4 即位戴冠 その2
4 即位戴冠 その2
即位の大礼の儀式は、滞る事無く粛々と進んでゆく。
祭国の女王が、禍国の祖先を祭る廟の前で、即位の儀を執り行う。
これほどの国辱的行為はあるまい。
しかし、ものは考えようだ。こと、祭国程度の国が禍国という強大な国の後盾をえたのだという、これは強烈な示威行為とも言える。祭国に手を出そうとする国は今後、即ち禍国と事を構えるのだと心得よ。そういう事だ。
今の祭国の脆弱さを補うにはこれほどの手段はないし、決断を下した椿姫、否、椿新女王の慧眼を褒め称えるべきだろう。
正しく虎の威を借る行為だと蔑まれたとしても、女王である己が屈辱に耐えるのみで、国は民草は安寧を得るのだ。
真は、それでも最後まで、これは父への不徳では、と己を恥じる椿姫に、すらりと言い放った。
「祭国の人々には、この挙を順大上王が愚と見るか賢と択するかなど、実は全く関係がないのです。女王陛下、陛下の見守るべき輩を早速誤ってはなりません」
祭国の人々にとっては、最早、新女王となった椿姫がいかな仁政を施してくるのか・というこの一点に、期待という視線は集中している。
女王が、親に不徳をなしているのか気に病む人間は、少数ながらも当然いることだろう。しかし、そこを追求してくる人間はまず皆無だ。
否。
そんな事は、祭国に限って言えば国を営む上で必要がないのだ。それ程に、椿姫の父王・順は、過去の人に成り下がり、人々にとっては記憶の淵に苦い色を浮かべる程度の王だったのだ。
これまでの愚政の責任は、順大上王が自ら引き受けるべき事柄であり、椿姫の責任などではない。
「もしもお父上に対して、責任を負わねばと思われておられるのでしたら、先ずはご自身が善政を貫く事をのみ、純粋にお考え下さい。お父上の治政の元で、民草が背負わされた疲弊と心労を取り去られる事を、真に願われて下さい。お父上を心配する暇があられるのでしたら、その寸暇をすら、国の為にお使い下さい」
椿姫は、真の言葉に、漸く頷いた。
それで祭国が上手くまとまるのであれば、新しい世の中の為に、どんな手も借りようとしたのは誰?
自分自身ではないの?
『禍国』という虎の威を、借りようと決めたのは、何の為に?
祭国の為。決して自分の為ではないわ。
自信を持とう――祭国の為に、最善たれと決断した自分に。
何よりも、『虎』であろうと、共に祭国に発つと約してくれた人は、実に自分などよりも祭国の為に尽くしてくれている人なのだから。
何を哀しむ事があるというの?
大礼の儀式の最中、自然と溢れる椿姫の笑みは文字通りに神々しさにあふれ、列席する人々の感嘆の吐息を誘った。
★★★
即位の大礼が無事に済むと、続いて、戴冠の儀式と相成る。
大礼の後に一旦外された戰の冕冠と椿姫の宝冠は、厳かに紫紺の座に鎮座し、儼乎たる様にて皇帝・景の玉座の間に運ばれて行く。
その後に威風堂々たる戰と 婉美絶佳な椿姫が続く。
厳然と佇む王の間の扉が、ゆるゆると開かれる。
玉座。
この禍国の頂点に座る皇帝・景の姿が、戰と椿姫の眼前に現れた。
皇帝・景。
即ち禍国の頂点に立つ人物であり、戰の父親。
至尊の君に拝礼する。
差し出された紫紺の座に据え置かれた冕冠を無造作に手にすると、皇帝・景は無言で、息子である戰の頭上に冠を被せる。そのまま、宝冠にも手を伸ばすと、やはり無表情なまま、椿姫の頭上に投げるように冠を据える。
響めきが起こる。
皇帝・景が、戰に被せた冕冠の纓に手を伸ばさずに放置したままなのだ。この纓を結ってこそ、皇帝に認められたという証明になるというのに、何ということなのか!?
