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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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16 燃える山河 その5-2

16 燃える山河 その5-2



 一夜が明けた。

 闘の天幕に、改めて斬が呼ばれる。

 居並ぶ幕閣たちの目の前で、闘は国王として、王弟・斬の勝利を誉め称えた。


「2百の兵のみと臆することなく敵に立ち向かい、刺し違えるを恐れず撃破するは容易い。だが斬は、兵馬を失う事なく我が命を見事に成し遂げて帰った。策の用い処を過たず、且つ成功せしめるのも将としての力量あってこそ。此れこそ活眼すべき事だ」

 闘が言葉を区切ると、天幕内に臨席している幕臣たちが一斉にこうべを垂れ礼を捧げて同意を示す。満足気に頷きながら闘は立ち上がり、纏っていた長衣を脱いだ。そして跪く斬に向かって放ってみせる。目を見張りながらも両腕を伸ばして長衣を受け取る斬の慌てふためき様に、闘が笑った。


「此度の勝利をもって斬を万騎長に一名に任命し、我が幕臣の一員として末席に連なる事を許す。皆、覚えおけ」

「……へ、陛下……!」

 闘本人に此れ程の言葉を掛けて貰えるなどと想像していなかったのだろう、斬は感動のあまり長衣を抱きしめ、殆ど泣き面となっていた。礼拝を捧げぬ非礼すら忘れ感激に身を焦がして涙で頬を潤し続ける斬の純真さは、闘にとっても心地よいものだ。椅子に腰掛け直しつつ、斬の泣き顔を愉しそうに眺めていた闘だったが、不意に、居並ぶ幕臣たちの頂点に座する烈へと視線を落とした。

「烈」

「――はい、あ……陛下」

「改めて、烈が開いた郡府領は本人に委ねるものとする。また、斬にも報償として燕国王弟・界燕の首をとりし城と領を与えるものとする」


 烈も、震えながら闘に最礼拝を捧げる。

 殆どが兄弟で占められている闘の幕臣たちが、一斉に戦勝祝の言祝を述べた。

 彼ら幕臣たちの間には、全く歯牙にも掛けていなかった小僧の域にある斬によもや此処までの戦果を挙げられ、兄王からの寵愛を確かなものにされてしまった、という嫉妬が溢れている。

 が、闘は妬みや嫉みといった類いを兎に角嫌う。自身が愚兄たちの其れにより、不当に頭を押さえつけられてきたせいもあるのだが、闘の場合は嫌うというよりも嫌悪や憎悪に近かった。

 羨慕に身を焦がすだけなら良いが、未来まで焼けてしまっては元も子もない。

 其れに成果を上げれば闘は必ず報いて呉れるのだ。

 愛情を得たければ態度で、即ち己の能力で示せばよい、と云うのが彼ら闘に心酔する異腹兄弟の一致した見方であった――

 ただ一人の例外を除いては。


 その、一人の例外である人物である烈の怒りの熱波を遠くから眺めながら末席に居る真は、どうにも居心地が悪かった。もぞもぞとひっきりなしに身体を揺すり、所在の無さを主張してみせているのだが、闘は意に介していない。

 ――寧ろ、楽しんでいらっしゃいますよね。

 やれやれ、と真は肩を竦める。闘の不敵な笑みがいつの間にか此方に向いているが、其れを感じ取っている烈が歯軋りを隠しながら眦を裂いて平伏しているのだと思うと、苦笑を通り越して回れ右をして部屋で寝たい、という欲求が頭をもたげてくる。ぼりぼりと無造作にうなじを引っ掻きながら、もう一度肩を竦めた。


