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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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20 陽国王・來世(こよ)

20 陽国王・來世こよ



 角髪結みずら結いの艶やかな髪に陽光をうけながら、青年は岩壁の端ぎりぎりに愛馬を寄せた。

 空気が澄み渡り、染みとなる雲一つない、抜けるような空が青年の頭上に広がっている。

 凪いだ海は鏡のように穏やかに陽光を弾いて輝いており、まるで空の深いあお色に共鳴したかのようだった。


 この様な晴天の日には、向こう岸というには大きすぎる大陸の姿が、朧月のようにも陽炎のようにも垣間見える時がある。

 青年は其れを期待してこの岩壁にやって来たのであるが、どうやら今日は彼の希望は叶えられないようだった。空のあおと海のあおは、彼方でやがて一つに溶け合って微睡むように閉じてしまっている。

 微かに落胆の色を見せて、青年は視線を威勢の良い舟歌が流れてくる海上へとずらした。

 今の時期、沿岸の漁場では烏賊や蛸や鯛の漁が最盛期を迎えており、かわって素潜りで取る牡蠣の旬はそろそろ過ぎようとしている頃だ。聞こえてくる舟歌は、牡蠣領に向かう際のものだった。

 舟歌が聞こえてくるからには、幾艘も小舟が浮かんでいる筈である。

 だが余りにも明るすぎる海が弾く煌めきに、小舟は色を失って霞んでしまい姿を晦ましてしまっていた。目を細めながら、青年は馬上で楽しそうに独りごちた。


「まるで蜃気楼のようだな」

 周囲に返答をする者が居ない主人を気遣ってか、ぶるる、と馬は首を激しく巡らせて返答をする様に鼻を鳴らした。



 ★★★



 小高い丘状態の岩壁に、馬に跨り独り腕を組んで立つ青年――

 いや、まだあどけなさの残る丸顔は見た目通りに少年なのだろう、声変わりを果たして間もない時期特有の、甲高さの残る笑い声をたてた。牡蠣の素潜り漁をしている辺りから聞こえてくる舟歌が、変調を来したのだ。思うような獲高が得られなかったのだろう。

「牡蠣漁もそろそろ仕舞いにせねばならん時期か」

 その証拠に空と海とが交わる一歩手前の海洋では、季節の移り変わりを示す渦の流れの変化が見え始めていた。


 この海流の流れの所為で大陸から切り離されている陽国は、彼の地より『外夷の地』と蔑まされている。

 常に不当に貶められる要因である海流であるが、しかしこの海からの豊かな恵みは、陽国の交易に膨大な利潤を齎して呉れてもいる。

 陽国産の干牡蠣は、滋養強壮の妙薬として同じ大きさのこがねと同じ価値があるとされて各国方面から引き合いがあり、今や禍国の間の交易においての鉄器と並ぶ、いや下手をすればそれ以上の利益を陽国に落として大いに国庫を潤して呉れていた。


 凪いでいた海風が不意に強く吹き、少年の頬と前髪を撫で上げていく。馬はたてがみが乱れるのにも構わずに、足許の草をのんびりと食み始めていた。

「海原の遠く果て、其のまた向こうにある国からの便りだな」

 誰に聞かせる訳でもないが乱れた髪を気にしつつ少年は笑みを含んで、また、独りごちた。


 ――本当に、遠い……な。

 大きな、黒曜石の如くに立派な輝きを放つ瞳で、真っ直ぐに遙かなる大陸を少年は見詰めた。

 あの異国の大いなる地には、少年がまだ童年の頃に国の為にと自らを犠牲にして渡って呉れた仲間がいる。鉄師まがねしでもあり、氏族のおさの一族の出であった彼は、うからの次期の長と目されていた程の人物であり、自分の剣術と馬術の師匠であり、そしてまつりごとを行う際の仲間でもあった。


 ――吉次きちじ

 お前に会えなくなってもう、どれだけの月日が経つのだろう?

