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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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16 燃える山河 その3-2

16 燃える山河 その3-2



 剛国の鴻臚寺は、禍国の其れと比べても何ら遜色のない規模のものだった。

 騎馬の民である剛国の建築技術は、禍国は当然、祭国にすら劣っているとの見識であったのだろう、戦車の手綱を取り此処まで走らせて呉れた克の部下たちは、一様に驚きの表情を隠そうともしない。

 竦める様にして足を止めて見入っている彼らに、芙の叱責が飛んだ。

「早く此方に真殿を」

 言われて呆けていた事実に気が付いた従者たちは、真を丸太のように担ぎ上げると、慌てて芙の後に続いた。


 部屋に通された真は、整えられた寝具に飛び込むようにして倒れ込んだ。

 そして其のまま、直ぐに寝息を立て始めた。寝入る、というよりも寧ろ気絶に近い。見守っていた芙たちは、互いの顔を見合せると、やれやれ、と肩を竦めて苦笑いしあった。だが、よくぞ此処まで真の気力が保ったという賛辞からか、和んだ空気が流れてもいた。

「薬湯の用意をして来てくれ」

 芙の命令に、が無言で席をたった。

 克の部下たちも後事を芙たちに託すと、割り当てられた部屋へと下がっていった。幾ら群王の正式な使者であるとはいえ、此処は剛国だ。長らく禍国とは敵対関係にあった国、剛国の王宮なのだ。

 何事か緊急事態が起きた場合、彼らは真を何としても生き延びさせ、且つ祭国まで帰国させるという使命を帯びていた。その為に常に緊張感を伴う警護を強いられており、肉体的にも精神的にも疲労の蓄積は半端なかった。心身の休息を得られる機会は貴重だ。喩え僅かな時間であったとしても無理にでも休まねばならない、そう、休息でさえも使命のうちなのだった。


 皆の姿が消えた処で、掛布団の上で寝ながら気分悪そうに顔を顰めている真の肩を芙は軽く揺すった。吐き気が酷い半病人を揺すって起こすのも酷な話だが、そうでもしないと真は目覚めない。二度、三度、と注意深く様子を伺いながら肩を揺さぶると、やっと数度目で真は、う、と短く呻き、うっすらと目を開けた。

「真殿、お休みの処を無理に起こして申し訳ありません。ですが、口を濯がれた方が吐き気は収まります」

 ……ですね、姫もよくいってましたよ……、と弱々しく苦笑した。

「……では、芙……すみませんが、水を……いただけ、ますか……?」

 魂の篭らない声音は、生まれたての仔羊の鳴声よりもか細い。

 芙は真の余りの腺の細さに一瞬目を細めたが、無言で水差しから椀に澄んだ清水を注ぎ、大きめの椀と共に真の元に戻った。その間に四苦八苦しつつ起き上った真は、よろけつつも椀を受け取ると、丁寧に口を濯いだ。

 其の様が、まるで初めて水浴びを手倣いしている仔雀のようなもたつき具合であるものだから、堪らない。とうとう笑いを堪え切れなくなり、ぷっ、と芙は短く吹き出した。自分の頼りなさを自覚している真は、はあ、と息を吐きつつ人差し指を立てて、ぽりぽりと頬を掻いた。


「勘弁して下さいよ、芙」

「大丈夫です。真殿の情けなさは今に始まった事ではありませんし」

「何処の何が大丈夫なんですか、それは」

「いえ、陛下や姫奥様がたには黙っておきましょう、という事です」

 ですね、お願いしますよ、と情けなく眉を『八』の字型に歪めて真はしょんぼりと肩を落とし、芙は笑い声を偲ばせつつ差し出された椀を受け取った。



 ★★★



 真がくたばった(・・・・・)のには理由がある。

 謁見の後は当然ながら、歓待の宴となった。

 だが、真は闘の威勢を知らしめる饗宴の席にて供された馳走に、全く箸を付けずにいた。

 つけられなかったのだ。

 理由の一つとして、ほぼ肉料理だったからである。基本的に客人には吐くまで喰わせるのが最大の歓待であると信じて疑わない平原の民の習わしだ。酒も飲めぬのであれば食え食え、と迫られた。周囲の者がなんとか横から手を出して平らげ、真自身は粟や稗で出来た団子や餅で誤魔化し誤魔化しで何とか宴を乗り切ってきた。

