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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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終章 君がため その4

終章 君がため その4



 大保・受が郡王・戰との会見らしきものを終えて退室すると、そのまま帰宅を許された。


「馬を」

「要らぬ」

 刑部からの申し出を、受はすげなく断った。

 彼らしてみれば、代帝・安の命令をこれ幸いにと勇み足で邸宅に乗り込み、勢い込んで縄目に掛けたというのに、なんと、命じた当の本人である安こそが罪人となってしまった。大司徒一門撲滅の目的元、大保・受の罪過を追求する術を失ってしまった今、非常に居心地が悪いというか、気詰まりな事極まりない。

 代表となる御史台が無駄に胸を張って、ずい、と進み出た。

「では、せめて我らに大保様を送らせて頂きたい」

「そうせねば、其方らも立つ瀬がない処ではあるな」


 好きにするがよい、と受は寛容さを見せて大様に答えながらも、御史たちが礼拝の姿勢を正す前にさっさと王城を出る仕度をし始めていた。



 ★★★



 周囲を刑部の御史台に固められての帰宅であるから、主人の帰りが何時になるか今になるかと固唾を飲んで四方の門を守り固めていた奉公人たちは腰を抜かさんばかりに驚いた。

 よもや、悪鬼か悪霊かなにかに化かされているのではないか、と互いに顔を見合わえてごそごそと身体を揺すり合う。だが、泰然自若とした笑みを浮かべ自身を送り届けた御史たちに駄賃をやるように、御苦労であったな、と言葉を掛ける受の姿を認めてやっと、この何処か俗世と乖離した考え様、此れはもう我らがご主人であらせられる、大保様である、と認めたのだろう。金縛りにあっていた彼らは一気に覚醒し、大仰に叫びながら、わっと一気に大保の元に駆け寄った。


「御屋形様、何とご無事のお帰りで!」

「心配しておりました! ああ、誠によう御座いました!」

「お疲れ様に御座いました」

「ささ、お早く、どうぞお早くお屋敷にお入りに」

「何卒、お疲れと垢を落として下さりませ」

「ご無事でほんに、よう御座いました」

 素直すぎる喜びの声に、流石の受の口元も微かに綻んだ。

「其方らには要らぬ心配を掛けてしまったようだ。許せ」

「何と勿体無い……!」

 使用人たち一人一人に、丁寧に謝罪の言葉を残しながら受は門をくぐる。余りの誉れに恐れ入り、小さくなっていた使用人たちであるが、受に従っている資人の一睨みにはっとなると、己の持ち場目指して三三五五と散っていく。

 蜂の巣を啄いたかたのような上を下への大騒ぎとなった屋敷内の喧騒を、まるで他人事を見るかのように受は眺めていた。背中に苦々しげな表情で礼拝を捧げる御史台の存在があるを知りつつも、受は全く無視して、屋敷内へゆったりと歩き去る。

 良い気味だ、と言いたげに最後まで彼に従っていた資人が、片眉を微かに跳ね上げて澱んだ笑みを浮かべた。


 三和土にて下男に脚の汚れを落とさせている間に、按摩師が肩や背中、腕、脚首などの凝りをほぐしていく。

「御主人様、奥の間で御召替えをなされます前に、是非とも湯に」

「ほう、其れは馳走だな」

 既に内衣布ないえに着替えを終えて平伏している端女が湯殿に誘いかけると、受が尤もらしく頷いた。許しを与えて端女を立ち上がらせると、共に湯殿に向かいかける。

 が、戸口付近に皇女・染がでん(・・)と仁王立ちになって待ち構えていた。

 其れでなくとも彼女は母親である安譲りの肥太ったごろごろとした身体付きをしている為、異様な迫力がある。着ている衣服が女性らしい色合いの織りと美しい刺繍で艶やかに彩られていなければ、丸々と食べ頃に育った猪豚が喰われてなるものかと後ろ脚で立ち上がって威嚇しているかのような錯覚を覚える形相だ。

