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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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16 燃える山河 その2-3

16 燃える山河 その2-3



 とうとう剛国の郡府、王弟・烈の城が落ちた。

 文字通りの陥落と言ってよかった。


 燕国、正しくは西燕の猛攻を受けた剛国王弟・烈は奮戦虚しく郡府を放棄して撤退敗走せねばならなくなったのだ。撤退時、烈は逃れた城門の前に拒馬きょばの代用品として、居城途中である郡府用の材木を転が置き、兵もあちらこちらに少数編成にして残していた。

 自分たちの猛攻と追撃を恐れてであろう、と燕国の兵士たちは冷笑した。


「何という無様ななり(・・)だ」

 飛燕は全身を使って呵呵大笑する。

「我らの猛追撃を恐れてであろうよ。どうだ、あの鼬の最後っ屁の虚しさよ」

「いやはや、窮鼠も猫を噛むともいうが、奴らの歯は皆抜け落ちておろうさ」

「允に、陛下の御威光の前には、何者をも霞ませます」

「誠に、小僧如きが陛下の御前に出張る故、この様な恥を掻くのです」

「なぁに、存外に烈の奴めは陛下にけつ叩いて欲しかったのかもしれぬですぞ?」

 部下の言葉はただのおべっかに過ぎないと解っている。だが、今の飛燕はそれすらも心地よいものであった。


「勝鬨を!」

 飛燕の元に結集した燕国軍が両手を挙げて勝利に喝采を、王に賛辞を送り続ける。

 ――見たか烈め! ケツの青いヒヨッコめ!

 高揚した頬を隠しもせず、飛燕も自らの腕を挙げて応えていた。



 ★★★



 剛国王弟・烈の首を取り損ねはしたが、郡府を手に入れたのだ。

 ――ケツの青いヒヨッコめ、青二才め、我が名を魂に刻んで覚えたか。

 完膚なきまでに叩きのめし、飛燕は大いに溜飲を下した。


 そして飛燕は、甲冑を解く事なく早速、城内を見分し始める。

 食料、武器、その他に目星と算段を付けておくためだ。

 特にこがねや宝玉、宝物といった類いは部下に横取りされる前に搾取しておかねばならない。

 騎馬の民はその歴史から長く狩猟にて生計を立ててきたが、同時に窃盗も常として生業としてきた。でなくては、厳しく長い冬も長く途切れぬ砂漠の上でも生き延びるなど不可能だ。盗む事はそのまま、彼らにとっては相手の生命を掠め取って己が生命に変える事であり、罪悪感など微塵も持ち合わせていない。

 生命を掬うのは常に強欲なまでに我欲に忠実な者、つまり早い者勝ちであり、早ければ早いほど強く正しいのだ。


 武器庫や宝物殿、そして食糧庫、厨にまで飛燕は自ら顔を出して品を改めていった。

「食物の蓄えはどうだ?」

「はい、此方に御座います」

 城内には、僅かな食料しか残されていないであろうと予測は付いていた。

 その為に、飛燕王は城を落して領土を制定した後は、早々に自らの城に戻るつもりでいた。この城は鬱憤を晴らす以外には取引材料として見ていたからだ。

 予想通りに、この1万の兵士軍馬を養うには食料は雀の涙と言えた。だが、何よりも堪えるのは戦勝祝の祝宴を張ろうとしても、此れでは些かしみったれた宴にしかならない。

「如何致しますか?」

 ふむ、と飛燕は裏にそびえる山を見た。

「あの山なれば、良き獲物が捕れよう」

 酒が少ないだけなら兎も角、胃袋を満たし気勢を大いに上げる肉料理がなくては兵士たちは納得すまい。元来が狩猟の民であった燕国にとって、祝宴の席に肉は欠かせない。

 英気を養い意気を上げ、揚々として戦果を誇りつつ帰国する為、飛燕は山に入り、熊や鹿や猪を狩ってくるように命じた。


 其の夜。

 いや正しくは夜が明けても、飛燕王の許しの元で開かれた酒宴は続いた。

 身分、品官の上下の別なく同じ肉と酒を喰らう事により、うからとしての結束を固め高め、そして勝利に大いに酔った。

 饗宴の肴として先ず差し出されたのは、見事な熊の親子だった。

 歓声が上がる中、飛燕王の眼前で解体作業が行われる。

 酒杯を傾けながら、ほう? と飛燕は眉をあげた。

「珍しいな、小熊が三頭、だと?」

 本来、熊が生むのは双子と決まっている。だから、三つ子を連れているのは稀有な事なのだ。

「は、陛下の戦勝の御威光此れあるを、熊どもも予知しておったのでしょう」

 見事な手前で、親子の熊は解体されていく。隣では、大鍋の中で湯が、ぐらぐらと唸りを立てている。周囲では、椀を手にして熊が鍋に放り込まれる瞬間をまっている人だかりが出来始めていた。

