12 嫉妬
12 嫉妬
まだ気まずい雰囲気は僅かに残ってはいるものの、夕餉の時間を迎えた辺りから少しづつ真の態度が改まっていった。
何かが解れて行く感覚が、薔姫には嬉しかった。
此れまで見た事もない兄の態度に明るさを消して縮こまっていた娃も、この夜は真の膝に乗ったり肩によじ登ったりと食事の世話を焼いてみたり、とべったりと甘えて過ごした。調子にのった娃は、お兄ちゃまと一緒のお布団で寝るの! と駄々を捏ねて好を困らせたりもした。
久々の明るい笑い声が響く家に、薔姫は、胸の痞えがとれ、すぅ、っと心休まる思いだった。
翌日。
真の身支度も普段通り任せてもらえた。
朝餉も共にとることが出来た。
加えて、久しぶりに何時ものように真と共に薔姫は城に向かい歩けている。
――嬉しい……!
出来れば、真の腕に絡み付きたいくらいだった。
最も薔姫は施薬院へ真の薬湯と自分の診察を受けに行くつもりでいるから、城に上がって彼の手伝いは出来ないのだが、其れでも並んで歩いている此の時間が愛おしくて堪らない。
城の正門が見えてくると、真が歩を止める。
「では、姫。那谷に宜しく言っておいて下さい」
と、真が真面目くさって言うと、うふ、と薔姫は含み笑いをする。
「駄目よ。ちゃんと何時ものにが~いお薬にして貰うから」
「ですか」
態とらしく肩を落とす真の背中を撫でながら、ほらほら、と薔姫は促す。こんな掛け合いも久しぶりだ。
正門の処でお互いに手を振って別れたが、薔姫は嬉しさに小躍りしたい気分を隠しきれず小鹿のように飛び跳ねながら施薬院へと向かった。
★★★
勝手知ったる、とよく言ったものであるが、もはや自分の家と変わらない施薬院だ。
真の薬の内容は基本的に変わらないし、自分も診察を受けると言っても月の障の前に訪れる腹痛や冷えを柔らかく穏やかなものとする薬湯が欲しいだけだ。其れに、流石に小さな頃から知っているとはいえ男性である那谷に女性特有の症状の相談するのは気恥しい。
薔姫は裏方の助手の娘たちの溜まり場へと回り、こそこそと中の様子を伺った。珊か福がいないかと視線を一巡させるまでもなく、向こうから気が付いて声を掛けてきた。
「あれ、姫様ぁ?」
薬湯を包む晒を切り揃えて縫っていた最中の珊が、目敏く見付けてくれたのだ。
「こっちこっち、こっち来なよぅ!」
笑顔で手招きしてくれる珊の傍に、薔姫も笑顔で小走りに駆け寄った。
「どうしたの?」
「うん、あのね、ちょっとお薬湯が欲しくて」
「真の? そんなら用意してあるよ」
部屋の奥に走り、固めておいてある頭陀袋を、よいしょ、と持ち上げようとする。慌てて、薔姫は沓を脱いで部屋に上がり、珊の腕を止めた。
「うぅん、違うの、私のお薬湯。それに珊、我が君のお薬湯は私が運ぶから、大事にしてて?」
「大丈夫だよぅ。もう、何さ、姫様まで」
ぷく、と両の頬を膨らませて怒る珊に、え? と薔姫が小首を傾げると、あっはっは、と福が丸く突き出たお腹を撫でながら大声で笑い転げる。
そう、福も3年前に那谷と所帯を持ったのだ。
真よりも痩せている那谷は、骨が皮と筋被って歩いてら、と琢や陸に誂われるほど細身なのだが、福は反対に骨が肉に埋没してしまい、あるのかどうか怪しまれるほどの巨漢、いやふくよかさだ。つまり、那谷の倍以上は体重がある。しかも那谷は、小柄な真より更に背が低い。下手に並ぶと、福の影に隠れてしまい、那谷が見えなくなってしまう。
こんな頼りない自分では認めて貰えまい、と告白を諦めていた那谷だったのだが、克と珊に触発され一念発心というか、なけなしの漢気を奮い起こして福に求婚した。
「い、いつも美味しそうに幸せそうにご飯を食べている福殿が、す、す、す、好きです! わ、私と一緒になって、いつもその幸せそうな顔を見せて下さい!」
