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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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終章 君がため その3

終章 君がため その3



 王城内の一角にて、二人の男が向かい合って対峙していた。

 一人は、この部屋の主である祭国郡王にして先皇帝の皇子である、戰。

 もう一人は、大司徒・充の長子にして皇太子・天の補佐として長年仕えて来た大保・受、である。


 戰の背後には芙が、大保・受の背後には彼の資人らしき男が控えている。

 だが、芙には分かっていた。

 この資人は、土蜘蛛が変幻した姿であるのだと。その証拠に、微かに視線が掠っただけであるというのに、資人は含みのある皺を、口角に浮かべたのだ。

 ――此奴……!

 背中側に回してある匕首に腕が伸びかけるのを、芙は必死で堪えた。主である戰が、限界を超えてなお耐えているのだ。自分が先に暴発する訳にはいかない。


「座るがいい」

「……」

 最礼拝を捧げる受は、礼節を守って無言のままだ。

 戰は、その姿をきりきりと目を眇めて睨めつける。


「礼儀など要らぬ。座れ」

「――は」

 待っていましたとばかりに、受は、ゆったりと鷹揚に構えて薦められた椅子に深く腰掛けた。



 ★★★



 大保・受は、確かに刑部に捕らえられ王城に引き立てられてきた。

 だが、王城に到着するや直様、縛を解かれた。

 受を捕えるよう命じた今上帝を名乗る代帝・安が地位を追われ、いや奪われた以上は彼を罪に問えなくなったからだ。

 いや、そもそも罪がどうかも怪しいものだった。

 受が刑部に捕らえられたのは皇后時代の安が下した、『何人たりとも張春花を飼い育ててはならぬ』との禁を破ったからだ。が、安が其の地位と身分を剥奪された今、彼を咎める謂れは何処にも無い。寧ろ、悋気に狂った大年増が作った戯けた刑に危うく処せられる処だった、同じ一門内の者とはいえとばっちりを受けた被害者だ、と受を哀れんでいる者も少なくなかった。

 大司徒一門の長子として生まれれば、栄達と栄耀を約束されている。

 実績もなく若くして大保という高官の地位を得て、皇太子の傍に侍る事を許されたのは偏に、大司徒の家門を何れ背負い、禍国の政治の全てを担う立場に生まれついたからだ。

 が、吃持ちである。

 ただ其れだけの事実に、受は、父親から見捨てられ、後見するべき皇太子からも遂に信頼を得られぬ存在であった。王城内にあって受は、此れまで実に日陰に生えた苔のように、誰にも眼を向けられる事がなかった。

 故に、受には立場的に競合する相手も居らねば政治的見解の相違による政敵とは無縁であった。

 其れ故、何と受は大司徒一門であり大保という高官に就いておりながらも、怨恨の類とは無縁のまま、政治という海原の只中で十数年もの間、ぷかりぷかりと海月のようにのんびり浮かび漂い、無害を装い、誰にも見咎められず、うまうまゆるゆると無傷で生き存えてきたのだ。

 実際に戰も、大保は王城内に出仕していようといまいと、どうでもよい存在だった。

 真が彼の思惑に気が付かねば、気にも止めぬまま過ごしていただろう。


 ――恐ろしく、計算高い男だ。

 その受が、海月の面体の下より毒素のある刺のある脚を伸ばし、牙を剥く鰐を指して回ろうとしている。

 悠然と構えて座る大保と、対して額に汗を浮かべすらして怒り肩を隠そうともしない戰とでは、何方に主導権があるのかは、明白だった。


「大保よ」

「はい、陛下」

「満足か」

「――はい」

 大保・受が返答に一瞬の間を置いたのは、完全なる勝利者としての余裕の表れであろう。

 受の泰然とも鷹揚とも取れる態度は、確実に戰の全神経を逆撫でした。剣の柄に手が伸びなかったのは、いっそ奇跡といっても良かった。

 いや、奇跡ではない。

 戰の心をぎりぎりで平静に繋ぎ留めているものがあったのだ。

 柄に伸びかけた手の甲を見た戰は、其処で辛うじて踏みとどまった。

 手首には、真に掴まれた折に付いた痕がくっきりと残っている。痣のように残された痕が、大保に飛び掛らんとする戰を押し止めたのだ。

 痕をゆっくりと撫でながら呼吸を整えようと肩と背を上下させる戰を、薄らと笑みを浮かべて受は見守っている。まるで、この姿すら計算のうちであると言いたげで、芙にはどうにも気に入らない。