 染の登場に、端女は礼節も忘れて、ひぃ! と叫び、肌色の透けて見える胸元を抑えて走り出す。苦笑しつつ逃げる端女を見送ってから、受は染に向き直った。


「出迎え御苦労」

 言葉少なに声を掛けた大保に、染は飛び出してきた。

 長い袖を鞭のように振り上げて、大保の顔面目掛けて打ち据えに来た染の腕を、大保は面倒くさそうに捕らえる。

「何をするか」

「何故じゃ!? 何故お前は、お前だけが、のうのうと帰ってこられたのじゃ!」

 改めに入った刑部が、正室である染に理由を述べて言ったのだろうが、加えて、何時までも帰らぬ大保に焦れて遣いを出し、本日城内で起きた目紛しい正に千変万化の政変も聞き及んでいるのだろう。染の顔ばせには焦り、怒り、憔悴といった感情が綯交ぜになっていた。

「答えい!」

「離れよ」

「母上が、高貴なる御身分であらせられる母上様があの、汚らわしい血を引く皇子の口先に騙くらかされた刑部に捕らえられておるというに! 其方は何故、放免されたのじゃ!」

 助けよ! 早う母上を助けよ! と受の胸倉を叩く染の手首が、止まった。

 鋭い殺気を感じ取ったからだ。見上げれば、瞋恚しんいの光が漏れ出た受の眼光が煌々と輝きを放っている。思わず、染は口元を袖で隠して悲鳴を飲み込みつつ後退りした。


「まだ分からぬのか」

「……え……?」

「英祖が禍国を開闢以来されしより王城内に巣食っておった我らが一門血族は、絶えるのだ。我が父も、叔父も、弟も、その血を引く皇子も、無論、其方の母である皇太后・安も例外ではない」

「な、なんじゃ……と!?」

 母の尊号を代帝ではなく皇太后とした受の心意が分からない、悟る事が出来ない染はぶるぶると震えて首を振る。

「皇太后・安は、由緒正しき帝室の御血筋をその口で穢した大罪人となった。王の間に居合わせた皇子たち妃たち臣たちが証人となっておる。大罪からは逃れられぬ。如何様な責め苦を与えられたとて、反駁は許されぬ」

「そ、そんな……そんな……その様な……」

 染の歯の根が合わなくなり、がちがちと不協和音を奏でだした。

 染、と受が立ち上がなりながら声を掛けた。

 不意に、染は、受が痩せ立ちであったことに今更ながらに驚愕し、目を剥いた。

 一門の者は、皆、一様に恰幅がよい――といえば聞こえがいいが、有り体に言ってしまえば肥え太っている『豚体型』だ。もっちゃりとした肌質も、引き締まった体躯なれば艶めいて栄えるのであろうが、こうまで見事に太っていると文字通りに汗をかいた豚のよう、としか言い様がない。

 目を剥き、ぽかんと口を開けた間抜け面を恥ずかしげもなく曝す染に、受は、大仰に嘆息してみせる。


「其方が、何かと言うと王城に遣いを出しては母親に彼此と要らぬ事を喚きたて、返す馬には城内での出来事を備に知らせるようにしていた事を、気付いておらぬとでも思っていたのか?」

「……な、なんじゃと……」

 染が、ぎくり、と身体を強ばらせると、受は肩を上下させて益々深く嘆息した。

「己の母親の末路など、とうに知っておったのであろう? だが信じられぬゆえ、其れは間違いであると私に話させようとしておったのか? 何という無駄な事を。女の浅はかさも極まれりだな」

「――な、な、な、な、なっ……!?」

「だが喜ぶがいい。其方は既に帝室の皇籍から抜け出た身であり、私の正室である。故に、大罪の類は及ばぬ。死ぬのは母親一人きりで済む」

「は、母上を斯様に貶めるでない!」

 ぎゃー! と叫んで染は受に飛び掛った。

 資人に化けた青が止めに入ろうとするが、受が片手を上げて制する。

 すると、染はその腕に野犬のようにがぶり、と噛み付いた。ぐちぐちと肉を喰んで捏ねる音が低く響きだし、受の腕に、つつ……と錆びた臭いを放つ赤い筋が垂れていった。


「大保様!」

 おのれ! と染にひょうを向けかける土蜘蛛に、無傷の方の腕を上げて受は止めた。そして掌をやにわに広げると、肉を食い千切らんとらんらんと輝く目玉を剥いている染の脂ぎった頬を打った。

