2 新皇帝・建(けん)
2 新皇帝・建
3年前に起こった政変の後。
新皇帝として即位した兄皇子・建の戴冠式が済むや否や、改めて皇帝・建の名において祭国郡王に冊立された戰は早々に帰国を言い渡された。
重症の真は到底まだ動かせる状態ではない。父親である兵部尚書・優も克もまた医師である虚海も、あの手この手で引き伸ばそうとした画策しようと動き出した。
が、当の本人である真は実にあっさりと戰に帰国を促した。
「大丈夫ですよ、戰様。私の事はお気になさらずに。どうぞ御帰国なさって下さい」
「真、しかし」
「戰様、新皇帝・建陛下は、私を質にしていると安心されたいのですよ」
「……分かった」
大保・受の差金だろう、とは二人とも口にはしなかったが、事実としてそういう事だ。
大司徒一門が潰えた後に台頭したのは、当然の事ながら建の母后である合淑妃の実家である。
淑妃の実家は大司徒の流れを組むものである為、建前としては新たな一門の長である受を立てねばならない。
が、淑妃の実家は存外に、というか政変を備にめにして学んだであろう、強かというか狡猾であった。詭計を弄し、権謀術数に寄らねば解決出来ぬとみるや、些事は大保に言付けよ、の一言にて済ませるようになったのだ。受は黙したまま言を受け取り、粛々と実行する。その様は実に果断であり、鉈で脳天を割られるというよりは、剃刀を密かに首筋に当てられ知らぬ間に横に引かれている、と言う方が近かった。
当然、受に対して含む所有りとする者は加速度的に増加している。
然し、受の態度は変わらない。
寧ろ、皇帝・建の懐刀として辣腕を振るいだしている。
一点、違う処を挙げるとすれば、此れまでの権力者と違うのは、受は派閥を築いていない。
ただ一人にて彼は全てを采配している。その理由は無論、自身一人に王城内の怨みを集める事に他ならないのであるが、王城内にて気がついている者はほぼ皆無に等しかった。
ともあれ。
離宮に真と薔姫、蓮才人、虚海と珊とを残し、戰は克を伴って祭国に帰国していった。
宮の警護には竹青年と芙の仲間5人が中心となり、また影ながら刑部尚書・平が協力をしてくれた。
祭国の長く厳しい冬が終わり春を告げる鶯が恋の歌を囁き始める頃に合わせて旅立てるようにと、真は宮で治療に専念し続けた。薔姫の愛情あふれる看病をうけたお陰だろう、傷の癒え方は実は虚海も舌を巻く程の驚異的な速さだった。口には出さなかったが、春先までには起き上がるようになれれば御の字、馬車になど飛んでもない、とひそかに思っていたのだ。
「人様の身体・ちゅうもんは、本当にええ方に裏切ってくれるもんやなぁ。ええもん見せても貰たで、本当」
赤い鼻をぐずぐず言わせながらも、虚海は祭国までの長旅に耐えうると太鼓判を押した。
その年の禍国では、例年よりも早く春一番の風が吹いた。
同時に、難癖をつけて帰国を許さぬ構えでいた皇帝・建の目を掻い潜って、真と薔姫、虚海と珊と竹青年、そして蓮才人は、とっとと祭国目指して馬車を走らせ、見事、無事の帰国を果たしたのである。
新皇帝・建は激怒した。
が、当然、後の祭りだったの言うまでもない。
★★★
禍国脱出の後、戰と真たちの再会の感動の熱を冷ましてやる、報復だ、とばかりに皇帝・建は郡王・戰へと勅書を下した。
曰く。
――郡王・戰、帝国に忠節を誓う証として義理母親である蓮才人を王都に召し出せ。
戰を相手に精一杯に威丈高に振舞っているつもりでいるのは可愛げと言えるものかどうか。
まあ早い話が、郡王として祭国に居座りふんぞり返り続けたければ義理の母親である蓮才人を虜として差し出せ、という訳だ。
新皇帝・建に入れ知恵をした人物など、一人しか思い浮かばない。
今度は虚海が激昂する番であった。
「全く、大保さんの阿呆坊めが! あん御人にゃ、人間様の心ちゅうもんがあらへんのかいな!」
