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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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21 魔窟 その1-2

21 魔窟 その1-2



 案内された部屋で克は、うろうろ、うろうろ、と迷い犬のように徘徊していた。

 王城に入った際、戰の従者として兵部尚書・優が共に蓮才人の元に上がった為、克は万が一の場合に備え、別室に控える事としたのだ。自由に動ける人物が居るにこしたことはないし、蓮才人の部屋で芙と連絡が取れなかった場合も考えての処置だった。


 ……だった、のだ。

 が。

 ――ああ、糞、落ち着かん……。

 部屋の中を此れで何周したのか。

 大きく肩を上下させて克は嘆息し、脚をとめた。そして、ふと、黒光りする用意された椅子に視線を落とした。黒檀製の、自分の身分からすれば目が潰れそうな程、上等過ぎる逸品だ。

 最後に王城に勤めていた頃、克はまだ殿中侍御史でんちゅうじぎょしという身分であった。当然、皇子の部屋に呼ばれるなど夢のまた夢の物語、喩え呼ばれた処で、部屋の隅で影に入って立つのがせいぜい、椅子が用意されているなどとんでもない! と飛び上がらねばならない世界に属していた。


 それが、どうだ。

 今、舎人の案内を受けて皇子の部屋に直接招かれるなど考えられない、出来ない、夢物語の世界が眼前に、でん(・・)、と存在している。

 ――そりゃまあ、何時かは出世して、と思い描いてはいたが……。

 この間、用意された座といい、自分の周りでは勝手に自分の評価ががんがんと半鐘を鳴らすように鰻登りに上がっている。

 克は眉を顰めた。

 ――どうしたものだかな……。

 小波さざなみをたてる心を鎮めようと、爪を立て、がしがしと後頭部を引っ掻こうとして、いや一掻きして――克は飛び上がった。

「うっお!? いってぇ!?」

 痛みに涙を滲ませつつ、叫んでから気がついた。

 ――そう言えば、珊を庇って怪我をしたんだっけな。

 ひりひりする怪我の痕を恨めしく思い、自分で自分の後頭部を覗けるわけもないのだが、克は黒目をぐるりと回した。

 傷の手当てがし易いように、と髪の毛を短くされてしまっているので、もとどりが結い難い。形が悪いのと傷痕を隠す目的で幞頭ぼくとうを被り、披帛のように巾を垂らして誤魔化しているのだが、これもまた曲者だった。普段の克は真ほどいい加減ではないにしても、頭巾ときん程度にしか結わないので、押さえつけられる額が五月蝿くて仕方がない。

 頭を掻けぬのならば代わりに、と克は、頬の窪みに手を当てて、頬骨の一番高い位置に出来る笑窪を指の腹でこりこりと擦った。

 改めて、気持ちを落ち着けようと椅子に腰を下ろしてみる。

 が、上物過ぎて尻穴がこそばゆく感じ、変にもじもじしてしまう。


 これではいかん、と何か胃に落として落ち着こう、と周囲に視線を巡らせる。 

 と、側にある机には同時に歓待用に差し入れられた菓子と橙皮の蜂蜜漬けを落とした湯があり、まだ冷め切っていなかった。だが、まだ甘い香りのする湯気の上がる湯を、何故か美味いうちに口にしようと思えない。

 生まれてこの方、こんな上等でお上品な器も菓子も手にした事がないので、怖くて手が出せない、というのが正直な思いだ。

 其れに、こんな気取った菓子では胃の腑は逆に浮ついてしまう。

 克が何時も口にするのは、飾り気のない素焼きの器にたっぷりと満たした冷たい清水と、空きっ腹を存分に満たしてくれる質も量もどっしりとした菓子だ。其れを、訓練により汗と埃でべたべたに汚れた手のまま、叱られつつ仲間と押し合いへし合いしつつ騒ぎながら食べる。取り扱いが過ぎて喧嘩に発展すると、待ってましたとばかりに珊の鉄拳が飛んでくる、までが何時もの克の日常風景だ。