有り得ない事態にざわめきが生じかけると、つ・と椿姫の細く白い指先が戰の顎の下に伸びた。皆の視線が集中する中、椿姫が戰の纓を形よく結わえつける。まるで当初からの取り決めであるかのような、自然な、それでいて甘い動きだ。
戰の腕も椿姫の頭上に伸び、彼女の額に据えられた宝冠の横に流れる草花飾を、指先が正しく垂れさせた。しゃらり、と装飾が触れ合う音が厳かに響く。
二人の動きは迷いなく淀みなく、共に祭国を統治する者としての、決意を表す作法のように伺えた。皆が見惚れ嘆息するなか、皇帝の背後に控える内官たちが一様に縋る様な、感謝の視線を椿姫と戰とに向けてきた。
皇太子・天も乱皇子も、二人が新たな礼法の則ったのだと勘違いしたのか、不機嫌そうな顔つきで戰を睨むばかりで、玉座の前でどのような恐ろしい葛藤が生じたのか気がついていない。
ほっと戰は内心で安堵の息を吐いた。
皇帝・景は、その後全く表情も変えず、微動だにしない。己が何という失態を為出かしたものか、理解もしていないようだった。
★★★
共に再礼し、何事もなかったかのように、戰と椿姫は共々に皇帝・景の下段に据えられた座に招かれ、腰を下ろす。
ふと、空気が揺れているのを感じ、戰は椿姫の様子を伺った。流石に出過ぎた行為であったかと、緊張を隠せず、表情を固くして額に汗の粒を光らせている椿姫がいじらしく思えた戰は、密かに、机の下で彼女の白くなるほど血の気の引いた手の上に、自らの手をあてがった。
一瞬の瞬きで、其れまでの重い緊張の糸を、驚きと喜びに震えて解いた椿姫は、表情を和ませた。和らいだ頬は、華やかに色付き、集まった使節団の目を引きつける。
俯き加減の椿姫の横顔は、緊張は残っているがそれはこの式を無事に乗り越えねばという決意にすり替わっている。
良かった、と安心した戰は、ぽんぽんと軽く椿姫の手を叩くと手を膝に戻し、胸を張る。
そして今度は、ちらりと最上段の玉座に座する父である皇帝・景に視線を走らせる。今の皇帝・景は、無表情、というよりは、無感動というべきだろうか、感情というものが欠落した状態だった。
父上は、式典の進行を正しく行えぬ程、既に何処か尋常でなくなっているのか?
もしもそうであるのならば、この先、ますます兄弟たちの熾烈な権力闘争の嵐が宮殿内で吹き荒れる事になるな、と他人事のように戰は思った。
このような逼迫した只中に、郡王となるのに、戰は何の緊張感も高揚感もなかった。禍国において、他の兄弟皇子達に抜きん出て、遂に出世の第一歩を踏み出したのだという、喜びも、またない。
真と時に「この服を脱ぎたい」と言ったのは、本心だ。
戰は景に、父親としての畏敬の念も皇帝としての畏怖の念も、微塵程も抱いた事がなかった。だから、曲りなりにも父に『認められた証』である冕冠と袞衣に身を包むことに、心は何も感じないのだ。浮き立ちもしなければ、品位を理由もなく下げられた事に対しても、父に対して国に対して、嘲笑う兄弟たちに対して、何の感情も抱かない。
ただ、己を政治的に利用して、共に立つ椿姫を傷付けられた事に対しての、深い憤りしかない。
それだけだ。
それを真に見咎められはしないかと内心ひやひやとしていたのだが、彼は何も口にすることはなく、座を和ませてくれただけだった。
いや、もしかするとあれは真なりに気を使ってくれたのかもしれない。
自分はどこかおかしいのだろうか?
