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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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5 初他火(ういたび) その2

5 初他火ういたび その2



 陸少年は今の所、竹青年と同じ長屋に住まいを得て、郷里の邑令からの推挙人という体裁をとり、城で仕人つこうどのような仕事をしながら真と蔦の元で学問や作法などを徹底して学んでいる。

 勿論、杢の元で剣術や弓術、克の元で体術や馬術も習い始っている。

 学問は相当必死にならないと追いつかず、竹青年たちを捕まえては教えを乞うているが、腕っ節自慢だけの事はあり、武術に関しては及第点以上の見込みがある、と珍しく杢が褒めている。


 その陸少年が、真と優の様子を、チラリチラリ、と遠巻きにしながら伺う。

「真、薔姫様の話を聞いたぞ」

「ですか」

 うむ、と嬉しげに優は頷く。

「才人様にはお知らせしてあるのか?」

「当然です」



 薔姫の母親である蓮才人は今、王城内の、なんと西宮を居に構えている。

 当初は、新たに建て直した鴻臚館に住まいを得ていた。しかし義理母ははおや思いの戰の為にと、椿姫は新たに才人の住まいを建築しかけようといた。

 が、蓮才人は笑って固辞した。

「其の様に無駄な事に金を掛けては勿体無い。戰、何処か王室の隠居……いえ、罪を負い、蟄居を命じられる所のような棟があれば、其処で結構」

「蟄居……ですか?」

「禍国にこの先、私の事で再び文句を言わせぬ為には蟄居閉門してたてておくのが妥当でしょう。不要な争いの種となり、息子の足手纏いなどになる気はありませんからね」

 明るく言い放つ蓮才人の前で、戰と椿姫は其処で言い淀む。

 祭国にて王室の者が隠居蟄居すると言えば、西宮と決まっている。

 だが、この西宮は余りにも不吉で不穏な曰くが、そして椿姫にもわだかまりがつきすぎてしまっている。すっきりしない態度の戰と椿姫では埒が明かないと判断したのか、蓮才人は真を呼び付けて理由を問い質した。


「実は……」

 真も躊躇しはしたが、戰と椿姫では話せまい、と心を決めて蓮才人に打ち明けた。

 椿姫の父親である順大上王の身勝手極まりない行いにより、彼女が何れ程心を痛め、苦しみ、今尚哀しんでいるのかを知った蓮才人は、義理息子の妃を優しく胸に抱いた。

「なれば尚の事、わたくしは西宮に参ります。禍国に此れ以上、私を理由に付け入らせてはなりませぬ故」

「でも、義理母上ははうえ様……」

 椿姫が西宮を開けられぬのは、父親の事もあるが、あの宮は惨劇の場所でもあるのだ。多くの命が失われた。其のような恐ろしい城に居を移すよう勧めるなど出来る筈がないではないか。

