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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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6 剛国王弟・烈(れつ)

6 剛国王弟・れつ



 優が祭国に戰を訪ねたのは、実は、今回に限っては半分は正式なものであった。

 薔姫の初他火ういたびに託けて、長逗留できて幸いな事案が発生したのである。


 戰用の執務室に通された優は、蔦が入れてきた麦湯に見向きもせずに前のめりに座る。

「どうだ、兵部尚書」

「はい」

 今回の偵察地域は、句国との国境地帯であった。

 句国は戰との戦の後、正妃腹の王子でありながら身分を落とされていたきゅうが正式にあとを継いで国王となって既に4年が経過している。


 句国。

 実に複雑怪奇な位置、そして立場に在る。

 南に面しては契国と常に軍馬の育成地を巡り対峙しており、北を向けば騎馬軍団を有する強国、剛国に睨まられている。

 南東の位置に平原一の超大国である同盟の主である禍国が鎮座し、東には祭事国家として古式懐しき祭国、北北東の一部には此れも古き歴史を持つ露国と接している。

 唯一、国境を持っていないのが西方であるが、此処には地表から巨大な氷柱が生じたかのような険しい峰が連なるこん山脈が居座っている。山脈の西へと抜ける隘路は幾筋かあるが、その内の一つを禍国と共有している。

 こん山脈を抜ければその先には、備国ひこくが大口を開けた形で待ち構えている寸法だ。


 立地条件的には、祭国以上に国難の相を持っているとも言えた。

 しかし句国も、元来は騎馬を駆る部族である。

 さしたる難時も迎えずにいた――4年前の禍国との戦がなければ、であるが。



「実は、句国と剛国と、及び備国ひこくとの国境付近できな臭い動きがありました」

「剛国?」

 は、と答える優に、戰は眉を顰める。


 剛国。

 この祭国に椿姫をして数代ぶりの女王誕生となさしめるその原因を作った、因縁曰く有りの国だ。

 現国王はとう

 在位は6年目に突入した。

 即位当初、苦心していた多くの兄王子との対立も、見事に鎮めてみせた。

 今や治世は揺ぎ無く、歴代頂点を誇るものとして、内外に知らしめている。


 剛国も古き歴史を持つであり、騎馬の民特有の風習を有する国だ。

 本来剛国は、隣国から妃を求める事はしておらず、妃は全て国内の貴族豪族たちから得ていた。豪族集団が国としての姿をもったのが剛国である、と言えばわかり良いだろう。それ故、敵を薙ぎ伏せるには、先ず国内の結束を固める。血族意識が強いうからである剛国の民だが、闘は其れを是としなかった。

 此れまでは戦を仕掛けるには一国のみで立ち向かっていた処を、闘は、積極的に対外政策を行う方向転換を見せたのである。

 寧ろ、戦は外交を潤滑に、且つ自国有利に進める為の手段の一つに過ぎないと割り切っている。

 此れでは確かに、戦勝で得しものこそ上等至上とする剛国では敵しか作らない。

 兄王子と彼らの後見である貴族豪族たちからは、散々な抵抗の憂き目に会い続けてきた。


 が、しかし闘は屈しなかった。

 第一歩、手始めとして闘は外部、つまりは他国に妃を求めた。 

 母の身分が低かった為に闘は国内に敵が多かった事もあるが、此れは相当に画期的な事だった。

 闘が祭国の継児の御子であった椿姫を妃に求めたのは、何も彼女が美貌の王女であったからではないのだ。こと、戦闘に対しては勇猛果断、精進を惜しまぬ剛国の民に一枚上の精神的な拠り所を得るのに、祭国の儀式は実に魅惑的に映ったのである。

 椿姫は得られなかったが、闘は精力的に動いた。

 蒙国皇帝・らいの妃の近親者である世亜羅姫を自身の正妃と定めたのを筆頭に、目をかけた異腹弟おとうと王子たちの元にも積極的に他国のからの王女を輿入れさせている。

 その際たる人物が、今や闘の右腕として名高いれつ王子だ。

 彼は契国との友好の証として、契国にて即位したばかりの国王・せきの同腹妹姫・えいを正室として迎えている。


「父上、闘陛下が動かれたのですか?」

「うむ、国境付近に兵馬を集結させている」

 優が句国王・きゅうの赦しを得て偵察を行わせた処、句国ではなく備国ひこくに対してのものであるらしい。

「山脈を越える備えがある。あれは見せかけではあるまい」

 こん山脈を越えての戦は、如何に剛国が強国であろうとも、油断や手抜かりなどあっては成し得ない。先ず、山越えで兵馬が疲弊する。平原を一気に駆けての強襲が出来ぬ為、相手に構えと備えを儲けさせる余裕を与えてしまう。仕掛ける以上、それを上回る余裕をもってせねば戦う前から負けは必定となる。

