16 燃える山河 その2-2
16 燃える山河 その2-2
祭国へ向かわせた使者ではなく、郡王からの使者が早馬を駆ってきた。
「ほう?」
通り一遍の作法通りの報告を受けた受だったが、最後に、面白くもなさそうに使者からの書簡を取り出した資人に、微かに目を細めた。
見るからに親書だ。
しかも、郡王にのみ許された封と璽がなされている。
「其れは?」
「は、祭国郡王陛下より恐れながら皇帝陛下への奏上ありとの御言葉を預かって参りました」
ほう、と受は徐ろに手を伸ばした。
受の無作法は今に始まった事ではない為、資人の任に就いていた男も些かぎょっと目を剥く位で、殊更に不敬を言い立てなどしない。
そもそも、皇帝・建が親書に目を通したとしても、文字通りに目が文字の上を素通りするだけだ。受に押し付けながら、後は其方が何とかしろ! と云うのが関の山だと、もう周知されている。
丁寧に組んである紐を解き、書を広げる。
連なっている文字を追う受の眉間に深い溝が走り、みるみる間に険のある顔付きになっていく。
それでは、と使者としての役目を終えた男は受に一礼してとっとと下がっていった。受が作法を重要視しておらず有能であるかどうかの一点にて人物を評価している為、少なからず彼に関わり仕事をしている者は礼法作法を守らない。受にしても、何時までも返礼の応酬ばかりしても意味はない。頭を一つ下げる間にどれだけの書に目が通せると思っている、という考えのもと、自分に非礼や無礼を働かれても平然としている。
夢中になっている受は、資人が静かに退室した事にも気が付けない。
何度も文頭に戻っては読み直していた受が、やっと視線をあげると彼の視線の先の格子窓の外で蜻蛉が群れを成して飛んでいるの目に入ってきた。
つかつかと丸い窓に歩み寄り、窓を開ける。軋みも見せずにすらりと開いた戸の先に広がる空は、色は薄いが雲が切れ間なく流れており陽光は微かにしか降りてきていない。
頬をゆるりと撫でて過ぎる風は湿気を含んでおり、肌寒く感じる。
――成程、言われてみれば頷けるな。
受は細い目を更に細めて、太陽が隠れていると思しき縁が朧に光る雲を睨んだ。
もう一度、郡王・戰からの親書に視線を落とす。
今年は冷夏の気配があり冷害が予測される事、冷害の度合いは未だ測れないが数十年の周期で訪れる被害が禍国建国時より一度も起こっていない事からも大飢饉へと発展する可能性はある事、今からでは充分とはいかなくとも備えを怠らねば餓死者などの被害を最小限に留める事が出来る――などなど、簡潔明瞭に認められていた。
――確かに、禍国の建国の由来を思えば可能性は高いが。
禍国の初代皇帝は、前王朝より受禅を受けて即位した。
とはいえ、実質的にはほぼ簒奪に近い形で前王朝を滅ぼした上に成り立っているのは隠しようもない事実である。
その際に人民に新王朝である禍国が受け入れられたのは、他でもない。
天災に際して全く何の手段も講じず、領民から租調庸を搾取するだけ搾取して、己は安穏として王宮の奥にて怠惰に肉欲を愉しむ日々を過ごしていたからだ。
初代皇帝はこの無能である上に害しか及ぼさぬ王を討ち、溜め込まれた税課を人々の手に戻した。
だからこそ初代皇帝は簒奪者でありながらも人民より許され、受け入れられ、愛されたのだ。
――郡王陛下も真とやらも、甘いな。
いや、若造というべきか。
冷夏から飢饉が起これば、黙っていてもこの数年の内に禍国は内側から崩壊する。
行き場を失った民の怒りは、やがて門閥貴族どもを追い詰める。
――生き延びる為の歪な欲は、やがてこの私の地位を奪わんと走り出し、最後は皇帝・建に禅譲を迫るだろう。
最も力があり、飢饉を乗り切った祭国郡王・戰へ帝位を譲り渡せ、と。
「放っておけば私も楽が出来るものを。真とやらめ、律儀というか馬鹿丁寧というか小心というか」
やれやれ、奴は郡王陛下に対して過保護が過ぎるな、と受は頭を振る。
