19 対決 その3-2
19 対決 その3-2
王都の南に位置する正大門が開かれる刻限と共に、姿を見せた一行があった。
実直に重ねてきた内政の実績と、輝かしく打ち立てられた武勲の数々を、知らぬ者はいない。
そう、祭国郡王・戰を筆頭とする一行である。
「祭国郡王・戰陛下の御成りだ! 開門せよ!」
大太鼓の皮すら恥じて破れる程のまさに怒号と言える、克の号令がかかる。
内側より負けじとばかりに、開門! との号令が大声で放たれる。
巨大な門扉が、ぎちぎち、みしみし、と軋みを立てて徐々に徐々に、開けられていく。
がつん、と衝撃音を立て、扉が完全に開かれると、門にて待ち構えていた一軍は、目も眩むような、宛ら後光のような朝日を纏った戰の神々しい姿に、ハッと息を呑む。
「出迎えご苦労。遠き旅路の無事を喜びで迎え入れた呉れた諸君らに感謝する」
馬上よりとはいえ郡王自らの声掛りに、落雷を受けたかのようにその場にいた者の身体が一斉に、びり、と震える。
魂と身体の殆どを感動に浸した大門を守る兵も出迎えに来た兵も、誰も彼も皆、戰を中央にした一行の姿に一斉に礼拝を捧げる。
「郡王陛下の御成りである! 王城へ案内せよ!」
克の命令に、大門を守る牙門将軍と王城の正門を守る五官中郎将が其々の兵を率いて進み出た。
そして、その中央が割れ、道が生まれた。
人海の中央に出来た道を、騎馬にてゆっくりと向かって来るのは、兵部尚書・優である。
馬を降り、最礼拝を戰に捧げる。
「お待ち申し上げておりました、陛下」
★★★
戰と父・優のやり取りを離れた場所で見守っていた真だったが、父に守られて王城を目指して進み始めると、彼らの背を眩しげに見詰め、最礼拝を捧げた。
深く、丁寧に。
心を込めた礼拝を捧げる真の姿に、道行く人々がふと脚を止めたり振り返ったりしていたが、真は構わず、戰の姿が見えなくなるまで礼拝を捧げ続ける。
何処かの見知らぬ誰かが、真の姿に心打たれたのだろうか。それとも、親切心からだろうか。姿が消えても尚、礼拝の姿勢を崩さぬ真に、陛下御一行は行ってしまわれましたよ、と、そ、と教えてくれた。
「有難う御座います」
耳からくる目眩のふらつきを堪えつつ姿勢を正すと、声を掛けてくれた人物は親しげな笑みを残し、軽く手を振って去っていった。自分も、郡王陛下をお慕いしている者だよ、と笑いながら。
嬉しく思いつつ真も笑顔を作り、手を振った。
そして、さて、と表情を改めた。
「私も、参ると致しましょう」
独りごちると、真は、道の隅に束となって誇っている草に目を留めた。芒である。
祭国での生活を思い出させる芒の姿に、思わず再び笑が溢れる。
歩み寄り、其の内の一本に手を伸ばした。
そして、手折った芒の穂を手にしたまま、目的の場所へと、鼻歌を歌いつつゆっくりと歩き始めた。
★★★
目指す人物の屋敷の前に、真は立った。
大保・受の館。
つまりは、大司徒・充の一門の長子の館である。
それなりの規模もある。
しかも珍しい事に、槇を使った生垣でぐるりと囲われている。季節柄、大量の実をつけている。緑色と深い赤い色の団子状に重なった実が、細い葉の間からちらちらと顔を覗かせている様子は愛らしい。
――幾らか、身構えていたのですが。
父・優に聞かされて想像していた以上に、飾り気がない家の構えだ。
よく言えば。
――此れでは、侘び隠者と変わり無いですね。
有体に言ってしまえば。
――質素、というか倹約家というか、まあ、見た目に構わないお人なのでしょう。
自分とても、禍国での書庫に篭りきった生活を思い出せば人の事は言えないのであるから、どの口から出た、と突っ込まれそうな不遜な感想を胸に抱きつつ、真は槇の生垣を伝っていく。途中、槇の実を摘んで採り、赤い実を口に含んでは門を目指して歩いていった。
暫く歩いて、門を見つけて真は驚き、立ち止まった。
なんと、門すら槇を使って仕上げているのである。
祭国における、椿姫が用意してくれた自身の家とても門は、松の木の枝を利用したものであるが、此れはそんな物を遥かに凌駕する造りである。
此処まで徹底されると、呆れるのを通り越していっそ関心を持たざるを得ない。
華麗なる一門を継がれる長子。
然し乍ら、出世を約束された身を皇女を娶ったばかりに失墜した己の権力を惜しむ人物。
大司徒・充、先大令・中、今大令・兆、と続く人物像から、勝手に想像していたのだが、この屋敷構えからは、彼らと同等の人物であるとは到底思われない。