「しかも、剛国王には王弟・烈殿下がおられるが」

「烈王子がどうかしたのか?」

「どうやら、王弟殿におかれては、露国に仕掛けるおつもりのようですな」

 優の言葉に、真は視線を上げた。


 露国は現在、国の東方に位置する燕国と臨戦体制に入っている。

 燕国自体も遂に内部を東西に二分する政争へと発展した。

 先代国王・臥燕がえんの王弟である飛燕ひえんと、先王の遺児である葵燕ぎえんが其々に正統な王位継承権を声高に叫んでいるのだ。

 戰が郡王になった当初の頃は、飛燕王が治世を司っていた。

 が、その実態は何とほぼ全てが、先王妃である璃燕りえんの手腕であったとは、この数年の優の偵察で分かってきていた。

 現在の祭国は、実質的には王母である璃燕が垂簾政治すいれんせいじを行っている葵燕王寄りである。

 築かれた関係は今の所、双方の自助努力もあってか良好の部類に入る。

 自国の使節団を朝貢ではないと言い張り、互いに『通誼使つうぎし』としていいる辺、一歩もひかぬ体制は見て取れる。が、それは矜持にかけて無理からぬ処だろう。

 一方、対する飛燕王は自身の覇図を広げんとし、一部を露国に侵攻させたのだ。

 数年前、燕国が突如行った露国との対立劇、そして一見無意味な衝突は、実は内部分裂に起因していたのである。


 この隙を剛国も虎視眈々と伺っていたのだろう。

 露国との僅かに接する国境も定まらぬ未開の土地に分け入ったかと思うと一気に開梱を行い、郡都を開いて城を築き上げ、郡王として烈を冊立したという。



 ★★★



「――ほう?」

 正に絶妙な判断、時機を掴んでの素早い実行力に、戰は興味深げに寄せていた眉を開いた。


「剛国が動きましたか」

「うむ」

 隣にやって来た真が、自分には薬湯を差し出されて不満そうにしている姿を情けなさそうに横目にしつつ、優は腕を組んで頷く。

「最も、烈殿下の動きに関しては、其れが闘陛下の御意思であるかどうかは怪しい処ですが」

「確かにな」

 珍しく、真と優の意見が合致した。

 というよりも、闘の此れまでの施政の方向を見るに付け、そうとしか結論つけられない。

 主に目立った動きとしては、禍国と距離を置き、こん山脈を抜けるより太い道を持つ句国と契国と昵懇と成るべく動いている。


 闘の施政をつぶさに分析するにつけ、彼としてはこん山脈を超えて更にその先、山脈以西に広がっている、鳳凰の羽と称される熱砂の僅かな柴があるのみの不毛地帯、毛烏素むうす砂漠にも勢力図を広げて行きたいと考えているのだと受け取れる。

 そうでなければ、正妃に蒙国縁の姫を据えたりも、右腕と見込む異腹弟王子・烈に、こん山脈を抜ける際に背後を取る形に位置する契国の王室から妃を与えたりはすまい。


「宰相さん、くだんの王弟さんはどえらい(・・・・)速さで侵攻しよったんやな」

 広めた地図をふんふん、と瓢箪型の徳利でなぞっていた虚海が口にした。

「うむ、周到でもあったのでもあろうが、城は一夜にして築かれたらしい」

「一夜にして、やと?」

 徳利を傾けかけた虚海の手が、ぴたりと止まる。其れまで、上機嫌で酒にを潤ませていた虚海から、一切の酒気がきえる。ぎろ、と地図を舐めるように睨む。

「宰相さん、郡府が開かれたんは、どの辺や?」

「此処だな」

 虚海の質問に、優も険しい表情で答える。

 共に地図に身入りながら、克が首を左右に振った。位置関係的に、ただ侵攻するだけならともかくとして、一日で城を成せるなどとは到底思えない。


「どういう事だ、真殿。幾ら何でもこりゃ無理に決まっているだろう」

「いや、そうとも限りませんよ」

 薬湯をちびりちびりと啜りながら、呆れ顔の克をちろりと見上げつつ真が呟くと、腕を組んだままの優も嘗ての部下の相変わらずさに呻く。苦笑いしつつ、杢が助け舟を出した。

「克殿、要は、『此れは城である』と言いさえすれば『』として通用するのさ」

「うん?」

「つまりですね、築かれたというのは、橋頭堡きょうとうほの様な、まあ、砦に近しいものだという事ですよ。開梱も、其処に通じる迄の獣道を補強した程度というか、まあそう言う類の話でしょう」