「ぶぎゃぁ!?」

 鞭を入れられた豚の鳴き声のような悲鳴をあげて染は受の腕から離れて、床に転げ落ちる。


「少しは慎みというものを身に付けよ」

 ごろごろと無様に転がる染の横を、受は悠然と通り過ぎていく。

 痛みに喚き散らしながらも、染は、受の骨に皮が張り付いたかのような脛を見送るしか術を持たなかった。



 ★★★



 受が自室を退室していっても、戰は暫くの間、憤懣やる方ない様子で立ち尽くした。

 やっと、どす、と音をたてて椅子に座り直すのに、半刻もかかっていた。

 机の上に肘を付き、手で目元を覆い隠すようにして首を振る。


 表情を悟られたくないのであろう。

 が、果たして、憤怒の表情なのか。

 悔恨に涙しているのか。

 慚愧に耐えているのか――

 全て、なのだろうか。

 芙には分からない。

 こうした時、まず声を掛けるのは真の役目だった。

 その真が居ない今、どうして良いのか分からない。

 耳朶の奥に突き刺さった大保・受の言葉が、怒りを誘発し、わんわんと反響を起こして目眩がしそうだった。

 蔑み哀れみ、貶めるように言われたのであれば、まだ耐えられる。

 だが、受はまるで初めて手習いにきた童に一つ一つ言い含めるような姿勢だった。

 ――何という未熟さだ……。

 

 歯噛みする芙に、戰の方が先に気を取り直した。ふ、と短く笑いかけ、ぽん、と肩に手を置いた。

「……芙、母上の元に行く。どうせならば、共に宮に行きたい」

「――は」


 蓮才人の元には、兵部尚書と克がいる。

 彼らとて、今の戰に来られたとて扱いに困るだろう。

 無論、それは戰にも言える。


 何と云えば良いのか。

 何を云えば良いのか。


 一番理解している者は、死の淵を彷徨っている。

 だが、義理の母である蓮才人に戰の心の有り様を救ってもらえるかもしれない。

 それだけが、今の彼らの拠り所だった。



 ★★★



 芙を伴い蓮才人の住まう棟に向かう途中、戰は刑部尚書・平と出会でくわした。


「此れは、郡王陛下」

「兄と大司徒どもの獄舎に向かうのか」

「はい」

 出会したのは全くの偶然の産物であるのだが、礼拝を捧げる刑部の面々は明るい顔付きをしている。

 彼らとても、徹から真の様子を聞き及んでいる。だが、刑部にとっては此れまで積もりに積もった意趣遺恨を晴らす千載一遇の機会だ。喜びに湧いていても咎めるなど、酷というものだろう。


 ――大保にはああ言ったが。

 ふつふつと湧き上がってくる憤懣ふんまんを、戰は抑えられなかった。

 蓮才人の元に居る兵部尚書と克、二人とてどんなにか奥歯をすり減らしている事だろうか。

 ――見届けずにはいられぬ、いや見届けなくてはならない。

 大司徒一門の行く末を。

 でなくては、義理の母である蓮才人にも、彼女の愛娘であり義理妹いもうととして可愛がってきた薔姫にも、申し訳がたたない。

 何よりも正直に、我慢がならない。

 真をあのような目に合わせた輩の末路を、このに焼き付けておかねば気が済まない。

 ――いや、自ら引導を呉れてやらねば。

 そう、これは自分に課せられた使命だ。

 新たな国を開き王道を歩むとは、綺麗事ではすまぬのだ。

 目を背けてはならない。

 喩え誅する相手が血を分けた兄弟であろうとも彼らの肉親が含まれようとも、何かを言い訳にして逃れてはならない。

 泥塗れになり暗夜に途方に暮れて立ち尽くそうとも、自らの力で暁天の輝きを見付け、皆を導き率いる覚悟を持たねばならない。


 大保・受の思惑通りに動いてしまっていると分かっている。

 其れでは負けだと解っている。

 だが、だから何だというのか、どうだというのか?

