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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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19 対決 その1-2

19 対決 その1-2



 祭国郡王・戰が、一両日中にも王都に入るとの一報が禍国殿上を駆け巡った。

 使節団を率いる右丞・鷹よりの報告を頼りとし、未だ祭国を出立するか否かの頃合であろうと踏んで、悠々と対策を練る構えを見せていた者たちの間には、激震が走った。



 ★★★



 ――呼び出されて来てみれば、何という為体ていたらくか。


 舎人に案内され、私室の中に一歩踏み入れた大司徒・充は顔を顰めた。

 中央部では、長年折檻の末に折に閉じ込められた耄碌した犬のようにぐるぐると同じ処を回り続ける男――

 そう、二位の君、乱がいた。

 ここ数ヶ月すっかり影を潜めていた悪癖である爪噛み(・・・)が復活していた。

 しかも、血が滲むほどに強く噛み締めているのに、気が付いていない。

 くちゃくちゃと音をたてて緩くなったささくれ共々、爪を噛み噛み歩いている姿は、浅ましく陋劣ろうれつとしか言いようがない。事実、遠巻きにしている宮女たちすら、礼を捧げる為に掲げた袖で紛れる事を良いことに、侮蔑の視線を隠そうともしない。


 ――無様な。

 何という醜態だ。

 腹の奥底に留めておくべきであるのに大司徒・充は知らず、舌打ちをしていた。音に気がついた乱は、しかし咎めるどころか、おお! と声を上げて喜色を浮かべる。

「来たか、大司徒よ」

 声音は、明白に安堵の成分が含まれていた。のみならず、諸手を挙げる勢いで、擦り寄るように大司徒に駆け寄ってくる。

 大司徒が、己の庇護下にあった皇太子・天を見限る行為をとり己の側についたとはいえ、未だに不安視していたのだろう。この場に充が第一に駆けつけて来た事に充足感を覚えているのだ。腹が空いて目を回した捨て犬が媚を売るように、甘えた息を吐いている。

 大司徒に駆け寄った乱は、で滲んだ血でねちねちとした糸を引く手で彼の両手を握る。気色悪さに眉を顰め、そしてそれ以上に不甲斐のない甥子の姿に怒りの目眩が沸き起こる。


 ――愚か者が。

 今度は慎重に、心の奥底で舌打ちをする。

 ――郡王・戰なぞ如何程のものあらん、と常日頃豪語し吹聴しておきながら、此の様か。

 負の感情を表に出すなど、為政者を狙う身としてはあるべき姿ではない。

 虚仮威しであろうと虚勢であろうと何であろうと、平素と変わらぬ姿を見せ付けねばならない。

 でなくては、下々の者に示しが付かない。

 周章狼狽するのは、自信のなさの現れ、引いては己の器の小ささを露呈するだけに収まらなくなるからだ。己の身分の高さにのみ寄りかかった傲慢さ、そして郡王に所詮適わぬ身の程であると、周囲の認識が浸透してしまうからだ。


 ――だが、乱殿下におかれては、こう(・・)であってもらわばならぬ。

 程々に愚かでなければ、此方の提案にはうまうまと乗って(・・・)はこない。

 しかし御し易い人物でなくてはならぬが、提案を理解できぬほど暗愚でありすぎてもならない。

 そして此方の意のままになってくれねばならぬが為、今の立場と私の忠心に疑心を抱くほど英明であってもならない。

 が、さりとて、此方を盲信しておれば良きかなとばかりに、盲滅法に己の欲望のままに動きすぎても困る。

 皇太子・天では、そのせいで思わぬ煮え湯を飲まされた。

 その点、句国戦で大敗を喫しその後の間抜けた言動で見限った皇太子と比べて、まだ乱は扱いがだと実感している。


 ――所詮は替え玉の皇子だと思っていたが。

 二番手に甘んじる、『二位の君』と言われるだけの事はある盆暗。

 何をしても兄である皇太子・天に良くも悪くも、及ばず過ぎず敵わず足らず、だと云うのが偽らざる乱の評価だった。

 

