10 祝
10 祝
優が帰国して数日が過ぎた。
そしていよいよ、第一子・星皇子の袴着の儀と、第二子・輪皇子の誕生祝を行う日が訪れた。
卜占により最良であると占われた日であるのは当然であり、その為ではあるまいが雲ひとつ見当たらず高く抜けきった空は何処までも澄んでいる。
正に一望千里の蒼穹と言えるのは、天帝が二人の皇子様を愛している証であろうと領民たちも重なった祝事に心を弾ませずにはいられない。
しかも、椿姫の懐妊が遂にはっきりと確定したのだ。まだまだ本調子を得ない体調を様子見しながらの祝賀の席とはなるし、何よりも禍国本国を刺激せぬよう控えねばならないので盛大になど行えない。
分かっていた祝事ながらも優が列席しなかったのは、その為である。
「無駄にあの阿呆……違う、皇帝陛下を刺激してはならん」
「では、父上におかれましては早々に御帰国下さい」
すらりと真に言われて、ぬぅ、と口をひん曲げた。口に出さずに引き下がりはしたが、優とて列席したかったに決まっている。
「父上に参列して頂けなくて残念です、の一言位、嘘でも出ぬのか、その口は」
「ああ、父上、捻くれ者の私にそんな可愛げを期待されても無駄ですよ」
薔姫の初他火で最も美味しい処を掻っ攫われた上に、真に面倒臭いと言わんばかりに邪険にあしらわれて、優は微妙に肩を落とした。
此度の逗留は半分は公的なもの。
という事は、半分は私的という事だ。
逗留の日数が過ぎて皇帝・建に要らぬ腹を勘繰られる鬱陶しさや、大保・受が留守の間にまたぞろ訳の解らぬ策を弄して来るかもしれぬと思えば、真に言われなくとも黙って帰国するしかない。
最も帰り際、お父ちゃま帰っちゃ駄目! 娃とお母ちゃまのお傍にずっといて! と娃に暴れに暴れて大泣きに泣かれて気持ちを大いに持ち直し、相好を崩して去っていったのだが。
★★★
本国・禍国を刺激せぬよう、所詮は郡王の御子であるのだ知らしめるとして、飽く迄も表面上は内々なる祝いに。
とはいえ、長子である星の時と同等に、輪の誕生祝には近隣諸国からは使節団が列を成して訪れ、祝の品と称しては献上品を続々と収めてくる。
新たに建築された鴻臚館は、俄然、活気付いて騒がしくなっていた。
文官や内官たちは何か粗相があってはならぬとばかりに気を張り詰めている。ぴりぴりとした空気は、否が応でも城全体の緊張感を高めていく。
が、真が心配しているのは、寧ろ諸国の使節団を率いる筆頭主の面々だった。
「さて、何事も無ければ宜しいのですが、そうはさせては呉れないようですね」
儀式に先立ち油断なく訪れた国々の名を示した簡礼に目を通しつつ、真は項の辺りをぼりぼりと引っ掻いた。
禍国本土からは、皇帝・建からの有難い祝辞が届けられるに留まっているが、他国からは使者として、錚々たる顔触れが列を成していた。
手にした木簡の筆頭には、根幹を同じくする露国王・静のものがある。
御使頭として、根幹を同じくするという理由にてであろうか、何と、正妃・梔姫の名がある。
次の札には、此度の来朝した国の中では最も強国である剛国王・闘の名代の名が刻まれている。
友好国として民にも認知されている句国王・玖の使者として丞相・姜、続いては、製鉄に関して徐々に協力体制が整いつつある紅河に沿った河国王・灼より相国・燹が遣わされ、契国王・磧からは丞相・嵒の名がある。
名立たる列強国の王者が送り込んだ錚々たる顔触れの中には、無論の事、国交を開いて久しい燕国の名もある。
他には祭国内のみならず、剛国、契国、句国、河国は国内の各豪族や貴族たちが自発的に朝貢してきている。
「何か、気になる事でも」
杢が声を掛けてきた。
杢は武人である為、黒檀色と朱色を主体とした玄端を身に纏っている。寸分の隙なく着こなしている処は流石だ。手にした杖すら、武勲の証と映り絵になる。並ぶと己の貧相さが浮き立つのは仕方のない事だが、父・優の長い憂いと嘆きが今更ながらに身に染みる。
其れは其れとして、真は木簡の礼を杢に示して見せた。
「剛国なのですが」
「闘陛下が何か問題でも?」