 だが饗宴もたけなわ(・・・・)となると、騎馬の民の歓待時の最高の誉れと言われる豪快な仔羊の丸焼き料理が饗された。

 此処まで耐えに耐えてきた真であったが、この時ばかりは反射的に湧き上がってくる胃袋の悶絶を止めきれなかった。歓談で抑えつけてきたが嘔吐感だったが、視覚と嗅覚にまで使って迫られて堪え切れるものではない。

 真は、命を狙われた兎もかくや、と言わんばかりの素早さで席を飛び出した。

 一目散に逃げ出した。

 烈を始めとする剛国の重臣たちに嘲り笑われようがなんだろうが、構ってなどいられなかった。いや、胃袋の中のものを、彼らの顔面にぶちまけてやっても良かったか、と多少、というかちらりと意地悪く思いはしたのだが、其れも後になってからの事でありその場ではとても余裕などなかった。


「彼処で酒も無理強いされていたら、流石に我慢の限界を超える処でしたよ」

 ふう、と真は全身をつかって深く嘆息する。芙は残っていた仲間に、受け取った椀を片付けるように命じると、直ぐ枕元に戻った。

「其れで、真殿は、如何なされるおつもりですか?」

芙が傍らに寄るのを待ってから、まあ、もう暫く待ちましょう、と真は声を忍ばせた。

「あちらとしては、どうせこの際、とばかりにまだまだ無理難題をあれやこれやと押しつけて来るに決まってますからね。手の内を全て出させてから、対応策を講じた方が無駄は少ないでしょう」


 もう一度、ふう、と溜息を付いた真は、……ぐぅ、と小さく不平の声を上げた腹に仄かに赤面しつつ手を当てた。

「真殿の腹の虫は黙っておられぬようですね」

 芙が苦笑しつつ手を上げると、同じく笑いながらが湯気の上がる土鍋を盆に乗せてやってきた。柔らかな滋味あふれる米の蕩けた香りに、待ちきれなくなった真は思わず手袋に収めた左手と不自由な右手とを擦り合わせていた。

「鶏のあつものの汁を使った卵と蕪の粥ですね」

「……そうですが……分るのですか?」

「当然です」


 犬並の嗅覚で見事に土鍋の中身を当ててみせた真の前で、蓋が開けられた。

 真の言葉通り、銀杏切りの葉の形に切った蕪が入った粥だった。落とした卵が、黄色のひれのように土鍋の中で棚引いており、とろりとした糊状の輝きが湯気に反射していた。

「姫奥様に言付かって参りました。どうせ真殿は此方の饗の御膳には、けちばかりつけて食べようとしないだろうから先に粥を用意しておけ、と」

「流石、姫ですねえ。我がさいとなって8年の月日は伊達ではないです。私の事は何でもお見通しなのですね」

「蕪は胃腸によいですからね」

 小鉢に匙で取り分けられている間も、真は舌舐めずりを止めようとしない。実に現金なものだ。

 だが、差し出された小鉢の隣に共に供された皿の上の青野菜を見た真は、ハッとして動きを止め、……かぶ……? と小さく呟いた。



 ★★★

 


