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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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16 燃える山河 その3-1

16 燃える山河 その3-1



 王の間に信じられない人物が居る。

 認めてはならぬおとこだ。 


 ――おのれ、真とやら!

 貴様、兄上の御心を何処までも惑わすつもりなのだ!?

 掴んで離さぬつもりか!?

 おとこなれば、剣にかけて戦ってこそと思わぬのか!?

 烈は瞬く間に体温が、煮え滾る油よりも熱くなるのを感じていた。


「兄上! 何故、此のような男に謁見の栄誉をむざむざと与えられるのですか!」

 敬愛する兄王の所業は、自身に対する侮辱であるとばかりに声高に叫ぶ烈の遠慮のなさにも、闘は楽しげに笑う。

「そう言うな。あれ(・・)でも祭国群王の正式な使者だ。迂闊に扱えぬであろう」

 使者当人である真の前で、闘は悪びれもせず言い放つ。だが、烈は流石にはっとして悟らずにはいられなかった。


 祭国を実質支配するのは、禍国の皇子である群王・戰だ。群王が最も懐深くに飼う男を態々選んだのだ。

 ――徒や疎かに扱えばどうなるか。

 想像を逞しくするまでもなかった。

 各国を弱体化せしめるのは必須であり急務であるが、剛国は決して其れに巻き込まれてはならない。况てや、画策しているなどと悟られてはならないのだ。

 この真とかいう漢は此れまでの姑息な戦いぶりから、何をもって要らぬ腹を勘繰ってくるのか分らない男なのだ。

 慎重に慎重を期して相手べきであろう、という闘の視線に、烈は渋々ながらも引き下がった。

 異腹弟の成りに、良く出来た、と童の頭を撫でる様な眼を闘は向けたが、真は軽く肩を竦める。

 

 ――煽られるな、姑息な男のする事になど。

 視界の端で真を睨みながら、烈は必死で奥歯を噛み締めた。



 ★★★



「顔を合わせるのは初めてだが、私の話を聞いておったからであろうな」

 一目見るなり其の方を真であると認めるとはな、と怒りを沸騰させている烈を横目にしつつ、闘は笑っている。

 状況を楽しんでいる闘の様子に、眼前で礼拝の姿勢をとり続ける男――真とかいう男もまた、作法を知らぬ不心得者めが、との誹りを受けても口答えできぬ鷹揚さでのんびりと笑っている。


「さて、王弟殿下は陛下に一体何を吹き込まれておられたのでしょうか? 此の睨まれよう、疎まれようから察するに、伺うのは少々怖い処ではありますね」

「ほう? てっきり其方は恐れ知らずであるかと思っていたのだがな」

 くっく、と闘は喉を上下させて笑う。

「だが、其方が怖がる処を見る事が出来るとは、眼福であった、とでも言っておかねばなるまいか」

「御冗談を。陛下を拝謁する栄誉を賜り震えを来さぬ者はおりません」

「ほう?」

「陛下に傾倒し心酔する御方であれば、ですが」

 相変わらず手厳しくも好き勝手に云う奴だ、と闘は豪放磊落に笑う。


 自分を置き去りにして、いや居ないものとして互いの言葉の剣を楽しみ合う闘と真の遣り取りに、烈は苛々とする。

 兄王・闘がこんな愉しげに振る舞っている姿など、見たことがない。

 無能なる他の兄王子たちを蹴落とし薙倒しして、剛国の頂点に立ち王座を得た其の瞬間にすら、見せたことはなかった。

 いや、自分にはみせていた。

 僅か数度しか顔を合わせていない男、此の真という漢が如何なる人物であるのか。言葉一つで自分をまるごと遣り込めてみせた男に負けた折の数年前の出来事を、まるで戦勝自慢のように語って聞かせる時はいつもこうだった。

 ――兄上の、あの目、あのお顔、あの笑い声、私に向けられた事はなかった。

 真とかいう男は、記憶の中ですら兄王・闘の心の一角を占めて離さなかった。


「陛下、私をお呼び出しになられたましたるとは、如何なる御所存にて」

 平常心を装うとしても、声に心身の滾りが乗り移り裏返る。異腹弟の不器用さが可愛いのか、闘は目を細めつつ、そうだったな、と手を振った。

「其方に褒美を取らせねば、と思っていたのだ。此度、良くやった」

 闘の言葉に、烈を支配していた怒りの炎は瞬く間に鎮火した。礼拝を捧げ、勿体無い御言葉に御座います、と震える声を返す。

「しかしな」

「――はい」

「折角の其方の策略を、あろう事か此の男、無駄にしよったのだ」

「――は?」

「殿下の正妃で在らせられる瑛姫様に帰国までの供を命じられ、共に御国に参りました」

 何気なく口にした真の言葉は、烈を串刺しにした。



 ★★★



 ――馬鹿なっ!

