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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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21 魔窟 その7-1

21 魔窟 その7-1



 躊躇も何も無く振り抜かれた棍棒は、真の身体を強かに打ち据え、文字通りに吹き飛ばした。打たれても、しかし真は叫び声すら上げなかった。床の上を滑る様にして流れていく真の身体を、鷹がにやにやと下卑た笑いを浮かべながら、足蹴にする。ごろり、と真の身体がもんどりうつ。

 今まで滑って来た方に反転する形で転がされた真は、漸く動きを止めた。


「真さん!」

 俯せに倒れた真に、白の悲鳴が覆い被さる。が、真はぴくりともしない。呻き声すら発しない。垂れている長い前髪から僅かに覗く目が、半分白眼をむいている。

「嫌や、真さん! 目ぇ開けて! お願いや!」

 長い裳を引き摺って駆け寄ろうとした白は、間に割り込んで来た鷹に睨まれた。

だが白も、涙で白粉の剥げかけた目元を負けじと釣り上げて睨み返すが、鼻で嘲笑された。

「何だ、生意気にも娼妓何ぞと知り合いだったのか。……まあ、何だ? 幾ら元が姫であろうが子供が室ではの処理もままならんだろうからなあ? まだ自分が子供じみた面付きをしておっても、此奴も男だった、という事か」

 蔑みの目で鷹は真を見下ろし、唾を吐きかけた。前髪に、べちゃ、と粘着質な音が張り付く。

 白の頬に化粧では表せない赤味が強くさし、肩がわなわなと震えだした。


「何するのや! あんたさん、仮にも真さんとは兄弟やないのんか!? 其れが血の通ったもん同士がする事なんか!?」

 掴み掛かろうとする白の頬の上で、乾いた音が鳴った。高い悲鳴が上がり、裾を乱して白が前のめりに倒れる。

 だが、彼女の背中の帯の膨らみの向こうに受の姿を認めると、流石に鷹の顔が強張った。然し受は、凭几ひょうきに寄り掛かった姿勢を些か崩すこと無く、平然としている。

 音を上げた頬に手を当てて白が呆然する中、受は静かに鷹を見上げて、睨めつけた。


「其の方。我が弟である大令に仕える右丞であるな。我が屋敷に何用だ」

「……無礼なる振る舞いを致しましたる事、誠に慚愧の念に堪えませぬ。為れど大保様に、此の愚かしい振る舞いに至りし理由はお教え出来ませぬ。平にご容赦を」

 言葉だけは丁寧に、だがしかし、鷹は明らかに受を見下して言い放った。

 ほほぅ? と受は鷹の余裕を逆に褒める様な素振りを見せた。

 が、其れも一瞬の事だった。

 凭几ひょうきを腕で殴る様に払い飛ばすと、受は、すらり、と立ち上がった。霊鬼のような異様な凄みに、鷹を筆頭とした一同が同時に後退りし生唾を飲み下す。

「其の方の異腹弟である真は私の正式な客人として共に茶を喫し持て成している最中であったのだ。其れを、其の方らは踏み躙り私の世評を貶める行為を成した。此の責任をどう取るつもりか。申すがよい」

「な、何と!? い、いや、し、しかし、そ、の、其れは……」

「事と次第によっては許さぬ」


 一歩も退かず、そして強気の態度を崩さぬ受に、鷹は怯えを抱いた。

 ――だ、大令様にお伺いしておった為人と違うではないか!?

 難事に際しては常に吃が出、挙動が追い付かぬ凡庸な御方だと仰っていたではないか。

 そ、其れなのに、この腹の底から迫る力は、何なのだ?

 じわじわと、脂汗が全身を隈無く覆う。大保の底光りする眼光から逃れたい。

 だが、迂闊に目を反らシなどしたら、何が起こるのか。

 想像が付かぬ危疑が鷹の足首を掴んでくる。


「答えよ」

「た、大保様の御怒りは御尤もにて、弁明のしようが御座いませぬ。なれど、私は私の上官である大令様の、我が弟を捕らえよという御命令を遂行する為に此処に罷り越しまれ御座います」

「ふむ? 我が弟が其の方の弟を、とな? 如何なる理由か」

「そ、其れは申し挙げられませぬ」

必死で弁明に尽くす鷹に、そうか、と受は素直な返答を返す。

「残念ではあるが、そういう事もあろう。解った、深く詮索はすまい」

「た、大保様におかれましては、御理解が早く有難い事です。では、我々は目的を果たしましたので、此れにて失礼致します。騒がせました無礼は、後ほど改めて謝罪に参りますれば」


