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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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18 渦 その4

18 渦 その4



亜藍あらん国の使節のお人らが、皇子さんの宮を仮宿にしはったのは覚えとるやろ?」

「はい」

「当時な、歓待の指揮を執るように言われとったんが、皇太子さんや。単なる実績稼ぎ(・・)ちゅうかな。皇太子さんにはく(・・)を付ける為に大司徒さんが命じたんやが、実際に細々した仕事しとったんは大保さんや」



 戰の母、麗美人の為の離宮は当時、まだ戰が王城から下がっていなかった為、主人不在のままだった。その宮が、遠い異国の使節団故に鴻臚寺に入れる事を憚った高官たちの一存で使用されたのだが、其れにも大保の手が回っていたというのか?

「――何か、目論んでおいでだったのでしょうか?」

「済まんなあ。今となっては、そうやろ、としか答えられへんのや」

 しかし、鴻臚寺に入ることを憚ると言っても相手は格下の、しかも姫君を朝貢の品とする程に切羽詰まった極貧の国だ。そんな国の言う事を聞いてやる必要などない、と一蹴されようものを。

「……確かに、何かありそうだね」

「そして……使節団の帰国の後に、あの、赤斑瘡あかもがさの大流行と続く、という訳ですね?」

 戰と真に、ほうや、と頷きつつ、虚海は染みが目立つ襟元を持ち上げて鼻の頭の汗の粒を拭き取った。


「流石の大保さんも皇子さんが羅患した時は、大慌てしとったなあ」

 珍しく、戰が隔離されている部屋へと自ら赴いてきた受は、普段は感情がこもらぬおもてに苛立ちの汗を滲ませ、忌々しげな声音で命じてきた。

「何としてでも、皇子様の生命を救って頂く」

 その頃には、戰一途となっていた虚海は、居丈高に命じてくる受にカチン(・・・)とこない訳がなかった。言われんでも解っとるわい! と声を荒らげて受を追い出し、高熱に倒れて今にも儚くなりそうな戰の治療と看護に没頭した。

「まあ、儂だけやのうて当時のお医師らの腕と尽力の賜物やろうけどな、何とか終息したんやが」


 やがて、2ヶ月近い赤斑瘡あかもがさの猛威がようよう鎮まった。

 多くの赤子、幼児、年寄、のみならず王宮内ですら鬼籍に入る者を続出させた大厄は、禍国王都を一枚の画布とした地獄絵図を描き出していた。


 厄疫の穢に関わったとして、皇太子・天に悪評が立たぬように大司徒が動いている間。

 しかし、皇帝・景の中では、去った使節団が残していった、まだ新帝となったばかりで基盤が磐石でない蒙国を討つ、という甘美な声が生き残っていた。

 だが既に、兵部尚書・優を筆頭として那国と共に河国を討つ、という方向に時節は傾いていた。戦に迷う事がなく、常に果断峻烈に意を決してきた景であったが、この時、大司徒の言を入れて皇子たちの言葉を聞く場を持たせたのだ。

 大司徒としては、此処で歓待役をやり遂げた上に耳に心地よい言葉を皇太子・天の口より奏上させて覚えを良くしようという魂胆であったのだろう。

 途中までは大司徒の思惑通りに運んでいた。

 が、それを全て吹き飛ばす言葉が、戰の口より上がったのである。


 ――何方つかずの戦で、戦力を二分する愚を犯してしまえばその何方にも負けを見る。


 戰の言葉に激怒した景の処罰の対象が、後ろ盾のない彼を此れを機会にと潰す方向に向かわぬように秘密裏に手を回していたのは、受だと虚海は云う。

「皇子様は私が必ずお助けする。その為に貴方には身を切って頂く」

 こうして、虚海は腐刑を受け放逐された。

 その後、暗に自ら死にに行け、と命じた同じ口から瀕死の重症をおった虚海に向かって、何としても救う、と受は宣言した。言葉通りに虚海は命を拾い、受は、彼の経済的な支援者であると共に、なおも続く王城からの監査の目から掻い潜り生き延びる為の密かな、そして最大の後ろ盾となった。

 