傍から見れば自棄っぱちにも見える求愛した那谷を、福は見事な胸の谷間に、ぎゅう、と挟み込んで抱きしめた。
「幾らでも! 見せて差し上げます!」
「そ、それは嬉しい……、し、ししし、しかし、く、苦しいぃぃ……」
ぎゅうぎゅうと福に抱きしめられ続ける那谷が、物陰から見守っていた珊や施薬院の仲間たちにやんやと囃したてられたのは言うまでもない。
なんだかんだで仲間たちに祝福を受け、煽て上げられた那谷は知らぬ間にその勢いのまま、福の両親である類と豊の元に、所帯を持つ許しを貰いに突撃させられていた。
突然の訪問にも驚いたが、申し出が申し出だけに二人はまるまるとした身体をぶつけあって狼狽えた。
「こんな太った不格好な娘でいいんで?」
「何を言われる、そのふくよかさが良いんです」
「常に煩く喋ってばかりで賑やかしやで?」
「ですから、その元気さがが良いんです」
「とにかく、喋って騒いで食べてばかりで……」
「ですから! よく食べて下さる処が良いんです!」
一世一代の勇気を振り絞って、那谷は切々と嫁に貰い受けたいと類と豊に訴えた。
自分を始め、施薬院の仕事仲間も患者たちも福の明るさに何程救われているか、に始まり、彼女の明るいお喋りがなければ、もう自分はやっていけない、何でも美味しそうに食べる福殿の笑顔が患者さんたちも私も好きなんです、彼女が傍に居て助けてくれない仕事場など自分も皆ももう考えられない、それならいっその事、彼女と常に共に居られる様にしてしまいたい、福殿に背中を押されながら仕事をしたい、話しかけられる安心感の元でなら施薬院もより一層よいものになっていくはずです……。
腹の底からの那谷の訴えに、類と豊は滂沱の涙を流しに流した。
「な、那谷殿っ!」
「そ、そこまでうちの福をっ……!」
殆ど泣きそうになりながら、類と豊は左右から那谷に抱きついた、と言うよりも猪が突進攻撃するようにむしゃぶりついた。
「ふぐわあぁっ!?」
福よりも更に一回り以上太っている類と豊は、肉付きの良い分、力がある。その二人に加減知らずに力いっぱい抱きしめられたのだから、堪らない。
ふにゃり、と那谷は白目を剥く。と、ほぼ同時に、ぼきり、と彼の背筋が奇妙な音をあげる。
福が悲鳴を上げる中、那谷はくったりと筋の切れた人形のように倒れ込んで気絶したのだった。
そんなこんなの大騒ぎの連続の中、那谷は福と無事に所帯を持つに至ったのである。
施薬院の傍に家を建てるつもりだったのだが、結局、福の実家である類の家のすぐ傍に二人は新居を構えた。何かと豊が手助けしてくれるし、福も沢山の弟や妹の世話をしつつのされつつの気楽な実家住まいと変わらぬ生活を続けられる。
舅である類と娘婿である那谷の凸凹とした二人は、毎日きっちりと同じ時間に同じ道を通って城に上がるので、近所に住む子供たちは時辰を知らせる鐘の音より彼らを宛にしているくらいだ。
二人の夫婦仲は順調過ぎる程で、1年後に女の子を得て、もう直ぐ2人目の子供も生まれようとしている。最初の子は福そっくりの丸々とした元気な女の子で、万と名付られた。
しかし、娘を産んで3ヶ月もしない内に福は施薬院の仕事に戻った。
那谷の隣は、今や福でなければ務まらなかったのだ。当初、新居を建てるつもりでいた施薬院の敷地の隅に別棟を建てて、福は他に手伝いに来ている娘の子や弟妹連中と一緒に万の面倒を買って出てくれた。万が泣いてお乳の催促があれば呼びに来る、という寸法だ。
「福と珊、二人分の赤ん坊のお世話を任されるんだから、今から体力を付けなきゃねえ」
豊は土鍋に大盛りのご飯をよそいながら、ぺろりと豪快に平らげてしまう。
何時にもまして食欲旺盛な豊は、今度の子と克と珊の赤ん坊の面倒も見てやる気構え満々でいる。
★★★
