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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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19 対決 その3-1

19 対決 その3-1



 芙と彼の仲間を伴って夜半過ぎに王都へと舞い戻った優は、そのまま密かに時が出資している妓館へと入った。


 真に頼まれ蓮才人の元に芙を送り込まねばならないのであるが、しかし自分は此れから、兵部尚書として郡王たる戰を迎え入れる準備を仕切る身だ。蓮才人と連絡を取り合う時間が取れるかどうか、危うい。

 此処は出来る限り確実な道を、通らねばならない。しかもその道は、泥濘でも砂利道でも底板の腐った橋であってもならない。危ういから、ではなく、痕跡を残しやすい道を選ぶべきではないのだ。

 慎重に慎重を重ねるべきこの時において、優自身が見届けられぬ以上は信頼に足りる人物に任せるしかない。

 そして優にとってそんな人物といえば、商人・とき、以外に思い付かないのである。


 時は既に、王城内でもかなりと融通が利く御用商人となりつつある。

 ほぼ毎日、時はご機嫌伺いと称して王城に御用として出入りしている。その商人としての時の力を借りて忍び込むのが一番怪しまれまい、というのが優の判断だった。

 祭国にて仕入れた品、特に薄絹である『紗』を王城内に下ろす全ての算段は時の意のままである為、彼の登城を待ち望む者は多い。が、時が脚を運ぶ人物は決まっている。其の彼のたなを一番に贔屓にしており、且つ、紹介の窓口となっている、蓮才人の部屋のみなのある。時が蓮才人の元にご機嫌伺いと称して訪れる折が、一番手っ取り早いく確実に芙を城内に送り込める。


「宜しく頼むぞ、とき

「ほっほ、心得まして兵部尚書様」

 鯰の触角のような髭を紙縒りつつ梟の鳴き声のような声で笑いながら、時は快く引き受けた。


 時に芙を押し付けると、優は愛馬に跨り来た道を駆け戻っていった。

 南大正門にて、戰を迎え入れる栄誉は誰にも譲れないからだ。

 優が行ってしまうと、時と芙は何方からともなく、ちろちろと視線を相手に流した。ほっほっほ、と鳴く梟のように笑いつつ、時は手招きした。


「蔦の配下の方々なれば、さてさて、蓮才人様がお喜びになる様子が眼に浮かぶようだの」

 ほっほっほ、とまだ笑う時に芙は、胸に何か、もやっ……、と嫌なものが撫でて通る感覚を覚えて眉を顰めた。



 ★★★



 翌朝早々。

 時と共に城に上がった芙は、蓮才人の部屋に何か不審な点はないか調べつつ、憮然としていた。


 改めて紹介された真のさいである薔姫の母である蓮才人は、実に彼女の母親らしい人物と云えた。親しみを覚えた相手には感情を素直に剥き出し、裏表、屈託というものを持たない女性にょしょうだった。

 ただ、蓮才人は何方かというと可憐とか可愛らしいというよりも、美人や佳人と称される部類の美しさを持つ女性なのである。

 正しく蛾眉がびと讃えられる三日月型の眉。

 意思の強さを表す、す、と伸びた涼やかな切れ長の瞳は、養子として愛している戰と同じだ。

 白く輝く細面と、しなやかな若木のような靭やかな身体付きは、まるで花を咲かせた木蓮のようだと讃えられている。

 加えて、春の到来を伝える為に全身で花弁を誇らせる朗々とした陰りというものを知らぬ彼女は誰からも好かれる、朗らかな明るさを持っている。

 敵対する者ですらも、この明るさにはつい己の目的も立場の違いも忘れて釣り込まれて見惚れてしまう時がある――

 そんな、女性なのだ。

 しかし、戰の母・麗美人は、同族とはいえ真逆の美しさを持っている女性だった。

 清らかな、一点の濁りも見せぬ蒼き清流にのみ生きる事を許されている、しかも花の命の短さと夏の一時のみに散る梅花藻に例えられる、可憐な乙女。

 微かに薫る香、清流に滲む淡い色の花弁、常に揺られて揺蕩う茎と葉。

 全てが朧ろで、微風にすら手折られて夢よりも儚く消えていくのでは、危うく思わせる。そしてその危うさこそが、男を引き寄せる。

 そう言う意味合いでいえば、椿姫は確かに麗美人寄りの美形であるし、薔姫は母・蓮才人の気質を受け継いでいると言えよう。

 