 群府に残してきた女どもだけで脱出してきたとでもいうのか!?


 有り得ない。

 瑛はどこまでも手前勝手な女だ。

 我儘な女童が其のまま女のなりになったかのような、全てにおいて足りぬ女だ。

 自らを厳しくし、女官たちを激励し時には叱咤しながら脱出行の指揮をとるなど、到底想像出来ぬ女だ。

 其れに、自分たちが群府を捨てたとほぼ同時に燕国王である飛燕は突入を開始した。誰の手も借りずに女の足のみで騎馬軍団から逃れるきるなど、不可能に近い。

 つまり。

 祭国は剛国王弟・烈の治領内に斥候を放ち、事の顛末を見張っていた、という事になる。

 しかも悪びれる様子も見せずに、此の真とかいう男は告白してみせているのだ。


 ――おのれ!

 古き伝承を偉ぶって講釈垂れるしか能のない祭国如きが!

 吹けば消し飛ぶ弱小国の分際で!

 我が剛国を、兄上を、何処まで愚弄すれば気が済むのか!

 沈静化しかけた烈の怒りが、再び頂点を突き抜ける。

 怒髪天を衝く勢いのまま真に飛び掛かろうとした烈に、やめよ、と清水の如きに冷たい闘の声が掛った。びくり、と烈の身体が跳ねる。そそくさと兄王に礼拝を捧げ直すかのように見せながら、烈の苛烈なまでの怒りを含んだ視線は、ひょろひょろとした態度を崩さぬ真に突き立てられる。


「烈よ、一応、真とやらに礼を言っておけ。あれ(・・)でも一応、其方の正妃である女だ」

「……」

「烈」

 闘に促されては烈に何を抵抗できようか。無言のまま、烈は真に礼手をしてみせる。

 祭国郡王の正式な御使の身分である男に救われた、つまり、瑛姫は祭国が守ったと見做される。気に入ろうが気に入ろまいが、見た目の事実に対して礼を欠いてはならぬ身分に、烈はいた。

 苦笑しつつ、差し出がましい行いを致しました我が身をお許し下さい、と礼拝を返してくる真という男の顔を、烈は熊が張り手で木々を薙ぎ倒すようにぶちのめしてやりたくなるのを必死で堪えた。

 ――いい加減で、その口に鈍らを突っ込んでやりたくなるわ。

 

「瑛は其方の宮に戻った頃合だ。城から下がった後は、夫婦の間に生じていよう行き違いや蟠りを解いておけ」

「……はい、あに……陛下。御忠告、有難く頂戴致します」

 睨む烈を去なす闘の言葉は、流石に落ち着いて至極もっともらしい。だが口調は、余計な事をしてくれた、という明白あからさまな苦さを醸している。其れが烈を救ってくれた。


「此の話は此処までにしておくとする。烈よ」

 業とらしく言葉を区切った闘は、此れもまた意図ありげに、ちらり、と真を見やった。

「烈、其方を呼び寄せたのは外でもない。この使者殿が持ってきた祭国群王・戰の親書に対して如何に対応すべきかを、共に思案したいと思ってな」

 肘掛の上に置いた手の上に顎を乗せた闘の双眸が、獲物を定めた野生の虎のような危険な輝きを放った。



 ★★★



 浮き立つ心を烈は必死で抑えつける。

 他国の群王からの正式な親書を前にしての協議を己ひとりとしたい、と兄王が云うのだ。

 ――兄上は私を特別想って下さっている!