幼い頃から時折、恐怖を持って感じることが、実は戰にはあった。
禍国の皇子として生を受けておきながら、まるでこの国を愛せないのだ。
兄弟皇子たちがこぞって皇帝である父の覚えを良くし、出世に躍起となる様が理解できなかった。皇太子となり、至尊の君と呼ばれる父の跡目を継ぐのは自分であると事ある毎に争議を起こすのが、理解できなったのだ。
ただそうして、ぼんやりとしていては命を危うくする、母上のお血筋を疎ましく思う下衆な輩は多く、貴方様を亡き者にせんと爪と牙をといでおる、それを交わす術を身につけねばと、幼い頃に師匠として付いてくれた居士の一人が教えてくれた。身を潜め息を殺し、しかし侮られる事のないように体格の良さを生かして鍛える事を忘れずにいよとの教えを忘れたことはないし、それなくしては生き延びてはいないと感謝もしている。
母の血筋が起因して蔑まれる立場だったから、素直に愛せないでいるのは確かではあるが、それだけとも断言できないのだ。
どうして愛せないでいるのか、本当のところは自分にも定かにできない。
というよりも、他に深く愛すべき対象があるから、と言う方が正しいのかもしれない。
見た事もない、降り立ったことすら、遠く遥かにのぞむことすらできない、母の国・楼国。亡き母の祖国である、その楼国こそが、己の根幹なのだと自然と思えて甘い望郷の念にすら囚われてしまうのは、本当に何故なのだろう?
理屈でなはない。これは本能なのだ。
ああ、だからだろうか?
今この時より、自分は禍国の皇子ではなく、祭国郡王として世に出ることになる。
祭国と楼国は近い。郡王として屯田兵を率いる以上、当然の事として、迫る剛国及び蒙国といった騎馬軍団を懐に抱える諸国の驚異より、楼国警護の任も何れ担うことになるだろう。今は、それが祭国を守る事と同等に、嬉しいのだ。禍国で出世する事など思いもせずに己を守るためにものんびり過ごしてきた。
が、これだけは譲れないのだと、包み隠さず己の本心とはこうなのだと明かしたら、何を愚かしい事をと受け取られてしまうのだろうか?
――真、君は笑うかい?
冕冠から垂れる旒に表情を隠しながら、戰は式に臨んでいる。その彼の横顔を、椿姫だけが時折、心配そうに伺っていた。
★★★
荘厳華麗にして威容美麗なる式典の初まりを、百八の銅鑼の唱和が即位の大礼と同様に伝え始めた。
皇帝・景の下段前列に座した、祭国の新王として即位した椿女王。
同じく新たな直轄領となる祭国郡郡王を拝命した戰郡王。
これより、双方に慶祝の辞を順に述べ奉祝の儀礼を進めていくのだが、それはその席次で決まる。
そして今、列席した諸国の王や使節団は皆一様に固唾を飲んでいる。
席次を公表されて一番に、剛国王・闘と露国王・静の諍い――正しくは彼らの従者による争いが、そこかしこで発生した。
当然だろう。
国力で言えば、露国は剛国に傅き、伏侍せねばならぬ程の差がある。しかも先頃まで、剛国に一方的に攻め立てられており、剛国が引き際を見事にしたからこそ戦火に燃えずに済んだだけの事、その程度の国が、一番の栄誉を剛国を押しのけて得たのだ。
そして此処において、遂に爆発した。
剛国王・闘と、露国王・静。共々にこの式典に姿を現さず、彼らの為の席は空座のまま、虚しく冷えたままなのだ。
――確執が生じるのは必定。悶着が起きぬ方が、どうかしているというものだ。
何の感情も見せぬ、のぺりとした無情な顔付きで、乱は心の中の大笑をかき消していた。
乱の冕冠は諸侯相当として旒七連・計十四、青玉168珠の旒、袞衣七章の刺繍が入っている。戰が郡王に封じられれば、自分は風下に立たねばならない。
そんな事は許されない。
たかだか四品の美人如きの母から生じた弟が、正一品の貴妃を母に持つ自分の上位に成り上がるなど、許されてたまるものか!
皇太子である天を焚き付けてやれば、直ぐに乗り気となり、皇帝の尊意だとして戰に下される礼装を下品のものと定めさせた。実に上手く掌で踊るものだとせせら笑いながら、横目で上座に位置する兄皇子・天を横目で見る。皇太子として、更に上位の九連・計十八、白玉216珠の旒、九章の刺繍の入った袞衣を纏った兄は、血走った白目に狂気を宿している。
明らかに、この事態を楽しんでいるな。
もしもなにか咎め立てられるとしても、最終的に責任を被るのは自分だと思いもせずに、何をそのように暢気に構えていられるのか。だが、その馬鹿さ加減こそが、自分を救い高めてくれるのだ。
そして、空座となった二人の席に、視線を定めて身動ぎせずにいる、戰に視線を向けなおす。
なあ、御立派に出世なされた弟御よ、この事態、どう収めたもうたものであるのか? 見せてくれ、見せてくれよ、さあ早く!
