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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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4 母

4 母



 施薬院に入った薔姫は、直ぐに声を掛けられた。


「薔? どうしたの?」

 優しい声の主は彼女の義理兄の妃、椿姫だ。縁側で風に当たりながら風鎮の音を楽しんでいる椿姫を認めた薔姫は、姉上様、と笑顔になりながら駆け寄る。

「どうしたの? 一人? ……もしかして、何処か具合が悪いの?」

 心配そうに尋ねてくる椿姫に、薔姫は慌てて手突き出して、うぅん・違うの、とぶんぶんと振る。

「あのね、あの……最近ね、ちょっと……お腹が痛くなる事が続いてるの」

「……まあ?」

「だから……我が君に、虚海様に診てもらうにって……」

「そう……今は? 大丈夫なの?」

 うん、平気よ、と言いながら薔姫は手伸ばして招いて呉れる椿姫の傍に寄った。ちょこん、と素直に隣に座る。ところが隣に座った途端に薔姫の視線は熱いものとなり、椿姫の腹部に注がれた。


「……ね、姉上様」

「なあに?」

「……赤ちゃんが産まれてくるのって……春頃・よね?」

 そうね、と気恥しげに頬を染めながら、椿姫は腹部を撫でる。

「その頃になりそうね」

 ね、姉上様、私も撫でても良い? と薔姫が聞くと、どうぞ、と椿姫は義理妹の小さな手首をとって誘った。

「……あのね」

「なあに?」

「この間ね、娃ちゃんがね、泣いちゃったの」

「えっ……どうして?」

「どうして、私はお姉ちゃんになれないの、って」

 あら、と椿姫は言葉に困った。


 戰との間に三人の御子を懐妊したと判明したばかりなのだが、それが発端であろう事は間違いがない。

 第一皇子・しゅんの誕生から2年後に、第二皇子・りんが誕生した。

 りん皇子の懐妊は、実に妊婦らしく悪阻つわりによって発覚した。

 第一皇子・しゅんの懐妊中が中だったので、皆、喜びもそこそこに、すわ、と身構えたものだ。しかし、周囲がよもやと心配したようには、不正な出血もなければ腹部の張りもみせず、過剰な痛みに苦しむ事もなく、椿姫は順調に十月十日とおつきとおかを過ごし、無事に皇子は誕生した。産する事自体も辛いものではなく、3時辰じしん程で自ら外界を求めてきた、とばかりに赤子から出てきてくれる、優しい出産だった。

 産まれた皇子は父親似である兄皇子・星と違った顔立ちをしていた。

 では、誰に似ているのか? と問われれば、妃である椿姫血筋であるの兄王子・かくに似ていた。太い眉や濃い髪の質、太く立派な骨格、笑みを浮かべた時に目が自然と細まり黒目が寄る所などそっくり同じだ、と我が子を抱きながら椿姫は戰の胸で感涙に咽んだ。