――自分が思い描いていた御方とは、まるで違うのかもしれない。
深い緑の香りを誇らしげに振りまく門を見上げながら、真は気を引き締めた。
門番を務めている大保の私財である兵仗に、取次を願う旨の言上を頼む。
すると、明白に蔑みの視線を向けられた。
褲褶に袖を通している真の身成からいって、下男か私奴と思われたのだろう。正門から訪れるとは何事か、と背中から立ち上る気が雄弁に語っている。
確かに三槐の一任である大保の役に就いている受は、雲上人の中でも頂点の一人と言える。皇女・染が嫁下したとは言え、任を解かれた訳ではないのだ。
「私は、祭国郡王で在らせられる皇子・戰陛下の身内にして、兵部尚書・優の家門の者である真と申します。どうか、お取次を」
戰と父・優の名を出したのが功を奏したのだろう。
兵仗たちは顔を見合わせた。そして、ちらちらと真を盗み見しながらぼそぼそと何やら相談し始める。やがて、二人は揃って、大仰に肩を上下させて溜息をついた。左右を守るうち左の兵仗が、待っておれ、と真に向かって尊大に命じて門の奥へと姿を消した。残る右の兵仗は、明白に胡乱げな視線をぶつけてくる。
――やれやれ。
後頭部をぼりぼりと引っ掻く真の脳裏に、ふと、いつも口喧しく身成を整えろと迫ってくる小さな妻の姿が、ぽこ、と浮かんだ。
――姫が言うように、深衣を纏っていれば多少は彼らの見る目も変わるのでしょうか?
くす、と笑みを零すと、残っている右の兵仗が、ぎろり、と睨んできた。
おっと、と肩を竦めて背筋を伸した。
手にした芒の穂から伸びる髭を数えながら、のんびりと待っていた真は、一刻ばかり待たされた後、戻ってきた兵仗に声をかけられた。
「はい?」
「大保様がお会いになられるそうだ」
ついてこい、と言いつつも、何故こんな奴を、と聞えよがしにぶつぶつと呟いている。
はあ、と応えつつ、真は手にしていた芒をもう一人の兵仗の胸に押し付けて、門をくぐった。
★★★
屋敷内に入る。
一定の距離をとって、兵仗の後をとことことついて歩いていた真だったが、ある対屋に入ると、門構えから続く侘びた設えとは様相が一変した。
急拵えで、皇女・染を迎え入れる為に、敢えて其れまでの閑寂な生活を楽しんでいた館を改造したのだろう。
余りにも不釣り合いな装飾に彩られた母屋と北の対屋が目に付いた。
庭も急場に花を植えたのだろう。花の時期が合っていない作りで、これでは月見台に出ようという気も起こるまい。
しても詮の無い事とはいえ、つい、祭国での暮らしと比べてしまう。
祭国の庭は、猫の額ほどしかない狭いものだったが、其れでも、薔姫と母親である好は、四季を楽しめる花を慈しめるように心を配り、滋養のある野菜を育ててもくれていた。
――何だか、逆に庭が可哀想ですね。
そんな庭をあっさりと通り過ぎ、真は屋敷中央からみて東北にある対屋に連れて来られた。
――へえ。
初めて、門構えと一致する造りの建家を仰ぎ、真は素直に感嘆した。
草廬、と言う程の寂住居でも、質素が過ぎる枯れた雰囲気が流れている訳ではない。だが、何か落ち着いているというか、心にしっくりくるものがあるのだ。
興味が先走り、童子のような無遠慮さ丸出しの顔で、しげしげと対屋の佇まいを眺める真に、兵仗は呆れて物が言えないとでも言いたげに肩を竦めた。
「もう直ぐ大保様が、お前如きに態々脚をお運びになって下さる。勝手に上がって待っていろ」
「はあ」
適当すぎる程、適当に答える真に兵仗はこれ見よがしに目を眇め、ちっ、と舌打ちしながら去っていった。兵仗が行ってしまうと、真は、さて、と前髪をかきあげながら、対屋の玄関口の前で姿勢を正した。
勝手に上がれ、とは言われたが、礼節を破る言い訳にはならない。
「失礼致します」
真は丁寧に礼拝を捧げると、脇に寄り、自らの懐から晒を出して脚を清めた。
そして、廊下の端の影の内側を腰を折り、表を上げずにゆっくりと歩く。本来であれば、屋敷に上がるならば裏口からなのであるが、表に回された以上は一応客人、しかし己の身分から下男が従う作法を守るの順当だろうとしたのだ。
「面倒くさいですねえ」
祭国では驚く程、身分や出自などを忘れて暮らしていた。
いざ、禍国に戻りかつての生活に戻ろうとして、その余りの面倒くささに、真は久々に大仰に嘆息しつつ呟いた。
★★★
ふと、視線の先の小さな鉢植えに目が止まった。
――あれは……。
あの花は?
