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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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21 魔窟 その6-1

21 魔窟 その6-1



 代帝・安直筆の勅を恭しくかかげた宦官の来訪を告げられ、刑部尚書・平は、厳めしい顔付きを更に岩のように硬くした。


「お通しせよ」

 溜息と共に重く命じると、くねくねと腰を振りつつ宦官が入室してきた。

 ――女の腐ったような奴だな。

 其のくせ、宦官の癖にちょろりとした髭が鼻の下と顎先に不器用に乗っかっている。宦官は腰を捻りつつ、そろそろと勅を差し出してくる。

 ――何が代帝か、糞が。

 出来るのであれば、読みたくなどない。

 いや、破り捨てて豚の餌にでも紛れさせてやりたい欲求に駆られる。だが眼前で、宦官にのっぺりとした糊を垂らした屏風のような面構えで待ち構えていられては、如何ともし難い。嘆息すら最早出来ぬ平は、せめて、と思い切り顰面をしてやるのが精々だったのだ。


 ――どんな下らぬ命で此方の大切な時間を浪費しようと目論んでおるのか、狒々婆ァめ。

 易変の質から来る手前勝手な命令であれば、ぎりぎりで保っている此の仮面が即座に剥がれ落ちる自信だけは、妙にたっぷりとある。

 むかむかしながら平は、宦官に結ぶ目を解くよう願い出る。ちょび髭があるからか、嫌に鼻の下が長く見える宦官が、やはり糊のようなべちゃべちゃした鬱陶しい動きで封を解いた。

 此れに、と宦官が書を披帛のように支えながら、腰をくねらせつつ広げてみせた。肥え太った安の身体からは想像し難い細い字が、紙の上で、死の間際を悟った蚯蚓のようにのたうっていた。



 ★★★



「……」

 文面を読み上げた平は、身体を巡る血液が熱湯化したのでは、という錯覚に陥った。我ながらよくぞ堪えた、と自分を褒める。しかし、褒めた口で速攻、悪態をつく。

 ――刑部を何だと思うておるのだ、狒々婆ァめ!

 悋気焼きの憂さ晴らしの為にあるのではないわァ!

 眼球から怒気の炎がみてとれそうな程、平は目を怒らせた。

 鼻息は蒸気の如く熱く絶え間無く噴出し、口角は獲物を見定めた熊の如きに裂けて、呼吸は荒れに荒れる。

 平の迫力に宦官は、うひゃぁ! と女童さながらの甲高い叫び声を発して、礼拝すら受け取らず這う這うの体で逃げ去って行った。

 暫しの間、赫怒に身を浸してい、ふぅふぅと息を荒げていた平であったが、舎人が静かに勅を差し出し直してきたのを契機に気持ちを落ち着かせようと努め始めた。大きく深呼吸を繰り返し勅受け取る。

 改めて読み返すと、今度は嘆息が溢れた。

 いや、もう溜息しか出ない。


「全く……此れだから頭のゆるい女なんぞが国を司ってはならんのだ……」

 いや、郡王陛下のお妃となられた祭国の女王陛下のような御方であれば、話は別だ。

 だが、あの(・・)狒々婆ァはいかん、断じていかん。

 こんな傾国のされ方があってたまるか。

 平は頭を抱える。

 安が代帝を名乗り出してから、刑部は其れでなくとも激務であると言うのに、更に余分な仕事が増え続けていた。気紛れで刑部を駆り出し、方々に脅しを掛けるのである。

 元々忌職であったものを、お陰でこの2年の間に有望株の部下が刑部より離職して各尚書に流れていってしまい、益々人材不足に拍車を掛ける事になった。有能な人材の大方は、兵部尚書・優が旧誼きゅうぎを忘れずにいてくれ、無言で拾い上げて呉れた。いつかまつりごとが革まれば、刑部にかえり易くなるように、と。

 しかし、残って呉れた者こそ苦しさに落ちている。

 清貧を尊しとする定めた初代皇帝の意向の為、刑部は俸給が他の部より少ない。生活苦に喘ぐ品位の低い部下たちの妻や娘たちを、兵部が広めている未亡人救済措置の工房に入れて呉れねば、どうなっていた事か。刑部の中から犯罪者が出てもおかしくない程、逼迫している現状で、部下の命の糧を与え救世の主となった兵部尚書・優に刑部が肩入れするは当然の心理だ。

