16 燃える山河 その1-3
16 燃える山河 その1-3
馬で先に王城へ行き、用意して欲しいものを整えて呉れるように頼むと、薔姫は嬉しそうに頷いて飛び出していった。
真も、身支度もそこそこ家を出た。途中、道すがらの家々に頼み込んで畑に入らせてもらい話を聞いたりしながらなので、此方はかなり時間はかかる。
そして最後に、類の家に寄った。
「こんにちは、福。私です、真です」
だが声を掛けても大家族であるのに、しん、としている。
何度か声を掛けても返答がない。年長の子供たちは働きに出始めているから居なくても当然だが、年少の子らも何処かに遊びに出払っているらしい。
真は裏口の方に回ってみることにした。すると、豊が大きな尻をふりふり鼻歌を歌っていた。福の子供である万を背中におぶってあやしながら、大量の産着や襁褓を物干し竿に干しているのだ。
豊のふくよかな影から、ひょっこり顔を出す者がいた。
陸だ。
手にした枇杷を口に放り込んでいる。克や珊の話では、豊の処にきて子供たちと遊びに来ているらしかった。休みの日は人恋しくなるというか、母親が恋しくなるのだろう。勿論、遊ぶだけでなく、畑仕事なども手伝っていく。
「おばちゃん、おばちゃんってばよう。ほら、真さんだって、ほら、おばちゃんよぅ」
もごもごと頬を動かしながら、陸が豊の太い腰を肘で突く。漸く真の方をみた豊は慌てて手にした襁褓をぶんぶんとふって、ほほほほほ、と照れ笑いする。
「へ? あ、あら、あらま、真様じゃないですか。いやですよお」
「こんにちは、突然申し訳ありませんね、福。勝手にお邪魔して」
鼻歌を聴かれて顔を赤くしている豊に、真は薔姫に呉れた茄子の木が植えてある畑を見せて欲しい、と頼んだ。
「畑の茄子? ええ、いいですよお」
陸が畑に走り、こっちこっち真さん! と手招きする。
「真さん、この茄子おいらが育てたんだぜ? どうだ、すげぇだろ?」
得意気に、にかっ、と陸は笑う。
「何でしたら、もう少し持っていきなさります?」
「お願いします。5~6本でよいので頂けますか?」
「はいはい、5本なりと6本なりと」
豊は気の良い笑顔を浮かべて、腰を振りつつ外の井戸端にある小さな納屋に走り寄った。畑の作物の収穫用なのだろう、小振りの包丁と竹籠を手にして戻ってきた。
陸がひょこひょこと真の傍にやってきて、にかっ、と白い歯を見せながら枇杷を差し出す。
「真さんも食う? この枇杷、旨いぜ」
「有難う御座います」
いいってばよ、と陸は鼻の下を指で擦る。真は素直に枇杷を受け取ると、早速齧り付いた。甘い芳香と共にとろりとした果肉が口内を満たしていく。
「へっへ、旨いだろ? でもよ、今年は枇杷の実付きが良くなかったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。そんだけじゃねえんだぜ? 柿の花も軒並み落っこちてやんの」
「柿の花が?」
「真さん、干柿好きだろ? 今年はなるだけ早く譲ってくれるように頼み込んでおかねえと、手に入らねえかもしんねえぞ?」
「今年は涼しいですからねえ」
よいしょ、と掛け声と共に畑の中に入った豊の後に、おばちゃん、俺も手伝うよ、と陸が籠を持って続く。
「瓜の花もみぃんな落ちちゃって、なかなか実が着かないんですよ」
「畑や田んぼの中の蛙だの何だのも、今年は冬眠から起きるの遅っせぇんだ。蝉もまだ出てきてねえし、昨日なんてさ、夏だってのに惚けた鶯がホケホケ鳴いていやがるし」
「全くねえ、涼しいと過ごし易いけどねえ、何か変だよねえ」
豊が手際よく、大人が手を開いた位の長さに実った茄子を収穫していき、受け取った陸が籠に収めていく。6本採った処で真に差し出した。
「ほいよ、真さん」
「有難う御座います、豊、陸。此れだけあればもう充分過ぎますよ」
「いえいえ。本当はねえ、朝の内に採る方が美味しいんですけどねえ。でも、そんなお茄子が欲しくなるなんて、もしかして何方か熱でもありなさるんです?」