 しかし、今やどうだ。

 尻尾を掴ませぬまま、それなりの評価を内外に示しているではないか。

 其れはつまり、ある程度は人の注進を聞き入れ利己に繋がる事柄を目敏く見抜いて識別する能力がある、ということだ。

 扱いやすく与し易い君主に育てあげたつもりの天などより、余程、使い勝手のよい人物に育っているではないか、と内心でほくそ笑む。


 ――すると云うと、兆の奴は(わがおとうと)かしらを押さえつけられながらも、乱を程好く育て上げる術には長けていたというわけか。

 ふむ、と充は奇妙な感心を覚えた。


「大司徒よ」

「は」

の奴ばらがのこのこと王都にやって来るとか」

 先程、心そぞろになるままに動き回っていた事など忘却の彼方に放り出したとでも云うように、乱は居丈高に椅子に収まり、仰け反ってみせる。

 殊更に充の身分を呼び捨てるのは、己の上位を知らしめる為の見せかけだけ、上辺だけの強がりに過ぎない。しかも演技と見抜かれているとも気が付かず演じ続けている処は、いっそ不憫ですらある。だが、拙い空威張りであろうと、去勢を張る気構えが戻ってきた事に、充は満足を感じた。

 充の中では、乱と兆とが、お互いに鬱屈し反目嫉視しあいながらも、まさにそれ故に世間と世相を乗り越える人間となり得たとは、奇跡的な偶然の産物的に成長を遂げたのだとまでは、考えが及ばない。

 その蔑視の対象の最たる人物が、よもや己であろうとも。


 充の評価など気にせぬ、という仮面を引っ掛けた状態ながらも、乱は足を高く掲げて組んだ。

「予定より、早い」

「は、如何にも」

「此方の出方を挫く為であろうが、それにしても早すぎる。此方の斥候うかみらすら動きが追えぬとは――大司徒よ」

「は」

「奴らは何を見据え、何を仕掛けてくるつもりでおるのか。お前には分かるか?」


 忌々しげに眉を顰めつつ、乱は口元に親指を走らせている。

 無意識の行動ほど、人の本質が見えるというが、いくら尊大に見せようと態度を取り繕うとも、己の器の小ささをこうして露呈して気が付かぬ程度にしかなれぬ乱は、充にとってはまさに好都合の過ぎた。


 程々に先を感じとる目を得ながらも、その眼力を生かせぬ程度に間抜けで小心者。

 適度に覇気はあれども、自力で全てを成し遂げるには度胸が足らぬ。

 人の意見を聞き入れる見識を持ちながらも、最後の判断、責任は己に帰るのだと気が付かずに決定を下す浅学さ。

 人を欺く為に見栄と衒気げんきさを砕かれる怒りを爪噛み(・・・)で逃して待つ辛抱強さを身に付けながらも、手に入れた立場に翻弄され、誤った踊りを舞い始めた他愛なさ。


 ――全くもってどうしてなかなかの人物に御成に遊ばされておるではないか。

 この点だけは、兆の奴を褒めてやっても良いか。


 袖の奥に、にやりと歪めた顔ばせを隠しながら、充は恭しく礼拝を捧げながら乱の元に近寄った。

「では、恐れながら、申し上げます」


 ★★★



「な、何だと!?」

 王城の執務室に、大令・兆はいた。

 ゆっくりと那国よりの献上品である茶を、態々呼び寄せた芸妓に点てさせて楽しんでいた処であった兆は、届けられた一報に文字通り目を剥いて飛び上がった。

 祭国に向かわせた右丞からは、兼ねてより問題なしである、と斥候より連絡が入っていたではないか。


 ――右丞め! あの役立たずめ! 

 だが、途中何度も入っていた密書による連絡には、斯様な様は何事も書かれてはいなかった、と思うと冷や汗が滲み出てきた。

 と、云う事は、最後の伝達の後に連絡も成し得ぬ程、盛大に、しかも最悪の形でししくじった可能性が高い。

 此方の目論見が郡王に露見したのかと蒼白となる。

 目論見の露呈、と自分で至った考えに兆は、ごくり、と喉を鳴らして生唾を盛大に飲み下した。


 ――まさかとは思うが……。

 まさか……右丞の奴……。

 よ、よもや……う、う、裏切り……おった、のかっ……!?

 い、いや、其れとも当初から謀るつもりでおったのか!?


 腹違いの弟への悪感情を見込めばこそ、兆は鷹に目を付けたのだ。

 認められぬ、取り上げられぬ、頭角を現す場を与えられぬと鬱屈した思いを抱く自分と同じ臭い(・・)を感じ取ったからだ。

 許しがたい、度し難いと、臓物を捩じ切らせ吐き出しぶち撒ける勢いの憎悪を抱く者同士、命を救う為に媚び諂う事はあっても、今、この状況で右丞が裏切ることはないだろうと兆は自分に照らし合わせて思い直した。

 しかし。

 しかし、だ。

 ――その異腹弟の方が情に絆され、右丞を許し、剰え郡王に執り成しを願い出ていたとするのであれば……。

 ど、どうなる?