 勝利の相伴に与ろうと気持ちを昂ぶらせている兵士たちの顔ばせを肴にして、飛燕は上機嫌で酒杯の中身を飲みほしたのだった。


 だが、飛燕の得意気な顔は三日と持たなかった。 



 ★★★



 飛燕は居住まいを漸く正して、城内を改めて散策がてら偵察して回り出した。

 三日もの間、昼夜問わず篭り続けての宴が続いたというのに、飛燕はまだ飽き始めを感じていなかった。

 しかし今日の昼にも、この城を一旦捨てて国に戻る予定だ。其の前に、自らの目で価値を査定しておこう、という腹だった。

 酔い冷まし程度の軽い気持ちで歩き始めた飛燕だったが、程無く、驚愕に次ぐ驚愕に打ちのめされる。


「此れが、一夜城だというのか……?」

 飛燕は呻きながら、城内を迷子になった熊のようにうろついた。

 改めて城壁と物見櫓などを確かめてみれば、到底、出来合の一夜城と揶揄される出来ではない。

 いや、この城の意味と価値とは、出来云々などではない。

 突貫工事の出来合いの城とは思えぬ成り(・・)見て呉れ(・・・・)のせいで勘違いされ易いが、こんな隘路にできた狭隘な所領、しかも各国の思惑が入り組んだ土地柄だ。城として活かすよりも寧ろ剛国と、そして露国も相手に水面下で自国有利に働くよう利用するが得策であろう。

 自分自身がそうだった。

 此の地に群府を開かれた時の衝撃は忘れられない。

 山を突っ切る公道を抑えられたのだ。

 つまりは、何時でもこの一本道を超えて領土を広げにかかられる、という精神的な圧迫感、何とも言い難い逼塞感と焦燥感、何よりも意味不明な恐怖。

 此れらが混然一体となり、飛燕の魂を鷲掴んだ。


「おのれ、よくも此の地を選びおったわ……!」

 ――剛国王の指図であろうな。

 だから解る。

 確かに心理的に有利に立つ、精神的に圧力をかけんがための城とするならば、作り上げた当の本人である剛国にとっても同じ事が云えるのだ。

 ――奴らめ、今頃は大いに焦っている筈だ。

 まして領土を掠め取った相手から煮え湯を飲まされたのだから、平常心でいろ、と云う方がどうかしている。

 奴らは今、互いに無駄に恐怖心を煽りながら自らを猜疑の泥の淵ぎりぎりにまで追い遣り、狂乱寸前であるだろう。

 ――我が領地を叩くまでは良かったのだがな。

 だが剛国王、不甲斐無い義理弟の所為で目論見は大いに外されたなあ。

 くっく、と喉の奥で飛燕は笑った。

 


 飛燕の元に見張りに立った兵が、青白い、幽鬼のような顔つきで倒けつ転びつやってきたのだ。

「何事だ」

 気分の昂ぶりに水を差す兵士の成りに、飛燕は眉を跳ね上げて低く怒気を孕んだ声音で凄む。しかし、兵は一大事に御座います、と氷水に長時間浸かったようながたがたと震える声で奏上した。

「郡府が……城が包囲されております!」

「何ぃ?」

 何を戯けた事を、と飛燕王は嘲笑う。

「冗談は後にせよ。我は忙しい」

 手を振って下がるように命じた飛燕の足に、兵は泣き縋った。

「陛下、陛下、何卒、外を、城壁の外をお確かめに!」

「……分かった、分かった。行ってやるゆえ、急くな」

 此れ以上相手にしなさすぎても、返って煩く喚いて邪魔になるだけだと飛燕は観念した。兵に案内せよ、と命じる。来た時と同様に、兵はよたよたとしながら飛燕を導いた。

 見張り用の城楼では、数人の兵士たちが矢張青い顔で互いに顔を見合わせ、そして指を差し合っている。


 大きく肩を上下させて彼らが指差す方向に、ぞんざいな振りで飛燕は視線を投げ――そして、固まった。

「……なん、だとぉっ!?」

 ――こ、こんな、こんな馬鹿な事があってよいのかっ!?