「いえ、違いますよ」
はい、と籠ごと差し出された茄子を、有難う御座います、と頭を下げながら受け取る。
手を振る豊と陸へのお礼と挨拶もそこそこに、真は急いで城に駆け込んだ。
★★★
城にあがると、薔姫は真が欲しがっていた文書を類と通と共に用意し始めている処だった。
「姫、申し訳ありません。どうですか、ありましたか?」
「う……ん、我が君が探して欲しいって言ってたものかどうか、良く分からないんだけど……」
此れなの、と木簡を広げてみせる。
どれどれ、と肩を寄せて薔姫の手の内で広げられた木簡に見入った真は、う~ん、と唸った。途端に薔姫は悄気返り、真は慌てて手を振る。
「やっぱり、違う?」
「いえ、充分過ぎる程ですよ。ですが、もう一押し、と言うよりも別の記述が欲しいのですよ」
がりがりと項辺りを引っ掻きながら真は左腕で小突くようにしながら、木簡を次々と広げていく。凄まじい勢いで文字を追っていきながらも、まだ、う~ん……と唸っている。
「姫、もしかしたら大宮様がご存知かもしれません」
「苑様?」
「神殿になら、もしかして記録が残されているかもしれないですから」
あ、と薔姫は両手を小さく合わせた。言われてみれば、采女だった彼女の方が詳しく知っている可能性の方が高い。
「伺ってきて下さいますか?」
「うん、行ってくるわね」
薔姫が部屋を出掛けるようとすると、部屋に舎人がやってきた。
「真殿。お休みの処、誠に申し訳御座いませぬ。郡王陛下がお呼びになっておられます」
「戰様が?」
珍しい、と真と薔姫は顔を見合わせた。
何か用事があれば、舎人を遣いになどたてず、真、いるかい? と自分で訪ねに来るのが何時もの戰だ。
「何かあったのですか?」
真の問いに、は……と舎人は言葉を濁した。口止めされているのだろう。
「分かりました、では伺います」
椅子から腰をあげた真を、此方です、と舎人は誘った。
★★★
真が舎人の後に付いて歩いていくと、王の間に誘われた。
――戰様?
真は内心で首を捻った。
戰の執務用に用意された部屋ではなく、王の間に通されるとは思ってもいなかったのだ。
戰は郡王ではあるが、普段の戰は祭国の国王として学をたてている。国政も少しづつであるが、学一人に任せるようにし始めている処だった。学が施政を行う場であると皆にも認知させるべく、戰は極力、王の間を使用するのを控えていた。
だが、そうとばかりも云っていられない場合もある。
そう、例えば禍国からの使者が来てる場合だ。
舎人が礼を捧げると、部屋の戸を護っていた殿侍もまた礼を返してきた。
そして、扉を開ける。
今度は真に対して礼を捧げてくる。中へ、と言っているのだ。
「陛下、臣・罷り越しました」
開け放たれた扉の先に、王座に座る戰の姿が見える。
最礼拝を捧げて、戰の言葉を待つ。
暫しの間を置いて、許す、と戰の言葉が投げかけられた。無言で礼拝の姿勢をとり続ける真にもう一度、許すと声が掛けられる。
微かに合わせた袖に隙間を作り上げて、真はそっと様子を伺った。
使者らしき人物が見える。旗印と着ている衣服から禍国からの使者であると知れた。
「許す。入るがいい」
三度目の許しを得て、真は礼拝の姿勢を崩さず進み出た。
一定の距離を置いて歩を止める。
「遠慮は無用だ。禍国より、たっての望みで鳩首して協議したき議があるそうなのだ」
戰の言葉は何処か硬い。
おや、と真は礼拝の姿勢に隠して眉を顰めた。
普段の戰であれば、この様な事はない。寧ろ、皮肉を効かせた声音に使者がどう反応するかを楽しみ、後になって、真、あの時の顔を見たかい? と肩を叩きながら笑うのが戰だ。
「私如きでお役にたつのであれば、何なりとお申し付け下さい」
礼拝の姿勢のまま静かに応える真に、まだ強ばった顔付きでで戰は頷く。
すると、何時まで待たせるのか、と言いたげに禍国からの使者が戰に礼拝を捧げた。
そして何やら箱を捧げ持つ共の者を従えて、真の方へと近づいて来る。