「大保さんからは、不定期にやけど儂のとこに連絡が入っとったんやがな」

 だが2年前。

 何時もよりも長く、大保よりの連絡が途切れている事に虚海は気が付いた。

 おや……? と首を捻りつつも、今にして思えばときが回してきたと思しき手の者の診察を虚海は引き受けたのだ。

 そして、改めて訪ねてきた商人・ときの口から戰の現状を細かく聞くに及び、10年ぶりの再会を決意するに至り――

「今、こうして儂は自分の阿呆さ加減を開けっぴろげにしとるわけや」

 虚海の嘆息は、肺臓を空にする程大きい。

 聞いていた処で右から左に筒抜けの克は、真や蔦の解説が入るのを今か今かと身を乗り出して待っている。

 苦笑しつつ、真はうなじの後れ毛あたりを掻いた。


「元々、不定期だったのは、戰様と虚海様をここぞ・という時に会わせねばいけないからでしょうね」

「当初から、疑いを持たれぬようにしていた、と?」

 戰のが眇められ、光る。

 はい、と真は頷きながら、内心、冷や汗しきりだった。


 ――大保様が、よもや此れ程の人物であらせられたとは。


 全く、情けない限りだ、と自分の方が嘆息したくなるのを堪える。

「虚海様、それでその後、戰様の元に参じられてより後、大保様とは?」

「全く。なんもあらへん」

 証明しようもあらへんけど、信じたって、後生や、と虚海は皺まみれの手を摺り合わせる。

 とうとう、深く嘆息しながら真はその手を取ってやめさせる。

「大保様が何をお望みであられたのか。何の目的があって、戰様のお師匠として虚海様を迎え入れられたのか。聞いておられますか?」

 いんや、と虚海は疲れたで力なく首を横に振る。


「あんお人は、本心を絶対に明かさへんお人やった。今でもそうや。自分の親兄弟に対しても、家門一党のもんに対してもそうや。一歩も二歩も引いて、自分何ざおらへん、と無視しとる人らを、こっちゃそれで構へんわどうでもええわ、云うて知らぬ存ぜぬを貫いとるお人や。実は腹ん中では冷たい目ぇで一門のもんを見よるのに、其のくせ、それを感じさせへん」

「……」

 虚海の言わんとする処は解るような気が、真はした。

 自分の本心をひた隠しに、それを悟られず、存在せぬものとして生き――いや、気が付けばそんな奴がいたかという状況にすら、ない。

 それすら、()であると信じせうる態度を、ずっと取り続けていたと云うのか?

 いや、大保・受は、自らを其処に落としていたのだ。


「自分の頭が人のつくり(・・・)と違うのやと悟らせんように、吃りが治った後も必要に応じて吃りを出して相手を欺いとるくらいや」

 分かるやろ? と虚海は疲れた声で同意を求める。

 そう、其れに大保・受は吃音者だった。

 そしてその障害のせいで、王城においても重責を担うことなく影のような状態が続いており、父親・充に頭が上がらぬままの姿はつとに有名で知らぬ者はない。

 障害を得た者は、健康を取り戻した時に大まかに二種類に分かたれる。

 健やかな身体に感謝して、同じく障害を得ている者に心を配りつつ生きるか。

 もしくは、その時分の己を恥じて隠そうとし、同族嫌悪的に障害ある者を必要以上に貶め蔑み居丈高に振舞うか。

 極端から極端であるが、大体人間の心理に添っていけばそうなるものだ。

 だが、大保・受はそのどちらでもない。

 吃音を隠しもせず、寧ろ本当に治ったのかと怪しまれることも厭わぬとばかりの振る舞いの上に、誰か特別に目をかけている訳でもない。


 全く、分からない。

 何もかもが、見えない、掴めない人物。

 それが、大保・受だった。



 ★★★



 だが、空恐ろしい人物であるとは、じわじわと油が地面に浸透するように理解できてきた。


 大保・受は、虚海が戰の元に参じて後は、思い出す暇すら惜しくなる程、充実した日々にうっとり(・・・・)とし、己に構う煩わしさを避けるだろう、と熟知していたのだ。

 事実、誘いに来た時と全く別人であるかのような、隠遁者に近い姿を王城にて常に見せられ続けるうちに、虚海の中で大保・受への警戒心というものが薄くなっていった。

 宮刑、死に至る腐刑を受けた時もそうだ。

 死に慄く生命を救っておきながら、顔出し一つ、口出しの一つない。

 何をしても関せずの態度を貫かれた。

 其処まで徹底されれば逆に何事かあらん、と身構える処を、受は、そうした心理を人に持たせぬ特異性を有しており、それは、何故、とも反駁させぬ見事だった。

「大保さんはどうしてはるのや」

 不定期に顔を出しに来る使者に密かに訪ねても、受に対する明白な侮蔑と蔑みの態度と虚海に対する憐憫の態度が綯交ぜになった、はんで押した答えるしか返ってこなかった。

「貴方も、恩義から此処に残られておられるのでしょうが、身の振り方を考えて新たな主を探された方が身の為ですよ」

 王城内での立場を直截に口にするわけにもいかぬからであろうが、虚海を憐れむ事で事情を察しろ、と10年間、言われ続けた。

 普通であれば、逆に此れは流石に何かがおかしくはないか?、と疑い穿った目を向けるものだ。

 だが、大保・受という男の不思議は、そうか、と妙に納得してしまう処にある。

 受の人物評定は、出処不明の胡散臭い噂話の類でさえ、その通り、と言葉の額面を鵜呑みにしてしまう――謎、という一文字が如実に言い表せる人物、としか言えぬのかもしれない。