 喰いつき掛かりそうな眼光であったくせに、あっさりと引き下がった受に、鷹は微塵の疑いも抱かなかった。否、抱く余裕がなかった。

 此の場から離れられる、と明白にほっとした様子をみせて、失礼致します、と鷹は受に礼拝を捧げた。彼に従って来た者も同様に、礼節正しく、受に礼拝を捧げる。だが彼ら一行の中で一人、巨大な、そう人一人がすっぽりと丸ごと入りそうな菰を引き摺ってきた男だけは例外だった。

 鷹が顎をしゃくると男は頷き、菰を広げた。

 そして手際良く真をくるくると包むと、土嚢か何かのように、無造作に肩に担ぎ上げかける。一連の動きで意識が戻り掛けたのか、菰の内側から微かにであるが呻き声が漏れ出た。

 活力がある、とは言い難いが生きている証だ。

 あぁ、真さん……、と白が胸を押さえて安堵の吐息を吐いた。


 だが、鷹は肩を怒らせて、ずい、と身を乗り出してきた。乱暴に、態と身体を当てながら白を横切り菰に近づく。もぞもぞと、何処か滑稽な動きを見せ出した菰を見下ろす鷹のに、仄暗い色が差し始める。

 菰が跳ねるような動きを見せた。

 明らかに、脱出を図ろうと足掻いているのだ。

 と、ひく、鷹の頬が引き攣った。

 微かに空いた唇から舌の先がちろりと蠢くのが見え、目が、すぅ、と眇められ、より一層、危険な光彩を放つ。

「あかん、やめて!」

 何方に叫んだのか。

 動いてはならないと、真にか。

 危険な顔付きになった、鷹にか。

 分からぬまま思わず手を伸ばしてくる白を無視し、鷹は脚を振り上げ、菰を蹴り抜いた。

 潜もっ不鮮明な声が上がったが其れも一瞬の事で、また、丸くなった菰は動きを止めた。


「いや、真さん!」

「行け」


 叫ぶ白を無視して鷹が居丈高に短く命じると、男は菰を無造作に肩に担ぎ上げる。

 途端、ぼとぼと音を立てて血の糸が流れて忽ちのうちに、床に赤い粘度のある水溜りが出来上がった。



 ★★★



 蒼白になり、ひっ、と息を呑む白の前に鷹が腰を降ろした。

 キッ、と睨む白の顎を捻る様にして掴むと、にや、と下品な作り笑いをしてみせる。


「真の奴が心配であるなら、命乞いの裸踊りでもしてみせるか? あ~ん?」

「巫山戯るんやないわ! 伊達や粋狂で御職を張っとらん! あんたさんらみたいな腐った金玉ぶら下げた下衆野郎なんかに見せる舞はあらへんわ!」

 白が袖で鷹の腕を叩くと、おぉ? 存外に気が強いな? と笑いながら肩を竦めた。

「お騒がせ致しました。お乱しした調度品などの片付けと弁償にはまた後ほど改めて参ります」

「構わん」

 不気味さ、胡乱げな妖しさしか感じなかった受が、実に素っ気無い返事を返してきた事に鷹は肩透かしを食った。と言うよりも言葉を失い、鷹は惚けた顔付きで立ち尽くした。

 だが、其れも一瞬の事だった。

 先程まで恐怖心から縮み上がっていたのも忘れ、大仰に首を左右に振ると、鷹は最もらしく、しかし鷹揚に、受に礼拝を捧げた。


「行くぞ!」

 些か芝居掛かった号令を発すると、どやどやと足音を響かせて去って行く。

 白は四つん這いになったまま、ばたばたと後を追った。衿がはだけて肩だ見え、裾が淫らに乱れて大腿が顕になったが、気にもしない。


「真さん! 真さん! 返事して! お願いや! 真さん!」

 床に爪を立てて叫び続ける白に、だが担ぎ上げられた菰は応えなかった。



 ★★★



「此処か……」

 刑部尚書・平が呉れた木簡に示された通りに、刑部管轄下の囚獄ひとや達が預かる獄にまでやってきた芙は、忍び入る為にどうすべきか、と思案しつつ静かに周囲を探った。

 獄の場所は教えては貰ったが、それ以上の面倒を見てくれるわけではない。6分預かる尚書本人が得体の知れぬ草如きに、大事である獄の場所を教えて呉れたのだ。先に兵部尚書・優に本来秘匿せねばならぬ事項を漏らしてもいる、どれだけ逸脱した行為である事か。