「実はな、郡王陛下に輝かしき軍功を捧げてきた身である其方の眼力を見込んで、見て貰いたいものがあるのだ」
使者が真の頭上から、居丈高に言葉をかける。
真は眉を顰めた。
使者の顔付きに、見覚えがなかった。
そして自分の何気ない思い付きに、はっとした。
もしや、とは思うが念には念を入れよという格言もある、此処は慎重になるべきだろう。
「瑣末な此の私如きが、中華平原を統る皇帝陛下のお役にたつことがあるのでしたら」
「ほう、役立ってくれると申すか?」
「はい、郡王陛下の御為にも」
礼の姿勢を崩さない真に、漸く満足気に使者は頷いた。腕を払い、桐箱を捧げ持っている従者に命令する。
「此方を見て欲しいのだが」
「はい」
桐箱の蓋が開けられた。
なかには、珍しい堆朱製の軸に銀朱色の織文様が美しい表装の巻物が鎮座していた。この造りの巻物はよく見知っている。
――何方か、高貴な身分の方の似姿図でしょうか。
真の思惑など構いもせず、使者は掲げられた桐箱から恭しい態度で巻物を手にした。
美しい躑躅色の組紐を、丁寧に解いていく。
しゅるり、と涼やかな音をたてて巻物が広げられた。
ほう、という嘆息が紐解いた使者自身の口から零れる。
巻物は、真の予測通りに似姿図だった。
朱色を基調とした衣服を纏った麗しい嬢が描かれていたのだ。着用してる衣服から、燕国の姫君であろうと推察された。
「御名は朱燕様。燕国の璃燕妃殿下の血縁であらせられ、御年19歳になられる」
思わず顔を上げた真は、ぼりぼりと頭を引っ掻きながら、はあ、と適当過ぎる程適当にぞんざいな答えを返しそうになった。慌てて言葉を飲み込む。
うっかり普段通りの態度など示せば、不敬極まるとして禍国本土で何をどう言い立てられるものか知れたものではない。其れでなくとも、勝手に捏造される恐れすらあるのだ。迂闊な態度を取るべきではなく、言葉には細心の注意を払うべきであろう。
――注意……?
そう言えば、戰の態度や視線が気になる。
何かが喉元まで出かかっているのを、必死になって堪えているのがありありと分かる。
「其方、此の御方を見てどう思う」
「どう……とは?」
「良い。許す故、思う処を遺憾無く申すがよい」
使者の言葉に、はあ、そうですか、と真は遠慮なく姿勢を崩してぼりぼりと後頭部を掻いた。自分の口が許したとはいえ、真の無作法さに明白に使者は顔を顰める。
★★★
「どう思うか」
重ねて真に問う使者に、では、と真は礼を捧げる。
「燕国特有の風趣に富んだ、素晴らしい衣裳であらせられます。燕国の衣裳は胡服を基調とした風情あるものですが、流石に姫君、良く似合っておられます。祭国とは近年、国を挙げて親しくさせて頂いておりますが、燕国の方々は禍国の流儀に合わせて下さっておられます故、御国由来の衣裳で来られる事は御座いませんでした。しかし燕国の祖は元を辿れば毛烏素砂漠へと繋がる騎馬の民の血であられる筈。斯様に根幹を正しく魅せられるとは、禍国帝室の後宮で華やかに行われている衣裳重ねに飾られれば、多くのお妃様がたの心と目を惹かれる事でしょう」
つらつらと述べ立てる真に、明らかに使者は面食らった様子だった。
「いや、姫君の装束について意見をどうこう述べよと云うておるのではない」
「と、申されますと?」
「つまり、だ。姫君を見て、どう思うかと問うておるのだ」
「はあ」
言外に、この世のものとは思われぬ程の美しさ、まさに芳紀、麗しき姫君様である、と言え、と迫ってきている。
――どうも、この御使者の方は私に姫君を褒め讃える言葉を言わせたい、というよりも言わせねばならないらしいですね。
そうなると益々、相手の臍を曲げてやれ、と真は内心で舌を出した。
根っから捻くれ者というか旋毛曲りというか偏屈の気がある真は、意地でも言ってやるか、となってしまうのだ。真の心中を察したらしき戰が、小さく口元を緩ませた。
「どうだ、どう思う?」
