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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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19 那国王・敏(びん)

19 那国王・びん



 河国に放ってある草たちが定期報告にやってきたと、こそりと寄ってきた宦官がびんに耳打ちする。


 ――もうそんな時期か。

 通例として、蜂巣を口に含んで口臭を消している細やかさが似合いすぎる宦官の見目に眉を顰めながらも、敏も声を潜めて、草たちを秘密部屋に招き入れるように宦官に命じた。まるで舞師か何かのような細い身体を折る様に礼拝を捧げた宦官は、やはり、こそこそと去っていった。女人用の高杯のような靴の方が似合いそうな宦官のよちよちとした歩き方に胸を悪くさせながらも、敏は謁見を行うための部屋へと一人忍んで歩いていく。


 国王たる者が奴婢や生口たちと同列に扱うべき草に謁見を許すなど、有り得ない。

 それこそ、逆に敏の方が王としての資質に問われてしまいかねない為、草たちとの謁見は常に極秘の内に行われれていた。この事実を知る者も、ごく限られている。

 秘密部屋に脚を踏み入れると、先客がいた。

 何と、その男は歴代の王しか座る事が許されていなかった椅子に、傲岸不遜にも深々と腰掛けている男がいたのだ。


 ――またか……。

 構われたいのであろうが、全く、子供じみておって適わん。

 敏は眉を顰めつつも、男の前に無言で立つ。

 椅子に腰掛けていた男は、ふん、と軽くあしらうように鼻を鳴らすと椅子から立ち上がり、慇懃尾籠いんぎんびろうな一礼と共に座を明け渡した。


 敏はもう、この程度の明白な挑発めいた行動にいちいち反応し激昂するような若造ではない。

 寧ろ、嘆息を零しつつ軽く頭を振る。肩を聳やかして態とらしく当ててくる男の、突発的刹那的にしか動けぬ悪童に近い愚行に、呆れて物も言えず目眩を覚えているような素振りをしてみせたのだ。

 而して男の方は、というと、だが此処まで挑発している敏に相手にされないというのに悔しそうな目付きの一つもしない。

 痩せ我慢だな、と言いたげに、また、鼻を鳴らしてみせている。


 ――……いい加減で、しつこい。

 相手をするのも面倒な男だ。

 自分の夢想する出来事が全て世のことわりであると信じて疑いもしないのは、何から何までお膳立てされた生活しか味わった事がなく、自ら手を穢した経験のない者に多い。

 そして一から十まで、何を成すにも構われるのが当然である生活に慣れている者は、高貴な出に多いものだ。

 

 この男もまた、血筋的には貴賓の身であった。

 故に、歪んみ膨らみきった自己愛が捻じ曲げられ受け入れられないのが許せないのは勿論だが、肥大した己の欲求が打ち捨てられ完全無視される事も耐えられない。

 しかしこの手の手合いはまた、嫉心のままに予測不能な突飛な行動を起こす。

 長く温め続けてきた此方の策を、ただの癇癪玉一発で、根底から無に帰してしまう恐れがある。

 行動の結果を体験した事がない為、因果応報という言葉の意味を知らないからだ。


 敏は嘆息した。

 国の為になるかと思い拾ってみたは良いが、この3年の間、男は無駄飯を喰らい女を味わう以外に何もしていない。


 ――全くもって、余計な拾いものだった。

 無駄に血色のよい弛んだ頬を揺らしながらにやにやと薄ら笑いを浮かべる男を、敏は過去の己を恨みながら睨み付けた。



 ★★★



 報告を受ける那国王・敏の隣で、男は、其の様子を暗い瞳でじっと見据え続けた。

 しかし王も草も、その瞳の穂の暗く奇しい輝きを気にする様子はない。

 男の方でも無視される事に慣れているのだろう、別段気にする風でもなく王への奏上をまるで己が受け取っているかのような尊大な態度のまま、視線を固定している。


 やがて一通りの報告が済むと、草はこうべを下げて音も無く姿を消した。

 深い溜息を吐く那国王・敏の背後では、明白に挑発気味の嘲笑いが起こる。

 首を巡らせる事なく、眼球のみをぎょろりと動かして敏は笑いの主を肩越しに睨み付けた。おっとっと、と殊更に道化めいて手を挙げつつも、男はくつくつとした笑い声を止めようとしない。