 ――此れがまた、滅法、痛いんだよな。

 あいつ、手加減てもんをしない、知らないからなあ。

 後頭部のキリキリくる傷の痛みではない、珊の拳骨のじんじんする痛みを思い出しながら、克は溜息を吐く。


 じりじりと焦れながら、部屋の中を彷徨い歩こうとした、その時。

 組んでいた腕を解いて、顔を上げた克は、目の前に殿侍姿の芙が立っているのに気が付き、盛大に仰け反って叫んだ。

「うっおぉぉ!? ふ、芙!? い、いつの間に!?」

「……」

「来たなら来た、と声を掛けてくれれば良いじゃないか。珊じゃあるまいし人が悪いな。心の臓に悪い……」

 仰け反りついでに椅子から転げ落ち、ぶつぶつとぼやく克に手を差し出しながら、芙が、ぷ、と小さく吹き出した。


「克殿が部屋に入る前から居た」

「……そ、そうか」

 一人芝居を芙に最初から見られていたのかと思うと顔から火が出そうになるが、いがらっぽい喉を鳴らす振りをして何とか克は誤魔化す。

 咳払いを何度かした後、克は目蓋を閉じて、す、と深く呼吸をした。

 息を吐き出しつつ目を開けた時には、克の頬は、きり、と引き締まっていた。



 ★★★



「どうだった? 目当てのは手に入ったのか?」

 期待感を込めて克が見上げると、芙は口元を緩めた。肯定の意を示す其れに、お! と克が小さく叫んで腰を浮かせる。そして、きょろ、と視線を彷徨わせると克と芙は何方からともなく身体を寄せ合い、声を潜めた。

「誰が持っている?」

「仲間が探り当て、今は俺が持っている。しかし陛下と合流しようにも、どうにも邪魔者が居る」


 芙の言う邪魔者、とは無論、徳妃・寧である。

 芙から、蓮才人の部屋でのあらましを聞いた克は、寄り目になった。

 徳妃・寧の息子、皇太子・天の最大の政敵である戰の養母である蓮才人を、徳妃はとことんまで疎み、そして嫌い、ありとあらゆる手段を講じてとことん嫌がらせをしてきた。あわよくば、身分を剥奪し後宮から追い出さんとまでしてきたというのに、何故、今、この状況下で下手にまで出てやってきたのか?


 ――何を考えている。

「克殿はどうおも……」

 疑念を議論し合おうと芙が視線を上げると、俺に何故だと思うと聞いても無駄だぞ、と克が全身全霊で語っている。芙はもう一度、ぷ、と小さく吹き出した。

 が、笑っている場合ではない。

「此れ以上、徳妃殿に居座られてはな……」

 克も腕を組んで、ぬう、と呻いた。


 何かを探っているのか?

 よもや、此方の意に気が付いているとでも云うのか?

 其れともそれらは全くの見当外れで、只の示威行為、もしくは牽制なのか?


 一番考えられるのは最後の案だが、それとても母親である徳妃が出張ってきていては、逆に皇太子の崖っ淵の瀬戸際ぶりがより鮮明に浮き彫りになるだけではないか?

 此れまでのように、その天井知らずの気位の高さからくる居丈高さ、底を見ぬ自信の深さからくる傲岸無礼な態度を貫かれた方が、数少なくなった仲間の結束を固められる。その方が余程まし(・・)というものだろう。