そうですねえ、と真は前髪をぼさぼさにしながら、ぼりぼりと頭を引っ掻く。真の余りの無作法さに使者は鼻白むが、必死で罵声を飲み込んでいるように見えた。
「姫君は中華平原一の美姫との誉高き椿妃殿下と比べて全く劣る処がない御方であらせられます」
一気に述べ立てた真に、うむうむ、と使者は満足気に何度も頷く。
「しかし」
「ふむ? しかし?」
真が続けると、来たな、と戰が面白そうな顔付きになった。
「と云いたい処ですが、我が主たる郡王陛下が治める祭国は禍国を宗主国とするもの、不敬不忠は働けません」
「何だと?」
「恐れながら、私がお仕えしております郡王陛下はお立場が実に危うい御方にあらせられます。禍国皇帝建陛下に御使者様に万が一にも言葉尻だけを切り取り、あれやこれやと論われても敵いませんので」
「貴様! 我を愚弄するか!」
激昂する使者に、いえまさかそのような、と真は態とらしく驚いてみせた。
★★★
「今の祭国の国力にて、禍国と悪戯に関わりあっている余力など在りは致しません、と申し上げたいだけで御座います。ですから巫山戯ておる訳では、当然、有り得ません。郡王陛下を持ち上げる事により皇帝陛下を貶めたなどと捉えられては堪りません、と申し上げたかっただけなのですが、流石に皇帝陛下よりの御使者様、杞憂に御座いましたか」
ぐう、と使者は罵倒の言葉を飲み込んだ。
正しく言い付かっていた事を、ズケズケと言い当てられては言葉がなくなる。
「だが、それでは私が禍国での立場を失くす。何でもよい、他に言葉を変えて申してみよ」
しかし、引き下がる訳にもいかない。使者が迫ると、そうですえね、と真は項のあたりをぼりぼりと無遠慮に引っ掻いた。
「では、其処は一つ、禍国の後宮に数多咲くお妃様方と比べるなど不敬は働けませんが、遜色は御座いません、と無難な線の更に間をとって申し上げておきましょう」
しれ、と答える真に使者は、何ぃっ!? と顔を赤くした。
「ほ、他には!?」
「はあ、足りませんか? ではまあ付け足しまして、『姫』と言われて想像を逞しくした場合における要素を全てお持ちになられておられる、実に姫君様らしき容色の御方であらせられます、とでも」
使者はいよいよ鼻の穴を膨らませて息使いを荒くし、肩を怒らせてそっぽを向いた。
真を相手にしても、此れ以上は自分が当ら無駄に怒りに震えさせられるだけだ、と漸く悟ったのだろう。
本来であれば、真に対して不敬を問うて怒鳴りつけ、その場で誅したい処であっただろうに、必死で堪えている様は滑稽舞を見せる玩具のような可笑しみに溢れている。
その証拠に、奥で戰が肩を揺らしている。どうやら爆笑を堪えているらしい。
戰の笑みから、何があったのかは分からないが、どうやら問題は上手く回避出来たのでしょう、と真は悟り、やれやれですねえ、と内心で嘯いた。
★★★
使者を歓待用の部屋に下がらせる。
戰が何時もの調子に戻って椅子から立ち上がり、真の傍にやってきた。
真の背中を叩きながら、久しぶりに真の骨頂を見せてもらったよ、と笑っている。何のことやら未だにさっぱりな真は、はあ、と答えるしかない。暫く笑っていた戰だったが、不意に表情を改めた。
「実はね、真」
「はい、戰様」
「燕国側から、秘密裏に禍国に申し入れが来たのだよ」
巌しいのは顔付きだけでなく声音もだ。いや、巌しいというよりは、はっきりと怒りのみの成分しかない。先程までの柔和な戰はすっかり影を潜めている。
「燕国――何方の、ですか?」
「東燕からだ」
つまりは、実質の支配権を握っている王母・璃燕からの、という事になる。
「東燕から、一体何と?」
一瞬の間は、逡巡であったのか、どうか。
戰は一拍分の間を空けて息を吸い込み、真を見据える。
そして見据えたまま、動けない。戰様? と真は目を細めた。
「東燕の葵燕王と我が国と、縁組を望んでいるのだよ」
「縁組……ですか?」
戰に代わって今度は真が眉を顰める。
――何故、戰様は|我が国、と言われたのでしょうか?
