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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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18 渦 その5

18 渦 その5



「では矢張、出立を早めるかないか……」

「はい、その方が宜しいでしょう」


 戰以外の者は、既に部屋を下がっている。

 最後に、二人で話がしたい、と戰が望んだからである。


「戰様」

「うん……分かっている」


 禍国出立の準備は、そもそも、大禍となった火災が襲う前から寝る間も惜しんで進められていた。

 其処に同時に、鴻臚館の大火の怪我人の治療もそして出火原因の究明も続けられている。

 更には、大火の犠牲となった哀れな者たちへの鎮魂の儀式、慰霊祭の準備も合わせて進められた。

 此処まで、正に怒涛であった。


 更に、蔦の一座の者は総出で、敵――この場合は大司徒とせんの大令への斥候うかみへの陽動作戦を行い出方を待っているが、敵方もそのような動きにうかうかと乗る程ではないらしい。

 芙が炎の中で対峙した土蜘蛛と名乗った女をもう一度探る、と蔦たちは下がっていったが、今更調べ直した処で誰であるのか、知れるとは思えない。彼ら自ら指摘したように、関という関の監視を厳重なものにと命じられる直前に、この目を掻い潜り、既に禍国に戻ってしまっている頃だろう。

 それしか考えられない状況ではあるが、芙は再び国境へと部下を走らせ、杢は使節団の洗い直しをもう一度一から始める、と云って戻った。


 やらねばやられる。

 ならば。

 先にやるしかない。


 しかしそんな中、唯一、戰が禍国より率いてきた入植組たちだけでなく祭国生まれの雲上人うんじょうにんたちの心を苦々しいものにするのは、何といっても右丞・ようの存在だ。


 ――全ての元凶、悪根源。

 右丞・鷹は、今や祭国の民全てから白眼視されている。


 赤斑瘡あかもがさを持ち込み流行させ、更に監督責任のある鴻臚館から出火させて建家を全焼させた罪がありながらも追求もされずにのうのう(・・・・)とでかい顔をして生きている。

 だが、誰も表立って彼を責める事は出来ないでいる。

 何故ならば、祭国郡王の重臣として今や知らぬ者はないまでとなった真の異腹兄あにであるからだ。

 ただ、それだけの事実により右丞・鷹は無傷のままでかい顔でのさばっている。

 見方を変えれば、囚獄ひとやにより守られているといってもいい。其処まで、戰が禍国から率いてきた者以外にも、兎に角、右丞は良い感情を抱かれていない、いや悪い感情のみしか持たれていない。血に逆上せた若者たちが迂闊に隙など見付ければ、勢いのまま何をしでかすか分からぬ程に、右丞・鷹は深い恨みを買っているのだ。


 その一因には、真の現状もある。

 二人の間にある兄と異腹弟としての格差を知っている人々は、苦々しい思いしかないのは先に述べた。

 更に今の真の、此処まで不健康な状態があったであろうか、と嘆かねばならぬ程の不安要素満載の体調を作り出した張本人が、異腹兄である右丞だからだ。

 そう、真の体調がまだ完全とは言い難い――この現実に、皆が参っている。

 此れに尽きる。

 虚海が見立てた一応の完治をみるまでの2週間にも遠く及ばないし、何よりもあの大火で無理をした分、右丞・鷹との格闘の際に傷付けた耳の怪我からくる耳鳴りと、そして打撲と打ち身による発熱により、ほぼ一日ぐったりしている。

 ほぼ、とは、戰や克、芙や那谷たちが時間を区切って訪ねてくる時は起き上がって此れまでと変わらぬ頭脳の閃きを見せるからだ。しかし彼らが去れば、糸が切れた人形のように、こて、と布団に横になってしまう。そして、息を一息吸ったかと見る間に疲れに膿んで、もう寝入ってしまっている。

