19 対決 その4-2
19 対決 その4-2
「では、真とやら」
「はい」
「其の方にとっての権力とは何だ? よもや、悪や力である、などと小僧めいた答えは返すまいな?」
輝く受の眼光は、まるで獲物を逃すまい、と見定めている猛獣の如しだ。
真とても、此処まで重ねてきた戦と修羅場がある。
それなりの場数を踏んでいるのだ、怯みはしない。
が、しかし真は、内心で首を捻っていた。
――何か、引っ掛かりますね……。
受の、異様な拘りを感じる。
そう、真自身の口から真の答えを紡ぎ出させるのだ、という気合ようなものを感じる。
そして、己の本心を明かす為の最も効果的な処まで、この場をもって行かせてみせよう、という呪いに近い執着というべきものを感じる。
其の為には如何なる労力も惜しまぬ、何としてでも捥ぎ取ってやるのだという、恐ろしいまでの執念も同時に感じさせる。
初めて、己の意を紐解くだけの人物が現れたのだ。
逃すまいぞ。
断じて此のままでは置かぬ。
己の意を見通せる力量を持ち、正しく志を認められると評した人物だけの事はあると唸らせろ、とばかりにぐいぐいと迫ってくる。
文字通りに鬼気迫るものが、いや、鬼の気配を纏っている受に、自然、真は微かにであるが腰を引いた。
その時、腹の内側で何かが、しゃり、と乾いた音を立てた。
此処まで細い音では、今の真の耳に届かない。が、打ち合う揺らぎを感じた真は、其処で踏み止まる事ができた。
だが、場違いな和みを含んだ眸で腹部に掌を当てる真は、白に、じぃ……と睨めつけられているなどと気が付きもしなかった。
★★★
一頻り腹を撫で、真が内心のざわめきを乗り越え背筋を伸ばすのを見届けてた受は、堰を切ったように話し始める。
「其の方らが――いや、領民、及び同胞であると低き身分を慰みに使う者どもは、何かと云うと権力は悪だ、それを掌握する者は巨悪だ、と云うが」
「はい」
「権力が悪であるとするのであれば、郡王という御位に就かれておられる陛下もまた、悪となりはしまいか?」
「……」
「そうなるであろう?」
実際に、皇太子殿下を始めとする帝室の皇子は様々に陛下を悪し様に申し立てておるではないか。
其の方らにとっては、彼らこそが悪であり論と法の歪みでしかない。
奴らの雑言など郡王陛下に置かれては痛罵にもならぬであろうが、相手にとってもまた同じ。
郡王陛下の御言葉など戯言以下。
現実に生きず夢想に揺蕩う者が語らう只の戯言、言葉の塵の羅列でしかない。
口を挟みかける真に、師の講釈は最後まで余裕を持って耳にせよ、と言いたげに受は片手を軽く上げた。
ぐ、と息を呑みつつ言葉を控えた真に、受はそれで良い、と微かに首を縦に振る。
「権力とは、人々を幸せにする力でなければならぬ、と定義するのであれば、我が父も叔父も、同腹弟もまた、人を幸せにはしておるだろう」
「それは……」
受の言葉に、真は、其れは違う、と即答できない。
曲解ではある。
湾曲した一面ではあるが、其れが雲上人の正しさであるのだと受は突いている。
覆す反論の言葉を安易に口にしなかった真を、受は、そうだ、よく堪えた、と褒めにかかりそうな目で見ている。
「そうだ。偏ってはおったとしても歪んでおったとしても。我が一門は確かに人々を幸福に導いておる。率先垂範した己が一門が最も享受していようとも、だ。此れもまた真実であるのだ。真実であると信じる者には真実と成り得るのだ。真とやらよ、何処がどう間違いであるのだ、と其の方は言うのか?」
「……」
真は言葉に迷った。
受という男は、己が導くままに望むままに、自分が答えに到達する様を楽しんでいる。
そしてそれ以上に、己の思惑を自分が先読んでいた事実に歓喜に震えている。
自分に一体何を期待しているのかは知れないが、だが受は、確かに自分との会話から生じるである未来という熱に、蕩けるような法悦を見出している。