御自身に後宮を学様に正妃様を、と燕国側が申し出て来る図式は容易く思い浮かぶが、戰の態度からはどうやら其れではなさそうだった。
「葵燕陛下は学様と同年のお生まれであると記憶しておりますが」
「ああ、今年12になられる」
この数年、年に数度の国を挙げての交易を行っている間柄だ。祭国には学外には椿姫しか王族はおらぬと知っている筈。
――なのに、禍国を通して縁組を持ちかけて来るという事は……。
「もしや、戰様と椿姫様の和子様と……ですか?」
優の帰国と共に、椿姫の懐妊は禍国に正式にも齎された。という事は、諸国にとっても同様である。
禍国では後宮内に留め置かれる王室の秘事であろうとも、戰が郡王という立場では如何ともしがたい事であるし、下手に隠しだてして無駄に痛くもない腹を探られても面倒臭いだけだからだ。
椿姫の胎内に宿る御子が男御子なのか女御子なのか、生まれ出るまで判ろう筈もない。
だが、王家属する以上は、外交において非常に大きな役割を担うべく命を背負っているのだ――喩え姿は見えずとも。
存在自体が大いなる取引と駆け引きの材料と成り得るのは、得に婚姻という縁をもって国と国を結ぶ力を持ち、姫に生まれた以上は使命とも言えた。
しかし、真はそうした古来よりの倣いを最も嫌っている。
戰も、そして学も、いや、この祭国に集う者は皆そうだ。
「戰様」
語気を荒げる真に、いや、と戰が頭を振る。
「燕国側の申し出は、私と椿との間の子が相手ではない」
「では、一体……」
祭国の王家は人員に乏しい。
先々代の王・順の王弟に当たる便の一門が蒙国へと帰っていった事もあるが、実質、学しかおらぬ上に未だ幼年であり、後宮の影も気配もない状態だ。
となると、籍が抜かれているはいるが、戰という禍国帝室の血をも受け継いでいる椿姫の御子へと意識が向くのは当然ではないか。
と、其処まで考えて、はっとなる。
「ではまさか、学様に……?」
「いや今回ばかりは、流石の真も思いも寄らない攻めだったみたいだね」
戰が嘆息しつつ、真に木簡を差し出してきた。
震える手で受け取る。
幾ら左腕が使えないとはいえ、結び目を解く位の事はやってのけられるようになっている。だというのに、いやに時間がかかる。
苛々としながら結び目を対峙し、やっと解いた。
自然に開く、その僅かな時間すら惜しくて、真は無理矢理、巻物を広げた。薄く硬い木簡が、カチカチと乾いた音を奏でる。
一文字追う度に、真の眉間の溝が深くなる。
我が燕国との嘉をより深く確かなものとせんと
此処に縁を結ばんと吾は欲するもの也
我が偉大なる燕国・葵燕王の名において
母后・璃燕殿下の御一門の姫なる者を
郡王の身内一等の其の者に
妃の一員としての称号を付け
与えんと欲するもの也
――燕国正妃・璃燕
「……」
女性らしい文字は祐筆によるものであろうが、文面からは尊大不遜な意思が滲み出ている。
「真、どう思う?」
目蓋を落として薄目で書簡に見入る真は答えない。
「真」
「随分と大上段に構えられた文面ですが……」
文字を目にしても無言のままの真に戰が催促すると、直接的でない答えが返ってきた。戰は再び嘆息する。
郡王の身内一等の其の者に
妃の一員としての称号を付け
与えんと欲するもの也
郡王の身内一等と言えば、誰しもが真を思い浮かべる。
其の者に妃の一員としての称号をつけて与える、とはとどのつまり、側室として贈る、と言っているのだ。
真は書簡を伏せる。
かたかたかた、と子供用の積木細工のような音がした。
まさか、自分がこの様な形で敵の標的になるとは思いもしなかった真は、言葉が継げない。
葵燕王の名が出てはいるが、実質的に命じているのは王母である璃燕だ。
戰に直接申し出れば、既に正室として嫁している義理妹が在るのだ、
言葉を濁して逃げられるに決まっているし、少年王・学に話を持ちかけたとしても彼の叔母にあたる椿姫は戰の正妃なのだから辿る結果は同じだろう。
だからこそ、璃燕は禍国に使者を送ったのだ。
皇帝・建を通して郡王・戰へと話を通じさせれば、建は皇帝としての面子をかけて戰に話を飲み込ませねばならなくなる。
何とも女性らしい、ねばねばとねちっこい攻撃の仕方である、としか言いようがない。
「しかし、御使者の態度は其れからすると解せないものがありますが」
自分の態度が予想と違い過ぎて滑稽な程慌てふためき、最後に怒りの為に真白になったらしく猪のような鼻息と眦で此方を睨んでいたな、と他人事のように思い出す。
真に言われて、戰が苦笑いした。
「ああ、真、其れだけれどね、今回はどうやら、大保に礼を言わねばならないようだよ」
「戰様?」
 