しかし、親書という形で奏上を受けたからには、皇帝・建に対応策を進言せぬわけにはいかなくなる。
「だが、真とやらよ。皇帝が私の進言を受け入れるとは限らぬのだぞ?」
小馬鹿にして蠅を追い払うように手を振りつつ、退ける予想図しか思い浮かばない。
となれば、何故、事実を知りつつも対処法を考案しておかなかったと責め立てられるだろう。寧ろ、そうなれば、より容易く御位を引き摺り下ろされる。
「まあ、いい」
私も真とやらも、所詮は天帝に遠く及ばぬ人の身だ。
どの様な流れに行き着こうとも、天の采配には太刀打ち出来ぬ。
嘯きながら受は資人を呼び、皇帝を呼び出せ、と命じた。
★★★
斥候が帰還したと知らせを受けた烈は、直様、執務室に通すように命じる。
「どうだ、飛燕の奴は動いたか?」
「はい、殿下」
「兵の総数は」
「は、総数数は大凡2万。機動性を重視しておるのか、騎馬を主体にしており歩兵はほぼみうけられません。追って到着してからの二段攻撃に入るものかと」
「だろうな。私に攻略された郡府と同じ策を用いて此処を叩くつもりなのだろう」
兄王・闘から聞かされていた読み通りだった事が、烈には堪らない。ぞくぞくと背筋を駆け上がる歓喜を抑えつつ、斥候を促す。
「で、進路は?」
「はい、我らの辿った道を馬鹿の一つ覚えなのか、倣っております」
「馬鹿一つ覚えか、それはいい」
嗤う烈に習い、斥候も薄ら寒い笑い声をたてた。
「では、私が使った公道以外に進路を採っている部隊はないか?」
「はい、王弟・界燕が一万騎を率いて露国よりの進路をとっております。露国王と盟約を結ぶつもりではないかと」
斥候の進言に、烈は顎を跳ね上げ胸を反らして大笑する。
「正に、殿下が仰られておられたようになりましたな」
此処ぞとばかりに下卑た表情でおべっかを使い持ち上げにかかる斥候に、馬鹿を云うな、と烈は取り合わない。
「全ては我が陛下の御言葉だ」
一気に白けた表情になった斥候を無視して暫く全身を使って笑っていた烈だったが、ぴたり、と声を止める。
「よし、その界燕とか云う奴を重点的に見張れ。恐らく命令を無視して露国には向かわず、飛燕を突かんとする筈だ。公道を封鎖する位置にも、いち早く到達せんと速度を上げている頃だろう」
ははっ、と頭を垂れる斥候に烈は更に命じる。
「だが、我らの策戦は些かも変わり無い。此のまま飛燕が郡府を真正面から突きに来るまで郡府に逗留し、激突寸前で剛国へと撤退する。読み通り、奴らは報償首を引き連れて来てくれるそうであるが、構うなよ」
「はい。殿下の先見の識に、我らは頭を下げるしかありません」
再びの斥候のおべっかに、ふん、と烈は鼻息を荒くする。
「私如きの策ではない、と何度言えばその空っぽの頭に入るのだ。全ては我が国王、闘陛下によるものだと言ったであろう」
斥候を下がらせると、烈は窓に寄った。
急場拵えの城とはいえ、2万そこそこ程度の兵相手であれば1ヶ月や2ヶ月は楽に篭城戦を行える頑強さは持ち合わせている。
其れでも、この城を、郡府を捨てるのには理由がある。
――燕国王は、部下にも族にも、余程恵まれておらぬらしいな。
我が異腹兄陛下とは随分な違いだが、其れが持って生まれた変えようもない人物の差というものだな。
余りにも闘の思惑通りに掌の上で踊りすぎる飛燕王に、腹の底から憐憫の情が湧いてくる。
「しかし、燕国の奴らは何方も姑息な手を使うものだ」
道を外れて飛燕王を出し抜こうと勝手な動きを見せている界燕は、王の異腹弟である筈だ。
王位を狙うのは漢として正しい道だ、其れをとやこう云うつもりはない。
だが、正面きって飛燕王と対峙して何方が国王として真実相応しいかを競うのではなく、裏街道をひたひたと脚音を忍ばせて動く界燕のやりようが、烈は気に喰わなかった。
――界燕よ、名前ばかりが立派であっても恥になるばかりだぞ。
烏滸がましくも至尊の冠を欲するのであれば、せめて我が兄上を愉しませる程度の力量を有しているのだろうな?
