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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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22 罪と咎と罰 その4

22 罪と咎と罰 その4



 此処まで戰が威圧的に出るとは、思ってもみなかったのだろう。

 天と乱の顔ばせから、一気に余裕が消え去った。

「戰! 貴様、正気か!?」

「戰! 今、何を口にしたか分かっておるのかァ!?」


 同時に叫ぶ天と乱は、此の時ばかりは兄弟であり、且つまた同門であると実証するかのようだった。唾を飛ばし目を血走らせて鼻息を荒ぶらせる様は、流石は父を同じくし且つ又母は同門なだけの事はあり、瓜二つである。

 だが発情した猪豚宛らに喉の奥と鼻ずらを鳴らして怒鳴りたてる兄二人を、戰は冷ややかに見下した。

「聞こえなかったのか? ではもう一度言ってやろう。其の方らは我らが父にして偉大なる皇帝陛下の血筋を貶め、見下し、そして辱めるという大罪を犯した。その罪は万死に値する。故に罪に問う、と言ったのだ」

 戰の言葉は真冬に吹き荒ぶ雪嵐よりも凍てついている。

 身体しんたいのみならず魂までも凍えさせる何処までも冷え冷えと冴え渡る声音に、天と乱は、やっと自分たちが『』という龍の逆鱗に触れてしまったのだ、と知った。

 此れまで伏せた龍は岩戸と同じとばかりに、気の赴くままに蹴る殴るの暴行を加えて嘲ってきたが、其れは正しく、最強であるが故に迂闊に怒りに身を任せてすべてを滅ぼしてはならぬ、と相手が自らを強く戒めていた故の目溢しであったのだと、遅まきながらに悟ったのである。

 天の膝が内股に折れ曲がりがくがくと打ち合わさり、乱の奥歯が浮いてかちかちと高い音を奏でる。二人揃って、あわ、あわ、おふ、あふ、と意味のない言葉が口角に泡を噴かせる。どっと噴出した冷や汗が彼らの内なる恐怖の臭いを発散させていた。


「せ、戰……」

「戰、戰よ……」

「私の名を呼ぶ資格は其の方らには既にない。控えよ」

 何時もならば戰がこの様な威丈高に出られれば、瞬間的に沸いた湯のように激昂する処であるが、天も乱も、言葉が出ない。其々の母親が、ひぃ、ひぃ、と喉を鳴らしつつ息子の腕に縋ってくる。

「せ、せん、戰よ、何を言い出すのだ」

「な、なあ、戰よ。偉大なる皇帝、正しく父を同じくするのは我々兄弟同じではないか? 兄弟を貶め合うなど愚かな行い、常のお前らしくもない」

「聞いていただろう? お、お前の妃である椿姫の不貞を疑い訴えたのは大令・兆だ。わ、我々は奴の言葉を其の儘口にしたに過ぎぬのだぞ?」

「そうだ、そうだとも。禍国帝室の繁栄を知った実に喜ばしき誉れある日に、何を下らぬ事で麗しき兄弟愛を濁そうとするのだ? 母上、母上からも仰って下さい」

 浮き足立ち、兄弟揃って互いの袖を掴み合う。

 一歩、一歩、着実に此方に迫り来る戰の迫力に二組の親子は恐慌状態に陥っていた。騒擾そうじょうしたまま意味不明の言葉を喚き散らしている。


「そ、そうじゃ。郡王陛下、其方は敏い御方とつとに有名ではないか」

「兄弟であろう。なれば当然、兄弟愛があろう」

「そうそう、そうじゃ、此のまま不当な怒りに任せて事を起こし禍乱へと導くおつもりかえ?」

「しかも此処は、陛下の御父上、皇帝景陛下が何よりも愛せし王の間なのじゃぞ?」

「この大切な場にて擾乱じょうらんを起こそうとする気振りを見せるとは、平素の陛下らしからぬ。どうぞ、常の陛下にお戻り遊ばして」

「不敬・不孝を働く陛下はわたしどもとて見たくなぞありませぬ。何卒、何卒、お心平らかになされませ」

 寧も明も、我が子を胸に掻き抱き空涙を浮かべて懇願する。

 母の胸の中で天と乱は、蠅かぶよを追い払うように腕を振るうばかりだ。既に惑乱状態であり、戰の姿も正しくは見えてはいないのだろう。いや、見えていないと言うよりも見ていない。