いつまでも頬をぷくぷくさせている珊の横で小首を傾げる薔姫に福がにじり寄り、こっそりと耳打ちする。
「いえね。珊ってば、克様と喧嘩しちゃったらしくってねえ」
「……えっ?」
克と珊が喧嘩するという図式は容易に思い浮かばない。
気風の良い珊は明け透けな物言いをするので、時に強い口調になりがちなのだが、克は彼女のそんな誤解されやすい部分すらも、好きにしろ、と許してやっていた。蓮っ葉な珊であるが、その彼女になんだかんだ文句を言いつつも克が言いなりになる事で、つまりは尻に敷かれる事で万事諸事、こともなく夫婦は上手く回っていたのだ。
「珊と克が喧嘩って、どうして?」
「克様、珊にべたべたに惚れてるから、大事大事になさるでしょ?」
「う、うん」
慌てて首を縦に振ると、福はまだ母親譲りの豪快な笑い声を上げて腹を撫でている。
その隣で、珊はますます頬をぷっくぷっくと膨らませる。まるで田で大合唱中の蛙宛らだ。
「あの馬鹿克! 重たい物持つな、冷たい水触るな、熱い湯浸かるな、先の尖った物傍に置くな、走るな、騒ぐな、飛び跳ねるな、ちゃんと食え、いや食いすぎるな、怒るな、喚くな、腹の子がびっくりするだろ、寝てろ、とにかく寝てろ、静かに横になって笑ってろ、ってもう、五月蝿くって五月蝿くって、しょうがないんだよう」
話しているうちに、思い出し苛々が一気に頂点に達したのか、珊は拳を突き上げてブンブン振り回しながら、きぃ! と狐の鳴き声のような金切り声を上げた。
やっと話が見えてきた薔姫は、片目を閉じてみせた福に、うふ、と小さく零した。
「仕方ないわ。やっと赤ちゃんがお腹に来てくれたんだもの。嬉しい以上に、珊の事も赤ちゃんの事も心配なのよ」
「でもさぁ、別に椿姫みたいに酷く寝込むとか、ないんだよ? そりゃ、胸がむかむかはするけどさ、逆にさ、寝てるよりさ、何時もみたいに動いてた方がもやもやした気持ちが晴れてすっきりするって言ってるのにさ! あの馬鹿ちんのおたんちん克ってば! 聞きゃしないんだもん!」
限界まで膨らませた珊の頬を、福がつん、と突く。
ぷ! と空気が抜ける音がして、頬の中の空気は抜けて元通りとなったが今度は鶩のように、つん、よ唇を尖らせる。
「なに、姫奥様、気になさる事なんか、ありゃしませんよ。珊お得意の、お惚気ですよぉ、お・の・ろ・け」
「よね」
福と二人、額を寄せ合って、うふふ、と笑い合う。も~! と拗ねながら、またまた珊は頬を膨らませる。
「ふ~んだ! 赤ちゃんお腹にいたって仕事してる福になんか、分っかんないよ~だ!」
「そりゃ、うちはうち、他所は他所。特にうちの御亭主様は病人診るのが仕事ですからねえ、私に何があったって克様みたいにオロオロしやしませんよ」
「へーんだ。何よ、福だって惚気てるじゃない」
「いいえぇ、私だって言わせて貰えば、克様みたいにおろおろしてるうちの御亭主様の姿を見ていたいですよ」
「ふーん? そんなもん?」
大きな眸を寄り目気味にして、くりくりと回転させる珊の横で、あっはっは、と福は身体ごと揺すって大笑いした。
「ま、ま、だからね、珊。隣の田んぼは青く見える、ってお話よって。お他所の旦那様が格好良く見えたり羨ましく感じたりするのはねえ、自分がどれだけ幸せ者なのか、過ぎる場所に居させて貰っているのかに気が付いてない、お馬鹿さんだからだよってね、母がよく言ってるわ」
「豊が? ふぅ~……ん、そうかあ……そう、なのか、なあ……」
首を傾げて寄り目になる珊に、ええ、と福は笑う。
「そうなのかも……」
ぽつり、と薔姫が漏らすと、珊と福は耳聰く捉え一緒に振り向いた。
「どうしたの、姫様?」
「真様と何かありなさったの?」
そういう訳じゃ無いんだけど、と慌てて薔姫は手を振る。
が、珊はずい、と身を乗り出してきた。