「芙、聞きしたいのですが」

「はい?」

 匙を手にしたまま粥を睨みつけている真の形相に、芙と蘭はぎょっとした。


「この粥は、芙たちが祭国から持ってきた食材で作って呉れたのですか?」

「いえ、違いますが?」

「薬湯は兎も角として、流石に厨房に入るまでは許されなかったので、こういう粥を作って欲しいという希望だけを膳夫かしわでに伝えておいたのですが?」

 真は小皿を持上げたつつ、小鉢の中の粥を睨む。粥に入れた実の残りを利用したのだろう、小皿の中身は刻まれた蕪の茎の部分だったのである。


「やられましたね」

 ぽつり、と呟き掌で真は目を覆い隠す。芙と蘭は、何が何やらさっぱり分からない、といった寄り目で互いの顔を見合わせあった。

「真殿、何がやられたと?」

「蕪はですね、実は禍国以西には広まっていない蔬菜なのですよ」

 4年前の戦の後、句国は国土を荒らし食糧難に陥る処だった。

 男手を戦に取られた領民たちは租税を納めるだけで必死であり、自分たちの食い扶持にまで回らない。

 しかし、育成が早く育てやすい蔬菜である蕪の種を戰と真が残していったお陰で、何とか冬を凌ぎきり国力を盛り返す事に成功したのだ。

 句国を窮地から救った蔬菜である蕪が、こうして剛国にいる自分立ちに供されている。


「つまり……」

「闘陛下は、我々との戦の後も、ずっと句国に草を残しておられたのでしょうね」

 漸く匙を動かして一掬いし、粥を口に運ぶ。ぱく、と匙を咥えて頬を膨らませ、もごもごと唇を動かした。

「まさか、粥に蕪を忍ばせる事で、陛下は真殿に何を考えているのかを知らせてきた、とでも?」

 訝しむ芙に、ですよ、と真は喉仏を上下させて粥を飲み下すと眉を寄せる。

「其れだけではありません。冷害に強い蔬菜をこうして出してこられるだけでなく、謁見の場で、長期の冷夏を予測させる症例を直様出してこられておられました」

 小皿に盛られた青菜を少し掬い、小鉢に落として混ぜ合わせてから真は口に運ぶ。


「つまり」

「ええ、そうです。闘陛下も御自身の経験から何かがおかしいのだ、ととう(・・)に気が付いておられたのでしょう」

 だから、真の話にも一拍の間を置くことなく耳を貸したのだ。

「ですが冷夏が来る、という可能性を知りつつも戦を仕掛けられたのは、他国が確実に弱体化するこの時節を格好の好機と捉えられたのでしょうし、御自身のお国は其れを乗り越えうる地力ありという勝算が充分にある、との自負があられたのでしょう」

「しかし、剛国も飢饉に倒れぬとは限りません。何時か、可能性を指摘されるかと闘陛下は見ておられた」

「が、以外にも国内ではなく、最も厄介な国である我々祭国が、鬱陶しくも使者として其れを持ち込んできた、という事ですね」

 真は匙の上に乗る粥が上げる湯気を、ふ、と吹き払った。


「闘陛下に置かれては、真殿にまた面倒を持ち込まれた、との認識でしょう」

「というよりも寧ろ、扱い辛い臣下たち、とくに烈殿下のような精神論で何とかなると声高に言い立てる方々を黙らせるのに、都合のよい奴が自ら苦労を背負込みに来てくれた、位の認識でしょうねえ」

 烈が耳にしたら、即刻脳天から唐竹割りに二等分されそうな事を、すらりと真は言い放つ。


「しかし此れではっきりとしました。予想よりも冷夏の規模が大きいと闘陛下は判断された、が、勝利を得ずして戦から手を引く訳にはいかない、其処で私たちを利用して戦を早急に終わらせる算段なのでしょう」

 


 ★★★



 ――ですが、蕪に目を付けられるとは。

「闘陛下は意外と為政者として優秀な方なのですねえ」

 戰とはまた違う判断力と決断の速さとに、真は闘という男の中に王者としての資を見た気がした。


 句国の民があわやの窮地を脱したのは、国王となった玖が彼らの胃袋を支えるべく指導したからであるが、闘は、その姿を見て密かに種を入手させ剛国に取り入れる判断を下したのだ。

 なかなか出来るものではない。

 句国の戦の翌年、契国に出兵した折に出会ったばつたちは、自分たちの窮状を戰に切々と訴えた。

 食べ物がない、生きるたつきがない、生き延びたくとも展望がない。

 そして自分たちと違い、救われた句国の民を嫉妬と羨望の眼差しで見ていたのだと、他国の王者に正直に暴露するまでに切羽詰まっていた伐たちの姿を忘れられなかった。


 ――忘れられる、訳がありません。

 戰様には、内政面で支える人物として、椿姫様、学様、苑様、虚海様、那谷、類、通たちが居る。

 しかし、闘には誰も居ない。

 自らで全てを見聞きし、考え、成功も失敗も負わねばならないのだ。

 ――常に峻厳さを求められておられるのですから、相当にお苦しいでしょうね。


 一応、匙を動かして小鉢によそわれた粥をたいらげた真だったが、大いに不満そうに肩を上下させた。

 にお代わりを促された真は、えらく中途半端な表情で、しかも渋々小鉢を差し出してくる。土鍋から粥をよそいとりながら、蘭は首を捻った。

「どうしたんですか? 真殿がお好きな卵の粥ですよ?」

「いえ。私は此れを卵の粥とは認めませんよ」

 むっとした顔で、真はまた粥で満たされた小鉢を受け取る。

「は、はあ?」

「まず、鶏の出汁の取り方が悪いのです、なっていません」

「は?」

「出汁をとる時に、鶏だけでなく色々と高価な食材を入れられたようですが、肝心の葱と生姜を入れなかったのでしょうね、味が濁ってます。其れに灰汁が残っているなんて信じられませんよ。粥の味を左右する汁をおそろかにするなんて、なっていないです。しかもですね、蕪は火が通りすぎて煮崩れしまっているのです。それから、卵! 卵もですよ、火が入りすぎて舌触りも味も悪くしてます。卵は柔らかく半熟、これが鉄則です。添えの青菜もいただけません。腐乳を混ぜるとか胡麻油や川海老の甘露煮と和えるとか、工夫を凝らした一仕事して欲しいものです」