 彼らの中では、自らが作り上げた空想の中の都合の良いの戰こそが正しい姿なのだ。

 地を割る青龍の如きに嚇怒に眦を釣り上げ、長く首を逆巻く玄武の如きに憤怒に沓音を高く踏み鳴らし、雷宛らの牙を剥く白虎の如きに憤怒を言葉の剣とし、怒気を炎として纏う朱雀の如きに威迫してくる、今の戰ではない。


「ど、どうか、どうか郡王陛下!」

「戰、戰!」

異人同辞に漏れる呟きに、遂に戰は、ひたり、と脚を止めた。

四人の顔ばせに、助かった!という気色が浮かぶ。しかし、戰は背後の克に静かに命令を下した。


「克」

「はい、陛下」

「火の用意をせよ」

「は!」


 火の用意をせよ! と克が背後に向かって雄叫びの如き命令を発する。

 克が火を求めて背から離れるのをちらりと見送りながら、戰は懐から晒と短刀を抜き出した。



 ★★★



「陛下」

 駆けていった克は、直ぐに戻って来た。

 片手に、王の間の入口に掲げられている灯火より移した火が先端に煌々と灯るばちを、反対の手には直径が2尺以上ありそうな大型の銅鑼を抱えている。肩越しに戰が頷くと克は目礼で返した。銅鑼を床に据えると、窪みの上にばちを置いた。

 ぼう、と唸りを上げのは、灯火の揺らめきに戰の怒りの焔も乗り移った故かと、見守る皇子たちは息を呑む。


 克が片膝を付いて銅鑼の中央で燃える炎を守るなか、戰はつかつかと脚音をたてて母親と抱き合う天と乱に近付いた。

 すらり、と音をたてて短刀を抜き身とすると、ひぎぃぃ! と天と乱は錯乱の極みの悲鳴を上げる。だが戰は構わず、二人の眼前に立った。

 短刀をかざすと、ゆらりとした動きで二人の兄の冠を横薙ぎにした。ばさり、と鷺か何かが羽撃いたかのように冠は遠くに飛ばされた。

 顕になった髷を戰は無言で掴む。喚き散らす兄に構わず、ぎらり、と光る短刀の鋒を入れた。

 ざくり、と音がして天の髷が、続いて乱のものも戰の手により切り取られた。

 皆が呆気に取られる中、戰は兄二人の髷を持って銅鑼を支えて待ち構えている克の元に静かに戻った。そして、炎を灯すばちへとやおらに髷を投げ入れる。一瞬の静寂の後に、ぼっ! と嘶きのような勢いのある音を上げて髷に火がついた。

 ぼうぅ、ごうぅ、と念誦のような唸声を上げて炎は勢いを増して行く。

 髪が燃える何とも言えぬ悍ましい据えた臭いが周囲に広がっていく中、戰は自らの手を、炎の赤が掌に乗り移りる寸前にまで落として翳した。

 訝しむ、というよりも明白に媚び諂いながら天と乱は、戰の一挙手一投足を凝視する。

 だが戰は兄王子たちの問いを無視し、抜き身とした短刀を器用に使い自らの爪を削ぎ始めた。ぴし、ぴし、と爪は跳ねながら炎の中に身を投じていく。栗の皮を火にくべて燃やした時とは比べ物にならぬ煙と臭気が棚引きだした。