「何時から、私に目を付けていたのだ?」

「既にお答えを得られておられる問答をなされるとは……」

「答えよ。私は問うているのではない。命じているのだ、大保・受」

「……虚海殿を陛下の師をして召抱えんと画策する頃よりですな」

 そうか、と戰は熱い息を吐いた。

「陛下は実に良い――いえこの物言いの仕方は陛下に至極失礼にあたりますか。ですが、陛下は誠に、此れ以上は考えられぬ最高の『素材』であらせられました。また虚海殿も私の見込んだ通りに、陛下を育てて下さった」


 実に有難い、と微笑む受の姿は、近所の者から兼ねてより欲していた産物を思い掛け無く分けて貰ったかのように、含みがなく晴れ晴れとしている。



 ★★★



 眼前にある机に、麦湯が運ばれてきた。

 運んで来た茶を受け取り点てたのは殿侍の衣装を纏った芙だったのだが、受はちらりとも目をくれない。


「ほう此れは?」 

 子供のように興味深けに目を細め、上に下に、舐めるように茶器に見入る受に戰は何故か真を重ね見た。

「麦湯という。先の戦の折に遼国国王・灼殿より教わった。……許す故、味わうがいい」

 敢えて河国と云わなかったが、受は気にする様子はなかった。

 戰に促されるままに、では遠慮なく頂戴致します、と素直に茶器に手を伸ばして大胆に麦湯を口に含んだ。毒が含まれているかも知れない、とは考えもしていない気振りに芙が微かに目を眇める。芙の表情が動いてやっと、受は目を細めた。

「ほう……? 此れは美味い。美味いものですな」

「……そう思うか」

 遼国王・灼の王妃となった涼の手前通りに入れた麦湯は、苦味と渋み、そして岩塩の辛味が身体に蓄積した疲れを内側から癒してゆくように浸透していく。此れは美味い、と繰り返しながら受は何度も頷く。

「茶は葉そのものが高価なものであり点てる折の道具も同様、作法に至っては特別に訓練を受けた者のみが叶うものですが、此れは違いますな。大麦なれば庶民にも手が届く品。茶器も、陛下が下されました器のように華美なものでなく素焼で結構でしょう。市井に瞬く間に広まりましょう。人生を愉しむ趣味が広がる道が増えるのは、実に喜ばしい事です」

 大好物のおやつを口にしている童子のように麦湯を愉しむ受を、戰は目を眇めて見詰める。


「一門の末は気にはならぬのか?」

 戰の棘のある言葉に、受は伏せ目勝ちになるなると、ふ、と短く吐息するように笑い声をたてた。

「気になどしておりましたのならば、斯様な策を講じませぬ」

「では、聞かせてやる故、気にするがいい」


 卜占の定める処により本日付けで其方の父である大司徒、叔父、実弟、一門全てに刑が下される。

 無論、皇太子・天と二位の君・乱も同様だ。

 私が刑部尚書に命じた。


「最早其方の一門は誰一人として救われることがない」

 氷柱でできた錐のように冷ややかで鋭い戰の言葉の一つ一つを、受は、頼もしげに眩しげに、頷きながら聞き入っている。



 ★★★



 二人の兄皇子、天と乱は帝室の血を穢した咎にて、先ず身分を剥奪される。

 帝室より籍を抜き霊廟に捧げられている系図から名を抹消されるのだ。

 宿星図と出生時の似姿図は共に燃やされ、一介の成丁に落とされる。

 成丁として改めて禍国の戸籍に組み入れられると身分不相応として家財の一切は国庫に没収される。御子らは妃の実家預かりの上、改めて蟄居閉門を申し付けられ、御子らの出世の道は永久に閉ざされる。以後、衰退の道を歩み、早晩にも潰えるだろう。 