瓢箪型の徳利を振り回しなどして、思わぬ遣手の登場に喧嘩に負けて悔しがる童のようだ。子供のように怒り狂う虚海を、戰と真が両方から宥め賺す。
「お静まり下さい、お師匠」
「虚海様、大保様の信念からの戰様への忠純献身があれば、此れを許す理由とは、一つしか思い至りません」
戰と真に挟み込まれて、む、と虚海は唇を尖らせ、そんなもん分かっとるわい、言わんとおれんだけやわい、とそっぽを向く。落ち着けば、虚海とて受の狙いが奈辺にあるのか位、直ぐに理解できる。
新皇帝・建は、受の傀儡である事に、既に飽いてきているのだ。
大保・受の力などなくとも己一人の采配にて大帝国禍国を動かし統べる事が出来るのだ、と知らしめたいのだ。
手っ取り早く、周囲に刮目させるには、その実力を伴う功績から最も皇帝の地位に近いと目されていた郡王・戰をやり込める事である、と短絡的に動くのは当然であろう。
そして受は其れを黙認した。
一度、完膚なきまでにやられた方が、反抗心は持たれていても傀儡として扱いやすくなる。
受は未だに、戰を禍国皇帝の座に就かせるつもりでいる。
その為には、新皇帝・建を暗愚の王者に仕立てあげねばならない。
先ずは王城内に、建の蒙昧さを知らしめるつもりなのだろう。
「……まあ、の、真さんの云う事ぁ、最もなんやけどな……」
しかし理解できたとて、許せるものかどうかは別問題だ。
そして許せなくともこの話を如何にして最大限に利用してやるのが、政治というものだ。
虚海はそれまで憤慨していたあの鼻息は何処へやら、打って変わって、にやり、と心底、意地が悪い笑みを浮かべる。
「で? どないするつもりでおるのや、真さんは?」
「折角ですので此処はまあ、『新皇帝陛下には思い知って頂く』、としましょうか?」
「真、その為にはどうするつもりだい?」
「大保様には、『せいぜい頑張って頂く』、とまあ、そういう事になりますかね?」
薬湯を啜りながら受の口調を真似る真に、ええぞ! ええぞ! やってまえ真さん! と虚海は囃子たてて発破をかけた。
★★★
皇帝・建の勅書を祭国に運んだ御使の牛歩などとは比較にならぬ速さで、祭国から禍国へ使者の一団が入国した。
知らせを受けた建は、後宮に召し上げた新たな美姫たちと淫らに熟れ爛れた性欲の饗宴の只中にいた。
「来おったか、戰め」
乱痴気騒ぎを中断させた野暮な内官に、建はぬらり、と酒に熟んだ眸で一瞥を呉れる。
――此れまで、天兄上や乱兄上の影を踏まぬように控えていた故、私を見縊っておったであろうからな。
事実、戰は建を歯牙にもかけなかった。
いちいち全ての兄弟皇子に攻撃を仕掛けてあたら敵を増やす必要はなかったし、碌でもない相手に手を掛ける手間も省きたかった、というのが本音だ。
だが建にしてみれば、政敵にあらずと素通りされてこられたのだ。小物扱いされて悠然としていられる程、建は懐が深くない。
――しかし運命の采配とは分からぬものだ。
結局は身を縮めていた殊勝さが己が身を助け、何と、至尊の冠を得たのだから。
――戰よ、それをお前は思い知らねばならぬ。
大保・受の言葉を聞けば、郡王である戰は祭国郡王に再び冊立されるのは当然とし、感謝も感動もなければ新皇帝への忠節忠義もない。
「その証拠に政変時の混乱に乗じられ、説明義務を怠っておられる政務が多々御座います」
母親の血を手繰れば上位にあるからか、大保・受は常に上段に構えた物言いをする。それが気に食わないのだが、彼に事を押し付けてしまいさえすれば、面倒事は気楽に片付く。其れと気が付いてからは、積極的に重用するようになった。
そして、この言を受けた。
祭国郡王・戰は、先の政変のどさくさに紛れさせて、数々の不正を行ったという。
いや、不正とも言い切れない。だが、祭国の国王が譲位、右丞・鷹を台獄へ送った理由、禍国へ納めるべき租を軽減した説明も有耶無耶のうちに終わっている。
建は眼を輝かせた。