見た事がない花弁の形と色をしている。
思わず、左右を見回した。
濡縁から庭に降りるための沓脱石がある。その上に、男物の履物が用意されていた。
真は自分でも気付かぬうちに履物を突っかけるようにして履いて庭に降り、花に寄っていた。
――へえ……。
腰を降ろして見詰める先で咲く一重咲の小さな花弁は、淡い赤と桃色が霞のように混ざり合っている。花は小さく、それ故に、風にゆらゆれて揺蕩う様が稚い様子で思わず笑みを誘う。
以前、時に頼んで手に入れた西方で尊ばれている薔薇という名の花に似ている、と真は思った。
知らぬ間に、口元が緩くなる。
最初の祭国行きの折りに、薔姫に贈った薔薇は確かに美しかった。けれど、何処か人の手の好みが入った、歪んだ輝きがあるような気がしていたのだ。薔姫の、溌剌さと闊達さ。それでいて無垢で自然なままの姿は、この、純粋に、華やぐ時期を伸び伸びと謳歌している花の方が合っているような気がする。
――姫にも、見せてあげたいですね……。
この花のように、頬を赤くして喜ぶ姿が眼に浮かぶ。其れを啄く様にして誂えば、ぷ、と膨れっ面をして、もう、と声を荒らげてみせるのだろう。
つい、心和み誘われるままに、そ、と手を伸ばして花弁に指先を触れようとすると、小さな声が飛んだ。
「さわら、ないで……!」
何かを堪えつつ叫んだのか、引きつっている。
慌てて手を引っ込めて、真は周囲を見渡した。
しゃがんでいる分、床が高くなる為に人の姿は見えない。が声の高さと張り具合から、薔姫と然程、年齢の変わらない女童だと思われた。
声のした方へと進んでいく。
沓下で砂利が、しゃり、しゃり、と小鳥の囀りのような微かな音をたてる。
人の気配と息遣いを感じとった真は、沓を脱いで縁側へ上がった。部屋の奥に布団がこんもりと小さな山を作っているのが見える。布団から這い出して真の様子を見張っていて、つい、声を上げてしまったが、慌てて舞い戻って隠れているつもり、なのだろう。
――そういえば、姫もよく布団を被って団子になっていましたが。
この位の年齢の子は、同じような事をするのですね。
吹き出しかけるのを堪えて、真は布団に近付いた。膝を揃えて、枕元に座る。布団団子を上から優しくぽんぽん、と叩いた。
「心配をかけてしまいましたね、申し訳ありませんでした。でも、大丈夫ですよ。この御屋敷の方が大切になさっている花を手折ったりなど、致しませんから」
「……」
声をかけると、ほんの少しだけ、小さな頭が布団から生えてきた。
ぎりぎり、瞳が見えるかどうかの位置までしか見えていないが、こくこく、と上下に揺れる。
その、覗いている小さな瞳が潤んでいるのを、真は見逃さなかった。
今度は、布団を擦りながら問いかける。
「どうか、なさったのですか? 臥せっておいでのようですが……何処か、お悪いのですか?」
「……けが、……して、しまって……」
言ってしまっていいものか、と遠慮がちな声に真は、微かに頷きながら懐に手を入れた。暫くの間、ごそごそと探りを入れていると、目的の物が指先に当たった。
懐から出した手を、少女の目の前で開くと、合わせ貝を利用した薬入れが現れた。首を捻る少女に、真は怖がらせないように笑顔を作りながら、貝を開く。珊も使用した、虚海特性の傷薬である紫色の練り薬が、独特の匂いと滑りを見せて光っている。興味を隠せない少女の瞳が、不思議、不思議、それなあに? と言いたげに、くるりくるり、と回る。
真は笑顔のまま貝を閉じると、布団を持ち上げて腕を中にいれた。そして、少女の細い手が当たると、そっと貝を握らせた。
「お兄ちゃん、これ、なあに……?」
あれ程興味津々であったのに、いざ手にすると、戸惑いと、見知らぬ青年から優しくされる事に、少女は怯えをみせた。真は、笑顔のまま少女の額に手を伸ばす。
「怪我に良く効くお薬ですよ。痛い処に、塗って貰って下さい」
撫でてやろうとすると、びく、と少女は身体を強ばらせて、布団の中で固まってしまった。
思わず、厳しい表現になりかけるのを、何とか真は堪えた。
手を伸ばされて反射的に身構えるのは、日常的に暴力なりなんなり虐待的な行為を受けている者が、知らず知らずしてしまう動作だ。
優しくされる事に戸惑いよりも怯えをみせるのも、全ては、暖かい、人間らしい生活や日常というものに慣れていない事に起因する。
――こんな、小さな子が……。
いや、幼いからだからこそ、躾と称して非道な行いに晒されているのだろう。
そう思うと、やり切れない。
じくじくと痛み暗く沈んでいく胸を隠しながら、真は努めて声音を明るくした。
「あの花の鉢植えは、貴女のものだったのですか?」
「……わたし、の、じゃなくて……旦那様、が……大切になさっているの……」
震える声が、おどおどと答える。
旦那様、という表現に、真は目を眇めた。
改めて、この対屋を与えられている少女の身の上は、という考えに至った。
家門の血筋の者であれば当然、御父上様と答えるだろう。
ましてや、女童や下女、端女たちは、主人の事を旦那様とは呼ばない。
御主人様と呼ばねばならない。
旦那様。
という言葉は、この家の主人である男の手が付かねば口にはできないのである。
――まさか……。
こんな、小さな子を……?