 恋い慕う少年から告白を受けたばかりの少女のように顔を赤くしつつ、烈は平伏する。


「その様にしておっては話も出来ん。遠慮など要らん。何時ものように寄れ」

 苦笑しつつ、闘は烈を招き寄せる。

 這いずるようにして足元に侍った烈に、闘は戰からの親書を無造作に差し出した。

 仮にも正式な書簡を、と烈はいぶかしんだ。

 家臣幕僚として抱えている異腹兄弟たちと、闘は常に外交内政の協議の場を定期的に設けており、毎回、熱い議論がなされる。その際にも時折、闘はこの様な振舞いをした。言葉を使わず粗雑粗暴とも云える態度で、内心を読み取らせないのだ。


 闘は意外にも、普段は穏便温和で通っている。

 野生の虎が、常時に凶暴な牙を剥く訳ではないと同じだ。獣の頂点に君臨する虎は、牙を剥いて一瞬で魂を全て刈り取りはする。が、平素は己の縄張りや猟場を荒らされぬのであれば、爪すら見せない生き物だ。事あらば即座に獰猛な生ける兇器と化すが、平生は大人しい、巨大なだけの猫に近い。

 つまり、一撃必殺の瞬間以外に自分を見せるという愚は、いや、無駄は犯さない。

 格が違う余裕が、そうさせるのだ。

 兄弟たちは、闘のこの獰猛な野生の虎が垣間見せるに似た落差が、何時なんどき己に向かうのかと、戦による敗北よりも恐れていた。

 兄王・闘が何を考えているのか。

 何を一番に奏上すべきであるのか。

 彼らは日々、熟考しつつも即時決断するという離れ業を常に強いられているのだ。

 最も、烈はその緊張感をすら芳しいとすら感じているのだが。


 烈は闘から恭しく親書を受け取る。

 別段、真とかいう男が運んできた群王如きの親書など有難くも何ともない。ただ、兄王・闘が手ずから渡して呉れるだけ価値が芽生えた、それだけの事だった。

 広げた書簡に視線を走らせる。

 険しくこわいものとなった其れは、眼球の動きを止める頃には激しい嘲笑に変化した。くつくつと押し殺した忍び笑いが零れる。かと思いきや、一気爆発的に哄笑が王の間に轟いた。


「はっはぁ! 何を言い出すものかと思えば! 戦を止めよときたか!」

 何様のつもりか! と烈は笑い続ける。

「然も、理由が『冷夏による飢饉が来る』だと!? 戯けるにも相当に奮っておるではないか! ええっ、おいっ!?」

 嘲りの成分が色濃かった哄笑は、やがて、どす黒い怒りへと変質した。

 ぬらり、と座りきった眼で烈は真を振り返ると、たった一歩で間合いを詰めて胸倉に腕を伸ばした。

 がっ、と乱暴に衿を引っ掴み片腕で締め上げる。二寸以上の身長差があるからという理由ではなく、明らかな腕っ節の差により、真の爪先は宙に浮きかける。

 しかし、想定内の範疇だったのだろう。真の態度は、何処までもひょろひょろとしたままで変わりない。それがまた、烈の逆鱗を刺激する。


 ――少しは狼狽してみせれば可愛げもあろうものを!

 手に力を込めようとする烈の背中に、止めよ、という揶い半分・苦笑半分の闘の制止が入った。

「兄上、止めないで下さい。彼奴の首を撥ねて塩を塗して酒に漬け、祭国群王に送りつけてやりましょう!」

 憤慨するままに叫ぶと、烈は真を床に叩き付けるようにして放り出した。

 そして、文字通りに腰に帯びた剣の柄に手をかける。鼻息荒く剣を鞘から剥き身としかける烈に、闘は剣が自らを恥じて錆付くのではと思われるほど、ぎらり、と鋭く目を怒らせた。

「ほう? すると烈よ。止めよ、という私の言葉が聞けぬ、と貴様は云うのだな?」

 烈は一段低くなった闘の声音に、ハッ、と身を竦める

 その場に額を打ち付ける勢いで平伏する。


「兄上、出過ぎた口をきいた不肖の義理弟を何卒お許し下さい」

 臭気の靄に似た、黒々とした怒りの気を発散させている闘と命を狙われた仔鹿のよう烈の間に、ひょろり、と割り込む者があった。

 