 男児だった為、此度も戰に勧められて皇子の名付をする事になった椿姫は、我が子の名に迷いなどなかった。


 ――りん


 兄王子・覺の転生てんしょう

 星の運業を違えることなく生まれ変わりいでた魂。

 そしてこの世を創成する五つの要素万物をつくる五つの要素、即ち、地・水・火・風・空を意味する名である。

 生を全う出来なかった兄王子・覺の守護を受け、全ての自然を友垣として懸命に生きよ、という意味と願いを込められた御子の名を知った苑は、その場に頽れて泣きに泣いた。


 そして輪皇子が1歳の誕生日をそろそろ迎えようかという今、再び懐妊の兆候が見られた。

 月の障が遅れているのだ。

授乳中であるので、元々不順ではある。

 それ故、確たる証が得られるまで正式に発するのは控えてはいるが、産婆たちはまず間違いなし、と見立てている。



 ★★★



 其の話を、舞を教えに家に来ていた珊と真たちとの会話をこっそり娃が盗み聞きしてしまったのだ。

 舞の稽古を終えて珊が帰ると、娃は薔姫と母親の好の袖を引っ張った。


「ねえ、椿姫様にまた赤ちゃんが生まれるの?」

「えっ……ええ、でも、まだ内緒ですよ?」

 大人の話を立ち聞きしていた事をどう咎めるべきか、と好が顔を顰めていると、唐突に娃が地団駄を踏み始めた。

「ずるい!」

 まぁ!? と驚愕と戸惑いに言葉を失う好の前で、娃はぼろぼろと涙を流し大声を張り上げて盛大に泣き出した。

「星ちゃまはもうお兄ちゃまなのに! 輪ちゃまだって、まだ赤ちゃんなのにお兄ちゃまになれるなんて、ずるい! 娃もお姉ちゃまになりたい!」

 えっ……、と薔姫と好は顔を赤くして顔を見合わせた。

 幾ら兵部尚書と好の夫婦仲が良好過ぎる程良好というか、周囲がもうやめてくれと言いたくなるほど未だに甘いものだとしても、流石にこの先に更に和子を望むというのは酷、というものだろう。わんわんと声を張り上げて泣きに泣いて、泣き疲れて薔姫の膝枕で寝入ってしまう頃に、真が帰宅した。


 笑いを堪えつつ出迎えてくれた芙から騒ぎの顛末を聞き及んだ真は、どうしたものですかねえ、とぼりぼりと後頭部を引っ掻く。

 ――確かにもう、父と母に第三子を望むのは、どうでしょうかねえ……。

 いえ、娃が父に『お姉ちゃまになりたいからきょうだい(・・・・・)がほしいの!』と頼めば、では、とばかりに父上は発奮されるでしょうけれども。

 流石に25歳も年の離れたきょうだい(・・・・・)というのも……。

 ――……いや、それも些か……いえ、正直困りものです……よ・ね……。

 ……は、ははははは……と、真の口元には微妙すぎる成分多可な苦笑いしか浮いてこない。


 やれやれ、と部屋に入ると、薔姫に髪を撫でられながら娃はまだ眠っていた。

 まだ興奮冷めやらぬ紅い頬に、くっきりと涙の跡を残している。

「お帰りなさい」

 はい、只今帰りました、と微妙な笑みを浮かべながら、真は薔姫の隣に膝を揃えて座る。娃の髪を撫でてやると、娃ちゃん、どうしましょう? と薔姫が聞いてきた。

「今、芙に寝床の用意をして貰っておりますので」

「うん」

 膝の上の温もりの塊である娃に視線を落として、薔姫が、ぽつ、と呟いた。

「……あの……ね……」

「はい?」

 真が顔を上げると、ぱち、と薔姫と視線があった。そんなつもりはなかったのか、何故か薔姫は真っ赤になり、酷く慌てて様子で首を左右に振った。

「う、うぅん、何でもないの」

「……そうですか?」

 怪訝そうに真が首を傾げていると、お休みになる用意が出来ました、と芙が声を掛けてきたのだった。



「あのね、姉上様……」

「なあに?」

「……その……」

 薔姫は言葉を探して、もじもじと身体を許す。

 どうしたの? と急かすこともなく、椿姫は義理妹の言葉が出るのを待ってやる。


「……あの……あのね……」

 散々うじうじした挙句、や、やっぱりいいの! と叫んで薔姫は立ち上がった。

 そして、ぱっと飛び出していく。

 何時もなら、そのまま施薬院の治療室まで駆け込んで行っている事だろう。

 だが、この日の薔姫は違った。

 転んだ、というよりは、へなへなと崩折れるようにしてその場に倒れたのだ。


「薔!?」

 椿姫が青い顔で立ち上がった。素足のまま倒れた動かない薔姫に、お腹を庇いながら駆け寄る。

 騒ぎを聞きつけて寄ってきた人々の視線の中で、椿姫に抱き起こされた薔姫の顔色は、まるで幽気のように血の気を無くしていた。



 ★★★



 真の家で娃に舞の稽古を付けてやりながら、珊は気もそぞろだった。

 娃が3歳の誕生日を迎えた翌日から、時間がある時は芙や仲間たちと共に舞や雅楽を教えてやるようになっているのだが、筋が良いのか飲み込みが良いのか。はたまた興味があるからなのか。既に娃は名手の片鱗を見せている。舞う事自体が好きでもあるのだろう。上達の速度は尋常一様ではない。

「此れは何れ早々に、珊の手に余る程に上達なされましょう。なれば私が教えて差し上げねばなりませぬなあ」

 と蔦の口を滑らせるまでになっていた。


 きょろきょろと落ち着きのない珊は、どうやら薔姫の姿を探しているようだった。城から一足先に帰宅した芙が舞の稽古を終えてもまだ居座っている珊に気が付いて、声を掛ける。