 此れ以上、甘える事も期待する事も出来ない。

 つまり此の先は全てが芙の判断に委ねられるのだ。


 休息しているように見せかけながら、芙は眼前の獄を見上げる。

 禍国の王城は祭国の其れとは違い、既に一つの町に近い敷地を有している。

 其々の尚書が抱える雲上以下の品位の者が集う堂も独立しているから尚更であるが、特に刑部が管轄する獄については、特殊性故に他の尚書より数倍の面積を割かれている。王の間がある大極殿からみて鬼門に位置するのは祭国と同様であるが、仕えているのは基本的に昇殿が許されない地下人衆であるのは刑部も同じである。

 ――刑部の内官の衣装に身を包んでいたお陰で、誰にも疑われる事無く侵入出来たが……此処から先は手強いな。

 ぐるりと四方を高い犬槇の垣根で覆われており、音が吸収されて中の気配が読み難い。

 更に植木の高さと厚みは、飛び越えるには不向きとなるように剪定してある。

 加えて、木の根元には仔犬も首を突っ込めないように縄が張ってある上に、鬼菱の実までばら撒いてある。

 獄の周囲には垣根を越えて中を伺えそうな高い木もない。敢えて正門に門番を外に置いて居ないのは、芙の様に変幻し交代時を利用して侵入しようとする輩を防ぐ為だろう。


 ――成る程、まだ政治に関わる御方の中でも、刑部は真面に機能しているらしいな。

 遠巻きに様子を伺っていた芙は素直に感心した。

 然し、単純に相手を褒めてばかりもいられない。

 刑部尚書は、漏らしてはならない情報の一端を此方に開示してくれたのだ。其れこそ、彼ら刑部が協力出来る瀬戸際、危うい橋の欄干に手を着くかいなかのぎりぎりの線まで、だ。だからこそ、それ以上の事は、協力を望まず自身の力量を頼みにせねばならない。


 ――どうやって忍び入るか。

 誰かに変幻したとしても、刑部内、若しくは囚獄として従事する家門内のみで通じる何かに触れてしまえば綻びが出る。刑部尚書・平が袖の刺繍を態々教えたのは、彼に刑部の特殊性に注意せよ、と伝えたいが為だ。

 ――と、なると、あの徹殿が預かる獄を使用するのは、大令だ。

 奴の部下に変幻するか。

 思案を巡らせている芙の前を、何処かの商人からの仕入れか、食材か何かを大量に乗せた荷台を引いた人足たちが通り過ぎる。荷を引いた男たちは芙に気が付かぬまま、慣れた様子で獄の裏手に向かう。