 私はどうなる!?


 最悪の事態が脳内の片隅を掠めて走る。その事実に怒りを覚え、兆はぶるり、と頬を鳴らして頭を振った。


 ――私の計画が狂うではないか!

 そんな事にさせてたまるか!

 最早、この禍国は過去の遺物に過ぎぬ程、内情は落ちぶれている。

 皇太子だろうが二位だろうがなんだろうが、碌でもない皇子しか育っていない事を見れば明白だ。

 そんな中で唯一の望みといえば、連戦連勝、向う処敵無しの破竹の勢いで勢力と支持層を伸ばしている、郡王・戰の存在しかない。

 

 ――そうとも。

 私の目に狂いはなかったのだ。

 故に、郡王・戰の唯一不二の重臣として勇名を馳せ名を成すのは私にしか許されておらぬ道理なのだ。

 その為には、先ずもって郡王の身に降りかかった、身分剥奪どころか命すら落としかねぬ、この未曾有の窮地を救ったの己であるのだと、王城内外に知らしめねばならない。

 初陣の折から、知らぬうちに影のように従う事を許された、あの卑賤の出自の男などでは、断じてあってはならない。


 その足掛り、いや捨て駒、いや生贄か……ともあれ、取っ掛りとなる筈と期待をかけて、鷹如きを拾い上げ、右丞の地位までもを与えたというのに。

 ――生来が小心者の右丞が、錯乱し迷走したのか?

 であれば、事態は……。

 暗い想像が、ねっとりとした蛸の脚のように絡みつき、魂に吸盤をたてて吸い付いて離れない。ぶるり、と頭を振ってみるが、妄念は去ってくれない。

 ええい、糞野郎の役立たずめが!

 一体祭国で何を、何を為出かしやがった!

 まさか、惑乱の果てに恩義を忘れて全て口を割ったのではあるまいな!?

 もしもそうであるならば、賢しらなあの(・・)兵部尚書の側妾腹の息子の事だ。


 ――何を企んでくるか知れたものではない。

 どうする。

 どうする!

 どうすれば良い!?

 困惑と狼狽と、気持ちの揺れからくる二の足踏みが、螺旋を描いて兆自らを縛り上げる。兆は、ひやひやとした粒が幾つも額に浮かぶのを感じながら、心の中を渦巻かせた。

 其れまでの自信を根底から覆された兆には、何もかもが疑わしく、疑い出せば際限なく怪しまずにはいられない。


 混迷乱擾、遂に無意識に叫びだした兆の背後で、作法も何もなくただ悪戯に華美に飾り立てた芸妓は、濃い地肌を化粧けわいで隠そうともしていない腕を晒して、茶を点て続ける。

 そして無言のまま、鮮やかな緑の香りの漂う茶を大令に差し出してきた。

「どうぞ」

 涼しげな声音が、知らず無様に晒した醜態を嘲る笑っているように兆には思えた。

 ぎ、と睨みを利かせてから奪うように茶器を取り、がぶり、と喉の奥に流し込む。

 茶の、馥郁たる香りと苦味のある深い味わいは、実は兆は初めて楽しむものだった。

 茶葉は、以前は皇帝の許しなくば得られぬ、とさえ言われて言われていた幻の逸品である。

 那国を助けての戦以来、高位高官の貴族の間で密かな嗜みの一つとして、僅かにであるが茶が流通し始めていた。しかし、那国よりの朝貢品となったとはいえ手に入り難い高級品であるには変わりない。


 平素であれば極一部の者しか口にできぬ至高の品を愉しむまでになったのだと、素直に愉悦に浸りもしたであろう。

 が、今は茶の苦味を典雅に愉しむどころか、刺々しく味を主張して舌を突き刺してくる忌々しさしか感じ取れない。

 臭り、曲がり、捩れた鬱憤を隠して、兆は芸妓を睨み据えた。

「苦い」

「その苦さを、旨い、と愉しむのが、茶の道、に御座います」

 言われて兆は、苦味の塊である緑色の液体の残り全てを、がぶり、と無造作に飲み干した。傾けた器から溢れたものが、緑色の筋を引いて顎から喉へと伝っていく。

 ほろほろと桃色の笑みを零しながら、芸妓は兆の喉元の汚れを懐から出した紙で拭いとってやる。そして、何も言わずに突っ返された茶器を受け取った。


 まるで幼子をあやすかのようにあしらわれ、逆に毒気を抜かれたのか、ふん、と兆は鼻白んだ様子で眉をひそめる。それ以上深入りすることをしない兆の前で、芸妓は、つ、と艶やかに指を指して茶を点てる道具を下男に下げさせ始めた。