 常に耳鳴りがしている感覚に慣れて、真が会話を成り立たせてしまっている為忘れがちになっているが、見た目以上に彼は重症人なのだ。

 実際に知る者は少ないが、突然、目眩を覚えて吐き戻したり、感覚が狂ったまま立ち上がろうとして前のめりに転びかけたり、歩いていて背後がから時間に追われて走っている下男が、退いて下さい、と慌てる声が聞こえずにいてぶつかったりと、この数日間の失態だけでも上げ始めれば枚挙に暇ない。


 しかも、薔姫の見張りがあるから何とか保っていられるのだ。

 もしも真が独り身で施薬院に寄って居るのであれば、食事も薬湯も幾度か抜いてしまうだろう。

 真の周りで歯噛みにしている大人たちにとって、瞬くようにくるくると小さな身体を忙しなく動かして世話に没頭している薔姫の存在は、真の体調を慮る上で大切な有難い人物である以上に、心を穏やかにしてくれる和みの要因であり、この二人の姿を見る事は、せめてもの皆の心の安寧の拠り所でもあった。


 だが。

 ――また、薔と真の間を、裂く事になるのか。


 既に何度も別れを味わってはいる。

 しかし今回は、此れまでと違う。

 戦に赴くよりも、何故か焦燥感を覚える。

 どうしてかは解らない。

 本能的な何かが、告げてくるのだ。


 この禍国へのみちは危険だ――と。



 明日にでも、と言いかける真を戰は腕を組んで制する。

 戰とても分かってはいる。

 解っている、というよりも、そうするしか術はない。

 どの敵の目を欺くにしても。

 相手に熟考し、そして此方を迎え撃つ猶予を与えてはならない。

 ――解っている。

 何度も吟味しするように議論し合った事ではないか。


 今日この日、此処に至って結論付けたという訳ではないというのに、腕を組みながら、うん、と頷く戰の声には明らかな迷い、一歩を踏み出せない遠慮がある。


 ――こんな調子の真を連れて行って良いのか、本当に……。


 悩み、迷い、逡巡する。

 どうしても、踏ん切りがつかない。

 が、しかし真がいないままで果たして乗り越えられるかといえば、否、と誰もが、いや戰自身が即答する。

 ――真がおらねば……。

 だが、とまた、堂々巡りになりかける。

 傍目にはおろおろとしているように見えるのだろう。やれやれ、と肩を竦める真に、此方がやれやれだよ、と戰が溜息を盛大に吐いた。

「……禍国に戻るとなれば、相当な強行軍となるのは必死だぞ?」

「解っております。それに耐えられるか否かを決めるのは私の身体であって、戰様ではありませんよ」

 虚海が用意させた薬湯をちびちびと啜りながら、真がもそもそと答える。

 真との会話に既視感を覚えていた戰は記憶を呼び起こし、微かに目元を緩めた。

 祭国での騒ぎの為、真が独り、乗り込まんと父親である兵部尚書・優に馬を都合してくれ、と頼み込んだ時の事を思い出したのだ。


 ――そうか、あの時と逆だな。

 祭国の難事に立ち向かう為だった。

 此度は、禍国に乗り込むのだ。

 あれから、2年が経つ。


 もう、なのか。

 まだ、なのか。


 秋風が吹いた。

 風鎮が、カチン、カロン、と鳴く。

 戰がふと視線を其方に向けると、一瞬遅れて真も視線を流した。

 風鎮の音に、竜笛りゅうてき鳳笙ほうしょう、そして排簫はいしょうの音が被さりだした。学の命のもと、鴻臚館の大火による死者の魂を安んじる為の慰霊祭が執り行われているのだ。沈鬱な空気の中、哀愁漂う音は切々と訴えてくる。