「いえ、闘陛下ではなく……使節団の長として烈王弟殿下が来ておられます」
「何ぃ?」
克も寄って来て上から覗き込む。名簿を差し出された克は奪うようにして、書かれている名に呻きながら視線を走らせる。
「……一波乱起こしてこい、と命令されなくとも起こしてくれる人選を態々してこられるとはな」
杢が珍しく嘆息する。
国境付近の警備に対して句国との連携を主に担っている杢は、この場に居る誰よりも王弟・烈に近い。聞こえてくる為人や、実際の彼の行動を備に見ている杢としては、剛国王の魂胆が見えてくるのかもしれない。
例の一夜城の件もある。
性格も気性も荒くれた騎馬の民典型的な其れであろうと仮定すれば、付き合いなどなくとも充分に予測できるのだが。
「其れだけではないのですよ」
真が別の木簡を差し出すと、克が眉根を寄せて寄り目になる。
「まだ何かあるのか?」
「東燕の葵燕殿下が燕国王を名乗っておられます」
「何ぃ?」
再び真の手から木簡を奪い取った克は、文字に牙を剥く野犬のように視線を走らせる。そして、全く何奴も此奴も! と唸りながら木簡の端でがりがりと耳の後ろ辺りを引っ掻いた。
燕国側からは、西燕、東燕、共に祝いの品が届いている。
その何方もが、燕国王、と署名してあるのだ。但し、西燕側・飛燕王は玉璽を捺印してあるが、東燕側・葵燕王側は御璽しかない。
だが、何方も国王を名乗っている。たてるとなれば、飛燕王となる。
葵燕は王と国を名乗ってはいるが、正式には玉璽を有している限り西燕の飛燕が正統なる燕国王だ。葵燕は何処までいっても諸国にとっては王太子でしかない身分なのだ。
しかし東燕側はなんと、国王旗を持ち出してきたのだ。
正式な使者としての名目をたてるのに他国の視線を利用してきたのは、恐らく王妃・璃燕の采配だろう。
「真殿、席次を巡って、西燕側、東燕側共々に圧力を掛けてきているようだが」
「其処なのです」
憂いのある杢の口調とうって変わり、真の口調はいつもの捌けた調子のものだ。
祭国としては、実質的に国交を開いているのは東燕側とはいえ、玉璽その他を有している西燕側を無視する訳にはいかない。特に、露国と剛国、両国に対して怪しい動きを見せているこの時期だ。無碍にして要らぬ因縁を付けられても鬱陶しいだけだ。
その為、西燕側には祭国郡王・戰の名で、東燕側には祭国国王・学の名で親書を出してある。
飛燕王としては面目がたつし、祭国としても葵燕王への言い訳がたつ。
が、飛燕王は禍国という後ろ盾がある戰に対して国書を発するのは当然としても、葵燕王が学に対して国書扱いで返書を出して来るとは真も思っていなかった。此ればかりは、真は己の迂闊さを呪うしかないが、同時に、王母を名乗る璃燕の並一通りではない政治判断力を知る事が今できて良かったと思うべきでもあった。
しかし、両の燕国が互いに相譲らぬ様相だ。
加えて、剛国と露国だ。
剛国からは王弟・烈が、露国からは王妃・梔が列席している。
平原の雄を自認する強国の剛国であるが、戰と親しい付き合いのある句国、契国、河国は兎も角、自国の豪族たちにまで朝貢させているのは、烈ではなく闘の采配だろう。此れにより、祭国に圧力をかけてきているのだ。我が国をして筆頭席につけよ、と。
だが一方の平原一歴史ある国と自負する露国も、席次の頭を望んで来ている。
祭国に根幹を持つとはいえ、王妃である梔姫を使節に入れるなど通常考えられない。椿姫の性格を良く知る露国王・静の策略であるのは明白だ。
祭国として、何方の国をどの様に扱うか。
其れにより今後が決まってしまう。
この祝の席にて、この後の友好国としてどの国を選び取るのかの決断を迫られる形となった。
「まるで、戰様と椿姫様の即位の儀の折と同じですね」
「要らぬ火種を抱えて来て下さったものだ」
祝賀の席を他国の権力闘争の場に変えられて面白いと思う者はいないが、直截な物言いは杢らしくない。が、真実であり、彼ほどの人物が堪えきれぬ程、怒りを抱いている証拠でもあった。
全くです、と真は冷ます為に傍らに置いていた薬湯に手を伸ばす。