 しかし、茶の苦味のお陰で渦巻く疑心を共に飲み下す事ができた。

 礼を取らせるか、と改めて芸妓に視線を戻すと、彼女の方は何か期待を込めた流し目で、じ……、と兆を舐めるように見詰めているではないか。唇の淡い隙間から、ちろり、と蛞蝓なめくじのような舌先が覗くのを見せつけられた兆は、彼女が自分と閨を共にする気であると感じとり、急速に下腹に欲が疼きだした。


「此方……」

「あい」

「よいか……?」

「……あい」

 こんな時だからこそか。

 兆の分身が、丹田の下で急速に猛り狂い出している。

「あれ、まあ、ご立派ですこと」

 くく、と喉を鳴らして哂う芸妓が、そのそそり勃つ分身に手を伸ばしかけたまさにその時、舎人が客の来訪を告げにやって来た。


「誰だ? 待たせておけぬ奴なのか?」

 この先に確実に起こるお愉しみ(・・・・)を邪魔された兆は、明白に顰面をしてみせた。

 左僕射さぼくやから一足飛びに大令に昇進してからこの方、兆はぞんざいな態度が目につくようになってきている。舎人が告げに来るのだから相応の身分であるのは分かりきっているものであろうに、尊大に振舞う事で芸妓に対して自分を大きく見せようとしているのだ。


「はっ……大司徒様が御自ら御成に」

「大司徒殿()が?」


 父上様が、とも大司徒様が、とも言わぬ処に兆の鬱屈した気持ちが不遜な言葉として現れている。


「通せ」

 お通しせよ、とも頑として口にしない。

 どれだけ怨みがましいのか、ともの言いたげな仕草と表情を隠しもせず、舎人は礼拝を捧げつつ去って行く。ふっ、鼻先で嘲笑うと兆は改めて背筋を反らせて座り直した。


 ――当たり前だ。

 決して忘れぬ。

 忘れてなどやらぬ。


 三男坊など、という明白な嘲りを背中に受けて叔父であるさきの大令・中の元に養子にやられた。

 まるで、犬や猫の仔を放り投げて呉れてやる、とでも言うかの如きぞんざいさでだ。


 其れを今更。

 風向きが皇太子・天より二位の君である乱に移ったと目に見えるや、しゃあしゃあと乗り換えてきた。

 皇太子共々に、長兄である大保・受すら切り捨てて乱に乗り換えた。

 剰え、左僕射の地位にあった頃よりこつこつと積み上げてきたものを、横合いから根刮ぎ奪い去ろうとしている。


 ――黙ってしてやられてたまるか。

 父・充は己を捨てたのだ。

 死に顔を晒せとばかりに、敵である叔父の家門に、野獣の檻に捨てたのだ。

 ならば子でである己が父が恥知らずに伸ばしてくるかいなを切り捨てて何が悪いのか。

 ――此処まで私が生き延びたのは、ひとえに我が才覚。

 そして天帝より下されし運気と導きによるものだ。


「……父など…………知らぬ」

 ぽつりと独りごちつつ、下がれ、と兆は腕を振る。

 典雅な所作で礼をしつつ、手に茶器を持った下男と下がりかける芸妓が口角に妖しい笑みを浮かべているのに、兆は気が付けなかった。



 ★★★



 舎人の案内で兆の部屋を訪れた充は、明白に眉を跳ね上げた。


 ――おのれ。

 父に上座を譲らぬ気か。


 すげ替えのにもなれぬ三男坊主が、父である私の恩義があればこそ生き延び、出世も叶ったものを。

 流石に緊張の色を隠しはしないが、それでも胸を張り、座を降りぬ構えを見せる息子を、充はふん、と鼻を使って嘲笑った。


「郡王陛下が明日にも王城に入られるが」

「存じ上げております」

 互いに腹を探り合う眼付きを隠そうともせずに、粘り気のある視線を絡ませ合う。

 既に彼らの間を支配するものは親子の情ではなく、政敵を挫いて足下に組み入れんとする我欲しかない。其のくせ、親と子としての体面を守っているつもりであるのだから、処置なしなのだが。