「な、なに……を?」

「天、そして乱よ。此れで私と其の方らの血縁は断ち切られた」

 鋭く言い放つ戰の言葉に、天と乱はハッとなる。

 身体しんたいとは親より受け継ぎし器だ。

 宮刑の中で最も重い刑罰は死刑ではなく腐刑であるのは、父母より賜りし大切な器である身体しんたい永久に損ない、剰え血族を絶やす行為であるからだ。

 その大切な身体の一部を自ら落とし火に焼べるなどと、皇子としてあるまじき、まさに気狂い沙汰だ。

 だが戰が敢えて兄である天と乱の髪を切り、そして己の爪を割いて共に燃したのは、逆にこの炎によりお互いを繋ぐ唯一のもの、血縁という繋がりを絶つ意志の表れであったのだ。


 煙の中に潜み眼光を怒らせる戰の姿に恐怖し、居並ぶ皇子たちの中には恐慌を来たして反吐を吐く者や失禁する者が現れた。騒然とする王の間で、普段の温和で従容しょうようとした態度と振る舞い、泰然自若とした平素の戰からは想像も出来ぬ程、峻険しゅんけんたる声音が発せられた。


「最早我らは兄弟でも、況してや一門同族でも何でもない」

「せ、せんん~!」

「戰、せんよぉ!」


 涙と涎と鼻水と汗が混じりあったどろどろと照り輝く顔で縋る天と乱に、戰はにべもなく言い放つ。

「其の方らにの汚れた口で我が名を呼ばれる謂れはない。控えよ」



 ★★★



 戰の宣言が終わると同時に、砕け散れ、と言わんばかりの勢いで扉が開け放たれた。

 優が戻って来たのだ。

 優と共に刑部尚書平の姿もある。

 平の背後には刑部の監察方と、共に監察の仕事に励んでき御史大夫に率いられた御史台の精鋭が続いている。

 錚錚たる傑物揃いの顔ぶれに、肩までの長さになったざんばら髪を晒して天と乱は肩を寄せ合い、絶叫を上げる。互いに体重を掛け合った末に無様にも尻餅をついた天と乱の首を締め上げる勢いで、其々の母親もまた、言葉にならぬ悲鳴を上げつつ、ひし、と抱きついてきた。


「刑部尚書よ、何故お前が此処におるのだ!?」

「そ、そうだそうだ! 大保の屋敷に向かう御史を選出せんでもよいのか!?」

 最早問うても詮無き事であろうに、声高に叫ばずにはいられぬのだろう。乱が草の汁ほど青くさせた顔ばせに灰汁のような汗を滴らせながら金切り声を上げる。

「皇太子殿下と二位の君に御心配おかけするとは、臣、まさに恐悦の極み。なれども我が刑部、尚書たる我自ら指揮を取らねばならぬ程に材たる人物が足りておらぬ訳では御座りませぬ」

 刑部尚書・平は胸を張る。

 ――此処で少しでも役職疲れを醸すなど、しみったれた(・・・・・・)様子を見せれば末代までの恥だ。

 日陰者であった刑部が一代をかけて表舞台に出た瞬間を、平は正しく理解している。

 そう、今この場で誰に与し動くべきであるのかを。


「刑部尚書、役目御苦労」

 礼拝の姿勢をとり、は、と短く答える平の声にも合わせた腕にも踏みしめる脚にも、力がこもっている。彼に従ってきた刑部の面々もまた、同様だった。礼拝を捧げる腕の奥から、餌を前に垂涎三尺の獰猛な獣のように、ぎらぎらとしたで天と乱を睨み据える。

「偉大なる禍国皇帝・景陛下の血を正しく継ぎし我、祭国郡王の一門を怪訝狐疑かいがこぎせし罪、また其れを真実のものとして弘布ぐぶし意図的に貶めんとした罪に奴らを問う。刑部の名にて捕えよ」