 椿姫の逡巡の意味が奈辺にあるのかやっと気が付いた蓮才人は、朗らかに笑った。

「何です? 私が恐ろしさに日々を震えて狂い暮らす、そんな頼りない情けない義理母ははであるとお思いなのですか?」

「そ、そんな……」

「椿や」

「……は、はい……」

「死を迎えた方の館、その程度の理由で眠り暮らせぬようで、国土が戦場となった時、王城が敵の手に落ちた時、何とするのです」


 打って変わり、厳しい声音と表情になった蓮才人に戰と椿姫ははっとなる。

 彼女の祖国である楼国は、禍国に攻め入られて属国化したのだ。

 王城すら手に落ち、人質として戰の母である麗美人は国を去った。

 その後、皇帝・景に求められて自身が後宮に上がるまでの10年間近くを、彼女は国の王城で暮らしたのだ。

 国の民が、城に仕える者が、殺され虐げられ嬲りものにされた亡国の城で。

 幼い日に国が滅ぶ様を目の当たりにし、多感な年頃を戦場となった城で。

 生きていかねばならなかった。

「椿や、其方が気にしておる事なぞ、私には何程の事もありませぬ。明日にも西宮に移りましょう。調度類などはあるものの間に合わせで充分」

「母上、しかし……」

「其のような意味合いのある宮なれば、禍国への申し開きも立ちましょう。何を遠慮する必要がありますか。戰、母に己が役に立て、と命じるが宜しい」


 戰や椿姫たちは、実際に国が矢面にたち滅ぶとは如何なるものであるのかを知らない。

 知らない幸せの中に生きてきた。

 此れからも其れを大切にせねばならない。

 知らない幸せを広めてゆかねばならない。

 勝ち続けねばならない。

「その為には、利用できるものはたん(・・)と利用しなさい。愛しい妃と可愛い我が子、同等に大切にせねばならぬ領民たちの為にも」

「……分かりました、母上、何卒、我が子を助けると思い、西宮にお入り下さい」

「其れは命じておるのではなく、頼んでおるのですよ、戰」

 全くしようない皇子様だこと、と背伸びをしつつ、蓮才人は戰の頬を叩くふりをして撫でたのだった。


 こうして、蓮才人は西宮の主人あるじとなった。

 蓮才人の生来の気質の明るさも手伝い、陰気臭かった宮の雰囲気は一変し、暖かく、凛々しくも生気溢れるものとなった。

 同じ年の頃である苑とは、性格は正反対でありつつも根っこの性質が同様である為か、あっという間に女の友情で結ばれた。

 薔姫も、真についての仕事の手伝いがない時は折々の菓子を手にして母親を訪ね、水入らずの時間を過ごすようにもなっていた。

 今や、祭国の王城の明るさに一役買っている。

 無くてはならぬ存在としての位置を、才人は、自らの才覚と行動力で得たのだった。



 ★★★



 そんな訳で、優も禍国に居た頃より親しい付き合いをしており、此度の知らせは自分と息子の為というよりも、蓮才人の為に浮かれたくなるものだった。


「お慶びであろう」

「……はい、まあ……」

 腕を組んで、うむうむ、と破顔しつつ頷いている優の横で、真は歯切れ悪く答える。

 何だ? と優は片眉を跳ね上げた。

「真、何という不遜な態度だ。大切な姫様の慶事であろうが。何をそんないい加減な返事をしておる」

「……はあ、まあ……」

 むっとした口調で咎められても、矢張、真の口調は重い。

 うじうじと塞いで含みのある息子の様子を、半分不思議そうに半分鬱陶しそうに眺めていた優だったが、ふん、と鼻息で嫌味に走りそうな空気を吹き飛ばした。


「まあ良いわ。其れで姫様の御祝いだが、早速、時に連絡を入れよと好に命じても、珍しく言葉を濁して要領を得ぬのだ」

「……其れなのですが、父上」

「うむ?」

「実は、祭国の為来りに則って祝おう、と椿姫様や大宮おおいみや様方が仰って下さっているのです」

「祭国式?」

 はいはい、と類が頷く。

「実は、先だって私の娘の一人もそうして祝って頂きました」

「ふむ?」


 先ず、祝の宴を行う離れは、近所で懇意にして頂いております御寮人様から貸して頂きました。

 其処で娘は近隣の女子衆総出で一番の晴れ着を着せて頂きまして。

 ええ、その後は、此方では女子衆の仲間になった祝いという事で、女性のみで宴を広げるのですが。

 これがまたもう、其れは其れは盛大に、身分に余る程良くして頂きました。

 宴の最後、お開きになりますと、父親の私が娘を背負って家に連れ帰るのです。


 太った身体をうきうき(・・・・)と小刻みに揺すって類は話す。聞いていた優のが、きらり、と光を孕むのを、真は見逃さない。

「ふむ、背負って?」

「はい、一人前の娘が家に居るのだという、お披露目の意味合いもあるとかでして、いやはら、私の娘はこう、身の肉の付き方が人一倍良い方ですので、大変でありましたが、親としては此れで良縁に恵まれるとは嬉しい限りです」