 今更、何を媚を売りに来ているのか、その目論見の真意は奈辺にあるのか。


 二人して沈黙し、それぞれの考えに沈む。

 芙は考えれば考える程、幾つかある答えの一つに手が伸びている自分に気がついていた。

「克殿」

「なんだ?」

「もしや……とは思うが、此方の狙いを向こうが嗅ぎつけている、という可能性はないか?」

「どういう事だ?」

「簡単すぎた」

 短い芙の答えに、ぬう? と克は呻いて組んでいた腕を解いて、芙に言葉の先を促した。芙は続ける。

 目的の物を探し出すのに然程、時間はかからなかった。

 しかも、特に緊張を強いられる事もなく手にする事が可能であった。

 自分たちは、草としての腕に絶対の自信を持っている。

 だがだからと言って、なんの抵抗も見せない相手に不思議を見出さぬ自惚れは持ち合わせていない。

 ――何かある。

 草として生きてきた、芙の此れまでの経験が針刺すように警告してくる。


「どう思う?」

「だから、どう、と言われても正直困る。真殿であれば見抜けるんだろうが、俺如きの頭でどうこうできるわけがないだろう? 期待する方がどうかしているぞ?」

「……」

 ふん、と鼻を鳴らしつつ胸を張って偉そうに宣言されては、芙も何も言えない。

「まあ、其れに、俺たちの出番は其処にはない。今は、蓮才人様を自由に動けるようにせねば」

 椅子から勢いよく立ち上がった克に、芙も深く頷いてみせる。

 其処へ本物・・の殿侍が使いとして面会を求めてきたと、内官が伝えに来た。


 克の前に進み出た舎人が礼拝を捧げる。身分を思えば過分過ぎる対応に、いやこれは俺に対してではなく、俺の向こうに陛下を見ているから此奴は慇懃な態度を取っているのだ、と思い直す。

 咳払いを一つして、気分を入れ替えると克は何時もの明るい調子に戻り、姿勢を正すようにと声をかけた。幾部、ほっとした様子を見せながら、使者は礼拝を解いた。


「何方よりの御使者か。郡王陛下に拝謁を願うのであれば……」

 御義理母君であらせられる蓮才人と御対面の最中だ、控えよ、と続けかける克の言葉を、殿侍は遮った。


上意下達じょういかたつに御座います」


 上意。

 玉座に在りし者の御言葉であり其れを品官卑しき下位の者に徹底させるとの意である。


 下達。

 玉座に向かいて平伏せし全ての臣民が命を須らく己のものとする意である。


 即ち。

 代帝・安よりの命令ということだ。


「寧徳妃様、並びに蓮才人様に於かれましては、速やかに王の間に御出でになられますように、との思し召しに御座いますれば、何卒、お取次を」

 克と芙は、顔を見合わせた。



 ★★★



 戰が義理の母である蓮才人との再会の喜びをまだ噛み締め合っている最中であるというのに、横槍を入れる者が現れた。

 徳妃・寧しかこの場にはいない。


「郡王陛下、お久しゅう御座います。随分ご立派に御成り遊ばされました事、その玉体を拝謁する機会を誰よりも先に得られました事、恐悦至極に存じます。また幾度もの御戦勝を収められしこと、且つ正妃を迎えられし事、遅ればせながらお慶び申し上げます」

「徳妃殿もご壮健であられたようで何より」


 無作法無遠慮に掛けられた徳妃の言葉に、戰は其れまでの明るい笑みをさっと消し去った。

 反対に、養母である蓮才人は頬に指す紅など不要な程に顔を赤くして怒りを顕にする。


 ――玉体、とは!

 玉。

 即ち国の至宝――そう、皇帝を意味する。

 このような場で迂闊に頷きを返せば、戰は、今現在帝室を束ねる代帝・安への叛意ありとみなされてしまう。


 ――此れが目的だったのか。

 蓮才人は呼吸を荒くして、己の3倍の体積があろうかという徳妃を睨めつける。

 しかし、戰の内を占めているのは、別の考えであった。


 ――誰が徳妃殿に入れ知恵をした?

 彼女の実父である大司徒・充は、娘である徳妃と孫である皇太子・天を見限り、同腹弟である先大令・中の娘である貴妃・明の腹出の二位の君・乱を選んだ。

 皇太子・天と徳妃・寧は、最大の後ろ盾を失ったのだ。

 であるが為、皇太子・天の権勢を盛り返さんとして母親である彼女が動いているのであろう。

 が、禍国を離れるまで戰が見続けてきた徳妃・寧の振る舞いは、過保護が過ぎる母、妄念に似た歪な愛情を子に注ぐ只の愚かな母、という印象であった。権勢を傘に横暴に振舞う事はあったとしても、それは徳妃という三婦人の地位を、皇后であった安よりも上位たるものに押し上げる大司徒・充の存在があればこそ、だ。

 母としては滑稽な程愚かであったが、政情に関してはまだ多少なりとも真面な判断が出来ていた、という印象であったものを。

 其れが、どうだ。

 この言動はどうしたというのか?