感慨を得るほど長くは逗留しなかったが、城内をぐるりと見廻しつつ烈は腰に手を当てる。
しかし、視線が彼の正妃の為に割り当てられた棟へと続く廊へ向くと、此れまでの機嫌の良さは消し飛び不機嫌の塊と化した。
眉根を寄せて眉間に深い溝を刻む。
――さて。
あの女、どうしてくれようか。
あの女、とは烈の正妃である契国王・碩の王妹である瑛姫の事だった。
★★★
当初、烈はこの郡府に瑛姫を連れて来るつもりはなかった。
かといって、本土に拝領している治領内に置いておくのも正直な話、嫌なものだった。
何だかんだと理由をつけてはいるが、つまり烈は瑛姫という女が心底嫌いなのだ。
兎も角いけ好かず、何もかもが気に入らない。
顔を合わせると何かと意味ありげに溜息を吐いてみたり、髪型が決まらないと物憂げに後れ毛をかきあげてみたり、小指をたてて唇の湿り具合や目元や口元の肌の張りを気にしてみたり、肉置きが豊かになったか貧相になったかで眦を上下させ、胸元からの薫香の仕上がりにまで小首を傾げる仕草が、一々どうしようもなく面倒くさい。視界に入らぬ処でも自分のこういった動きしているのだと予測させるのもまた、心底げんなりするし五月蝿く感じる。
だが、兄である闘に命じられてこの小さな橋頭堡のような城に、烈は瑛姫を伴ってきていた。
「よいか、瑛は連れて行け」
「兄上、女など戦の邪魔にしかなりません。何れ戦場になり、捨てると分かりきっている城になど連れて行ってどうしろと? 死を選べ、と命じる未来が見えるだけですが、私は間違っておりますか?」
「烈、それはならん」
異腹兄・闘の命令の裏が、烈は理解しきれないでいた。
「兄上。其れはつまり、猶子を見せよという御命令ですか?」
猶子とは義子や養子の意味もあるが、この場合は兄弟の子という意味である。要は、瑛姫との間に子供を儲けろと兄王は命じているのだ、と烈は受け取っていた。環境などの目先が変われば、前後して子を孕みやすくなるのは人間も野生の動物も大差がない。
――此れを機会に夜の営みを励めとでも仰るのですか、兄上。
剛国王である異腹兄・闘が何故、契国如きの姫に此処まで目をかけ、甘い態度に出るのかが分からない。
闘は笑って、否とも是とも云わず、手を振っている。
異腹兄・闘の言葉は己の身体に流れる騎馬の民の血潮と同等に尊い、と崇めている烈にそれ以上の反駁など出来ようはずもない。
烈は兄王が遣る事成す事、口にした事柄全てにおいて季節風に舞う毛烏素砂漠の砂一粒程も疑ってはいない。
が、しかし懸念は抱いている。契国は王太子・碩が即位してより、禍国というよりは寧ろ祭国郡王である戰・個人と親しくしている。つまり謂わば、何処までも曰く有りの、無駄に地位があるばかりで扱い難いことこの上ない半敵国の女だ、と烈は認識している。
烈の身構えた考えは、常日頃の彼の態度に如実に表れており、近頃は部下たちも倣うようにまでなってきていた。当然、烈は咎める事などしないので、瑛姫の立場は暗く危ういものへと明白に追い詰められている。
そこへ持って来ての、この命令だ。
全く分からない。
連れて行け、とは矢張此れを機会に、夫婦の間にある溝を埋め夫婦和合の道を励めよ、という意味であろうとしか考えられない。
――だが、あんなのっぺり女の、何処をどう、愛でられるというのだ。
今回ばかりは、兄王・闘の命令にどこまでも烈には不服であった。
そもそも、何れ契国を攻略した後には捨てるもの、と分かりきっている女と閨を共にするなど、無駄でしかない。
あの程度の女の世話の為に、何程気を遣わねばならぬのか。何人の宮女を付けてやらねばならぬのか、と思うだけで心底げんなりとする。
肩を怒らせる烈に、闘は含みのある表情で小さく呟いた。
「良いか、必ず連れ行け。お前の正妃である契国を根幹とする瑛姫。あの女は、利用価値がある」
――契国?