 太って緩んでいる頬を更に緩めて、はっはっは、と汗だくで笑う類の背後で、おっちゃん、だらしねえぞ、と陸が呆れている。

 父親が、と聞いて優が眉を顰めた。そして、真の歯切れの悪い態度は此れか、と納得する。


「薔姫様のように御実家に頼る事が出来ぬ娘もおろう。その場合は何とするのだ」

「父親が居らぬとあれば、後見の方であるとか御兄弟ですとか、家長となる御方が家に帰るまでの世話をするのだとか」

「ほう?」

 ふうふうと息を切らしながら、垂れてきた汗を拭く類を前に、ふぅむ、家長が? と優は顎に手を当てた。ちらり、と息子を見ると、やはりむっつり唇を尖らせている。

 ――何を塞いでおるのかと思えば。

 薔姫様の事で私に頼るのを気にしておったのか。

 そう思えば、好が見せた表情も今の真の態度も納得がいく。

 喜ばしいのは事実であるし、優自身も誇らしい。殊更に、声を明るくする。


「戸にもかくにも、目出度い話だ、真、喜ばねばならんぞ」

「……はあ」

「では、姫様を背負う御役目は、当然の事、私であるな」

「……はあ」

 うむ、と満足気に頷き胸を張る優に対して、真は相変わらず歯切れが悪い。

 とうとう腹に据えかねたのか、優が怒鳴り声を張り上げる。

「いい加減にせんか! お前は今まで、姫様に何れ程心配をかけ、世話を掛けたと思っておる! 姫様の晴れの日を心から祝ってやれんのか!」


 胸倉を掴まれても、まだ真は、いえその……、と言葉を濁す。 

 其処に、高い沓音が響いてきた。

 来られましたね……と真が呟くのと同時に、がらり、と部屋の戸が開け放たれる。共の殿侍もつけずに飛んできた戰だ。

「兵部尚書、聞き捨てならんな」

「ぬ? 陛下、何がですか?」

「薔の祝いの席での話だ。宴の最後、家路に着くまでの間、家長となる兄弟が背負うというのであれば、其れは私を置いておるまいが」

 怒り肩でずんずんと優に迫る戰に、聞き捨てならぬのは此方ですな、と優も負けてはいない。


「姫様は既に我が一門と縁を結んだ御方。我が一門の家長といえば、この私に相違御座いませぬ。何となれば、私が姫様を背負う大役を担うのは当然に御座いましょうが」

「何だと? 兵部尚書、この私に逆らうのか?」

「ええ、此ればかりは。祭国の為来りというものに従うのでしたら、お引きになられるのは陛下に方に御座いましょう」

 大のおとこが、しかも武辺一等の武張った筋肉質の漢が二人、ぎりぎりと奥歯を食いしばり眉を跳ね上げ額をぶつけて本気睨み合っている。

 やれやれ、呟くと真は、もう見たくもないですよ、と手で目元を覆い隠して頭を振る。

 陸は二人を眺めながら、あ~あぁ、と呆れて肩を上下させた。


「……こうなると思ったんですよねえ……」

「で、どうすんだい、真さん? 陛下と父ちゃん、喧嘩おっぱじめちまったぜ?」

「ま、気が済むまで放っておいてあげて下さい」


 真は盛大な嘆息を落としつつ、暇でしたら手伝って貰えませんか? と手をひらひらさせて陸を誘った。



 ★★★



 水揚車の試作品のお披露目を行った日。

 薔姫は初潮を迎えた。


 禍国では、『初花祝い』と称して一族郎党で祝いの席を設けるのだが、祭国では『初他火ういたび』と言習わす。


 初他火は、月の障中の最中の娘は神聖な存在ゆえに穢を呼び寄せやすい神聖なる存在である、とする思想から発生した。食事や湯、つまり火を使う日常生活を他所で行い、生命を繋ぐ娘たちを穢から守る目的が始まりだったのである。此れには出産時の出血も含まれており、産屋の役割におけるこの習わしは王家こそ大切に継承されてきていた。

 今は初他火と言えば、産所としての役目しか残されてはいないのだが、初潮の時だけは火を別にする習わしだけは残った。この時に、子沢山であったり、良妻と有名であったり、お産が軽かったりする人が産屋とした離れを宿として借りると、娘も同じようなご利益が得られると考えられていた。

 其処で、初潮が終わるまでの間、周囲の女子衆たちのみに祝われる間、あれやこれやの手ほどきを受けるのだ。一人前の大人の女性でなくては知るのを許されない、化粧から、男たちの恋の駆け引き、ご近所付き合いのこつから、舅と姑と鬼千匹と恐れられる小姑の操作法、何より大切なのが、夫婦和合の道、閨を共にした際の手練手管などなど、である。


