22 罪と咎と罰 その7
22 罪と咎と罰 その7
先ず、代帝・安を皮切りにして、皇太子・天と二位の君・乱、そして大司徒・充と先大令にして帳内・中が姿を消した。
まさに怒涛だった。
何が起こったのか、完全に理解し得る者はいないであろうと思われた。
ただ一人、皇子・戰を除いては。
残された多くの皇子たちは、熱に浮かされたようにして戰に従い髪を燃しのだが、その火炎が黒々とした煙を消す頃になると、互いの顔色をちろちろと覗き見し、或いは息遣いに耳を欹てし、窺いだした。
彼らを扇動した張本人である、そして唯一残る喧騒の当事者である皇子・戰が押し黙り、凝り固まったまま動かないのだ。
皇子・戰に従う兵部尚書・優と祭国から連れて来ている武人も、当然動かない。
遂に、一人の皇子が髪が燃える臭気に耐え兼ねるふりをして、戰に話しかけてきた。
「せ、戰よ……ど、どうもこの、臭気は……堪らぬな……」
「……」
「と、特に、だ。我ら男は横置くとして……母君方女人には、少々、適わぬものと思わぬ……か? ……ど、どうすれば良いと思う……?」
おずおずと手を伸ばしてきたのは、淑妃を母に持つ兄皇子であった。だが声を掛けた兄皇子は己の迂闊さを呪い、そして怖気と恐怖により涙ぐんだ。肩越しに微かに振り返った異腹弟である戰の眼光に射殺されるかと、いや、喰い殺されるかと思ったのだ。
其処に居るのは、彼らの知る皇子・戰ではなかった。
天帝の化身として遣われた龍神が、己の逆鱗を打たれた怒りと痛みに耐えているのだ――
しかし、慄き怯んでばかりいてはいられない。
そう!
大切な事は、まだ何も決定していないのだから!
ぐび、と喉を鳴らし小鼻を膨らませて矮小な肝を鼓舞し、淑妃腹の皇子は戰に取り入るように進み出た。
「ど、どうするつもり、なのだ……?」
「どう、とは?」
「い、いや、その……つまり、つまり……だな、如何する気でおるのだ……?」
「何をです?」
普段はまるで滑稽なほど馬鹿正直で素直すぎる反応を示す癖に、揚げ足を取るように言葉を反芻するばかりで、戰の返答は要領を得ない。だが、焦らされれば焦らされる程、背後に集う皇子たちも王子たちも、じりじりと戰に向かって来た。
切な事がまだ決まっていないと一番分かっている身でありながら、此処で此処まで焦らすのか! と目の下に出来上がったくまが戰を責めている。
「どうするつもりだ! 玉をどうするつもりなのだ!」
とうとう、淑妃腹の皇子は耐え切れずに叫んだ。
ぜいぜいと喉がいがらを鳴らして、ふうふうと肩で息をしている。
どの皇子をして、至尊の冠を頭上に抱いかせ玉座にすえるのか。
誰を持ってして、此の超大国・禍国の皇帝となり、中華平原の頂点に君臨するのか――
どうするつもりであるのか。
戰はまだ宣していないのだ。
「戰よ、其方の存念を聞きたい」
殊更に祭国郡王の地位を出さずにいるのは、皇太子と二位の君が消えた今、品官は兎も角として戰が此の場にいるどの皇子よりも、地位が高いからだ。
もしも、もしも、だ。
戰が自らの大望を語りして皇帝となると宣言すれば――
此れまでの実績から、他の皇子たちは張り合うことなど望みようもない。
後ろ盾すら、大司徒一門があっさりと政変という嵐に攫われた今、彼らの方こそ結束力を失ってしまった。不確かで足元が覚束無いものとなっている。
翻って、戰は兵部尚書・優、そして他の尚書の確実なる共鳴を得ている。兵部と刑部尚書、二つの力を戰が我が物であると宣言したらば、禍国おいて戰以上の門閥と後見を有する皇子は居なくなってしまう。
新皇帝に最も相応しいのは、祭国郡王である皇子・戰である、と決定してしまうではないか!