 真の補足説明に、な、成程、と克は仰々しく頷く。それならば納得がいく。幾ら戦には大工たちを連れて行くとはいえ一夜城など想像も出来ないが、橋頭堡や砦であれば突貫で築けるように逆に訓練されている。


「しかし真、闘殿が備国ひこくに居る天兄上の存在を知らぬとは思えないが」

 ですね、と真は椀の中で声を反響させる。

 皇太子・天は、嘗て備国ひこくとの国境附近に送られたが、紆余曲折を得て、何と、備国王・いきの元で庇護され、正式な食客分として身分を保証されているのだという。

 天の望みは備国の国力を利用して禍国に再び返り咲く事であるが、いきにとっては天は使い捨てても何の痛み処ろのないに過ぎないのであるが、双方共に思惑が為に利用せんとした結果が此れだ。

 備国王・いきの手元で、天はまだ、己の命運を諦めずに生きている――

 この事実は禍国では、というよりもこの面々の中では公然の秘密だ。

 

「闘陛下としては、嘗ての因縁深き天皇子様に備国内を引っ掻き回して貰っている間に、いよいよこん山脈を越えて行く足場固めを行いたい処でしょう。となると、背後の露国と対峙する意味が今はありません」

 當たら戦火を交える国を増やすなどと愚かしい事はなさらないでしょう、と真は椀を揺らして中身を冷ましつつ、地図に見入る。

「そうか……すると此れは王弟・烈殿下の独断、というか独善的な判断による急襲と見て良いのか?」

「いえ、そうとも言い切れません」

 ず、と音をたてて真は薬湯を啜る。ん? と克は片眉を跳ねさせる。

「どういう事だ、真殿」

「本格的に闘陛下が毛烏素むうす山脈を越えるつもりであるのでしたら、意図的に王弟・烈殿下を彼の地へと送り込んだと見た方が良いでしょうね」

「つまり……最も信頼の置ける王弟には露国を牽制しておけと命じた処、当の王弟が出過ぎたというかやり過ぎた、とそう言う事か?」

「いえ、違います」

 けろりと否定されて、克は、はぁ? と眉根を寄せる。


「露国は現在、雄河おうがの関係で燕国と小競り合いが続いていますが」

 真が長手袋で保護された左腕を伸ばして雄河おうがとして描かれた線をなぞる。

 祭国にも支流を幾つか持つ大河、雄河おうがは露国に源流を得て最終的には燕国にまで下り海へと注ぎ込む。

 露国と燕国は、雄河の流れの主導権を握らんと互いに主張しあい、譲っていない。

 然も露国と対峙する姿勢を見せているのは、燕国王でありながらも燕国王ではない、其処が厄介だ。

 国内の勢力を二分して権力闘争にも明け暮れている、燕国。

 雄河おうがを我が物とせん、と画策しているのは、燕国王を名乗る飛燕ひえんが率いる一派であり、彼の妃である璃燕りえんとその息子で此れまた王を名乗る葵燕ぎえんとの間で内乱状態となっているのは先にも述べた。

 戰が嘗て河国戦からの直接の祭国への帰国の理由として上げた、燕国王飛燕が祭国の国境を破る気配有りとの話の火元は、未だに根を絶やす事なく燃やし続けているのである。

 祭国としては自らの国境を超えられている事も然ることながら、縁深き国である露国が燕国と対立している以上、看過しておくわけにはいかない。


「露国は燕国を未だに制圧出来ずにいますので、其処へもってきての剛国のこの侵攻は頭の痛い事でしょう。然し乍ら事の重大さと解決の優先順位をつけるとなれば、対剛国に視線は向きます」