 成丁は務めとして必ず、国家に租・調・庸・雑徭ざつようを納めねばならない。

 先に家財を没収されている為、天と乱の二人には私有の田畑がない。そのため、先ずは雑徭ざつようとして駆り出される。

 送り先は、最果ての地。

 即ち蒙国との国境にほど近い地の開拓師団の一員として送られる事となるだろう。

 天と乱、図体がでかいばかりの二人の皇子が彼の地までの旅程に耐えられるとは考え難い。だが病や疲労にて旅程から外れれば、そのまま路傍に打ち捨てられる運命だ。

「何れ遠からず、兄二人の屍肉は野犬どもの腹を大いに満たす事になるだろう」



 大司徒・充、帳内・中、大令・兆も同様に禍国の臣籍を剥奪される。

 だが彼らの場合はより過酷だ。

 成丁ではなく、奴婢の身分に落とされるからだ。

 この時、公奴婢であれば多少の救いはあるかもしれない。

 だが、商人に『商品もの』として取引される私奴婢に落とされるのだ。

 私奴婢は主に、国策の土木事業や私有荘園開拓などの使役人として売り買いされるのだ。無論、働いた処で賃金が手に入る訳ではない。私奴婢が得た収入は主人あるじの懐に全て入る。その為、より利益を手に入れる為に、従事させる労働は条件が過酷なもの、不安要素の高い国境防備堤整備などへと傾いていく。

 だが本来、国境整備などの際には罪人が使役される。

 罪人が国益の為に命を落とせば罪一等を許される為、彼らも自ら望んで役に就く。喩え死罪を言い渡された罪人であろうとも、死ねば家門に事実が伝えられ、法要を営む事も許される。無論、大っぴらにではないが、魂の供養と救済を得られるのは大きい。だから生きる為と死ぬ為の両方を叶えんと、罪人たちは危険な国策事業に手を挙げるのだ。

 だが私奴婢の場合は大きく異なる。

 私奴婢は「所有物もの」だ。

 だから死のうが生きようがどうしようが、所詮は「数」でしかない。

 人知れず野垂れ死にした後は、やはり野良犬の胃袋に収まる。

「数がへればまた補充されるだけの事であり、それ以上でも以下でもない。所有物もの扱いされるとは如何なるものであるのか、身を持って知りつつ死ねばよい」



 代帝・安、徳妃・寧、貴妃・明は妃としての品官を剥奪し公妾の身分に落とす事となった。

 公妾、とは所謂、女奴隷という意味だ。

 公妾は国が管理する奴隷であるから、私奴婢よりは扱いが上と言える。上手く仕える家の主人の目にとまれば側妾となることも出来る。また、息子が身元引受人となるか、もしくは実家が大枚を叩いて買い取るかすれば妾籍から抜け出る事が可能だ。

 だが彼女ら3人の後ろ盾となるべき家門は脆くも崩れ去っている。

 己の価値を高める為に必死で産み育てた息子も、儚い存在となった。

 財力も権力も頼る寄る辺のない彼女たちは、残された一生を女奴隷として生きねばならない。

 嘗て、蔑み馬鹿にし、虫螻以下に扱ってきた存在と同等に堕とされて這い蹲って生きる事を課せられるのだ。



「容赦はしておらん」

「其れこそが私の望む処に御座います」

 一門の行末を聞いても受は悲嘆に暮れる事はない。子供が約束の玩具を手に入れる日を教えて貰ったかのように、わくわく(・・・・)と身体を揺すり、笑みすら浮かべている。


「右丞は如何様になされますのか?」

「右丞も相応の罪を与える。いや、既に与えている」

「ほう?」

「奴は既に、一切の治療を受けておらぬ。刑場の鞭打ち台の上に放置してある」

 苦々しく答える戰に、受は満足そうに首を振って笑い声をたてた。

 処刑を与える刑場には、その腐肉を狙って鼠や烏が罪人を狙っている。

 打ち捨てられれば、瞬く間に彼らが爪と歯と嘴で肉を細かく刻まれていく。

 痛みに絶叫して発狂し、狂いながらも肉を啄まれる痛みにまた悶絶しながら死んでいく。

 所謂、鳥葬刑を右丞には与えると戰は決定した。


「右丞は最早手の施しようがない。死を目前にした者を引っ立て、裁を決する手間も惜しい」

 戰は吐き捨てた。

 元々、右丞・鷹は祭国にて郡王である戰から咎めを受けて囚獄・徹に捕らえられたのだ。幾ら大令・兆の扇動があったとは言え、戰より正式に罪を許された訳でもないのに獄舎を抜けた。

 剰え、戰の最大の身内である真を囚獄の獄舎内にて暴行を加えたのだ。

 罪は万死に値する。

 いや7世先まで許されない――

 と、周囲に戰の怒りが本物であると知らしめねば、類は父親である兵部尚書・優にまで及ぶ。

 優を守る為には、苛烈なまでの極刑を鷹に申し渡さねばならないのだ。

 しかも、決断は迅速果断でなければならない。僅かでも間を置き、躊躇逡巡が混じればつけこんでくる輩は蟻の行列のように続々と続くだろう。

 蟻の動きを断ち切る、いや、一気に踏み潰して二度と湧かぬよう知らしめるには、即刻の決断にて極刑を与えるしかなかった。


 