 少年は指を折って数え始めた。右手の指が全て折られて握り拳の形となってしまうと、ふぅ、と少年は肩を窄めて溜息を吐いた。

「五年以上もの間、離れ離れとなっているではないか」

 何時の間にか、即位してから共にあった時間よりも、離れて暮らす年月の方が長くなってしまっていた。

「吉次、息災でいるのか?」

 呟く少年の背後から、大王おおきみさま、と呼ばわる者が現れた。総白髪、鬚まで見事に揃いで白い老人は小柄な栗毛の馬に乗り、堅い表情で少年を責めるように顔を顰めている。


大王おおきみさま、そろそろ宮殿に御戻り下さい」

 慇懃な態度で少年に接する老人に、陛下、と呼ばれた少年は素直に頷くと手綱を操って馬首を巡らせた。

 ほっとした面持ちで先を行く老人に、少年はついて行く。途中一度、愛馬の脚を止めてちらりと肩越しに覗き見たのは、空の果てであるのか海の遥かであったのか。

 無言で見詰める少年に、叱責に近い声が掛けられる。


「來世大王おおきみさま、お早く」

「分かった分かった、年寄りは気が短くて適わないな。じい、そう急かすな」

 爺、では行くぞ、遅れるな、と少年はまた高い笑い声を上げると、ぴしり、と馬の尻に鞭を入れて猛然と駆けさせ始めた。老人は、慌てて來世の後を付いて駆けるように、馬に鞭を入れる。


 少年の名は、來世こよ

 そう、中華平原を抱える大陸とは海を隔てた島国一つを国とする、陽国の王者として君臨する者であった。



 ★★★



 來世が宮殿に戻ると、其々の一族を率いる大人たいじんたちが勢揃いしていた。

 王の間に來世が一歩踏み入ると、ざぁっ、と音をたてて波が打つように、少年に一斉に這い蹲り礼を捧げる。

 陽国において王は正確には大王おおきみと讃えられており、地位と意味は禍国など中華平原の各国の其れとはまた性質が違う。

 呪術的な意味合いが濃いと云う点で祭国や遼国と似てはいるが、決定的に違う処がある。

 陽国創世がいにしえより連綿と言い伝えている神代話なるものによれば、大王家の和子とは遠く遡れば太陽神と大海神の化身を両親としており、神の息吹という恩恵と、加護という恩寵を受けた奇跡の血統とされている。

 つまり、大王おおきみとは神代より続く神の御子たちなのである。


 上座に設えられている亜麻で編まれた丸座に來世がどっかりと腰を降ろすと、首に下げた見事な翡翠の勾玉と官玉が胸で踊り、まるで明けの明星の如き輝きを放つ。居並ぶ屈強頑強という呼び名が相応しい偉丈夫たちが、來世への畏怖をそのまま新たな礼として捧げた。

「どうした? 今日は族長会議を開く日ではない筈だ。何か変事でもあったか?」

「はい、大王おおきみさま。恐れながら申し上げます。今年の鉄器の生産量の調整幅に、民が不満と不安を奏上して来ております」

 親子どころか孫ほど年が離れているというのに、來世に言上した赤ら顔の男は丸めた背中に汗の染みを浮き上がらせている。この染みは、じめじめと蒸し暑い季節によるものでない事は明白だ。

 しかし來世は男の慄きには全く構う様子を見せず、ふむ、そうなのか、とぞんざいに答えて腕を組んだ。


「巫女の卜占には此のまま踏鞴の火を燃やし続ければ、山の神が身を削り、川の神が嘆き、海の神が怒る、と出ておる、故に産出を調整せねばならぬ、とが名でもって申し伝えたというのにか?」

「はい、恐れながら」

「其れだけ、恐怖が勝るので御座いましょう」

「恐怖? 何を恐れねばならぬというのだ?」

 厳ついりの老人ばかりの中で、來世が丸い沁み一つない少女のような顔を可愛らしく捻る。

「山の神、川の神、海の神、夫々(それぞれ)の御柱が憤る余りに怨霊おんれいとならぬよう、巫女がまじないにて鎮めておる。皆も其れは知っておろうに」

 いえ、神様への恐れではありませぬ、と白髪頭の老大人が手を振った。

「何しろこの数年、禍国との取り引きにより国庫の潤う事、歴代の大王さまがと比ぶる事なかれと誉め称えられるで御座いました。民の懐も温もり、口も腹も満たされた生活に慣れてしもうたのです」