 この魂の敵を必ず、と。


 失われた生命の数は多くはない。

 克やそして芙たち、そして那谷たちの尽力の賜物だ。

 しかしそれとても万能では有り得ない。

 魂を正しく導く為の笛の音をこのように奏でられた処で、所詮は生き残った者の自己満足としかならないのかもしれない。

 それでも。

 こんな風に奪われてよい生命など、何処にもない、一つもない。

 そして許されて良い筈がないし許してはならないのだ――そう決して。

 鬼籍に入った者のうちで最も年若い仕人の少年を、戰も真も心のうちで思い出していた。


「真」

「はい、戰様」

「禍国へ向かうのは、何時にする?」

「明日。出来れば夜明け一番に出立したいと思っております」

「……そうか」

「戰様、どうかご決断を」

 真の決意溢れる答えにそれでもまだ抵抗感を示し、うん、と戰は歯切れ悪く答える。

 禍国からの使節団はほぼ全員が傷病人となった。

 唯一身動きが取れるのは真の兄である右丞・鷹のみと言って良いし、実際、禍国において用があるのは彼の身だ。右丞・鷹だけを連れて行けば返って身軽になれるというものだ。


 ――分かっている。

「兄だけを連れての強行軍なれば何とかなるでしょう。戰様、禍国側の裏をかく為にも一刻でも、早く帰国なさるべきです」

「うん……そうだね」

「戰様。どうか、お返事を」

 ……うん、と続く言葉を持てずに戰は頷く。


 ――分かっているんだよ、真。

 分かっているんだ。

 だが――

 ――どうしても、私は、分かった、と言えないのだ……。

 私はどうすれば良い。

 何時もであれば、一番に相談すべき相手である真に相談できないのが、こんなにも苦しいものだとは。

 やっと薬湯を飲み干した真の渋面を見詰めながら、戰は苦虫を腹の奥で数万匹纏めて噛み潰している。


「戰様。どうか、ご決断下さい」

「……」


 此処まで言われても、おしきられるように頷きながらも、まだ戰は、重苦しい石を乗せられたようなしこり(・・・)が気になり、決心が付きかねていた。



 ★★★



 産屋の戸口にひょこ、と顔を覗かせて中の様子を伺っている小さな影に気がついた珊は、ああ姫様ぁ、と明るい声を上げた。


「どうしたの? こっち来るの珍しいね?」

「うん、ちょっと我が君の処に、お義理兄上あにうえ様たちがいらっしゃってて……。手が空いたから、しゅんの顔を見たいな、って思って……」

 そっか……、と珊も言葉を窄ませていく。

 彼らが何を話し合っているのか、彼女たちも分かっている。

 ――きっと、直ぐにでも……明日にでも、禍国に向かう為に話し合っている。

 暫く、重い沈黙が二人の間に泥濘のように佇んだ。が、珊はそれを清水に変えるかのように明るく言い放った。


「皇子様も真も忙しいね。ああ今、星皇子様は、ちょうどおっぱいの最中でご機嫌な処だよ? 起きてるうちに会うなら今だよ?」

 でも星皇子様はいっつもご機嫌だけどね、と珊は白い歯を見せて笑う。

 珊は、戰の事も星の事も『皇子様みこさま』と呼んでいたが、それではどちらがどうと解りづらい、と自分でも思ったのだろう。戰の事は此れまで通りに皇子様と呼び、星の事は星皇子様と自然に分かれていったのだ。

 じゃあね、と厨の方へと姿を消していく珊の背中に小さく手を振って、薔姫は思い切って産屋に足を入れた。

 大火の後、施薬院の手も足りない為、薬草を届けたり言付を頼まれるようになり、やっと念願かなって義理兄上あにである戰と椿姫の間にできた皇子、自分にとっては甥子にあたるしゅんと対面が叶った。


 ――こんなふうに会いたくはなかったんだけど……。

 残念な対面となってしまったが、それでも周囲の思惑なぞ吹き飛ばす笑顔と鳴き声で迎え入れてくれる星は可愛くて仕方が無い。

 祭国に来て赤ん坊が生まれる処に出会うのは、るいとよの子で、引越し早々の我が家を産屋替わりにして生まれたまる、そして真の同母妹いもうとである、兵部尚書・ゆうこうの間に生まれたあい、そして義理兄上あに・戰と椿姫の御子・星だ。