――この機会を大いに利用し、戰を大いに叩いて内外に自身の力を知らしめてやる。
まずは、皇帝の権限を持って、奴かた郡王の地位を奪うと脅しをかける。
泡を喰って、奴は懸命に執り成しを求めて右往左往するであろう。
最終的には禍国に戻らねばならなくなる。
そうなれば此方のものだ。
――徹底的に甚振ってやる。
足掛かりとして、戰が慕う蓮才人を使って揺さぶりを掛けてみたのだが、此処まで顕著な反応を見せるとは思わなかった。
にやり、と建は北叟笑む。
「待たせておけ。吾を何と心得る。禍国皇帝であるぞ」
ふふん、と鼻で笑い、ぞんざいに答えると再び痴戯の図を広げだした建に、疎略に扱われた内官は食い下がる。
「そ、それが陛下……」
しかし、其処で内官は言い淀む。
何というべきか言葉が見つからぬというよりは、口にすした後のとばっちりが怖いのだろう。うじうじとする内官に苛つきを覚えた建は、仕方なしに立ち上がった。
慌てて女官たちが更衣の為に手を伸ばす。
袞冕に袖を通すと、建は王の間ではなく居室にある執務室へと向かった。
己の極近しい身内のみで執政を行う場合には、王の間ではなく執務室を用いるのが常だ。何しろまだ六部尚書と九寺を掌握仕切っていない。
正当に麾下に入らず、忠誠を誓わせておらぬ輩を同席させても悪戯に政務が長引くだけだ。無論、この場合の政務とは合淑妃の一門にとって都合の良い政令を決定施行させる為の印璽を下す、と建が勅す事なのだが。
「何だ」
顰面を作りながら、建は椅子に腰掛ける。
至尊の冠を得てから建は、この王の執務室を王の間に負けず劣らず、遜色がない程に装飾品で溢れかえさせていた。今、腰を据えた椅子こそが玉座である、と言っても、事実を知らぬ他国の使節の者であればころりと騙されておべっかの一つや二つ、軽く飛び出すであろう。
最礼拝を捧げつつ、まだ言葉を探している内官が鬱陶しくなってきた建は、遂に言を荒らげた。
「いい加減にせよ。吾が許すのだ。直截に申すがよい」
「……は、はい……!」
気圧された内官は恐怖から飛び上がる。すると、陛下、と声が掛かった。
「何だ、大保か」
明白に嫌味たらたらながらも、許す、と一言声を掛けると、では、とばかりに遠慮なく大保は部屋に入ってくる。
本来であれば、無言を以て先ず礼を尽くさねばならぬというのに、建が皇帝の座に就いても大保・受は、皇子の時代と態度を変えようとしない。
礼節と言うものを守った試しがない。
――己の家門の傍流一派であると侮りおって……。
確かに母上の血筋こそは、貴様の家門の下流に位置する。
だがその血を引きし吾こそが禍国新皇帝であるのだぞ。
私の存念如何により、其方の地位も名誉も根刮ぎ奪う事が出来るのだぞ。
建は黒々と蜷局を巻く暗い思いを目の節に光らせる。
しかし受はそんな眼光を受けても一行に気にする様子も、況してや堪える様子など見せない。
受が礼節を極端に省くのは、ただ単に煩わしく、且つ時間が勿体無いというだけだ。
――面倒臭い。
端的に言えばそうなる。
しかも、態度にも顔付きにも出して隠す気がない。
僅かな時間すら、建如きに掛けるはの惜しい。
同じ指一つ動かすのであれば、木簡に一文字書いたほうがどれだけ有意義であるかしれない。無論、そう振舞えば建は自分へ視線と意識を集中させると分かってやってもいる。
寧ろ、受にしてみれば其方の方が重要だ。
何れ禍国に戰を皇帝として迎え入れる為には、新皇帝・建は『馬鹿殿』でなくてはならない。
建には存分にやりたい放題したい放題すき放題勝手放題に暴れて貰わればならない。
やんちゃで小狡く我儘で鼻持ちならぬ下衆な童宛らでなくては、譲位へと持って行きにくくなる。
更には王城内の意見を一致させるには、斯様な皇帝に従っている最も親しい者こそが現悪である、という話の流れに持っていかなくてはならず、其れは当然の事ながら、自分しかいない。