「禍国帝室を卑しめし不埒者を此処に捕える! 神妙にせよ!」

 戰の命令に平が戦扇を振るうと、わっ、と一気に天と乱に目掛けて刑部の者が飛び掛った。

「せ、戰! たす、たす、たすけ・て、助けてくれ! 兄弟ではないか! 父を同じくする血を分けた兄弟ではないか!」

「そうだ、そうだ! われ、我々は兄弟の筈! ほ、本気で父の血筋に手を挙げるなど愚かな振舞いは致すのか!?」

 唾を飛ばし、目玉を剥いて天と乱は喚いた。

 そして母親の腕から飛び出て戰の足元に縋り、大仰に泣きながら平伏し額を打ち付け始めた。

 石で頭骨を割る勢いで天と乱は額を打ち付け続ける。ざんばらになった髪を逆立てて狂乱する二人に、母親である寧と明も従った。爪を床にたてながら流れる涙を袖で隠そうともせず、どうかお助けを! 兄弟愛をお示し下さいませ! と叫び続ける。

 岩に食いついている貝かなにかのように、二人は戰に助けを求めて縋ってへばり付く。

 しかし刑部に属するとは伊達や酔狂などでは務まらないのだ。兵部に匹敵する屈強な男たちの手が束になってかかってくるのだ、しかも加減など微塵もない。天や乱程度の腕力でどうして太刀打ちできようか。忽ちのうちに引き剥がされ、手首を取られたかと思うと一気に腕を背中側に捻り上げられる。女性的な甲高い悲鳴をあげつつ後ろ手にされた天と乱の手首と腰に、容赦なく縄目が掛けられていく。

 二人の兄を冷ややかに見下しながら、戰は、刑部尚書・平に向かって、連れて行け、と短く命じた。


「戰! 貴様!」

「おのれ兄を何だと思っておる!」

 戰の口から無情の言葉が発せられた途端、天と乱はそれまでの殊勝な姿を一気に脱ぎ捨て、腹を空かせて発狂寸前の獰猛な野犬のように涎を垂らしながら、その襟首に二人して飛び掛った。

「私の名を、汚らわしいその口で呼ぶなと命じた筈だ」

 だが、戰の腕が横に一閃すると、肥え太った二人の兄の身体は、まるで鞠のように放り投げられた。2けん近い距離をすっ飛んだ天と乱は、磨きぬかれた床に腹を滑らせて更に遠のく。やっと止まった頃には二人揃って目を回して、呻き声も出せずに腕や脚を絡ませあって奇怪な肉団子、いや地上に放逐された普段は土中にあるいもむしの如くに、おぅおぅと悶える。

「何度言っても理解出来ないのならば、覚えるまで何度でも言ってやろう。私と其の方らは、最早、兄弟でも肉親でも、同門ですらない。私は皇帝・景陛下の血を引く皇子・戰であり、其の方らは愚かにも皇帝陛下の血筋に仇なした不義不忠不孝者の只の兄弟罪人。其れだけだ」


 優と平の瞳に、積もり積もった鬱憤が遂に晴らせる瞬間が来たこの日を喜ぶ輝きが走る。

 ――其れでこそ! お仕えせんと魂に誓った甲斐が御座いました!

 ――この瞬間を何れ程待ちわびたか! 御礼申し上げますぞ、陛下!

 誰にも頼る者がおらぬからこそ、まことに仕えるべき勇者居らぬからこそ負けられず、結果、歴戦の猛者となった男と、同じく味方が居らぬからこそ苦心惨憺を舐めようとも諦めずに粘りに粘った苦労人の男は、同時に胸の内で喝采を叫ぶ。


「連れて行け!」

 平の命令に、監察方と御史台の面々はまるで野原を飛び跳ねる仔兎のように喜々として従う。

 苦笑しつつも、今の平は渋面を作る事もせず、彼らのしたい様にさせた。

 此れまで如何だけ辛酸を嘗めてきたか。

 反吐を吐く思いを飲み込んで来たか。

 積もりに積もった鬱憤が一気に爆発するのを見逃すのは、薄給にも耐え忍んでついてきて来てくれた部下を思う平の感謝の気持ちだった。

「来い!」

 大っぴらに天と乱を小突き回しながら、御史大夫が命じる。

 平が腕を上げ戦扇を示すと、天と乱を拘囚人とする為に巨大な酒樽の蓋程もある首枷が持ち込まれた。縄目だけではなくなく首枷を用意された。つまり、罪人として最も重い咎めを背負っているという証だ。