 ぶうぶうと好き放題に折角の粥を酷評したおす。


「……真殿」

「此処は祭国ではありませんので、姫奥様並のお食事を期待されても、そりゃ無理ってものです」

「あとですね、全体の味付けが濃すぎます。貴重な食材を入れれば豪華になり喜ばれるという単純なものではないのですよ、料理は。塩加減を大切にすれば、とくに粥などは薄味の方が美味しく頂けるのです」


 芙たちの言葉を無視してまだ真はぼやき続ける。

 それでも、空きっ腹には勝てないのだろう、不承不承ながら匙を動かして口に運び続ける。

 こんな時にこんな風に薔姫の料理の腕を引き合いに出されて惚気られるとは思っていなかった芙と蘭は、互いに顔を見合せて苦笑するしかなかった。



 ★★★



 饗宴の場は、烈にとって拷問以外の何ものでもなかった。

 兄王・闘が親しげに真とかいう男に話しかける姿を、奥歯が砕ける寸前まで噛み締めて堪えた。

 仔羊の丸焼きを宴の座の中央で行え、と兄王が命じるや否や、真とかいう男が顔を青ざめさせて飛び出していったお陰で座が白け無理矢理開きとなったのだけは救いだったが、そうならねば自分が暴れて宴を中断させてやっていた処だった。


 王宮にある自室に戻るや、烈は此れまでの欝憤を晴らすべく吠え叫び始める。

 女官や舎人たちは、遠巻きにしつつ自分に被害が及ばなければ、と目を伏せあって見て見ぬ振りをするのは最早何時もの慣れしたんだ情景であった。

「兄上、何故、何故あやつなのです……!」

 腹立ち紛れに、烈は自室に据えられた黒檀の椅子を蹴り飛ばす。まるで柔木細工のように、脚の部分が木端となった。煌びやかな衣装に破片が降り懸かるが、烈は意に介さなかった。

 然も、然もだ! 瑛を拾ってきただと!?

「まったく、余計な事しかせぬ!」

 当初の策が此れでは意味を無くしてしまうではないか!


 ふぅ~……ふぅ~……、と肩で息をしながら烈は航路寺の方角を睨み付けた。

 ――いいか、見ておれよ、真とやらめ!

「お前を生かして祭国になど、群王のもとになど帰してやらぬからな!」

 ――兄上の素晴らしさを思い知り、己の主との差に愕然とし、打ちひしがれながら死ね!

 烈は内側に滾る獰猛な嫉妬という炎を、野獣の如きに雄叫びとして暴れまくった。



 翌日。

 朝議の前に共に朝餉をどうだと、闘の求めが烈の元に入った。

 別段珍しい事ではない。秘密裏の相談毎がある場合はこうして名目上は親睦の為を装って膳に誘い、他の兄弟たちの目を誤魔化しているのだ。

 ――兄上は自分を、自分だけを一番の頼りとしてくれているのだ。

 誇らしくてならない。

 胸を張り、揚々とした気分のまま闘の膳の間へと向かう。


「兄上、命により……」

 まかり越しました、と続けようとした烈は、闘のものではない気配を部屋の中に感じ取った。

 親しげな闘の声が、自分のものではない名を呼んでいる。

 烈の身体が強張った。

 次の瞬間、弾かれるようにして床を蹴り、礼節も忘れて室内に入る。

 兄王の前に胡座をかいて座っている男がいる。座している男がゆっくりと振り返り自分に礼拝を捧げる前に、烈は反射的に背中を斬り付けてやろうとした。が、剣に手を伸ばした烈に、闘の静かだが威厳のある声が掛けられた。


「烈よ。何時も通り、実に時間に正確だな」

 掛けられる兄王・闘の声が、視線が、厳しい。言外に幼稚な怒りのままに手を出そうとした自分を責めている闘の声音を、烈は生まれて初めて恨めしく思った。

 ――兄上! 何故、こんな男をお庇いになられるのですか!

 私ほど、兄上のお考えに沿い、動ける臣は此の世におりません!

 何故、私だけを見て下さらないのです!