 嘲りの色が一段深くなった笑い声に、那国王・敏は気色を変えることなくゆっくりろ黒目のみを動かして視線を固定する。

 くつくつとした笑い声に、かちかち、にちゃにちゃ、と異様な音が被って混じり出したのだ。男は、爪を噛んでいたのである。

 敏は音に視線を向けた。

 およそ高貴な身分の者とは思われない、幼稚で下賤な振舞いだ。しかし男は、敏の蔑みというよりはいっそ哀れんでいる視線に気が付かないのか、にちゃにちゃと厭らしい音をたてて爪を噛んでいる。甘噛みというよりは、まるで其のまま、指ごと喰らうつもりであるかのような異様な執着をみせて、男は爪を噛んでいる。

 

 やっと、敏の座った視線に気が付いた男は、何処か罰が悪そうに笑いすてた。

「那国王陛下。このまま、契国との同盟が上手く行く事をお祈り致しておりますぞ」

 にやにやと笑い爪を噛み続ける男を、敏はいっそ憐憫の情を抱いたのだが、そうか、とのみ答えておいた。今はこの男を上手く利用し、そして何とかこの那国から放逐して手を引く事を考えねばならない。此のまま飼い続け無駄に関わり、悪戯に自尊心を擽って満足させてやる暇はもうない。

 とは言うものの、捨てるにしてもあくまでも、男に気が付かせぬようにせねばならない。

 自分の夢想が、天帝の意として世に現れるのだと信じさせ、自ら国を出るように仕向けねばならない。


 ――貴様などと此の那国を天秤に掛けられるものか、糞めが。

 腹の奥底で毒付きながらも、敏は見る者に安堵感を与え、そして頼られると思わせるに足るゆったりとした笑みを浮かべた。その程度の演技すら男は見破れないと、敏はこの3年の生活で見抜いているし、笑み一つで勘違いさせて男を追い出せるのであれば、安いものだ。


「其方はどう見ておる。この中華平原に冷夏が訪れ、飢饉の嵐が吹き荒れると思うか? 平原一の国の王族として、忌憚のない意見を聞きたいものだが――皇子・乱殿」

 中華平原か、と乱と呼ばれた男は揶揄するように口角を持ち上げて、へっ、と短く笑い捨てる。

「あの御大層で御立派な我が異腹弟君が、自らの璽を入れてしかも早馬で知らせてきたのであれば、必ずそうなるのであろうよ」

 けっけけけ、と蟇が啼く様に男は嗤って真面に取り合わない。

 敏は相手に何かを期待した自分が馬鹿であったかと隠れて嘆息し、そして草たちの奏上を口内で反芻した。


 草たちが齎した一報。

 河国王城に、祭国郡王の名の親書が早馬が届けられた――


 曰く。

 この夏は気温が上がらず冷夏になる。

 河国は南方に位置する故、被害は然程ではないかもしれないが飢饉に備えられたし。



 ★★★



 何度も何度も呟いた敏は、草たちが消えた戸口から微かに風が入り込んでいるのに気が付いた。ひゅぅ、と木枯らしに似た刃のような風の音が耳を打つ。

 敏に祭国からの使者の到来を告げた草たちは、領民の中でも最下層の地位にある遼国の民に姿を窶して、もう何世代も前から河国に潜入している。

 最下層であるが故に、王城でも奴婢として仕えられる為、彼らは容易に入り込めていたのだ。


 遼国王・灼がさきの王・創の王妃である伽耶かやの鶴の一声により河国王を兼ねるようになった現在では、寧ろ、最下層民の生活向上の為に仕事を与える名目で、更に多くの賤民層が城に出入りするようになっていた。その為、河国においての草たちの諜報活動はより容易いものとなっている。

 しかし己の根幹が那国であると代々伝えておらねば、彼らは自分たちを河国に生口として扱われる遼国の民であると疑いもしなかったであろう。

 

 それこそが、那国の狙いだった。

 那国は基本的に農耕と紅河こうが力河りょくがの二大大河にて行われる漁業にて成り立っている国だ。

 平原に列挙する国の中でもそこそこに歴史は古いが、農耕民族の宿命故か、他国からの侵略には弱かった。

 十万に迫る大軍を揃えて運用しきるだけの財力を持つ禍国や、万の剣を次々に生産してみせる技術を持つ河国のような国力が、那国にはなかったのである。

 農業が盛んな為、人の頭数だけはある。

 一見して軍の備えは万端のように見えるが、那国には禍国のような良質の騎馬を揃えられず、また河国のような剣や鉾盾を生産出来ない。人数に頼った人海作戦の力押ししか出来ず、それが蹴破られれば両手を挙げるしかないのである。