 縁の深い人の間に、一つ一つ、生命が増えていく処に立ち会えたのは素直に嬉しい。だが、この愛しい嬰児を愛でる間を、義理兄あにである戰も良人おっとである真も、充分に取れずにいる。


 ――そんなの……。

 暗くなりかける気持ちを奮い起こす為に、ぷるん、と薔姫は頭を振った。

「……お義理姉上あねうえ様、もう……おっぱいは終わった……かしら?」

 椿姫の部屋に、こそ、と顔を入れると、殊更に明るい声を出す。寝台に腰掛けて星に乳をやっていた椿姫が顔を上げた。ふふ、と花が開くように微笑んで膝をずらした。空いた隙間を、ぽんぽん、と軽くたたいて示す。途端に、声だけが不自然に明るく、何処かしら不安げだった薔姫の顔ばせが、ぱあ、と明るく輝いた。

 仔栗鼠が団栗どんぐりを目指して走るように、するり、と薔姫は椿姫の隣にまで駆け寄り、ちょこん、と座る。椿姫の腕の中の甥っ子の星は、頬袋一杯に餌を溜め込んだ栗鼠のように膨らませて満足そうに喉を鳴らしている。


「うふ、可愛い……」

 ちょん、と頬を啄いてみると、口が乳首から外れてしまった。はわ、はわ、と首を左右に振って慌てて乳を求める必死さがまた愛おしい。

 再び乳にむしゃぶりついて、んっくんっくと喉を鳴らす星を間にして、椿姫と薔姫は笑いあった。

「……どうかしたの?」

「……うん」


 ――もう直ぐ、お義理兄上様は禍国にお戻りになってしまうのに、お義理姉上様は平気なの?

 聞いてはいけない言葉である事くらい、薔姫にも分かる。

 分かるが、聞きたくて堪らないのだ。

 ――あと何回、こんな気持ちにならなくちゃいけないの?

 視線の先の星は夢中になりすぎたのか、相変わらず椿姫の腕の中で乳を飲むのに疲れてそのまま寝入ってしまっている。


 ――星だって……お義理兄上が居なくなったら、寂しいに決まってるのに……。

 薔姫の気持ちを知ってか知らずか、椿姫は微笑みながら、口元の汚れを拭ってやろうと晒を取り出した。くちくちと唇を動かしてぷくぷくと乳の泡を蟹のように出していた星は、母親の指がかかるや否や、盛大なげっぷ(・・・)してみせた。

 乳臭い空気砲が、覗き込んでいた椿姫と薔姫の顔を直撃する。母親と叔母をきょとんとさせて満足したのか、星はまた、くちくちと唇を動かしつつ静かになった。星の変わらぬ大物ぶりに二人で笑いあった後、椿姫は薔姫を抱き寄せた。


「……心配?」

「……うん」

 そう、そうね、そうよね……、と相槌を打たれるのを待ち焦がれていたかのように、じわ、と薔姫の大きな瞳に涙が浮かんできた。

 今までの、戦に赴く彼らを待つのとは違う。

 この言い知れない、暗く重いどんよりと濁った不安感は何だろう?