 此度の実父の非常なる振舞いに対して、その判断力が霞んだのか?


 ――私を貶めるとして、視告朔こくさくより締め出されると知っておられねば、義理母上ははうえの元になど来はしまいだろう。

 誰だ?

 誰が、徳妃殿をそそのかしている?

 今大令・兆が父親である大司徒・充より抜きん出ようとしているのか?

 其れとも、大司徒・充が親子の情を利用しようとしているのか?

 或いは、さきの大令・中が徳妃殿諸共、二人を屠ろうという魂胆を抱いているのか?


 もしや――

 この三人を蜷局とぐろを巻いて互いの尾を呑み込みあう蛇の如きに共食いさせようとする、別の誰かの思惑が働いているのか?

 大保・受が、ほくそ笑んでいるのか?


 ――分からない。


 焦燥感が腹を焼き、そして戰は、愕然とする。

 仕方の無い事とはいえ、今この場に真が背後に控えてくれていない事実が、之ほどまで己の心身を不安定にさせるとは思いもしなかった。

 いや、真が居たとしても、誰のどんな下心がどの様な腹案を膨らませているのかなど、分からないだろう。分からないであろうが、真が傍に居る。

 其れだけで、真が居てくれるだけで、自分は何程助けられてきたのか、頼ってきたのかを思い知らされた。

 ――真、何故この場にいない。

 だが、この場に居る誰にもこの弱気を悟られるわけにはいかない。

 一人、得体の知れぬ大保と対峙している真は、弱気を抱く間すら与えられない局面に立ち続けているのだ。

 ――真。

 心の内で名を呼ぶと、何故か意気が揚々としてくる。

 戰は、主従の縁を結んで初めて離れ離れで戦わねばならぬ己を鼓舞する為、何度も何度も、真の名を呼んだ。



 ★★★



 無言を貫き、身動ぎすらせぬ戰に焦れた徳妃が、独特の臭いが混じった汗をじわりじわりと全身から吹き出し始めた、その時。

 彼らの均衡を破る声が、上がった。


「陛下、恐れながら申し上げます」

 礼拝を捧げ進み出る殿侍に化けた芙に、戰よりも優の方が訝しげな目をしてみせる。

「どうした? 許す、答えよ」

「御使者に御座います」

 戰が母親である蓮才人と親子再会の時を持っていると知りながら使者を出す可能性のある人物は、極限られている。

「何方からか?」

 戰が克に答えるよう促すと、は、と克は深々とこうべを垂れ直した。


「代帝・安陛下に御座います」

 遂に来たか、と表情を引き締める優に向かって、いえ、と否定の言葉を投げかけたのは、並んで立っている克だ。

「代帝陛下がお呼びになられておられますのは、郡王陛下ではなく、寧徳妃様、並びに蓮才人様のお二方に御座います」

「何だと?」

「御二人の妃様方には、皇子様と共に王の間に参るように、とのお言葉御座います」

 芙と克の言葉に、太短い眉を跳ね上げつつ、何じゃとお!? と徳妃・寧は雄叫びに似た声を張り上げた。



 ★★★



「何故、代帝陛下が皇子様と共にお妃様方をお呼び出しになられるのだ」

 訳が分からない、と言いたげに寄り目になりつつ優が呻く。

 いや、優だけでなく、何故自分が視告朔こくさくの場に呼び出されるのか、全くもって想像がつかない徳妃・寧も蓮才人も、謎に気を揉まれ胸を抑えて知らぬうちに呻き声を漏らしている。

 そんな彼らの隣で、戰の瞳がちかり、と光っていた。


 ――成る程、そう言う事か。

 先に代帝・安が視告朔こくさくを行ったのはこの為だったのか。

 今朝執り行われている視告朔こくさくは、実際に文字通りの視告朔こくさくという事か。


 視告朔こくさくの最中に、自分を吊るし上げる手段を練っているものとばかり思っていた。

 が、芙が齎してくれた代帝・安の言葉が其れは違うと告げている。

 今、王の間にて執り行われている視告朔こくさくには、何の意味はありはしない。常の儀礼の場として、通例通りの議事が恙無く流れていくだけの、生温い朝議が在るだけなのだろう。

 代帝・安は視告朔こくさくの場にて戰を糾弾させるつもりは毛頭ないからこそ、其々の皇子と共に王の間に来るよう、徳妃・寧と戰の母を呼びつけた。

 では何故、皇子の母親を共に呼び寄せたのか?