 ――全く……とっとと逃げ出す算段をするに限りますね。

 何時までもこんな場に縛られるなど、私は真平御免ですよ。


 此れが真の正直な心情だった。



 ★★★



「真よ」

 闘が腕を伸ばして真を招いた。

 幕臣たちの視線が矢のように一斉に突き刺さるのを感じながら、真は平伏する。


「はい、陛下」

「其方にも褒美を取らせようと思う」

「陛下。生憎と私は、御恩を欲するが故に陛下に奉公を捧げる忠臣でもなければ、慈悲を掛けねばならぬ哀れな領民の一人いちにんでもありません。ですので遠慮致します」

 真の言い様に、ほう? と闘は興味を隠そうともせず、前のめり気味に身を乗り出す。


「当初の約定のみ守って下されれば、他に何も望みません」

「何も要らぬと言うのか、欲の無い事だな」

 ふっ、と短く笑いながら、闘は腕を振るう。

「だが真よ。貴様が其れで良くとも、王である私の矜持が許せぬ。何も欲する物がないというのであれば此方が勝手に何か見繕い、贈って寄越そう」

「正直、迷惑千万なだけですので結構です。私に眼と手をお掛けになられる位ならば、何卒、御国領内の変異をお見逃しになられませぬよう、と申し上げておきます」


 頑なな態度を崩さぬ真を、闘は何処までも面白そうな目付きで見る。

 相手国の国王に此処まで云わしめたのだ。外交上の交渉を円滑さを思えば、幾ら何でも此処らで折れるのが常套だろう。しかし真は相手が誰であろうとも、自分を変節する事はない。

「国元で何かあるのか?」

 はい、大有りでして、と真は笑いながら肩を上下させる。


「我がさいの怒りの鉄拳が怖いのです」

「――何?」

「いえ何しろ、其れでなくとも私物を増やしすぎだと、常にさいに睨まれておりまして。此れ以上、なんの役に立つのか訳も分からぬ荷物を増やして帰国などしたら、何と言われるやら。さい神成かみなり様が恐ろし過ぎますので、陛下からの贈物に手を伸ばすなど到底出来ません」


 そうか、と闘が豪快に笑う中、真に向かって視線の槍が幾本も突き立てられた。

 剛国の民にとって、闘という存在は絶対だ。

 そう、絶対不可侵であり闘を見る目は偶像崇拝に近しく、彼に恭敬しきっている。

 平原の民が天帝に抱く盲目的な信心に近い。文字通り闘神に近い戦いぶりを見せる闘を、自分たち愚かな民に道を示す存在である闘を、黄金の毛並みを旭の如くにかがやかせ導く闘を、信じている。

 特に烈のような若者に顕著だった。

 年老いた重臣たちは若き猛き王をただ頼もしく思うに留まっているが、若者たちにとって闘は生き伝説に近い。


 その闘の言葉を受け取らぬなど、不敬の極み。

 しかも言うに事欠いて、己のさいに叱られるのが怖いから受け取れぬなどと、そんな理由など聞いた事もない!


 ――許すまじ!

 脳天から真っ二つに裂かれても当然だ、とばかりに烈が剣の柄に手を掛けて抜刀する機会を伺っている。

 抑圧された殺気は、一度解き放たれれば周囲の者をも引き摺り込む。

 他の兄弟たちも瞬時に烈に習った。

 ただ一人、斬のみが眉を寄せて腕をあげる事なく姿勢を正し、闘と真、そして烈を交互に見詰めている。


 ふ、と口角を持ち上げて闘はそんな血気盛んな異腹弟たちを一瞥した。

「止めよ烈。真を斬れば祭国のみならず、周辺諸国にも、この剛国を攻める糸口を与える事になるぞ」

 う、と烈をはじめ、殺気一色に染まった兄弟たちは息を止める。

 言われてみれば、闘の指摘は至極当然であった。此の男は祭国郡王の正式な使者の立場なのだ。

 祭国郡王・戰は禍国皇帝の異腹弟おとうとであり、なれば皇帝・建はこの機会を勿怪の幸いとばかりに開戦の口実に利用するだろう。当然、同盟国である句国、契国、河国も、禍国皇帝の命にというよりは郡王・戰の為に足並みを揃えるであろうし、幾ら休戦同盟を申し込んだとしても、露国と東燕は国益を天秤に掛けた場合、何方を選ぶかなど火を見るよりも明らかだ。