本当ほんまにな、何というたらええのやろうな。あんお人はな、人の警戒心の枠の外に出るのが上手いんや。気ぃつけなあかん、思うとっても何やら他事ほかごとやっとる内に忘れてまう。そう仕向け……られとったんやな、今にして思えばなぁ」

「……」

 警戒心を抱くべきであるのに、警戒心を持つ事が馬鹿らしく思える相手。

 こんな男がいたか? と一瞬注視しつつも、いや今はそんな時ではない、いいか別にと思わせておく事に長けている。

 天然自然じねんにやってのけ、不自然さの微塵もない。

 忘れてしまっている、失念してしまっている事すら、意識から抜け落ちてしまっている。


 ――人の心の厳戒の扉を難なく擦りぬけ、素知らぬ顔のまま彼が暗躍していようは、露ほども思われない、思わせない。

 無害ではないだろうが取り扱い構うな、後回しに放っておいて良い、今は別に主眼を向けねばならぬ、と思わせて頷いたが最後、彼を再び認識することが難しい相手。


「それが、大保・受というお人――なのかもしれませんね」

 真の言葉に、儂もやっと分かったんや、勘弁したって、と虚海は小さくなる。

 顔面に刻まれた簾のような傷跡がより、色濃く見えるのは気のせいではないだろう。



 ★★★



「しかし……全員が全員というのも、出来すぎた話ではないか? 王城内であれば、一族内以外にも出世欲の塊の御方はゴマン(・・・)といる。そう言う方々からみれば、目の上の瘤というか、障害となり得る立場ではなかったのか?」

 寄り目になりながら、珍しく真当な事を横合いから挟んでくる克に、虚海が微かに笑顔を取り戻した。

「あんお人は、そもそも禍国第一のお家柄のお人やで? そんなもんに下手に手ぇ出そうもんなら、これ幸い云うて、大司徒さんやら大令さんやらに潰されてまうわ」

「おっ……おぉぅ、そ、そうか、そうだったな……」


「それにやな、大保さん自身は出世に全く興味あらへんちゅう顔と態度しとったからな」

「出世に興味がない?」

「ほうや、それは今でも変わらへんと思うで? 大保さんは出世には興味あらへん」

 克は寄り目になり、杢も僅かに眼光を揺らした。

「儂を迎えに来た時から、今でもや。何や、上手い事言えへんのやけどな。大保さんは、皇子さんを皇太子さんやら二位のお人やらと入れ替えて、そんで自分がええ目みたろ、とか考えとらへん」

「……そうだな、もしも出世が第一の目的であれば、流石に私も勘付く事が出来ただろうね」

 戰も眉を寄せた。


 ――確かに。

 普通であれば、父親にあれだけ押さえつけられ、養子に出た三男おとうとに立場が迫られれば、大抵は泡を喰って足掻くものだ。

 しかし、大保はおよそ政争というものに自ら関与した事が、只の一度もない。

 皇女・染を嫁下させると代帝・安から命じられても、すんなりと受け入れるような人物が出世欲の塊とはおよそ想像し難い。

 人の視界と意識の外に出る能力に長けた大保であるが、それは無欲の勝利というべきなのか?

 大保となって十数年。

 王城内での熾烈な政争に一切手も足も触れていない為か、ますます理解し難い。


「言われてみれば……」

「やろ? それにやな、大保さんは皇子さんに仇なすお人やない。それは確実なんや」

「此処までの事をしでかしておいて、仇なさない・だぁ!?」

 克が頓狂な声を張り上げた。

 そんなどでかい声ださんでもええがな、と虚海は嘆息する。

「ほうや。そやけど、味方でもあらへん」

「えっ……ええっ!?」

「ですね。ですから、今の今まで、私たちは大保様を意識せずに来られたのですから」

 同意する真に、また分からなくなったぞ! と場をぶち壊す大声で叫ぶ克の隣で芙は、じとり、と五月蝿そうに睨みつけた。



 ★★★


 