「其れが一気に冷え込むと伝えられれば、弱き民草が先行きの見通しの暗さに不安と不満を抱くのは当然に御座いますれば」

「愚かでいとけない者どもよと、何卒、民草をお許し下さい」


 ふぅむ、と唸りながら來世は胡坐座りを緩めて片膝を立てて座り、膝を凭 ひょうきの代わりとして顎を乗せた。王と云うには余りにも子供っぽい所作だが、其れ故に場の張りつめた空気が和んだ。微かに笑いながら肩を上下させたり鬚を揺らしたりしつつ、年寄りたちは、來世様は相変わらずお可愛らしい、と零しあう。

 來世は顔の造りも声にもまだ幼さが残る小柄な自分が、こうして子供のような所作をすれば大人たちの苛立ちや切羽詰った緊張感が和らぐと知っていた。頑是ない童の思い出に自分を戻してやる事で、まだまだ大王さまは自分たちがお支えせねばならぬのだ、とやる気を奮い立たせてやれるのだと知っているのだ。

 だから來世は時々こうして、態と子供のような振舞いをするのである。



 ★★★

 


「で、じいたちはにどうせよと?」

 其処に御座います、と大人たちは一斉に額を床に打ち付けた。


 來世は16歳になったばかりだ。

 逆算すれば学が椿姫と共に王城にやってきた頃の年の頃から、彼は陽国王として立派に施政を司り着々と実績を重ねていた事になる。現に此の姿を見れば、背後で誰かに操られているのではと勘繰りたくもなる堂々たるものと皆が感嘆するだろう。

 此処に居る大人たいじんたちは、來世がまだ童形であった頃から慈しんできた古株ばかりだ。

 陽国は諸々の氏族が枝葉のように乱立している。其れら氏族を技術もった者同士のうからで師を与し彼らをおさとして取り纏めるのが大人であり、更に大人の上に立つのが大王おおきみの役目となる。

 数年前に吉次が戰と真の元にやってきた時、主がまだ年少であるが故に国がまとまらない、と零したものだが、大人たちの間では未だ幼年の身でありながら王という重責を担われる哀れが先立った。その為、各氏族の長たちが我こそはと忠を争い混乱を招いた。

 なまじ権力を争うよりも性質が悪かったのだが、この2年ばかりで漸く落ち着きを取り戻し、同時に大人たちが互いに競うように來世の行く路を馴らし整えて、いちいち御膳立てをしていた頃と逆転していた。