 欠伸を堪えているような、目蓋が降りた奇妙な目付きで突っ立っている真に、どうだ、と闘は自慢げに笑いかける。

「どうだ、真。身体を張った大それた策であったようだが、私の前では不発に終わったようだぞ」

「別に其れが目的であった訳ではないのですが、成程、此れは此れでなかなか良い策かもしれませんね」

 別の機会に別の国で試させて頂きます、と腰を折る真に、好きにしろ、と闘は不敵に笑う。

 そして、烈に顎をしゃくるように視線を向ける。


「烈」

「はい、兄上」

「我が眼前で結びし真との約定、よもや忘れたとは言わせん」

 解るな? とぎろりと睨みを効かせる闘に、烈は条件反射的に平伏する。

「……はい、兄上」

「では、真に言わねばならぬ事を今のうちに言っておくがよい。引き延ばせば延ばす程、お前の気性では違えたままとなろう」

「……はい、兄上」

 軽く舌打ちし、烈は真を一睨みした後に改めて闘に向き直った。


「祭国郡王が御使である……の言葉を、陛下におかれましては、如何様に為されるおつもりであられますか」

「さて、どうしたものかと思ってはいる。郡王の言は荒唐無稽と一笑に付す類いだと言われればそうだとも言えるが、目と耳を伏せ領民に伝えずにおいた後、事が正しければ我らは無能の烙印を押されよう。違うか、烈」

「はい、陛下。その場合おいて、汚名を雪ぐには残りの陛下の治世を全てお賭けになられねばならないでしょう。例え郡王の指摘が外れたとしても、その備えは其のまま軍備へと廻せば良いだけの事です。何卒、御一考の為されるよう、臣・烈、此処に奏上致します」

 ――そうか、と闘は破顔した。


「其方がそうまで言葉を添えるのであれば、我としても捨て置く訳にはいかぬ。御使者よ、其方の主人あるじたる郡王の言、この後の朝議にかけるとしよう」

 忌々しさを隠しもせずに、然し引き下がり頭を下げるなど恥として頑として胸を張り続けている烈を、闘は肘掛に片肘をついた姿勢で笑って見ている。

 下手をすれば国益を損じかねない烈の頑なさではあるが、此処まで一途に盲信されるのは王としても漢としても、兄としても、悪い気はしない。


 烈を押さえ込んだ闘は、真に流し目を呉れた。

 当の真は、というと相変わらず惚けた表情で、ぼりぼりと音を立ててうなじあたりを掻いていた。



 ★★★



「――……ふぅ……」

 やっと解放された真は、用意された布団の上に沓も脱がずにうつ伏せに倒れ込んだ。

 土臭い細かな埃が舞う。鼻の奥がむず痒くなり、くしゃみが連続して出そうになったが何とか堪えた。


 ごろり、と寝返りをうって上向きになる。

 天井に代わって、分厚い縮絨しゅくじゅう布がたゆたっている。

 まるで深い水底に放り込まれたような気分になり、真は目を閉じた。

 ごそごそと懐を探り、小さな布の包みを取り出しす。

 丁寧に開くと、中から折りたたまれた書が現れた。

 5年前、薔姫が書いてくれたものだ。手にとって眺めようとしたのだが、指先からするりと逃れた書は舞い、真の顔を隠す様に乗った。くん、と仔犬のように鼻をひくつかせてみれば、まだ微かに墨の臭いが残っているような気がしてくる。