 己の心を騙して堪え、一生後悔するくらいならば、負けも上等ではないか。

 ――この怒りを誤魔化して生きろというのであれば、御免こうむる。

 静かに彼らを見下ろしていた戰は、徐ろに口を開いた。


「私も行こう」

「――は?」

「許しは出せぬと?」

「いいえ、恐悦至極に存じ上げます」

 重苦しい言葉使いであったが、平は平伏しんばかりの勢いで再び腰を折る。顔ばせには喜色がありありと浮かんでいる。平たちにしてみれば、自分たちの最高の誉れある場を誰にも見届けてもらえないのは矢張、寂寥感を感じずにはいられなかったのだ。其れが、彼らが押している郡王・戰が見届人となってくれると自ら申し出てくれたのだ。


「此の様な栄誉、我が刑部始まって以来のことに御座います」

「……そうか」

 子供のように浮かれた平の声音が、今の戰の耳には棘のように刺さる。

 だが、おくびにも出さずに戰は先頭に立ち、台獄へと向かった。



 ★★★



 獄舎に入ると、何か喚きたてる声が幾重に重なり反響していた。

 戸口を固める衛兵が目敏く兵を見付け、助けてくれと言わんばかりにげんなりとした形相をしてみせる。共に戰が居るにも関わらず、体裁を取り繕ろおうとすらしない。

 相当の長い時間を悪気に当てられて、辟易しているのだろう。

 大概にしろ、勘弁してくれ、いい加減御免被りたい、と目と顔付きが如実に物語っていた。

「どうした?」

「……は、実は……」

 無表情で立つ戰とむっつりと顔を顰める平の迫力に押されて言葉を濁した衛兵であったが、何か怒鳴り合いながら殴り合うような喧騒音が届くと、兵たちは嘆息しつつ答えた。

「大令様が、天皇子様や乱皇子様、大司徒様や先大令様を挑発なさっておられるのです」

 ぬぅ、と呻きつつ、さもありなん、と平はきつく目を閉じる。

「……分かった。陛下が来て下さった故、奴らは程なく静まるであろう。御苦労であった」

 腕を振って衛兵たちに下がる旨を伝える。戰と平に礼拝を捧げつつ、衛兵たちは定められた位置まで下がっていった。



 獄の奥から罵倒しあう高い声は、間断なく響いてくる。

 いや、よくよく聞いてみれば罵倒し合っているのではなく、一方的に声高に罵声を浴びせかけているという方が正しいようだ。受ける方はぼそぼそとした声音であるが、余裕めいたものを感じる。

「貴様、其れが父親に相対する時の態度だと申すのか!?」

「年長者をなんだと思うておるのだ!? 大概にせよ!」

 蒸気が見えそうな程の怒声を上げているのは、大司徒・充と先大令・中であった。凄む先は、無論、二人にとっての息子に当たる大令・兆である。

 刑部尚書・平が戸口に立ち、見張りの殿侍に声をかけさせようと胸を張って息を吸い込みかけると、戰が腕を回して止めた。

 ぴたり、と息まで止めて平は戰を見上げる。

 暫く、好きなように存分に話させておけ、と言外に命じる視線に、平は一気に背中に冷たい物を感じた。いや、冷え冷えとしたものを感じたのは平だけではなかった。付き従ってきた御史台のものたちも見張りも同様なのだろう。怖気を弾きたいのか、小便を終えた後のように、皆一斉に、ぶるぶると身体を震わせる。

「何を仰られておりますか。私は此れでも此れまでも、父上様方に敬意と畏敬の念を持ります。息子として生まれ我が子として扱って下さった事に感謝こそすれ何を恨みと思いましょうか」