「駄目だよ、姫様。もやもやした気持ちは溜め込んだりしちゃ」
「そうそ! ちゃんと吐き出さないと、ずっと後になって苦しくなってきますよ?」
がし、と両方から腕を掴まれて、う、うん……と薔姫は勢いに押されて頷いてしまう。
「で、何ですね? 姫奥様、何か気になる事でも?」
臨月間近でさらに大きくなったお腹をさすりながら、福は顔を覗き込んでくる。
「う……ん、あのね……」
ふんふん、と珊と福は仔犬のように鼻を鳴らして首を振る。
「星と輪の御祝の席から、我が君……ずっと、様子がおかしかったの……。でも、何も言ってくれなくて……」
「そんなの、どうして、って聞いちゃえば良かったんですよお、姫奥様」
「うん……そうなんだけど……でも、聞きにくくて……」
ん? と顔を見合わせる珊と福を前に、薔姫は祝の式を終えてからの数日間、真に受けた仕打ちとも呼べぬ態度を事細かに語って聞かせた。
うんうん、といちいち頷きながら、珊と福は真剣に聞き入ってくれる。其れが薔姫には何よりも嬉しかった。
「私、まだ小さいから……。我が君がどんな悩ましい思いを抱えていても、相談相手にもならないって事くらい、知ってるの、分かってるの、だから、聞きたくても聞けなくて……」
姫には笑っていて欲しいのですよ。
姫が笑顔でいてくれる事が、一番嬉しいのです。
たった5歳で彼の元に嫁いできたあの日から。
今日まで、何度繰り返し聞かされただろうか。
昔は、自分が笑っていたら良人である真が元気になれるのなら笑っていよう、と思っていた。
其れが妻の努めだと固く信じて疑った事などなかった。
しかし、この数日の真の姿を見て、其れでいいのだろうか、と疑問に思いだしたのだ。
笑っていて欲しい。
つまり、自分には倖せでいて欲しいのだと、真は願ってくれている。
それは分かる。
自分だって、真には幸せになって欲しい。
けれど、真の考える自分の倖せとは、皆に優しく守られて、何の苦労も背負い込まずに生きていけ、という事なのではないだろうか?
一方的に押し付けられた倖せを演じて、果たして本当に自分は幸せなのだろうか?
都合よく四捨五入して、自分の心を掻き乱す言葉は隠して耳障りの良い言葉だけを聞かせて貰って、本当に自分の為になるのだろうか?
そんな演じられた倖せな姿など見て、真は嬉しいのだろうか?
まやかしの倖せだったら、自分は欲しくない。
そんなのは、5歳までいた城での生活と変わらないではないか。
城での生活が偽りの喜びしか齎していなかったのだと教えてくれたのは、他でもない、真なのに。
それなのに……。
「我が君がね……分からないの」
「うん、そっかぁ……」
真の事なら何でも分かっているつもりでいたのに。
このたった数日で、全然知らない人のようなってしまったのが、怖くて仕方ない。
俯いた薔姫の前髪を、珊は撫でてくれる。
そういえば以前はよくこうして撫でてくれたのに、最近の真は、髪に触れてくれもくれなくなっている。
「でも、でもね、文句があるとかじゃないの。だけど……せめて、お話して欲しいの……。何でもいいから……嫌な思い、一人で抱えないで欲しいの。……でも、言えなくて……」
何でも話ができて、隠し事がない二人が羨ましいの……、と小さく零す薔姫を前に、もう一度珊と福は顔を見合わせる。
「もう、真ってば、本当、馬鹿たれだねえ」
大仰に息を吐き出すと珊は腕を伸ばして、ぎゅ、と薔姫を胸に抱いた。
「でもね、姫様、心配しなくっていいよ。あたいね、主様から聞いてっから、真がなんで変だったか知ってんだ」
「えっ……?」
慌てて顔を上げる薔姫の手首をとると、珊は部屋の隅に引き摺っていく。きょろきょろと辺りを伺っているのは、話しては駄目だ、と釘を刺されているからだろうか。