ごくり、と其処彼処で生唾を飲み下す下品な音が鳴り響く。無様で不埒な行為であるが、戰は冷笑をもってそれらを薙ぎ払った。
「どうとでも、お好きなように」
★★★
思い掛け無い返答に、皇子や王子、そして彼らの母と母の実家である高位高官の貴族たちは、反応できなかった。
は? と眼を向き、ぽかんと口を開け、だらりと両腕をたらし、へなへなと両膝をへたらせている。
「そ、其れは、どういう意味だ、戰よ」
「其の儘の意味です。何方でも、お好きな方が望まれる方が、玉座にお座りになられればよい」
「つ、つまり、つまり――だ。其れはつまり、せ、戰よ、其方は皇帝の地位に興味がない、という事で相違ない……の・か……?」
明白に媚びいる目線で戰を見上げてくる。
最大の権勢と勢力の持ち主である戰が、自ら辞退するとは考えられなかったのだ。だが、戰は全く頓着していない気振りだ。
「どうぞ。兄上方の良いように」
「――は、はぁ?」
「ですから、何度も申し上げております。兄上方の御髄のままに。お好きなようになさって下さいと申し上げているのです」
「な、何、そ、それはつまり……!?」
「私は玉座に興味など御座いません」
「なに? そうか!? そうか、そうなのか!?」
皇子や王子たちは勿論の事、母である妃たちや後見人である貴族たちの顔ばせにも喜色が浮かぶ。実に現金なものだ。
だが一方、優は、というと、腹の中で滾る怒りのままに怒鳴り散らしにかかりそうになった。
――此処まで来て何を仰られるのか!?
玉座を目指されておられたのではないのか!?
なのに何故、此処で、目の前に燦然と輝く玉座を放り出されるのか!?
冗談ではない!
誰の目にも、陛下以上に、皇帝に相応しい人物など帝室におらぬではないか!
何故、何故だ!? 何故、御遠慮なされるのだ!
謙遜も孫恭も、愼みも、最早、美徳ではあられませぬぞ陛下!
天下国家に向けて号令をなされる、其れこそが帝室英祖への尊崇と崇敬の念の表れであると受け取られましょうものを!
淑妃腹の皇子の前に飛び出さんとしたが、克に腕を掴まれてしまった。優とて、出過ぎた真似であると自覚はしている。しているが、納得して飲み下す事が出来るかどうかは、また別問題だ。唇の端を噛み切りながら、優は必死で耐えた。
――陛下!
陛下を皇帝の座にと望み、至高の冠を抱きし陛下にこそお仕えするを希望にして此処まで来た我らは、我らの気持ちはどうなるのです!?
どうでもよいと申されるのですか陛下!
「ええ、どうぞ、お好きなようになさって下さい。――最も」
「も、最も……?」
「どの兄上をして、最上位であると定められるのかまでは、知りませんが」
戰の言葉に、彼の幕下にいる数名を除いて全ての人間の魂と肝が握りつぶされた。
そう、戰の言うとおりである。
一体、どの皇子が相応しいのか。
何をして、皇帝として定めると宣言するのか。
皇子の年齢で定るものとするのか。
母親の血筋がより高貴なものとするのか。
後ろ盾のとなる門閥の強大さなのか。
其れとも。
皇子自身が築き上げた実績をみるとするのか。
「私は兄上たちの決定に従います。刑部に引き渡した大司徒一門が気に掛かります故、此の場よりお先に失礼致します」
戰の言葉は、氷の茨となって兄皇子や控える貴族たちを縛り上げる。
一瞥すら残さず、戰は踵を返すと義理母・蓮才人の肩を抱くようにして促し、王の間を足早に出て行った。
★★★
「大令・兆よ! 刑部の名にて改める! 神妙に致せ!」
刑部尚書・平、自らが代々伝わる戦扇を握り締め雄々しく振るって指示を下す。
平に率いられている御史台の御史たちは、囚獄・徹が率いてきた者たちとは見た目からしてまるで違う。
屈強そうな体躯。
巌のような面構え。
決意を剥き出しにした眼。
如何にも無骨漢らしい息遣い――
何から何までが違っていた。
矢尻が飛び交い剣が舞う戦場を駆けてはおらずとも、この王城という魔窟にて常に精神的な戦いを強いられ、其れを乗り越えてきた猛者のみが集う事を赦された、狷介孤高な一刻者の集団。
其れが刑部尚書・平が率いる御史たちであると、内面から轟々を音を立てて発散されている気が物語っている。
――ちっ、今度は何だ!?