 城の正門前を取り囲む兵馬の群れが、眼前に広がっている。


 旗印は燕国のもの。

 そう。

 烈の居城を落して飛燕王が勝利の美酒に酔っている間に、郡府は1万の燕国軍――

 つまり、界燕が率いる軍に迫られていたのだ。



 ★★★



「界燕め……どういうつもりだ、どうなっておるのだ……どういう事なのだ、此れはぁ!?」

 元々、郡府は公道に向かって伸びる二箇所しか門がない。

 その一方は剛国に閉ざされ、そして正門は味方である界燕に閉ざされた。

 ごくり、と飛燕は生唾を飲み込んだ。

「界燕め! 何をとち狂っておる!」

 露国との交渉はどうした!?

 何故、味方である私を取り囲んでいるのだ!?

 一気に吹き出た冷や汗に塗れながら、飛燕は喘いだ。


 どうしたもこうしたもないのは、実は飛燕自身が一番よく解っていた。

 己の軍旗を掲げて進軍してきているのだ。界燕は本気だ。本気で此方を討つ為に兵を進めてきたのだ、と見た者は即座に認めるに決まっているではないか。

「おのれ……おのれ、界燕めぇ!」

 ――よくも我を裏切ったなっ!

 此処に及んで漸く、飛燕は界燕の異心と返忠を認めた。

 此れは界燕の背信行為だ。

 界燕は己を蹴落とし自らが燕国王とならんという夢想に酔い、乱逆したのだ。

 ぎりぎりと奥歯噛み締める飛燕の元に、別動していた兵が注進の為に駆け込んできた。


「陛下! 陛下! た、大変です!」

「何だぁ! 今度はどうしたぁ!?」


「み、水が……水が途切れましたっ!」

 その場にいた全員が、木偶人形のように凝り固まり動けなくなった。

 無論、飛燕も例外ではない。

 かっ、と目を剥いた塑像のように立ち尽くしていた。



 ★★★



 呪いの禁をようよう破り身動きかなった飛燕は早速、水路に案内させた。


「陛下、此方に御座います」

 指し示された先にあるのは、水龜代わりの池だった。

 池の水はまだ満水であるのだが、落ち込む水は確かに枯れている。

 ぐぬ、と飛燕は呻いた。

 この溜池で一体何日保てるのか。城内に居るのは1万の兵士だが、水を必要としているのは人だけでなく馬もだ。しかも馬は人間の3~5倍の水を必要とする生物だ。こんな小さな溜池など数日、いや三日も持たずに干上がるだろう。

「陛下、よもや界燕殿下が……?」

 おろおろとしている部下に、いや、と飛燕は頭を振った。

「我らと時同じくして動いておった界燕に、この数日の間に明渠を発見し打ち壊すなど、無理であろう」

「で、では……?」

「そうだ、剛国の奴らの仕業だ」


 城には井戸は一切、掘られていなかった。

 その代わりに、山中の腹から湧き出る清水を受けて城内に引き入れる明渠が幾本か用意されていた。高所である事、そして井戸を探る為の掘り師を本国より呼び集めるよりは従軍している大工部隊に命じて水路を作らせ、城内に清水を引いた方が確実で早いのは確かだ。

 だが剛国王弟・烈の、敵の目的は其れではなかったのだ。

 明渠や暗渠などの水路に頼った水源は断ち易い。つまり、此処ぞという絶好の機会を逃さず精神的にも肉体的にも追い詰める事が出来る。


 ――この城に自分たちを導き、招きいれ、其の上で退路を断ち、水と食料をも……!

 此れこそが、剛国王・闘と王弟・烈の真実の目的だったのだ。

 場内に全ての軍を引き入れる為に烈は無様を装って引き、動きを気取られぬ為にこれ見よがしに馬防柵などを用意していたのだ。


「烈めぇ! おのれ、おのれヒヨッコめが、此の私を愚弄するのかぁ!」

 だが、最も面憎いのは烈などではない。

 恐らく此れあるを予測しておきながら奏上せず、尚且つ、利用して自身を討ち取る為の策として用いた異腹弟・界燕だ。

「おのれ界燕め! 兄に、国王に逆らい簒奪者との誹りを受けるも辞さぬというのか!」

 ――信頼しておればこそ、露国と結び入る役目を与えたものを!

 其れを、斯様に捻じ曲げるとは……!