何が何だか分からない顔で引っ張られて、ぽかんとしている薔姫にむかって、えへへ、と珊は何時もの悪戯っぽい顔をして笑った。
★★★
祝の席で薔姫は梔姫と共に舞を舞ってからの此の数日、城で盛大に割を喰っていたのは克だった。
その夜の内に後宴が開かれ再びの歓待が行われたのであるが、その席上でも克は真と共に居たのであるが、其処でも薔姫の話題が御使たちの口にあがり、美しいだの素晴らしいだの褒めちぎられたのだという。
真は一気に不機嫌そうに眉根を寄せた。以後、隣に座る克がどんなに話し掛けても噤んだ口を開こうとしなかったのだ。
その後、一同で話し合いの場を持つことになっていたのだが、その場にあっても真の不機嫌は直らないし仏頂面もそのまま続行された。
日々、登城してきても全く表情が動かない。
杢や虚海、通などは真に無表情を貫かれても取り合えて狼狽えたりしない。適度な距離を置いて、何れ態度も戻るだろう、と何も言わずに黙々と仕事をこなしている。
しかし、克や竹、陸のような部類の人間には耐えられない。苛々を表に出されて八つ当たりで喚かれる方が余程ましなのだが、真は終始無言で淡々としているから始末に負えない。
遂に克は我慢の限界に達した。
陸に慣れろ、と言った自分の言葉をすっかり忘れて叫んだのである。
「真殿! いい加減でその、お面が張り付いたみたいな表情で人を寄せ付けない態度をとり続けるのはやめてくれ!」
「……私はそんなに仏頂面で取り付く島もない状態でしたか?」
目を丸くし意外にも不服そうに意義を申し立てる真に、……いや……あのな、真殿、と克はやつれ気味の頬をげんなりと凹ませて溜息を吐く。
「今回ばかりは言わせて貰うがな、取り付く島もないってのは、島影が多少なりとも水平線の向こうに見えてきそうな、淡い希望は多少なりともありそうな状態で溢れる言葉だからな?」
「……はあ」
「この数日の真殿は、周辺に断崖を築いて近寄らせようとしなかっただろ? 見えてるのに近づけないってのは、正直、何も見えないより精神的に厳しいものだぞ」
「……そう……ですか?」
そうですか、ってあのな、と克は盛大に肩を落とす。
「薔姫様を諸国諸侯の御使が皆してこう、褒めながら品定めするような目を向けてこれば、腹に据え兼ねるのは解るが、其れにしたって当り散らすにしても当たり処がお門違いだろう?」
「……ですね、申し訳ありませんでした」
気を付けます、と素直に頭を下げる真に、ま、ま、解ってくれればいいさ、と克は直ぐに人の良い笑顔に戻る。
「けどなあ、芙の仲間たちに聞いたんだが、真殿、家でも同じような状態だったらしいじゃないか」
「……えっ?」
そうだっただろうか? と、やっと真はこの数日の自分の姿を思い出してみる。
……確かに、そうだったかもしれない……、と反省の念を抱きだした真に、やれやれ、と克は肩を上下させた。
「聞いたんだが、好様や娃様も、勿論、薔姫様も、真殿の態度に相当堪えているようだぞ?」
「……ですか……」
帰ったら此れ以上気まずくなる前になるべく早く謝っておいた方がいいぞ、と克は笑いながら真の背中を一発叩いた。
★★★
「ま、そういう訳なのさ」
「あれまあ、あらまあ」
「一日二日なら兎も角さ、ずっとむすーっと、ぶすっ垂れたまんまだったでしょ? 構わんちんの克も流石にお手上げっていうか、堪えたらしくって」
からからと手の平を振りながら珊は笑い、おやまあ、とお腹を摩りながら福は目を丸くした。
二人の前で、しかし薔姫は顔を曇らせていた。
――私を褒めて怒るって……どういう事かしら?
私の品定めって……我が君の正室がどんな女人なのか、誂って、こと?
でも、私が我が君の処に嫁いできたのは、皆が思っているようなのじゃないのに。
年の離れた異様な夫婦として映ったのだろうか?
