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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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21 魔窟 その4

21魔窟 その4



 大令・兆の温情により、湯を与えられ汚れを落とす事を許された右丞・鷹は噎び泣いた。

「斯様な温情を与えて下さるとは……」

 鷹は両眼に浮かぶ涙を、垢染みの臭う袖で拭う。

 舎人に案内されて勧めを受けるままに湯殿に足を運んだ鷹は、硬直した。

 濛々と立ち上る蓬の香りの蒸気は湯殿全体を満たしており、戸口には何と、鷹の世話をする湯女までが控えているではないか。


「な、何とっ……!? こ、これは、薬用湯ではないか……!?」

「右丞様、どうぞ此方に」

「う、うむ……」

 分厚い蒸気で既に珠のような汗を額にぷつぷつとかきだしている鷹と違い、招く湯女は声まで涼やかだ。楚々とした動きで鷹の背後に回った湯女は、手馴れた手付きで鷹の汚れ切った衣服を脱がせ、そして湯を浴びる為の薄衣を羽織らせる。

 続いて湯女は覺束ぬ足取りの鷹を気遣うように手を取ると、先ず、蓬をふんだんに使った贅沢な蒸し風呂に誘った。ゆっくりと蒸気を充てさせ、腰の痛みからくる強い疲れを癒すと、続いて香附子こうぶし当帰とうきを此れまた贅沢に使用したたっぷりの湯に鷹を浸からせた。薬用湯の色に薄衣が染められていくのを眺めるのは、存外に楽しいものだと感じる心の余裕が持てる頃、湯女は身体を浄める為上がるように、と促してきた。

 言われるままに、鷹は湯から上がる。

 ざぶり、と波音をたてて薬用湯が跳ね上がり、湯女の顔を濡らしたが彼女は微笑むばかりで構う様子は見せない。


「どうぞ、此方に」

「……うむ」

 檜で出来た椅子に座らせると、湯女は麻の縄を手にした。

 与えられていた刑により鷹は限界を超えて痛め付けられていた為、湯女は身体を労わりつつゆっくりと垢を落としていく。その絶妙な指使いは、鷹を恍惚とさせた。

 最後に、湯女は甘草かんぞうの薬湯を鷹に差し出してきた。

「どうぞ、一口、一口、口の中で噛むようにして、ゆるゆるとお飲み下さりませ」

「わ、分かった」

 薬湯を含む頃には、人心地を取り戻す処か偉ぶる余裕が生じだした鷹であるが、内心では狂わんばかりの喜びに魂が飛びそうになっていた。


 ――ああ……! 何という心地良さだ……!

 そうだ、此れこそが私の本来のあるべき姿なのだ……!

 人に傅かれているという事実が、己の身分、右丞という地位を思い出させて脳髄の奥まで痺れさせる。

 父親である兵部尚書・優は己も厳しく律する人物であったが、其れを自分たち息子にまで押し付けた。湯に薬を入れるなど、高位高官の貴族でなければ味わえぬ療養方法であり、湯女を招き入れ心身を癒すなど以ての外だ、と分不相応な贅沢として決して許す事はなかった。


「右丞様」

「な、何だ?」

 空になった椀を受け取りながら、湯女は、つ、と鷹の腕に指先を這わせた。

「まだ、お身体に硬い軋みを感じますわ。どうぞ、此方に横になって下さりませ。湯女の心得として、按摩の術も習得しておりますわ」

「お、おう、そうか……? な、ならば頼むとするか……」

「はい、どうかお任せ下さりませ」 

 鷹は勧められるままに、蒸し風呂を解体した後の暖かみのある床に敷物をのべて横になる。そして、湯女の手により按摩を施されるや否や、微睡む時間もそこそこに、一気に泥のような眠りに落ち込ていった。



 ★★★



 ――右丞、右丞・鷹よ。


 耳元でこそこそと名を呼ばれる。

 擽ったいというよりは、蚊か虻が飛び回っているような鬱陶しさを感じて、鷹は手をひらひらとさせて音を払った。

 しかし何度追い払っても、右丞、右丞・鷹よ、と声を掛けられる。久しぶりの安眠を邪魔されて、いい加減で我慢の限界を超えた鷹は、がっ、と目を見開くと同時に身体を起こして怒鳴った。