 へらへらと緩む兆の頬の筋肉が、言葉の額面通りではないと物語っていた。


 兆の意識の中には右丞という切り札の存在がある。

 右丞・鷹の存在は、充や中たちには有り得ない余裕を兆に齎していた。

 ――右丞が我がの手の内の者である限りは、郡王陛下は必ずや私をお頼りになられる。

 兵部尚書と、……呼ぶのも糞忌々しいが、真とやらの為に、だ。

 ――だがその真とやら、生き延びておるかどうか。

 喉の奥から愉悦が込上げてきて哄笑となる。

 右丞が真とやらを消せばいよいよもって兵部尚書も無事では済むまい。

 さすれば憂いなく私は陛下の傍に侍る事が出来る。

 ――其れまでの我慢だ。

 この膿んだ臭気が充満する獄舎に居るのも、あと僅かばかりの辛抱だ。

 その間を、私を『所有物もの』扱いし、揶揄嘲笑の対象としてきた父上たちに復讐の場にしてやる……。


 思い定めると後は早かった。

 まるでこんこんと湧き出る泉の如くに、兆は言葉を切らす事無く喋り続けたのだ。

「我が一門の勢力と、そして基盤の広さとは正に一気通貫、失えば禍国は根刮ぎ倒れるとご理解なされておられぬ郡王陛下では御座いますまいに。其れを斯様に性急に咎を問われるとなれば、考えられる事など只一つ。陛下の御寵愛深き椿正妃様筋の御子様の御血筋をお疑いになったのでありましょう。御懐妊中の期間から卑しき種を御胤であると正妃様が詐っておられると」

 何という愚かな、と兆は頭を振ってみせる。

 二人の父親は、脳天に怒りを登らせて同時に兆に掴み掛かってきた。

「兆、貴様! 其れが家門を率いる父親に対する態度か!?」

「おのれ、兆! 此処まで育ててやった恩を忘れて何だ、その口の利き方は!?」

 実の父、育ての父の二人に締め上げられながらも、兆はにやにやと笑っていた。

 ――そうだ、怒りのままに振舞え。

 見せてやれ、見せつけて思い知らせて愕然とさせてやれ。

 我こそ禍国の頂点に位置する者ぞと偉ぶり、大司徒、大令となり権力を欲しいままにしてきたとて、所詮、中身はこの程度、一皮剥けば品性下劣な破落戸と大差の無い強欲非道な狒々爺に過ぎぬのだ、と。


「おや、我が父と名乗られますのか? 恩知らずと申されますか? 実にご都合の宜しい事ですな」

「兆!」

「何を言うか貴様!」

「私を道連れにされておられるおつもりでしょう。いや、私を贄にして御自身たちは逃れるおつもりなのでしょうが、其れは叶いませんぞ、父上様方」

 何かを探るような兆の視線に充と中は揃って、ぎくりと顔を強ばらせる。

 そして喉仏を上下させた。

 彼らも既に悟り始めている。

 自分たちは、皇子・戰の逆鱗に触れた。其の罪は死を持って償うしか贖いようがないのだと。

 だが、面と向かって椿正妃を貶め卑しめる言葉を吐いた自分たちと違い、兆はあの場面に居なかった。成程、確かに兆の口から出た情報であると上申はしている。

 だが、兆本人の口から郡王・戰に奏上した訳ではない。

 この差は大きい。

 父親である自分が己の罪を擦り付けんと讒言を吐いたのだとなれば、更に自分たちの罪は重くなる。


 更に口先で部下を収めるのが仕事のような礼部にありながらも、仕事を滞らせる事はなかった兆だ。

 喩え、勿怪の幸いのように大令の地位に就いたと言えども仕事ぶりに関して云えば非の打ち所はない。礼部という巨大な尚書を卒なく纏めあげている。

 ――兆の事であるから、我ら二人の父親が起死回生の策として愚かにも郡王の血筋を穢す言葉を吐くであろうと、とうに算段を付けていたに違いない……。

 今更ながらに、充は臍を噛んだ。

 となれば、其れと勘繰られるような言動は謹んで居る筈である。

 刑部が礼部の何処を探っても、証言は取れまい。先大令・中の影響も色濃く残る礼部であって、この騒ぎで途切れるとなれば自分たちの利権を守る為に兆を擁護する弁をたてるだろう。