いや、世間にはもっと年の離れた夫婦など幾らでもいる。
普通に考えれば、自分が真と縁を結んでいるのは義理兄である戰が真の知略を欲して手元に置く為、と思われでもしたのだろうか?
――私の宿星の事なんて、知らないだろうから……。
自分の『男殺し』の宿星は、諸国には知れ渡ってはいない。
だから皆、適当に想像して適当に受け取っているだけ、と思うとやり切れない。
そもそも、この宿星を利用して敵対している国を貶めんとする動静があったからこそ、真とこうして縁を結べて、此処にこうして共にいられるだけだというのに。
母である蓮才人が、そうした王城内の形勢や雲行きを察知して逃そうとしてくれなければ、今の自分は居ない。
母と兄に何とかならないかと泣き付かれ、利用され輿入れされる位ならばどうですか? と提案して生まれた縁――
其れが、真と自分の縁組だ。
見初められ、是非に、と望んで呉れたのではない。
12歳も年の離れた、たった5歳の童女に恋だの愛だのといった感情を抱けよう筈もない。
今も、其れは変わらないのだ。
――我が君は、私と椿姫様を助けてくれようとしただけ、なんだもの……。
押し黙る薔姫に気が付いた珊は、姫様? と顔を覗き込んできた。
「どうしたの、姫様。嬉しくないの?」
「……えっ?」
珊のきょとんとした顔とさらりとした口調に、えっ!? と薔姫は顔を上げた。
「嫌だねえ、姫様」
「珊、珊、姫奥様もお惚気、するお年になられたのよ」
きゃっきゃっ、と笑い合う珊と福を前に、薔姫は何がどういう事なのか意味が分からず、ぐるぐると目が回るようだった。
「ね、ねえ、珊、どういう事? どうして私、嬉しがらなきゃいけないの?」
「えっ? 嫌だあ、姫様、お惚気もそこそこにしといた方がいいよぅ?」
「ねえ、誂ってないで、教えてってば」
「ん~、だからさあ、真はさ、嫌だったんだよ」
「嫌だった? ……えぇと、私が幼い……のが?」
違うってば、と珊は苦笑しながら肩を竦めた。どうやら本当に薔姫は解っていないらしいと気がついて、逆に呆れているらしい。
「真はねえ、気に食わなかったんだよう」
「だから、何が?」
「姫様が自分以外の男に『綺麗』って言われるのがさあ、気に入らなかった、って話」
「えっ?」
「真様、本当に姫奥様を大切になさってるから。他所の男の目にとまるのが、嫌だったんですねえ」
「……えっ……えぇっ……?」
今度は薔姫の方が、きょとんとする番だった。
珊と福の言葉の意味が分かると、見る見る間に顔に血が上り、真っ赤になる。
「真、姫様の可愛さが分かるのは自分だけって信じて疑ってなかったんだよぅ。其れがさ、あの御祝の席で皆に姫様が褒められて、そういう目で見られたのが気に入らなかったのさ」
両手で火照る頬を包み込んで隠しても足りない、とばかりに俯く薔姫の肩を、珊はぎゅ、と抱きしめる。
「も~、姫様ってば、難しく考え過ぎてなかった? 真の癖が伝染っちゃった?」
「一緒に暮らしてると似てくるって、母が言ってましたよお?」
「確かに類と豊は後ろから見たら、どっちがどっちかなんて分っかんないや」
「あはははは、本当、うちの一家は誰が誰やら区別付かないわ」
でも嫉妬しちゃうなんて、真も案外、可愛い処あるよね、と珊と福は笑い合う。だが、薔姫はそれどころではなかった。
――我が君が……そんな……。
私の事……を?
……本当に?
本当に、私の事……そんな風に……?
気恥しいのと嬉しいのとで赤く染まり潤みかけた目を見られたくなくて、薔姫は珊の腕の中で、ますます小さくなった。
そして珊たちと笑い合う。
実は珊の話には、大切な部分が抜け落ちているのであるが、彼女も蔦からは断片しか伝えられていなかったのだから罪には問えない。
だが薔姫は暫く後に、真が何を隠していたがったのか、何を腹に据え兼ねていたのかを知る事になる。
 