 直径が3~4尺はあろうかという首枷は黒々とした重い色を放っており、見ている者の心を奈落へと引き摺り込む。首枷が、がぱり、と音を立てて、蛇、いや龍の口のように広げられると、天と乱は逆上と狂乱の極みに陥った。

 だが、譫妄状態のまま暴れだした天も、激昂して発狂状態で喚き散らす乱も、此れまでの人生の中で一度たりとも真面に剣術や体術の鍛錬などして来なかった。情けない怠惰な生活を実証するかのように、監察方が刺股を一度振るうだけで、床に突き飛ばされ身動きを封じられた。みっちりと腹の肉に刺股がめり込み、二人揃って夜泣き鴉のように悲鳴をあげ続ける。


「助けて! 助けてくれ! ちゅ、中叔父御!」

「早う我を助けぬか! えぇい、何をぼう(・・)とつったっておるのだ大司徒!」

 腕を伸ばせぬ二人は、亀のように首を伸ばして今度は後見人である叔父たちに救いを求める。が、既に時は遅かった。大司徒・充も帳内・中も、後ろ手に手首を縛られが掛けられ首枷を締めるかすがいが打たれている処だったのだ。更に一段重い罪として、彼らは縄ではなく刺のある鎖を使われている。

「静かにせぬか、見苦しい」

 天と乱の腕が背後に捻り上げられる。

 ふおおぉぉっ! うああぁぁっ! と言葉にならぬ叫び声を発してのたうち回る。腕にみっちりとした縄目の重みを感じだ二人は、また叫ぶ。

 無様な、と平は目を眇める。

 そしてふと、犬が何かを堪えるかのような荒い息遣いを耳にして、そっと横を見る。其処には、大司徒・充と帳内・中が鎖の棘により血を滲ませる様を見守り、激しく上下する優の肩があった。


 ――其方もよくぞ此処まで堪えたな、兵部尚書。

 何度煮え湯を飲まされ続けた事か。

 門閥貴族の出自ではなかった。

 出世の為に彼らの不正に眼を瞑らなかった。

 更に己の立身の為に金も女も媚も捧げなかった。

 ただ其れだけで、何十年もの間、不毛な政争に明け暮れなければならなくなった。


 だが、その苦い日々も今日で終わるのだ。

 直接的に政治の舞台で対峙する事が多かった分、優の胸に去来する思いは何れ程であろうかと、平は目を細めた。



 ★★★



「大司徒・充。帳内・中」

 兄二人が姿を消し、その母親たちも引っ立てられて行くのを見届けると、戰は大司徒たちに向き直った。


「禍国帝室の皇子にして祭国郡王・戰の名において、其方らを罪に問う。先ずは我が父帝より受けし恩寵と加護の賜物である三槐さんかいの長、大司徒の地位を剥奪する。帳内については仕えし皇子・天が罪人となった今、その地位はないものと覚えよ。また、大令・兆に付いても地位を剥奪し審議にかける。刑部尚書よ、大令の元にも御史台を遣わせよ」

 礼拝と共に、は、と短く答える平の頭上に唾吐く様に、大司徒が舌打ちした。

「其れはまた異な事を仰る。喩え郡王陛下と云えども我ら臣の進退を決するだけの権力は有されておられぬ筈。成る程、我らが陛下の御血筋を汚す言葉を吐いた事は事実として曲げようが御座いませぬ。然れども、陛下におかれましては、些か出過ぎた行為ではありませぬか?」