「どうした、珊」

「あ、うん、ねえ、芙、姫様は?」

「ああ、何時ものように城に上がる真殿と共に出掛けられた。だが、今日は施薬院に行くと仰っていたな」

 教えてやると、そっか……と明白に珊は落胆している。

「どうした? 克殿と喧嘩でもしたのか?」

「違うよぉ~だ」

 鼻の上に小皺を寄せて、珊は舌を出した。

 まるで小娘が抜けきっておらず、芙は苦笑しきりであるが、此れでも克と所帯を持って3年になるのだ。


 3年前。

 自分の上さん(・・・)になれ、と啖呵を切ったばかりの克に、戰と共にの帰国が言い渡された。

 祭国に戻ったら仲人ちゅうにんを立てねば、披露の宴はどうするか、その前に故郷の親たちに連絡を……と、うきうきしていた矢先に引き離されてしまう事になってしまい、克は、相当に衝撃を受けた。

「済まないな、克」

「……はい。あ、いえいえいえいえ! そ、その、陛下の御命令とあらば! ……です、はい……」

 心配した戰が声を掛けたが、後悔する程、克は底無しに落ち込んでおり声も掠れて、動きもしょぼしょぼとしている。

 帰国の準備も糞も、荷物など小さな行李一つに収まってしまう位少ない彼には、忙しさに没頭して悲しみを和らげるとか忘れるとかが出来ないのだ。

 ――別にこの緊急に次ぐ緊急が続く緊張状態の中、甘い新婚生活を夢見ていた訳ではないが……。

 だが、傍に居たいものは居たい。

 すっかり悄気返っている。見るも無惨というか、家出して迷子になっている魂を早く誰か捕まえてやれ、と言いたくなる程、空っ穴状態だ。

 すっからかんの抜け殻克に対して、珊の方は・というと此れがまた、けろりとしている。


「いいじゃない。何が困るの?」

「いや……困るとか困らないとかじゃなくてなあ……」

「そんな事よりさ、あたいが帰る迄に新しいうちと家財道具、用意しておいてよ?」

「お? おお、そ、そうか、そうだな、何が入用だ? 俺じゃ分からないから、思いつくものあげてくれよ」

「あたい用の食器だとか、包丁だとか鍋だとか、箪笥だとか行李こおり箱だとか」

「うんうん」

「あ、あとさ、新居には洗濯場所と、物干し場所、ちゃんと造っておいてよ?」

「お、おう……」

 禍国への出立前の醜態を思い出して、離れがたくて涙で顔を潤しまくったいた克は赤面するが、珊はけろりとして続ける。

「んーとね、それから厨は大き方がいいかな。竈は3つは欲しいかも。皆のお弁当作れるしね。納戸もあると便利かな、あたいの一座での衣装とか小道具は別に置いておきたいし。あ、それと、大事な物忘れてた」

「おう、何だ、大事な物を忘れたらいけないだろう」

「お布団、あたいたちの」

 笑顔であれこれ指折り数える珊に、うんうんと頷いていた克は、最後に、『布団』の一言が出て、ぴたり、と止まる。


「ふ、とんっ!?」

「当たり前でしょ? 板の間で寝ようっての?」

 ぎろ、と珊が睨んでくる。

 一気に覚醒した克は真っ赤な顔をブンブンと左右に勢い良く振って否定する。

「い、いや駄目だ、絶対駄目だ、断じて駄目だ、何があっても駄目だ。分かった、用意する、帰ったら用意する、最初に用意する、直ぐに用意する、速攻で用意する」

「趣味悪いのなんか、買ってこないでよ?」

「いや、其れは俺に言われても無駄……いや、よし、それなら時の爺さんに頼んであれこれ送って貰おう!」

 俄然、元気の塊となった克の背中を、どうどう、と馬をいなす(・・・)ようにポンポンと叩く。そして、男って単純だねえ、と騒ぎを聞きつけて様子を見に来ていた蓮才人を、ちら、と振り返り、二人でこっそりと笑いあったのだった。



 意気込んでいたのは良いのだが克は早々に、両手を上げた。

 何しろ、女の好みなどとは無縁の世界に30年近く生きてきたのだ。当然だと胸を張るのも情けないが、克は珊に頭を下げ、珊は薔姫の前で克の首根っこを抑えて頭を下げさせた。