 気分を落ち着かせようと深く深呼吸をし、目を閉じる。


 だが、訪れた暗闇の中で浮かび上がるのは、ぎらぎらとした闘の熱意ばかりだ。

 何としてでも『剛国王に仕える』という一言を言わせようとしているのが、ひしひしと伝わってきて遣りきれない。

 ――どうにも……闘陛下の押しの強さには参りますね……。

 彼が執拗に自分を欲しているのは真も感じている。

 が、正直、はっきりと大迷惑でしかない。

 と言うよりも、自分の何の何処がそんなに気に入ったのか、全く理解出来ない。

 祭国で初めて顔を会わせた時の事を思い出してみても、口先三寸で闘を挫いてみせた自分を気に入る要素など何も無いではないか。


 ――他のご兄弟には見られない私の性質が、何か途轍もなく良さげというか面白そうに見えている、程度の事なのでしょうけれどね……。

 剛国の気質や風習の中では、自分という存在は異質に過ぎる。

 迎え入れた処で、自分は家臣としている闘の異腹兄弟たちには、刺や茨にしか見えないだろう。

 要らぬ諍いの種を自ら巻いてせっせと水をやる愚よりも、此れまで手塩に掛けて育て上げてきた生粋の幕臣たちの結束を更に高める方向へと意欲を持って行く方が遥かに建設的ではないかと思うし、闘の本質はそういう人物である筈だ。


 ――早く目を覚まして下さらないと、遣りにくくて適いませんよ、全く……。

 帰国までの間に、取り付けた約定通りに闘が施政の方向転換を行ってくれるのかどうかを確かめておきたかったが、どうも無理そうだった。

 ――まあ、いざとなれば遁走するに限ります。

 事によれば、真は本気で逃げ出すつもりでいた。

 別に逃げ出した処で何らの恥になる訳ではない。

 逆に王弟・烈などは諸手を挙げて喜ぶに決まっている。

「……あれ? 其の方が丸く収まりませんかね、此れは……?」


 そう考えると、今直ぐにでも荷物を纏めようかという極端に走りかけている自分に気がつき、ふう、と苦笑いが出る。

 祭国を出てからというもの、どうにも考え方が煮詰まり易くなっているのを感じていた。

 気が抜けないのであるから仕方がないが、気持ちが安定しない、と自分でも薄々感じている。

 とどのつまり、普段なら胃袋が温まって落ち着けば気持ちも落ち着くというのに、剛国は食べ物が違い過ぎて苛々している真なのであった。



 ★★★



 両手を広げて大の字になり書から透けてくる光を仄かに感じながら、美味しいおやつがたべたいですねえ、とぼんやり呟いていると、音も無く人の気配が傍に寄ってきた。

 芙だ。


「どうしました?」

「連絡が入りました」

 誰、と言わないのは今の自分たちには四方八方から目と耳が張り付いていると芙が用心しているからだが、真は顔に書を乗せたまま、ひらひらと手を振った。


「別に隠す必要はないですよ、克殿からでしょう?」

 はあ、と寄り目になって呆れつつ芙は真の傍に寄った。

 懐から小さな竹簡を差し出し出してきた。微かに土臭いのは、泥で封印してあったからだろう。受け取りながら、短い一文に素早く目を通す。


「どうやら克殿は、句国王陛下との交渉は成功したようですね」

 ほっとした面持ちになった真に、芙も微かに微笑んだ。

 句国王となった玖と大将軍として句国全軍を指揮下に収めるまでになった姜は、あの戦以来、国を挙げて親睦を深めてくれている。

 良い意味で王族としての真っ直ぐな貴人根性がある玖は、己の恥を漱ぐ事にこそ矜持を見出す。

 禍国に負けたのではなく、祭国郡王・戰に負けたのであれば、彼とよしみを通じて国を生きながらえさせるを恥とは思わない。一見簡単なようでいて、実は生半可な気持ちで出来ない。が、玖はそれを自然と熟す度量の深さがあった。


「ただ、玖陛下は備国がどう出るかを憂いておられるようですね――当然のお考えですが」

 こん山脈を西に抜けた毛烏素むうす平原に備国は領土を構えている。

 この地は、年間を通じて雨量に乏しく空気が乾燥して樹木が育ち難い。また、寒暖の差が激しく、土地の高低差からも耕作適用地は限られてくる。

 基本的に山脈以東である平原とも気候が大きく異なり過ぎる。此度の冷害の被害は、こん山脈以西の国はあまり影響が出ないのでは、と真は見ている。ただし、米や麦を安定して供給する為の山脈以東の土地を、闘陛に奪われている。