 このまま代帝・安をのさばらせ、大司徒一門を大手を振って闊歩させても禍国にとり、何も良い結果を産まぬものである、のだとも分かっている。が、それ以上に此の切迫した事情が郡王陛下にこそ! という思いを強くしている。

 だからこそ、望みを掛けて――しかも切実な――兵部尚書・優に与したのだ。

 優が支持する祭国郡王・戰皇子であれば、此の腐りきった宮中を何とかしてくれるのでは、という淡い期待は、いつしか、必ずして貰わねば困る、という渇望へと変化していた。


「如何なされますか」

 舎人が遠慮がちに平に伺いを立ててくる。

 余剰人材など望むべくも無い刑部において、代帝直々の勅を実行に移せるのは、恐ろしい事に尚書という最高責任者である平しか残されていない。

 平は硬い握り拳を作り、机を叩く。

 岩が爆ぜたような轟音を立て、分厚い天板にヒビが入った。

「我自らが出向く! 其の方らも支度せい!」

「は……はぁ……」

「何だ!? 何か不満でもあるのか!?」

「いえ……その……あの、先ずは何処に向かうのか、ご指示を……」

 舎人の遠慮がちな声に平は、ぬぅ? と息を止めた。

 自分一人が怒りを沸騰させ過ぎて、何も明白な命令を下していなかった事に漸く気が付いた。


「大保・受の屋敷に出張り、改めに参る! 陣頭指揮は私が取る! 人員の選抜には一刻呉れてやる! 半時辰じしん後には刑部の門前に集結を終えよ!」


 舎人が飛び出して行くのを見送ると、椅子を蹴倒しながら平は鋭い眼光で王の間の方角を睨み据えた。

 今に見ておれ、此の腐れ一門めが、と口内で呟きながら。



 ★★★



 此こまで粗食に耐えてきた身体には、突然の馳走は逆に毒であろう、と兆が鷹の為に用意させたのは胃に優しい粥であった。

 五穀と山羊の乳粥の上に、松の実、枸杞、干棗、胡麻、山査子、生姜の蜜漬けなどを更に甘く煮て葛でとろ味をつけたものをのせてある。甘味の強い滋養たっぷりの粥は、鷹の身体に活力を取り戻させるのに充分だった。戰に殴られ歯を数本失ったばかりで咀嚼も難しい鷹に、粥はまさに魂の輝きを取り戻す働きをした。


「人心地がついたか」

 猫が皿を舐める勢いで、鷹が土鍋の底を匙で掬っていると、兆が含み笑いをしつつ覗き込んできた。

 慌てて手の甲で口周りの汚れを拭い取り平伏しかけると、よい、と鷹の頭上に兆の鷹揚な声が掛けられた。戸惑いつつも鷹はそろそろと背筋を伸ばしていくと、ずい、と兆の方が膝を詰めて躙り寄ってきた。


「だ、大令様!?」

「実は、な。其の方に頼みたい事とは、他でもない。兵部尚書殿の一門の者の罪を問いたいのだ」

「わ、私の一門の、ですか?」

「そうだ、然も囚獄ひとやを立てておる」

 鷹は喉仏を上下させて、ごくり、と口内に一気に溜まった生唾を飲み下した。

 兵部尚書である父、優の一門と云えば、自分の他には二人の弟、鷲と隼しか居ない。しかし弟たちは、未だに7品上と8品下の雲上叶わぬ身分だ。大令の地位にある兆が私的に制裁を加えねばならぬような目に余るしくじり(・・・・)をしたとは思えない。