「御免よう、姫様ぁ。才人様にさ、馬鹿克が話があるんだ」

「いいわよ、母上様に頼んであげる」

 薔姫も、いつも自分を助けてくれている珊が、自分の幸せに気持ちを向けてくれるのはうれしい。

 こうして、珊の花嫁道具となりそうな様々な荷物の依頼は、薔姫を介して蓮才人が請け負う事になった。愛娘と愛娘同然の娘二人のたっての頼み事に、蓮才人は喜々として時を宮に呼び寄せた。


「さ、珊。好きな物を好きなだけ、存分に選びなさい。遠慮は許しませんよ?」

「……えっ……い、いいの、才人様?」

 勿論、と蓮才人は華やかな笑みを浮かべて頷く。

 思わぬ幸運に眼を輝かせつつ、床一面に広げられた愛らしい茶碗や箸、使いやすそうな鍋や手触りの良い敷布などを前に、珊は真剣な表情で吟味し続けていたが、不意に感極まって声を張り上げる。

「才人様ぁ、あたい、こんなに楽しいと思った事、生まれて初めて!」

 そう? と微笑む蓮才人こそ、実に楽しげだ。

 実の娘である薔姫の輿入れは彼女を救う為だとはいえ急場凌ぎだった。

 嫁入り道具を愛娘と共に拵えるという、母親としての最大の腕の見せ場ありかつたのしみを奪われてしまったのだ。自分よりも品位の低い妃たちの姫の輿入れの準備の采配を任されたとしても、其れは其れ、此れは此れ、だ。

 溜息と共に諦めていた娘にしてやれなかった母親として当然すべき一切合切を薔姫を妹のように可愛がってくれている珊にしてやれる機会を、奇しくも与えて呉れた新皇帝に蓮才人は感謝しきりだった。

 娘らしく、というよりは新妻らしい落ち着いた色合いの花模様が散らされた茶碗の肌質をうっとりと撫でている珊に、蓮才人は薔姫も年頃で嫁下していたならば、と胸がちくりと痛む。それを隠しつつ、努めて明るく話しかけた。


「珊や、嫁入りはむすめにとって一世一代の晴れの舞台なんですからね。妥協などして自分を安くしてはなりませんよ? 徹底して佳きものを選ばねば、恥を得るのは殿方ではなくむすめの方なのですから。殿方が何か文句言っても只の戯言たわごとですから、聞き流して大丈夫ですよ」

「そうなの? そういえば、豊は類の事、この馬鹿亭主ったら言うこと聞いてやしない、とか何とか、よくぶつぶつ言ってるや」

「でしょう? 殿方は嬢の時間は全て自分に向かって使われていないと気が済まない、馬鹿な童子と同じなのです。はもう始まっているのですよ? 気を抜いてはなりません」

「うん!」


 蓮才人に大いに炊きつけられた珊は、益々吟味に力が入る。

 此れが可愛い、あれも素敵、其れも欲しい、と夢中になって漁りまくる。

 挙句、やっぱり克の日用品も新調してお揃い(・・・)にする! と言い出した。

 ここまで来るのに丸一日しっかり経過しているというのに、振り出しに戻ってしまった訳だ。

 流石に少々やり過ぎか、としおしおとしおらしく、上目遣いで珊は克に擦り寄り、甘えた猫撫で声をかける。

「克ぅ……ねえ、いいかなぁ?」

「俺はよく分からんから珊の好きにすればいいと言ってるだろう?」

「うん! ありがと!」


 克、大好き! と珊は抱きつき、未来の旦那の頬にある笑窪に、ちゅ・と音をたてて唇を寄せる。

 うきうきしながら、また一から選び直し始めた珊の後ろで克は嫌そうな顔一つしない。ふんふんと上機嫌で鼻歌を歌っている上さん(・・・)が満足するまで腕を組んでじっと待っている克は、番犬というよりは忠犬宛らだ。


 珊につき合いきれずに克が根をあげる、という方に賭けていた竹青年が、またぞろ芙に何やら巻き上げられていたのを、時はしっかり目撃しており、暫し笑いの種にしてそこらに吹聴して回っていた。