 縁から、薔姫は椿姫が産屋とした建家を初他火の為の宿とした。

「……私の時にも、薔のようにして頂ければ少しは違ったのに」

 輪を胸に抱きながら、椿姫が苦笑いする。

 その横で蓮才人が袖で口元を隠しながら、くすくすと含み笑いをしていた。薔姫の髪を結い上げている苑が大体の事あらましを察して、釣られて笑う。

 王家においては、このような庶民的な初他火は行われない。

 それ故、椿姫は禍国に囚われの身となった時でも、男から自分はどの様な目で見られているのかなど、まるで危機感の欠片もなかったのだ。

 男女和合の道、など飛んでもない話であり、未知の世界の話であった。

 祭国の女王となる為と称して蓮才人の世話になった折に作法を学まねば、初めての夜、戰と二人、お互い慣れぬ者同士がどうなったかものか、怪しいものだ。

 今はよい笑い話、で済ませる位には、椿姫もそれなりに成長していた。


 他火が行われる宿では女たちが、娘を持つ家の者は自宅では男たちが、連日連夜に及ぶ飲めや歌えの宴が続き、祝いのお囃子が繰り返される。

 義理の母である好も呼ばれ、蓮才人も苑も、椿姫も、珊も、豊や福たちは勿論の事、祭国に来てから懇意にしてくれていた人々は一人も余さず、他火を行った産屋に顔を出した。

 真の家でも蔦が仕切って宴が開かれた。

 最中、戰と優は、顔を合わせれば、何方が薔姫を背負う栄誉を得るかで喧嘩を始める。克と杢とが其々背後に付いて回って気を使っているというのに、調子にのった虚海が耳打ちしたせいで、竹青年と陸少年が中心となり、密かに、そして大々的に賭けまで行われる始末だった。



 ★★★


 


 少女の初潮が終わると、『初他火』の宴も終わる。

 最後の日に娘は女子衆の手により、まるで天女の如くに美しく着飾り化粧を施される。

 そして、迎えに来た家門の長に背負われて、家路につくのだ。


 薔姫の初他火は、6日間に及ぶ盛大なものとなった。

 6日目の夕刻になり、宴を開く知らせとなる筝の音が、しめやかに響き渡り始める。

 はっとなった人々が顔を見合わせ、一斉に産屋に向かって走り出した。


 宴の主役の到来を待ちわびる声が上がる中、すらり、と扉が開かれると、わっと歓声があがった。

 しかし、蓮才人と好、二人の母に手を取られてしずしずと姿を現した薔姫の姿に、見物に集まった皆は息を呑んだ。


「おねいちゃま、きれーい!」

 わあ! と娃が手を叩いてはしゃぐ。

 皆、娃の言葉に頷くしかない。


 薔姫は、その豊かな髪を、頂点で花弁のように両方に広げて結われていた。

 金糸と銀糸の飾り紐に守られた長春花の櫛が眩しい。

 余した髪は肩から背中に流れるままになり、しゃらり、と櫛が擦れ合い、鈴音のような音をも載せて輝いている。

 椿姫自らが糸を縒った紗を披帛ひはくとして、ふわりと腕にかけており、帯紐は、蓮才人が針を選んで刺した刺繍の帯と苑が組んだものだ。

 珊やでんが、選びに選んだ艶やかな朱と白を基調としたきぬで縫われた曲裾と裳を纏っており、すらりとした脚の動きに合わせて、まるで水面か風に揺蕩う薄雲のようにゆら揺れる。

 美しい、娘らしい化粧も施された。

 額には花模様の花鈿かでんが、口元には靨鈿 (ようでん)が丸く描かれ、目尻には額紅として三角系に、唇には点朱紅が点されるように差してあり、袖下から覗く指先も爪紅で彩られている。口元の靨鈿 (ようでん)は、子を成す事が出来るようになった証であり、一際紅く、そして丁寧に塗られていた。