 その蓮才人に与えられている居室に、時と共に訪れて紹介された芙が礼拝を捧げると、彼女は実に楽しげにころころと笑い転げた。

 近うに、と遠慮もなく手を振って自らの言葉で芙を呼び寄せる。芙が戸惑いながらも傍に寄り跪く。すると才人は女童がするように手で口元を隠す扇型を作り、くすくすと笑いながら芙に、こそり、と耳打ちした。

「いざという時、何か必要となれば遠慮なく申し出なさい」

「……」

 礼節を守り、無言を貫いていると蓮才人は口答えせぬ芙に更に告げた。

「もしも城内を探るのに蔦のように変幻せねばならぬのならば、遠慮なく申し出なさい。衣装ならば幾らでも見繕って用意してあげましょう。ああ、貴方にはどんな裳や長衣が似合うかしら? いっそ女官長にでもなってみますか?」

「……」

 うきうきと弾んだ声で、これ、衣裳箱と化粧箱の用意を、と女官たちに命じにかかる蓮才人に、結構です! と礼節もなにも吹っ飛んで芙は即答した。


 芙の剣幕に蓮才人は目を丸くして、あら、と本気で意外そうだ。

「蔦はいつも女官に化けておりましたのに」

「ほっほっほ、蓮才人様。幾ら蔦の配下の者とはいえ、得手不得手がありますわな」

「似合いそうですのに」

 まだ諦めきれない、と言いたげな蓮才人に、ほっほっほ、と笑いながら時は退出を願う礼拝を捧げた。余り長居しては怪しまれてしまうからだ。

 商人特有の商売っけたっぷりの笑顔を向けられて、夕べのあの言葉は此の事を言いたかったのだな、と微かに口をへの字に曲げる。


 ――喰えない爺様だ。蓮才人様のご性格ならば、俺に女変幻させようと目論むと知っていて黙っていたな。

 鰻の触覚のような髭を紙縒りながら退出していく時の背中に、芙は腹の中で毒づいた。

 とは言うものの。

 真に頼まれている品を探り出さねばならないし、何よりも蓮才人を身近にて護らねばならない。

 変幻せずに動く訳にはいかない。

 仕方なく、芙は殿侍の衣装を求めた。

「あら残念」

 本気で惜しみつつも、笑いながら蓮才人は内人を呼び、芙の衣装を用意させた。


 才人が用意させた殿侍の衣装を受け取ると、まるで童子の頃から出仕していたかのように、芙はごく自然に殿侍に変幻し終えた。

 着物だけを取り替えても、長年、培われた経験からくる所作までを含めて成りきる。此れが、蔦の一座の者の骨頂の一つだ。


 美々しくも立派な殿侍の出現に、あら、と蓮才人は目尻を緩める。

「似合いますこと」

 真の世話をあれやこれやと焼いている、小さな奥方の薔姫とそっくりの笑い方だった。 



 ★★★



 芙が仲間と共に、蓮才人の部屋の警護の有り様を見ている間、蓮才人は手慰みに刺繍を施していた。赤糸の濃淡で見事に花弁が表現されているそれは、どうやら薔姫への贈り物にするつもりの品らしい。


 と、銅鑼の音が才人の部屋にまで響いてきた。

「いよいよ、ですわね」

 視線で音を追う蓮才人は、此れまでの明るく軽やかな雰囲気を一変させていた。

 きり、と引き締まった頬との輝きは、強い決意に溢れている。

 同様に、芙も表情を引き締める。


 今日は、視告朔こくさくが行われる日である。

 視告朔こくさくとは、広く本来の意味としては月始めの朔日に行われる朝議の一つである。

 が、禍国においては皇帝が文官武官を集結させて公事中に勘会を行う事を指す。

 勘会とは基本は公文書、特に租調庸の、つまり主たる税が正しく収められているかを監査する事であるのだが、長じて朝座政に関わる全ての者への査問・尋問する場、とも呼べる意味合いも含まれてきていた。