 大人たちは、今やすっかり來世に頼り切っていた。


 最初に言上した赤ら顔の男が、再び口火を切る。

「此度、那国より交易の取り引きのみならず、共に禍国を討たんとする同盟を、密かに持ち掛けられたと聞き及んでおります」

「それで?」

「禍国との取り引きが先細り、鉄器によりこがねが得られぬのであれあば、那国のお申し出を受けられるべきではないかと」

 ふむ、そうきたか、と來世は膝の上に顎を乗せたまま、軽く目蓋を閉じる。


「そもそも、那国とはいにしえより交易の約定を取り結びし間柄に御座います。日の浅い付き合いである禍国よりも信頼に足りましょう」

「そうです、其れに吉次が伝えてきております通り、禍国は那国の隣国である河国に鉄器の量産を命じております」

「今は宜しいでしょう。けれど此の先も宜しかろう、と云える関係を保っておられるかどうかは、些か不明瞭に御座います」

 うん、うん、と來世はいちいち頷きながら老人たちの訴えに耳を傾ける。


「あい、分かった。じいたちの言分は至極最もであるとも思う」

 目を開けた來世は、年の入った家臣たちの背中を労り撫でるように、優しく声を掛ける。

 來世の返答に、大人たちは非礼も無礼も忘れて、おお! と安堵の声を漏らして顔を見合わせる。

 しかし続く來世の言葉に、大人たちは一斉に眉を寄せ顰面となった。


「だが、爺たちの意見を受け入れ、吾が従うかどうかは別だ」

「陛下、其れは如何なる意味に御座いまするか? 那国ではなく、禍国に与するという御決断に御座いましょうか?」

「禍国は、我らが技術を衰退に導かんとする河国の盟主でありますぞ?」

「然様、我らが氏族を虚仮にするうからなど、到底認められませぬ」

 不安に揺れる皺枯れた声が、折り重なって押し寄せる波濤のように少年を責め立てる。だが來世は毅然とした態度ですっくと立ちあがった。


「暫し、黙れ」

 有無を言わせぬ少年の力強さに、老人たちははっとなり、恥入ると共に再び平伏する。

「先程、吾は巫女のまじないの言を申した筈だ。山の神が身を削り、川の神が嘆き、海の神が怒る、とな。爺たちは、此の言葉を、どのように読み説いておる」

 居並ぶ老人たちは平伏しつつ、互いの顔色を伺いあう。

「大王さま、どう、とは、その、つまり……」

「よいか」


 赤子が愚図るように言い淀む大人たちの前で來世は両手を上げ、翼のように大きく広げてみせる。

 訝しみながらも、大人たちは釣り込まれて視線で追ってしまう。

 やがて、來世の腕と脚は少年期特有の艶のある若木の如きしなやかな動きで、舞うようにゆるやかに上下し回転し始めた。その動きが、其々の氏族が崇める土地を指示していると気が付いた大人たちは、ごくり、と息を飲みつつ來世の舞いを食い入る様に見入る。

 不意に、ひたり、と來世の動きが止まると、伸びている美しい長い指先は、大人のひとりを、ひたりと指し示し捉えていた。

 大人の視線がその男に集中する。

 此の時に、大人たちは漸く気が付いた。此処に集結した大人たちは、赤ら顔の男のように積極的に意見を述べる者と、反対に、來世に指さされた大人のようにずっと貝の様に口を噤んで押し黙っている者と二分されている。


「山の神を祀る山幸やまさちの氏よ。其方ら、此の数年で踏鞴の炎を絶やさぬ為にと山の木々を伐採する火の神を祀る火矛ひぼこの氏らを何と云うておったか」

 山幸氏と呼ばれた顎髭を豊かに蓄えた巌のような体格の大人の顔が青くなり、反対に火矛氏と呼ばれた赤ら顔の男の中で特徴的である釣り目が赤く煌々と光る。

「なんと、山幸氏よ。其方らは、吾らを其の様に云うておったのか!?」

 火の神の名に恥じぬ、怒髪天の怒りを表す火矛氏を、止めよ、と來世が制する。


「火矛氏、山幸氏らが己の領分を守らんとせん、との働いても、川の神を抑えられぬまでに来ておるのだ――そうだな、八岐やまたの氏」

 今度は、八岐氏と呼ばれた大人に皆の視線が集中する。八岐氏もだんまり組の大人であった。気圧されたのか、僅かに背筋を仰け反らせて息を止める。

 が、息を吐きだす頃には持ち直し、首を左右に振った。

「仰る通りに御座いますじゃ。吾らが祀りし川の神の御身が、赤目かがちの如くに染まられて数年。そして、山幸氏が若木をお植えになられても最早追い付かぬのじゃ」

「な、何と……!?」

 予想だにせぬ言葉だったのだろう、火矛氏が目を剥いて立ち上がる。


「何故、そのような一大事を黙っておったのだ、八岐氏!」

「火矛氏の求めに応じて、木を切りだし過ぎたのじゃ。……いや、だからと云うて、火矛氏のみを悪しきと云うておるのでは御座らぬよ。吾らとて、其方ら、鍛冶場を守ってくれておる火矛氏らの役に立ちたかったのじゃ。ただの、吾らの予想よりも行き過ぎてしもうた」