 しかしお師匠、と戰が首を振る。

「何故、大保の事を今まで話して下さらなかったのですか?」

「……話しとうても、話せへんかったんや」

 しょんぼりと虚海は項垂れる。


「……儂なぁ。皇子さんと一緒におって楽しかったんや。必要とされちゅうのが、こんな嬉しい事やってな初めて知ったんや。そんで年甲斐ものう、夢中になりすぎたんや。どかん(・・・)の改良に勝手に手ぇ出しとったのも、みんな、もう知っとるのやろ?」

 次の瞬間。

 すまん! 本当ほんますまん! みんな、この通りや! 許したってくれ! と虚海は額を床に打ち付けて、大声を張り上げて土下座した。


「お師匠!?」

「楽しかったんや……! わし……儂、皇子さんのお役にたてるちゅうのが、真さんらと一緒におられるのが、嬉しゅうてかなわんかったんや……!」

「虚海様……」

「あの糞後主さんの言葉聞いて、流石に儂も、はっとなった。言わないかん! 言わないかん、思うとったんや! 分かっとったんや!」


 ――本当ほんま、悪いことやと分かっとった!

 そやけど、そやけど言うたが最後、皇子さんや真さんらから呆れられて、もうおはんなんぞいらへん、云うて放り出されるんが、怖かったんや……!

 ――堪忍や……! 後生や……!

 この通り、この糞爺くそじじいを勘弁したってぇや……! 


 悲痛な叫びは、慟哭により途切れた。

 ひぃひぃと掠れた声を上げて泣く虚海の肩を戰がさすり、そして抱き起こす。

 ぐじぐじと鼻を鳴らす虚海に、真は苦笑しながら晒を手渡した。ぶび、と音をたてて鼻をかむそばから再び涙と鼻水が垂れて、小さな笑いが場を包んだ。


「誰も、お師匠の事を責めたりなどしません」

「そうです。見抜けなかったというのであれば、この場に居る者、関わりのあった者全てが背負わえねばなりません」

「……皇子さん、真さん……」

 そうだそうだ、俺なんぞまだ全然訳がわかってないぞ! と理由の解るような分からないような慰めの言葉を吐く克に、虚海がふへっ……と珍妙に鼻を鳴らして苦笑する。

 だが、泣いて吐き出したのと、克の気持ちの良い性格に救われたのだろうか。

 悲痛さは薄らいでいた。


「真さん……有難うな。こうやって詰め寄られでもせんかったら、儂、ますます何も言えんまんま、ずっとおらなあかんかった。有難うな」

 虚海は深々と頭を下げ、いいえ、と真は首を振る。


「ですが……虚海様の事を最も理解していたのは、つまり、大保様だったという事ですね」

 真の言葉に、ぴく、と戰は目尻を微かに跳ね上げた。


 実の弟である今大令・兆殿。

 実父である大司徒・充殿。

 叔父である先大令・中殿。

 同族一門までもを手玉にとり、戰様を影から陰から見詰め時には虚海様の性格を利用して此処まで把握させずにきた、大保・受殿の、この一連の動き。


「知ったからには、徒疎かにしてはなりません」

「我々の、まことの敵――と、真は見定める、のか?」

 はい、と答える真の前に、すい、と蔦が身を乗り出して来た。

 手には、何やら木簡らしきものを手にしている。

「陛下。そして真様。恐れながら大保さんという御方は、虚海様のみならず、陛下の事も、もしかしたら我々よりもかの御方がより理解が深うしておられるのやもしれませぬ」

 蔦が口を挟む。戰と真は顔を見合わせ、そして同時に蔦を注視した。


「蔦、それはどういう事だい?」

 戰が訝しげに、と言うよりも聞き捨てならない、と言いたげに目を眇める。

 戰と真の前に、此れを、と蔦は白く細い指先を揃えて木簡を二本、差し出してきた。

「此れは?」

「芙が対峙したという、土蜘蛛とかいうおなごは、存在しませぬ」

「何?」

 戰が木簡を奪うようにして、蔦の手から剥ぎ取った。

 真も手元を覗き込み、記載されている名前を順に追っていく。古い木片の方はどうやら、使節団の随行者名簿であり、真新しい方が今回の大火による怪我の程度を記してある名簿の写しようだ。