「覚えておけ、そして見ておれ! おのれら! 必ず、貴様らのそっ首を城壁に掲げてやるぞ! 烏に目玉を突かせ蛇に舌を喰わせ、脳を腐り爛れさせた醜態を曝してくれるからな! 必ず、必ずだ!」

 厚い雲に覆われた空に向かって、飛燕は野犬の如きに吠えた。



 ★★★



 部隊の四分の三を残し信頼のおける部下に後事を託すと、烈は剛国本土の地を踏んだ。

 闘から与えられた烈の宮に入る。

 他の兄弟たちにはない栄誉であり、隠すこともしない、烈の自慢の一つだった。


 屋敷は心地よい花の香りで満ちており、長旅の疲れを癒して呉れる。部屋に用意された水を一口含めば冷たく冷やされており、身体に生気が蘇るのを実感した。口に甘くも優しく涼しい、青梅の甘露煮が落としてあったのだ。

 妃である瑛姫はこの場にいない。

 開いたばかりの群府に置き去りにしてきたし、そもそもが夫である自分へ此の様な心尽くしを黙って行える良婦とは真逆に位置する、女としても妃としても価値も意味もない婦人だ。

 だから此の憎いばかりの心使いは、義理兄にして国王である闘が命じたものだ。

 即ち烈への褒美の一つ、という訳だ。


「戦らしき戦もしておらぬ身に、何という……!」

 身に余る光栄、と烈は感動に震えながらも、随った臣下たちに恩賞を与えてから家に下がらせる事を忘れない。

 戦から帰ったとはいえ領土を奪った訳ではないのだから、分け与える褒賞の元手となる土地や金品はない。

 恩賞を与えるとなれば、烈は領地から上げた貯蓄の中から身銭を切らねばならない。

 だが、此処で労を労わねば彼らは忠誠心を別の兄王子に乗り換えるだろう。

 部下たちにとって、生き延び、より良き糧を与えてくれる者こそが善き君主であり、仕えるべき対象となりうるのだ。其の為には、彼らの功労には常に正しく報いねばならない。


 しかし一方で、君主たるもの勝利の為には非常になりきるものであると知らしめる必要もある。

 そういう意味では、此度、正妃・瑛姫を群府に残す策は彼らを大いに引き付けた。

 騎馬の民は、同朋を輩を氏族を尊ぶ。其れ故に、正妃となって以来、剛国の気風に染まる処か見下す態度を一貫して崩そうとしない上に、女としての最大の役目である懐妊の兆しすら見せぬ瑛姫は、既に臣下たちにとって戦にくらい利用できねば何の利用価値もない荷物以下だった。


 ――此処で瑛を群府に捨て置き、身の程わきまえず手を振りあげてきた愚かな輩どもに討たせれば、契国は西燕に恨みを抱く。

 しかし今の契国は王が代替わりした事もあるが、4年前に句国に攻め入られて以来の政情不安定さを引きずっている。

 だからこそ形振り構えぬ契国は、同腹の王妹・瑛姫を質として差し出してきだのだ。

 一国にて西燕を討てぬとあれば、郡王・戰に共闘の盟約を申し入れる筈。

 さすれば二国は、いや三国は弱体化し、労せずして我が剛国のものとなるのだ。

 血族うからおさとして君臨する者として王として、率先して身を切る覚悟をみせよと命じた闘と、例え己の妃であろうとも、いや正妃であるからこそ軍略の為には惜しげもなく礎として使う烈の姿勢は、剛国において最も尊しとされる。


 特に、兄王・闘への徹底した尊崇の意を崩さぬ烈だからこそ、此度の栄誉を得たのだという認識だった。

 戦勝は生き延びる為の糧だ。

 糧とは優秀な騎馬を有し得る豊沃な領土であり、綺羅を放つ宝玉や黄金白銀の品々、多くの部下の腹を満足させるだけの文字通りの食糧、そして一族を生み増やす女だ。

 勝ち得た糧を正しく均等に分配し、氏族を支え栄させてくれる存在。

 流した血と汗と涙の分だけ、漢に対して惜しみなく愛と仁で応える天涯の主たる天帝と同等であると平伏せずにはおられぬ人物。

 それが、剛国王ある。

 だからこそ、領民は国王に忠誠と誠意と献身を捧げる。

 此れが剛国に生きる者にとっての正義であり、唯一絶対の真実まことである。


 ――いや、あるべきなのだ。

 歴代の剛国の王の中でも王者として讃えられるべき最も高貴なる人物は、兄・闘陛下をおいておられぬのだからな。

 我が事以上に、烈は闘に対する他の兄弟や幕僚臣下領民たちの態度が気にかかる。

兄王・闘に最も愛されている最大の身内は自分一人で充分だ。

 自分以上に兄王・闘を理解し得る者はおらぬ、という自負が烈にはある。

 が、さりとて、周囲がのんべんだらりと兄王・闘の素晴らしき才能に甘え寄り掛かった怠惰な態度をとれば腹が立つし、己よりも闘を尊敬してやまぬ態度と姿勢をとられても気持ちが荒れる。