「……燕国には、我々祭国を当たらせれば良い、という事か?」

 御明察です、と真は薬湯の入っている巨大な椀を掲げながら克を称えた。

「闘陛下は、露国王が我々祭国に背後から燕国を討て、とけしかけると踏んでいるのでしょう」

 其れらの情報を、露国は交易を行っている商人たちから、それとなく噂として広めさせているのを、蔦が確認している。


「禍国本土も大人しくしているとは思えぬ」

 杢の鋭い指摘に、そうだな、とやっと解ってきた克も頷く。

「大保殿がどうでるかは分からんが、建陛下は心穏やかになどいられぬだろうからな」

 当然、兵部尚書である父に伝家の宝刀、『何とかしろ!』を泡を喰って抜いてくるに決まっている。

「つまり剛国王・闘陛下は、御自身が備国ひこくと遣り合う間、手出しされぬよう此方は露国・燕国・祭国・禍国の四竦みで散々遣り合っていてくれ、とまあそう言う訳ですね」

 最後の一滴を苦々しい面持ちで真は飲み干す。


「つまり烈殿下は、闘陛下にご気質を見抜かれている、という事ですね」

 うぅむ……と克が唸る。

「ですが王弟・烈殿下におかれては、闘陛下の、其処までの深慮遠謀を読み取れてはいないでしょう」

「何だかんだといいつつも、結局は剛国王に利用されている、という訳か」

 権力闘争の末にある者の常とはいえ、と克が珍しく哀れみを示すと、どうでしょうか? と真はぽりぽりと頭を引っ掻いた。


「寧ろ、分からぬからこそ、陛下には大いに御自身を利用して天下を奪って欲しいというお考えの持ち主の御方のようですが?」

「……ややこしい、というか鬱陶しい御人だな」

 克は寄り目になる。

 ですねえ、と呟きながら真は椀を芙が持ってきた盆の上に戻した。



 ★★★



 戦果を王都に報告すると、早速、国王にして兄と慕う闘より異腹弟である自身を労う言葉が与えられた。

 美しい箔押しのある巻を広げると、其処には払いから点の入りまで全ての癖を叩き込んである兄の手による書がある。


 よくやった――国王・闘


 ただ一文である。

 だが、烈には兄直筆のこの一文が、闘、と銘が入ったこの書簡こそが何よりの褒美だった。

 ――闘兄上に認められた。

 興奮に息が荒くなる。


 闘の母親の家門は鎮護将軍の一門であり、品位は正三品にあたる婕妤しょうよの地位だ。

 其れだけをみれば低いどころか高いのであるが、此れには絡繰からくりがある。

 闘の父王はなかなかの精力旺盛なというか、女体を惑溺する事激しい好色家というか、有体に言ってしまえば性豪だった。

 正妃、すなわち王妃を筆頭に、本来であれば正一品の妃は元妃、貴妃、淑妃、德妃、賢妃の五名である処を12名、元妃、姝妃、惠妃、貴妃、賢妃、宸妃、麗妃、淑妃、德妃、昭妃、溫妃、柔妃に増やした。

 更に正二品の太儀、貴儀、妃儀、淑儀、婉儀、順儀、順容、淑容、婉容の九びんも、昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛を加えて倍とした。

 そこへ持ってきて、婕妤しょうよの定員は9名であり、その下の正四品の美人、正五品の才人も9名づつ、六品の寶林、七品の御女、八品の采女に至っては定員が各27名である。そんな訳で、多くの高品の妃が列を成す剛国内において、喩え母が正三品といえども闘は身分が低い日陰者だったのである。

 戰の父帝・景も相当な色好みではあったが、闘の父王もどうしてどうして負けてはいない。この時代は英雄色を好むを地で行き過ぎるきらいがとみに強いと言えよう。

 

 闘の前には王后の腹出をはじめ、実に1王妃12妃18びん及び婕妤しょうよ8名の腹から出た兄が、その数実に30名以上がひしめき合っており、高々一将軍の娘の腹に過ぎぬ闘は権力闘争のに明け暮れる者共の視界に入りさえしなかった。

 ――だがそに、無能なる兄どもを霧を払うが如くに現れたのだ。

 幼い烈に、闘の姿は実に峻烈に映った。

 重い雲海を破り、ありありと存在を見せつける暁紅――

 其れが闘だった。


 国境を有する露国との初陣を皮切りに、燕国への大遠征を成功させ時の燕国王を打ち破った。

 句国、備国ひこくといった諸国相手にも負けを知らない。

 而して手腕は戦のみに限らず、外交という外圧を仕掛けて戦わずししてまつろわぬうからを屈服させて国領を充実させていく。無論、まつろわぬとしたうからへの疾風怒濤の攻撃の手は凄まじいの一言だ。

 闘よりも品位の低い母を持つ異腹弟王子たちを尽く味方につけたのも大きい。

 彼らの実力に見合った地位を羽振りよく与え、与えたからには活用し尽くす。

 鬱屈した日々を送らねばならなかった異腹弟王子たちの憂さを大いに晴らして呉れる存在、のみならず、中華平原の中央にて天下の号令を掛ける暁の勢力の輝きを放っている闘に傾倒していく者は続出した。