「烈」

 闘の声音が一段、重くなった。

 此れ以上、兄王・闘の言に従わぬ訳にはいかない。従わねば何が此の先に待ち受けているのか。兄王の姿を想像するのはおこがましさしかないが、其れ故に恐ろしい。烈は、ぶるぶると瘧の時のように震えながらも、何とか柄に掛けた手を離してその場に座し、闘に朝の礼拝を捧げる。

「兄上、お早う御座います。良き眠りを得られ、お目覚めは麗しく、御機嫌はよくあらせられますでしょうか?」


 当然だ、座れ、と闘は異腹弟を手招いた。

 普段であれば、闘と差し向かいで座る目の前の席は烈のものだ。

 其れが今日は別の男――

 真、という男に奪われている。

 腸が腐るのではと思われる程に怒りで煮え滾らせながら、烈は兄王の前に進み出て、真の左手に用意された座に腰を据え直す。

「烈、其方を呼び出したのは他でもない。例の件について、話を詰めておこうと思ってな」

 剛国は本来、胡座をかいて座して食事をとる。騎馬の民である彼らは、朝から豪快に馬の乳を発酵させた酒を口にして、結束を高めるのだ。当然、闘も乳白色に濁る馬乳酒を、人の顔ほどもある大振りの椀になみなみと注いで傾けている。しかし平然としている兄王の前で、臭いに充てられてもう吐き気をもよおしているらしい真という男は、眉を顰めていた。


「話を詰めるも何も、私は此のような男にまず戦が出来るなどと思っておりません」

 闘の杯に発酵酒を注いだ女官が、烈の膳に用意された杯にも同様に酒を満たす。

 黄白色のとろりとした濃度のある酒が、ゆらゆらと杯のなかで波紋を造り上げていた。礼拝を捧げながら、烈は杯を手にして口をつけた。程よい酸味と酒気が喉を下って腹を焼き、食欲を呼び覚ます。一気に飲み干し、酒度のある息をぷはり、と吐き出す烈の隣で、真は早咲きの菊を浮かべた水杯をのんびりと口にしている。 

「此の男が役立たず、と申すか」

「はい」

「私が認めた男だぞ」

「恐れながら、姑息な策略を弄せねば戦に勝てぬ者など、あに……陛下には必要ありません。早急に戦を終わらせねばならぬとあらば、陛下には私がおります。一言、命惜しまず戦場に行け、と命じて下さればよいのです」

 熱に支配された烈の訴えに、闘は答えない。

 揚げ餅を摘みながら、真がすらりと横やりを入れてきた。


「しかし、其れでは陛下もお困りになられるでしょう。仮にも公の場において、私の言葉を考慮して下さると仰られたのですから、先ずは条件を満たすだけの機会を与えて下されねば陛下の威厳に傷がつきます」

 ぎょろり、と黒眼を剥いて烈は真の胸元を締め上げた。

「貴様! 我が兄上を愚弄するか!」

「さて、そのお立場に追い込まれる御方は何方なのでしょう?」

 やめよ、と闘が苦笑しつつ止める。野犬が唸るようにぐるぐると喉を鳴らして呻いていた烈だったが、小石を投げ捨てるようにして真を放りだした。どさ、と無様に尻餅をつく真を横目にして、烈は闘に礼拝を捧げつつ迫った。


「陛下、いえ、兄上。この様な、言葉にて立場と状況を反覆し、己の都合の佳きように事を導こうとする姑息な男を身辺にお近づけになられてはなりません。古来より、我ら剛国は勇猛果敢、果断なるをよしとするうらかです。蛮族である禍国の考えと相容れぬは必定、耳を貸される必要はありません。何卒、陛下の御心からの主命のみを至上とする我らの存念をお汲み取り下さいますよう」

「どうあっても此の男を認められぬ、と申すのか、烈」

「此ればかりは」

 嘗て見せた事のない食い下がりを見せる烈に、ふむ、と闘は戸惑い意味に顎を捻った。

「烈よ。認められぬ、という其方の言葉を無碍にして、私の存念のみにて此の男の言を近づける訳にはいかん」

 兄上、と烈は言葉を詰まらせた。

 ――ああ、矢張、兄上にとって私は特別な存在なのだ!