何故に今更、契国程度の国を強調するのか?
それに利用とは……?
ふっ、と短く笑う闘の眸が、ぎらりと野生の肉食獣の輝きを放ったのを、烈は見逃さなかった。
そして漸く、烈は理解した。
「お前は決して瑛姫に何事も伝えても漏らしてもならん。よいな」
「はい、兄上」
兄王・闘は瑛姫を使って契国との縁を切り、剰え彼の国を併呑しようとしているのだ。
異腹兄であり国王である闘の言葉と行動には、必ず因と果がある。
利用価値がある、というのであればあの程度の女にも剛国の為、異腹兄の為に役立てるのだろう、遠く及ばぬ自分に計り知れぬ何がか必ず有るはずだ、と自分を慰める言葉で納得しようとここ数日繰り返してばかりいた。
しかし此処に来て、闘の言葉の意味と正しさをつくづくと噛み締めていた。
成程、確かに瑛姫にしか立ちまわれぬ役所だった。
「全てにおいて合理的に動かれる兄上らしい」
――矢張、兄上に敵う漢は此の世におらぬ。
烈は分厚い胸を上下させて、感嘆の息を吐いた。
★★★
未だに領民を入植させていない城なのだから当然ではあるが、剛国郡王・烈の支配地に西燕軍が侵入しても目立った抵抗はなかった。
寧ろ、まるで作りたての乳餅のように余りにも頼りなく、抵抗らしき抵抗がなかった。
騎馬を中心として編隊を組み、敵に反撃の余地を与えぬ速攻を仕掛けているのであるから当然といえば当然であるのだが、如何にも此れは異様であった。
百騎長以上ともなれば、疑問を飛燕に提示する者が現れ始めた。
だが飛燕は然したる疑問も抱かなかった。
「なぁに、所詮は餓鬼が喧嘩殺法で偶然に偶然が重なって拾った勝利だ。我らが此方に攻め込んで来たとの知らせを受けて、人馬ともども、またぞろ小便でも漏らして逃げ惑っておるのだろうさ」
侮蔑の言葉を吐き鼻で嘲笑いながら、飛燕は馬を休めず駆けさせる。
郡府が目視できる距離に迫って漸く、馬防柵が現れた。
しかし、申し訳程度であり防守の為の兵馬もない。
当然、柵は打ち壊されていく。
散り散りの木端に姿を変えた馬防柵を楽々と飛び越えて、燕国の騎馬は進む。
土埃は高く舞い、雲にとって変わらんとしているかのようだった。
★★★
「来たか」
斥候の知らせを受け、窓に立ち自らの目で燕国軍の動きを確かめた烈は短く笑う。
そして傍に控える斥候に、もう一軍はどうなっている? と楽しげに問い掛けた。
「はい、恐らく今夜夜半か明日未明には進路を塞ぐ位置に到達するかと思われます」
そうか、と磊落に笑いながら烈は踵を返す。
「では、我々も動くぞ」
烈の命令に、斥候は深々と頭を垂れた。
飛燕が腕を上げると、大国旗が掲げられた。
『燕』の文字、そして『飛』の文字が連なって風にはためく。
続いて、次々と軍旗が天を突いて掲げられていく。
「かかれっ!」
飛燕が号令を発すると、おう! 一万騎分の怒号が応じた。
馬蹄の音にて厚い雲を打ち破らんとばかりに轟かせながら、一気に郡府の正門を目掛けて疾駆する。
「蹴破れ! 我らの所領でやられた事をやり返してやるのだ!」
先頭に戦車部隊を配置し、荷台に先を尖らせた巨大な丸太杭を槍衾のよう配置し、城門に向けて突っ込ませた。と同時に、投石機を使い城壁を崩しにかかる。
岩で堅めた城壁は、巨石が当たる毎に音をたてて砕かれていく。