「さ、薔……」

「……はい……」


 蓮才人と好の手が離れた。

 薔姫は、一人、静かに歩を進める。

 おおっ、という響めきが其処彼処であがる。


 そして喧騒の中。

 開け放たれた戸口ぎりぎりに立つ薔姫の前で、人波が割れた。

 中央に、鶴氅衣かくしょういを纏った正装の男が現れる。


 真だ。

 言葉なく真が右手を差し伸べると、薔姫はやっと其処で緊張を解いてにっこりと微笑んだ。

 春の陽ざしのような笑みが、集った人々の心に暖かなものを灯していく。 

 差し伸べられた真の手に、薔姫が同意を示すように、手を翳す。

 すると、真も笑みを浮かべてくるりと背を向けてその場にしゃがんだ。

 良人おっとの背に、薔姫は迷いなく身を預ける。

 はらはらと見守る人々の視線が集中するなか、真は背中の薔姫を支えて立ち上がり、しっかりとした足取りで歩き出した。

 

 一瞬遅れて、皆、口々に祝辞を述べ、手を叩きながら、目に涙を浮かべつつ、真たちを見送り始めた。

 その中には、嬉しさ半分、悔しさ半分の珍妙な表情をした戰と優もいた。

 晴れの舞台をあっさり真に掻っ攫われて、散々に道化を演じた戰と優の二人は、其々のさいに頬をつつかれたり肘をつつかりたりして諌められ、漸く腹の虫をいなしていた。奥の方では一人総勝ちの芙に、賭けに負けた男たち恨みがましい視線を送っている。更にその奥では、竹青年と陸少年が、『いつ芙が賭けに負けるか』という賭けを、こっそりと展開し始めていた。

「おい、お前ら、ほどほどにしとけよ」

「おうあにぃ! がってん承知ぃ、分かってらい!」

「任せておいて下さいよ、隊長」

「いや……任せられんし、分かってないだろう……」

 呆れつつ竹と陸に注意しながら、克はぼりぼりと頬の一番高い処に出来る笑い笑窪をひっかく。


「しかしまあ、普通に考えれば、既に嫁下された薔姫様の最も近い後見といえば、良人おっとである真殿に決まっているよな」

「だよね!」

 ぽん! と飛び出してきた珊が、克の太い腕に抱きついた。

 おい、こら、お前! と慌てる克に、大丈夫だよぅ、と珊は明るく笑う。


「ね、姫様、すごく綺麗だと思わない!? やっぱり、お姫様って違うや、素敵!」

 珊と克に誘われて、場に、更に一段明るい笑い声が上がった。


 

 ★★★



 背中の温もりを大切に大切にしながら、真は、のんびりと家路につく。

 此れから昏くなるばかりである筈の夕暮れの中、しかし家へと続く路は、真にも背中の上の薔姫にも、暖かく明るく映る。


 きゅ、と真の首に巻きついている薔姫の腕に力が入る。ん? と真が背後を振り返ると、心配そうな表情の薔姫の顔が存外近くにあった。


「ね……我が君、重たくない?」

「いえ? 平気ですよ?」

「本当に? 辛かったら、私、降りて歩いても、いい……のよ?」

「嫌ですねえ、もう少し、信頼があると思っていたのですが」


 笑いながら、真は背中の薔姫を揺すり上げて背負い直す。片腕で背負っている割には、確かに均衡が取れてはいる。しかし、大きく揺さぶられて薔姫は短い叫び声をあげた。

 が、直ぐにそれは笑い声にとって変わられる。

 二人の笑い声が、秋赤音色の空に吸い込まれていく。


「そんな事よりも、私は早く姫が用意してくれる御飯が食べたいのですが」

「え?」

「毎日、毎日、御馳走、御馳走、また御馳走、で、ほとほと口が飽きてしまいまして……。この3日程は、姫が作ってくれるお粥が頭の中でちらついてちらついて、もう仕方がなかったのですよ」

 はあ、と大仰に嘆息しつつ、真はおどけて肩を落とす。

 うふふ、と薔姫は笑い返した。


「それじゃあ、明日の朝は我が君が大好きな、卵と生姜と葱のお粥にしてあげる」

「是非、其処にひしおも付けて下さい」

「はいはい、食いしん坊さん」

「嫌ですね、姫、人間、食べる楽しみを奪われたら何を愉しみに生きていったらいいんですか?」

「もう、其れは我が君だけでしょ?」

「ですかねえ?」

 薔姫は背から手を伸ばし、笑う真の頬を、もう、と撫でるように軽く叩く。


「ああ、明日の朝が楽しみですねえ」


 二人が同時に見上げた空には、黄身のように丸い月がほんわかと上がり始めていた。




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