 珊が帰国すると、真と薔姫が本仲人となり、いよいよ克と珊の夫婦の縁が結ばれる事となった。

 親の居ない珊の為に、類と豊が嫁として家を出る際に邸宅を貸し出そうと親子成を引き受けて呉れる。

 皆が良き日を楽しみに浮かれている時、一人、真は浮かない顔をしていた。

 未だ怪我が快癒していない真は其れを理由に仲人を辞そうとしたのだ。

 が、克に拝み倒された。


「お願いだ、真殿、この通り、引き受けてくれ。この克、一生の頼みだ」

「しかしですねえ……」

 晴れの日に、自分のような穢を背負った者が居ては些かまずいでしょう、と真は言葉を濁す。

 要は、克の両親や親類縁者が自分のような不具の者を仲人親とするのを快諾するのか、と言いたかったのだ。が、克の方こそ、むっと表情を険しくさせた。


「俺の馬鹿さ加減は親譲りだが、親は俺に、馬鹿の矛が向く先を違えるような馬鹿さは教えていない」

 思わず、真が言葉を詰まらせていると、そ……と薔姫が真の左袖を摘んできた。

「ねえ、我が君。引き受けさせて貰いましょう?」

「……はい」

 そして、克の一門が祭国に到着するのを待ってから克と珊の祝言が挙げられた。


 克の仲間たちは竹青年をかしらとし、蔦の一座が惜しみなく振るう素晴らしい楽曲に合わせて爆発的な喜びと相当な嫉妬を含めてどんちゃん騒ぎを繰り広げたのだった。

 克は次から次に仲間たちから酌を受ける。勿論、夫婦の新床入りを新郎を酔い潰して阻止しようという半分冗談、半分本気の悪戯と賭け、であった。

 しかし夜明け前、いつの間にか克から入れ替わった芙一人相手に酔い潰れさせられた男たちは、豊や福にたたき起こされた。記憶が飛んでいる為、何やら釈然としない思いをぶつぶつぼやきながらも、隊長、上手くやれた(・・・)かな? と皆はにやにやしつつ引き上げていったのだった。



 ★★★



「じゃあ、姫様を探す理由は何だ?」

「……ん、ちょっと、その……才人様に相談したい事、があって……さ。姫様に、才人様のとこに連れてって貰おうと思って」

「才人様に?」

「うん……でも、また出直すよ」

 珊は笑顔を作った。

 珊、と芙は厳しい顔で名を呼ぶ。妹分として可愛がっている彼女の笑顔が心底のものなのか、紛い物なのか、分からぬ芙ではない。


「何だ、どうした、何があった?」

 肩を掴んでも、うん……とまだ珊は言い淀む。掴んだ肩を揺すろうとした芙の背に、好の優しくも厳しい声が飛んだ。

「芙様、揺らしなどしてはなりません。今、珊様のお身体はお一人だけのものではない、大事なものなのですよ?」

「一人だけでない……? ……大事?」

 意味に気が付いた芙が、腕の中の珊に慌てて視線を落とす。

 妹分の頬が、赤くなっている。

 騒ぎを聞きつけた仲間たちも、どうした、どうした、とやってきた。

 

「さ、珊……ほ、本当なのか!?」

「うん……皇子様と椿姫様のとこと、多分、同じ位に……だと、思う……」

 事態を飲み込みだした仲間が、おお!? と雄叫びに近い声を張り上げて珊を取り囲む。

 此れまで見た事ない、しおらしい態度で頬を赤くしている珊は、結婚三年目にしてやっと人妻らしく見えた。

 克の部下たちのように爆発的な喜びを顕にする訳ではないが、其れでも芙たちは肩を抱きしめずにはいられない。妹分である珊が結婚に続いて人並みの幸せを得た事が、我がこと以上の慶びだった。