「が、事外交の場において、そうも言ってはおられぬ場合もある」

「あに・うえ……?」

「もう一度問う。お前はどうすれば此の男を認める?」

「……は?」

「烈。其方は私にとって大切な弟であり、頼もしき臣の一人だ。そのお前程の男が、此の男・真を断じて認められぬ、という。のであれば逆に、一体何を以てすれば其方は此の男を認めるのか?」

 あ、兄上……、と眩暈をおこしているかのようによろめきつつ、烈は呻いた。


「此の男に機会を与えてやれ。其方が出した条件に到底及ばず遠く敵わぬ、とあれば勝手に尾っぽを巻いて逃げ去るであろう。また、この程度何程の事なし、と思えば条件を満たそうと動くであろう。其れは此の男の勝手にさせればよい」

 陛下、其れは、と烈は息を呑む。

 ――兄上、兄上は何処まで此の男を買い被っておいでなのですか?


「ですが兄上、この様な男に機会などお与えになられても無駄でありましょう」

 馬に一人で乗る事も叶わぬ身の男を、烈は横目にしつつ侮蔑を込めて嘲り笑った。

「何度も同じ事を云わせるな。与えられた機会をものにするか、無駄にするのかどうかを決めるのは、お前ではない。此の男、真だ」


 此れはまた大いに買い被って頂けたようですねえ、と呟きながら、真は呑気に後頭部をこりこりと掻いている。

 兄と自分の熱い対話の渦中の人物でありながら、まるで他人事だ。

 その姿を見たとき、己の中の何かが、ぷつり、と音をたてて切れたような気がした。

「其れでは条件を出そう。真とやら」

「はあ」

「此れから私が申す条件を見事にこなしてみせよ。さすれば、兄上に其方の主たる祭国群王の言を議にかけるよう、私から進言しよう」



 ★★★



 ゆらり、と烈は立ちあがった。


「真とやら。私が攻め滅ぼす筈であった西燕。其方が落としてみせよ。どうだ、やれるか!?」

 指を立てて、とんとん、と米かみ辺りを拍子をとって叩いていた真は、はあ、それでは、と烈を見上げる。

「どの程度の数の兵をお貸し願えますか?」

 手にしている手拭いをお貸し下さい、とでもいうような気楽な真の申し出に、烈は頤を跳ね上げて磊落な笑い声を上げた。

「馬もまともに操れず! 戦車に寄り掛かって此処まできた奴が! おこがましくも我が剛国の兵馬を強請るのか!」

「はあ、其処はまあ兵馬なくして攻め落とすも攻略するも糞もありませんので、当然と言えば当然ですね」

「喧しい!」

 遂に烈は抜刀した。

 真の衿首を引っ掴んで煌く刃を、ぶん、としならせる。


「貴様如きに、兄上が大切に育て上げた我が剛国の騎馬軍団を万騎と貸し与えられるものか!」

 はあ、と今度は真は口の端を指でこりこりと叩く。

「では、幾らならばお貸し下さると?」

 飽くまでものんびりとした姿勢を崩さぬ真の喉元に切先を向けながら、烈は剣が起こす反射よりも眼光を鋭くした。


「二百だ。」

 烈が提示した数に、ふん、と闘は目を眇める。


「兄上の話では、貴様は口先ひとつで祭国一国を救ったそうではないか。そのような大それた男ならば、二百騎もあれば充分であろう!」

 どうだ!? と切先を喉に減り込ませる寸前にまで脚を進めた烈と、迫られている本人の真とを、闘は面白そうに見比べる。


「どうだ? やるか、真よ」

 闘の言葉に、真は長手袋に守られた左腕を上げた。刃に手をあてて喉元からそらせながら、仕方ありませんねえ、と嘆息する。

「分りました。では、その条件で私が西燕に勝利を収めれば、我が主・祭国群王陛下の親書を受け入れて下さるのですね?」

「勝てば、な」

 ぎろり、と烈は真に凄む。

「だが、負ければ其方の命はないものと思え! 貴様の首、塩漬けにして祭国群王の元に山羊に蹴り飛ばさせながら送り届けてやるからな!」

 其れは敵いませんねえ、と真はのんびりと答え、ふぁ、と欠伸を一つする。欠伸が収まれば、実にけろりとした表情だ。


「ですが、塩漬けで戰様の元に帰っては些かちょっと、格好がつきませんので」

 真の顔つきはまるで、頭が痛い存在であると近所でも評判の親類を見事説き伏せられたなら、駄賃を戴きますので約束を守って下さいよ、と言いつつも、その実、既に相手は丸め込んでしまっており、うまうまと望みの品を手に入れんとしている悪戯坊主のようだった。


 しかし次の瞬間。

 このひょろひょろとした男の何処に、と慄く力強さを湛えた眼光で、真は烈を睨み据える。


「遠慮なく、勝たせて頂きます」



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