 そして情けないことに、どうにもこうにも、立ち行かぬ瀬戸際にまで来てしもうたのじゃよ、と静かな川の流れのように、と八岐氏はとつとつと語る。

「八岐氏の云う通りだ。川の神は嘆き、吾らが敬う海の神はお怒りになった」

海幸うみさちの氏」

 ぶふぅ、と火矛氏は鼻を鳴らして口をへの字に曲げた。

 海幸氏と呼ばれた大人は、でっぷりと肥えた身体を揺すりながら、ふう、と溜息を吐く。


「川の神を嘆かせた故か、儂らの崇めたもう神さまがお怒りは深く大きい。あの河口で獲れおった魚も蟹も鰻も、そして真珠も、全く姿が見えなくなってしもうた」

「――真珠までもが、じゃと!?」

 それは、と動揺が走る。陽国産の真珠は、米のような照りと柔らかな色合いで禍国の王侯貴族たちに人気が高まりだした処だ。

 此れまで海からの恵みにどれ程甘えていても、海は大きな懐で許して呉れていた。その海が手を翻すなどと、俄かには信じがたい。

 だが、海を統べる氏族・海幸の大人が苦い声を、腹の底から絞り出しているのだ。

 信じぬ訳にはいかなかった。



 ★★★



 陽国の鉄器生産方法は、踏鞴方式だ。

 山際の木々を山幸氏が管理する山より大量に切り出して木炭を生産せねばならず、そして鉄の原料となる砂鉄は八岐氏が管理する河川に繋がる山裾の土を削って産せねばならない。

 この木炭の原料となる木が植えられている山々を管理しているのが山幸氏であり、砂鉄を生み出す川を所有しているのが八岐氏だ。彼らは直接的に剣を生み出す氏族ではないが、だからこそ彼らが居らねば剣どころか鉄も産する事が叶わないのだ。


 当初、禍国より鉄製の剣の交易を持ち掛けられた時、陽国は沸きに沸いた。

 実に、朝日の如き活気に満ちた。

 常日頃、島国である自国を『東夷』として蔑んできた禍国が、勝利を得んが為に頭を下げてきたのだ。

 大いに溜飲を下げ、その勢いで彼らは恐ろしい勢いで鉄製の剣を鍛え上げた。

 陽国の剣は、基本的には一点ものばかりである。

 夜っぴての作業が続けられた。


 万に及ぶ鉄器を売る事が可能だったのは、一つには陽国は自国内で戦がなかったことが挙げられる。

 自尊心や誇り高さの為、氏族の間での小さな小競り合いと云うか言い争いらしきものは常にあったが、其れとても、彼らを束ねる大王の存在がそれ以上に発展する事を許さなかった。結果、大乱が長くなかった陽国が最も恐れるのは、鉄器を売り渡した先の国が巨大船を操り、売り渡した鉄器を手にして陽国を攻めに来る事となった。


 だが、繰り返すが禍国にとって陽国は東夷のみすぼらしき島国に過ぎない。

 態々、船団を組んで攻め入る価値のない島だった。陽国は自分たちが大陸から向けられている視線と扱いを理解すると、今度は自国内で巨船を持つ事を捨てた。自分たちが、禍国から見てどうでもよい瑣末な国であるから攻め入られぬのであれば、其れを演じている間は、万が一にも侵略される恐れはなくなる。

 陽国は、禍国の風下に立つ事を敢えて享受する事で豊かさを手に入れようとしたのだ。


 しかし此処に来て、また道を選び取らねばならぬ事態となった。

 禍国との交易品の第一品目である鉄器を産していた此の数年であるが、木炭へ加工する為に山の木々が凄まじい勢いで減少し森が荒れていったのだ。

 其れだけでなく、砂鉄を産出する為に山裾にある土地を浚い過ぎてしまった。

 山の斜面は剥き出しとなり、大雨などで土砂が大量に流出するようになったのだ。山津波なみに土砂が傾れ込んだ川は様変わりし、此れまでの清き豊かな流れではなくなってしまった。河口付近の沿岸地域では、赤土色に海水が変色し戻らない。