叫びだしたい程の喜びに浸りながら、爪を噛みかけた乱の耳に、新たな銅鑼の音と鐃鉢(シンバルの事)、喇叭、太鼓・鉦鼓の音が華々しく響く。
何事かと首を左右に振り、音の元を探る乱の眼前で、扉が開かれる。
言葉を無くし、息をする事すら不可能となる。
乱は、それ程の衝撃を受けた。
彼の目の前に、二人居並び開け放たれた扉に佇む、剛国王と露国王の姿が写っていた。
★★★
剛国王と露国王の間から、ぬっ・と鎌首をもたげる様に、黒い塊が鼻息も荒く現れた。
まるで闘牛のように立派な体格の、真っ黒な馬だ。
轡もはめず鞍も置かぬままの若駒は、だが口に太い縄を咥えていた。その縄の先には人一人がすっぽりと入る、見事な装飾を施された巨大な木箱が括りつけられている。
黒馬が、張りのある筋肉をびりびりと唸らせて、一歩踏み出す。
大理石の床が踏み砕かれるかのような衝撃音が響いた。
いや。実際に罅が走る。
王の間に戦慄に似た、緊張に空気を尖らせた響めきが走る。
だが、剛国王・闘は、ふふんと軽く笑うと、その若駒の尻にぴしりと一発平手を喰らわせた。途端に前脚を高く掲げて反り立ち、黒馬は高い嘶きを張り上げて首を胴を震わせる。まさに文字通りの激震と言って良い。
嘶きながらも縄を離さなかった黒馬は、稲妻のように一直線に駆ける。相当に重いはずの木箱が、がたがたと音高く不平を漏らしつつ大理石の床を削る。
流石に叫び声を上げ身体を避けかけた椿姫の前が、突然暗くなった。見上げる程背の高い戰の身体が、彼女の前に立ちはだかっている。一瞬振り返り、椿姫だけに分かるよう、優しく微笑むと戰は袞衣の長い袖をはためかせ、落ちるように駆け降りた。このような時であるのに、体温が上がり心の臓の音が喜びに飛び跳ねる自分に椿姫は頬を赤らめつつも、それでも戰の背中を熱く見守る。
戰が壇上から降り、猛り狂う黒馬の前に降り立つと、馬は更に興奮の色を強めて嘶きを発した。棒立ちになり、振り上げた前脚が戰の頭上を目掛けている。
当初呆然となっていた乱であったが、事の成り行きに喝采を贈りたくなった。
――良いぞ、そのまま足を振り下ろし、奴の脳天を蹴り砕いてしまうがいい!
握り拳を作りつつ、親指をがりがりと噛む。そのまま、馬の蹄が鉄槌となって戰の頭を熟れた柘榴の実のように裂ける様を愉しもうとして、乱は目を剥いた。
馬が棒立ちになったまま、動きを止めている。
ふーふーという荒くれた息遣いを、涎を垂らしつつ吐く黒馬は、ぎろぎろと目を怒らせつつも、戰という存在に恐れを抱いて動きを止められているのだ。
その猛々しさから到底想像も付かないが、基本的に馬は臆病な性質を持つ。つまり自分よりより強い生物を的確に見分けて、生存し続けるために荒々しく出るだけの事だ。そしてこの黒馬は、戰が己よりもより絶対的な強さを誇る存在と認めたからこそ、動きを止めた。
戰が腕を伸ばし、瘤のように隆々と盛り上がる筋肉で覆われた首筋に手を充てがうと、黒馬はくわっ! と目玉が溢ればかりに目を見開いた。そのまま、ずん! と地響きをたて、前脚を床に叩き付ける。蹄の形に床が抉り取られ、飛沫が鉄粉のように飛び散った。ぐふぐふと唸りながらも、黒馬は首を下げ、戰の肩に鼻ずらを擦り付けて甘えだした。生暖かい野獣の粘ついた息遣いが、戰に纏わりつくようだ。
黒馬は、戰に敬意を表していたのだ。
どうあがいても適わぬ相手と認め、戰に対して屈服の意を表し、甘える表情を見せているのだ。暫くの間、黒馬にさせたいようにさせていた戰だったが、馬が、がっがっと引っ張ってきた木箱を蹴り手繰る様子を見せたのを機に、手を離した。木箱に視線を移す。