「面倒臭いですね。こうなると、父上が残っていて下さった方がまだ気楽だったかもしれません」
「真殿、どうするつもりだ?」
やはり玄端を纏った克が、木簡を返しつつ顔を顰めた。
細身の杢と違い、偉丈夫である克が仏頂面をすると異様な迫力がある。
やってやろうではないか、という真の言葉を今か今かと待ち構えているせいもあるが、むらむらと立ち上る怒気が熱い蒸気のように見えてきそうだ。
星皇子の時は此処まで露骨に何かを仕掛けてくる事がなかったのは、情勢が動いていなかったからだ。
今まさに各国が己の思惑を隠そうともしないのは、其れだけ時節が蠢動し始めている警鐘でもある。
「神聖なる祝の席に政治を持ち込まねばならないお立場であるとはいえ、見過ごす訳には参りませんので」
木簡を机に戻しながら、にこり、と真は口角を持ち上げて笑う。
「思い知って頂く、とまいりましょうか」
だが、眸が笑っていない。
殺気があるというのではない。
何処までも深い河には流れなどないと見えながらも、実は轟音すら自ら飲み込む激流が底に渦を巻いているのが真実の姿であるが、今の真は正しく其れと言えた。
彼が静かなればなる程に、逆に怒りを内に内にと溜め込み一気爆発させる時をひたりとも音を立てずに伺っているからなのだ。
慣れぬ深衣を着せられて、ひぃひぃ言っていた陸が本能的に、びくっ、と飛び退いた。
普段、飄々としているというかのんびりとしているというか、全く緊張していない弓の弦のように緩いという印象の真しかしらない陸は、こんな彼を知らない。
困りましたね、と軽く言いつつも口調は困っていないし笑ってもいない真には、ひりひりとした恐怖しか覚えない。
悪しき局面の打開を愉しむ悪癖がある、と言えばそうなのだろうが、だからこそ、内なる感情を完全に殺して口だけの笑みを浮かべている真の姿には薄ら寒さしか感じない。
「兄ぃ、克兄ぃ」
「ん?」
ちょいちょい、と陸は克の袖を引っ張った。
「恐よ、兄ぃ、真さん恐ぇよ……」
「ああ……ん~……その、なんだ、この先も王城で務めて行こうと思っているんなら」
「なら?」
「慣れろ。それしか俺は言えんぞ」
「……うへぇ」
ぼそぼそと言い合っている克と陸の横で、真はやっと冷めた薬湯を、ずず、と音をたてて啜り上げていた。
★★★
大太鼓と銅鑼が交互に打ち鳴らされる。
星皇子と輪皇子の祝賀の席であると思い場に入室の用意をと、一先、一同に会した使者たちは、言葉に詰まった。
席次順に並ぶ筈が、横一列、同列に並ばされているのである。
筆頭に並ぶ事にこそ国として上位であると認められた意義を見出すというのに、此れでは上も下もない。
不意に、しゃんしゃん、とんとん、と小気味よい音が聞こえてきた。
着飾った童子たちが、手首と足首に輪鈴を付け、細腰鼓を吊るして叩きながら現れたのだ。
童子たちは其々の国の使者たちの前に立つと、くるりくるり、と舞いながら鼓を打つ。
舞が最高潮に達した時、祝の音が鳴り、従うように塤の暖かく澄んだ音、雲鑼の瀟洒な音と続き、一拍の間を置いて、楽が響き出した。楽想に導かれるようにして、童子たちが舞いながら歩み出した。誰からともなく使者たちは顔を見合わせ、魅入られるようにして童子たちに続く。
童子たちが舞いながら進んだ先には、南面して国王・学と郡王・戰の王座がある。王座より半歩下がった位置に、戰の正妃である椿姫の座と学の母である准后・苑の座があり、椿姫と対極に戰の義理母である蓮才人と義理妹である薔姫の座がある。
真の座がないのは、彼の強い意志による。此処で薔姫と共に座に上がれば、自身は薔姫の元に婿として入った事になってしまう。そうではなく、飽く迄も薔姫を正室に迎え入れた者であるという立場であり、且つ戰の臣下であるという身を貫きたかったのだ。其処には無論の事、父親である優が薔姫を嫁として重んじている姿を尊重する意識もあり、障碍を抱える者でありながらも家臣に名を連ねる事を許す戰の博愛の精神を他国に知らしめる意もある。