元より、未だに建設途中と言って良い城楼なのだ。やがて地割れのように城壁に罅が走り、脆くも崩れ落ちて巨大な穴がぽかりと空いた。その頃になると、城門も戦車部隊により木端のようにこじ開けられていた。
「進めぇ! 狙うは王弟・烈が首! 討ち取った者には報償は望むままに与えるぞ!」
飛燕王が嗾けるまでもなかった。
燕国の兵が、互いに互いを牽制しあいつつも、その手間こそが相手にとっての隙となると理解するのに、時間は掛からない。
剣と鉾を翳して我先にと郡府目掛けて浸走る。
同じ戦場を駆ける同軍の士が、自らと相手の出世欲を煽りたてて振起させる。
崩折れた城壁を砕けた城門を軽々と飛び越えて、次々と城内へと侵攻する。
「潰せ! 城を潰せ!」
「剛国王弟・烈は何処だ!?」
「王弟・烈を討ち取れ!」
「将兵の首は全て刎ねろ!」
「烈の首を晒し首にしろ!」
最早、彼らの目には敵である剛国の旗印しか見えていない。
彼らの総大将である飛燕王の命令も、耳に届いていない。
ただ、欲望に策励されるままに、敵の血を、剛国王弟・烈の生命を求めて駆け続けた。
★★★
燕国軍の馬蹄の轟きが、郡府をも揺らし始める頃。
烈は隊を整え終えて侵攻を許した正門とは反対側、つまり剛国本土へ向けての城門を開けさせて脱出し始めていた。
「遅れるなよ」
児戯の最中のような楽しげな声で命令をする烈に、手を挙げて応じる部下たちも場違いな笑みを浮かべている。
丁度、烈が率いる軍隊の最後尾が飛燕王が率いる東燕側の視界に入った。
途端に東燕側は軍旗を振り、気勢を上げて烈の部隊に追い縋る。
「殿下!」
「来たか」
土煙が濛々と立ち込め、竜巻のようになって烈の部隊に迫る。
「良いか、決して奴らを叩きのめしてはならんぞ。適度に討たれ適度に負けるのだ」
「ははっ」
「我々が尻尾を巻いて逃げ去ったのだと奴らに思わせてやらねばならぬ為とはいえ、腕を鈍らせて駆けねばならぬのは些か味気ない。だが、堪えよ」
明るく命じる烈に、部下たちも笑って答える。
その間も、土煙はどんどんと迫ってくる。
「飛燕王、愚かな王として名を刻め。我が異腹兄に相対すると決めた時点で貴様の敗北と死は決定していたのだ」
哄笑しつつ、烈の部隊は剛国へ開く城門目指して駆け始めた。
★★★
城内を仲間と廻っていた芙は、剛国王弟・烈が隊列を組んで母国へ撤退し始めた姿を認めた。
「動き出したな」
粗方の予想通り、飛燕王は力押しで郡府を攻めにきた。
だが、別段それが悪い訳ではない。このような小城は速攻で落とすに限る。小さな郡府如きに下手に籠城を許して兵馬を疲弊させるよりは、完全に乗っ取って諸国に知らしめた方が部があるし剛国との交渉に置いてより有利になる。
ましてや、王弟・烈の正式な所領は此の先にあるのだ。其処から救援の部隊が鮭の遡上のように押し寄せて来る前に、何もかもを終決させておかねば藪蛇になりかねない。
芙の元に、仲間が集結した。
通常彼らは芙を頭に、薙、萃、蘭、茹の五人で一組なり、行動を共にしている。
薙は『ち』、蘭は蘭『か』と読める為、仲間内では専ら薙と蘭で通っている。
名前は、地・水・火・風・空の五大を由来に蔦が名付けた。
