平坦な声音で真は続ける。
「ですが、照殿」
「は、はい……」
「薬湯の用意は仲間がして呉れますので、今後は結構ですよ」
「……は、はい……?」
「それにですね、そんなに気に掛けて下さっている振りをして私どもに近づいて探ろうとしても、何も出てきませんよ?」
……え? と照の目が大きく見開かれる。
「そ、そんな……私、その様な……そんなつもりは……」
「そうですか? 其れなら此処に来て頂く理由は、もうありませんね?」
にこやかに笑いながら告げる真に、照はきゅ、と唇を固くした。
★★★
野良犬の仔を追い払うようにして芙は無理やり照を部屋の前から退かせると、頭を軽く左右に振った。
その背後で、珍しい事もあるものですね、と小さな笑い声が上がる。
照が持ってきた薬湯を調べながら、芙はまだ軽口を叩いている真に、ぎろり、と凄みを効かせる。
「何がです?」
「人あしらいの上手い芙が、こんなに調子を乱される処なんて初めて見ましたよ、私は」
「誰のせいであると思われているのですか」
「いやいや、でもですね、こんな芙を見たら珊が何ていうのか。見ものですよ、ねえ?」
「真殿は甘い。あのように女の哀れを武器にして取り入ろうとする者に、碌なものではおりません。もっと徹底して遠ざけられるべきです」
「そうでしょうか? 手厳しくしたつもりなのですけど」
昼寝してきます、と云い出しそうな程、のんびりと答える真に芙は大仰に嘆息する。
「別に私は、甘い顔をしているつもりはないのですけれどね」
「……そういう言葉が本気で出てくる事自体、甘いのですよ」
ぽりぽりと項辺りを掻き上げる真の前で、芙は窓を開けて薬湯の入っていた椀を軽く振るう。じゃ、と音を立てて窓の外に放物線を描いて薬湯が飛んでいく。
「矢張り、薬湯ではなかったのですか?」
「大した毒ではありません。腹を盛大に下す程度です」
おやおや、と真は苦笑する。
「照殿としては、真殿の腹を下させた後、新たに蟲下しの薬湯を用意して看病をして此方側に溶け込もうという魂胆だったのでしょう」
「充分、大した事が有り過ぎますよ。お腹を壊したりしたら、御飯が美味しく食べられなくなってしまうじゃないですか。いやあ、飛んでもなく恐ろしい猛毒ですねえ、危ない処でした。有難う御座います、芙。芙のお陰で助かりました」
「……」
真が部屋の中央に備え付けてある椅子に座ると、芙は椀を盆に戻してつかつかと歩み寄りその前に立つ。
「真殿、巫山戯るのは此処までにして頂きたい」
ん? と顔を上げた真の上体に覆いかぶさるようにして芙は詰め寄った。
「どういう積もりであるのかを、いい加減でお教え願えませんか?」
真剣な表情の芙に、そうですね……、と真も顔付きを改める。
何かを気にしている様子の真に、大丈夫です、周りは守らせております、と芙が答えるとやっと真は安堵したらしく普段と変わりない笑顔を向けてきた。
「実はですね、私は待っているのですよ」
「何をお待ちになっておられるのですか?」
真はがしがしと後れ毛を掻き上げる。
「まあ、端的に言ってしまえばですね、照殿の御父上であらせられる契国相国・嵒殿が国王・碩陛下に対して叛意を示されるのを、です」
「真殿はどう思われているのですか? 照殿の杞憂であるのか、其れとも……」
「嵒殿は本気だと思います」
捻じ込む様に疑問を投じてきた芙に、真は一も二もなく断言した。