だが、かと言って譲り渡した時に受は何をやっていた、と戰に呆れられる程、国内が荒れているのは本意ではない。
そうなると政策を詰めぬ訳にはゆかず、手を染めれば楽しさに我を忘れる。
其れだけの事だった。
★★★
だが新皇帝・建はそうは捉えていない。
何れ受に思い知らせねば収まらぬ、と澱が貯まるように腹の底に恨みを積み上げていた。
受の目論見通りに動いているとも知らずに。
「陛下、郡王陛下よりの使者の言に御座いますが」
「……何だ。内官では埒が明かぬ。大保、許す故、其方が仔細を申せ」
では、と矢張、礼の一つも捧げない。それどころか、背筋を伸ばして建に対等に向かい合う。
――無礼な。
激昂しかけるが、建は必死で堪えた。
「戰の奴がどうかしたというのか。泣きべそをかいて縋ってでもきたか」
冗談めかして余裕が有る素振りを見せる建に、その程度の見栄など張ってどうする、と受はまるで取り合わない。
「いいえ」
「では何だ。早く言うが良い。玉体は一つきりしかないのだぞ? 吾は忙しい」
「郡王を辞するにあたり、二年前に共に祭国へと入国させた屯田兵たちの処遇について如何にすべきかを訊ねていらっしゃいます」
「……何ぃ?」
「郡王となられし戰皇子様は、相当な強か者に御座いますな」
殊更に芝居掛かった様子で建は片眉を跳ね上げる。詳細は此方に、と差し出された木簡を鷹揚に受け取り流れるような書体で書かれた文面を追う。
曰く。
二年前、父帝より祭国郡王として冊立されし折に入国した屯田兵、及び彼らの家族、加えて植民として入国した技師や職人たちや開墾農民たちがある。
彼らの中には禍国の民だけではなく、近隣諸国からの流入組もある。
郡王・戰の名のもとに彼らにも等しく禍国の民としての籍を与えた。
然し乍ら、彼らの処遇は郡王・戰の名のもと、己が一存において宣下したものである。
然るに此度、郡王を辞するにあたり禍国の民としての籍を剥奪すべきか否かを決しかねている。
木簡から視線を上げた建は、益々眉根を寄せて受を睨む。
「此れの何処が問題であるのだ」
「お分かりになられませぬか?」
やれやれ、と言いたげに受は肩を上下させると、建の鼻が赤くなった。
「分かっておるわ。ただ、其方の口から言わしめたいだけである」
誤魔化し方はなかなかうまい、とは言わなかったが、受は微かに目を眇めたのみで言葉を続ける。
「つまり。今現在、祭国に入植しておる領民どもは皇帝陛下に忠誠を誓ったのではなく、戰郡王陛下個人に忠節を誓っている、と言う事です」
「……な、なにっ!?」
「戰皇子様は、知らぬ者はおらぬ程、義理母である蓮才人への孝心厚き御方に御座います。郡王としての地位を捨てしを是なさり、才人様への篤行を優先なされる事でしょう」
うぬ、と建は呻いた。
建とても戰のそうした気質を知っているからこそ、命令を下したのだ。
「然し乍ら皇帝陛下が戰皇子様の郡王の地位を剥奪されれば」
「剥奪などしておらぬ!」
思わず叫んだ建に、だが、受はそれには直接、何も言わなかった。五月蝿い、とばかりに、じろり、と一睨みを呉れただけである。
「祭国郡内に残された領民どもの心象としては陛下が無碍に扱われたと思うのは当然の事です」
「……ぬ」
「戰皇子様は他国から招き入れた技術者たちや逃散してきた非人どもにまで禍国、若しくは祭国の正式な籍を与えておられた、ただし、郡王の地位にある間のみ、という期限つき。其の処置は正しいものでありますが、禍国の領民であった者たちは兎も角、安住の地を得た者どもはまた流転の生活へと戻らねばならなくなります。彼らの心象として、誰に恨みのやり場を持っていくかは易い想像というもの」
うぐ、うぐ、と建は唸り続ける。確かに、短慮軽率な民にしてみれば、命令を下した己に恨み辛みが向くのが自然の成り行きというものだ。
がくがくと膝が震えだす。
祭国内にある禍国籍の者は一体如何程になるのか?