「お待ちを」
剛国王と露国王が静かに二人並んで玉座の前に歩み寄っていきていた。静かな声音は、無論の事、闘のものではなく、露国王・静のものだ。
まるで互いに心中を図ったかのように、ぴたりと息を合わせて二人は玉座に座る皇帝・景に向かって最拝礼を施した。
この騒ぎの中、ただ一人、浮き足立つことなく腰を据えていたのは、この皇帝・景のみだ。それを流石と見るべきかは別の問題として、剛国王・闘と露国王・静は動きを同じくして皇帝に敬意を払った。
露国王・静がくるりと戰に向き直り軽く会釈してみせると、つかつかと木箱に歩み寄った。
自らの手で封印を解き開ける。
中には、主身より互い違いに三本づつの枝刃を出した七曜を象った、黄金を箔した七支刀と、やはり中心に七曜を司る七つの突起を聖獣により護らせた紋様入りの七子銅鏡とが、収められていた。
露国王は、静かに身を屈めて七曜七支刀と七子銅鏡とを手に取ると、やはり清水が流れるような静けさで立ち上がる。
拝礼の姿をとりつつ、七支刀と七子銅鏡を戰に差し出す。
戰が壇上の椿姫を振り返った。言われるまでもなく座から降りると、椿姫は戰の傍らに寄り添うように立った。
戰が七曜七支刀を、椿姫が七子銅鏡とを受け取ると、馬が雷鳴のような嘶きを上げた。忠実な臣下が、敬愛する主君に対して慶びを表しているかのように。
「此度、新たなる王として即位された椿女王陛下、我が露国よりは予てより両国の友好の証として幾度も交わしあってきた、この七子銅鏡とを贈らせて頂く。また、新たに産まれた隣国の郡王となられる戰郡王陛下には、治世健やかなるを願い七曜を司る七支刀を贈らせて頂く」
「痛み入る、露国王」
七支刀を手に、戰は短く応える。
その二人の間に、剛国王が割って入った。
「我が国からは祭国郡王、卿にこの汗血馬を贈らせて頂く。稀代の名馬の相を持つ馬でな、千段を組む石段の崖上に立つ寺にまで、一息で駆け上がる程の胆力を持っている」
「そうですか、それは素晴らしい」
「だが何しろこの図体だ。でかい上に馬力が有り過ぎて誰も御す事ができない。今の今まで役立たずの駄馬扱いでな、何しろ、産まれてから一度も、鞍も鐙も身につけさせた事がない」
「そうですか、それは面白い」
戰の答えを、豪快に剛国王は笑い飛ばす。
「しかし、祭国郡王よ。卿はただの一撫でで、この暴れ馬を落ち着かせた。卿ならば、この荒くれ者を乗りこなせるやもしれぬな」
剛国王の言葉に、戰は冴え渡る青空のような一片の曇りのない笑顔で応えると、七支刀を手に、ひらりと黒馬に跨った。黒馬は、六尺三寸を優に超える戰の巨躯を支えて微動だにしない。
だがしかし。
戰を背中にいだいてより、黒馬の黒曜石のような瞳が一層輝きをました。
逆巻く雲海の如き鬣が、走る雷雲の如き息遣いが、厳しくそびえる杉の木のような耳が、脈動する筋肉の張りが、この巨漢の黒馬を興奮させているのだと伝えてくる。
己の主に相応しき漢との出会いに、獣ながら感動に震えているのだと。戰がその興奮を宥めるかのように、首筋を撫でてやると、黒馬はぶるる・と首を戦慄かせた。
「素晴らしい馬だ。見ての通り、私も巨漢を持て余すはみ出し者だ。どうも通じるところを感じ取ってくれたものらしい。有り難く、頂戴しよう」
「そうか、それは良かった。こちらも厄介払いができる」
豪快に笑う剛国王の高らかな笑い声が、王の間に響き渡った。
纓
冕冠という中国の皇帝や、卿以上の身分の諸侯たちが被る冠を縛る紐のこと、と覇王では定めてます