 ★★★



「陛下、お怒りになられるのは勝手ですが御兄弟間の喧嘩は後にして頂けませんか? 話が先に進みません」

 真である。


 白目を血の色一色に変えた烈が、ぎっ、と真を睨む。が、闘の方は微かに背を反らせて鼻白むんでみせたかと思うと、ふ、と口角を持ち上げた。次の瞬間、豪快な笑い声を王の間に響かせる。

「兄弟喧嘩か、成程、確かにな」

 闘の笑い声は自戒の色が濃い。ちらり、と烈に視線を巡らせた闘は、其のまま弓形に細めてみせた。兄王が許しを乞うているのだ、と感じた烈はまた、猛烈な感動に身震いする。同時にまた、兄王を諫めてみせたのが恐れも知らずに言外に落ち着けと言ってのけた、真という男であるいう事実が、烈を嫉妬の海原に放り出しはげしく揺さぶる。


「話を戻そう。真とやらよ、其方の主たる祭国群王が懸念しておる通りに冷害が生じるとして、だ。其れが飢饉に直結すると何故思う?」

「動植物は正直です」

 ん? と眉を寄せる闘に、真は最初に戰に説明した内容を話して聞かせた。

「此方でも、眼に付いた変化がある筈です」

 礼拝の姿勢は、腕で顔を隠してしまう。袖の奥から覗く鋭利な刃物のような真の視線に、闘は気が付いていた。


「目に見える変化、か。成程な。――烈よ」

「はい、あに……陛下」

「其方は何か治領より何か報告が上がってきてはいないか?」

 自分に応えさせようとする闘の真意を、使者である真とかいう男を撃退するつもりであると受け取った烈は急に気勢を盛り返して鼻息荒く語気を強める。

「陛下、拝領致しましたる我が領土においては、特に目立ったことなどありません」

 そうか、と頷きつつ闘は立ちあがり、手を振った。

 内官が静かに闘の傍に寄ってくる。

「この数年来の、国庫に納められし各群王・及び豪族諸侯よりの朝貢品の目録を持て」

 はい、と短く答えた内官は直ぐに下がり、有能さを示す様に半刻も待たせずに木簡に記載された目録を携えた舎人と共に闘の元に舞い戻った。


「鳥獣、獣毛、剥製、獣肉類の項を広げよ」

 内官はやはり言葉なく闘に従う。からり、と音をたてて木簡が紐解かれた。王座に深く腰かけなおした闘は、肘掛に肘を立てて上げた手で顎付近を覆いながら眉根を寄せて表情を険しくしていった。やがて、木簡の内から弾くように一つ、二つ、と札を指さして弾かせる。其れらを闘は内官に腕を振い、無言を貫く彼奴に見えるようにせよ、と命じる。

 姿勢を崩さず示された木簡に視線のみを上げた真の背中に、闘の含み笑いが落ちてきた。


「真とやらよ、見ての通りだ。我が剛国王朝に献上されし品の中に、どうにも面白き文がある」

「……」

 文字を拾って読んでいた真は、いちいち成程、と頷いている。

「お前が欲しているものであったであろう?」

「はい」


 肘掛に肘を付き直した闘は目を細めつつ、手の甲の上に顎を乗せた。

 満足気な兄王・闘と遠慮なく答える真の前に頭に血が上りきった烈は、大股に横切り舎人に近付くと、木簡を奪った。



 ★★★



 新年を祝う献上品の目録中に、珍しい秋生まれの猪の仔の肉が大量に上げられたと記されている。


 春を告げる冬眠明けの熊狩りの際に三頭の仔を連れた母熊が母子共々捕らえられ、入朝品として剥製にされたとある。


 通常、山を守る巨大な狼の群れが発見された。此れは剛国の覇が遠く中華平原にまでみなぎり各国が今上王に従う瑞兆であるとして、狼の番が献上されていた。


 王の誕生祝の席にて鷹狩りを行う為、新たな雌を求めて山林に入った処、一山にある鷹の巣にある卵が4つだった。誕生祝いの鷹を求めた際に、四方を守る瑞獣と同数の卵を産する鷹と出会うとは吉兆のしるしに違いないと、番と巣ごと呈上された。