薔姫と同じ年頃の少女ではないか。
喉に、嫌な苦味のある唾がたまる。音をたてぬようにゆっくりと飲み下すと、背後から声をかけられた。
「待たせたな」
自分でも気が付かぬ内に振り返った真は、矢尻の如き視線で声の主を射抜いていた。
そんな真の視線など何も感じぬ、と言わんばかりに細面の男――受は、考えの読み取れぬ顔ばせで立っていた。
★★★
大保・受の後に従って歩く。
途中、振り返った受が、ふ、と目を眇めた。
蔑んでいる、と言う訳でもなく、呆れている、という部類の其れでもない。
何方かと云えば、同病相憐む、という感情に近しい。
「そのように、卑屈になる事はあるまい。其の方は、私の正式な客人だ」
項垂れるような姿勢をとって廊下の隅を歩く真に、堂々と中央を歩け、と促す。思わず、視線を上げた真の前髪に、ふ、と今度は微笑する息が微かに撫でていく。
言い表しようのない感情が、真の中で渦を巻く。
そんな真をおいて、受はまた先を行く。
真は、大きく息を吸い込むと、背筋を伸ばして歩き出した。
通された部屋は、実に狭いものだった。
しかし、対屋の南側を開放してある為、庭の木々が楽しめるようになっていた。あの、真が目に留めた鉢植えも視界の端で可憐に揺れている。
「座るがいい」
受、自らに手を差し伸べられつつ円座を勧められた真は躊躇した。
「何も戸惑う事はない。言ったであろう。身分や生まれついての持ち物がどうであれ、其の方は私の正式な客人だ。家の主人たる者の誠意は素直に受け取るがいい」
受は自らもまた、円座に座る。
流石に上座を譲りはしないが、其れでも、真と同等列にまで降りてきたのだ。
暫し、廊下で逡巡を見せた真であるが、此方を見上げて待つ受の視線に、若いな、と揶揄するような成分を見抜き、やれやれ、と肩を竦めて一歩室内に踏み入った。
作法に乗っ取り、礼拝を捧げて後、座に座る。
然し乍ら何か腰の附近がむずむずと落ち着かない。
――いっそ、座などない方が気が楽だったのですけれどねえ。
此方を抱き込もうとしているのか、其れ共、逆撫でしようとしているのか。
それなりに覚悟をして来た為、別段、構いはしないが、此れまでの敵とは全く調子が違う事は確かだ。
「朝も早くから何用だ」
「大保様におかれましては、王城にて視告朔に臨まれず、御屋敷内に留まっておられますが、御宜しいのですか?」
質問に答えずに質問で返す真に、受は、ふ、と短く笑った。
「皇女を嫁下し迎え入れたのだ。発言権のない私が居ようといまいと、誰も彼も気にすまい。其れに」
「……其れに?」
「視告朔に出でる者程度の力量で、郡王陛下のお立場を転覆させる事が叶うまい輩は居るまい。先の見えきった芝居など見ても何が楽しかろうか」
「……」
相変わらず、揶揄するように真を見る。
真の直截な反応と、そして腹の中での隠れた反応を楽しむかのような視線だ。
「朝早い事でもあるし、其の方は酒を嗜む楽しみを知らぬと聞き及んでいる。別の趣向を用意しておいた」
受の言葉が途切れると、待っていた、とばかりに戸口の向こうで香気がふわり、と立ち上がった。
華から華へと飛び移る蝶のように艶やかに現れた女を見もせずに、受は命じた。
「客人に、茶を点てよ」
「あい」