 単純に戦場にて檄剣を何合と交わし合うのだと言われるよりも、胸騒ぎと疑懼が襲ってくる。

「でも、私たちには待つ事しか出来ないの」

「……うん……」

「せめて、お互いに不安を言い合って気持ちを慰めて静め合いましょう?」

「……う、ん……」

「そして皆が出立する時はせめて心配をかけないように、笑顔でいましょう……ね?」

 ……うん、と薔姫は頷いた。

 納得している訳ではない。

 口にした椿姫がそもそも納得などしていないのだから、それはどだい無理な話だ。


 ――でも、待つことしか出来ない。


 椿姫の一言が、ずく、と胸の鼓動に反映して沈んでいく。

 それなら、お義理姉上様の仰るようにせめて笑えるようになりたい……。

 震える目蓋を悟られないように俯くと、椿姫が静かに抱きしめてくれた。

 椿姫の腕に星と共に抱かれていると、暖かくて幸せな気持ちになってくる。赤ん坊の寝息や汗は、それすらも何と甘く、人の心を落ち着かせてくれるのだろうか。

 二人で額を寄せて抱き合っていると、風に乗って、幾重にも折り重なる音が流れてきた。

 音は、様々な笛の音が複雑に、然れども優しいきぬが織られるように穏やかに、ゆっくりと流れてくる。

「……そう、今日だったわね」

「うん……」


 鎮魂の為の音が、自分たちの心をの響めきをも哀しんでくれているように、薔姫と椿姫には思えてならなかった。



 ★★★



 どれくらい、音に耳を傾けていたのだろうか。

 不意に、ざわ、と空気が動いて、新たに人が出入りする気配が感じられた。程なく、簡単な連絡事項の遣り取りを終えてきたと思しき戰が部屋に入って来た。


「おや、薔かい? 来ていたのか?」

「うん、お義理兄上あにうえ様」

 戰、と笑顔で迎え入れる椿姫に、うん、と努めて明るい声で頷き近寄るあには、早速息子に夢中の父親の顔になる。義理兄あにの姿に、うふふ、と薔姫は肩を窄めて笑みを零す。散々、真の父親の兵部尚書の事を子煩悩がすぎる親馬鹿だと何だのと誂っていた戰だが、実際に自分が親になってしまうと、その言葉はなかった事にしてしまえるのだから、子供というのは矢張凄まじい威力がある、と思わずにはいられない。


 満足行くまで愛息子のを可愛がると、戰は、流れてくる渺々と広がる心の篭った韻律に顎を上げた。

「此処まで、音が届いているのだね」

「ええ……」

 右腕に椿姫を、左腕に薔姫を抱えるようにして、寝台を椅子代わりにして座る。

 鴻臚館の大火の犠牲者を弔う為の、鎮魂と慰霊の為の儀式が行われる日だと知らされていたが、それがたけなわとなっているものらしい。韻律は一層の悲哀を奏でてやまない。

 鴻臚館のあの大火では、流石に死者を出さずに終える事は出来なかった。

 いや、助け出された後に、徐々に体調を悪くして亡くなった者の方が多い。もっと早くに、という声もあったのだが、余りにも予後不良で儚くなる者が続いた為、もしや自分も、と気持ちを消沈させて治療への意力を失わせぬように、との戰と学の配慮だった。


「学様と苑様が取り仕切られているのよね?」

「そうだよ」

 うぷ、うぷ、とまた泡を吹き出した星の口元を拭ってある椿姫を見詰めながら、戰が答える。

 祭事国家である祭国の面目を大いに躍如するものであるが、このような場で発揮などしたくはなかったというのが皆の偽らざる本音だろう。

「薔、調度良い機会だから、話しておくが……」

「はい……」

「明朝、私と真、そして克と芙とで、禍国へと向かう」

 えっ……!? と息を飲む薔姫の身体に、大きな手が伸びる。

 ぎゅ、と抱きしめつつ、戰は続ける。

「禍国では、私の立場を悪くしようとする輩が暗躍している。彼らがその決定的な一撃を繰り出す前に、私たちの方から仕掛けなければならないのだ――分かるね?」

「……うん」

 2年前、我が君が祭国に一人で行ったのと同じね、と呟く薔姫に、いいや、と戰は間髪入れずに答える。

「同じじゃない。あの時は、真は一人で戦いに赴いた。今回は違う。皆がいる。向こうにはときも兵部尚書も待ってくれている。一人ではないんだ」

「……うん、そう、そうね、そうよね……」


 背中を、椿姫が撫でてくれる。

 乳臭い星の寝息が、ぷすぷすと首筋に掛かるのを感じて、じわ、と涙が浮かびそうになるのを必死で堪えた。

 ――泣いちゃ駄目、泣いちゃ駄目! 此処で泣いたら、お義理兄上あにうえ様とお義理姉あねうえ様が二人きりになった時に、困っちゃう!