「此れ幸いとばかりに備国より攻められまいか、と玖陛下が心配されておられるのですか?」

 竹簡を受け取り文書を自ら確かめつつ、芙は真の表情を探る。視線が合うと、真は悪戯っぽく肩を竦めてみせた。

 備国もやがて、山脈以東の冷害による影響を受けるだろう。先ずは、米や麦などの購入で其れが現れてくる。土地が離れている分一気に喰らうのではなく、短調に拳を腹に当てられ続けるうち青痣が出来てしまうように、じわりじわりと国庫に効いて来るに違いない。


 つまり、此のままで居ては備国もじり貧になる。

 国内の動揺を抑え人心を安堵するのに最もてっとり早いのは、矢張、腹を満たしてやるに限る。

 飢えさせぬ為にも、備国は気質的にも手っ取り早い方法を採用するだろう。

 句国と、そして禍国に対しても本腰を入れて攻めて来るに違いない。


「玖陛下が危惧されておられるのは、闘陛下憎しを隠そうともしておられぬ備国王から本格的に攻め入られた場合、禍国はどう出るつもりなのか、の一点でしょうね」

 現在備国には、禍国の嘗ての王太子・天が賓客として匿われているのは各国が共有している事実の一つだ。

 禍国が天災により国力を弱めたと知れば、天の正統性を主張して軍を押したてて来る可能性は大いにある。

 この場合、禍国の現皇帝・建は備国の主張を退ける為にも軍を率いて打ち破るのが当然であるのだが。


 ――果たしてそうそう上手くいくものでしょうか。

 真は危ぶんでいる。

 どう考えても皇帝・建は、受に問題を丸投げしてそっぽを向く図式しか思い浮かばない。

 そして受は、今、大保と言う地位だけでなく大司馬という地位も有している。そう。此れまでと違い、兵部尚書であり宰相の地位にあった真の父親・優が軍を一手に率いているのではない。

 大保こそが、禍国の軍部の最高司令なのだ。


 御代も代帝・安から建へと移ろい、真が有していた『兵部尚書を自由に使う権利』も白紙、反故の状態だ。

 玖としては、郡王・戰の協力は得られると信じてはいる。

 が、正直な話、用意できる軍備の格差を思えば此処はやはり、禍国に出張って欲しい処だろう。

 然し乍ら受が、句国と同盟し進軍してくる備国を迎え撃つ、とはなかなか考え難い。

 寧ろ、此れを機会に句国王を徹底的に追い詰め、戰に軍旗を振らせて救援に駆けつけさせ、禍国の真実の帝王たるは何者であるかを天下に知らせようと目論見そうだ。


 芙も真の言わんとする処を察したのだろう、眉寄せている。

「どうなさるおつもりですか?」

「まあ、備国王の出方を待つしかないですよね。句国の泣き所は玖陛下が一番ご存知な訳ですし、私たちも陛下の御采配を待ちましょう」

 此方から無駄に仕掛けるのも阿呆な事ですしね、と大欠伸をしつつ伸びをした真は、また、ごろんと大の字に寝転んだ。


 芙は苦笑を零して静かに立ち上がった。

 そろそろ、薬湯を飲まねばならない時刻だった。



 ★★★



 どうやら寝転がった途端に、またしてもうとうととし始めていたらしい。

 軽く目を閉じるだけのつもりであったのが、どうにもこうにも目蓋が重くてその甘美な姿勢から逃れられなかったのだ。


 だが、肩に手を当てられて揺さぶられ、睡魔は霧が晴れるように消え失せ神経が覚醒する。

 一瞬、薬湯を作りに部屋を下がった芙が戻って来たのかと思ったのだが、それにしては湯気に乗って漂う、あの本気で人の鼻を捥ぎにかかってきているとしか思えない極悪凶猛な臭気がしない。

 まだ、遠慮がちに肩が揺さぶられている。


「もし……あの……もし」

 しかもなんと、相手は女人ではないか。

 恐る恐る、真は目蓋を薄く開けてみた。

 ――照殿?