 ――此れだ。

 ふら、と芙は身体を揺らした。

 そして、気配を消したまま荷車を引く人足たちの影に連なって歩きだした。



 ★★★



 裏手に回ると直ぐに小さな門が現れ、先頭に立っていた初老の男が中に向かって声を掛けた。

「御用命の品をお届けに上がりまして御座います」

 暫くの静寂の後、軋みを上げて、門が開けられる。

 芙は正面の棟の垣根の盛り上がりに身を潜めて様子を伺いながら、じりじりと距離を詰めていく。


「此方が、お求めになられました油に御座います」

「何時も御苦労であるな。では先ず、品を改めさせて貰うぞ」

「宜しくお願い致します」

 男は、仰々しく荷車に被せてあった筵を捲る。荷台に一杯に、油壺が犇めいていた。門番らしき男は腰を屈めて、油壺の蓋をいちいち剥がして中身を改めていく。

 敷地内で門を護っている男が二人であると確認すると、芙は徐ろに小石を取り上げた。ぽんぽん、と手の内で小石は戯れるように跳ね、飛び出す機会を伺っている。

「よし。いいぞ、通れ」

「有難う御座います。然し乍ら、斯様な量の油を御使用になられるとは此度はまた……」

「深く詮索はするな」

「は、そうですな」


 勝手知ったる者同士の軽口がでる。

 双方の気が緩んだまま荷車が門を抜けていく。

 その瞬間を、芙は逃さなかった。

 下手投げに小石は放たれ、枝に当たる。

 小石は枝に、こつりと当たり、緑の葉を震わせた。まるで小動物が植え込みに入ったかのような、かさこそと乾いた音が上がる。


「何だ? 雀か何かか?」

「はて? 何でしょうか?」

 門番たちも荷車を引いて来た男たちも、音に釣られて一斉に其方に視線を向ける。

 その一瞬隙をついて、芙は門を突破して敷地内に侵入した。



 ★★★



 囚獄ひとやたちの管理下にある獄内は想像していたよりも広く、而も番をする者が少なかった。建屋間の間隔も広くとってあり、互いに干渉し難い様になっている。

 唯一、芙にとっては有り難い事に内官たちの装束は獄内でも変わらなかった。

だが、こういう特殊性の在る場は、訪れる者も限られ人が入れ替わる事もごく僅かだ。

 ――疑われなければよいが。

 しかし番兵たちとすれ違う時も礼拝を捧げながらであった為か、目に留まる事はなかった。


「さて、徹殿が預かるという、大令の為に開けられている獄はどれだ?」

 腰に手を当て、芙は独りごちる。

 入り込めば此方のもの、と思っていたのだが、獄の内、幾つかは使用されている気配がある。

 ――何れが大令が使用している獄なのか?

 此処は慎重を期す為にも徹殿に連絡を取るべきか、と思案していると、正門の辺りが騒がしくなった。

 密かに正門に回って様子を伺ってみる。

 侵入が露見したとは思えないが、今日という日のこの時間帯に訪れるとなると何処かに危険因子が潜んでいるとも限らない。

 見張っていると、門番の背の影から舎人の衣装が目に留まった。どうやら、遣いであるらしい。


 芙は首を捻った。

 敷地内は一応、刑部の管轄下であるのだから、舎人が使者として入っていてもおかしくはない。

 ――だが、何用で?

 正門の地面の様子からは、舎人を迎え入れる前に既に一度は開閉されたようだ。

 自分が此処に来た時間を逆算すれば、大令が獄につなぐとした人物を捕らえる為に人を放ったに違いない。刑部尚書が兵部尚書に情報を漏らした時間から数えれば、妥当な線だろう。

 ――だが何故、、刑部の舎人が?

 自分は刑部尚書の部屋より辞して此処に直行した。

 刑部尚書に上申した定時の報告は本物を写生したもので、刑部の使者が立たねばならぬような、なかった内容はなかった筈だ。

 ならば其の後に何かがあったのか? と、芙は聞き耳を立てる。


囚獄ひとや殿の元へ」

 舎人に命じられた門番が、此方に、と促して歩き始める。残った番兵は其々の持ち場に戻り、何事もなかったかのように己の役目を忠実に遂行し始める。


 此処で時間を割くべきではない。

 先に獄を見定めるのが先だ。

 囚獄殿には舎人が戻ってから繋ぎを取ればいい――と芙は獄の方に戻り掛ける。

 だが、自分でも分からない何かに引き留められ、脚を止めた。

 そして、舎人の袖が翻るのを見た。

 瞬間、芙は焼けた石が爆ぜる様に、その場から離れていた。



 ★★★



「何? 刑部尚書様からだと?」

 ふむ、と首を捻りながら、囚獄・徹は掛けていた椅子から腰を浮かした。

「どうぞ」

 遣いに上座を譲り、徹は下座で跪き礼拝の姿勢で舎人を部屋に迎え入れる。徹は静かに平伏し、舎人はそんな徹と椅子に礼を捧げてから腰を掛けた。


「刑部尚書様からの御言葉をお伝えに参りました。本日只今より、刑部尚書様御自ら改めに御出張り為されます由。獄を預かる囚獄ひとやは全て行動を共にされるべしとの事。且つ獄の一部を開け、こうしゅうにんを捕らえおけるよう、整えるべしと、仰せに御座います」

「拝命致します」

 平伏したまま、徹は答える。

 舎人は再び椅子と、そして徹に礼をし、椅子から立ち上がりかける。

 其の動きを、ゆっくりとこうべをあげた徹の、ぎらり、と光る眼光が射抜くいた途端、うっ!? と。舎人が息を止めて立ち竦んだ。


「其の命令、まことに刑部尚書様からの御言葉であれば従いもしようが」

平伏の姿勢から、ぬ、と立ち上がった徹の目には危険な色がある。

「動くなよ」

 徹の声が低く響く。言われるまでもなく、舎人は動けずにいた。

 背後から音もなく現れた匕首が、鋒を閃かせて喉元に狙いを定めていたからだ。


 声で凄まれるより行動示唆される方が、はらわたに恐怖がくる場合がある。

 今回は、まさに其の格好の例だった。

 匕首の燦めきが、チクリ、とした痛みを齎し、舎人は、ぐ、と息を飲み込む。微かな動きでも、針よりも細く鋭い痛みを増す要素となり得る予感に、汗が一気に額を濡らしていく。