 先に下男を下がらせた芸妓が、まるで舞の一節のような所作で礼を捧げてきた。

「では……」

 芸妓は、まるで柳の木の枝が揺れるが如きしなを見せつつ、下がっていく。

 残された馥郁たる香りの中に、絹に染みこませた薫香だけではなく爽やかな青葉の香りの成分があると気が付いた充が、ふむ? と眉を傾けた。

「この香りは……」

「茶です。ああ、父上様に置かれましては、未だ味わった事ありませんでしたか?」 

 この程度の事、と言いたげに、ふふん、と兆は鼻先を使って笑う。そして父である充が、舌打ちを堪えんと歯噛みしている姿を、ちらりと盗み見して確認し、更に悦に入って嗤った。


「子の領分を超えての愉しみに御座いました、お許しくださいますよう」

 ……いや、よい、と手を振りつつも、充は動揺を隠しきれない。

 ――禍国において最高級の嗜好品である茶を……。

 この、私に先んじて兆が嗜んでおる、だと?

 名のある芸妓しか茶は点てられない。

 皇帝・景が存命中ですら、芸妓に伺いをたてて呼び出していたのだ。そんな彼女らを身辺に呼び出せるとは、即ち、其れだけの権力財力勢力を有している者だと知らしめる示威行為に他ならない。


 茶を、日常的に嗜む生活を送る程に達した自分に対する父からの、そねみと嫉みと嫉妬の入り混じった艶羨の視線を感じて、兆は此れまでの右丞への疑念を全て忘れてしまう程、兆は満足した。

「何でしたら、父上。芸妓を呼び戻し、点てさせますが?」

「……いや、よい。今は其れ処ではない」

 声が下がったのを見逃さず、兆は、明白に父を舐めきった尊大不遜な笑みを口角に刻む。


 ――哀れですなあ、父上。

 幾ら皇太子から乗り換えようとしても、船の間口は貴方分の空きはないのですよ。

「確かに。趣味人としての生活は、当分控えねばなりません。また、子としての領分を超えました。お許し下さい」

「……」

 言葉だけは丁寧な息子からの明白な侮蔑と嘲り、そして父親である己を安く踏みも踏んだ態度に、充は内心で憤怒の炎を上げる。

 しかし、息子と違い堪え性があり且つ其れを気取られぬのは、流石と言えた。何十年とこの魔窟のような城の頂点に立ち、引き摺り下ろされる事なく生息し続けた者のみが身につけていた、命脈を繋ぐ術なのだろう。


「其れで父上。いえ、大司徒殿()。私に何用で御座いますか?」

 殿、に重点を置いて発音してくる息子に、更なる怒りの蒸気を登らせつつも、充は、いがらを払う咳払いを態とらしくしてみせて堪える。

「郡王陛下がお戻りになる――其れは、まあ良い。だが、陛下が右丞をどの様に処しておられるか、その様子では知らぬようだな」

「と、言われますと?」

「右丞・鷹は、囚獄ひとやに捉えられておる。拘囚人として晒し者にされながら、下ってきておるそうだ」

「何ですと!?」

 充にたった一言で兆はしてやられた格好となり、がたり、と身を乗り出した。


「兵部尚書の長子であったな、右丞・鷹とやらは」

「は? ……ええ、まあ、そうですが」

 其れが何か? と続けかけて、兆は父の表情から先程の報復が此れか、と眉を跳ねさせる。


 そう、右丞・鷹は今や父の最大の政敵である兵部尚書の長子だ。

 右丞に失態を犯させ連座の罪に問う。

 無能な二世の典型である鷹を拾い上げたのは、それが目的の一つでもあった。

 だが、囚獄ひとやに捉えられているとなると話は変わってくる。

 囚獄は地位こそ低いが、刑部の中では特殊な任として尚書にも一目置かれている程のえきだ。


 ――囚獄を引っ張り出してきた上に、其奴が郡王の云う事をすんなりと受け入れている。

 という事はやはり刑部は、兵部尚書と命運を共にする腹積もりでいるのか。

 其れ共。

 郡王の背後にの如くにへばり付いている、あの男(・・・)の差金か。

 何しろ、父親を自由に使えるようにしろ、と代帝・安に褒美として強請るような男だ。

 ――何れにしろあの男が動いているのは間違いないだろう。


 兵部尚書の息子にしては、小柄な、そしてどこか幼い印象の男を思い出す。

 青年と呼ばれる年齢に達して居るはずであるのに何処か少年のような面差で、尚且つ細身であるのは、佳人あるとして有名な側室に似ているからか。


 ――今に見ていろ。

 その、見通していると言わんばかりの優男風のしたり顔(・・・・)を、驚愕と恐怖に歪めてやる。


 胸に貯まる厭忌の念を吐き出すつもりであったのか。

 兆は、ぺっ、と唾を吐き捨てた。

 




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