「いい加減にせよ! 私を誰だと心得ておる! 右丞だぞ! 大令・兆様直々のお声掛りにて任を得た右丞・鷹であるぞ!」

 そして、眼前に立つ人物を視線が合い――鷹は硬直した。

 其処には、彼の恩人である大令・兆の姿がある。

「ほう、大声をあげられるまでに回復したか。其れは良かった」

「だ、大令様……!」

 腕を組み、にや、と口角を持ち上げながら、兆は額を床に打ち付けて平伏する鷹を見下ろす。


「折角、気持ちよく寝ておった処を起こしたのは、悪かった。しかし、これ以上、其方の為に時間を費やしてはおられぬのでな」

「……は?」

 兆は、今度は片方の眉をくい、と跳ね上げる。そして、自ら腰を落として片膝をつくと、鷹の手を取って平伏の姿勢を改めさせた。

「だ、大令様? こ、此の様な……!」

「よい。先にも言うたが、其方には此れより、役に立って貰われねばならぬ。我に味方したとて其方に何の身入りも得もあるとの説明すら受けず、身内となる決意を固めてくれた『』である其方に、敬意を表すのは当然のことよ」

「だ、大令……さま……!」


 鷹の両眼からは止めど無く涙が流れ、ぐずぐず、と鼻が鳴り続ける。

 強行軍の帰路を如実に物語る、一気にやせ細った鷹の手の甲を兆は撫でながら甘い声で囁いた。

「私も其方と同じだ。父上に己の活躍の場を不当に奪われ、兄弟には嘲笑をうけておる。己の実力を正当に評価してくれぬ者に囲まれた場が如何に苦しく、そして鬱屈の貯まるものであるかは、誰よりも私が知っておる」

「は、はい!」

「其処で……だ」

 兆が、ず、と身を屈めて鷹の肩をがしりと抱いた。

 幾ら父親が宰相であり兵部尚書に出世していようとも、身分の違い、血筋の違いは明瞭だ。

 有り得ない、兆の振る舞いに鷹は感激により目眩を起こして突っ伏しかけた。

 其れを止めたのは、やはり兆の強い腕の支えだった。


「其方……今の我が身の不幸を祓う気持ちはあるか……? 己の現況を斯様に歪めた元凶を祓う気はあるか? 喩えそれが、一瞬、己の一門に対して不孝不忠者として謗りを受けるものであろうとも……?」

「無論に御座います!」

 鷹は勢い込んで答える。

 涙だけでなく鼻水までもが垂れ流しになり、唇の上を伝っている無様さを隠そうともせず、鷹は感激に声を詰まらせつつ叫んだ。

 涙と鼻水と涎で濡れに濡れた鷹の顔ばせを、兆は自らの懐に仕舞ってあった晒で拭ってやる。丁寧に、愛おしむようにゆっくりと汚れを拭いとる仕草に、鷹は何度も息を詰まらせた。


「右丞よ。未だ疲れの癒ってやれぬ我を許して欲しい」

「とんでもない事です! これしきの事……!」

 普段のだらけた生活からすれば、祭国での拘留の日々、そして囚獄ひとや・徹に捉えられたままの帰路は、気が狂い崩壊するか身体が持たずに病を得て倒れていてもおかしくなかった。身体だけは頑丈なのは、父親である兵部尚書・優の血が現れていたのかもしれないが、其れを尊ぶ気は今の鷹にはさらさらない。


「この右丞・鷹、この身のみならず、七世の先までも大令様に魂を捧げ忠義を誓う所存に御座います!」


 只管に、忠節を誓う鷹の姿に、大令・兆は満足気に頷く。

 その影に、憎しみという歪みを隠しながら。



 ★★★



「我が一門。須らく滅ぶべし」


 死を宣告するかのような、重々しい口調。

 それでいて受の顔ばせは、まるで変わらない。


 対峙する真は、大いに迷っていた。

 受の言葉をどう読み取るべきなのか。

 額面通りに受け入れれば良いのか。

 それとも。


 額から顳にかけて嫌なぬめりを感じさせる汗が一筋、伝い落ちていくのすら気が付けない程、真は集中していた。顎の先に温いものを感じて初めて、真は、自分が獰猛な毒蛇に睨まれた仔雀のように震えているのを知った。