 ――等々、である。


「兄上、此れが何だというのです? 此れ等は兄上を讃えんが為の吉瑞のしるし。何をもって、愚かにも不吉な冷害の予兆とするのです?」

 憤りから声が上がる烈の前で、闘が手を振った。

「真とやら、我が弟を諫めてみせよ」

「はい」

 闘に命じられて烈の前で礼拝を捧げ直す真の姿が、怒りに視界が燃えている烈には霞んでしまって見えない。ぶるぶるとおこりの様に震える烈に、恐れながら申し上げます、と砂粒ほども感じてもいない癖に真はしゃあしゃあと続ける。

 そんな姿が烈には、更に面憎くて堪らない。


「猪は本来、春に出産する生き物です。秋に出産するのは稀で御座います。稀は『希』に通じるとして貴ぶのは平原の習い、貴重な猪の仔の肉は謹賀の席に上げらたのでしょう。熊もまた、通常は1頭ないし2頭の仔しか産みません。狼は群れをなして生きるものですあ、通常多くて10頭程度までです、其れが30頭を超える巨大な群れが幾つも発見された、というのは明らかにおかしな事です。鷹も通常、2個ないし3個までしか卵を産みません、其れが……」

「喧しい! つまりどうだと言いたいのだ貴様!」

 脳天を割る勢いで怒号を発する烈を、袖の奥から真は睨み返した。


「此処まで申し上げて、まだ、お分かりになられませんか?」

「だから何がだ!」

「山野において最も力のある熊や鷹、猪や狼が挙って無理矢理子孫を残さんと足掻いているのです。その先に何があるのか、お分かりになられませんか?」

「何だと貴様! 私を愚弄するか!」

「子供にも分る道理で申し上げねば分らぬと申されるのであれば、今秋、蟷螂が産み付ける卵の位置をお探りになられて下さい」

 池に張った氷の蓋の下で生まれる水中氷柱の如きに冷たい真の声音は、烈の高ぶった精神を横薙ぎに殴りつけた。


 蟷螂の卵鞘の例を出されては、烈も呻りつつも事を悟り、認めざるを得ない。

 蟷螂は、木の枝などに卵鞘らんしょうに卵を包んだ状態で産み付けて越冬させる。

 だがその際に卵鞘が雪に埋もれてしまっては、折角産み付けた卵は冬を越せなくなってしまう。

 卵を雪の脅威から護る為、雌は降り積もる雪の最上位より上に卵鞘を産み付けるのだ――愚かな虫如き、と侮れない。生存する為、子孫を残す為の凄まじいばかりの戦略がみえる。


 蟷螂の卵の位置で今年の根雪の深さを測り春の訪れが早いか遅いかを占うのは、騎馬の民の間では常識だ。

 雪の量により、飼育場となる草原を何処にするのか、また雪が深ければ晩秋の遠征もそれに合せたものとせねばならなくなり、移動に必要な飲食料の確保に目途が立ちやすくなる。

 蟷螂の卵鞘の高さとは雪の深さを意味し、即ち雪の深さは冬の到来の早さと翌年の春の訪れの遅さに直結する。他国よりも短い春と夏に、執念に近い念をもって米と麦の収穫を上げねばならぬ剛国において、其れがなせぬとなれば即ち飢饉への一路を邁進してしまう。


 ――此の男、我々の風習を知ってこのような……!?

 仰け反る様にして真を見下している筈なのに、烈の目には此の男が鎌首を上げて威嚇し続ける蟷螂のように見えてきた。

 ふと、兄王・闘の視線を感じ取った。

 片肘を付き、手の甲に顎をゆったりと凭せ掛けた状態で自分と真という男の成り行きをじっと見ているではないか。其れも、実に楽しそうに。

 かっ、と頬に血の気が集まり、鼓動が一段も二段も高くなり、膝頭ががくがくと震える。乱れそうになる息を、ぐぅ、と無理矢理に呑み込み必死に意識を整える。

 暫しの沈黙という間を置いてから、烈は真に向き直る。兄王・闘の視線をひしひしと感じながら、烈は真をねめつける。


「百歩譲り、其方の主たる群王の指摘が正しいとしよう」

 突然、其れまでまるで関心を示さなかった闘が譲歩の姿勢を見せた。訝しみながらも、話し合いが成り立つのではと微かな期待を抱きかけた真の心情を読んでいたのだろう、闘は目を眇めて声を凄ませた。