現に受は、この部屋に入って来た時とはまるで別人のような生命力溢れる爛々と煌々と輝く眸と頬にて、目の前で凭几にもたれ掛かっている。
「真とやら」
「はい」
「良いか。権力とは水と火であると心得よ」
★★★
水と火という余りにも比喩的に過ぎる表現に、真は一瞬、思考力を奪われて固まる。
そんな真に、若いな、隙を見せるとは、と受は危ぶみの言葉を投げかけながらも笑っている。意味が分かるからこそ身体を竦め固めた真に、及第点をやろう、とでも言い出しそうだ。
「良いか、よく聞くがいい、真とやら」
――水。
水がなくては人も家畜も忽ちのうちに野垂れ死ぬ。
河川を満たす水は、喉を潤し、自らも食物を提供し畑をも潤し、物資の運搬、遊びにおいてもまた然り、心楽しませまでする。
何という、無限の慈悲であることか。
然し乍ら。
その水が常に優しく人を包み込む訳ではない。
大雨ともなればそれまでの月の妖精の如き優しげな顔を脱ぎ捨てて、獰猛なる牙を剥いて襲いかかる。
疫病を撒き散らし、田畑に実る作物を叩いて腐らせ、洪水ともなれば人も家畜も素知らぬ顔で飲み込む。
そしてそれに罪の意識など持たぬ。
それがあるべき天然自然であるからだ。
――火。
火もまた、此れ無くしては人は生きてはいけぬ。
物を喰う為に食物を炙り、道具を作る為に大量の火を起こして技工を凝らし、獣より身を守る為に、時として寿ぎを天帝に伝える為に祝の席には火は欠かせぬ。
己を焦がし尽くせば黒ずんだ灰塵となり、畑に巻かれて土地を肥やし、新たな木々草花を育てる糧となる。
何という仁恕であるのか。
だが、一度戦に使われれば、一時に敵を効果的に倒すこれ以上の手はないであろう。
――そう。
「2年前、我が属国であった楼国に生きるありとあらゆる命という命、全ての形あるものを撫斬りし、一夜にして業火に沈めた蒙国皇帝・雷のようにな」
楼国。
突如、口にされた戰の母・麗美人、そして薔姫の母である蓮才人の生まれ故郷の国名の登場に、真は自分でも知らぬうちに腹の辺りを撫で探っていた。
「……それが大保様の仰られる言葉の通りのものが権力、というものであるならば」
「あるならば?」
「至尊の冠を抱く事を天涯の主たる天帝より許されし、我が禍国帝室御一門のお身内として侍る栄誉を得、支えるべく権力を翳す名誉を得ておきながら。然し最もその権力歪め、貶めておられるのは――大保様の御一門、という事になりはしませんか?」
真の問いに、漸く、其処まで言い切ったか、と受はある程度、満足気な表情で笑みを零す。
「よくぞ、とは言うまいぞ。誰しもが気付いておった、明々に目に見える事実を述べたまでの事、言葉を覚えたての幼児にも出来る」
真の切り込み口調に、受は間髪入れずに答える。
だが、と言葉を一度切った受は、顳あたりに指を当てて、ふ、と微笑んだ。
「然し、誰もが危難を被るを怖れて口にしなかった。それだけの事だ」
「……」
やれやれ、普段は不必要な位に賢い癖に、肝心な処で抜けておるな、と言いつつに受は笑う。
揶揄しているのではない。
心底、真の足りなさを憂い、嘆いているが為に零れてしまったのだ、という弟子を見守る雰囲気が漂っている。
一生分、肩を揺らしている受を、ちら、と白が流し目で盗み見ていた。
★★★
だが、と再び受が言葉を切ると、白が、冷めた茶は不味いよって、受の手の内から納敬をゆっくりと奪っていった。
披帛を受の凭几の上に掛けたというのに、白の躰に纏わり付いた薫香が、それのように棚引いて真の鼻腔をちらちらと擽っていく。くら、と目眩を感じながらも真は、しゃら、と鳴った小さな音に支えられて何とか、膝を揃え直した。
「処でな、おかしいとは思わぬか、真とやら」
「何が、でしょうか」
「全てがだ」
もう一度問う。
この中華平原を統る帝国・禍、を名乗っておきながら。
その実、実際に此の国を全てを掌握しているのは誰だ?
開祖以来、禍国を徐々に歪めてきた最大の元たる凶星は?
何処の誰ぞ?