 ★★★



 戰の忌々しげな表情を、受は茶器を手の内で弄びながら笑った。 

「其れは其れは、実に苛烈な断じ方に御座います。が、そもそも右丞の父親である兵部尚書殿が、喩え長子であろうとも息子の愚行蛮行を許しはしますまい。親子共々、職を辞しておさめようとするでしょう。陛下が其処まで右丞に刑を与えるべきでありましたか?」

「兵部尚書は関係ない。右丞の罪は右丞のみが償えば良い」

「成程、陛下におかれましては、兵部尚書は大切な後見のお一人。連座させる訳には行きませぬ故、言われてみれば当然の事で御座いました。が、兆の奴は悔しがる事でしょうな。右丞に罪を被せ、自身は陛下の御元に侍る事が出来るのだ、と信じきっておりました故」

「夢見信じた事を事実と履き違えて生きるのは大令の勝手だが、私が大令の願いを聞き入れてやらねばならぬ謂れは何処にもない」

「ですな」

 茶器に残っていた麦湯を惜しむように、受は少しずつ口内に流し込んでいく。


「最も、陛下の口より引導を渡される衝撃を賜るのであれば、弟には最高の栄誉かもしれませぬ。何しろ、己こそが陛下の身内として最も相応しいとの妄想の果てに起こした暴走です。陛下に止めて頂ければ、弟の人生の中で此れ以上の慶事はないでしょう」

「私の口から奴らに罪を言い渡すことはせぬ。これは刑部の仕事だ」

「……然様に御座いますか。刑部尚書殿も長く不遇を囲っておいでだった。彼の御人には是非とも憂さを晴らさんと張り切って頂かねばなりませんが、私などが口出しなどすれば言われずとも、と憤慨なされる御様子が目に浮かびますな」

 兆にはたまったものではありませぬが、と実弟の未来に待ち受ける破滅すら楽しげに語る受を、戰はじっと見据える。


「受よ」

「――は」

「満足か」

「はい、と申し上げたい処で御座いますが、正直にお答えするべきでしょう。概ね、といった処でしょうか」

「……」

「いや、陛下のご周辺に人物が少な過ぎましたのは私の見誤りですが、其れにしても此れは如何にも酷い。折角、虚海殿を引き取られたというのに、次に続く人材を育てようともせず此処まで真とやらに頼りきりで過ごされようとは」

「だが大保よ、其れも、其方の計算の内に入っておったのではないのか?」

「無論です。ですが此れは酷すぎますな。個人としての能力は寧ろ大いに伸びておるでしょう。ですがそ真殿にの指示を仰がねば何も出来ぬのであれば、意味が無い。意味の無い成長は下手な自尊心を育て驕慢さに走る事になりかねない。其れでは困るのです」

 茶器を傾け、一雫を愛おしみながら口に含む受は、戰の赫怒の炎を前にしても涼しい顔をしている。


 ――陛下。

 陛下は最も大切なものを隠しだてする事なく、奪われればどうなるか、容易に想像できるというのに愛してこられた。

 その結果が、此れなのです。

 私如きに真殿は狙われ、利用され尽くされ、早晩にも儚い身となられるでしょう。

 忘れてはなりません。

 また、思い違いをなされてはなりません。

 真殿を傷付けるように策を仕組んだのは、確かにこの私、大保・受です。

 ですが真殿の命は、陛下が奪うのです。

 陛下は他者には手緩いほど甘さをみせられる。

 陛下の無駄な優しさがこの結果を招き入れたのだと、肺腑と血肉と骨の髄にまで染み渡らせて頂かねばなりません。


「ですが陛下はご自身には底を見せぬほど厳しい御方だ。真殿を傷付けた者は、喩え蟻のひと噛みといえども、お許しになれまい。陛下は一代のみならず、陛下の御血筋が続く限り、真殿に贖い続けねば御気が済みますまい」


 戰が胸の内深くに決意を刻み込んだのだと、賢明な彼は悟っている。


「真は死なぬ」

「そうですな」

 押し殺した声で迫る戰を、すらりと受は躱す。

「そう、信じておられれば宜しいでしょう」

 