「下女の欄があるのですが……。この火災にて生命を落とした哀れな者が、一名、おりまする」

 言われた通りに、名を探ると、確かに一名生命を落としている。

「では、此れが芙と対決したとか云う……?」

「いいえ、違いますよ」

 戰から木簡を受け取った真が、今度は克に手元を覗き込まれながら首を横に振る。

「流石に、幾ら何でもあの大火でうちの芙を相手にそこまでの動きをした者が、炎に巻かれて死ぬるとは思えませぬ」

「ですね。明らかに別人でしょう」

「関に残されている記録を、私も拝見致しました。が、途中通過した間で、人が増えたという事実はありませんでした」

「ええっ!? と、云う事は……どういう事になるんだ?」

 杢が更に言葉を重ねてくると克は、意味がわからん! とあっさり降参し、両手を挙げた。

 がしがしと頭を引っ掻き回しかけて、おっと、と克は手を止める。下手に引っ掻いて瘡蓋を剥がしでもしたら、またぞろ珊にきゃん(・・・)きゃん(・・・)言われる、と肩を竦めた。


「難しく考えすぎなんですよ、克殿」

「簡単に考えても分からんよ、真殿」

 意地悪しないで教えてくれよ、と克は眉を八の字型にする。

「最初から、二人居たのですよ。土蜘蛛と呼ばれる女と、本物の下女と」

「ん?」

「簡単に言えば、一人二役ではなく、二人で一役、だったのです、本物の下女と土蜘蛛と」

 草として闇に紛れて密かに動く場合は兎も角、表に出た方が都合が良い場合もある。そうした時は敢えて、草として正体不明にせず動いた方が良い。場合により、下女本人を薬なりなんなりで気を失わせた上で彼女と入れ替われば、疑いも持たれない。

 土蜘蛛は、まさに蜘蛛のように糸を張りめぐらし、時に人形のように下女を操りして潜んでいたのだ。


「記憶違いから露見してはならないですからね。その辺の誤魔化しなどは、蔦たちも知る『魔障の力』などを利用して惑わせていたのでしょうけれど」

 魔障の力、と云う言葉に戰が露骨に嫌そうに眉を寄せた。

 鴉片――この妖しの力が働いたせいで、彼の母・麗美人と薔姫の母・蓮才人の祖国、楼国は此の世から完全に消え失せたのだから、当然だろう。

「そ、それで?」

「この、死んだ下女だが、身体の燃え方が他の被害者より著しく身体の破損が酷い。明らかに、油かなにかを掛けて燃やしてある」

「何ぃ!?」

「元々、二人で一人だったのだ。大火の直後、密かに脱して禍国に逃れていたとしても本物・・の下女の焼死体があがっている。誰にも気がつかれない」

「という事は、土蜘蛛とか云う女は、もう禍国に戻ってしまっているのか!?」


 唾を飛ばして迫る克に、其処まで寄って貰わなくても聞こえていますよと言わんばに真は仰け反りつつ、ご明察です、と短く答えた。

 真たちの解説を、口を固く閉ざして聞き入っていた戰のこめかみに、ぴしり、と筋が入る。

 怒りの為だ。


「ほれ、そのように恐ろしきおもてをなされまするな」

「蔦、しかし」

「事の真相をお知りになられれば、陛下は大保様をお許しになられますまい。そして、禍国にお戻りになられし折には、大保様を訪ねずにはおられますまい」

「そんで、その大役えきを担う事になるんは、真さんしかおらへん――言う処まで、大保さんは見抜いとるんやな」

 交互に溜息を蔦と虚海に吐かれても、戰は怒りの冷めやらぬ表情を崩さない。


「真」

「はい、戰様」

「私は、行かせないぞ」

 いいえ、と真は目を伏せて答える。


「折角、此処まで敵を暴いたのです。私が大保殿の処へと参ります」

「真! 大保様の目的達成に自らなんなんとする必要はないだろう!」

 掴みかかってきた戰に、いいえ、と真は短く笑った。


「まだ、大保様の究極の目的が、真実が明らかにされておりません。しかし、それを暴くのは、虚海様を除けば私以外におりません。ですが、この大火による怪我人が溢れている中、虚海様を禍国にお連れするわけには参りません。であれば、当初の予定に随従が組み込まれている私が動くべきでしょう」

「真!」


「それとも、戰様は今大令の兆殿や大司徒充殿とお一人で対決するのは怖いと思われているのですか? 背後に私が佇んでおらねば、公論の場に出向けぬとそう仰るのですか?」

「……真」


「其れは困った事ですね。お一人では何も出来ないとでも? 皆の信頼があるという確かな想いだけでは足りぬと申されるのですか?」

「……真……」

 狡いぞ、と戰が赤く沸騰させていた顔を今度は白くさせていく。


「……私は良い。真の事を、身体を、心配しているのだ」

「大丈夫です、とは言い難いですね。私の情けない剣技は知れ渡っておりますし」

 ですが、と真は笑う。


「やらねばならないのです、いえ」

「……」

「やり通すのです、戰様」


 戰が、真の肩に腕を回して強く抱いた。





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