 自分以外に兄王・闘が他者に興味を抱き情を移す姿など、最も見たくないものだった。

 思い出すのは、祭国群王の臣下である真とかいう男を物語る時の闘の姿だ。

 たった数度、しかも数刻、顔を合わせたのみ。

 だというのに兄王・闘は、真とかいう男に情を掛けている。


 ――そんな事は有り得ぬ、何を気持ちを苛立たせ気を漫ろにしているのだ。

 自分に言い聞かせる。

 兎に角今は、兄王・闘への報告が先だった。

 礼も述べねばならない。

 だが、なかなか殿上を許す舎人がやってこない。そわそわと身体を揺する姿は、御褒美のおやつを貰えるかもしれない、という期待感から尻をぷりぷりと振って主人を見上げている仔犬のそれと同じだった。

 王座より、烈よ、御苦労であった、と声をかけられる瞬間を胸に思い描いて烈は恍惚となる。熱くなり、締まりが悪くなった胸と頭を冷やす為に、烈は器を取り上げて冷たい清水を口に含んだ。

 と、聞き慣れた高い足音が近づいてきた。兄に使える内官だった。


「国王陛下の御召に御座います、王弟殿下」

「そうか、分かった」

 いよいよ、兄上から御褒めの御言葉を戴く栄誉を賜るのか。

 落ち着かせた筈なのに、気分は再び限りなく上昇する。内官に大きく頷きながら、烈は居住まいを正した。幾ら帰国直後に雲上人の其れに着替えたとはいえ、国一番の佳き漢と皆の羨望の眼差しを受ける異腹兄・闘の弟としてみっともない姿ではいられない。


 浮かれた気分が漏れ出たせいだろうか、それとも何時もの態度から想像しやすかったからであろうか、内官は合わせた袖の奥から気の毒そうに目を細めて烈を眺めてみせた。

 しかし、見逃す烈ではない。

「何だ、陛下に誉を与えられる私を、何故なにゆえ斯様な目で見る」

 ギロリ、と狼のように鋭く見据える。うっ、と息を飲みながら内官は慌てて謝罪してみせた。

 だが、烈は其の程度の儀礼では許せない。兄王・闘に最も近い位置にあり、常に愛情を受ける誉に与る自分は、他の臣下たちに嫉妬と羨望の眼差しを向けられて当然なのだ。憐憫の目を向けられるなど、あってはならない。


「何だ、と申しておる。素直に言わぬと歯を全て圧し折るぞ」

 胸倉を掴んで揺する烈の迫力は、今口にした言葉を即断実行に移すを物語っていた。内官は慌てて、烈に手を振った。

「そ、それが……陛下が殿下をお呼び出しになられたのは、先の戦の報償の為ではないのです」

「何? では、陛下は何用で我をお呼び出しになられたのだ」

 それが、その……と口籠りかける内官の喉元を更に締め上げる。


「実は、祭国からの使者が来ておりまして」

「祭国?」

 内官の目付きが妖しくなったのを烈は見逃さない。

「奴らがどうした。我が剛国を宗主国として仰ぎたいとでも申し入れて来たとでも云うのか?」

 ふん、と嘲笑う烈に、いいえ、と内官は首を振る。

 もったいぶった態度が癪に障った烈は、もう一段強く首を捩じ上げた。


「陛下は、そのお使者殿と殿下を目合わせたいと仰せになられておられるのです」

「なにぃ?」

「全ては、陛下の深慮に依るものに御座います。瑣末な身の私程度で計り知れようものではありませぬし、此処で私を締め上げておられも埒はあきますまい」

「……ぬ」

「何卒、王の間に」

 内官の言葉に正しさを認めた烈は、済まぬ、と一言潔く謝ると腕をゆるめて彼を離した。

 ごほごほと咳込む内官を残して、烈は王の間に殆ど駆けるようにして向かいかける。と、その足をピタリと止めた。内官の何所か空々しい態度に、何か悪い予感が胸をよぎったのだ。