 何よりも、もしもの時には右丞がいる。

 己の意のままに操れる傀儡的な部下を一門の外に有しているのは、兆だけだ。

 いざとなれば、蜥蜴の尻尾を切るように、右丞に全てを押し付けてしまえる。

 だからこそ涼しい顔と態度を取っていられるのだと、充たちも認め始めていた。


 ――我らは、兆に対抗する術も力も、最早失っておるのか……。

 ぐぬ、と歯噛みしつつもまだ、掴んだ襟首を離せずにいる二人の父親の手の甲を、兆は、にやりと笑いつつ、離されよ、とぴしりぴしりと音を立てて打った。

 うっ、ぐふっ、と呻いて充と中の手が舞の一指しのような動きを見せて離れる。満足気に目を細める兆の目尻が、興奮に裂け上がった。

 再び、充と中とが兆に飛び掛ろうとした、その瞬間。

 熱波の塊と化した、隠しようもない情熱に熟んだ声が、獄舎内に響き渡った。


「控えよ。此れより其方らの罪状、及び罪過に対する決を言い渡す」

 充、中、兆、だけでなく、天も乱も、安、寧、明すらも、一斉に顔を上げて戸口に集中させる。

 戸口には、刑部尚書・平が罪名と判決を記した木簡を掲げて構えていた。



 ★★★



 兆の身体が硬直した。

 此の場で言い渡す、だと――?

 喩えどの様な罪で捕らえられたとしても、一度は刑場に引き出される。

 そして、罪状を読み上げられ、それに対する反駁を許される。其れは死罪であると決まりきっている大罪人であろうとも同様だ。悔い改めた言葉を吐く時間を与えられるのだ。此れにより罪状が軽くなる場合も、極稀にではあるが濡れ衣が判明して名誉が回復する場合もある。

 此れ程劇的な瞬間はなく、人々の心に残る判決はない。

 正しく兆は其れを狙っていたのだ。


 ――な、何故だ!?

 こ、これでは私は無実を詳らかにする機会を持てぬではないか!?

 一気にどっと、粘着質な汗が噴き出す。

「ど、どういう事だ、刑部尚書! ざ、罪状が正しいものであるか否か、深く正しく吟見した上での決であるか否かを我々は知る権利がある! 一方的に罰を与えるなど、刑部尚書ともあろう者がよいと思っているのか!?」

 思わず駆け寄り掛けた兆に先んじて、二つの影が飛び出した。皇子・天と乱である。

「戰! 戰! 助けよ、我らを助けよ!」

「兄弟を助けよ! 血の継がりを断つなど天帝が定めし法に悖る! そ、其方の血こそ呪われるぞ!」

 飛び出して行った先には、確かに彼らの腹違いの弟である皇子・戰がいた。


 だが、皇子・戰の姿を認めた兆は、ぞわり、と全身の毛穴が音をたてて開き、汗ではない人体に流れる体液すらも絞り出される絶対的な恐怖を感じ取った。

 ――違う……!

 こ、これは、此の方は、皇子様では、今迄の郡王陛下ではない……!

 自分が知る皇子・戰は、戦うと心に決めながらも結局最後の処で爪の甘さを露呈して一歩引いてしまう人物だ。

 完全勝利を目前としながらもとどめ(・・・)を刺すのを由としない。

 己の手が汚れるのを嫌う、というよりは彼らの背後にも慕う者が居ろう、その者たちの為に敢えて許す、という態度を一貫してとってきた。

 その証拠に、常に恬然とした態度と従容たる笑みを崩そうとしなかった。

 それは賞賛に値した。

 敵にとって実に都合の良い彼の美徳の一つであったからだ。


 ――だが、今の陛下からは微塵も感じられぬ……!