 寧ろ――そう、考えられるのは、あの男だ。

 おとうと、と呼ぶのも穢らわしい、あの男。

 色香に騙され血迷った父が、屋敷に入れ部屋まで与えると云う恥に塗れた気狂いの果てに生まれた、一門の所有物扱いの男。

 雲上叶わぬ身分でありながら、郡王陛下の腹違いの妹を娶った幸運にのみ後押しされ、王の間にすら踏み行った慮外者。

 一門の生き恥。


「……しん……」


 ぼそり、と口に出た異腹弟おとうとの名を兆は聞き洩らさなかったのだろう。にたり、とじょうは片頬を歪めた。

「そうだ。郡王陛下の懐深く入り込んでいる、其の方の異腹弟おとうと――其の男を、此度、私は断罪する」

「は!?」

 事の成り行きが読めない鷹は、仰天し、髪を逆立てる。幼子をあやす様に鷹の肩を抱いた兆は、矢張、にやにやと笑い続ける。

「当然では無いか? 其の方は此の大令・兆が見出した一の臣である。其の方が祭国にて囚獄ひとやに捕らえられ、あの様な哀れな成りで帰国せねばならぬ道理が何処にあろうか」

「はい……はいっ!」

 兆の言葉は、まるで蜜に漬かった果物の様に甘く芳しく、感動をもって鷹の心に浸みていく。満腹感を得た熊のように間の抜けた恍惚とした顔付きで、鷹は兆の手を握り締め返してくる。


「然し乍ら、郡王陛下は英明なる名君として既に名を馳せておられる御方。到底、其の方を斯様な過酷な罪に謂れもなく落とすなどと到底思えぬ」

「はい……はい、大令様! そ、其の通りに御座います! 陛下は私の言い分を審査熟考なされる事なく、彼奴あやつの言い分のみを鵜呑みになされたのです! 彼奴が分不相応にも得た権力を、陛下の身内方としての権勢を奪われまいとして、私を罪に問う方へ仕向ける振る舞いをしたせいでしょう! 度し難い! 実に許し難い事です!」

 甘い粥の匂いのする唾を飛ばして夢中で吠える鷹に、兆は分かる、其の方の無念は良く分かるぞ、と溢しつつ何度も何度も頷いた。


「其れを聞いて安心した。正直な処、其の方は一門の名を大事にするあまりに、異腹弟おとうとの罪を敢えて目を瞑るつもりでいるのでは、と危ぶんでおったのだ」

「おとうと、ですと!? お止め下さい! 奴は側妾腹の出! 我ら一門にとっては名を騙る資格の無き者! そう、所有物に過ぎません!」

 鷹の叫び声は、彼の異常な精神面のささくれを現しているかの様に、ざらざらとした不気味で歪な不協な音を引き摺っている。

 兆は、そんな鷹の気の高ぶりを一層気遣う様子で、取った手の甲を撫で回す。まるで蛇が這いずるかの様な動きであるのに、鷹は悦に入って忘我し、手の甲を舐める指先の動きに魅入っていた。

「では――右丞、鷹よ。私の大切な臣である其の方を貶めし同輩を、自らの手で断ずる気構えがある、と申すのだな?」

「無論に御座います!」

 半瞬置かずに答える鷹の肩に置かれた兆の指が、ぎち、と軋む。

「……其れは、喩え同門であろうと容赦せぬ、と受け取って良いのだな? 罪を隠蔽せぬと、一門の血の繋がりよりも私へ忠義が勝るもの、と思うて良いのだな?」

「当然に御座います! 誰が、あの様な側妾腹の出の者を同門の輩と認められましょう!? 奴の思い上がった鼻柱を圧し折らねば、逆に家門の穢れ! 御気遣いなど無用に御座います!」


 どうぞ、思いのままに御命令下さいますよう! と、興奮しきって叫ぶ鷹を、兆は肩から静かに抱き寄せた。


「おお、大令様……」

 鷹がぶるり、と大きく身震いすると、一気に、涙が滂沱のように流れていく。

 だが、感動に打ち震える鷹には見えない。


 大令・兆が、にや~……、と静かに顔を歪めて、嬲るように右丞・鷹を眺めているのを。



 ★★★



 生きていて貰っては困るとは、また直截な、と真は悪戯を見つけてどうしたものかと迷う童子のように唇を尖らせた。


「いえ、そんな勝手を押し付けられましても、正直、困るだけなのですが」

 真は、うなじ辺りの後毛を引っ掻きまわす。とぼけた表情の真に、受は、ふ、と短く笑いかけた。

「主人の為ならば己の命の重さなど、瑣末なものだろう。其れで陛下の御代が揺るぎないものとなり、己は礎となるのだとすれば命処か七世先の身も惜しくは無い、喜んで捨ててくれようとは思わぬのか?」