「何処の手の者だ?」

 卓を挟んで徹が、ずい、と舎人に迫る。

 凄味のある眼光に、舎人は狼狽える様子を見せる処か愚かにも虚勢を張って、ふ、と口元を緩めてみせた。

 ぬ!? と徹が怒りの色をみせて卓を乗り越えようとする前に、舎人は悲鳴を上げていた。

 背後から匕首を構えていた男が匕首を引いた、と思わせた次の瞬間、柄の部分が舎人の口内に捻じ込まれたからだ。

「ぎゃっ・ひぃぃっ……!?」

 舎人の叫び声は、喉の奥深くまで侵入している柄のせいで最後まで発せられなかった。

 肩を大きく上下させて息を吐いた徹は、舎人の袖に手を伸ばした。握り締めた拳の中で、衣がぎゅ、と不満の声を響かせる。


「何処の手の者だ?」

 同じ質問であるが腹に力が入っている分、迫力が違う。

 匕首の柄で歯をへし折られ喉を塞がれた舎人は、舌を咬む事も毒を含む事も出来ない。うう、うう、と尾っぽを腹の方に垂れさせて後退りする野犬の様な唸り声を上げて慄くばかりだ。

「今の内に答えておいた方が身の為だぞ。私は役目がら手加減してやれるが、お前の喉を塞いでいる男には、お前の事情なんぞは関係がない。躊躇なく其のまま喉を潰すぞ?」

 脅しでない事は、男が徐々に柄を捩じ込んでくる事から判る。舎人は顔面に脂汗を滲ませつつ、涙目になって首を激しく左右に震わせる。

 やれやれ、と徹が袖から手を離すとと同時に男の口内から、無造作に柄が抜き取られ匕首が閃いた。今度は刃全体を使い、しっかりと首に走る最も太い血の道を捉えている。


「では、話して貰おう。芙殿、手数だが今暫く手を借りる」

 徹の言葉に匕首を構えたまま、芙は小さく頷いた。



 ★★★



「さて。洗いざらい話して貰うぞ」


 芙に腕を背後で縛り上げられた男は、再び喉元の血管に、ひやりとするものを感じて微かに頷いた。深く首を振れば、其れだけで絶命してしまうからだ。

「ぎょ……刑部、尚書様と……ひ、囚獄、どのを、お、王宮から、遠ざける……のが、目的だ」

「何の為に? そもそも刑部尚書様は、何処の何の改めに参ろうと為されておられるのか?」

 徹の当然の疑問に、男は口を噤む。

 が、ひたひたと喉元に感じる冷たく、そしてそくそくと背筋から忍び寄る確実なふうの殺意に、うぎ! と呻いた後、言う! 言うから、やめ()、くれ! と歯を失って空気が抜けて間抜けた声で懇願した。


「た、大保……さ、ま・だ! 大保、様の、お・やしき、を、改めに、まいるの、だ!」

「大保様?」

 徹は首を捻る。

 大保・受が刑部から改めを受けねばならない謂れが奈辺にあるか、如何考えても分からない。

 だが、受の名が男の口から転がり出た事で、芙の顔付きが変わった。


「如何いう事だ? 大保の屋敷に在る者は全て捕らえられるというのか?」

「わ、わ、わからん! そそそ、そこまでは、俺も、し、知らん! た、ただ、此処に、遣い、として、たつように……め、命じられ、た、だけなんだ!」

 語気を荒げてだした芙の横で、徹は眉根を寄せた。突然、焦りのような怒りのようなものを見せた意味を探っているようだ。視線を感じたのだろう、父親に近い年齢差の徹に芙はばつ(・・)が悪そうに匕首を持ち直した。

「大保の屋敷には真殿がいる」

「何?」

 大保・受が如何程の罪を犯し、刑部からの改めを受ける身に落ちたのどうかより、彼の屋敷に真が訪ねている事実の方が大事と見るべきだと位、徹にも分かる。刑部の改めを受けた際、共に囚われぬとは限らないからだ。事情や顔を知らぬ者ならば、真を不当に扱う可能性は否めない。