真は再び、答えを躊躇してみせた。
自分が出して見せた答えがあがっている問いを、敢えて再び投げかけてくるのだ。
何か意があるとしか思えない。
真が持った逡巡してみせた間を、受は、其の態度こそが最良の答えだ、と言わんばかりに頷いた。
「そうだ、我が一門だ。我らこそ家門に属する族こそが、この禍国の、最大にして最悪の凶相の星」
我が父である大司徒・充を筆頭とした我が家門こそが、禍国を喰らう真の悪。
此の中華平原を統るに相応しいと天帝より認められ、黄金の日々を過ごすよう定められし輝かしい禍国帝室を、醜悪奸邪に歪めたる膿、肥溜めに浸る悪しき浮腫、と云えよう――
受の言葉が耳を撫でていく度に、真は身体の内側をぐらぐらと容赦なく揺らす激震に耐えていた。
真の胸の内の葛藤すら楽しんでいるかのような受の言葉は続く。
いや、止まらぬ、と言いべきであろう。
眸の輝きは狂気じみた色へと変貌を遂げている。
己の言葉に酔っているのであればまだ、気持ちも冷めて落ち着いて対応できる。
しかし、己の暗部を剥き出しに曝け出しながらも、受は至って落ち着いているのだ。
其の癖、興奮の只中にもいる。
生まれて初めて、師・虚海以外の人物と、真実の言葉で話しているのだ。
興奮して何が悪い。
私を興奮させた真とやら、其の方が悪いのだ、責任を取れ、という居直りすらある。
不気味な受の二面性に、真は身体を揺さぶる目眩に堪えるのがやっとだった。
★★★
この国が成り立つ以前の禍国の地は、剣と弓、人と馬、血の海と酸鼻な風が支配する文字通りに血塗られた土地であった。
その冥き地を撲滅し、暁光差す蒼き草原の美海にかえす偉業を成し遂げたからこそ、新たな世を齎すべく、この平原に広め治めるよう定められたのだこの禍国だ。
が、開闢の高祖より数えて4代目である現皇帝の姿を見よ。
あれは何だ?
帝室の血など微塵も引いては居らぬ。
我が一門の戯けた老醜女が錦を纏い、代帝であると自らの汚れた口をもって抜かしてみせ、踏ん反り返っておるではないか。
何たる不敬か。
いや。
それ以前から、塵ほどであろうとも我が一門の息が掛かっている者を優先する愚昧さに気が付きもせぬ。
大は小を、小はより小さき屑を、屑は更に細き塵を、塵は目に見えぬ芥を、互いに転げまわるようにして掬い上げた先にある、あの王城はなんだ?
塵芥の山ではないか?
塵芥どもは絡みつく下心有る者どもを埃として溜め込み、更に汚れていっておる。
であるのに、我等こそが禍国を導き、其れ故に栄誉を賜っていると堂々と公言して止まぬ。
何という度し難い不逞の輩。
率爾を繰り返しても恥を知らず、利己のみを追求する軽忽な姿を隠そうともせぬ不心得者ども。
禍国の繁栄こそ一門の誉、帝室の栄耀と殷盛こそが物言わぬ声望である、と口にしつつも、その実、求めて止まぬのは己の身の盛運と繁昌のみだ。
「真とやら、そうは思わぬか?」
嗤っていてくれたのであれば、いっそ気楽であったのかもしれない。
しかし、受は何処までも冷静だ。
毛一筋ほどのゆらぎすら湛えぬ、水鏡となった水面のように。
背を、冷たいものが音も無く、しかしひたひたと間断なく走り過ぎて行くのを、真は感じていた。
★★★
――此の御人は……。
いつの間にか、口内一杯に生唾が溜まっている。
音を立てて飲み下したいが、だがしかし、己が感じている不快さを知られぬわけにもいかない。喉を鳴らさないようにするのが、精一杯だった。
自分の内側で諸々の感情が交錯し合い、心が相錯綜する。
――己の父を、叔父を、同腹弟を、一門を、こうも悪様に言えるのか。
真は此れまで人生において他者を、いや一門の者たちを、揶揄したり小馬鹿にしたり、何かと人を喰った言葉で言い表してきた。
しかし此処まで悪様に同門の、しかも父や同腹弟といった一族の内で最も親しい人を罵り、侮蔑し、行動を軽蔑に値すると憎しみ、厭悪に値する、と断じた事はない。
まるで後頭部を鈍器で思い切り殴られたような衝撃だった。父・優の鉄拳を遥かに凌ぐ痛みがある。
――……ですが……。
自分とても、此れまで散々と、父の正室である妙とその息子たちに腸を煮えくり返させられてきた。
何度目か、と数える気にもなれない。
憎いと、恨めしいと、何程思った事かしれない。
母親である好が、父・優の側室となったのは母の罪ではないではないか。
また母を愛して傍に置きたいと願った父に咎を被せるべきものでも、ないではないか。
己がその子として、側妾腹の子として此の世に誕生したのは、誰かの罰を背負っての事ではないのだ。
其れを事ある毎に言い募られてきた。
野卑な言葉の羅列を連ねての悪感を幼少時より叩きつけられて、恨みや嫉みを抱かずにいられようか。
しかしそれでも自分は堪えてきた。
父親を同じくする者として半分は自分と同じ血を引くから、という単純な意味合いからでは、決してない。
耐えねばならぬと。
此れもまた、至って単純な理由で――
口にしてはならぬ、思ってはならぬと己を言いくるめてきたのだ。
誰の為に?