 ――やれやれ……。

 落ち着かせる為に、静かに俯いて静かに汗を拭う。

 視線の先に、いつの間にか点て直して呉れていた茶器がみえた。だが折角の茶は、納敬のうけいの上で冷めて湯気を落としてしまっていた。

 其れでもいいと思い腕を伸ばすと、横から、化粧けわいで白く誤魔化された別の指が伸びてきた。


「冷めてしもうたら、美味しゅう頂けまへんやろ? 点てなおしますよって」

 納敬のうけいを掴み引き寄せようとする細い指が横から現れた。が、真は手を振って其れを止めた。

「此れで充分です。点てかえるなんて、勿体無いですよ」

「せやけど……真さん、不味いもん、お嫌いどしたやろ? どうせなら、美味しゅう頂いて欲しいのや」


 ――こんな機会でもあらへんかったら、うち(・・)が手にしたもん、真さんに口にして貰えへんよって……。


 続けて思わず本音を吐露しかけた白は、慌てて言葉を飲み込んだ。

 お粉と地肌の境目が見える喉が、ひく、と上下する。

 だが気が付いているのかいないのか、真は、そんな白に屈託なく笑いかける。

「元々、熱すぎる汁物も苦手な質ですので。冷めてしまっていた方が私は飲みやすいんですよ」

 恰も、冷ましていたのだと言いたげに、真は納敬のうけいごと茶器を膝の上に持ち上げた。

 両手で包むようにして茶器を持つ。

 微かに残っていた温もりが、手の内側に甘い茶葉の香りを広めていく。

 ゆっくり時間をかけて飲み干して行くと、流し目で此方を伺う白と視線があった。何か、言いたげにした含みのある視線が、ふ……、という短い笑みと共に外れる。


「真とやら」

「はい」

 白にうっかり見入るようなへま(・・)はしないが、それでも多少なりとも意識が外れた事は否めない。何処か、叱るような色合いの声音で受に呼ばれた真は、はっとして面を上げた。

「其方は、どう思う。どう考える。我が一門は、滅ぶべきであるか否か」

 答えよ、と命じる受の眼光には、鬼気迫るものがある。

 いい加減な答えは許さぬ、と鋭い切先のようなの光が、ぐいぐいと真の胸を抉ってくる。

 真は手の内に茶器を包んだまま、膝を揃え直し、背筋を伸ばした。


「大保様」

「何だ」

「大保様は、御一門は断ぜられるべきであるとお考えのようですが」

「そうだ」

「其れには、条件が伴います」

「そうだな。真とやら、それは何であるかと考える」


「先ず――御一門の血を引いておられる皇子様方、皇太子・天殿下、二位の君・乱殿下、そのどちらの御方も、禍国皇帝として至尊の冠を頭上に抱くこと叶わず、でなくてはなりません」

 まどろっこしい言い様だ、と受が真の言葉を評した。


「直截に申せ。郡王陛下が、皇帝として即位されねば無理だ、と」

 すらりと言ってのける受に、いいえ、と真は頭を振った。


「戰様が玉座を得られたとしても、御一門の方々を誅されるような事はしないでしょう」

 真の答えに、ほう? と受は興味ありげに目を眇める。


 手の内にある茶器は冷めているのだが、何故か其れが人肌の温もりに似ている、と真は思った。

 ちょうど手の内に収まる程度の大きさの茶器は、まるで自分の幼いさいの握り拳のようだ、と。

 小さな笑みが真の口元から溢れる。


 此れまで余裕のなさから一転、穏やかさを取り戻し始めた真を、受は不思議そうに見詰めた。

 その横で、白こそ、ぎらり、と目を輝かせて睨み据えていた。



 ★★★



「何故、そう思う、真とやら」

「喩え、戰様が皇帝の座に就かれようとも、大司徒一門を始めとした門閥貴族たちを一層するような事はなされないでしょう」


「ほう、その心は?」

「多分にご気質に寄る処も大きいのですが、一度、門下に下った方々の過去を穿り返していちいち罪に問うのは面倒臭い、と仰られるでしょうね」

 面倒臭い、だと? と、受は目を見開き――そして、声を上げて笑った。腹を抱え、凭几ひょうきを叩いて笑い転げる。


「面倒臭い。成る程、的を得ている。いちいち虱のように潰していくには、膨大な数になる阿呆貴族どもだ。全て追い出すのにどれだけの無駄な時間が費やされる事か。考えるだけでも鬱陶しい事だ」