「……はあ」

 其れはまあ、戰様の為に本当になるのでしたら、考えないでも有りませんが、他人に言われたくはないですねえ、と真は苦笑する。

「いえ、其処まで買い被って頂いて嬉しいのですが、私も人の子ですので。素直に命は惜しいですよ?」

 無事の帰りを待っていて呉れる妻もおりますしね、と丁度、幼い妻の握り拳くらいの茶器を手の内で弄りながら笑う。

 白の目の端が、ちか、と奇しく光ったが、真は気が付かない。いや、大保、受の大笑に気を取られて気が付けなかった。


「一身の欲と妻への情を惜しむが故に、命に固執し捨てられぬと申すのか。郡王陛下もまた、臣とするには甲斐のない身内を飼っておられるものよ。情けない、と言われるのは本意ではないのか?」

「はぁ、ご期待に添えず申し訳ありません、としか言いようがありませんね。ですが」

「――が?」

「そもそも、私が居て困るのは大保様の勝手です。御自身の御望み、御一門打倒を叶えんが為には、私が邪魔であるだけでしょう?」

「全くもって其の通りだ」

 悪気の欠片もなく、受は真っ正直に答える。

 やれやれ、と真は苦笑いした。


「時に為政者は己を支持する者とそうでない者を明確にし、非道無情にならねばなりませんが……私と云う存在は、確かに戰様が覇道を行かれるには余りにも枷となります」

 そう、蒙国皇帝・雷陛下のようには、戰様はどう足掻いてもなれない。

「解っておるではないか。だから消えよと申しておる」

「しかし、戰様に非情になって頂こうとされても、期待は出来ませんよ? 私と云う存在が歯止めとなっている、だからこそ生きておられては困る、と大保様は仰られますが、戰様は私一人の死を引き換えにしても考えを改めようとはなされないでしょう。戰様に其れを期待するだけ酷、と言うよりするだけ無駄ですよ」

 納敬のうけいの端を指先で弾きながら、受は微かに眉を持ち上げた。


「私が策を用いぬとでも思っているのか? 切実に、其の方に陛下のお傍で侍っていて貰っては困るのだ。郡王陛下は其の方一人に信認を重く置く事を憚られなかった、御自身の愚かさに気が付かれるようお導きし、御自身の心の瑕疵かしが、其の方を失わせると認めさせる。さすれば、陛下にはこの上ない悲となろう。再びの過ちを繰り返さぬ為には、内外に思い知らせんと我ら一門を撫で斬りにせねばなるまいはと決意なされよう。陛下の御為を思うにであれば躊躇は要らぬ。後の心配も要らぬ。其の方の死により足枷が外されるよう、存分に死ぬがいい」

 一気に受は捲し立てる。

 筋道が通っているようで凄まじい暴論ですね、死ぬのに存分も糞もへったくれもないと思うのですが、と真はうなじをかき上げる。


「此処で、大保様のお屋敷の対屋で、ですか? 其れでは戰様は余計に頑なになるだけです。大保様御一人の考えが引き起こした事として、御一門を同列に罰する事はなさいません」

 断言する真に、受は奇妙な程爽やかに笑ってみせる。

「気遣い御苦労。しかし其の方のその心配は無用だと何度も言っている」

 受の声音が変わった事を、控えていた白は聞き逃さない。顔色をさっとかえた。白粉では隠しきれない顔色の悪さだが、受は構う様子をみせない。凭几ひょうきに寄り掛かったまま、納敬のうけいごと茶器を白に押し付ける。


「私は私の一門が、祖の功績を纏い自らを大きく見せるのが許せぬ。祖の栄光を穢しておきながら、其の罪を理解せず他者に押し付けるのが見ておられぬ。此のまま一門がカ国に居座り喩え微かな一画であろうとも政治の一端を担っておる限り、喩え郡王陛下が皇帝として御即位なされたとしても、遠からず内側より腐って行くだろう」

「腐って朽ちるか。発酵して相乗効果でより膿む。決めるのは、畏れながら大保様ではありません。戰様でも無論、有りません。戰様の政道に関わる全ての者の意思と理想と思惑とが、様様な色の糸となり編まれ、時に綻び、其処に刺繍を施されつつし、一代を掛けて一反の長き歴となり、判断がなされていくものであると、私は思っております。まだ、糸も縒られておらぬうちから、必ず戰様の御代が御倒れになるのだと決めつけて掛かっておられますが、一部の人間のみが国を動かすと憂える大保様のなさりようと変わらないではありませんか?」