五大といえば天涯を構成する要素を現したものであるが、中で最も上位に来るのは空、つまり茹が五人の頭であると考えるのが普通だ。しかし名前が其のまま頭領を周囲に教えてしまっていては、何事かの時に潰されてしまう。それを避ける為、芙が四人を従えているのである。
互いに面体を覆っていた覆面を外して顔を見合わせ、本人であるかどうかを定める。
変幻の術を有している者同士ではあるが、長く修行を共にしてきた仲間であり、同時期に蔦に拾われ共に草としての技を仕込まれ一座で育った兄弟以上の間柄だ。姿を見ずとも、仕草や武器を振るう時の癖、脚音や視線の送り方で誰が誰であるのかを知る事が出来る。だからこそ、一つの仕事を終える時には、こうして顔を確かめ合う。影に身を潜めて働き闇に息を殺して動く彼ら草が、自然と身に付けた互いを労う仕草だった。
「薙はどうした」
茹が視線を巡らせる。確かに、仲間の内の薙が遅れていた。
「芙、どうする? 俺が行こうか?」
「いや、俺が見に行こう」
探しに行こうとした蘭を、覆面をし直した芙が止める。
「俺が出た後に薙が来たら、待たずに行け。一刻待って俺も薙も来なければ、萃、お前が頭領となり構わず祭国に戻り報告をしろ」
芙の命令を受けて、萃が頷く。
仲間を残して、芙は姿を消した。
さして広くない城内をぐるりと一周りした後、芙の耳は仲間である薙が鳴らす鈴の音を捉えた。
――別棟に居るのか?
女性、烈にとっての正妃の住まいとなる棟の方向から聞こえてきた事に困惑しつつ、芙は仲間の元に走った。程なく、薙の姿を認めた。
「どうした」
「助かった、芙、あの石頭のお姫様がたに、物が解るよう話をしてやってくれ」
「俺?」
「俺じゃ埒が明かないって事さ」
芙に言葉を掛けさせる暇も与えず、薙は助かったとばかりに手を伸ばしてきた。言葉使いはそこそこ丁寧だが、明らかに薙は困惑、というよりも頑迷固陋な相手に手古摺っている。
「お前は顔見知りの筈なんだよ」
薙は肩を竦める。後はもう芙に投げ出すつもり満々なのだろう、安心感から明白に顔付きが明るくなって緩んでいる。苦笑しつつ、芙は薙と共に別棟の一室に向かった。
「また、性懲りもなく来たのか」
薙を認めたらしい鋭い誰何の声は娘らしい高さがあり、そして緊張感に固くなっていた。
部屋の隅に一塊りとなった女性たちの中で唯一、懐剣を構えている。
背後に庇っているのは主人なのだろうが、ちらりと覗く顔ばせは確かに匂い立つ美しさがある。
が、鷹揚というか、此れほどまで身体を張って守られているというのに、切羽詰まった処もなければ娘に対する感謝の気もない。
かと言って、諦め切っているわけでもなさそうだ。
何というのか、表立つ感情というものがない、と言えるだろう。
だが二人のその姿は、芙にとっては異様なものに見えた。
この二人に、会った事があるのだ――3年以上前に。
懐剣を構える娘は常に人の顔色を伺うようなおどおどとした遠慮の塊のような娘であったし、彼女に守られている娘は、潤んだ瞳で芙が仕えている男を見上げては甘い吐息を吐いて、胸をときめかせているのを隠しもせず周辺をうろうろしていたのだ。
徐ろに覆面を外して顔を晒した芙に、懐剣を持つ娘が目を丸くして息を飲んだ。
「……貴方、は」
「お久しぶりです、照殿」
 