「兄上が私に会わせたいと云う祭国の使者とは、どんな奴だ?」

「は、それが」

 この期に及んでわざとらしく躊躇してみせる内官に一睨みを呉れる。観念したように見せかけつつ、内官は明らかに烈の粟を食った態度を楽しみながら答えた。


「祭国群王・戰陛下の最大の御身内で在らせられる、真、という御方に御座います」

「何だとっ!?」

 烈は目の前が、怒りの血の潮流で赤く染まるのを感じた。



 ★★★



 自らの前に最礼拝をもって佇み草上を述べる真を、王座に腰かけ肘掛けに置いた手に顎を乗せた闘は、面白そうに眺めていた。


「ほう、5年の間に相応の苦労をしたか? 悪戯小僧面が引っ込みおったではないか」

「そうでしょうか? 自分の事となると気が付けませんので」

「ああ、なかなか立派な漢の面白き面付きになってきたぞ」

「恐れ入ります」

 闘の耳元で、内官が何事かを囁いた。途端に、ほう? と闘の眉尻が跳ね上がる。

「えらい者どもを拾って来たな、真とやらよ」

何所か脅すような低い声音の闘に対して、はあ、と真は何時もの調子からはみ出そうとしない。

拾うというのはいささか語弊が御座いますが、確かに私どもと出会わねば末はどうなっておられたかと思えば、その表現で正しいのかもしれませんね」

「言いよるな」


 馬の品評を行うかのように闘は遠慮なくねめつける。が、真はすらりと答えて、何処か恍けた処のある表情を崩さない。

 3年前の禍国での政変は、遠い剛国にまで届いている。

 顎を乗せた手の形を変えて米神を抑えつつ、ふん、と闘は短く笑った。

 眼前で礼拝を捧げてくる真の様変わりしようは、闘にとってはおかしみと驚愕しか与えなかった。

 痩質でもあり童顔でもあったため、何を言っても迫力というものが欠落していた男だった。

 しかし、政変を潜り抜けた際に真の身に何があったか。


 ――どのような目にあったのかは知らんが、更に面白みが増したようだな。

 ようとは知れぬが、左腕を袋に隠して吊り上げ右手も骨折の痕らしき歪みを残し、尚且つ、面体にも嘗てはなかった傷痕を彫り込んだ。

 だが障碍の身となりながらも、柔和な印象を与えやる態度を変えない。

 その癖、瞳の奥と声音の深部には嘗てはなかった鋭さ、というよりは鋭利さが宿っている。気が付いた者は即座に肝を冷やし、ぞくり、と滴るものを背筋に感じずにはいられぬだろう。

 自分を慕って呉れる臣下や異腹兄弟たちは、確かに頼りになる。故に、実力以上の成果を捧げようとする子供地味た行為すらも愛おしい。

 だが、眼前に置くだけでぞくぞくと背筋を駆け巡るおかしみを感じさせてくれる男は、言葉の遣り取りがそのまま命の遣り取りと直結するという緊張感を与えて呉れる男はいない、いないのだ。


 ――面白い、実に面白い。

 ますます欲しくなったぞ、真とやらよ。

 使いこなすには相当な度量と技術が必要とされる野生馬の群れの中から、特に暴れまわる馬を乗りこなし完全に精神と魂とを屈伏させてやろう、とする時と同じ気概と高揚感が闘の内側に溢れる。

「で、その面白き男は何用にて、遠路遙々険しき道を歩みて剛国の地を踏んだのか」

「はい、其れは此方に」

 揶い口調の闘に、真の方もいちいち構って欲しいなどと思ってはおられぬでしょう、とばかりに、しれ、と答えつつ、使者としての役目をこなすべく金色の縁飾りを施した赤いきぬとやはり金糸で編まれた組紐で守られた箱を闘に向けて掲げる。


「此処へ」

 腕を付いた姿勢を崩さず、闘は命じる。

 内官が無言で命に応え、真から箱を受け取り闘の元へと静かに運んだ。


「開けよ」

 命じられるままに内官は組紐を解き、布を取り払う。

 箱を開けると中には木簡による親書が収められていた。


「持て」

 厳かに親書を掲げ持ち、闘の前で広げる。書かれた文字を読み込んでいた闘の顔ばせは、一文字拾う毎に険しいものになっていく。


「此れはまことか、真とやら」

「はい」


 陛下、と答えかける真の声は、高い靴音と打ち破れとばかりに開かれた扉の音に搔き消された。



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