父の為でもあり、母の為でもあり、そして己が生を全うする為に――だ。
具体的には、側妾腹である己の身を逆に卑下し深く思い込む事で、かろうじてやり過ごしてきた。
所詮自分は『人』ではない。
只の、『所有物』なのだ――と無理矢理、思い込んで堪えてさえいれば、正室・妙や異腹兄たちの言葉は、刃となって身体を傷付ける事無く通り過ぎていくと学んだからだ。
目を瞑えば、やり過ごせるのだと。
立ち向かおうとはしない、目を背け続ける卑怯な自分には気が付かぬ振りをして、心の風波が巻き起こす、紛擾した感情は押さえ込んで生きてきた。
――ですが。
この、大保・受様は。
……私とは――違う。
栄えある栄光の一門の長子でありながら、ただ、吃音である、という事実のみに目を向けられ、能力を正当に評価される事なく疎まれ蔑まれてきた。
曇りなき眼で真の己を評してくれよう、などと露ほども思われもせず、見捨てられ、体面のみの為、あれこれと弄られながら生かされてきた。
此れまでの生の中で溜め込んだ鬱憤や嚇怒を、義憤に変えた渦巻く情念を、受は、意地でも忘れない。
誤魔化すなど、受は、考えもしてない。
――……違い、すぎる……。
膝の上に置いた真の握り拳は、いつの間にか震えていた。
★★★
「……大保様」
「何だ、真とやら」
「最後にいま一つだけ、お聞きしても宜しいでしょうか?」
申せ、と受は促す。
有難う御座います、と頭を垂れた真は、すぅ、と息を吸い込みつつ姿勢と呼吸を整えた。
「大保様は、この禍国の根幹を揺るがす大罪人は御一門の方々、隅に、下に至るまで全てであり、一門は滅ぶべきである――と考えておられるのですね?」
「そうだ」
真の言葉に受は、間髪を容れず、そして此れまでの饒舌さを吹き飛ばす短さで答えた。
★★★
無言こそが最大の答えとして座る真を前に受は、一度咳払いをして茶を含んだ。
こんな時であろうとも、受はとことんまで落ち着き払っており、作法を熟す余裕を見せつける。
納敬に茶器を戻すと、さて、話を戻そう、と受は凭几に凭れ掛かった。
「確かに初代皇帝陛下の御世において我が一門は、華々しい戦功をあげ御身に尽くしたのだろう。だが、讃えられるは、我が租一人のみで良いではないか。何故、その子孫であるという理由のみで、禍国雲上において最も責任のある臣下となるを許される?」
見よ。
先代皇帝陛下の御世以降、臣下の座だけに留まらず、我が一門が如何に禍国帝室の血を穢してきた事か。
己の娘や縁故の者を後宮に上げ陛下の妃と成したが故に、皇太子といい二位の君といい、彼らを筆頭とした我が一門の血を引く暗愚で無知蒙昧な皇子や王子の何と多い事か。
其の為に起こる無駄な政権闘争の数々を自ら語った其の方に、よもや知らぬとは言わせぬ。
己が血縁の皇子を皇帝陛下と成さんと画策する者が、実力有意義な人物を排斥せんとし国を揺るがしておる姿を、真とやら、其の方は兵部尚書である父親を通して見ておった筈だ。
帝室を思い、憂い、真実に身を捧げんとする忠臣こそが出世の道を絶たれ首を捥がれる。
おかしいとは思わぬか?
此のでは、帝室は腐敗した我が一門の血によりますますもって汚泥に沈んで行き、良識ある有能なる者ほど憂いと怒りに身を焦がしつつ去らねばならぬ。
「私は」
息継ぎの間に、受は、茶で喉を潤した。
納敬に戻す際に、残った茶がひたり、と側面に当たって揺れる。
禍国帝室の玉座に座するに値する只一人の御方。
そう、つまり、郡王陛下にこそ帝位を継いで頂きたい。
卑しい輩である我が一門の血を引かず。
また愚かな一門の血を引く者を身内に抱えず。
全く独自の派閥を、王城内にも後宮にも国内外においても作り上げられる迄になられた郡王陛下こそが、第4代の禍国皇帝に相応しい。
「そうは思わぬか、真とやら。いや、そう思っておるからこそ、其の方らは奔走しておるのだ。否、とは言わせぬ」
「……」
「心配するな、其の方の思いは正しい。私も、同じ思いだ、真とやらよ」
我が一門の主である大司徒・充。
同腹弟である大令・兆。
叔父である先大令・中。
代帝・安。
皇太子・天。
二位の君・乱。
徳妃・寧。
貴妃・明。
私は、私の一門が、我が身内が此れ以上禍国帝室を喰い散らかすのを見ておられぬ。
「故に」
受は、ぎらり、と眸を刃のように光らせた。
――我が一門
須らく
滅ぶべし