祭国内においては誰も構うことのない、どうという事もない事柄でがあるが、真は自分という特殊な存在が他国や政敵にとって、戰の足枷にもなるが、それ以上に充分な武器にもなりうるという事実を冷静に受け止めて事あらば利用している。こんな男を平気で取り立てるなど油断ならぬ、と訓告を広め戒心を抱き、祭国との対応には慎重に当たらねばならぬと思わられるのであれば儲け物、と真は自分を利用している。
そして一同の為に、円形状に座が設えてあった。
座の背後には其々の国旗が翻って座の主たる者を待ち構えている。
導かれた形の使者たちは、一瞬で理解した。席次が必要な形を取られれば、争いの火種となる。
だが、円卓の形を取れば、上座も下座もない。
最も懸念されるべき二つの燕国に対しては、啀み合うならば自国内で存分にどうぞ噛み付き合えば宜しいでしょう、と言わんばかりに燕国は東燕と西燕が相対する形で座するように配されていた。
一同が渋面を押さえつけて引きつった笑みで座に着くと、再び静寂が訪れる。
次の瞬間、再び祝の音が響き渡る。其れを合図に、銅鑼、太鼓、鐃鉢、鉦鼓、筝、琵琶、笏拍子、篳篥、笙が典雅にして優艶な楽を奏で始めた。
二つの王座の間をぬって、白で統一された袴を着た星が松と橘の小枝を手にした巫女に手を引かれて現れた。
円形型に整えられている座の中央には、磨きぬかれた日置盤があり、その上には蒼々と輝く二珠の翡翠珠をが配されていた。
北から中央に入った星は、日置盤を前に最礼拝を施すと、ぴょん、と身軽に飛び乗った。
盤の上で掛け声をかけつつ翡翠珠を踏みしめる。
踏みしめ終わると、威勢の良い気合と共に星は南方に向かって元気よく飛び降りた。
日置盤の目は森羅万象を象徴している。正方形の盤は四方を護る瑞獣と八節を司る天涯を模しており、湾曲した涙型をした二珠の翡翠珠は、太陽と星月の運業を表したものとされている。また、北から入り南に抜け、身につけた白は西、踏みしめた翡翠の青が東を表し、此れで東西南北を味方とした事になる。
巫女が松と橘を捧げると、星は四方に向かって其々の枝を振り翳し、最後に、王座に座る父王・戰と背後に控える母后・椿姫に対して一礼した。
其れまで、緩やかな凪のような調べであったものが、一転、激しくも明るい祝賀の席に相応しい楽想に変わった。
強い緊張から押し黙り無表情になっていた星だが、明るい音に幼いながらも、此れでやっと終わった! と悟り嬉しくなったのだろう。全ての儀式を終えた皇子は、ぱっと明るい表情になり、たたた、と小走りに王座に座る父王・戰の元に駆け寄った。
自慢げに息子を抱き抱えた戰の背後から、椿姫が立ち上がった。
腕には、一歳になった皇子が抱かれている。兄皇子・星と同じように白絹で織られた衣を着た輪皇子を、椿姫は日置盤の前に座らせた。
きょとん、とした愛くるしい瞳で指しゃぶりをしながら母を見上げている間に、高杯を手にした9人の巫たちが静々と音もなく現れた。
椿姫が静かに玉座に戻ると、再び、楽想が荘厳にして厳粛なものに変わり、輪皇子の周囲を、高杯を掲げながら舞始める。
9人の巫たちは、二人一組となり高杯に奉納の品を掲げていた。
一組目の巫の台には金の形に掘られた翡翠、二組目の台には種籾の付いた稲藁、三組目の台には縒りすぐられたばかりの生糸、四組目の台には馬の毛の筆が其々乗せられており、巫たちは其れを日置盤の上に捧げおいていく。
そして最後の一人のみ、空の高杯を手に儀式の始まりを天涯の長たる天帝に厳かに告げる舞を奉納し始める。
生まれて始めての誕生日を迎える男児が、此の先にある四つの品から何を選び取るかでその子が将来得る幸福が占われる。
翡翠であれば財、稲藁であれば食、生糸であれば長寿、筆であれば学問を得るとされている。
両手を付いて四つん這いになり、這いずりながら日置盤を目指して進み出した皇子に、皆が一斉に注目した。
其々の思惑すら腹の中に横おいて、固唾を飲んで見守る。
「義理兄上、星は欲張りだったから日置盤ごと抱えましたよね」
含み笑いを堪えながら、学がひそひそと戰に話しかけてきた。
「そうだったかな?」