 誰かが部屋に入ってきはしないかと気にしているのだろう、額に微かに浮かぶ汗には焦りが滲んでいる。

 とは言うものの、今此処にこうして忍んで訪ねて来ているのであるから、真が薬湯を常時手放せない身体であり、且つ芙たちが其の世話で座を外すと彼女は知っていたというか目算をつけていた事になる。


 ――成程、それで芙はまだ戻っていないのですね。

 芙や彼の仲間たちから、王弟・烈の正妃である瑛姫付きの宮女・照が此の間から真の身辺でうろうろ(・・・・)と様子を伺おうとしていた、と聞き及んでいる。

 一時とはいえ契国に身を置いた時、彼女も彼女の主人あるじである瑛姫も、戰に恋心を抱いたのではと真も芙も勘付いている。

 照なりの瑛姫への忠義と、そして彼女自身の切ない胸の内の事情から、戰の話を聞き出そうとでもしていたのかもしれない、と真は勝手に想像していた。

 つまり、見張っていたというには語弊があるかもしれないが、照は真と話をする機会をずっと伺い続けて来たのだろう。そう思えば、彼女が主人あるじである瑛姫の名を語ってまでして菓子を差し入れて来たのも頷ける。


 しかし、まるで夜這い宜しく部屋に忍んで来るとはまでは思ってもみなかった。

 ――其れはまあ、戰様は好漢いろおとこですけれども。

 妃を迎え子を授かっているから、とすっかり気を抜いていた。

 男としての色気に勝る者が、女人を数多引き寄せるのは古今の東西に例に漏れないではないか。

 とはいえ、男女の愁嘆場に巻き込まれる事に関しては、父親と正室・たえの其れだけで充分だと思っている真は、やれやれですねえ、と心の内で深く嘆息してみせた。


「……あの、もし……あのぅ……」

 声を潜めつつ真を揺すり続ける照の必死の表情に、真は観念して目を開けた。

 視線が合うと、照は静かに三歩分、身を引いた。

 ふう、と小さく息を吐き出すと真はよっこらせ、という掛け声と共に肘を使って上体を起こす。手を伸ばして支えようとする照に、真は笑顔で軽く首を左右に振った。


「照殿、でしたね。こんな時間に御一人で、しかも敵とも味方ともつかぬ国の使者の元に、王弟妃付の宮女である身の貴女が何用ですか?」

 態と手厳しい物言いをしながら起き上がった真に、照は丁寧に膝を折って跪いた。

「御使者様の身を危うくする無礼な行いである、と重々承知の上に御座います。然し乍ら、非礼を犯さねば進退窮まる此の小娘を哀れと思し召して、話だけでも聞いて下さりませ」

 床の上に揃えた手の影が震えている。 

 暫くの間、じっと彼女の項を見据えていた真だったが、溜息と共に表を上げて下さい、と照に声を掛けた。


 岩のように固くなっていた照だったが、真の一言にほっと胸を撫で下ろし愁眉を開いた。

 それこそ彼女の言い方ではないが、憐れな程に胸のつかえが取れたとばかりに緊張感から開放された気の緩みを見せられると、逆に真は彼女がどんな話があって此処に忍んで来たのかと逆に心配になった。


 ――まさか、とは思いたいですが……。

 ふと胸に浮かんだ疑念が眉に動きとして出てしまったのを、照は見逃さなかった。

「御使者様。斯様な申し出をするなど、恥じ入る以外にありません。ですが、わたくし一人の恥と引き換えでよいと申されるのでしたら、何卒祭国郡王陛下にお託けを。我が父が過ちを犯さぬよう、陛下にお力添えを……いえ、もう、手遅れかもしれませぬ……その場合は、我が父を」


 声に涙の湿り気を滲ませて、照は額を床に擦り付ける。

「祭国郡王陛下にご協力を賜りたいのです――契国の相国・嵒を討つ為に」



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