「だが、指摘を信じてやるかどうかは別問題だ」

 闘の一言に、真はぴくり、と眉尻を動かした。


「我が国は、平原への覇を唱える贄とすべく、先ずは燕国を併吞せんと国をあげて動いている最中だからな」

「冷害が起こり飢饉へと発展すれば戦どころではなくなります」

「ならば奪った国土より、足りぬ分を調達すれば済む事だ。我が剛国の根幹は平原を駆け行く騎馬の民。生来、血肉に征服と略奪をよしとするを魂に刻んでいる。他国の流儀に口を挟み、自国に従わせんとするが許されるのは禍国の流儀かも知れぬが、我々、騎馬の民は其れをよしとせん」

「宗主国面するな、と仰られたいのですか?」

 明白に闘を非難する色を濃くした真に対して、愚かな、と烈は声を上げた。

「それ以外にどう聞こえる!? 所詮、其方の言葉は他国の王が持ち込んだ戯言に過ぎん! 我ら剛国の民が尊崇敬愛してやまぬのは、偉大なる我が国王闘陛下のみ!」

 非難めいた視線を突き刺す真に、烈は失笑を禁じ得ぬ、とばかりに薄い笑い声を零した。


「己の主大事に走り過ぎるとでも言いたそうだな? だが其れは貴様とて同じではないのか? だからこそ今こうしてこの場に居るのであろう?」

 烈の反撃の一言に流石に真も、ぐ、と言葉を飲み込まざるを得なかった。



 ★★★



「烈、その辺にしておけ。使者殿が困っておるではないか」


 くっく、と喉の奥を鳴らして闘は笑う。烈は真を黙らせた事で溜飲を下げたのだろう、素直に従い闘に礼の姿勢をとる。勝ち誇りながら横目でちらりと真を見やった烈は、ぎょ、とするよりも呆れ果てた。真という男が、事もあろうに胸を張り、兄王・闘に対峙する姿勢をとっているからだ。


「陛下、では、陛下は我が群王の御言葉を聞き届けるお積もりはない、と仰られるのですか?」

「烈が云った通りだ。何故、我ら剛国の者が祭国群王の風下に立ち、言を聞き入れねばならん」

 尊大な振舞いが、闘という男には厭らしく映らない。どころか、美しく逞しく見えてしまう不思議があるのは、彼が生まれもった王者としての資質故だろう。

 烈が兄王に蕩けるような羨望の眼差しを向けている隣で、では陛下、と真が一歩踏み出した。


「何だ、真とやら」

「何を以て、我が群王の言を考して下されると?」

 そうだな、と闘は勿体ぶりながら指先でこめかみを叩いた。

「我らにとって、戦の勝利とは何よりの忠心義心の証となる」

「つまり、私に剛国にとって利となる勝利を齎せ、と仰られるのですか」

 そうだ、と闘は頷いた。


「東燕との戦は、我ら剛国の気性では最早誰にも止められぬ。私の号令であったとしても、だ。ならば最少の規模の戦に留め、且つ、東燕の奴らを完膚なきまでに叩きのめし戦勝により、我が家臣らがぐうの音も出ぬほどの勝利を収めてみせるがいい」

「……そうすれば、考えて下さる、と?」


せんから我らは今年限りではなく、長きに渡る戦になると見込んでいた。越冬の準備を終えねばならぬ初秋までに、口火をきったばかりの此の戦の火が大火となる前に、真とやら、其方の力を持ってして、見事、消してみせよ」


 兄上、それ以上仰られないで下さい! という烈の悲痛な叫び声が王の間を貫いていく。

 しかし、闘は最後の一言を言い放った。


「真。剛国王である此の私――闘の為に働け」




※ 動物たちの生態の説明  ※


大凡というか概ね事実ですがフィクションも交じっております

出産個体数や、狼の群れの個体数などは事実によせてますが、その数が決定されるのはフィクションです

ですが、熊の出産個体数は環境の変化に合わせて増える傾向があるとの観察録もあるようです



※ 蟷螂の卵の位置 ※


 よく田舎の言い伝えなどで云われている蟷螂は雪の位置を予知して卵の位置を定めて産み付ける、というアレですが、実際には結構雪に埋没しちゃってたりするようで、実は科学的に根拠は薄いようです。が、覇王の走狗ではこの言い伝えを正しいものとして採用しております



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