いや主として居るのは、屯田兵、なのだ。
彼らは郡王・戰の不在にあっても隣国の侵攻を思い止まらせるに足る存在、つまり、一軍としての機能を備えているのだ。
そんな彼らが、戰の為にと反旗を翻さぬと言えるのか……?
ぎょく、と奇妙な音をたてて生唾を飲み下す。態とらしく大仰に嘆息しつつ、受が肩を上下させる。
「最も、彼らが一気に想像を現実のものとせんと決起するとは思えませぬが」
「そ、そうか? そうだな、其れは当然だ」
明白にほっとしつつ、建が胸を撫で下ろす。喧しい、と言いたげに、ぎろりと受は睨む。
「ただし、残された領民たちを根刮ぎ祭国其のものに奪われる恐れがある」
「な、なにぃっ!?」
「当然だ。郡王陛下の正妃であらせられる椿姫様は祭国の大上王でもある。現国王・学陛下に夫君が窮状を訴えれれば、これ幸いにと彼らを祭国のものとされても可笑しくはない」
受の言葉使いが皇帝への其れではなくなったというのに、建は気が付けない。
全く、其れ処ではなかった。
――祭国に駐屯している屯田兵をもって国土を奪われる恐れがある、だと……?
ふ、巫山戯るな、巫山戯るな、巫山戯るなぁ!
「其れだけではない」
「此の上にまだなにかあるのか!?」
建は悲鳴を上げる。もう目を眇めるのも面倒臭くなったのだろう。受は無機質な声音で淡々と応える。
「祭国が我が禍国を見限り、他の国を宗主国とする恐れがある」
★★★
其れまで酒気を帯びて赤かった顔ばせが一気に真っ青になる。
禍国の軍体制の基礎を築いたのはこの十数年に限って言えば功労者は兵部尚書・優であるが、この二年に更なる飛躍を遂げている。
軍馬の育成方法、軍役に就く者の胡服統一など、枚挙に暇がない。
此等を完成させるのに、祭国郡王である戰の手があったのもまた周囲の事実だ。
つまり、禍国に新たな軍歴を開いた功績を支えた数々の秘術を他国にただ同然で呉れてやる事になるのだ。
郡王・戰という存在があればこそ、祭国は属国に近い処遇にも甘んじてきた。然し、戰という枷が失われれば、これ幸いと奪いに来るのは当然だ。何しろ、祭国内にそれはあり、寧ろ奪えと手を差し伸べてくるのだ。
戰が祭国内で行った施政を備にみれば、奪うも何もない、祭国自体を底上げする様に努めてきたのだから、既にその技術の全ては彼らのものであり、手の施しようなどないのだとわかる。
戰の後に新たに郡王が赴任してきたとしても彼らは受け入れまい。
寧ろ、此れを理由に戦端を開いてきてもおかしくは無い。
郡王・戰は祭国にとっても縁深き人物となっている。
開戦の口実にするにはもってこい、だ。
彼ら祭国は背後に剛国、露国、燕国といった峡谷に挟まれた離村の如き存在だ。
故に、常に庇護者を欲していた。逆に言えば、味方となるべき存在は選り取り見取り、という事になる。
「昨日の友は今日の仇たるは戦乱の常、とはよく言ったものだ」
淡々と告げる受の声が、銅鑼のように建の脳内で反響し続ける。
――祭国を発端に、禍国の国領国力を奪われる……!?