 何より、一度拘囚人の立場に落ちれば、戰の元に戻るのに面倒な手順を踏まえねばならなくなる。


 ――一瞬のうちの判断と行動が命の有無に直結する今、真殿が捕らえられてはならない。

 芙の焦りに思い至った徹は、ぬう、と腕組みしつつ唸る。

 では、奴らの狙いは真殿の誤捕縛にあるのか? 首を捻った徹に平静を取り戻した芙が静かに提案してきた。 


「徹殿。此処は怪しまれぬよう囚獄に関わる者と同数を、刑部からか何処からか都合して貰えないか?」

「……良いだろう。私の代わりに同行する者には、真殿が大保の邸宅を訪れておられると、刑部尚書様にはお伝えするよう、指示しておく」

 刑部にそんな余力がないと知らない芙は、助かる、と頭を下げる。

 いや、と徹は手を振るが、声音も顔付きも、とことん苦く、渋い。

 ――さて、何処から人を調達する?

 怪しげな呪言を唱えれば人が現れるのであれば、刑部の今の切迫した状況は生じない。腹の中で嘆息しつつ、徹は男に凄んだ。


「刑部尚書様と我ら囚獄ひとやを王城より追い出したとして、誰が、何の得になるというのだ?

 目的は何だ? 誰に頼まれた!? 言え!!」

徹に凄まれ、血に塗れた舎人は、うひぃ! と悲鳴を上げる。

「そ、それ、は、その、れ、礼部、の、はく、様、に」


 ――博!?

 思いもしていなかった人物の名が転がりでた。

 芙と徹は顔を見合わせつつ同時に呟き、眉を潜めた。



 ★★★



 ――先大令・中と共に大保の宴に招かれた博が?

 ――王都に入ってからでも間に合うだろうに、自ら出向いてまで、大令・兆様たっての頼みとして囚獄の獄を求めに来た、あの博殿か?

 二人共、何故、此処で博の名が出るのかが分からない。


「よい、博殿に命じられたとしよう、其れで何が目的であるのか、何と言われたのか!? 答えんか!」

「し、ししし、知ら、ない! わ、私、も、こ、此処にて、今の言葉、を、伝える、のみで良い、としか、い、いい、言われていない、のだ」

「そんな戯けた論法が通じるか!」

 歯を無くしている為、言葉と言葉の間に、隙間風のような風切り音が入る。其れがより一層神経を逆撫でし我慢が利かなくなったのか、遂に徹が拳を振り上げた。

「待て」

 間一髪で二人の間に割って入った芙が、男の肩を掴んだ。ひぎ! と叫んで身を固めていた舎人の顔を、芙は、じ、と睨む。

 暫く無言で男を睨み据えていた芙は、突然、どん、と舎人を突き放した。

うぎ、と蜥蜴の鳴き声のような声を絞り出して、舎人は壁に打ち付けられた舎人は呻いた。


「徹殿、この男をこれ以上探っても無駄だ」

「ん? 如何いう事だ?」

「此の男は本当に只の遣い走りに過ぎない。何も知らない。拷問にかけた所で何も出て来はしない。見えぬ相手に時間を呉れてやる事はない」

男の首が、哀れな程かたかたと上下に動く。歯が折れて言葉が真面に出てこないが、忠義立ても糞もない、無様な命乞いの様子を見れば、成る程、存じ知らぬ事にこれ以上巻き込まれるのは御免だと言っているように思える。

 ふむ、と唸りつつ立ち上がった徹の元に、御容赦を、と殿侍がやってきた。

 会話が進むにつれ、徹の眉の角度が険しいものになっていく。


「芙殿。今しがた、大令様が申し出られし獄に、拘囚人が来たとの事だ」

「何?」

「如何する? 獄に向かうか。其れとも大保様の屋敷に向かうか」

「獄に行く」

 芙は即断した。

 良かろう、と徹は頷く。

「では、此処は矢張、私だけでも大保の屋敷に向かおう。真殿の顔を知っておる者が一人はおった方が良いだろう」

「頼みます」


 大保の屋敷か。

 獄か。


 何方かを天秤にかけた時、本来であれば、真が居る大保の邸宅に向かうべきなのだろう。

 が、獄内から出てはならない、とカン(・・)働きが伝えて来る。

 理由があるわけではない。

 寧ろ、そんなものはない。

 だが本能が芙に激しく告げるのだ。

 獄から出てはならない――と。


 芙は着ていた衣服を一気に脱ぎ捨てた。

 そして、下に着込んでいた草としての身軽な装束に戻ると、疾風となって姿を消した。





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