 真殿が生き延びられば、いよいよもって陛下に、この腐りきった禍国を、最後には我が身さえも倒して頂ける。

 此れ以上の慶びは御座いませぬ。



 ★★★



 真が今まで戰の傍に立っていられたのは、品官を得ておらず、ただ、義理妹いもうと姫である薔姫の良人おっとであり、且つ又、亡き父帝である皇帝・景より戰の目付になれ、と直接命じられた身であるからだ。


 だが、戰が兄皇子たちとの政争に打ち勝ち、皇帝の座に就いたとしても、禍国において不具の身となった真は、政治の表舞台に立つことは叶わない。

 此れが武官であれば話は違ってくる。

 戦場を駆けて傷を負い、隻腕なり隻眼なり、不具を託つ事になったとしても其れは誉れあるもの、其の後に再び戦場を駆ける身となれば誰も後ろ指を指しはしない。

 だが、真は文官だ。

 戦場に共に赴き、策士として知恵を授け続け、勝利に貢献したとしても、文官なのだ。


 真を共に、真と共に新たな国作りに励もうとしても、もう、禍国では夢叶わぬのだ。

 

 ならばどうすれば良いのか。


 答えは一つだ。


 戰が新たな国を建て、王となり、中華平原を統べれば良い。


 新たな国で新たな法を作り上げれば良い。


 身分を問わず、いやそもそも身分などと云うものを作らず、個人の能力により立身栄達が叶う国を作り上げればよい。


 そうすれば、真は此れまで通りに戰の傍で仲間と共に走り続ける事ができる。



 ★★★



 此れまでの戦、句国、契国、河国と遼国――

 戰と相対したそのどの相手国も、尽く彼に感銘を受け、共闘の意と敬愛の姿勢を見せた。

 圧政、恐怖政治、そのどれにも手を染めずして、彼らは自ら恭順の意をみせてきた。

 強大な大帝国の皇帝の血筋であるから、付和雷同するのではないない。

 只の弱小国の郡王に過ぎぬ、4品の母をもつ最下級の皇子・戰という人物に、各国の王は感銘し心服している。

 だから既に勝敗は決しているのだ。

 此の先、帝室よりどの皇子が皇帝として選出されようと、戰以上の君主として政を為すなど有り得ない。

 戰の国が強大に成りゆくにつれて、早晩、禍国内に声が上がるのは目に見えている。

 皇子・戰が新たに開いた国に服従の姿勢を見せ、誠恐誠惶すべし、と。


 覇王として禍国に乗り込んだ戰が真っ先にする事とは、古い国に蔓延る膿の一掃となろう。

 国に残っている兄皇子の内、誰が皇帝になっていたとしても権勢を握っていたとしても、己の身可愛さに狂奔するであろう。

 彼らが真っ先に贄として思い浮かぶのは、大保として残された受しかない。

 河国の宰相であった秀が仲間の手にかかり最後を迎えたように受は討たれ、戰の前に差し出されるだろう。

 そして、歴史に名を然と刻むのだ。

 大罪人ばかりを輩出した蒙昧な家門を閉じさせる能しか持ちえなかった愚か者の末路とは、如何なるものであるか。


「大司徒一門の最後の一人、大保・受。浅ましくも専横の限りを尽くした大罪を逃れた罪を責められ、敢無く命を散らす―― ……悪くありませんな」

 必ずや、そう遠くはない未来に訪れる其の日其の瞬間ときを、今から垂涎三尺を禁じえず待っているのだと、恍惚とした受の表情が物語っていた。


 戰という、素晴らしき君主は輝きと希望にあふれる未来と国政を開く事だろう。

 だがその新たなる国に、己は必要ない。

 いや、己だけではない。

 臣下でありながら皇帝を傀儡のようのように扱い、影の権力者として栄耀栄華を極めることしか脳にない家門も。

 その一門に吸血するように張り付く事でしか最早、名を保てぬような皇子しか排出できぬようになった愚かな血族に成り下がった帝室も。

 皆、さんざんな目にあいつつ滅べばよい。

 その最たる者として後世にまで、受は家門と共に、千年先の世にまで悪名を轟かせればよい。

 新しき国は希望に燃え、戰の治世を正しく引き継いでゆけば、千年万年、続く事だろう。

 だが長き年月、国が国として在れば、腐った輩も不逞な輩も当然出てくる。

 しかし己と家門の失態は、必ずやそれらを挫く軛となる。

 