 砂鉄を産する為の土も混じり川の水の流れも質も濁り穢れたせいであろうか、赤く変色した海は此れまで与えて呉れていた恵みを齎してくれなくなってしまったのだった。



 ★★★



「山の神が身を削り、川の神が嘆き、海の神が怒る」

 來世の呟きに、火矛氏の大人が、うう、と呻いた。赤ら顔に汗と共に涙が伝った。

 分ったか、火矛爺、と來世は身を屈めながら大人の肩に手を置いた。


「山と川と海、吾らに恵みを齎して呉れていた三柱が此のままではゆかぬ、と吾らを諭して下されておるのだ。考えねばなるまい」

「……大王おおきみさま……」

 うう、うう、と呻きながら、火矛氏の大人は涙をぼろぼろと流した。

 その背中を、來世は優しく撫でてやる。此れではどちらが子供でどちらが大人おとなか分らない。だが、來世と火矛氏の姿に、居並ぶ大人たちもまた、涙を零し始めた。


「く、苦節の末に、こ、此処まで、漸く此処まで此処まで来ました、ものを、なのに……!」

 涙で声を詰まらせる大人たちに、爺、云うな、と來世は手を振った。

「申し訳、ありませぬ……大王さま……」

「よいと云っておるであろう」

「然れども吾らは、吾らは偏に御国の為、大王さまの御為に……」


 がっくりと首を項垂れる者、腕で顔を隠しながらの者、しかし皆、おいおいと年甲斐もなく声をあげて泣き出した大人たちの肩を、來世は一人ずつ叩いて慰めて回る。

 鉄器を生産している火矛氏を中心とした氏族は、国に財を齎す為にと一心不乱に仕事に励んでいた。自分たちこそが、皆に冨を与えるのだとう自負と自尊こそが、彼らの熱意ある仕事を下支えしていた。

 踏鞴場の仕事は、命と隣り合わせと云うよりは引き換えに近い。一瞬の気の緩みも許されない。

 火の神の怒りを買えば、氏族は諸共に一瞬で消えてなくなるという怖れをも糧にして、鉄器の生産量向上に向けて邁進した。

 そして其れは日の目を見た。

 火矛氏らは大人を中心に、職人集団たちの威信を掛けた仕事は見事に実を結んだと思っていた。

 火矛氏たちは農産物の生産には従事しないうからである為、他の氏族から食糧その他の品を得ねば生きて行けない。自分たちは国の荷物とは行かずとも、出来物腫物のような族でないのかという深い負い目があった。其れを払拭できたものと、そう思っていた。


 なのに。

 だがそんな自分たちの仕事が、国の根幹である国土を荒らしていたとは。

 然も、夫々の氏族が祀る御柱の怒りを買うほどに。加えて、彼らは自分たちが知った時の憔悴を慮り、口を噤み、何とか己たちのみで事態を打破できぬものかと陰で尽力して呉れていたのだ。

 思い上がりも甚だしい。

 氏族の沽券が、やがて驕慢さになっていたと気が付けなかったとは。

 首を捻って、恥を帳消しにしたい欲に駆られている火矛氏を中心とした大人たちに、山幸、海幸、八岐氏の大人たちが歩み寄り、静かに背中を抱きしめると、其処彼処で号泣の声が憚りもなく上がった。


「吾らが大切にせねばならぬのは何だ? 禍国を始め、大陸の諸国に認められる事か? 違うであろう。吾らは吾らの国で在り続けねばならぬ。が国・陽国は永遠だ」

 大王おおきみさま、吾が大王きみ、と隙間風のような擦れた声が來世を包む。

 よい、もう忘れよ、と來世は笑った。


「この話題は此れまでだ。吾らが陽国は、成程、彼の大陸にはない技術がある。然して其れにのみって生きるものではない。神代の時代より受け継がれ、御柱が支えたもうこのうまし国。此れこそが吾ら陽国の民草が一途に護り参らせねばならぬものだ」


 違うか、と來世がにこやかに問えば、大人たちは、はは、と一斉に平伏した。

 來世は円座に座り直すと、にっこりと、童子の様に澄んだ笑みを零した。



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