ぐわり、と眼を剥いた平の形相に、兆も焦り慌てずにはいられなかった。
しかし先程と違う処は、呪文のように落ち着け、と直様口の中で唱えだしたことだろう。
――落ち着くのだ。
先程、破落戸崩れ候の囚獄どもを追い払ったばかりではないか。
落ち着け、刑部などが今更武張ってみた処で、何程の事があらんや、だ。
――全ては私の計算通りに事が運ぶのだ。
浮かしかけた腰を腹の底に力を入れて宥め賺して、椅子に座り直す。
兆の中では兄である大保・受が持ち掛けた策は既に受け入れた以上、己のものとなっていた。
――は!
刑部尚書が自ら出張ってきただと?
戦扇を持ち出向いて来ただと?
其れがどうした、何程の事ぞ。
すっかり気が大きくなっている兆は、尊大な態度を崩さない。
「此れは此れは。さても珍しい事もあるものだ。刑部尚書殿ではないか。礼部などに何用か?」
「……」
取るに足りぬ瑣末な事である、と言わんばかりに兆は執務用の机の上で手を拳にしつつ、兆は微かに背中を反らせてみせる。
兆を前に、平は答えない。ふすふすと鼻を鳴らして全身を怒らせるばかりだ。
「おぉそうだ、つい先程の事であるが、其の方の部下である囚獄が私を案じて来ておったぞ? すれ違いにならなかったか?」
高圧的で不遜な態度の兆に、遂に刑部尚書・平は眼光が煌めいた。
この青二才の若輩が何を気取っておるのか、と言葉なく迫りだす。経験と、何よりも人物の出来の差からくる迫力の違いに、兆は知らぬうちに仰け反り怯んでしまう。
しかし顔を赤黒く染めつつも兆は態勢を立て直し、顎を上げる。頑なに刑部を下に見ているのだと、態度で示しているつもりなのだ。
礼拝の姿勢を取らぬ刑部の無礼、事に依りては訴えに出るぞ、と言外に威圧しているつもりでいる兆の振る舞いは滑稽を通り越して、逸そ哀れみを誘う。
それ以上に虫酸が走る。
そして、いちいち反応を示すことが愚かしく思え、思うことすら癪に障る。その証拠に平どころか、従ってきた御史たちのうち一人として顔色を変えない。どころか眉尻一つ動かさない。
だが、兆はそうは捉えない。
畏れ入らず態度を改めぬ傲岸不遜な刑部の者たちに、兆は苛立ちを覚えた。
――此奴ら、命令のみを受け入れるだけの至極安楽な仕事に就いておるせいで、作法も忘れたと見える。
頭に座っている者の差は怖いものだな。
部下も此の程度の有様とは、と兆は薄く笑った。
併も、刑部尚書・平は先程の問いに答えられなかったではないか。
――のらりくらり、だ。
大丈夫だ、私ならば此奴らを躱しきれる。
★★★
「して、我が礼部に何用で御座いましょうかな?」
「……」
やはり答えない答えようとしない平に、兆は腹の中で嘲笑を浴びせた。
――そぅれみろ、この短時間では先の囚獄から連絡を受けて来たのではあるまい。
別件であるのならば、要らぬ口を開いてやる事はない。
先程と同じく、様子を見つつ、掌の内で転がしてやればよいのだ。
――何の用かは知らぬが、御苦労な事だ、だが精々この私を楽しませてから帰ってくれ。
兆は岸壁にそそりたつ巌のように立ち尽くす刑部尚書の無表情を、腹の底で徹底して蔑み笑う。
「用? ふむ、用向きか」
しかし、やっと応えた刑部尚書・平の声音には、意外な静かさと余裕があった。
「実はな、大令よ」
――常日頃、時間に追い立てられ齷齪と山積する仕事に忙殺され続けている刑部尚書ではない?
品位も官位も格下でありながら居丈高に戦扇を掲げ、剰え呼び捨ててくる平に、兆の脳裏に何かがちかり、と瞬いた。兆の内側で初めて、危険だ、と何がか告げ始めた。
――違う。
常の刑部尚書ではない。
多忙さに腰が定まらず、過密すぎる仕事に苛立ち、其れでいて報われぬ働きに対しての隠し切れぬ悲哀を背負った刑部尚書ではない。
この自信は何だ?
何が刑部尚書を変貌させた?
考えられる事はただ一つ。
自分の預かり知らぬ処で『何か』、が起きたのだ。
だが時は既に遅かった。
『何が』、と考え、身構える間を平は兆に与えなかった。
「大令・兆よ! 祭国郡王・戰陛下の御血筋を不当に貶めし罪に問う! 神妙に縛に付くがいい!」
「何ぃ!? 」
――その罪を引っ被るのは右丞の役目だ!