 兆は悟った。

 悟らざるを得なかった。

 右丞が居ようと居まいと、関係ない。

 遍く蛮夷、諸夷を根刮ぎ撫斬りに処すように、遠慮も何も無く自分は皇子・戰に誅される。

 がたがたと膝が笑い、かちかちと合わぬ歯の根が音を奏でる。ぶるぶると腕は震え、背中にはつつ、と汗が流れていく。眉根は下がり、顔色は失せ、唇は紫に色を落として細くなり、どくどくと脈動する鼓動だけが姦しく耳に残る。

 皇子・戰が口を開けば、引導を渡される。死が確定する。其れも、想像を絶する苦しみを伴う死が言い渡される。


「や、や、や、やらっ……! や、やめへっ、やめっ……!」

 思考が追いつかぬ証拠であるのか、呂律が回らない。

 そもそも、言葉がまともに口から出てくれない。

 逃げ出したかったが、戰の眼光に一度ひとたび睨まれた彼らは、動きを封じられた。恐怖心魂が畏縮し凍り付き、呼吸すらままならない。血の気が失せた状態で、天も乱も、安も寧も明も、充も中も、勿論のこと、兆も縮み上がったまま金縛りにあった蛙のようにコチコチに凝り固まった。


 彼ら一族は悟らざるを得なかった。

 自らの命運を。

 一門は尽く死に絶えるのだ――と。



 ★★★



「其方らに、申し渡す」


 刑部尚書・平から罪状と刑罰を処した木簡を奪うと、戰が感情の篭らぬ平坦な声音で宣言した。

 彼が読み進めると同時に、獄舎内には叫喚が反響する。

「ま、待て、待て! あ、兄上は!? 大保・受の罪は!?」

「そうだ、どうなっておる!」

 作法も糞もへったくれもない。

 こうなったからには、受のみが生き延びるなど有り得ない、許されるものではない。

 ――同門の、しかも長子であるならば、一門と命運を共にするのは必定、死なば諸共でなければならぬ!

 兆・充・中は、決死の形相となり親子3人揃って必死で平に飛び掛からんと駆け出す。

 が、あっさりと平と戰は扉の向こうへと身を躱してみせていた。

 敢無く、古ぼけている癖に奇妙に頑丈で壊れる気配を見せない格子状の戸に身体を打ち据える。格子と格子の間から腕を伸ばし、柵を握ってがたがたと揺さぶった。血と汗をたっぷりと含んだ土煙と埃が、もありもあり、と舞って周辺の空気路を濁らせていく。皇子たちと女たちは袖で口元を覆って激しく咳こみつつも、視線で彼らを後押しする。


「あ、兄上! 兄上を! 兄上を呼んでくれ!」

「受、受を! 我が長子を呼べ! いや、呼び出せ! 呼びつけよ!」

「一門は須らく呼ばれねばならぬ! 大保も此処に来させよ!」

 だが、彼らの足掻きも其れまでだった。


「受は来ぬ」

 戰の宣告は、死刑の宣告と同様だった。

「罪なき者を陥れる不逞の輩に、私は成り下がらぬ」 

 微かに戰が肩を引くと、入れ替わるように平が、ずい、と身を乗り出してきた。


「皇子・天、及び皇子・乱! 皇太后・安、徳妃・寧、貴妃・明! 大司徒・充、先大令・中、大令・兆! 枉法徇私おうほうじゅんしの限りを尽くして私利私欲に走り一族郎党のみ栄耀栄華を貪り、禍国帝室に仇をなす不忠不義の悪漢無頼どもに以て此処に言い渡す!」


 勝ち誇った晴れ晴れとした表情で、朗々と木簡に記された罪と罰戸を読み上げていく。

 言葉にならぬ、獣のような叫び声が、壁と言わず天井と言わず突き刺さった。




 ――この日。


 禍国開闢以来の名門であり、皇帝に最も親しい位置にあり権力を一手に握り専横を欲しいままにしてきた充を筆頭とする大司徒一門の栄光の日々は、50余年という長きに渡る繁栄の歴史は、祭国郡王・戰の手により荒々しく幕を閉じた。

 



【 内衣布ないえ 】


お風呂に入るときに着る浴衣のような感じの、簡素なつくりの下着用の着物の事だと思って下さい

主に汗を吸い取らせたり、裸で共湯するわけには行かない場合に着用されたようです



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