「はい、それもありますが……」

「あるが、何だ?」

「罪に問う、のは簡単です。しかし、余りにも粛清が行き過ぎては、陛下は恐怖政治をなさるのでは、という警戒心を抱かせます。確かに、品官が低い方々の中には優秀な人材が多く埋もれている事でしょう。それは紛れもない事実です。当然、彼らを登用すればよい、という意見が奏上され改革を進めようという波を後押しするでしょう。しかし、其れで本当に事は回るのでしょうか? 国を動かす。其れはそんな簡単なのでしょうか?」

 ほう? と受は目を眇める。


「禍国も既に3代50余年を数える歴史を有しております。その歴史の中で確かに培われた形式というものは、大概に無駄のように見えたとしても周辺諸国に対しては有益であったりもします。そして見てくれや飾られた言葉に釣られるのは、実は王侯将相だけではありません。わかりやすい其れらに寄って心の安寧を得ようとする領民の方が多いですから」

「ふむ……だが、それでは折角、郡王陛下が皇帝陛下となられたとしても、結局は同じ道を辿る事になりはしまいか? 何だ、結局は同じ奴らを登用しているではないか、陛下も所詮は口先だけの御方だと皆の心に淀みを植え付けはしまいか?」

 確かに、大保様の仰られる通りです、と真は手の内の茶器を捏ね回しながら答える。


「其れでは、改革も糞もあるまい。真とやらよ、新たな世を切り開うとせんとすれば、身を切る痛みを伴うものだ。よもや陛下は、我らが一門如きを恐れておられるのではあるまいな?」

 自分は、この禍国の未来の為に一門尽く滅べとまで本心を明かしたといのに、と揶揄するような受の口調に、真は戸惑いを隠せない。


「戰様は、恐怖に遅れを取られる方ではありません。しかし、大保様御一門を須らく誅しようとはなされません」

「だから何故だ! ――申せ」

「戰様は、大保様の御一門を心底憎い、と思ってはおられないからです」

 ……何? と受は顔を顰めた。



 ★★★



「どういう意味だ、真とやら」

「……ご自身の母上様であらせられる麗美人様や蓮才人様方の祖国を併呑したのは他ならぬ皇帝陛下であらせられます。しかし、戰様は皇帝陛下をお恨み申し上げる事は此れまでなかった。御二方の御生地であり戰様の心の拠り所、魂の祖国として楼国の名と地をこの世に残して呉れたのだと感謝すらされている節がおありです」

「……ほう?」


「戰様が此れまでに、本心からのお怒りをお示しになられたのは、その祖国である楼国を、蒙国皇帝・雷陛下が一夜にして火球と成さしめた時のみ。其れすらも、ご自身の力不足を嘆いての事でした。何故、楼国を守る力を持ちえぬ身であるのかと、己の祖国を存分に守る地位を望めぬのかと」

「……ふむ」

「戰様は、御自身が愛してやまぬ楼国の知識が薄い。何れ楼国の地を蒙国より取り戻した後、出来るだけ近い形で復興なされようとするでしょう。周辺諸国との関わりも含めて。その時、当時を知る大司徒様を筆頭とした御一門の知識と記憶ほど、頼りになるものはありません。」

「……成る程?」


「心の奥底では嫌っておられる部分は勿論、おありでしょう。ですが、大保様御一門を撫で斬りになされる事は有り得ません」

「……」

「大保様の御一門は、言わば副作用の強い薬湯と言えます。どうにか共存共立はできぬか、喩えそれが耐え難い毒を孕んでいようとも、門閥貴族の力もまた必要な事には変わりない現実からも、敢えて茨の痛みを堪えつつ道を徐々に整えて行く方法をとられる事でしょう」

「……」


「言い換えれば……戰様が大保様の御一門を須らく討たれるのであれば、其れは、心底からの怒りに身を浸されて我を失っておられるからです」

 そして、戰様がその様な事に陥るとは、私は考えられないのです、と言いつつ、真は手の内の茶器を納敬のうけいに戻した。


「そうか……其処まで分かっておるか」


 背筋を伸ばした真に、受は、満足そうに何度も頷いた。



 ★★★



 思いの外、生徒である真の出来が良かった事に驚きを覚えたのだろう。

 受は、何度も何度も頷いた。

 ふ、と鼻の先に笑まで翳しているあたり、満足感が垣間見える。

 相当に気分が良いのだろう。


「真とやらよ」

「はい」

「では、郡王陛下が我をお忘れになる為には、どうしたら良いと思う? 我が一門は、禍国にとってこの上ない悪性の腫瘤、潰瘍だ。除かねばならぬという意見も当然出よう。そう、其方の父である兵部尚書の口などからは特にな」