 烈もその一人、いや筆頭だった。

 烈の母は正七品の御女であり、身分からすれば闘に目通りすら叶わない。


 ――であるのに、正当に私の武術と馬術を評価して下さった。

 ばかりか、他の王子に抜きん出て武辺に優れた烈を闘は名を呼び捨てるという親愛を見せただけでなく、隣に置いて戦の何たるかをすら自ら仕込んで呉れた。

 馬を共に並べる誉を得たのみならず、武勲をたてる機会すら均等に与えて呉れた。

 剰え、『兄上あに』と呼び慕う栄誉まで許された。

 この御恩、末代まで何物にも代え難し、と烈は思っている。


 こん山脈より以東にある平原に武を張る大小様々な国々は、我こそ中華たらんとしている。

 ――だが、我が義理兄上あにうえが見定められるは中華平原のみに非ず。

 こん山脈を越えた毛烏素むうす平原をも視野に入れている。

 一体誰が、斯様な大樹の如き志を以て天下国家を懐っておるか。

 誰もおらぬ。

 只一人いちにん

 剛国国王を名乗られし、我が兄上、闘陛下のみ!


 手にした闘の直筆の書を、まるで宝玉のように烈は高々と掲げた。

 ――兄上の不屈の信念と深き理念が実を結ぶ日は遠からず必ず来る。

 白虎が咆哮の如き大号令を発布するその堂々たる姿を目の当たりに出来る日を、その日、その時、その瞬間を、共に。

 烈は、胸を焦がす思いで待ち望んでいた。



 ★★★



 地領である郡府の城に烈は意気揚々として入った。

 何しろ、国王・闘の書を抱いての帰還だ。

 正門から続く行軍には烈の興奮が乗り移っており、その血気盛んな事は生命力を爆発させる真夏のむし宛らだ。

 出迎えた領民たちもまた、溌剌とした若き郡王の姿に影響されてか頬に気力をみなぎらせている。

 高らかな賛美と称賛の声があがる。

 道すがらの休憩所とした哨舎しょうしゃには、邑令が必ず酒樽を用意させていた。


「道中で酔う訳にはいかぬ故、今は戦勝を共に祝いたいという其方らの厚き好意のみ受け取ろう。後に城に訪れるがよい」

 令たちは烈の言葉に平伏して感涙に咽ぶ。

 彼らの身分では城に上がるなど一生の誉に近い。烈は自分自身の経験から、品位の低い者たちは如何に声を掛けられれば報われたと感激し、額面以上の寿ぎとして受け取るかを知っている。

 為政者としての烈は、素朴な領民たちを頗る愛してやまぬ好人物であり、領民たちからは慕われる良き御領主様であった。



 盛大に銅鑼が叩かれ、城門が開かれた。

「郡王・烈陛下、御戦勝にての御帰城であらせられる!」

 わっと歓声が上がる。

 正門から真っ直ぐに伸びる大路の先にある正殿の前に、人影の山がある。

 其れまで、晴天の如きに晴れ晴れとしていた烈の顔ばせが途端に曇天となった。


「帰ったぞ」

 短く声をかけると、影の中央に立つ人物がゆっくりと礼を施した。

 出来るのであれば、烈は舌打ちをしたかった。女の能面のような表情が気に入らない、というよりも神経を毛羽立たせる事にしか注力しないこの女が気に食わない。

「無事の御帰国、誠に――」

「心にもない言葉は要らん。時置かず、各地の令たちが戦勝祝いに訪れる。彼らに労いの言葉を掛けてやれ」


 無言で女はこうべを垂れる。

 いよいよ、烈は舌打ちをした。

 ――こうも、名前を裏切る女も珍しい。

 婚儀が決まった時、名前を聞き、似姿図を示された烈は此れはそこそこに期待を抱いても良いかと思ったものだった。

 だが実際に目の前に現れた女は、成程、姿形は似姿図通りの美しさだった。

 が、似姿図そのまま過ぎた。

 美姫として名高い椿姫を形容する際に多く使われるまるで絵のように美しい、と言葉が真逆の意味合いをもってこの女を表していた。


 ――絵に描かれた女のように、生気というものがない。

 心の内で、烈は女への興味を全て捨てた。自分は兄王である闘と慶びの日を共に出来ただけで倖せなのだ。女はおまけ(・・・)で付いてきただけだ。兄を失望させぬ程度に構っておけばいい。閨にて愉しむ為の女であれば、自分で選んだ方が良いに決まっている。


「更衣の用意をせよ。だが、お前は来なくていい」

 もう一度、女は無言無表情で、こうべを垂れた。

 此れから初夏に向かっていく筈であるというのに、氷霧のような冷ややかさが周辺に漂う。


 烈を出迎えた女の名は、えい

 そう、彼の正妃にして契国国王の同腹妹いもうとである瑛姫であった。 



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