 そんな那国が何とか領土を安堵し続けて来られたのは、歴代の国王が特別に優れていたからではない。

 力河りょくが紅河こうがという二大大河の濁流が巨大な外堀となっており迂闊に攻め入られぬ事を最大限に利用した上で、外交面では正面の河国ではなくより平原の中央に位置する禍国を盟主として選びとり、只管ひたすらに腰を低くへつらい続けたからだ。

 列強の王者が、那国を生かし続けたのにはもう一つ理由がある。

 其れは、那国が海上においては王者であったからだ。



 ★★★



 那国以南にある羅紗埡ラシャーヌ国とは、古くから国交を開いて貿易をしているが、陸路より大量に荷の取引が可能な水路を選んでいる。南方の珍しい果実やさしはの元となる特別に羽の美しい鳥、香木などの引き合いがある。

 もう一つ、陽国とも交易が盛んであった。入手の引き合いがあるのは、質の良い珊瑚や真珠や翡翠、呪術式には欠かせぬ麻布や王族には眩しい絹などといった宝物類の類だ。

大量の荷を携えた巨船を、まるで独楽のように操ることが可能な那国でしか成し得ぬ術だ。


 喩え契国が造船の技術に長けていようとも、河川の上でなら兎も角、船底一枚下は水地獄が渦を巻く海上で船を操る技術はない。

 この交易力、というよりも航海力を欲した禍国と利害が一致したが故に、二国間の同盟は途中幾度も自然消滅しかけては、いつの間にか復活を遂げ、結果、那国を此処まで生き長らえ続けてきた。


 細い糸で括られたような関係性を、那国王が見逃す事なく巧みに操り続けられたのは、偏に、河国内に仕込まれた『那国村』とも言うべき存在から齎される、蚊の飛翔音よりも小さな一報だったのである。

 他国を侵食するだけの武力を持たないからこそ、那国王は侵略される場合に備え続けた。

 特に、肥沃な農土を虎視眈々と狙い、常に羽音を響かせ飛び回る蠅のような河国を追うのには苦心し続けた。

 自国では到底賄えない戦力を、謙る事で禍国に肩代わりさせ続けた。

 禍国に媚びるを卑怯と見做さず、寧ろ繰り人形としてやれと影で北叟笑む強い気持ちの持ちようこそが、那国王の骨頂であるかも知れない。


 そしてこの那国と河国の諍いの結末は、河国は皇子・戰と遼国王・灼により攻め滅ぼされて終止符を打った。

 ところをみると、最初に禍国と同盟すると決心した王一人と、腹に据え兼ねる事があろうとも遺訓を違えず連綿と伝え続けた王がみな、それぞれに功労ありと言えるだろう。



 ★★★



 10年以上前の那国と河国との戦の停戦条約を結んだ折に交わされた、那国王妃・緋南ひな異腹妹いもうと姫・伽耶かやと河国王・創との婚儀を契機に、那国王・敏は影の功労者とも言うべき存在であるこの『那国村』の住人たちを、正式に『草』として蘇らせた。

 両国の間の和睦と友好の証と言えば聞こえは良いのだが、この婚姻ははっきりと政治的な意味しか持たない。

 もっともこの時代の諸侯豪族王族皇族たちが、婚姻に自由に愛を交わしあった末に結ばれるな稀有な事だ。戰と椿姫のような夫婦の方が、希少な存在、というよりも奇跡なのである。

 ともあれ、那国王・敏は王家同士が縁者となったこの機会を逃さず、河国内の監視を強める策に出た。

 那国の草たちは河国の中で遼国民として土地に根ざして生きており、振舞いは心得ている。誰も疑念の目を持たなかった。特に那国と河国南部と遼国の一部は風習もに通っており、人の見目の特徴も然したる差がない。


 草たちに定期的な報告を課した敏であるが、家臣たちとの軋轢を産んだのは誤算だった。

 那国に根幹を持つと云えども、草たちは『那国村』で代を重ねて生きすぎたのだ。家臣たちには、『那国村』に生きる彼らは最早、那国の民ではないとされていたのだ。生来が祖国に戻ったとしても、最下層に生きるうからとしかなれぬ彼らだったから、余計である。

 しかし、家臣たちの抵抗をものともせず、敏は草たちを王宮に入れた。


 国家と国王の勅命を得て、那国の民としての根幹と戸籍を消して他国の人間になる事を強いられた彼らにとって、本国の人間として扱われ、且つ国王との対面を果たして王直々に認められ命令を下されるなど、末代までの誉であり偉業と言える。