 やれやれ、父上の気質を的確に見抜かれているな、と真はうなじの辺りに腕を伸ばす。


「確かに。忠義忠節一本槍の我が父なれば、必ず奏上するでしょう。此れまで、父は大司徒様がおられるが故に、己の思い描く政治を行えるだけの権力を手にする事が叶わなかった。戰様に味方しているのも、何も私と薔姫が夫婦であるからに留まりません。父とて己の野望を叶える為に、戰様に与しているのですから。到底、許せるものではないでしょう」

「其方の父に留まるまい。品官低き者たちは、己の出世の道が開かれるという希望があればこそ、陛下に賭けておる。先ほども言ったが、我が一門を生き残らせてしまっては、結局は同じ轍を踏むと落胆し、その失望はやがて遠からず怒りに変わる」

 受は真を睨む。

 初めて、力の篭った、意思を感じさせる眼光を受けて真は戸惑った。


「そして陛下もまた、歴代の皇帝と同じく恨みの渦に立つことになる、真とやら。其方、臣下として、最大の身内として、其れでよしとするのか? 己の主君が誤った道を辿ると知りながら、看過して良いと思っておるのか? どうなのだ? 答えよ、真とやら」

 受は凭几ひょうきに凭れかかったまま前のめりになり、ぐぐ、と音を軋ませ迫り畳み掛けてくる。気迫に押されて顔を顰めた後、真は深く溜息を吐いた。


「仕方がありません。戰様が選ばれた道です。道なき道、どころか、道を穢されると分かりきった道程ですが、其れでも、戰様がやろう、と言われるのであれば」

「――あれば?」


「……私は、はい、と答えるでしょう」

 ……そうか、と今度は受が溜息を吐く。

 其処には、落胆の色がありありと浮かんでいた。



 ★★★



 ――君主の過ちを知りながらなお、共に歩みつつ道を均す術を模索するのも、確かに臣下の一つの姿であろうな。

 受は、口の中だけで呟いた。


 ――だが、私には其れを見届けるだけの気持ちの余裕がないのだ。

 目の前に膝を正して座る青年を、受は目を細めて見詰める。

 ――羨ましい奴だ、真とやらよ。

 矢表に己が身を晒して肉叢と成り果てようとも。

 狩りで落とされた鼬の尾が嬲られ捨てられるが如くに扱われようとも。

 何があろうとも従い抜くのだ、命が果てようともいぬとなり走り続けるのだ、という決意あればこそ、郡王陛下に其処まで従えるのであろう。


 だが、真とやら。

 其の方が皇子・戰と共に進むとする理想は、甘い夢想でしかない。

 清らかな水面に映り込む景色が、より一層鮮明でありながらも儚く美しく心に染み込むようなものだ。

 

 ――所詮、幻影でしかない。

 現実に叶うものか。

 皇子・戰が歩む道の先、遠い未来には、崩壊、という二文字が口を開け、今か今かと待ち構えている。

 ――手を伸ばせば頭から喰われ、そして二度と出ては来られぬ。


 だがこの真という青年は、手を伸ばすか否か、と問われれば、闇に手を伸ばすと即答するであろう。

 闇にどの様な猛獣が息づいていようとも。

 また其れらに魂を奪われ腕を脚を身体を喰いちぎられようとも。

 闇の深さに息を奪われようとも。

 七世先の魂ごと差し出す覚悟を、この真という青年は持っている。


 ――郡王陛下の御為に。 

 其方のような人物が傍におるからこそ、郡王陛下は己の理想に迷う事も惑う事もなく邁進されるであろうが……。

 だが。

 其れではならぬ。

 我が一門は滅びねばならぬ。

 陛下の温情は要らぬ。

 いや。 


 ――我諸とも一門を滅ぼして頂く為には、温情など通らぬ世があると知って頂かねば……。

 押し黙る受の前で、室内に入る風に、ふと、真は表を上げた。まだ少年の面差しを残す真の横顔を、受はじっくりと睨めつける。


「真とやらよ」

「はい?」

 不意打ちを喰らって目を丸くする真を、受は笑う。


 陛下には、この世には無情という言葉があるのだと。

 いや、無情こそが世の本質であるのだと。

 陛下には、御身を持って知って頂く。



「其方に――生きていてもらっては、困る」




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