 この目的は、真が生き延びようが死のうが、遂行される。

 いや、既に真の魂は鬼籍に向かい出している。

 である以上、何としても豊かな国を、中華平原に我と共にありと、天涯の主たる天帝にその名を知らしめねば戰の気が収まらぬ筈だ。


 戰に仇なす愚者や痴者の末路をまざまざと見せ付け、二度と、同じ過ちを繰り返す輩が出ぬようにする為に、自分は死ぬ。


 其れこそが、受の本懐であった。



 ★★★



 最後の一口を、恋人との別れの接吻をするように受は丁寧に飲み干した。


「馳走になった」

 麦湯を入れた芙に、受は溶溶たる態度で茶器を作法通りに芙の持つ盆に返す。

「ああ、陛下、一つ忘れておりました。真殿の世話をしたいと願っておる娘がおるのですが、陛下の宮に送ってやってもよろしいでしょうか?」

「何……?」

「陛下が有されておられる宮にも宮女は居りましょうが、正妃様が祭国に残られておられては宮を仕切る方もおりますまい。とすれば、己を顧みずに一途に看るとなれば、男に添わんとする娘に敵う者はおりませんでしょう」

「……誰だ、其の娘というのは」

「時が懇意にしている妓館の芸妓です。白と云う。惚れ抜いた男のためならば身を売ることも厭わぬ良い娘です。使ってやっては下さいませんか?」

「断る」

 きっぱりと戰は言い放つ。

「真には私の義理妹いもうと姫の薔という立派な正室が居る。何れ呼び寄せる故、女手の心配など無用だ」

 そうですか、と全く残念そうに見せず受は笑みを零した。


「ならば陛下、陛下の罪がまた一つ増えられましたな」

 陛下は御自身を慈しんで下さった才人様腹の義理妹いもうと姫様の夫君すら奪われる、とすらりと言ってのける受にむけて、ギリギリとした、隠しようもない殺気を芙は放つ。だが、受はさらりと受け止めつつ、大様にやり過ごして泰然と退室していく。

 いや、芙の若さから来る怒りをも享受し尊重する寛容さ、懐の深さを持ち合わせていると言えるだろう。

 しかし、受の豁如かつじょたる態度がどうにも芙には遣りきれない。

 ――許せぬ。

 こいつのせいで、真殿が……!

 知らぬうちに、手が、腰に隠した匕首に伸びていた。

 と、同時に、燦きが芙の顔面目掛けて飛んできた。其れがひょうであると気が付く間に、芙は抜き身とした匕首を閃かせて叩き落としていた。てぃん、とまるで手平金てびらかねのような澄んだ高い音が響き、ひょうは床を転々と転がった。


「青、やめよ」

 机の上で手を組み、姿勢を崩さず笑みを浮かべたまま受は背後に向かって命じた。

 そして手にした匕首で喉元を掻き斬らんと息を荒らげる芙を、ゆっくりとっくりと眺めながら、ふむ、と顎に拳を当てた。

「己の力の到らなさを怒りに変えるか。成程、心の有り様に素直に従うは若僧のみに許された特権ではある」

 悠然としたままの受に、芙は視界が赤くなったように感じた。怒りの炎の、赤い色に。

 匕首を構え直した芙を戰が制する前に、だが先ずは、と受は言葉を継いだ。

「若さを理由に馬鹿さを露呈し続けては陛下の邪魔になるばかりだ。己を励まし腕を磨くがいい。さすれば、多少は真面に使える人物になれる素地があるとみた」

 励むがいい、と諭すように云い、受は静かに立ち上がった。

 そして、礼節と所作に則り、戰に最礼拝を捧げる。

 戸口の影に隠れるように下がり、匕首の柄を握り締めて歯を食いしばる芙の肩を、受は、役目御苦労、と労わりつつ、ぽん、と叩く。


「無力さを知ったのならば改めよ。其れでは陛下を臣下ごと見込んだ私の甲斐性がなくなるというもの。其方らには弛まず走って貰わねば困る。真殿と共に励み、走り続けるがよい。陛下が――禍国を滅ぼし、此の私を切り裂きに来て下される其の日まで」


 但し万に一つも真殿が命を拾われ生き延びられた場合に限るが、と言いおく受を、芙は呪い殺さんばかりの勢いで睨む。

 その背後で、資人に化けた土蜘蛛が勝ち誇った笑みを浮かべた。


 淡然たる態度のまま、受は土蜘蛛を……いや、青を従えて部屋を退していった。



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