一体何処の馬鹿が罪を私に擦り付けた!?
誤解だ!
いや違う、濡れ衣だ!
一気に混乱の極みに落ちた兆は呼吸を荒らげて反論の弁を上げかける。だが、平は揚々と戦扇を振るい、其れを制した。
「舌を噛み切る恐れがある。口内にも縄目をかけよ」
「刑部尚書よ、私の話を聞いてくれ! これは冤枉だ! 我が身が潔白であると雪冤せし機を与えてくれ!」
「その機会は、国法に乗取り、台獄にて順を待つのだな」
「刑部尚書――き、け、ふ・うぐぉっ!?」
それ以上、兆は声を出せなくなった。
口内に、土と砂と埃と手汗の臭気が幾重にも積もった縄が捩じ込まれたからだった。
★★★
小突かれながら台獄内に引き立てられてきた兆は、獄内に己の一門が勢揃いしている事に目を剥いた。
実の父親である、大司徒・充。
養父である先大令、いや、皇太子・天の帳内・中。
己の姉である母に持つ、皇太子・天。
その皇太子・天の母たる、年の離れた実姉である、徳妃・寧。
嘗て仕えた、養父の実娘を母に持つ、二位の君・乱。
その二位の君・乱の母たる、義理姉である、貴妃・明。
そして一門の期待を背負って、先皇帝・景の元に嫁ぎながら責任を果たすこともせず、のうのうとその座に居座り続け、剰え、代帝などと名乗った馬鹿で愚かな叔母、安。
――何だ
何なのだ、此れは。
何故、一門郎党が揃い踏みしておるのだ。
思わず知らず、脚が止まる。
「入れ」
背中を蹴り倒されつつ、威圧的に命じられた。
――貴様程度の品位の者が、何をするか。
私を誰と心得ておる。大令だ。
国家の根幹を支える礼部の頂点に在る大令であるぞ。
口を封じられていなければ、相手に対する憎悪と厭悪感を隠そうともせず、痛罵していた事だろう。だが、口内に捻り込まれた縄は兆の喉の奥まで達しており、肩越しに御史台の男を睨み据えるのが精々だった。
「は……ん、なかなか面白い姿で現れたではないか、我が息子は」
獄内から、後ろ手に縛り上げられただけなく、声を出せぬようにと口内にまで縄が突っ込まれた兆の姿を揶揄する、低い、笑い声が重なり合って響き渡る。
聞き覚えのある声が己の実父と養父だと耳で理解すると、兆の体内に巡る血という血が一気に沸騰し、音を立てて逆流遡上し始めた。振り返りざまに、ぎち、と眦を裂いて二人の父を睨み付けるのと、御史に蹴り倒されて獄内に放り込まれるのは同時だった。倒けつ転びつしつつ必死で体制を整えようとした兆だったが、結局は、歪んだ床に爪先を取られて顎から地面に倒れ込み、強かに打ち据える結果に終わった。
周辺に汚れた埃を舞わせる兆の為体に、父親たちはますます嘲り笑いを続ける。
――糞がぁ!