戰に似た星は同じ椿姫の乳を得て育った子らと比べても相当に大柄であり、一つ年上の娃など性別の差を差し引いても背丈を大きく抜かしている程だ。日置盤はかなり大きく、乳幼児が手にするには困難だ。しかし生後10ヶ月で歩き出した星は、ものともしない。腕を回して見事に抱きかかえてみせた星の生誕祝は、祭国内では語り草だった。
「ええ。さて、輪は星よりは小柄ですし、のんびりとした処がありますし、何を選ぶのでしょうね?」
惚けながら戰が腕の中の星に視線を落とすと、息子は何処か誇らしげに笑顔を弾けさせた。ぱっ、と父王の腕を振り払って逃れると、たたた、と小走りに弟皇子の元に走り寄る。
「ま、まあ、星?」
驚く椿姫を手で制した戰は、愛しい我が子が何を仕出かすつもりであるのか、余裕の笑みを浮かべつつ見守っている。
日置盤の前に来ると星はやにわに手を伸ばして、あっ!? となった椿姫が止める間も無く、全ての品を腕に抱いた。
「輪にあげる!」
にこにこしながら、星は四つの品々全てを弟皇子の腕に押し付ける。
何も分かっていない顔で品物を押し付けられた輪は、ぽかん、としていたが、直ぐに、きゃっきゃっ、と笑顔を弾けさせた。
楽曲の節が明るく変調し、巫たちの舞も華やいだものへと変わった。
真が最礼拝の姿勢のまま、膝を使って一歩分、進み出る。
「星皇子様のお健やかな成長の御証と、輪皇子様の初誕生祝のお慶びを、家臣一同、此処に申し上げまする」
「お慶び申し上げます」
南方に順に列を成す戰と学の家臣団が、一斉に平伏する。
家臣団に続いて、露国の使者としてたった王妃・梔が中央に在る輪に向かい、平伏する。
「椿姫様の麗しきお姿と和子様がたのお健やかなお姿を拝見できて、嬉しゅう御座いますわ」
薄く紅い唇を、弓張月の形に歪めて梔姫は嗤う。
薄ら寒さを感じずにはいられない笑みに椿姫も返答がしようがなく、言葉なくして微妙な笑みを零す中、句国王・玖の使者である姜が咳払いをしつつ、そして河国王・灼の使者・燹、契国王・磧の使者・嵒も続き、慌てたように露国と両の燕国の使者も倣った。
輪皇子が小さな腕の中いっぱいに抱えている品を、巫が新たな高杯に捧げ、天涯の主たる天帝に祝詞をもって伝え終えると、9名の禰宜が現れた。
彼らは其々、採り物を手にしている。
鈴、御幣、杖、太刀、弓矢、小柴、鏡、膳、杵と藁苞の9つの品は、己の生誕を認めたもうた天帝への輪皇子からの返礼であり、生命ある限り天涯へ恥じぬ生き様を残す誓でもある。
先ずは、禰宜から巫への宝渡しの儀式が行われた。
禰宜が下がると、今度は厳かな楽曲に乗り、奉納舞が9人の巫により舞われ始める。
★★★
巫たちの舞が場を盛り上げる中、祭国王・学と郡王・戰が率いる多くの家臣団の手前、渋々ながら剛国の使者である王弟・烈が最後に、申し訳程度に平伏した。
――やられた。
其れまで黙って此の場の行く末を見ていた王弟・烈は、臍を、というよりもはっきりと唇の端を噛んで苛立ちと憤りを堪えていた。
しかも、両の燕国の使者の扱いも然る事ながら、円卓をして各国の使者を饗すとは、思いもしなかった。
円卓は、人の上下の別なく誼を通じ合い爾汝の交わりを深くせんとする古来よりの知恵だ。だが其れは、基本的に無礼講を許される親交のある族の交わりであるから許されていたものだ。
――郡王め。
此の場に居合わせた者は皆、己の身内であるとでも言いたいのか。
しかも、円の中央に頭を垂れて礼節を捧げる振舞いは、古くは天帝と彼に仕え敬う瑞獣全てを称える作法の一つでもある。
星皇子と輪皇子に向かって列強の御使たちが挙って平伏して祝福を僖ぶ姿は、まさに、二人の幼い皇子を天涯の主として一同が認めたとされてしまう。
露国の王妃・梔姫は根幹を同じくしている。だから彼女が頭を下げた処で不自然な事はない。露国王・静への言い訳も立つ。
句国、契国、河国の面々は、郡王に心酔し傾倒している向きがある為、気が付いてもいないだろう。よしんば気が付いた処で郡王の盟友である自分たちの立場を変えようととはすまい。
両の燕国も、己に郡王を引き込む為には目尻を釣り上げてこそすれ、声高に叫べまい。
――だが、我が剛国は違う! 断じて!