「そうだ、其の通りだ。だが私には耐えられぬのだ。英祖が開闢せしこの禍国、共に礎を担いし祖が、我らの代にて今度は一門の手により朽ちて行くのを黙って見てなどおられぬのだ。禍国は続かねばならぬ。この中華平原の雄として、未来永劫輝き続けねばならぬ」

「其処までの危惧を、何故、貴方が抱かれるのですか? いいえ、喩え抱いたとて、戰様御一人に肩入れするだけの理由になりません」

 受は首を振った。

「今の帝室は多かれ少なかれ、我が一門の血や意向が入った門閥貴族の妃ばかりがたっておる。皇太子と二位などを見よ。私と同質の血を引いておるではないか。しかも玉座にでかい尻を乗せておるのは、何と、帝室の血なぞ微塵も引いておらぬ一臣下の娘! しかも、大年増を倍にした年の婆ではないか」

 此の御人は御自身の御血筋にはとことん容赦ないな、と真は苦笑する。


「ですね、戰様はいざ知らず、他の皇子様方には煮え湯処か、溶けた青銅を飲まされるよりも厳しい事でしょう」

「そうだ。だが、対抗する術を他の皇子様、王子様方はお持ちでない。誰も彼もが我が一門に追従し、諂い、施しの様に零された一滴の汁にすら、啜る価値ありの旨味知っておる。だからこそ、娘たちを後宮に入宮させられ生き残りを許されている、これが現実だ。怒りのままに抗しようとも、恩義が脳裏を掠めれば振り上げた拳は緩む。弛まぬのは只一人いちにん。我が一門の影被っておられぬ楼国の出のお妃様であられた麗美人様を母に持ち、禍国の出ではないお妃を得ておられる郡王陛下御一人だ」

 どうあっても、話題の先を其処に持って行きたいのですね、と真は頑なになり出した受の変容に嘆息する。


「ですが、戰様がせぬ、と云われるのであれば致し方無いことです。幾ら蒙国皇帝陛下が猛烈な気概の持ち主であろうと、戰様もまた、同じく有らねばならぬ法はありません。いいえーー寧ろ、同じ道など歩まれる必要は無いでしょう。戰様には、戰様にしか見えず脚を踏み入れられぬ、唯一絶対無二、唯我の道程を進まれるべきなのです」

 真の真摯な態度に、受は何処か羨ましげな視線を向けた。

 しかし其れも一瞬の事だった。

「何度も言っている。安心せよ。其の方の心配は杞憂に終わる」

「……は?」

「最初に其の方に教えてやった筈だ。見誤ってはならぬと。此処(・・)で、()が其の方に手を下したとしても、郡王陛下は動かれぬ事ぐらい理解しておる」

 受の言葉に、対屋の入口辺りから悲鳴が重なった。

「ほう? 其の方の心配を払拭して呉れる者どもらが、ようよう、来おったようだ」

 悲鳴はどんどんと近付いてくる。


「何なん!? 何の騒ぎや!?」

 狼狽えつつ、白が立ち上がる。美しい裳が翻り、茶道具を倒して沁みが広がった。

 武具が擦れ合う低い音が、闇に引きずり込もうと影で身構えている鬼の掛け声のように不気味に響いて迫ってくる。

 庭園で、何かが割られ踏みつけにされる音が上がりだす。

 流石に真が庭に視線を向けると、其処には、兄・鷹が勝ち誇った顔で立っていた。


「いよぉ、真。我が異腹弟おとうと殿、久しい事であることよ、なあ?」

「あに、うえ!?」


 何故、此処に!? と、驚きを隠せず立ち上がり掛けた真は、真さん、後ろ! という白の悲痛な叫び声に背後を振り返り掛けた。

 が、出来なかった。

 其れより先に、真の腕より太い棍棒が彼の側頭部目掛けて振り下ろされたからだ。


 左の顳辺りに衝撃を受けて吹き飛んだ真の耳には、白の悲鳴は聴こえていなかった。




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