 しかし、渦中の珊は、恥じらってはいるものの、芙たちの祝いの言葉にも中途半端な態度だ。芙が其れを指摘する前に、珍しく、好が間に割って入って来た。


「芙様」

「――は?」

「暫く、珊様と二人きりにして頂けませんか?」

「――は、はい……」


 好が自ら何かを、しかも強気に出て頼む姿など見た事がない。

 芙たちは顔を見合わせる。なかなか帰らない珊に気が付いた娃が、また興味をもって覗きに来たので遊びに誘いながら静かに部屋を出ていった。



 ★★★



 二人きりになると、好は珊の手をとってゆっくりと座らせた。

「気分はどうですか? 悪阻つわりは酷いの?」

「ん~ん、あんまり。みんな気持ち悪くなっちゃって食べられなくなるよって言うのにさ、あたいってば逆に、凄くお腹がすいちゃって食べてばっかりいるんだよ」

 ねえ、あたいってば可笑しいよね? と自虐的に笑う珊の頬を、いいえ、と好は両手で包み込む。

「可笑しくないですよ? どうして、そんな事を言うの?」

「……」

 本当に言いたい事は、その事? と好が珊を胸に抱き寄せる。途端、じわ、と珊の大きな瞳に涙が浮かんだ。

「ねえ、好さんはさ、真や娃ちゃんを産む時、怖くなかった?」

「……どうして?」

「あたいね、怖いんだ、赤ちゃん産むの」

「……どうして?」

「あたいね、捨て子だったっての、知ってるでしょ?」


 でもさ、別に親の事、恨んでるとか憎んでるとかじゃないんだ。

 ぬし様は厳しくて怖かったけど優しいし、旅や芸を覚えるのは辛かったけど、芙や一座の仲間と一緒にいれば楽しかったから。

 赤ちゃんや小さい子だって好きだよ?

 類と豊んとこの大や丸も好き、娃ちゃんも大好き、しゅん様やりん様だって好き。

 だけど、だけどさ。

 赤ちゃんがお腹に出来てから、なんか考えちゃうんだよ。


「あたいもさ、あたいのお父さんやお母さんみたいにさ、赤ちゃん要らないって捨てたくなっちゃう瞬間ときがさ、もしかしてもしかしたら……来ちゃうのかなあ……ってさ、なんか……会ったこともないお父さんやお母さんにさ、つい相談しちゃうんだよね……」

「……珊」

「御免よう、好さん、あたい、変な事、言っちゃったね」

 忘れてね、と珊は慌てて立ち上がろうとする。

 しかし、好は腕に力を込めて珊を逃がさない。細身の好の何処に、と思いたくなる力だ。好の胸に顔を埋めながら、珊はどきどきとした。いつだったか、蔦の胸に抱いてもらった時とは違う、何かがある。


「母親になると知った時、嬉しさの反面、怖い、と思わない人はいませんよ?」

「そ、そうなの? え、でもさ……椿姫様や蓮才人様や……苑さんや豊を見てるとさ、何だかさ、あたい、凄く『お母さん』として中途半端なんじゃないかなあってさ、心配になってきちゃってさ……」

 珊、と好は語気を強めて言葉を遮る。

 そして珊の乱れた前髪を手で撫で付けて整えてやりながら、しっとりと微笑んだ。

「珊は、お腹の赤ちゃんが可愛いのでしょう?」

「うん……うん、可愛いよ! まだ動きも見えないし、お腹も出てきてないけど……だって、克との子だよ!? 可愛くないはずないじゃない!」

 だったら、と好は珊のお腹に手を当てる。

 白く細い指に帯の上からさわさわと愛おしむように撫でられて、珊は赤面する。


「心配なんてしている暇は惜しくはないですか? 克様との間にできた、折角の可愛い赤ちゃんなのですもの。赤ちゃんの事だけを見てあげていればいいのですよ?」

「そ、そう? やっぱり、そう……なのかな?」

「でも、誰だって、どうしても心配になるものですわ。わかります。赤ちゃんが可愛いからそうなるの。でもね、そんな時は……」

「時は……どうすればいいの?」

「克様に全てをぶつけてご覧なさい?」

「……克に?」

 涙を滲ませ出した珊の目元を、そ……と好は拭ってやる。


「克様は、貴女を赤ちゃんごと抱きしめてくれる立派な旦那様だと思いますわよ?」

「うん、あたいも思う!」

 堂々と惚気る珊に、あら、と好は相好を崩す。

「克様は素敵な旦那様なのですもの。見えない、見た事もないお父さんやお母さんにぐずぐずと相談するより、ずっといいとは思いませんか?」

 うん、思う、あたい思う! と大きく頷くと、珊はすっくと立ち上がった。

「話聞いてくれて、好さん、ありがと!」

 ぐい、と袖で涙を拭うと、にか、と珊は笑う。

 そう? と好も微笑む。


「克に言ってくる! あたいたち、お父さんとお母さんになっちゃうよ、どうしよっか? って!」

 何時もの癖で、すっく、と立ち上がりざまに、珊は部屋から飛び出して行く。

 今度ばかりは、好ものんびりと構えていられない。

 ぎょ、としつつ立ちが上がる。


「これ! これ、珊様!? これ、これ、走ってはいけませんよ!?」

 好の叫び声を聞きつけた芙と仲間たちが、慌てて珊の後を追ったのは言うまでもない。



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