建はぞっとした。
未だ皇帝の座に就いて半年も経っていないというのに、この騒ぎはなんだ。
栄耀栄華を貪る暇もないではないか!
そんな事は御免だ。
自分は栄達を大いに好みはするが、落魄なぞ死んでも望んではいない!
「な、何とかせよ、大保!」
「此のまま、戰皇子様が郡王として彼の地にあるをお許しになるのが最も手っ取り早い」
「では、そうしろ!」
上擦った声で建は命ずる。は、と応じる受の声音が小馬鹿にしたような含みがあるのに気が付いた建が、今度は何だ! と声を荒げる。
「分からぬのか。郡王陛下が此処まで強気でいられるのは、祭国内のみならず、禍国内においても心強い身内があればこそ」
……う? と建は目を剥いた。
言われてみればそうだ。
祭国だけであれば此処まで強気ではあるまい。
国内にある最大の武力、即ち、兵部を抑えているからこその態度だろう。
「先の政変の前に、代帝・安が祭国郡王の目付たる真とかいう男に軍を自由にする権限を与えている」
根本から改善せねば、またぞろ同じ事は起きるのは当然過ぎる予測だ。
「では、其れを奪え」
「其れだけでは足りぬ」
短絡もいいところの直截な命を下す建に、この田分け、との意味を含んだ声音で受は答えた。
脳天から怒りの湯気を発散させながらも、どうすればよい、と前傾姿勢でのめるようにしてくる。
「陛下の最大の身内である真とやらに軍を動かせる権限があろうとなろうと関係ない。兵部尚書は息子なぞおらぬとも、自ら率先して陛下の元に参じるている。軍部の最上位の者を囲っておるからこそ、陛下は居丈高に振る舞えるのだ」
「だからどうすればよいというのだ! 具体策を言え!」
「兵部尚書を軍属の中にて二番手に甘んじる地位に落とせばよい」
「うぬ……? そ、それは兵部尚書の地位より追う、という事か?」
違う、と受は即答する。こ
んな簡単な事もわからんのか、と嘆息する。
「禍国の軍は既に兵部尚書なくして動く事叶わぬ。現状、他国の進行を思い止まらせる抑止力の最たるに兵部尚書の名がある。であれば、兵部尚書を落とすのは愚策でしかない」
「ではどうするというのだ! えぇい、勿体ぶらずに答えよ!」
「兵部尚書を繰り人形とする――即ち、奴の上に、もう一つ頭を置けばよい」
「……な、なに……?」
数日の後。
新皇帝・建の名において、郡王・戰の処遇は此れまで通りとする、とする宣旨が改めて下された。
と、同時に。
大保・受は、軍部における最上位者、三公の一端を担う大司馬に任命された。
此れにより、兵部尚書・優は軍属の長より実質的に降りた事になった。
――新皇帝・建の足元を揺るがせるか、そのぎりぎりを見極めて動くのは実に面白い。
「しかし真とやら、此度のように、お前の思い通りに動いてやるとばかり思うな」
――だが、悪くはなかった。
受がぽつりと呟くのと同時に、全ての政務を終えるよう告げる鐘の音が、かぁん、と乾いた夕の空気を震わせて響き渡った。
★★★
其れから3年。
皇帝・建は、政変の後に気に入りの後宮を見つけ、すっかり魂を抜かれて虜となっていた。
無論、最低限の施政は司ってはいる。兄皇子である天と乱を、そして隣国、河国滅亡の理由を建も知っている。羽目は外すが外し過ぎはしない。
――だが其れだけだ。
嬌声が上がる後宮の一角を眺めながら、受は短く笑った。
終業を告げる鐘の音に合わせて、まだまだ仕事をしている部下を尻目に受は門に向かって歩き出した。
屋敷の対屋で待つ娘を正室の悋気より守ってやるには、此れまで通りに定刻に帰宅するのが一番である、と悟ったからだった。
 