文官用の玄端を身に付けて、長手袋で覆った左腕を吊っている飄々とした風体の男を只管に睨む。
一段高い北緯に座して見守る郡王めは、天帝すら超越した存在であると思い知れとでも言うのか、あの男は……!
漸く分かってきた処で、既に遅過ぎる。
自分たち、いや、自分は、義理兄上と慕う闘の役に立つどころか、郡王如きの風下で満足するものであると周囲に認知させてしまう愚を犯してしまった。
歯軋りの音を銅鑼の音に紛らわせて誤魔化し、烈は祭国の家臣団の中央に座する男を、目尻を裂いて凝視する。
――あの男!
真とかいう、あの男!
何故、あんな男がいるのだ!
此れが、義理兄上の興味を引き続けている、真と言う男なのか。
5年も前のたった一度の対峙で、兄と慕う闘に何としても欲しい、と言わしめ続ける男なのか。
「奴が絡んだ戦を見るがいい。知略縦横なる事まさに奇術の如し、とは此の事よ」
「兄上、奴の策は云わば奸計と評すべき愚策中の愚策に御座います。敵兵を愚弄して得た勝利など、所詮は詭弁に過ぎません」
「烈、今に分かる。勝利の価値とは、お前が考えているほど薄いものではない。奴の面白さと恐さとは、如何なるものであるのかも、な」
「其の様なもの、喩え兄上のお言葉であろうとも知る気はさらさら御座いません」
「……そうか」
含み笑いをしつつ、さも楽しげに語る兄は最後は必ず、何れ必ず、奴と共に戦場に在ってみたいものだ、と締め括る。
遠くを見据える兄・闘の眸に映るのもが何なのか、烈には見えない、分からない。
その焦燥感がより一層、烈を苦しめる。
あの男。
真とやらには兄・闘と同じものが見えるのか、見えているのか、見るつもりであるのかと思うと、胸が裂け顳に流れる血の管が破れ、頭が破裂するかのような恐ろしい痛みが全身を駆け支配する。
――何故ですか、義理兄上。
あのような男など望まれずとも、義理兄上は御自身の知略のみで充分。
寧ろ、他者の追従をみせぬその深き知に皆恥を得て御元を去らずにいられぬというのに。
成程、私は知力にも武力にも、兄上に遠く及びません。
然れども兄上、其れは兄上が天涯に唯一の尊き御方である証。
何者をも得られる兄上が、逆に何かを渇望するなど下賤の者と同じ性根を見せられるなどと、あってはならないというのに。
――いや……違う。
5年もの間、兄・闘陛下に特別視され心を奪い続けているあの男が――
憎い。
ただ憎いのだ。
私は嫉妬しているのだ。
あの、ひょろひょろとした印象の障碍の身でしかない男に。
「――何故……私では……駄目、なのですか……兄上……」
誰にも聞き取れぬ蚊の羽撃きのような細い声で、烈は呻いた。
【 星と輪の御祝の作法について 】
星の作法は、皇室の着袴の儀、深曽木の儀を参考にしました
輪の作法は、1歳の御祝に行う『選び取り』と韓国の同じく1歳の御祝に行うトルジャビを参考にしました