「……お義理兄上様。お義理姉上様。私、そろそろ施薬院に戻ります……」

 ……そう? と言いながら、椿姫はもう一度、薔姫の事を抱きしめた。

 薔姫も、義理姉の事を抱きしめ返す。


 早く。

 早く戦などない世の中になればいい。


 二人共、そう思い、願いながら。


 

 ★★★



 産屋を出る時、宮女を供につける、と戰に言われたが薔姫は断った。

「一人に、なりたいの」

「……そうか」

 暗に泣きたい、と言われているような物言いをされてしまっては、戰もそれ以上強く出られない。

 気をつけて戻るのだよ? と背を抱かれて、はい、と素直に答える義理妹いもうとのいじらしさに、大の男が目元を滲ませていた。



 施薬院に戻る途中、薔姫は鴻臚館の焼け跡近くを敢えて通った。

 幾ら元は禍国の姫君だとはいえ、今は鎮魂の儀式にまで顔を出せる立場ではない事くらいは弁えている。だが、せめて、同じ祖国の血を引く犠牲者たちへの哀悼の意を自分なりに示したかったのだ。

 まだ跡地からは、焼け焦げた臭気がしぶとく残っていた。椿姫や学が、丹念に、時には自ら手入れをしていた美しい植木たちが無残に刈られている処を横切ると、居た堪れない気持ちになる。

 身体に臭いが染み付いてばれてしまわぬように、薔姫は適当な距離をとった。

鴻臚館に向けて小さな手の平を合わせ、目蓋を閉じて祈りを捧げる。

 大人たちが、自分が此処に来るのをよく思わないと知っているので、献花も出来ないが、心を込めさえすればきっと思いは届くだろう、と一心に祈った。


 暫くの間、そうして真心を込めて焼け跡に祈りを捧げていると、声が聞こえてきた。

 複数人の、子供の声だ。

 目を開けて周囲を伺ってみると、自分や栗と同じ年頃の少年たちが、焼け跡に向ってきていた。

 手に手に、献花用だろう、小さな菊を持っている。

 声を掛けようか、どうしようか、と薔姫は悩んだ。

 身なりからいって、栗と同じような立場にある子たちだろう。

 彼らの輪の中に栗が居ない、という事実が薔姫の脚を竦ませていた。


 ――どうしよう……。

 何故か、どくどくと胸が高鳴る。

 ――聞きたい、聞きたい、聞きたい。

 栗の事を少年たちに聞いて確かめたくて仕方が無い。


 けれど、どうしても怖くなって出来ない。

 こっそりと覗くようにして、少年たちが手にした花を次々に焼け跡に捧げていく様を見ていると、いつの間にか、彼らの間にしくしくとした泣き声が広まりだした。じっとりとした重たい雨のような泣き声は、彼らが菊の花を手向けた相手を心の底から悼んでいる証拠だとしか思えない。


「御免……ごめんよ、僕らがおやつに誘っておけば、死なずに済んだのに……」

「僕たちが意地悪したから、御免よ……」

「……御免! ……ほ、ほんとに……本当に御免……!」

 泣き声が、やがて土砂降りの雨のように少年たちの頬を濡らしていく。

 腕で目元を抑え、身を寄せ合い、良心の呵責に押し流されるままに、わんわんと声を上げている。


「お前だけがいつも呼び出されて、可愛がられてて、羨ましかったんだよぅ」

「ごめんよ、ごめんよ……本当にごめんよ、助けてくれたのに、僕らだけが助かっちゃって……」

 きゅ、と胸の奥が痛む。


 一体、彼らは誰の死をあんなにも哀しんで、そして悔やんでいるのだろうか。

 知りたい。

 けれど、怖い。

 だが、目が離せない。

 

 ぶるぶると仔犬のように打ち震える薔姫の前で、少年のうちのひとりが、喉を裂いて叫んだ。


「――本当に御免! 栗、僕たちを許して!」




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