 それは代帝・安は、禍国帝室の一族会議(・・・・)を行うつもりでいるのだ。

 一族会議は、視告朔こくさくの最中に勘会などより、よえい密室的色合いが濃くなる。文字通り、帝室に名と籍を置いている皇子と母、そしてその一番の臣のみが列席を許される。

 戰に従う兵部と呼応する構えを見せる刑部は、品官では及びはしなくとも、数の上で王太子、二位の君側にとって驚異になる。

 兵部と刑部を締め出すには、この形式を取るしかない。

 だがそうなると、此れまで、実質的に戰の後ろ盾の一員として上げていた手を下ろしたのだ、と代帝・安は明確に意思表示した事になる。


 ――寧ろ望むところだ。

 下手に他の臣下が間に入られては、後の世、互いの中に遺恨を残す事に成りかねない。

 暗い滲みがやがて疑念と疑心の影に育たれては、遠からず瓦解を招く。

 そうならぬ為の布石を態々己の為に打ってくれたのだと思えば、義理母である蓮才人を巻き込んでしまった胸の痛みを覚えつつも、腹は立たない。

 其れに蓮才人とても、戰の身が貶められればどうなるか、簡単に想像がつく。此れを乗り越えねば、蓮才人とて公婢の身分に落とされかねない。自身の行く末を自らの目と耳で確かめられる方が余程まし(・・)であると、頼もしい義理母は理解してくれるだろう。


 そう言う意味あいでは、逆に大いに助かった。

 出さずに済むに越した事はない此方の策は、相手の失策がなければ成り立たないものであるが、人の目と耳に出来うる限り触れさせたくはないからだ。

 だが。

 ――あの(・・)代帝がそうそう簡単に手にした権力を手放すとは思えない。

 そもそも、この案は彼女が考え出したものであるのか?


 ちらり、と徳妃の顔を覗き見すると、憤怒に汗を垂れ流している処だった。

 呼びつけられたのが、余程頭に来ているのだろう。

 徳妃・寧の立場からすれば代帝・安は同族の一女人であり、皇后という地位を得ておきながら皇子を成せなかった、生き恥曝しの穀潰しでしかない。

 彼女にそんな政治能力があるなど、徳妃や貴妃たちですら信じまい。

 無論、別の意味で戰は代帝・安に政治能力があるなどと思ってはいない。

 だが、力無き者が無作法に無限に呑んでも許される美酒の味を知ってしまっているのだ。

 その味を、手放すつもりであるとは到底思われない。

 己の手の内に長く留めおく為の策があるのだろう。


 ――其れを示したのは誰だ?

 大司徒・充か。

 先大令・中か。

 今大令・兆か。


 それとも。

 矢張、大保・受なのか。


 

 未だにこうべを垂れたままの舎人の姿を眺めながら、戰は此処にはいない、親友の姿を思い出す。


 ――真。

 今日この時程、君に傍にあって欲しいと切に望む。

 情けないと詰られても誹られてもいい。

 真。

 一声でいい。

 私の名を呼んで欲しい。

 いつものように。

 勝つぞ、と云う私に、はい、戰様、と。


 只一人で戦っている彼の身を案じるよりも、助けて欲しいと手を伸ばしてしまう己を恥じながら、なお、戰は、背後に真が居ない不安にじわじわと侵食されつつあった。




※ 【 幞頭ぼくとう 】 被り物の一種


日本では雛人形のお内裏様たちが被っている帽子のようなものに似ています


克が被っているのは、あんな感じのみたいなの、と思って下さればよろしいかと・・



※ 【 橙皮 】 橙の皮を乾燥させたもの 主に漢方に使われる

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