 この王の間に在る皇子や王子たちは、己の息が掛かった門閥の母とする者が主だ。

 いざ、となれば我が方に味方するに決まっているのだ。

 幾ら先帝の血筋を頼みに勢いついて責め立てしようとも、多勢に無勢となれば引かざるを得まい。

 ――たかが一属国の、楼国程度の王家の血筋を誇りとする下賤の血を引く皇子が私に楯突き、剰え、我が一門の活殺自在、進退を仕切らせてたまるか。

 大司徒として一門の家長となりて何十年、政界の頂点に君臨してきたと思っているのか。

 星の数程の政敵を屠ってきた。

 立場的にも実質的な意味でも、だ。

 己あってこその一門、引けば禍国開闢以来の名門が閉じ、我が家門なくして禍国帝室は生きながらえる事は叶わぬとの自負がそうさせてきた。

 一門の進退は禍国の命運と知ればこそ、私は権力を一手に握って離さなかったのだ。

 ――私の地位を追う者は何人なんぴとであろうとも許さぬ、断じて許さぬ!


 地位と名声は家門と血筋にこそ寄るべきものだ、との信念を掲げた大司徒・充の鬼気迫る威圧感は、流石、何十年とまつりごとの頂点に立ち続けてきた老獪な強者だけの事はある、と優と平ですら刮目せざるを得なかった。

 だが高圧的に胸を張る大司徒の迫力に、其れまで浮かれるように縛に付かせんとしていた刑部の者たちは心胆を奪われた。う、ぐ、と息を呑み我知らぬうちに男たちが後退りするのを充は見逃さず、若造めが控えよ、と怒号を放つ。積み上げてきた政争相手の死屍の年輪が、勇健を誇る御史台の男たちの自由を枷替わりとなって奪い、益々身体を強ばらせていく。

 部下の不甲斐なさを嘆きつつ、命令を下そうと平が一歩前に出ようとする。

 と、仰ごうとした戦扇を、誰かに押さえつけられる。不信がって手から腕を伝って人物を確かめれば、其れは戰であった。慌てて平が控えようとすると、戰は構わぬ、と短く命じて下がらせる。


「郡王陛下。何卒、お答えを」

 威を張る大司徒に、戰は微塵も表情を動かさない。

「成る程、確かに私より高位の義理兄上あにうえたちを差し置いて身に過ぎたる振舞いと捉えられなくもない。だが」

 見るがいい、と戰が視線を巡らせた。

 充と中が、思わず動きに釣られて先を追う。

 そして目が釘付けとなる。

 言葉を失い立ち尽くす。

 視線の先には、先程、戰が用意させた銅鑼に、我先にと髻や爪を切って落とす皇子たちの姿があった。皆、必死の形相だ。髪の塊が落とされる度に、ぼう、と炎が唸りを上げ、爪がくべられればぱちぱちと火の粉が飛び爆ぜる。


「き、貴様ら何をしておる!」

 何をしているもない。

 一目瞭然だった。

 皇太子・天、二位の君・乱との血縁けちえんを捨てた皇子・戰に習ってみせる事で、彼らは自分たちの御旗であった大司徒・充を捨てたのだ。

 ぎりぎりと腕に喰い込んでくる鎖の痛みなど、怒りがかき消していた。

 唇の端から血を流し、顳に濁流の如きに畝ねる血管を浮き上がらせ、眉間に深い皺を刻み白目を充血させて小鼻を開き、息を荒げる。


「おのれらぁ!」

 だがどんなに鬼の形相をしてみせようとも、怒鳴り散らそうとも、誰ひとり、充を振り返らない。

 逆に、こそこそを戰を仰ぎ見て、いい加減でこの茶番の終息を、と暗に急かしている。

「連れて行け」

 刑部尚書・平の命令に、やっと御史台たちは動きを復活させた。

 天と乱が消えた先に、充と中も引き摺られて行く。

 飲み込もうとする先に在る破滅が急激に臓腑を抉りだし、充と中は共に吠えた。


「郡王! 覚えておけ! 此れで終わる思うな!」

「必ずや、必ずや貴様を追い落とす! 待っておれ!」


 沓裏を床に擦らせて痕を残すという、最後まで不埒な充と乱の脂肪のついた背中を、戰は冷やかに見送った。



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