 そう、つまり。

 戰が王都に入ると知った禍国の王城側は、急遽、本日を視告朔こくさく日と定め、彼を糾弾する構えを見せてきたのである。


「急いでおくれ」

 蓮才人が強い表情のまま、芙に懇願するように命じる。

 戰が入城するまでに、目的のものを手に入れておかねばならない。

 は、と短く答えて芙は率いた部下を一人残し、その場を立ち去りかけた。


 その時。

 才人に長く仕えている女官が、困惑しきったの顔色を隠そうともせず、面会を求める者が居る旨を伝えにきた。

 蓮才人も、首を傾げる。

 この銅鑼の音は、朝政と言い、朝一番の皇帝への挨拶を始める合図、つまりは王城の一日の始まりを告げるものだ。

 其れに合わせての来訪などと。

 一体、何を考えているのか。


「何方なのです?」

「はい、その、それが……」

「それが? はっきりとおっしゃい」

「……は、はい、その……皇太子殿下の御生母様であらせられます、寧徳妃様に御座います……」


 部屋を飛び出しかけた芙は、ぐ、と爪先に力を入れて堪え、その場に踏み止まった。



 ★★★



「徳妃様が?」

 細く整えた眉を顰め小鼻の先に小皺を作りつつ、蓮才人は心底嫌そうな顔をしてみせた。そんな所もまた、娘である薔姫とまさに母娘おやこである。


 既に、先導となる宦官と内人、舎人、女官たちは才人様の棟に入っておられます、とおろおろしつつ伝えられた蓮才人は、狼狽えるでない、とぴしゃりと言いつけた。

「早くお出迎えの準備をなさい。粗相があれば、我が子・戰に累が及び無能者としての誹りを受ける」

 はいっ! と息を飲んで女官は飛び上がった。『郡王・戰に累が及ぶ』の一言は、どの様な気付薬よりも、動揺した女官を静める効果があったらしい。女官が礼拝を捧げて去っていくと、蓮才人は芙の方へと向き直った。

「芙、聞いておりましたね? 徳妃様が何を企んで、態々とこの時期にこのわたしの部屋にお尋ねあられたか、図りかねます。なれど、此れは逆に好機と言えましょう。婿殿より命じられし物をこの機に探り出してまいりなさい」

「……」


 珍しく、芙は即答出来ずにいた。

 確かに、蓮才人の言葉は正しい。

 ただ単に、牽制する為なのか。

 諂う為なのか。

 もしや、蓮才人に仇なさんとする為か。

 其れ共。

 戰に対するしちとせんと目論んでいるのか。


 意図が掴めぬ以上は、先に此方の思惑を遂げる方に注力すべきであるとするのは一理ある。

 この思い切りのよい判断の下し具合は、戰の養母に相応しいものであるが、芙の中の本能は、この場を離れるなと告げている。


 ――陛下が視告朔こくさくに挑まれるこの時を選んだ、という事実を軽んじ目を伏せてはならないだろう。

 徳妃・寧は、先大令・中と手を組んだ恐れがあるのだ。そのような人物を前に、才人を残してはおけない。

 逡巡する芙に彼の考えを読み取ったのか、ふ、と蓮才人は小さく笑った。


「我が子・戰を助くる働きが出来るのも、また、貴方のみなのです」

 さ、お行き、と明るく言われて、芙は逆に肝が座った。

 指を上げて部下を集めると彼らに言葉少なく命じる。行け、との言葉を待たず、男たちは散開した。目を丸くした蓮才人であったが、はっ、と己を取り戻すと、これ! と小さく叫び声を上げた。

「私が残り、才人様を御護り申し上げます」

 跪く芙の頭上に、芙! と彼の名を叫びつつ、もう、と嘆息が注がれる。

 俯いたまま、芙は眉尻を僅かに下げた。言葉や表情に遠慮がないのは、矢張、薔姫様の御母上様でいらっしゃる、と何故か嬉しくなったのだ。

わたしに張り付いておらずとも、傍には信頼に足る本物の殿侍たちが控えております。お行き」

「私も仲間を信じております。例のものは、彼らが必ず手に入れて参ります」

「……」

 芙に即反論されるとは思わなかったのだろう。

 ぐび、と喉の音を鳴らして、蓮才人は絶句した。ついで、弾けたように笑い出す。

 負けました、好きになさい、と蓮才人は楽しげに肩を竦めてみせた。



 ★★★



 先導である宦官が、徳妃様の御成りに御座います、と声変わり前の少年のような甲高い声で告げる。其のくせ、姿を表した本人は40過ぎの白髪混じりの冴えない姿をしていた。内人が礼拝を捧げつつ宦官の言葉を受け取り蓮才人に伝える前に、ずかずかと無遠慮な脚音が部屋に侵入してきた。


「急な来訪であるのに出迎えご苦労な事じゃ」

 居丈高な声の主は、徳妃・寧である。ぬらぬらと輝くした分厚い唇から、ぬめ、とした舌先がちろりと覗いているのは、無作法と無礼を僅かも見逃すまい、と物色しているのだろう。

捕食者めいた気色の悪い舌の動きに、蓮才人は神経が逆立つのを必死で堪えた。


 ――無礼な。

 己の身分を嵩に来て自身を貶める行為に目を眇めつつも、蓮才人は笑顔を絶やさずに最礼拝を捧げた。後宮内においては、この程度の演技が出来ねば出世どころか、文字通り、生きる事すら叶わない。