 結果、彼らはますます命を賭しての細作活動に身を入れるようになり、極少数の事実を知る者も不承不承ながらも利用価値を認めざるを得なくなった。そして、敏の王としての手腕にも平伏し、改めて刮目して見るようになったのである。


 ただ顔を晒して一声掛けてやるだけで、彼らは勝手に感動して発奮し、自ら進んで危険を冒して河国内の内情を探ってくれる。

 敏としてはただ、歴代の王を倣い彼らの心理を巧妙に啄いたに過ぎないのだが、此れが思いの外功を奏したと言える。

 ――人とは、かくも矜持を満たされれば、無報酬であっても構わぬと徒労を買って出て勝手に走るものなのだな。


 敏としても言葉一つで数多の報が易々と手に入るのだから、一芝居うつなど安いものだ。

 よしんば草たちの存在が河国に知られたとしても、簡単に見捨てて捨てられる最下層の輩だ。


 那国にとって、いや敏にとって、彼らは最早、根幹に縋るだけの胡乱げな余所者に過ぎない。

 那国の民ではないのだから、敏にも国にとっても失くした処で痛くも痒くもない。

 猟犬が主人に餌を運んで来るのは当然の事であり、操りやすく次に繋げる為に褒めてやるだけだ。


 餌代が無駄だと判断できるほど、怪我をしたり年老いて役立たずになれば捨てればいい。

 代わりは幾らでも用意できるし、影に潜む民などはその為に溝に金を捨てるようなものと分かっていても、ただ1日利用できればよいとして飼っているのだから。



 ★★★



 思いを馳せ巡らせている敏の横で、乱は未だに爪を噛んでいた。

 態とらしくにちゃにちゃと音をたてて神経を逆撫でしてくるが、敏は小僧が、と取り合わない。

 此の程度で顳の血管を浮き上がらせていたのでは一国の王など務まらない、と気が付けない皇子、いや今は廃皇子である乱を、敏は心底憐れんでいた。


 3年前の政変の後、皇子としての地位を剥奪された乱は国境に送られたのだが、那国王・敏に彼の存在を知らせたのも『那国村』の草たちだ。

 草たちがいち早く知らせに来なければ、敏は禍国内での政変を知らずに過ごしていたかも知れなかった。

 紅河こうが力河りょくがの二大大河の外堀は、自国を守ってくれると当時に、中華平原に在る国でありながらも那国を『外夷の国』と諸国の王から格下に見做す要因でもあった。

 つまり、情報の電波が大幅に遅れるのだ。『外夷の国』の国として平原で知られるのは、海を隔てた陽国と南方の羅紗埡ラシャーヌ国であるが、那国は地図の上では平原の民とされながらも他国の目には『夷狄』であると一括りにされていたのだ。

 海を遠く隔てており風習も文化も遠く及ばぬ陽国や、未開の土地にある蛮夷である羅紗埡国などなら外夷とされても仕方が無い、当然だろう、と敏でなくとも思うだろう。だが禍国は、那国もさして変わり無い、処か同等であろう、と蔑視を込めた視線を向け続けた。


 都合よく禍国を利用しながらも、此の一線だけは許せなかった。

 搾取される立場であるが故に、彼らをして第一に認めさせたいという心理なのだろう。

 中華平原の一国として認めさせる為にも、名を馳せさせたいという王の願いは、何時しか那国全体の悲願となっていた。

 廃皇子・乱はそんな折に突然姿を現したのだ。


 草に乱の存在を知らされた時、敏は密かに彼を保護した。

 此れは賭けだった。

 領土こそ広いが他国に舐められ続けてきた那国が、平原にありと他国に覚えさせる飛躍を遂げんと、敏が思い描いてからの賭けだった。

 那国を強国として周知させ、同等の扱いをさせるための、敏まで数代続く王の悲願を達成させる為の賭けだった。


 ――那国を大きく飛躍させる為に、廃皇子・乱を担ぐ。 

 河国王となった遼国王・灼の治世が固まる前に、廃皇子・乱を保護し、彼を旗印として禍国へ討ってでる。

 そして現皇帝・健を廃し、乱を新皇帝として即位させる。

 恩義を盾にして禍国に那国を認めさせ、内陸部への攻略を行う。


 実際に、禍国の真皇帝となった乱の異腹弟皇子・健は、お世話にも賢帝とは言えぬ俗物の類であった。皇帝・健は、母后である淑妃・合と共に自身の縁者にのみ高位高官の地位を与えて家臣を固め、自らは愉しむ為に国財を消費、いや浪費して止まず、国庫は一気に逼迫し始めている。