常に刺激されている為、嘔吐感が酷い中、姿勢を崩して更に奥を突かれて嘔吐きかけるのを、目の端に涙を浮かべて耐え抜いた。これ以上の嘲笑を二人の親から浴びせられかけるなど、許せるものではない。
台獄の中は、じめじめと湿り気を帯びていた。
泥と血と黴のような臭いが混じり合って充満し、そしてそれ以上に汗の腐肉か何かか、吐き気をもよおす饐えた臭いが重い霧のように足元に漂っている。
半地下であるのに灯り一つ点されていない獄内は、昼間であるにも関わらず黄昏時宛らに薄暗い。まるで、此れからの自分の行く末が横たわっているかのような獄内を、兆は怨みを込めた眸でぎろぎろと凝視した。
だが鬱憤を溜め込んでいる兆に構わず、御史は背中に馬乗りになるようにして、むっつりと無言で縄目を解き始めた。
大令という地位に対する敬意など払われるなどと思うな、と本来であれば勝ち誇りたい処であろうが、口を利くのも嫌なのだろう。黙々と己の役目に徹している。解かれた縄目はくるくると束ねて腕に抱えたが、口を束縛していた縄目には、御史は顰面をして一瞥をくれると其の儘足元に捨て置いた。何しろ、兆の涎と、暴れた為に擦れてできた擦り傷から滲んだ血が混じり合って、じとりと濡れそぼっていたからだ。
肩を軽く上下させつつ、御史は獄から出て行った。
御史台たちが去り、一門だけが残されると兆は、縄目の痕が生々しい頬肉を持ち上げて哂った。
「両の御父上のみならず、一門郎党お揃いであるとは」
ぎっちりと固く拘束されていた身体は、其処彼処で悲鳴を上げている。
だが兆にしてみれば其れを表情に出すのは、自尊心が、矜持が許さない。痛む身体に重ねて鞭打ちながら、余裕の笑みを浮かべる。
実の父親である充も、養父である中も。
叔母である安、姉である寧、いとこである明も。
そして厳密に言えば親類に過ぎぬ、天や乱も。
何の事はない。
彼らが雁首を揃えているという事は、つまり、皇子・戰の不評を買ったのだ。
いや、不評ごときであの皇子は此処まですまい。
怒りを買ったのだ。
最早、赦しを与えるなど考えられぬ程の、凄まじい怒りを。
考えられる理由は一つしか思い浮かばない。
――郡王陛下の和子様の血筋を疑う発言をしたな
考えなしの一門の面子を見れば、有り得そうな事だ。
――ざまを見ろ。
余裕を演じているうちに冷静さが戻ってきてみれば、自分はとばっちりを喰ったのだろうと解ってくる。
――此の内の誰かが、出処は私の言葉であると言いおったに違いない。
陛下の御気質を見誤る阿呆どもめ。
一門揃って、右丞とさして変わらぬ戯け者ばかりであったとはな。
だが、丁度良い、折角の機会だ。
此れを契機に、父も養父も、一門全てを葬り去ってやる。権力の中枢より追い落として二度と這い上がれぬように仕向けてやる。
――私には右丞がいる。
奴が手元にある限り、私だけは助かるのだ。
罪を更に被せる相手がいるという余裕が、兆の気持ちを大きくさせていた。
★★★
落ち着いて見てみれば、何だ、この為体は。
充と中、自分を何処までも認めようとしなかった二人の父は、成る程、敵意と害意と憤怒を綯交ぜにした黒々とした表情で此方を睨めつけてはいる。
が、皇太子・天と二位の君・乱は、一転してまた一転の展開に心身が追いついておらず、極度の疲弊感から茫然自失状態、呆けた顔で天井を見上げているばかりだ。
息子たちの様子に心を痛め尽くした寧と明もまた、心を乱しきって錯乱一歩手前まで来ており、唇の端に唾の泡をぶくぶくと飛ばして、息子の腕に縋って泣き崩れてるばかりで要領を得ない。
安に至っては獄の隅に、壁に額を擦り付けるようにして贅肉の付いた背中を丸めて座っているだけではないか。しかも、言葉にもならぬ言葉を10も20も一気に老け込んだ老婆のようになって、ぶつぶつと呟いている有様だ。
口内に残る縄の筋の不快感を払う為、幾度も唾を貯めては吐き出す事を繰り返し始めた兆に、二人の父親からの嘲りと侮蔑を込めた視線はいよいよもって重くなる。汚れた顔付きには、ほんの数刻前には威張り散らして王城内を闊歩していたとは思えない、疲弊感が紛れもなく隠しようもなく浮かんでいるのを、兆は見逃さなかった。
――此れが、禍国帝室を裏で牛耳る一門の血筋の成れの果てのお姿、という訳ですな。
溜まりに溜まった鬱屈を晴らす為、哄笑を獄内の壁と言わず天井と言わず柵と言わず反響させてやりたい欲求に駆られる。
だがしおらしい姿を見せておかねば、見張りの殿侍に疑いを抱かれるだろう。決まりきっているし分かりきっている事だ。しかしだからと言って、一気に没落の憂き目にあった憎き相手、己を認めようとせず利用価値がある『所有物』扱いした二人の父親を、此のまま放っておくなど出来ようはずもない。
――此奴らを、嘲ってやる。
そう、とことん、な。
選り取りみどりの獲物を前にした野犬のように、兆は、くく、と喉の奥で乾いた笑いを漏らす。
背筋を伸ばした兆は、まだ、気が付いていなかった。
いや、気にも止めなかった。
此の場に、一人、欠けている人物が居るのを――
そう、実の兄。
一門の長兄である、大保・受の姿がない事に。