 ――だから、御長姉様おねえさまは死ななければならなかった。

 私は生き残る。

 泥の笑顔の仮面で血の涙を隠しても、生きる。

 生き延びて、子らの行く末を見届けるわ。

「斯様に身分賎しき我の棟にてご尊顔を拝謁する栄誉を賜りましょうとは。恐悦至極に存じ上げます」

 整えられた上座を譲る。

 本来であれば、閨を共にせんと訪れる主、そう、皇帝のみが座る位置である。ひく、と強張る顔ばせを隠そうともせず、徳妃・寧は立ち尽くす。

 涼しげな顔で背後に控える蓮才人に、ぎろり、とひと睨みを呉れると別の座で構わぬ、と漸く声を絞り出した。

 では、と楽しげに蓮才人は自ら先に立って案内をはじめた。



 棟の先に広がる緑の庭を楽しめる部屋を蓮才人は勧めた。

 部屋の南側に走る濡縁には、続く形で突き出しの形で床が伸びている。

 屋根どころか手摺の類もないのは月見を楽しむ月見台に似ているが、宛らのこの縁台は、この庭との一体感を楽しむ為の造りといえる。

 とは言うものの、季節柄、揺れている花の種類は少ない。

 それでも撫子や桔梗、菊、鳳仙花、と言った草花や、木瓜ぼけの花や梅擬うめもどきの赤い実をつけ、満天星どうだんつつじが葉を燃えるような朱に染めて見頃となっている。

 雑多に在れも此れもと欲張るのではなく、気持ちよく楽しめるもののみを植えてある庭を一望できる縁台に通された徳妃は、一瞬、にや、と口角を持ち上げた。


「徳妃様、如何なされましたのでしょうか?」

「……何でもない、気にするでない」

 夏でもあるまいに、少しの動作で息切れながら汗ばむのは太り過ぎのせいであるのだが、当然、彼女は其れを認めない。皺の深い額をじっとりと湿らせ、目に入りかけた汗を晒で拭うのをよしとせず、徳妃は頭を振って追い払った。

 そのまま、殊更に胸を張って進むせいで、ぶるり、ぶるり、と腹と首、そして腕の肉が弛んで歪むのが目に見える。醜悪さに、才人付きの女官たちのみならず、彼女自身に付き従う宦官からすらも、失笑が起きかける。

「何じゃ?」

 ぎろり、とひと睨みを呉れて押さえつけると、ころり、と表情を変えて振り返り、徳妃は猫なで声で切り出した。


「随分と、楽しげな庭じゃの」

 はい、と屈託なく答えつつ、蓮才人は目配せをして歓待の用意をするよう指示をする。

「今は亡き陛下が、我が・薔姫の星巡りを知って哀れんで下さり、嫁す事叶わぬ身とあっても日々心平らかに楽しめるように、と御自ら命じて設えて下さったものに御座いますので」

 にこにこと笑いながら、蓮才人は女官たちに、此れ、と言葉をかけた。

 女官たちが下がると、蓮才人は自ら椅子を引いて徳妃を誘った。

「どうぞ。徳妃様におかれましては、斯様な粗末なものに腰掛けるなぞ片腹痛きことやもしれませぬが、元が末の身分故に、調度も華美に走る事許されておりませぬ。ご容赦下さりませ」

「なに、構わぬ」

 珍しい、柏槇びゃくしんで出来た椅子と机だ。

 柏槙は幹の形が歪に育つ。

 だがその歪な形を可笑しみとし、活かして活用する事が多いのであるが、蓮才人の勧めた椅子こそまさにそれであった。

 脂肪で弛み、同世代の女性よりも彫りの深い皺が目立つ顎下と、まるで臨月のように突き出た腹をぶるんぶるんと震わせながら、徳妃・寧は座った。



 殿侍の姿となった芙は、庭に降りていた。

 植え木の影からの襲来を抑える為にはこの位置が一番良いし、もしも縁台にて女官に化けた刺客が手を出そうとしても、全貌を見渡せる為、僅かな動きを拾いやすいからだ。

 だが今の処、危険な気配は感じない。


 ――しかし。

 一体何が目的なのか?


 徳妃の半分程の厚みしかない蓮才人は、彼女の身体の影にすっぽりと隠れてしまう。

 芙は、二人の高貴なる女性の姿を見比べつつ、才人を見守りながら、芙は周囲に視線を走らせていた。




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