 大保・受という人物が、孤軍奮闘の形で辣腕を奮っているからこそ、王城はまだぎりぎりで保っていると草たちは伝えている。


 当初、敏の狙いは上手く行くかのように思えた。

 河上に位置する契国も国王が代替りして国勢が定まらず、その隣国である句国は同じく禍国の廃皇子である天を密かに懐に招き入れた備国に攻め入られて実情は火の車だ。

 必ず上手くいく、と敏は疑っていなかった。


 河国とて、似たようなものの筈だった。

 此れまで国ごと奴婢として蔑み、虐げ、扱き使いおろしてきた遼国に王座ごと掠め取られたのだ。

 河国の民は、高い自尊心を有している。気質からして、遼国王・灼に到底従えまい。この治世は遠からず破綻し、河国は自ら衰弱していくに違いない――と敏は目論み、その機を逃さずに兵を挙げる気で『那国村』の草たちに内情を探らせていた。


 しかし、河国王となった灼の治世は平坦とは言えずとも、良識のあるものであるが故に河国の民に受け入れられていった。

 一つには生口と忌み嫌われた遼国の民が支配者層へと逆転したとはいえ、此れまで恨み辛みを河国の領民に背負わせなかったからだった。河国の民を不必要に虐げる事もなければ、不当な刑罰を与える事もしなかった。

 何しろ、鉄器生産を目標に掲げているのだから、技術を持った人手は幾らあっても足りない。

 不要な怒りを買い、無駄な諍いを起こすなど愚の骨頂と言えた。

 河国の民も、結局の処、此れまで自分たちがしてきた事がそのまま鏡写し的に自分たちに降りかかるのを恐れて身構えていたが、遼国にその気がないと知れれば、自衛の為に振り上げていた拳を下げるに決まっている。

 河国も数世代に渡って遼国を貶めてきたというのに身勝手極まりないと云えるが、遼国王・灼は河国を生き延びさせることこそが真の復讐であると見抜いているからこそ耐えているのだろう。

 

 しかし、敏にとっては大いに目算が外れた形となった。

 河国と遼国双方の国土を合わせれば、領地だけを単純に比べれば禍国に匹敵する強国に成り上がった。此れに彼らが気が付く前に、河国を併呑するつもりでいたのであるが、計算が大きく外れてしまった。

 河国は技術により国力を高めようとしている。


 慌てた敏は、陽国に密かに近付いた。元々、交易を行っていた間なのだから、近付くのは容易だった。

 陽国も、鉄器を生産する。

 彼らの技術力が生み出した鉄器は禍国の軍の質を大きく向上させ、陽国もまたその引き合いの高さから国力を大いに潤した。

 其れに河国はとって変わろうとしている。

 禍国としても、海を隔てての長い航海の果ての取引よりより多く素早く仕入れが可能となる河国と取引をした方が良いに決まっている。

 ――陽国を焚き付けて、河国を攻めさせてやろう。

 此のままでは陽国はじり貧もよい処であり、あっという間に河国に利益を喰われてしまうぞ、と脅しをかければ容易く動く筈だ、と踏んだのだ。


 しかし敏の目算は又しても外れた。

 陽国王・來世こよは、何と遼国王・灼と懇意にし始めたのである。

 独特の呪を崇める遼国であるが、陽国も巫蠱を尊しとする国柄であった為、咒いに関する様々な部分で意気投合してしまったのだ。また、敏の目算を外す要因の一つとして、同じ鉄器でも引き合いの度が遼国の其れと陽国の其れとでは質が違っていたのもあった。


 陽国は基本的に、個人に適した一品を仕上げるに長けている職人集団だ。

 此れまで、ぎりぎりの量産体制を敷いて禍国からの要望に応じてきたのだが、限界に達していた。其処に、一般兵への受領を目的とした量産品を産する河国の登場は、渡りに船だったのである。

 量産品を河国が請け負うとなれば、陽国はより逸品を生み出す為の職人技を高められ、交易の手が止まることはなく寧ろ上がるだろう。

 河国は量産体制を整えられれば、多売により利益をあげられ、安定供給が確実となればその利潤は途切れない。

 つまり、彼らの技術力は敵対するものではなく、逆に互いの利益の為には協力し合うべきであるとして、切磋琢磨し合う間柄となったのだ。


 

 敏は頭を抱えた。

 何とかして、河国と陽国の間を裂かねばならない。

 

 其処に此の、冷夏による飢饉が訪れる、という一報は齎された。


 ――さて、どうしてくれような。

 敏は、まだにちゃにちゃと爪を噛んでいる廃皇子・乱を密かに睨んだ。



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